日本人のノーベル賞受賞(その3)中国初のノーベル医学・生理学賞受賞への中国国内の不思議な反応 [科学技術]
昨日に続いて日本人のノーベル賞受賞に関連して、(その3)中国初のノーベル医学・生理学賞受賞への中国国内の不思議な反応を取上げたい。
10月14日付け日経ビジネスオンライン「中国初のノーベル医学・生理学賞が浴びる苦言 なぜ中国で日本人受賞者が賞賛されるのか」のポイントを紹介しよう(▽は小見出し)。
・今年もノーベル賞の季節が終わった。今年は医学・生理学賞に大村智氏、物理学賞に梶田隆章氏と二日続けて日本人受賞者が出たので、日本中が祝賀ムードで沸いた。彼らの業績を一般庶民の私たちがものすごく深く理解しているわけではないのだが、純粋に同じ日本人の受賞がうれしい。これは当然の人間心理だと思っている
・なので屠呦呦氏が中華人民共和国民として初の自然科学分野のノーベル賞、ノーベル医学・生理学賞を受賞したことに、中国人はさぞ大喜びをしていると思っていた。確かに最初の第一声は、歓声であった。だが、それに続く報道や世論がどうも微妙だ。純粋に喜び、祝福する声だけでないのである。それどころか、疑惑とか議論とネガティブな報道も多い。これはどうしたわけだろうか
▽切望かなった自然科学分野の受賞
・屠氏は、ノーベル平和賞の劉暁波、ノーベル文学賞の莫言両氏に続く中華人民共和国3人目の受賞者。中国人民が切望していた自然科学分野のノーベル賞を初めてもたらした大功績者だ。しかも女性。女性科学者の受賞なんて、屠氏を含めてわずか13人、アジアでは初めてだ。さらに屠氏は中医学が専門であり、中国の伝統医学・中医分野がノーベル賞を受けるようなグローバルヘルスに貢献したことを、中国ならばさぞ鼻高々に喧伝するであろうと私は予測していた。だが、少し違うのである
・まず屠氏の功績について紹介しておこう。 1930年、浙江省寧波市生まれ。1951年に北京大学に入学し、医学院薬学部で生薬を専攻した。1955年、北京医学院(現北京大学医学部)を卒業後、衛生部傘下の中国中医研究院(2005年に中国中医科学院に名称を変更)に配属され、以降同院に所属。彼女は幼少期、故郷でマラリアが流行した際、中医薬の効果を目の当たりにしており、その時の衝撃が後に生薬研究の世界に進んだ動機であったらしい
・彼女の研究テーマは中薬(生薬)と中西薬(中国製化学薬)の結合であり、伝統的な生薬の成分を科学的に解明することであったという
・1967年5月、毛沢東の指示で、中国人民解放軍総後勤部と国家科学委員会は北京で薬剤耐性マラリア予防治療全国協作会議を招集、約60の機関から大勢の科学者・医学者が招集された。ときしもベトナム戦争時代、北ベトナム支援で現地に送り込まれる解放軍兵士たちのマラリア蔓延が問題視されたことが背景にあった
・この研究プロジェクトは会議の日付から523任務と呼ばれる。各機関の討論研究の末、1969年、屠氏を組長とする研究チームが組まれた。彼女は幼少期に見た生薬の効果を思いだし、大量の文献を読み漁り、古代の生薬の効果の記録を参考に、190以上の生薬に対して、380以上の実験をこなし、1971年、黄花蒿(オウカコウ=和名・クソニンジン)に有効成分を発見。その成分抽出を試みる。彼女とチームは72年に化学式C15H22O5の無色の結晶体を抽出することに成功。それを青蒿素(アーテミシニン)と命名した。翌年、これを二水素と結合させたアーテミシニン誘導体・アーテニモルの合成にも成功した
・彼女の名前「呦呦」は、父親が詩経の「呦呦鹿鳴 食野之蒿」(ゆうゆうと鹿のなくあり、野のよもぎを食らう)の一節から取ったというが、その名前の由来の詩に出てくる蒿こそ、青蒿のことだった。まさに、運命の研究だったといえる
▽中国伝統薬由来の20世紀最大の発明
