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パリ同時多発テロ事件(その2)歴史的・文明論的視点から [世界情勢]

パリ同時多発テロ事件については、11月15日に取上げたが、今日は(その2)歴史的・文明論的視点から である。

先ずは、10月20日付け朝日新聞「(インタビュー)イスラム過激派の系譜 パリ政治学院教授、ジル・ケペルさん」のポイントを紹介しよう(Qは記者の質問、Aが教授の回答。
・イスラム過激派の動きがやまない。9・11同時多発テロから14年の今年、「イスラム国」(IS)が台頭し、仏紙「シャルリー・エブド」襲撃事件も起きた。「今のテロリストとその戦略は、かつてのアルカイダとは全く別だ」と、フランスの現代イスラム政治研究者ジル・ケペルさんは指摘する。パリの研究室に訪ねた
Q:国際テロ組織「アルカイダ」から、現在のISや欧州のテロリストまで、イスラム過激派は一貫して欧米社会に戦いを挑んでいるように見えます
A:「彼らがイスラム教のジハード(聖戦)を掲げているのはずっと同じですが、その考え方や手法は時代によって全く異なります。これまでの活動は三つの時期に分けられ、それぞれ思想家が理論を組み立てました。現在はジハードの3世代目にあたります」
Q:起源はどこにありますか
A:「ソ連による1979年のアフガニスタン侵攻に抵抗した武力闘争が、第1世代のジハードの始まりです。アフガン紛争では、ソ連に打撃を与えようと考えた米中央情報局(CIA)や、地域大国イランの影響力拡大を恐れたサウジアラビアが、イスラム過激派に金銭的な援助をしました。でも91年にソ連が崩壊すると、過激派たちは支援のことをすっかり忘れ、自分たちの成果だと思い込んだ」 「勢いづいた彼らはエジプトやアルジェリア、ボスニア、チェチェンで、地元の親欧米政権や親ソだった政権を相手に武装闘争を繰り広げました。その理論を構築したのが、自らもアフガン紛争に義勇兵として参加したアブドラ・アザム氏というパレスチナ人です。彼らは、一般のイスラム教徒たちも支持してくれると信じました。でも大衆は結局ついて来ず、試みは90年代後半に頓挫しました」
Q:その後に登場したのがアルカイダですね
A:「彼らが展開したのは第2世代ジハードです。第1世代の失敗を教訓として、アルカイダ幹部のエジプト人アイマン・ザワヒリ氏が『殉教』精神に基づく壮大なストーリーを描きました」
 「目前の敵を相手にした第1世代と異なり、第2世代が定めたのは遠方の攻撃目標です。それが米国でした。世界を驚かすような方法で米国を攻撃し、その弱さをさらけ出せば、イスラム教徒大衆の支持も自分たちに集まる。その結果、中東各国の親米政権を倒すことができる。しかし彼らは、米国の力を甘く見た。米軍のアフガン攻撃によって、アルカイダの幹部は敗走しました。結局、第2世代もイスラム教徒の大衆を動員することに失敗したのです」
Q:ただ、当時の米ブッシュ政権はイラク戦争まで引き起こし、混乱を広げました
A:「その行為が、現在の第3世代ジハードの素地を築いてしまいました。ISに参加している若者たち、パリで1月に起きたシャルリー・エブド襲撃事件の容疑者たちは、この世代に属します」
  「アルカイダの組織はピラミッド型でした。オサマ・ビンラディン氏の命令で、テロ実行者に標的が示され、現地に行く航空券が用意された。でもこの戦略は、お金がかかりすぎる。組織が大きいのでスパイも潜入しやすい。アルカイダは、情報機関から入念に調べられた末に破壊されました」
  「アルカイダが第1世代の反省から生まれたように、第3世代もアルカイダの失敗に学びました。9・11テロのような大スペクタクルはもはや必要ない。安上がりの作戦をあちこちに展開するだけで欧米社会はパニックに陥る。目標も、アルカイダが狙った米国ではなく、敵の弱点である欧州。欧州で社会に受け入れられていない多くのイスラム教徒が戦いに加われば、宗教暴動を起こせると、彼らは考えたのです」
  「第3世代は、アルカイダとは全く異なるモデルを組み立てました。熟練の実行部隊を派遣するのではなく、現地に暮らす学生らを少しずつ洗脳する。一度ぐらいは中東の戦場で訓練を施すかも知れないけれど、あとは彼らの自主性に任せる手段を取ったのです。ユーチューブ、ツイッター、フェイスブックを駆使し、捜査機関が把握できないほど動きの速いネットワークも築きました」
Q:その方法でテロが可能なのでしょうか
A:「確かに実行前に逮捕されて失敗するテロは多い。でも今は第3世代の基盤がつくられている最中です。フランスで95年以降16年間にわたって起きなかったテロが相次いでいるのは、このためです」
  「第2世代のアルカイダからたもとを分かった一派がつくったISは、第3世代にとっての拠点となりました。彼らの本拠地シリアは、欧州の若者たちが車で行き来できる距離にあるのです」
Q:第3世代の理論家は
A:「シリア生まれの技師で政治思想家のアブムサブ・スーリー氏です。80年代にフランスに留学し、スペイン国籍を取得した後、第3世代ジハードの理論を打ち立てました。2005年に米軍に拘束された後、シリア当局に引き渡され、以後消息不明ですが、彼の著書『世界イスラム抵抗運動への呼びかけ』はネットを通じて広がり、過激派に共有されています」
  「今年1月7日、研究室に出勤した私は、妻から連絡を受けました。その朝、シャルリー・エブドが襲撃を受けたというのです。私はすぐに『次に狙われるのは警察官とユダヤ人だ』と予想を告げました。実際、その直後にアラブ系や黒人の警察官が殺され、ユダヤ人スーパーで立てこもり事件が起きたのです。私の予言が当たった理由は簡単です。スーリー氏の本にそう書かれているからです」
 「スーリー氏によると、標的は反イスラムの知識人、裏切り者、ユダヤ人です。裏切り者とは世俗国家フランスに公務員として仕えるイスラム教徒で、アラブ系や黒人の警察官が狙われたのもそのためです。彼らへの攻撃で欧州社会を分断できると考えたはずです」
Q:知識人はなぜ?
