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戦後70年談話(その4)裏からみた真相 [外交]

戦後70年談話については、前回は8月20日に取上げたが、今日は(その4)裏からみた真相である。

先ず、8月27日付け週刊新潮「「70年談話」がぬえになった「安倍内閣」の焦燥 「安倍総理」を委縮させた大新聞の圧力」のポイントを紹介しよう。
・記述見送り方向だった「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「心からのお詫び」まで盛り込まれた
・保守派支持者は反発
・中国、韓国は一定の理解。中国はいつもの「強い遺憾の意」の言葉なし。韓国の朴大統領は「我々としては残念な部分が少なくないことは事実」としながらも、「謝罪と反省を根幹とする歴代内閣の立場を・・・国際社会に明らかにしたことに注目」と一定の理解
・こうなった背景には、新聞各紙、特に読売の圧力。北岡は渡辺恒雄(会長・主筆)と非常に親しい。読売では、今春、70年談話に「侵略」を盛り込ませるような論陣を張る方針を決定。社説は4/22以降、6回も繰り返し訴えた。朝日、毎日は4回
・6/4の憲法審査会で3人の憲法学者が違憲と明言、支持率急低下。渡辺から法案成立に協力する代わりに、交換条件に「侵略」を盛り込ませる

次に、コラムニストの小田島隆氏が8月21日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「“採点”するなら、あれは百点満点だった」のポイントを紹介したい。
・今回は、私たちが熱中している「解釈」というゲームの功罪について考えるところから出発してみる
・談話が読み上げられ、その全文が新聞社のサイトにアップされるや、ツイッターのタイムラインには、早速、様々な「解釈」や「読み解き」が公開され、それらの解釈に対する賛否の声が行き交うことになった
・テレビはテレビで、スタジオに「反省」「謝罪」「植民地支配」「侵略」という文字が書き込まれたパネルを用意して、それらのキーワードが使われているかどうかを同時進行でチェックする体制で、「談話」を生中継
・思うに、「談話」の原稿がああいう内容に着地したのは、それを評価するメディアや評論家や外交筋や各国政府が、談話の原稿を切り刻んで「解釈」することを、原稿の書き手であるスピーチライターがあらかじめ熟知していたからだ
・スピーチライターは、自分がこれから書き起こすテキストが、ひとまとまりのスピーチとして、耳を傾けられ、読まれ、評価される以前に、逐語的に解釈され、表現の細部をあげつらわれ、言葉尻をとらえられ、片言隻句を取り上げて引用されながら突っ込まれることを、事前に十分意識した上でテキストをタイプしはじめたわけで、だからこそ、彼の書いた「談話」は、ああいうものになった。すなわち、どこをどう読んでも明確な突っ込みどころの見つけられない極めて専守防衛的な文章として、われわれの前に展開されたのである
・この時点で受け止め方は、二通りに分かれていた
・ひとつは、スピーチ原稿の出来栄えの見事さを賞賛する声だ。注意しなければならないのは、あのスピーチの原稿を賞賛していた人たちの多くが、その内容を評価していたわけではないということだ。 むしろ彼らは、談話原稿の「内容の無さ」を評価していた。 彼らは、主として「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「心からのおわび」という村山談話を踏襲する4つのキーワードを漏れ無く使って、どこから見ても破綻のない演説原稿を書き上げてみせたスピーチライターの並々ならぬ「手腕」に感服していたのであって、演説そのものの「内容」を評価していたわけではない、ということだ
・談話の内容自体への評価は、曖昧な声が多い。 声高に非難する人もいないが、手放しで賞賛している人もほとんど見かけない
・その一方で、談話の評判は良い。奇妙な言い方かもしれないが、評価は必ずしも高くないが、評判は極めて良いというのが、今回の「談話」をめぐる人々の態度に見られる共通項なのだ
・これは、いったいどういうことなのだろうか。まるで意味がわからない。 私自身、談話が語られている中で、ツイッター上の様々な立場の人が、異口同音に、「見事だ」、「すごい」、「っていうか、恐れ入った」、「なるほどね」、「いや、感服しました」、と、賞賛の声をあげている姿を見ながら、キツネにつままれたような気持ちになっていた
