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中国国内政治(その1)北岡伸一・加藤嘉一対談1 [世界情勢]

今日は中国国内政治(その1)である。

東京大学名誉教授(政治学)の北岡伸一氏と中国問題の若手研究者の加藤嘉一氏が、ダイヤモンド・オンラインで4回シリーズの対談をしており、中国の国内政治をみてゆく上で興味深いので、紹介したい。今日は前半2回分である。

9月3日付けの「「中華民族の偉大なる復興」はリアリティを持たない」のポイントは以下の通り(▽は小見出し)。
▽「中国夢」の目的は何か
・(加藤)いま、習近平国家主席は「中国夢」(チャイナ・ドリーム)、すなわち「中華民族の偉大なる復興」をスローガンに掲げ、政治を進めています。中国共産党が創立100周年を迎える2021年、そして中華人民共和国建国100周年の2049年という時間軸を意識しているようですが、いつの時代に“復興”するのか、その意図は何かなど、不透明な点も多いです
・(北岡)中国には、こうしたコンセプトが必要だと考えているのでしょう。ただ、もし心からそれを信じているのであれば、それは困ったことですね。中華民族の偉大なる復興とは、何に対置したものなのか。アカデミックな議論をすると、その点も解釈に困ります
・加藤さんがおっしゃるように、戻るといっても、いったいどこに戻るのでしょう。おそらく、心情的には唐の時代なのでしょう。ただ、現在議論されている過去の栄光を面積で見ると、元か清ですよね。そもそも、「中華民族」は存在しません。あるとすれば漢民族です。何が中華民族なのかと疑問に思うわけです。また、そこに含まれる少数民族についてはどう理解すべきなのか。 そうしたことを踏まえて、このコンセプトを打ち出した目的は何なんだろうかという点を考えてしまいます
・(加藤)北岡先生は、その目的は何かと考えていらっしゃいますか?
・(北岡)目的はやはり、崩壊(disintegration)を避けることではないでしょうか。バラバラになる理由は、異論に対する弾圧、少数民族に対する弾圧もあるでしょう。そもそも、どのような国でも、国が豊かになると、必ずしも全体に対して奉仕する気持ちを持つことは簡単ではありませんからね。中国夢について、中国の国内ではどのように受け止められるんですか?
・(加藤)一般大衆世論では、これは単なる政治スローガンにすぎないと捉えられていて、人民たちはみずからの生活とそれほど関係の深いものだとは認識していないようです。ただ、対外関係という文脈のなかで、それによってナショナリズムがくすぐられることはあるようですが
・また知識人たちは、前国家主席の胡錦濤が提唱した「和諧社会」に近いものだと思っているようです。私自身のウォッチでは、同じく胡錦濤が指摘した「科学的発展観」に相当するガバナンス方針という意味で、おそらく昨今における「四つの全面」(小康社会、改革深化、法に依る統治、厳格な党の管理を全面的に推し進めること)のほうがそれに近いのかなと見ています)
▽「夢」の中身にリアリティがない
・(加藤)私の認識では、中国夢には、習近平という政治家の性格や個性が強く反映されているものです。たとえば、2013年、米カリフォルニア州サニーランドで行われたオバマ大統領との会談では、「太平洋は米中を収納するのに十分な大きさである」と言いました。また、2014年、上海で開催されたアジア相互協力信頼醸成措置会議では「アジアの問題はアジアで解決する」と提唱するなど、習近平は自分の色を政治に対して強く示す性格の持ち主だと感じています
・一方の国務院総理・李克強ですが、彼と北京大学時代を共に過ごした元クラスメートによると、李克強は自分から好んで「中国夢」を使わず、公の場でも極力使わないようにしているそうです。経済と法律を専門に学んだ李克強から見れば、中国夢は空虚で中身のない政治スローガンに見えてしまうのかもしれません。全国人民代表大会のような舞台では立場上使わざるを得ないこともあるでしょうが、中国夢は習近平の色が強いコンセプトだと私は見ています
・軍事学者などが中国夢について記した書籍を習近平が読んでいるのかどうかは定かではありませんが、経済も社会も不安定になるなかで、中国を統一するために有効なスローガンであり、それに喝采を送る無産階級・一般大衆もいると考えているのだと思います。まさに、北岡先生がおっしゃった必要性という文脈が際立っているのではないでしょうか