・その成果は1977年、研究チーム名義で科学通報に発表されるものの、軍のプロジェクトである523任務に帰属するものであり、また文化大革命の最中ということもあり、少なくとも海外の研究者に注目されることはほとんどなかった
・1981年、WHO(世界保健機関)主催のアーテミシニンに関する会議が北京で開かれ、屠氏が首席発表者として研究成果を発表して、ようやくその偉業を世界が知るところになった。だが、生薬の黄花蒿は、中国政府が戦略物資として管理していたこと、またその成分を抽出するために大量の有機溶剤が必要なことなどで、俗に“貴族薬”と呼ばれるほど高価な薬でもあった。治療薬を開発できたとしてもコストがかかり過ぎるとみられて、実用化に向けた研究はなお10年以上の歳月がかかった。その後、アーテメターやアーテスネートなどの半合成剤が開発され、コスト問題が克服されて実用化が加速した
・このアーテミシニンの発見および半合成剤の開発は、「中国の伝統薬から開発された医薬品としては20世紀最大の発明」と言われており、2000年以降、マラリア死亡者が世界で42%減少した最大の功績はアーテミシニンおよびその合成剤にあるといっていい。2008年にアーテミシニンに耐性のあるマラリア原虫も発見されたが、WHOはその封じ込めに力を入れており、今なおアーテミシニンはマラリアに最も有効な薬の一つである
・これだけの功績がありながら、彼女は、海外留学経験もなく、また博士号も取得しておらず、中国の科学者に与えられる院士の資格も取得していない「三無科学者」とよばれ、学会でも長らく忘れ去れた人物であった
・彼女に再度、スポットライトが当たり始めたのは、2011年に、ノーベル医学・生理学賞の前哨戦といわれているラスカー賞を受賞したあたりからだ。以降、彼女がノーベル賞を獲るのではないかという下馬評はこの数年間、中国でも取り沙汰されていた
・こう紹介すると、多くの日本人は専門家であれ素人であれ、中国にもこんなすごい人がいたのか、と素直に感嘆することだろう。ところが、意外なことに中国人の反応がポジティブなものだけではない
▽科学者としての限界、人格の欠陥…
・まず、専門家の反応が厳しい。北京大学生命科学院の饒毅院長のコメント。「過去十数年、屠呦呦先生は業界ではとかく話題の人。名誉欲が強く、個性的で頑固な性格。言い争う以外の方法で、屠先生と交流するのは困難。彼女は中医研究院の材料・データなどを自分の家に隠し込んで、独り占めして我々には見せてくれることがなかった」
・香港大学の金冬燕教授は「彼女のアーテミシニン発見に対する功績は、例え問題があっても、まあ納得できるのだが、彼女の科学者としての限界、その人格の欠陥については、あえて直言したい」
・さらには科学啓蒙作家である方舟子氏。「屠氏が研究報告書を発表した当時、厳格な学術規範による監修はなかった。基本事実をあまり尊重せず、自分の功績を誇張し、研究チームの協力者を蔑ろにしていた。このため、チームの同僚から評判が悪く、だから彼女は院士試験に三度も落ちたのだ」
・日本人的な発想で言えば、ノーベル賞を受賞した人物に対して、こういうネガティブ論評をメディアに向かって言う人はまずないだろう。例え、彼女の性格が相当悪くて協調性のない人でも、ここまでこっぴどくは貶すまい
・さすがにノーベル賞の審査委員たちは、彼女の論文、研究書の信ぴょう性については、専門家の目で厳密に審査しているはずであるから、全くのでたらめ、ということはないはずだ。では、これだけの功績がありながら、なぜ中国でこれまでほとんど評価されてこなかったか。今なお、彼女のノーベル賞受賞に疑問を呈したり、批判したりする人が多いのか。性格が悪いから、彼女が院士試験に合格できなかったと言われるが、そもそも、科学者の功績に性格の良さは必要なのか
▽チームメンバーも学会重鎮も“不満”
