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安倍首相訪米問題(第四報) [外交]

安倍首相訪米問題は昨日のブログで打ち止めにするつもりだったが、書き終えたあとに、入ってきた村上龍事務所のメールマガジンJMMで、在米の作家、冷泉彰彦氏の『from 911/USAレポート』第689回、「安倍首相の米議会演説と日米関係」の内容が余りに深かったので、第四報として取上げたい。

このレポートは、前半では、演説のチェックポイントを「経済」、「首相自身のイデオロギー的ポジション」、「日米和解」を評価すると、3つとも現状維持という「強さに欠ける」内容に留まった。後半では、「強さに欠けてはいけない」背景を、中国へどのようなメッセージを送るのかという観点から、それぞれを深く掘り下げている。ただ、このうちの、「経済」問題の後半部分は、安倍首相だけの問題ではなく、日本経済構造全体の問題であり、やや「ないものねだり」的印象。特に注目される点は、「首相自身のイデオロギー的ポジション」では、前半部分で「慰安婦をめぐる日本の世論の屈折した二重性」を指摘(二重性とは日本の世論の中に、国内的には「慰安婦の味方」をする勢力には感情的な反発をしてしまう傾向がある一方で、国際社会において首相が「人身売買に胸が痛む」という恭順姿勢を取ることには寛容だという構造)。後半では「米国にとっての韓国問題の重要性」を指摘したこと。「日米和解」では、前半部分で「戦いに至ったことへの反省やアジア諸国の犠牲者への追悼への発展性はない」と指摘、後半では、「戦後70年」を本来の当事国ではない中国、ロシアに政治的に利用されること、今からでも遅くないので、安倍首相は真珠湾献花を行い、オバマ大統領の広島献花への道を開くべきと主張。原典がメールマガジンなので、リンクを貼ることが出来ないため、以下では、多少要約した形で紹介したい。

『経済では、「第三の矢」つまり実体経済成長のための構造改革は、進捗が遅れているし、結果的に成長スピードも回復していない。そのような現状では、「アベノミクスの成功」を強調しなかったのは良かったが、同時に改革への勢いをアピールすることはできなかった。特にTPPに触れた部分で、若い時の自分はGATTの農産物自由化に反対したという「過去を告白」したのは「正直」であったかもしれませんし、「結果的に高齢化した農業を改革するためには自由化するしかない」という論理は、国内向けには理解されても、国際社会では「改革への意志と実行力が頼りない」という印象になってしまった』

『「首相自身のイデオロギー的ポジション」では、訪米の少し前に「ワシントン・ポスト」のインタビューに際して安倍首相は「ヒューマン・トラフィッキング(人身売買)の犠牲であり胸が痛む」という表現を使い始めた。この表現は、今回の訪米でもハーバードでの質疑応答、オバマ大統領との共同会見でも使っています。つまり、これまでの議論に照らして言えば、「例えば吉田清治証言が否定されたことなどから『狭義の強制はなかった』としても、非人道的な人身売買という『広義の強制はあった』」ということを認めて、これに対して「胸が痛む」という遺憾の意を表明。この発言が出たこと自体は、アメリカでは評価する声はあるが、その一方でこの発言は議会演説では積極的に使わなかったこと、そして首相がこの発言を反復して行ったことに日本のメディアでは多くの論評がなかったこと、そうした状況の全体が、首相とその支持層の「イデオロギー的な限界」という印象を与えた。第一次安倍政権の際から、アメリカでは「慰安婦問題などの歴史認識では、安倍首相という人は国内向けの保守的な言動と、国際社会向けの協調的な言動の『二枚舌』を使っている」という批判があった。この点に関しては、今回の「人身売買に胸が痛む」発言を受けて、構造が変化したように思う。つまり安倍首相という政治家個人は積極的に「二枚舌」という不誠実な姿勢を取っているわけではないが、日本の世論の中に、国内的には「慰安婦の味方」をする勢力には感情的な反発をしてしまう傾向がある一方で、国際社会において首相が「人身売買に胸が痛む」という恭順姿勢を取ることには寛容だという、二重性があるという構造に変化したという。つまり安倍政権なり安倍首相が「二枚舌」なのではなく、また日本の世論も厳密に言えば「意図的な二枚舌」ではない、要するに首相が国際社会向けの姿勢として「タテマエ」として慰安婦に遺憾の意を表明しても、それに反発は起きないが、国内の左右対立の中では依然として保守派は、慰安婦に同情的な左派には反発の感情を隠さない、つまりは屈折した二重性があるということが見えてきたわけです。アメリカの政界や外交当局は、ここまで込み入った理解はしていないと思いますが、首相の姿勢としては「この辺りが限界」であること、そして「二重性があるのは日本の世論であること」、そうではあっても「日本国内のガラパゴス化した保守心情は国際社会に取っては危険なまでの逸脱ではなく人畜無害」であること、その一方で「日韓関係を改善するには大きな障害として依然として残っている」という全体としての限界性は見えてきた』