・(北岡)たしかに、和諧社会について考えても、これまた必要性があってやったことですね。しかし、中国の偉大な復興というスローガンのほうは、中国が大国・強国として認められて尊敬されるようになったら、もう意味を持たなくなります。過去の帝国主義に弾圧された、侵略された屈辱から立ち上がるといっても、「もう十分に立ち上がった」と言われたら、途端にあのスローガン意味を持たなくなるわけですね。国民に対してアピールする力は、すぐになくなると思います
・(加藤)最近の中国共産党の声明や談話を読むと、習近平は、2021年と2049年という「2つの100年」というコンセプトを、中国夢を実現するうえでの軸に位置づけているという印象を持たされます。習近平は共産党設立100周年を迎えた後に国家主席を退く予定ですが、にもかかわらず、2049年に関する目標を国家指導者として掲げている
・習近平の後継者たちは、そんな目標を継承しなければならないことに、理論上はなります。戦略や政策の連続性という観点からも、継承が難しくなるでしょうし、私はそれを政治リスクにすら思います。私が習近平の政治を危ういと思うのは、前任者と後任者との関連性と連続性を無視、少なくとも軽視した政策が目立つからです
・(北岡)私も先ほど、それを言おうとしたとこでした。つまり、あるところまで来たらアピール力がなくなると同時に、夢というのはいつまで経っても達成できないものですよね。それは二重の意味で危ないのではないかと思います。GDPで世界第何位に入ると具体的ではなく、曖昧すぎます
・和諧社会はよりリアリティを反映していると思います。中国の発展が周囲と摩擦を引き起こすし、内部の格差も広がる。それらをいかに調和させるかという考えは、割合リアリティに向き合ったものでした。しかし中国の夢とは、リアリティに対応しているというより、何らかの政治的な意図のほうが前に来ているような気がしますね
http://diamond.jp/articles/-/77743

9月4日付け「皇帝・習近平は、中国をいかに統治すべきか」のポイントは以下の通り(▽は小見出し)。
▽中国はいかに正統性を保つのか
・(加藤)中国共産党の正統性は、業績やガバナンスといった結果で保障するしかありません。なぜなら、選挙というプロセスを経ないからです。私は、安定・成長・公正・人権という4つの軸を設けて、それをいかに運用するかが大事だと考えています。胡錦濤の時代はとにかく安定が第一で、発展が第二にあった。安定・成長・公正・人権の順番で政権運営がなされていました
・習近平に受け継がれたいま、ポスト安定・成長時代に入っていると考えています。おそらく、人権の軸に当たる政治レベルの自由に関しては、私が見る限り習近平は関心を示していない。そのため、格差是正や社会保障など公正の軸に含まれる分野を大胆に推し進めていくことでしか、正統性は担保できなくなると見ています。現在、人口の3割強とされる中産階級が紆余曲折を経ながらも拡大していくなかで、人民たちが単に上からの抑圧で納得するような状況ではないでしょう
・故サミュエル・ハンチントンなども指摘していますが、中産階級が拡大するなかで、中国の人々は物質面だけではなくて、政治の自由などにも関心を示していく可能性はあります。その過程で、いわゆる自由民主主義に立脚した政治レベルでの改革が求められるだろうというのは他国の経験から見てもオーソドックスな考えだと言えるでしょう
・しかし一方で、習近平の動きを見ると、西側初の価値観や政治体制にはまったく関心を示していないどころか、それらを拒絶するような発言すら散見されます。とくにリーマン・ショック以降、中国共産党は中国独自の道を貫こうという姿勢を強めているように見えます。 中国国内統治の方向性に関して、北岡先生はどうご覧になっていますか?
・(北岡)民主主義とは多義的ですが、私には、古典的だけどロバート・ダールのような考え方が一番重要だと思っています。つまり、政府を批判する自由があり、政府に対抗する運動をしても罰せられないなどという捉え方です。これが基本です
・中国型の民主主義という人がいますが、あるいは昔は、北朝鮮型の民主主義という人もいましたが、それは世界では通用しません。 中国の国民が豊かになってくれば、中国の夢などのように、つまらないスローガンでは騙されなくなると思います。そう思いませんか?