・彼女が批判される背景について、一般に言われているのは、屠氏一人が、アーテミシニンの発見に関わったのではなく、当時からすでにアーテミシニン研究の同業者の間で、彼女の研究成果、功績の独り占めに対する批判があった、というもの。さらに言えば屠氏は、行政権力を通じて、こうした批判を封じ込めた、とも言われている
・アーテミシニンの活性単体を分離し結合を測定したのは、彼女の同僚(鐘裕容という名前らしい)であり、このことについての彼女自身の実質的貢献はなかった、とも言われている。ただ、研究チームの組長であったので、その功績を自分のものとしたのだ、という。523任務は、当時のエース級研究者をまとめた研究チームであり、メンバーに上下はなく、対等な同僚関係であった。そして、お互いをライバル視して、比較的独立した形で競うように実験を行った結果、アーテミシニンの発見がもたらされた、らしい
・当時は、誰が分離に成功したのか、ということについて、上層部も真剣に審査したそうだが、何せ文革後期のもっとも人の心が荒れていた時代でもあり、チーム名義で報告書が出されたのち、讒言や誹謗中傷、足の引っ張り合いが研究チームの中で起きた。結局のところ、組長の屠氏の功績にするのが一番いいと、上層部が決定したのだという
・だが、研究チームのメンバーのほとんどが納得していなかった、という。以来、彼女に対する密告や讒言の手紙は山のように研究院や当局に届き、彼女の院士試験落第の原因になったとか。中国の院士試験というのは、科学者としての功績だけでなく「政治的正しさ」も審査される。こうした恨み妬みが長らく続き、彼女は学会では半分「干されていた」状態にあった
・だが、アーテミシニンのグローバルヘルスへの劇的な貢献度に、世界の方が彼女の名前を思い出した。彼女がラスカー賞を受賞し、国際社会でもてはやされるほど、中国医科学界の重鎮たちは何となく面白くなく、中国の公式メディアの科学記者たちも、その不満を知っているだけに、あまり派手な報道もできない、といった様子である。中国当局としても、今までさんざん、院士試験に落としてきたわけで、あまり彼女を持ち上げすぎると、中国の科学アカデミズムの最高学位に瑕疵があることを露呈してしまう。また、えげつない中国のネット上ではニセの屠氏の「書」や「手紙」が法外な値段で取引されていたことも発覚し、なんとなく、ネットユーザーの間には冷めた感覚がある
・なので、一部の事情の分かっている知的レベルの高いネットユーザーたちの間では、あえて中国人ノーベル医学・生理学賞受賞者の屠氏ではなく、日本のノーベル賞受賞者を賞賛するのだという。 例えば日本の医学・生理学賞受賞者の大村氏は、アイルランド出身のキャンベル氏との共同受賞。物理学賞受賞者の梶田氏は受賞のコメントのとき「戸塚先生のお力があったので(スーパーカミオカンデを)建設できた」とまず、自分の師匠について語った。つまり、日本の受賞者は「自分の一人の功績」と自慢していない。そこが、中国人的には、イイ!ということらしい
・ノーベル賞を受賞するような偉大な科学的成果が、たった一人の人間の頭脳から突然生まれることはあまりない。それまでの研究の先達の積み重ねがあり、同僚との切磋琢磨があり、たまたま時代と環境のめぐりあわせで、一人が大きな賞を受賞できる。その時、共同研究者や先輩たちがその受賞者を妬むのか、あるいはわがことのように祝うのかは、政治体制や社会の状況が大きく関係していると思う
▽誇るべきは、世界への貢献(文革期、他人を一切信用することのできなかった厳しい時代で、優れた頭脳が競うように、時に足を引っ張り合いながらも実験を行って、それでも世紀の大発見がなされた中国という国は、やはり人材の宝庫だというしかない。だが、チームワークで協調できる環境にあったなら、もっと早くに実用化がかなったかもしれない。何より、ともに研究に励んだ仲間たちが素直に喜べないのはなんと不幸なことか。屠氏が受賞時のコメントで、チームの研究者の名前すらあげなかったのも、さんざん誹謗の密告をされたからとはいえ、寂しいことだったろう