A:「容易な標的だからです。国家の首脳を狙うのは難しい。厳重に警備されていますからね。それに比べて記者を狙うのは簡単です」
Q:弱い者狙いとは卑怯(ひきょう)です
A:「確かに。でもそれが彼らの戦略ですからね」
 「フランスで第2世代の活動家は何十人かの規模でしたが、第3世代は何千人といます。最近目立つのは、移民家庭の出身ではないフランス人が改宗し、過激派に染まる例です。第3世代は、イスラム過激思想を社会主義の代用品として売り込むことに成功しました。その結果、フランスの地方の反戦活動家たちが一斉にイスラム過激派に転換した例もあります」
Q:フランスでの連続テロの後、2月にはデンマークでもテロがありました。その後も欧州では未遂事件が続いているようです
A:「他の多くの場合、幸運にもテロは未然に防がれています。ただ、明日はどうなるかわかりません。巨大テロの恐れは拭えない」
 「第3世代ジハードのテロリストたちも、イスラム教徒の大衆をそう簡単に戦いに動員できるとは思えません。ただ、過激派の活動がフランス社会に亀裂を生む恐れは、確かにあります。移民やイスラム教徒に厳しい右翼『国民戦線』が地方選挙で勝って自治体の首長を握ったりすれば、イスラム教徒の間で行政への不信感が広がるかも知れない。それは、スーリー氏の思うつぼです。彼は社会を二つに分け、フランスを戦場に変えようと考えたのですから」
Q:対策はありますか
A:「応急措置でなく、抗ウイルス薬で治療するように、問題の根本に迫るべきです。過激派研究に力を入れ、状況をしっかり分析することから始める必要があります。ただ、政治家たちは関心を示さない。選挙と関係ないからです」
Q:あなたは以前、欧州と中東が「歴史と文化遺産を共有している」として、共通の文明圏を築くべきだとも提言しています
A:「ある時期までそう信じてきました。しかし、『アラブの春』以降、恐ろしい状況になりました。シリア、イラク、イエメンで国家の機能が消滅し、激動期に入っています。クルド人との対立を深めるトルコの将来も予断を許さない。以前の提言は通用しません」
Q:随分悲観的ですね
A:「第1、第2世代が失敗したように、第3世代のテロも長期的に見ると成果を生まないでしょう。ただ、その後の世代交代がいつまで続くか。すべては、イスラム教徒自身が過激派の思想を拒否することから始まります。その営みなくして、イスラム過激派の活動が消え去ることはありません」
(Gilles Kepel 1955年パリ生まれ。中東各国や欧州の移民街で現地調査を重ねる行動派学者。「テロと殉教」「中東戦記」など邦訳著書多数)

次に、財務省出身で嘉悦大学教授の高橋洋一氏が11月19日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「パリ同時多発テロの根底にある100年の歴史」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽終わらぬ根深い憎しみの連鎖 発端は第一次世界大戦
・今月13日、パリで130名近くもの死者を出すテロが起こった。直後に「イスラム国」から犯行声明が出され、フランス空軍による報復爆撃が行われたというニュースも流れている
・ちなみにテロが起こった11月13日は、1918年、英仏軍がオスマン帝国のイスタンブールを制圧した日である。つまり聖戦を掲げるイスラム国にとっては、キリスト教徒にイスラム教徒が侵略された恥辱の日であり、復讐にふさわしい日と見ることもできる
・首謀者にはヨーロッパ国籍をもつイスラム国シンパも含まれているといい、戦争の歴史が作り出してしまったヨーロッパ移民社会の複雑さ、暗部をも垣間見るようである。 根深い憎しみの連鎖は、まだまだ終わりそうもない。卑劣きわまりないテロの犠牲者に対しては、哀悼の念を強くするばかりである
・ただ地政学的に見れば、1916年のサイクス=ピコ協定でわかるように、ヨーロッパ諸国がアラブ世界を民族無視で勝手に分割したこと、さらにその後、しっかりコントロールしきれなかったことが、さまざまな形をとって現在にまで及んでいる。例えば、アメリカがイラク民主化のためにフセイン政権を倒したが、その残党が「イスラム国」を作った。このたびのパリのテロもまた、それらがもたらした大きな悲劇の一つであると見るべきだろう