・(加藤)中国の人たちはインテリジェンスに長けているので、常に本音と建て前を分けたうえで生きていると思います。中国の夢についても、多くの人が「こんなもの」と思っていると感じます。その一方で、共産党一党支配そのものに対してどれだけの人間が「こんなものは」と思っているかというと、中国という広大な土地は共産党の一党支配でしか有効的に統一できないと考えているでしょう。国家の統一が担保されなければ、発展も繁栄もせず、安定もしないという考えを持っている人は少なくないと感じています
・(北岡)大国を統治する方法は限られています。よくあるのは連邦制です。アメリカやインド、ドイツもそうですよね。民主主義で、連邦制を採っていない国で、一番大きい国は日本です。1億を超えると、連邦制以外では難しいのではないでしょうか。中国は地域に分けるのが非常に困難な国ですが、実質的には各省の独立性はあると思いますので、連邦制にしなければ難しいでしょう。ただ、むしろ党はどんどん大きくなっていて、党の中でデモクラティック・コンペティションがある。たとえば、党幹部を選ぶために選挙をするという方法はどうなんでしょうか?一部ではやっているわけですよね
・(加藤)中国共産党は、“党内民主”は掲げていますが、実際、全国人民代表大会の代表や全国政治協商会議の委員などの投票率を見れば、そのほとんどが信任投票というのが現状です。たしかに、村レベルでは村民委員会もあり、部分的・局地的には行われているようですが、中央・地方を問わず、中国で公正で自由な民主選挙が実施される兆しは見えませんね
▽“悪い皇帝”問題をいかに乗り越えるか
・(加藤)最近、北京大学を訪れた際、そこの先生までもが「習大大」(習おじさん)と言って、習近平を持ち上げていました。ポピュリズム政治がここまで浸透しているのだと驚きました。中国の多くの人々はやはり強い皇帝を求めているんだなと感じさせられました。知識人か労働者かにかかわらず、強い皇帝がいて、その人がお国や社会をしっかりマネージしてくれていれば、それが一番いいのだと。自分たちが政治に無関心でいられることを潜在的に“歓迎”しているようにも移ります
・中華人民共和国ができるずっと昔からのこの伝統は、根本的には何も変わっていないように思います。上海や広東も含めて、中国では市民の政治参加が根づくにはまだまだ長い時間と道のりが必要のようです。そう考えると、結局は、良くも悪くも党内民主しかないのかなと感じています
・(北岡)それは昔から繰り返された話ですよね。たとえば、1915年に袁世凱が皇帝になろうとしたときに、そういう議論をよくしました。アメリカは、中華民国をシスター・レパブリックといって支持していたのですが、そのリーダーが皇帝になろうとした。アメリカはたいへん困ったわけです
・強いリーダーがいなければどうしようもないことはわかっている。ただ、強いリーダーがもしおかしくなったとき、どうすべきなのか。民主主義の根源にあるのは、リーダーは必ず間違える、間違えたらどこかで取り替えるということです。中国の場合、それを10年で取り替えることになってるわけですよね。とてもおもしろいメカニズムだと思います
・加藤さんがおっしゃるとおり、これしかないというのはあるのでしょう。政府はほとほと信用できないが、なくても困る。そのくらいに思っているんじゃないですかね
・(加藤)「“悪い皇帝”問題」(bad emperor problem)は中国政治を解析するうえで欠かせない視点だと思います。民主主義では、常に良いリーダーを生産できるかはわからないものの、少なくとも“極端に悪いリーダー”は排除されるメカニズムを制度的に確保することができる。一方で、中国の政治体制下では、良いリーダーの生産は民主主義体制よりも容易な場合もあるかもしれませんが、極端に悪いリーダーの出現を未然に防ぐ、あるいは途中で退去させる仕組みを担保できません
・最近、中国経済がハードランディングするかどうかという議論が起こっていますが、中国が政治的にソフトランディングするためには、どうすべきなのでしょうか。簡単に予測できる問題ではありませんが、北岡先生のお考えをお聞かせください