・私個人は、はぐらかされた感じを抱いていた。フロイド・メイウェザーと対戦した時のマルコス・マイダナの気分と言っても、わからない人には永遠にわからないだろうが、私が感じたのは、そういう気持ちだった。つまり、懸命にパンチを繰り出しても、相手はスルリとグローブの先から消えているわけで、そういうふうにアッパーがアームブロックで無効化され、ジャブがスウェーされ、フックがパーリングで弾き返される時、ボクサーは誰でもそうだが、無力感を感じ、次第に戦意を喪失していく――そういう気分だ
・ひとつのヒントとして、あの原稿が「演説」ではなくて「答案」だったというふうに考えると、多少、理解が届く感じはする。  スピーチライター氏は、談話原稿を執筆するにあたって、「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「心からのおわび」という4つのキーワードをすべて使うことをタスクとして命じられていたはずだ。この点をクリアしないと、閣議決定を通過することができないし、それ以上に、アジアの近隣諸国からの非難の声を呼び起こすことになるからだ。 これはこれで、なかなか困難な課題だ
・一方、彼は、安倍首相サイドから  「自分の名前で謝ることはしたくない」、「私は先の大戦を侵略戦争だとは思っていない」、「植民地支配は第一次大戦以降の時代背景から、当時の日本が外交上の必然として選択したひとつの政策であって、現代の常識からすれば錯誤と評価されるものであるのだとしても、日本だけが為していた悪行ではない」、「従軍慰安婦という言葉は使いたくない」、「戦時の謝罪に一定の区切りをつけることを明言しておきたい」、という要望を聞かされていたはずだ
・つまり、スピーチライター氏は、この二つの(というか総計で10個ほどの)相互に矛盾する要求を満たす答案を書かなければならなかったわけだ。これは、容易な作業ではない。というよりも、普通に考えて不可能なタスクだ
・だって、お詫びという言葉を使いつつ謝ることはせず、侵略と言いながら日本の参戦の正当さをある部分で示唆し、植民地支配への反省を口にしながら日露戦争の勝利が第三世界の希望であった旨を匂わせ、全体として強い反省の気持ちを強調しつつも、もうこれ以上は謝罪しない決意をにじませなければならないわけで、普通のアタマを持った人間に、こんな論理的に錯綜した原稿が書ける道理はないからだ
・が、彼は成し遂げた。 4つのキーワードについては、主語を明確にしなかったり、引用の形で言及するにとどめて、全体として謝罪のニュアンスを醸し出しながらも、安倍さんが自らの言葉で詫びる形は巧妙に回避している
・さらに、戦前の日本が第二次世界大戦に参戦した背景に当時蔓延したブロック経済の悪影響があったことを暗示し、かてて加えて、戦後70年という区切りを機に、子や孫の世代に永遠の謝罪を引き継ぐことをしない決意を語ることで周辺諸国に釘を刺すことまでしている
・まったく、見事というほかに言葉がみつからない。首相によるスピーチを外交上のゲームとしてとらえるなら、今回の談話は、永遠に続く謝罪の流れにひとつの区切りをつけながら、それでいて明らかな突っ込みどころを残さなかったスピーチライターのレトリックの勝利と評価して差し支えないのだろう
・興味深いのは、大学で教鞭をとっている人たちの多くが、ふだんの政治的な立場とは別に、談話原稿の出来栄えをおおむね高く評価していた点だ。おそらく、論文を採点することに慣れた人たちは、今回の談話原稿の課題達成度の高さと、レトリックの巧みさと、論理構成のアクロバットの見事さに、高い点数をつけずにおれなかったのだろう
・私自身、日本語の原稿を書く稼業に携わっている人間の一人として、あの原稿を書いた人間の力量には感服せざるを得ない。軽い嫉妬をおぼえるほどだ
・ただ、こういう読み方をするのは、実は「インテリ」の皆さんだけだったりする。首相のスピーチを逐語的に解析して、高い読解力と背景知識に拠した読み解き方に沿ってその内容を評価するのも、専門家と呼ばれる人間に限られた態度だ
・おそらく、ふだんから論文を執筆し、査読し、分析することに慣れている立場の人間からすれば、首相談話のようなテキストの論理の綾を解きほぐし、行間に隠された意図を読み解く過程は、知的な部分を興奮させるスリリングなゲームなのであろうし、彼ら自身、そういう読み方でテキストを読みこなす自分たちのリテラシーに強い自負を抱いているのであろう
・ただ、専門家を自負する人々が、首相談話を解析する仕事の結果に一定の価値があるのだとしても、だからといって、耳から入ってきた言葉を感じたままに聞き取る一般人の態度が、「感情的な」「リテラシーの低い」「知的に洗練されていない」マナーとして退けられるべきだということにはならない