・本当に偉大な研究というのは、そのプロセスにおいても、成果においても、より多くの人が情報を共有し、参与することで、現実の人々の暮らしに役立つようになるのだと思う。アーテミシニンだって、薬となってアフリカの子供たちを救うまでには、ノーベル賞を受賞しないような大勢の研究者の努力があったはずだろう。その研究成果が誰のものであるかは実は些細なことで、大切なのは情報も成果も分かち合うことなのかもしれない
・だから、ノーベル賞受賞のニュースが、日本人を沸かせるのは、「日本人は優秀」という自慢の気持ちからではないと思っている。(そう思っている人もいるかもしれないが)。日本から、世界の科学に貢献した人物を輩出できたことが素直に誇らしいのだと思う。研究成果や功績を独占するでもなく、多くの研究者たちが協調して研究を積み重ね、足を引っ張り合うこともなく、世界中の人たちと、その利益を分かち合うことを喜べる政治体制や社会を形成しているのが、私たち日本人の一人一人である。これからも、そういう社会であり続けなければならないと思うのである
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/218009/101200017/?P=1
この記事を読むまでは、中国中がお祭り騒ぎになっていると思っていたので、意外であった。「三無科学者」が率いるチームが、あの文化大革命の混乱の最中に発見したようだが、チームでの成果を上層部が、組長の屠氏の功績にするのが一番いいと決定、彼女自身も成果を独り占めするような性格だったこともあって、複雑な受け止めになったようだ。中国国内での反応には、やっかみもあるのだろうが、日本人受賞者のおくゆかしい姿勢が中国国内で評価される結果となったのは、日本人にとっては「タナボタ」なのであろう。
10月14日付け日経ビジネスオンライン「中国初のノーベル医学・生理学賞が浴びる苦言 なぜ中国で日本人受賞者が賞賛されるのか」のポイントを紹介しよう(▽は小見出し)。
・今年もノーベル賞の季節が終わった。今年は医学・生理学賞に大村智氏、物理学賞に梶田隆章氏と二日続けて日本人受賞者が出たので、日本中が祝賀ムードで沸いた。彼らの業績を一般庶民の私たちがものすごく深く理解しているわけではないのだが、純粋に同じ日本人の受賞がうれしい。これは当然の人間心理だと思っている
・なので屠呦呦氏が中華人民共和国民として初の自然科学分野のノーベル賞、ノーベル医学・生理学賞を受賞したことに、中国人はさぞ大喜びをしていると思っていた。確かに最初の第一声は、歓声であった。だが、それに続く報道や世論がどうも微妙だ。純粋に喜び、祝福する声だけでないのである。それどころか、疑惑とか議論とネガティブな報道も多い。これはどうしたわけだろうか
▽切望かなった自然科学分野の受賞
・屠氏は、ノーベル平和賞の劉暁波、ノーベル文学賞の莫言両氏に続く中華人民共和国3人目の受賞者。中国人民が切望していた自然科学分野のノーベル賞を初めてもたらした大功績者だ。しかも女性。女性科学者の受賞なんて、屠氏を含めてわずか13人、アジアでは初めてだ。さらに屠氏は中医学が専門であり、中国の伝統医学・中医分野がノーベル賞を受けるようなグローバルヘルスに貢献したことを、中国ならばさぞ鼻高々に喧伝するであろうと私は予測していた。だが、少し違うのである
・まず屠氏の功績について紹介しておこう。 1930年、浙江省寧波市生まれ。1951年に北京大学に入学し、医学院薬学部で生薬を専攻した。1955年、北京医学院(現北京大学医学部)を卒業後、衛生部傘下の中国中医研究院(2005年に中国中医科学院に名称を変更)に配属され、以降同院に所属。彼女は幼少期、故郷でマラリアが流行した際、中医薬の効果を目の当たりにしており、その時の衝撃が後に生薬研究の世界に進んだ動機であったらしい