・(北岡)先のことはわかりませんが、いまの体制はそれほど長く持たないのではないかという気がしています。かなり無理がありますよね。いくつかの国有企業の改革やストックマーケットの改革、都市と農村の格差の解消など、少しずついじってはいる。それは、日本から見るとそれぞれ大きな変化です。ただ、それで根本的にうまくいくような感じもしていません
・(加藤)習近平の父親世代が共産党をつくり、そこから天下を獲った世代の子どもたちにとっては、共産党あっての中国という意識が強いと私は見ています。習近平は共産党の権力や威信が強化されてこそ国家は安定し、社会が繁栄すると考えていると思います
・ただ、習近平は毛沢東主義に対しては批判的で、警戒もしています。「毛」=「党」ではない、つまり、毛沢東=共産党ではないと。また、中国はある意味プラグマティズム(実用主義)の国なので、共産党一党支配というボトムライン以外の分野ついては、あらゆる政策を柔軟に実行する、あるいは大胆に変えるという覚悟を持っていると思います。土地改革や金融改革、戸籍の改革、社会保障政策などについては、できるところまで実施する覚悟を持っているのかなと見ています
・(北岡)それによって、いろいろな意味で多元化が進むわけですね。そして、それが跳ね返ってもくるわけですよね。私は中国の専門家ではありませんが、その後のシナリオについて、それほど説得的なものを聞いたことがありません
▽少数民族問題を無視することはできない
・(北岡)国民が豊かになり賢くなることで、いまのフィクションがいつまでも持つのかなとは心から思うことです。その陰ではいろいろな改革もやりますが、たとえば、新疆ウィグルとかチベットなどの少数民族の問題、これは避けられない問題ですよね
・(加藤)私から見ても、新疆ウイグル自治区の問題は、昨今の統治にとっての最大のリスクの一つです。同自治区関係者の話を聞いていると、報道されている何倍もの暴動が起きていたり、それを撮影した中国中央電子台(CCTV)の記者が左遷されたりしているようです。共産党は同問題をとても厄介なリスクだと認識していると思いますよ
・(北岡)私は、モンゴル・内モンゴルから来た学生を教えたことあるんですよ。東大のウィグル人留学生が捕まり、懲役10年を食らった事件もありましたよね。そういう人は、一定の年限が来ると大学を除籍になるので、評議会を開いて、特別にこの人の在学期間を延長すると決議していました。 東京大学は少なからず、北京政府や中華人民共和国と争っていたんですよ。私がけしからんと思うのは、普段は人権に熱心だと言っている国が、そういうところには目をつぶってることです
・(加藤)おっしゃるとおりです。香港の普通選挙法案改革の問題にせよ、米国も英国も、そして日本も、中国にノーを言わない。中国にノーと言えない国際社会、健全な外圧をかけられない状況はよくありません。中国自身もそれによって損をします。結果的に国家資本主義や開発独裁体制が膨張していくかのような現状に対し、我々は強い懸念を持つべきだと思います
・(北岡)平穏な生活を送っているときに、突然夜コンコンとノックして連れていかれて、裁判官もなしに裁かれる。これが一番怖いことなんですよね。欧州で中国問題やアジア情勢を議論するときにはよくこんな話をします。「あなたたちは何十年か前にそういうこと経験したはずだ。そうした経験があり、人道や人権と言っている国の人たちが、金儲けさえできればいいんですか」と。それは非常に遺憾に思います
・最近の大きなターニングポイントは、チベット事件のときにフランスのサルコジ大統領がオリンピックの開会式を欠席する可能性を示唆したら、カルフールを締め上げられ、たちまち沈黙してしまったケースです。あの辺りから西洋諸国は中国に対してものを言えなくなってしまいました
・台湾問題もそうですね。台湾にすぐには手を出せないと思いますが、そこにいるのは圧倒的に漢民族なわけです。内モンゴルでも、モンゴル族がマイノリティです。世界のモンゴル民族は、主に内モンゴル地区にいます。ただし、彼らは何百万単位で、漢民族は何千万。もし選挙をやれば完全に負けてしまう。民主とは数の力であるというのも1つの定義ですが、そこにある自由を考えると、それだけでは非常に難しいとこに来ていると思います