・「首相談話」は、外交の専門家や、大学の先生や、ジャーナリストや評論家のみに向けて発表されているものではない。「談話」の聴き手のほとんどは、一般の人間である私たちだ。ふつうの人は、ふつうに聴く。と、ふつうは意味がわからない。談話のもうひとつの評判がこれだ
・村山富市元首相が、テレビのインタビューに答えて言っていた「美辞麗句を並べて長々としゃべりましたが、何をおわびしているのか、よく分からないね」 という言葉にすべてが集約。 つまり、「談話」は、「答案」としては満点でも、「演説」としては、意味不明だった、と、そうとらえるのが、一番当たり前な読み方だということだ
・悲しいのは、21世紀の日本では、こういう「当たり前の読み方」が、軽んじられていることだ。ツイッターでは、村山さんが、テレビで「よくわからない」と語っているテロップ付きの画面が「おじいちゃんにはむずかしかったかな?(笑)」という解説付きで、拡散されていた
・そういふうにして、一般の人間の当たり前な感想を揶揄嘲笑する声が、ネット世論のかなり大きな部分を代表している。なんと悲しいことではないか
・以下に、村山談話を引用する。 「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。」 「私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」
・この文章なら、誰が読んでも受け止め方に違いは出ない。「わからない」という人もほぼいないだろう。  「解釈」の余地のない、非常にシンプルな文章だからだ。「侵略」の主語は「わが国」になっているし、「お詫び」の主体も「私」が引き受けている。文法的にもまったく紛れがない
・対して、安倍談話は、構文といい論理構成といい、非常に複雑な構造になっている。 高度と言えば高度だが、意味はわかりにくい
・もっとも、意味不明な談話を出しておくことにこそ外交上の意義があるのだと言っている人々もいる。 というか、そう言っている人は少なくない。もしかしたら多数派かもしれない
・彼らによれば、この種のスピーチにおいて大切なのは、「何を言うか」ではなくて「何を言わないか」なのであって、つまり、スピーチ原稿は、「いかに言質をとられないか」ということに主眼を置いて書かれるべきだというのだ
・それはそれで、尊重すべき見方なのかもしれない。 でも、だとしたら、はじめから「談話」を出さないという選択肢もあったはずだ
・最後に、私の個人的な見解を述べておく。外交は、テクニカルな点取りゲームのようで見えて、決してそれだけのものではない。外交は、もう少し長い目で見れば、関係諸国の国民感情をやわらげる物語を作るための創造的な仕事だ。その意味で、おわびと反省のニュアンスを薄めたことは、短期的には一本取ったようでいて、中長期的には、マイナスの結果をもたらすと思う
・村山談話が出された後の日韓関係の流れを見て、「謝れば謝るほど謝らなければならなくなる」と考える日本人が増えてしまったことは、実に、不幸なめぐりあわせだったと思う。 「はっきりと謝ったことで、かえって相手を調子づかせてしまった」というふうに、彼らは感じている
・一方、謝罪を要求している側の人々は、相手に心からの謝罪をするつもりがないことがはっきりしているからこそ、自分たちは謝罪を要求しているのだというふうに感じている
・両者の間にある溝はとても深い。 この溝を埋めるためには、とりあえず謝ることが第一歩だと思うのだが、この意見は多くの人々を怒らせるはずだ
・私が言っているのは、謝らないことで埋まる溝なんかないよ、というだけのお話なのだが、この言葉も、彼らを怒らせるはずだ。彼らは、謝れというだろう。私は謝るべきなのだろうか。ああ、わかりにくい原稿になってしまった
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/082000008/?P=1

6月頃には閣議決定をせずに、個人的な談話にする方向との報道もあったように、今回の談話は二転三転した。全てのキーワードが間接話法も含めて入った裏には、週刊新潮が指摘するように読売新聞から「圧力」がかかったとは、確かにありそうな話である。
小田島隆氏による記事は、「書き手」としての立場から鋭く洞察したもので、さすがと感心させられた。「短期的には一本取ったようでいて、中長期的には、マイナスの結果をもたらす」との指摘は慧眼である。ただ、対象とする「戦後70年談話」が難解なだけに、記事そのものも、最後に本人が認めるように「わかりにくい原稿になってしまった」のが多少残念である。
明日は、戦後70年談話についての韓国等の反応を取上げる予定である。
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