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ギリシャ問題(その3) [世界経済]

ギリシャ問題については、7月14日、16日と取上げてきたが、今日は(その3)として最近の動向と、より本質的な問題を取上げよう。

最近の動向については、24日付けの日経新聞が「ギリシャ 経済再生へ一歩 第2弾の改革法案可決 銀行の破綻処理/民事訴訟手続き EU並みの基準に」と題して、EUとの支援交渉が本格化するだけでなく、経済再生に向けた環境づくりが進むと伝えた。

次に、18日付け週刊東洋経済に:三菱UFJリサーチ&コンサルティング調査部研究員の土田陽介氏が寄稿した「EUの戦略ミス 緊縮政策ではギリシャ危機は終息しない」のポイントを紹介しよう。
・ギリシャだけがなぜ卒業できないのか。キプロスも予定通り16年中には支援終了の予定。アイルランド、キプロス、スペインの危機の根底には金融・不動産バブル崩壊による銀行の不良債権問題があり、07の公的債務残高は健全。ポルトガルでは公的債務残高/GDPが68%と高目だったが、金融・不動産バブル発生せず。これら諸国は流動性問題による債務危機
・EUとIMFはギリシャでは処方箋を間違えた。ギリシャの07の公的債務残高/GDPは103%と突出、その対外依存度も74%と脆弱性も高かった。緊縮財政がGDP縮小、債務の自己増殖
・941億€の債務削減も民間投資家分に限定され、GDP縮小のなかで有効に働かず。銀行への資本注入が482億€と巨額を要したこともこの効果を弱めた
・債務支払いを長期的に猶予することで、債務負担を軽減すべき。構造改革は危機収束後に中長期的観点から行うべき