・彼女の研究テーマは中薬(生薬)と中西薬(中国製化学薬)の結合であり、伝統的な生薬の成分を科学的に解明することであったという
・1967年5月、毛沢東の指示で、中国人民解放軍総後勤部と国家科学委員会は北京で薬剤耐性マラリア予防治療全国協作会議を招集、約60の機関から大勢の科学者・医学者が招集された。ときしもベトナム戦争時代、北ベトナム支援で現地に送り込まれる解放軍兵士たちのマラリア蔓延が問題視されたことが背景にあった
・この研究プロジェクトは会議の日付から523任務と呼ばれる。各機関の討論研究の末、1969年、屠氏を組長とする研究チームが組まれた。彼女は幼少期に見た生薬の効果を思いだし、大量の文献を読み漁り、古代の生薬の効果の記録を参考に、190以上の生薬に対して、380以上の実験をこなし、1971年、黄花蒿(オウカコウ=和名・クソニンジン)に有効成分を発見。その成分抽出を試みる。彼女とチームは72年に化学式C15H22O5の無色の結晶体を抽出することに成功。それを青蒿素(アーテミシニン)と命名した。翌年、これを二水素と結合させたアーテミシニン誘導体・アーテニモルの合成にも成功した
・彼女の名前「呦呦」は、父親が詩経の「呦呦鹿鳴 食野之蒿」(ゆうゆうと鹿のなくあり、野のよもぎを食らう)の一節から取ったというが、その名前の由来の詩に出てくる蒿こそ、青蒿のことだった。まさに、運命の研究だったといえる
▽中国伝統薬由来の20世紀最大の発明
・その成果は1977年、研究チーム名義で科学通報に発表されるものの、軍のプロジェクトである523任務に帰属するものであり、また文化大革命の最中ということもあり、少なくとも海外の研究者に注目されることはほとんどなかった
・1981年、WHO(世界保健機関)主催のアーテミシニンに関する会議が北京で開かれ、屠氏が首席発表者として研究成果を発表して、ようやくその偉業を世界が知るところになった。だが、生薬の黄花蒿は、中国政府が戦略物資として管理していたこと、またその成分を抽出するために大量の有機溶剤が必要なことなどで、俗に“貴族薬”と呼ばれるほど高価な薬でもあった。治療薬を開発できたとしてもコストがかかり過ぎるとみられて、実用化に向けた研究はなお10年以上の歳月がかかった。その後、アーテメターやアーテスネートなどの半合成剤が開発され、コスト問題が克服されて実用化が加速した
・このアーテミシニンの発見および半合成剤の開発は、「中国の伝統薬から開発された医薬品としては20世紀最大の発明」と言われており、2000年以降、マラリア死亡者が世界で42%減少した最大の功績はアーテミシニンおよびその合成剤にあるといっていい。2008年にアーテミシニンに耐性のあるマラリア原虫も発見されたが、WHOはその封じ込めに力を入れており、今なおアーテミシニンはマラリアに最も有効な薬の一つである
・これだけの功績がありながら、彼女は、海外留学経験もなく、また博士号も取得しておらず、中国の科学者に与えられる院士の資格も取得していない「三無科学者」とよばれ、学会でも長らく忘れ去れた人物であった
・彼女に再度、スポットライトが当たり始めたのは、2011年に、ノーベル医学・生理学賞の前哨戦といわれているラスカー賞を受賞したあたりからだ。以降、彼女がノーベル賞を獲るのではないかという下馬評はこの数年間、中国でも取り沙汰されていた
・こう紹介すると、多くの日本人は専門家であれ素人であれ、中国にもこんなすごい人がいたのか、と素直に感嘆することだろう。ところが、意外なことに中国人の反応がポジティブなものだけではない
▽科学者としての限界、人格の欠陥…