・私は、中央のテロリズムを根絶することは難しいと思っています。チェチェンや新疆ウィグルについて見ても、根源的な対策なんかできませんよ、きっと。命懸けでやってる人に対して、なかなか手は打てません。弾圧を強めるだけで処理できるとは思わない
・(加藤)漢族、そして共産党による支配がますます強化されるなか、漢族の人たちはおそらく現体制に対して「ノー」とは言わないでしょう。企業家であれ知識人であれ、社会や市場、そして世論に対して一定程度の影響力を持ってきたら、共産党は必ずそういうプレイヤーを取り込みにかかります。全人代の代表や政協委員という政治的な優遇ポストを与えて、ますます何も言えなくなる状況をつくる。現段階で共産党体制に対してノーを叩きつけているのは、一部の少数民族と一部のリベラル派知識人という状況です
▽中国は民主主義で統治できるのか
・(加藤)唐突な質問ですが、北岡先生は、中国は民主主義では統治できないと思われますか
・(北岡)先ほど申し上げた通り、1つは連邦制だと思いますが、いくつかの省は1億を超え、多くは5000万を超えます。中国は伝統的にそれをコントロールしてきたわけですね。皇帝の権力を脅かさないように、総督巡撫はその省の人間以外を起用しました
・日本は知事選挙に地元出身者を起用します。これは大きな違いです。すなわち、これは地方に大きな独立性を与えるが、地方に根を張って中央に歯向かうことは許さない制度です。要するに、昔の封建制です。封建制か郡県制かという問題です
・昔の封建制を再導入することと、共産党一党支配は矛盾するか。矛盾しなければ、そこに解がありそうなような気もします。加藤さんは、どう思いますか
・(加藤)私もそう思います。日本における大手株式会社のような仕組みですね。いろいろな畑を経験させて、その中で人格や能力などあらゆる面を考慮して、結果的に上に行く人間が消去法で残っていく。省長は生え抜きの人間、そして地元の民意をある程度汲み取った人間を配置したうえで、党書記に関しては基本的に中央の任命制にするような仕組みは実行可能性があると思っています。また、中央委員会、政治局、政治局常務委員のいずれかに市民社会としての民意が反映されるようなシステムを入れる。そのうえで、制限的ではあるけれども、一定程度、民主的な政治を機能させるやり方はあると思っています
・(北岡)もちろん、中国に関しては、やはり難しい点が多々あります。よく言いますが、中国は欧州とだいたい同じ面積です。米国も同じです。欧州は早くから国が分かれていて、米国は連邦制。でも、中国は1つですよね。中国は連邦制にならないのかなと思います
・(加藤)以前、北京である共産党の幹部の方々とかなり突っ込んだ議論をする機会がありました。そのとき、「連邦制をお考えになっていますか」という質問をぶつけました。すると「その制度は学んでいるし、あらゆる可能性を考えたうえで、この国が統一されていくようにしかるべき措置を取る」ということを言っていました。ただし、彼らは絶対に“連邦制”とは言いません。西側を真似たかのように見られることを嫌うからです
・中国でも、歴史的に中央集権か地方分権かで揺れてきました。一筋縄にはいきません。現状としては、習近平総書記に権力が集中しているなか、政策遂行は中央集権的になっているように見えますが、李克強総理が担当する土地改革や戸籍改革、都市化政策や三農問題対策などを抜本的に推し進めるためには、ある程度の権限を地方に移譲し、地方の積極性や機動性を生かすようなインセンティブは不可欠だと考えます
http://diamond.jp/articles/-/77758

加藤氏が「中国にノーと言えない国際社会、健全な外圧をかけられない状況はよくありません」と指摘するのは正しいが、では経済面での脅しのなかで、如何に「健全な外圧をかける」かは誠に難しい問題である。サルコジ、最近ではオバマも同じ罠にはまっているようだ。
明日は、後半の2回を紹介するつもりである。
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