『第3の戦後和解の問題については、私は色々な機会において、首相はメモリアルデー(米国の戦没者慰霊の祝日、5月下旬)に真珠湾献花を行えば、それがオバマ大統領の広島献花を可能にするということを主張。今回の訪米では、その代わりにワシントンにある「WW2メモリアル」に献花を行い、そのことを議会演説では報告するとともに、第二次大戦で戦没した若き米兵たちに追悼の意を表明したこと、また硫黄島の戦いの当事者双方を代表する形で、スノーデン氏という米軍の元中隊長と、日本側の栗林忠道中将(没後大将昇進)の子孫である新藤義孝議員に握手をさせたという演出が行われた。これは、いずれも悪いことではなかったが、真珠湾に代えて「WW2メモリアル」で済ませるということであるのならば、あるいは、真珠湾と広島での相互追悼に代えて、この硫黄等での和解と友情のストーリーをもって、戦争和解の全体に拡大するということであるのならば、私はこれでは足りないと思う。「思い切り戦ったからこそ今の友情がある」というのですが、そこには「戦いに至った」ことへの反省は込められていないし、また非戦闘員犠牲者を含めた、そしてアジア諸国の犠牲者への追悼への発展性はないからです』

『いずれにしても、1番目の経済政策、2番目のイデオロギー問題、3番目の日米の戦争和解という問題の3つとも、現状維持という「強さに欠ける」内容に留まった。「強さに欠けてはいけないのか?」背景には、中国へどのようなメッセージを送るのかという大きなファクターがある。まず第1の経済については、日本としていつまでも「アップル、ボーイングなどの下請け」や「時代遅れになりつつあるガソリン自動車産業への依存」を続けていてはいけないのです。そうではなくて、より付加価値の高い、より抽象性の高い、より知的な産業へと転換をして成長軌道に戻して行く、つまり文字通りの先進国、成熟国への社会の構造転換をしていかないといけない。中国が持続的な成長を続けるためには最先端の知的、高付加価値産業のレベルにまで入っていくことは絶対に必要。中国がその段階まで行くためには、先行する日本は、正にその段階への到達でも先行しなくてはならないし、日本が失敗するということは、同じ構造で中国も失敗するという流れになる。こうした東アジアの向こう30年を見据えた大局観として、日本の経済構造改革は全く迫力に欠けるし物足りないと言える』

『第2点目のイデオロギーに関しては、特にその中のいわゆる「慰安婦問題」に関して言えば、これは安倍政権が「日韓関係」に関して自ら修復する意志がどのぐらいあるのかを示すバロメーター。これは日本で考えられている以上に、アメリカとしては深刻な問題。アメリカにとって韓国は今でも同盟国。自身の血をもって北朝鮮の侵略から独立を守ったという関係がベースにあり、そして現在でも「日米韓台」という4カ国の軍事同盟が東アジアの安全保障の基軸として存在。そのような中で、日韓関係が許容できる範囲を越えて冷却することは、アメリカの東アジア戦略にとってコスト換算すると天文学的な数字になるほどのインパクトがある。その日韓関係については、両国の政権が、それぞれの国の右派的ポピュリズムを統御できないことから迷走しているが、その改善を図る意志として、安倍政権のこの問題に関する姿勢がどの程度であるかということは、アメリカには重大な関心事。この点に関して力強さが出せなかったということは、そのような文脈で受け止められている』

『第3の日米和解の問題については、どうしてWW2メモリアルと硫黄島の和解劇という演出では物足りないのかというと、これも中国の問題がある。中国とロシアは、第二次大戦の戦勝レガシーを誇示するために、例えば対独戦勝記念日はロシアが、対日戦勝記念日は中国が大きな行事を予定。しかし、よく考えれば「中華人民共和国」も「ロシア共和国連邦」も、どちらも第二次大戦の当事国ではないし、戦争終結時の降伏文書調印国でもないし、また国際連合の原加盟国でもない。勿論、それぞれが中華民国とソビエト連邦から、そうした地位を継承しているというのは国際的に認知されているとはいえ、歴史的な「戦争終結70周年」という年月の重みを受け止める存在ではないはず。紛れも無い当事国であるのはアメリカと日本。その両国が、この70周年という節目の年に、国際社会に対して和解と平和のメッセージを発進するということは、ほとんど人類的な義務であるはず。それを、当事者ではない中国とロシアばかりが目立つ中で、日米は「70周年」を共に演出することができていない。その点を打破するには、現在の国際情勢、そして日米の国内政治の状況を勘案するのであれば、やはり日本の安倍政権がまずボールを投げるべき。そして、今回の上下両院合同会議というのは、その絶好の機会でした。今からでも遅くないので、安倍首相は真珠湾献花を決断し、オバマ大統領の広島献花への道を開くべき。そうしないと、中国とロシアという当事国でない存在が、この「戦後70周年」という節目の年を政治的に利用することを放置し、黙認する事となります。その点から考えて、今回の演説における「WW2メモリアル献花+硫黄島の和解」というのは、悪くはなかったけれども十分ではなかったと思うのです』

最後まで読まれた方は、冷泉彰彦氏の考えの深さがご理解頂けたと思う。安倍首相には真珠湾献花を行い、オバマ大統領の広島献花への道を開いてもらいたいものだ。
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