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ソニーの経営問題(その1)ソニーはどこで間違えたか①反故にされた盛田の想い [企業経営]

今日は、昨日触れたソニーについて取上げよう。

ジャーナリストの森 健二氏が、ダイヤモンド・ハーバードビジネスレビューの6月30日、7月1日、14日の3回にわたって連載した「ソニーはどこで間違えたか」を紹介したい。
6月30日付けの「①反故にされた盛田の想い」のポイントは以下の通り。
・20年前の二重の「転換点」(20年前の1995年は、時代を画するような新たな動きが頻発し、その後の歴史を規定していった分水嶺。ビル・ゲイツが「インターネットによる大変動」に気づき社内に檄を飛ばしたのが5月。7月にはジェフ・ベゾスが「世界最大の書店」と銘打って書籍ネット通販のアマゾンをスタート。8月に入るとネットスケープが株式を上場、30億ドルの時価評価を得て「インターネット時代」が開幕。
・スタンフォード大学の大学院生だったラリー・ペイジとサーゲイ・ブリン(グーグルの共同創業者)が出会って、検索エンジンの研究をはじめたのはこの秋のこと。 11月には、10年前の85年にアップルを追放されたスティーブ・ジョブズが、買収し新生させたピクサーの3Dアニメ『トイ・ストーリー』が公開され大ヒット。株式も上場し、ジョブズは上げ潮に乗りはじめた。翌々年、彼はアップルに帰還し奇跡の復活劇の幕を開ける
・またこの年には、サムスン電子が液晶パネルの量産ラインを立ち上げて日本勢の追撃に入った。オーナーの李健煕会長は、93年に「新経営宣言」(「妻と子ども以外は全てを変えよう」)、94年には「デザイン革新宣言」を打ち出したが、これらの経営改革の契機となったのは、ソニーに学びサムスンの問題点を炙り出した日本人デザイナー・福田民郎(当時サムスン電子デザイン顧問)の「福田報告書」
・世界はITによるネット時代へ、大きな潮流がうねりはじめていた
・日本では1月に阪神淡路大震災が発生
・月末に社長定年内規の65歳の誕生日を迎えた大賀典雄は、自らの後継者に出井伸之を指名。 その前年の94年11月には、名誉会長だった井深大が「ファウンダー・最高相談役」に、病気療養中の代表取締役会長・盛田昭夫は「ファウンダー・名誉会長」に
・このときソニーは、外と内に二重の「転換点」を抱えていた。前者の「戦略転換点」は、テクノロジーがアナログからデジタルへ、大きくパラダイムが変換する移行期にあったことだ。 当時CEOだった大賀は、ソニーの成長は「他社のまねをしない・他社からもまねのできない商品を作り上げ」ていることだと述べ、「それには基本的に2つの方法しかない」とする。「つまり、商品企画のスタンダードを自ら押さえるか、あるいは職人芸的な技術に裏打ちされたメカトロニクスを持つかである」。 この大賀の認識は、彼の成功体験から生まれていた。CDなどのパッケージ・メディアを業界標準化し、精密な摺り合わせ技術で独自のプロダクト・プランニングを実現するというもので、アナログ技術の時代には極めて有効な”勝利の方程式”
・だが、コンピュータ・ITがAVを飲み込みはじめると、パッケージは「クラウドのなかに溶け出し」、メカトロの職人芸はICチップに吸収。大賀は、それまでソニーを支えていた基礎的条件が変化していることを察知してはいたが、具体的にどう動けばいいかは見当がついていなかった
・後者の内的な転換点は、大賀を含む創業者世代から次の世代へバトンタッチしなければならなかったことだ。経営の承継は、常に困難でやっかいな問題をはらむが、ソニーの場合は創業者たちが偉大であっただけに、後を継ぐ経営者には格別の力量が要求されるはずだった
・しかも89年に買収したコロンビア映画は、経営者の人選ミスが響いて、乱脈経営の果てに巨額の赤字を抱えていた。企業文化の違いを超えて、ハリウッドをどうマネジメントするかという、やっかいな課題にも対峙
・「消去法」の裏に、未来のレシピ!?。大賀の右腕として総合企画本部を取り仕切り、90年には副社長となり、周囲からも社長候補と目されていた岩城賢が、94年にソニー生命社長に転出すると、奇妙な文書が流布。 「新聞を見て驚きました。なぜ出て行くのがMではないのですか」という出だしではじまるセクハラ・スキャンダルの告発文。 事実関係がきちんと調査されないまま、「飛ぶ鳥を落とす勢い」(告発文)だったM副社長に社長就任の目はなくなった。ソニーの美点だったタガも篤実さも緩みだしていた
・副社長2人が候補から消えたためか、自らの権勢を示したかったのか、大賀は出井を14人抜きで抜擢すると、新社長披露の記者会見で「消去法で選択した」、と口にした。言われた本人も、消された14人もモチベーションが下がる、言わずもがなの表現だった
・出井は、ただでさえ実績のないなかで社長としての「求心力」に苦しむようになる。 出井は、前年94年に常務の末席に加わったばかりで、文系出身としては珍しく、オーディオやMSXパソコン、ビデオのVHSなどのエレクトロニクスの事業責任も担ったが、いずれも大した実績を上げられなかった