第三に、歴史的視点からギリシャ問題を考察したものとして、作曲家=指揮者でベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督の伊東乾氏が、24日付けのJBPressに寄稿した「ドイツ、フランスにはギリシャを助ける義理がある 王様はドイツ人~北に"支配"されてきた国の悲鳴を聞け」のポイントを紹介しよう。
・「ギリシャの王様はドイツ人」だった。ギリシャがオスマン・トルコ帝国から独立するに当たって、最初に即位したのがバイエルン国王ルートヴィヒⅠ世の息子オットー、即位してオソンⅠ世に。あまりの不人気にオソンⅠ世はギリシャを追放。「西欧としてのギリシャ」という特異な問題を考えるに当って、常識の源流を探訪
・ポーランドよりはるかに東の「西欧」。そもそもギリシャが「西欧」というのが、地政学的に言って相当無理がある話。冷戦時代、鉄のカーテンが降りていた「東西」の境目はドイツ国内。それより東にあるポーランドも、チェコも、ハンガリーも、ユーゴスラビアも、ブルガリアもルーマニアも「東欧」そのものであることを誰も否定はしないでしょう。ブルガリアの真南、つまり地中海に面したバルカン半島の南端が「ギリシャ共和国」。ギリシャはポーランドよりもハンガリーよりも東、トルコ共和国と国境を接した、まぎれもない「東の国家」であること。疑いようもない客観的な事実から、物事を考え始めるべき
・何となく錯覚しやすい1つの理由は「イタリア半島の角度」にも理由がある。長靴のような形をしたイタリアは、真南に向いているのではなく、大きく東に傾いている
・「ギリシャは飛び抜けて東のユーロ圏か?」と問われるなら、欧州地図上ギリシャから真北に視線を転じたフィンランドがある。スカンジナビア半島の東北端は北極海に面し、ポーランド、ギリシャはおろかロシアのかつての首都サンクト・ぺテルスブルクよりも東ですが「豊かな北」フィンランドは、ノキアを始め多くのグローバル企業を擁し、ユーロ経済を牽引する側に立っている
・1990年代、マーストリヒト体制を構築するうえで「欧州」の再定義が幾度も問われ、言ってみればフィンランドは「ロシアに直面するユーロの壁」、ギリシャは「イスラムに直面する「ユーロの壁」として西側経済の東限にデザインされた
・社会経済の成立には非常に深く長い歴史的、構造的な背景がある。「住民無視」、列強の都合で「西側に定義されてしまった」ギリシャという国家の源流を見据えなければ「グレグジット」(Grexit=ギリシャのユーロ圏からの退場)の問題は議論できない
・最も如実に示す現代に至る原点が、ナポレオン戦争後の欧州の都合で、まぎれもない生粋のドイツ人「オットー・フリードリヒ・ルートヴィヒ・フォン・ヴィッテルスバッハ」(1815-67)のギリシャ国王即位(1833-62)
・19~20世紀の歴史は「帝国解体」のプロセスだった。「清朝」「ムガール帝国」「オスマン・トルコ」「ロマノフ朝ロシア」そして「神聖ローマ帝国」・・・。現在まで続いている「中世以来の帝国」は産業革命そのものを牽引した英国ただ1か国だけ。産業革命が本格化した18世紀末以来、どのように新しい「世界」を作っていくか、多くの対立する考えがぶつかり合って多くの戦乱を生んできた
・ナポレオンは「自由・平等・博愛」というフランス革命の思想を各国の被支配者層に広め、農奴制の廃止や独裁的な行政の改革などが進んだ。しかし、同時に諸国民にナショナリズムを鼓舞することとなり、皮肉なことだがナショナリズムの自覚によって各国が反乱、彼自身の帝国も崩壊
・そんな「民族自決」の理想主義に、「遅れたイスラム」のオスマン帝国支配からの解放という粉をかけ、「ギリシャ=ローマ由来の西欧の原点」として美化されたのがギリシャ。ナポレオンが亡くなったのと同じ1821年、ギリシャ独立戦争が勃発、翌22年には「独立宣言」を出したが、混乱は10年にわたって続く。詩人のバイロンやプーシキンまでこの戦争に義勇軍として参加するあたり、やや過剰な理想主義を見ないわけにはいかない
・イオニア貴族出身でのちにはロシア帝国の外務大臣にも就任するイオアニス・カポディストリアスを大統領とする第1共和政(1827-32)が短期間だけ成立。カポディストリアスという人は真に傑出した能力。ロシアの外交官としてナポレオン戦争で混乱していたスイスの建て直しに尽力、ウイーン会議ではフランスのブルボン王朝を復活させ、スイスの現在の「永世中立国」体制を諸国に承認させるなど、メッテルニヒやタレイランの上を行く凄まじい手腕。カポディストリアスという才能がなければ、19世紀初頭にギリシャの「西側的」独立など、絶対に不可能だった。現在でも「国父」として尊敬を集め、硬貨に顔が刻まれてる。1831年カポディストリアス大統領はよく分からない経緯で暗殺されてしまい、真相は闇の中
・弟のアウグスティノス・カポディストリアスが半年だけ大統領を継ぐが、ギリシャを「保護国」として後見していた英国、フランス、ロシアの3か国の思惑によってギリシャに「王制」が導入。ここでの条件は、「英仏露のどの王室とも血縁のない、旧東ローマ皇帝の血を引く西ヨーロッパ王族」だけ。はっきり言えば、その条件さえ満たせば誰でも良かった。そして、バイエルン王国の第2王子、16歳の少年オットーが、血筋の良い座敷犬のような形でギリシャに送り込まれた。当初は大いに歓迎された。つまるところ東ローマ帝国再興という欧州のシナリオそのもの