・まず、専門家の反応が厳しい。北京大学生命科学院の饒毅院長のコメント。「過去十数年、屠呦呦先生は業界ではとかく話題の人。名誉欲が強く、個性的で頑固な性格。言い争う以外の方法で、屠先生と交流するのは困難。彼女は中医研究院の材料・データなどを自分の家に隠し込んで、独り占めして我々には見せてくれることがなかった」
・香港大学の金冬燕教授は「彼女のアーテミシニン発見に対する功績は、例え問題があっても、まあ納得できるのだが、彼女の科学者としての限界、その人格の欠陥については、あえて直言したい」
・さらには科学啓蒙作家である方舟子氏。「屠氏が研究報告書を発表した当時、厳格な学術規範による監修はなかった。基本事実をあまり尊重せず、自分の功績を誇張し、研究チームの協力者を蔑ろにしていた。このため、チームの同僚から評判が悪く、だから彼女は院士試験に三度も落ちたのだ」
・日本人的な発想で言えば、ノーベル賞を受賞した人物に対して、こういうネガティブ論評をメディアに向かって言う人はまずないだろう。例え、彼女の性格が相当悪くて協調性のない人でも、ここまでこっぴどくは貶すまい
・さすがにノーベル賞の審査委員たちは、彼女の論文、研究書の信ぴょう性については、専門家の目で厳密に審査しているはずであるから、全くのでたらめ、ということはないはずだ。では、これだけの功績がありながら、なぜ中国でこれまでほとんど評価されてこなかったか。今なお、彼女のノーベル賞受賞に疑問を呈したり、批判したりする人が多いのか。性格が悪いから、彼女が院士試験に合格できなかったと言われるが、そもそも、科学者の功績に性格の良さは必要なのか
▽チームメンバーも学会重鎮も“不満”
・彼女が批判される背景について、一般に言われているのは、屠氏一人が、アーテミシニンの発見に関わったのではなく、当時からすでにアーテミシニン研究の同業者の間で、彼女の研究成果、功績の独り占めに対する批判があった、というもの。さらに言えば屠氏は、行政権力を通じて、こうした批判を封じ込めた、とも言われている
・アーテミシニンの活性単体を分離し結合を測定したのは、彼女の同僚(鐘裕容という名前らしい)であり、このことについての彼女自身の実質的貢献はなかった、とも言われている。ただ、研究チームの組長であったので、その功績を自分のものとしたのだ、という。523任務は、当時のエース級研究者をまとめた研究チームであり、メンバーに上下はなく、対等な同僚関係であった。そして、お互いをライバル視して、比較的独立した形で競うように実験を行った結果、アーテミシニンの発見がもたらされた、らしい
・当時は、誰が分離に成功したのか、ということについて、上層部も真剣に審査したそうだが、何せ文革後期のもっとも人の心が荒れていた時代でもあり、チーム名義で報告書が出されたのち、讒言や誹謗中傷、足の引っ張り合いが研究チームの中で起きた。結局のところ、組長の屠氏の功績にするのが一番いいと、上層部が決定したのだという
・だが、研究チームのメンバーのほとんどが納得していなかった、という。以来、彼女に対する密告や讒言の手紙は山のように研究院や当局に届き、彼女の院士試験落第の原因になったとか。中国の院士試験というのは、科学者としての功績だけでなく「政治的正しさ」も審査される。こうした恨み妬みが長らく続き、彼女は学会では半分「干されていた」状態にあった
・だが、アーテミシニンのグローバルヘルスへの劇的な貢献度に、世界の方が彼女の名前を思い出した。彼女がラスカー賞を受賞し、国際社会でもてはやされるほど、中国医科学界の重鎮たちは何となく面白くなく、中国の公式メディアの科学記者たちも、その不満を知っているだけに、あまり派手な報道もできない、といった様子である。中国当局としても、今までさんざん、院士試験に落としてきたわけで、あまり彼女を持ち上げすぎると、中国の科学アカデミズムの最高学位に瑕疵があることを露呈してしまう。また、えげつない中国のネット上ではニセの屠氏の「書」や「手紙」が法外な値段で取引されていたことも発覚し、なんとなく、ネットユーザーの間には冷めた感覚がある