・89年からは広告宣伝や広報などのコーポレート・コミュニケーションを担当したが、もともと「カンパニー・エコノミスト」になることがソニーの志望理由だっただけに、この分野では羽を伸ばして活躍。興味深いのは「アナリストとして」(本人の言)93年から94年にかけて、「レポート3部作」で長期戦略を提言
・93年6月『今後の10年に向けて』、『戦略的中期事業計画の提案』、94年10月『コンピュータとAV融合時代のソニーの戦略』の3部作は、合計44ページで構成され、時代の転換点に立つソニーにとって、大賀の眼にも未来のビジョンを示しているように見えたことだろう。実際に、これらが社長になった出井の経営の“レシピ”ともなった
・レポートは、最初に「デジタル・エクスプロージョンのソニーに与える影響」を概観。「発展基盤市場が日本からUSへ」移行し、「情報・娯楽の流通革命」が起きること。そこではパッケージメディアが主役でなくなり、「無線携帯電話によるカセットなしウォークマン」まで予測(もう少しでiPhoneだった)。そして「権利資産基盤のシフト」が起き、パッケージメディアの規格から、OS(基本ソフト)やGUI(直感的な操作を可能にするユーザーインターフェース)といった「ターミナルインテリジェンス」へ知財が転換すること。それに伴い米IT企業との「戦略的アライアンス」が必要になることを示し、ソニーの事業分野の再構築を提言
・それは、エレクトロニクス、エンタテインメント、エレクトロニクス・ディストリビューション(放送・通信・出版)の3つのソニーに分け、業態が違う多様な事業を評価する指標としてEBITDAの導入を提唱(実際にはEVA=経済的付加価値となる)。 各事業セグメントは、資産管理(B/S)に加え、人材、技術、イメージ資産についても責任を持ち、本社が「これを評価・診断・コンサルティングするファシリティを持つ」とする
・さらに「オセロ・プロジェクト」と称する「Apple社買収(当時の企業価値4760億円としている)による、ブランド拡張とアーキテクチャー(OS)の確保」で、(オセロゲームのように)一挙にIT分野で覇を唱える「戦略提案」
・出井は94年3月には『Sony AD step』第1集を社内に向けて発行。これは「“モルモット”と評された進取の気風=ソニー文化を作り上げてきたものは、いったい何だったのか」を検証するために「マーケティングの側面から取り組んだソニー史」。 94年11月にも『Sony Product Philosophy』(コーポレートデザインセンター)という分厚いレポートを社外秘として限定配布。こちらは井深、盛田、大賀の語録と、「ソニーらしい商品の開発事例を通してプロダクトフィロソフィーを探った」DNA解析版だ
・つまりは、ソニーの企業風土や経営フィロソフィーへの目配りも万全。本人の意図はどうであれ、結果的には3部作に2本のレポートを重ね、迷える大賀の前に並べて見せたのだ。 IT技術に掌握感がなく、時代の「戦略転換点」で具体的にどう舵取りしていくのかが見えなかった大賀にとって、見渡せば何度も「戦略レポート」を提出し、経営フィロソフィーをも知悉していると思えた役員がいたので、ソニー・スピリットをデジタル時代に継ぐ者として、出井を選んだ
・盛田は、大賀に「次期社長はエンジニアに」と言い渡していた。だが、これには妻の良子夫人が助け船を出した。 リハビリ中の盛田を見舞いに、「大賀さんがハワイにいらっしゃった時に、『映画会社も持っていることですし、レコード会社もあります。ですから、もう少し広げて選んだらどうでしょう』。主人の前で私がそう言って、『構わないでしょうか?』と尋ねたら、主人がうなずいたのです。 これは私のミスです。私は出井さんになさったら、なんて一言も言っておりません。ですが、消去法で出井さんになさったのが間違いだったかもしれません。その後もエンジニアでないトップが続きましたでしょ。やはりソニーは、主人が言っていましたように、もっともっとエンジニアを大事にしないといけなかったのです」
・出井のレポートは現在の眼から見て、(「提案・提言」は別にして)当時の「現状認識」「次世代イメージ」の方向感は間違ってはいなかった。 ではなぜ、大賀の願いに反してソニー・スピリットがデジタル時代に、きちんと受け継がれなくなったのだろうか?そのメカニズムを、最高経営者を含む経営首脳たちの反省・自戒を含めて、次回で検証してみよう
http://www.dhbr.net/articles/-/3354

私は、それまでソニーをおかしくした主犯は出井との印象を持っていたが、出井の「アナリスト」としてのレポートに目をくらませられた大賀も問題だし、それ以前のスキャンダルなどで「タガも篤実さも緩みだしていた」だとすると、かなり長期間にわたって経営の劣化が進んでいたようだ。さらに、問題はソニーだけでなく、日本の他の電機各社も同様に抱えていたことを考慮すると、イノベーションへの対応という、簡単な答えのない問題が背景にあることは確かだ。
今日は長目になったので、この続きは明日としたい。
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