・分かりやすい南北問題。こうした列強間の妥協による思惑は「保護国」である英国+フランス+ロシアとバイエルン王国そしてオスマントルコ帝国との間で調停され、当のギリシャは全く蚊帳の外。ギリシャ王はカトリックのままでギリシャ文化にもギリシャ正教ににも興味を持たず現実離れした「東ローマ帝国復興」を念仏のように唱えて失政を繰り返し、1862年ギリシャ軍のクーデターで退位・国外逃亡
・ギリシャ王国では、「ギリシャ議会」の選出という形を取ったものの、またしても17歳の少年、デンマーク王クリスチャンⅨ世の王子ヴィルヘルム(1845-1913)がギリシャ正教に改宗してゲオルギスⅠ世として即位。その50年に及ぶ長い治世の間には第1回近代オリンピック(1896)なども開かれ、ギリシャは西側という印象だけが一人歩きするが、彼もまた最期は、またしてもよく分からない暗殺によって命を落とす
・この外来王制は「バルカン状況」の中で幾度も廃位と復古を繰り返し、最終的に1973年、まず軍事政権が君主制を廃止、翌74年の国民投票で正式にコンスタンティノスⅡ世(1940-)が廃位されて、ようやく「ギリシャ人による民主制」が実現、第3共和政下の現在に至っている
・「北が支配する南」の典型として、近代ギリシャ王国の150年ほどがあり、第3共和政が確立した1974年以降も東西冷戦の緊張下、東側に直に接する立地なども災いしてバランスの取れた経済成長を遂げることができなかった
・自分にはギリシャ経済の専門的な分析能力など全くないが、原因の少なからざる部分が西側欧州に責任がある可能性が高いと言って、まず外れないだろう
・もともとEUに加盟できるだけの財政条件を整えていなかったギリシャだが、西側投資銀行の財政手法コンサルテーションで無理やりユーロ圏入りさせたのも「北側」の都合。さらにEUが統一通貨を導入して以降、21世紀最初の五輪をギリシャでというシナリオもギリシャ国民の内側から湧き出てきたものとは言い難く、結果的に発生した巨額の財政赤字が隠蔽、粉飾決算され続けてきたのは、本当にギリシャ政府だけの責任と言えるのか?
・2009年、毛並みも良く(祖父と父が首相)それなのに能力も高く倫理観も強い(ロンドン大学で発達社会学修士、ハーバード大学で外交研究のフェローなども歴任)ゲオルギオス・パパンドレウが首相に就任。翌年、こんな粉飾決算を続けていてもどうしようもない、と財政赤字が対GDP比3.7%などではなく実際は13%である事実が明らかにされて現在に至るギリシャ財政危機状況に
・ギリシャにとって本当に必要なのは「育てる牧歌的な金融」による健全な経済発展であるはず。そうした長期的な議論も、農業などでは決してなかったわけではなく、21世紀に入ってからのギリシャも第1次産業では大きな成果を上げている
・翻って「貸し主」たちは、どれほど「借り手」のことを考えて、ギリシャに融資してきたと言えるか?きれいな白黒のつく結論は決して出ない問題だが、EUは決断して、明らかに経済体力に劣るギリシャをユーロ圏に招き入れた。そこには200年来の「欧州のシナリオ」も明らかに関係
・個人的な観測を記すなら、ユーロ圏がギリシャを「手放す」ことはほとんど考えられないと思う。そこで失われる信用は、ドイツのアンゲラ・メルケル首相が幾度も口にする「私たちの欧州の計画」の根幹を揺るがすものになりかねない。しかし逆に「南」が「北」に叛旗を翻す可能性は以前からあった。現在の急進左派連合政権は若いアレクシス・ツィプラス首相の発言を見る限り、そのような色合いも見える
・むしろ私たちは、国民投票後に辞任した(~更迭された)財務相、元来は数学者である優秀な頭脳ヤニス・ヴァルファキスをして 「EU緊縮案はギリシャ国民に対するテロ行為」とまで言わせている背景を、しっかり考えるべきなのではないか
・「ユーロ立て」のギリシャで開かれた「アテネ・オリンピック」は、莫大な負債をギリシャの国家と国民に遺したが、逆に言えば、そこでは「ユーロ 立て」で利ザヤが抜かれて言ったということもできるわけで、「後はどうなれ、ハイさようなら」と濡れ手に粟を手にした者はどこにいるのか?
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44348

伊東乾氏の寄稿は、歴史を抜きにして最近の出来事だけで判断する誤りを正しく指摘している。財政手法コンサルテーションをしたのは、米最大の投資銀行ゴールドマン・サックスである。そうした助言に乗ったギリシャにも責任があるとはいえ、そうした粉飾決算はEUやIMF、さらにはドイツも暗黙の了解をしていた筈である。IMFは債務減免など債務負担軽減策の必要性を最近になって主張し出したが、EU、ドイツの姿勢は相変わらずギリシャに緊縮を押し付けるだけの強硬な姿勢を続けている。ただ、フランスがイタリアを巻き込んで、ドイツに姿勢緩和を働きかけ始めたようなので、今後に注目したい。
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