・なので、一部の事情の分かっている知的レベルの高いネットユーザーたちの間では、あえて中国人ノーベル医学・生理学賞受賞者の屠氏ではなく、日本のノーベル賞受賞者を賞賛するのだという。 例えば日本の医学・生理学賞受賞者の大村氏は、アイルランド出身のキャンベル氏との共同受賞。物理学賞受賞者の梶田氏は受賞のコメントのとき「戸塚先生のお力があったので(スーパーカミオカンデを)建設できた」とまず、自分の師匠について語った。つまり、日本の受賞者は「自分の一人の功績」と自慢していない。そこが、中国人的には、イイ!ということらしい
・ノーベル賞を受賞するような偉大な科学的成果が、たった一人の人間の頭脳から突然生まれることはあまりない。それまでの研究の先達の積み重ねがあり、同僚との切磋琢磨があり、たまたま時代と環境のめぐりあわせで、一人が大きな賞を受賞できる。その時、共同研究者や先輩たちがその受賞者を妬むのか、あるいはわがことのように祝うのかは、政治体制や社会の状況が大きく関係していると思う
▽誇るべきは、世界への貢献(文革期、他人を一切信用することのできなかった厳しい時代で、優れた頭脳が競うように、時に足を引っ張り合いながらも実験を行って、それでも世紀の大発見がなされた中国という国は、やはり人材の宝庫だというしかない。だが、チームワークで協調できる環境にあったなら、もっと早くに実用化がかなったかもしれない。何より、ともに研究に励んだ仲間たちが素直に喜べないのはなんと不幸なことか。屠氏が受賞時のコメントで、チームの研究者の名前すらあげなかったのも、さんざん誹謗の密告をされたからとはいえ、寂しいことだったろう
・本当に偉大な研究というのは、そのプロセスにおいても、成果においても、より多くの人が情報を共有し、参与することで、現実の人々の暮らしに役立つようになるのだと思う。アーテミシニンだって、薬となってアフリカの子供たちを救うまでには、ノーベル賞を受賞しないような大勢の研究者の努力があったはずだろう。その研究成果が誰のものであるかは実は些細なことで、大切なのは情報も成果も分かち合うことなのかもしれない
・だから、ノーベル賞受賞のニュースが、日本人を沸かせるのは、「日本人は優秀」という自慢の気持ちからではないと思っている。(そう思っている人もいるかもしれないが)。日本から、世界の科学に貢献した人物を輩出できたことが素直に誇らしいのだと思う。研究成果や功績を独占するでもなく、多くの研究者たちが協調して研究を積み重ね、足を引っ張り合うこともなく、世界中の人たちと、その利益を分かち合うことを喜べる政治体制や社会を形成しているのが、私たち日本人の一人一人である。これからも、そういう社会であり続けなければならないと思うのである
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/218009/101200017/?P=1
この記事を読むまでは、中国中がお祭り騒ぎになっていると思っていたので、意外であった。「三無科学者」が率いるチームが、あの文化大革命の混乱の最中に発見したようだが、チームでの成果を上層部が、組長の屠氏の功績にするのが一番いいと決定、彼女自身も成果を独り占めするような性格だったこともあって、複雑な受け止めになったようだ。中国国内での反応には、やっかみもあるのだろうが、日本人受賞者のおくゆかしい姿勢が中国国内で評価される結果となったのは、日本人にとっては「タナボタ」なのであろう。
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