・こうした現代の難問を理解するには、高校レベルの世界史をおさらいしておくといい。 発端は第一次世界大戦である
▽中東問題の大元を作ったイギリスの「三枚舌外交」
・第一次世界大戦後にドイツの力が弱まり、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ロシア帝国が崩壊したことで、バルカン半島から東欧にかけての地域には小さな独立国家が乱立した
・ドイツの同盟国として参戦したオスマン帝国の解体では、現代にまで続く中東問題が芽生えてしまった。それを説明するには、第一次世界大戦中のイギリスの多重外交にまで遡らなくてはならない
・1915年、イギリスはフサイン・マクマホン協定によって、オスマン帝国からの独立をアラブ人たちに約束した。「オスマン帝国との戦いに貢献し、勝利した暁には自分たちの領土を持てる」とアラブ人たちに思わせることで、イギリス陣営への協力を取り付けたわけである
・しかし、これが虚構であったことは、その直後にイギリスがフランス、ロシアと結んだ協定を見れば明らかだ。 1916年、オスマン帝国領アジアをイギリス、フランス、ロシアとで分割、パレスチナは国際管理下に置くというサイクス=ピコ協定が結ぼれる。下図で、青がフランス、赤がイギリス、緑がロシアである
・これは、オスマン帝国の支配下にあるアラブ人が独立できるという、フセイン=マクマホン協定と明確に食い違っている。しかも、定規で引いたような人為的な国境線が後で火種になる
・さらに1917年には、イギリスは、パルフォア宣言によってユダヤ人がパレスチナに独立国家を築くことを認めた。アラブ人にしたように、「独立国家を持てる」と約束することで、ユダヤ人からの協力も得ようとしたのだ
・このようにイギリスは、戦争を有利に進めるために、それぞれの利害関係者に異なる言質を与える「三枚舌外交」を行った。そして、今日にまで続く中東問題の大元を作ってしまったのである
▽統治国の勝手が生み出した クルド人問題とパレスチナ問題
・ちなみに、サイクス=ピコ協定でオスマン帝国の分割案に参加していたロシアは、戦中にロシア革命が起こったため、単独でドイツと講和条約を締結していた。 ロシアはバルカン半島で勢力拡大し、オスマン帝国までも分割統治することで黒海方面への南下を狙っていたが、その野心は、自国内の革命という足元から崩れることになったのである
・ロシアが途中で戦線離脱したことで、オスマン帝国はイギリスとフランスの決定によって分割統治されることになった。 そこで生じた中東問題の一つは、クルド人問題だ。イギリスとフランスが勝手にそれぞれの委任統治領を決めたせいで、クルド人の地域は、トルコと、イギリス、フランスの勢力下にあるイラクとシリア、イランなどに分断されてしまった
・実は、最初に結ぼれたセーブル条約ではクルド人の独立国家の建国が認められていた。ところが、トルコ共和国の領土回復が認められたローザンヌ条約で、取り消されてしまったのだ。 自分たちの国を持たないクルド人は、各国では少数派だが、全体を合わせれば約3000万人にもなると推定されている。彼らの独立問題は、第一次世界大戦以降、今も中東における最大懸念の一つとなっている
・第一次世界大戦が元となった中東問題は、パレスチナ問題だ。現在のヨルダンを含むパレスチナは、第一次世界大戦後、イギリスの委任統治領となり、パルフォア宣言に基づいてユダヤ人たちはパレスチナに向かった。といっても、この当時は、もともとパレスチナに住んでいたアラブ人と移植してきたユダヤ人は、比較的穏やかに共存していたとされる。とごろが、ユダヤ人入植者が増えるにつれて、次第に土地争いなどが起こりはじめ、バレスチナ人との対立が強くなっていく
・それを、統治国であるイギリスはコントロールしきれなかった。困り果てた末、第二次世界大戦後に責任放棄して国連に丸投げにしたために、パレスチナ問題はますます混迷を極め、いまだ解決されていない
▽テロは決して認められない だが100年間の歴史も知っておこう
・ひとくちにイスラム教徒といっても、内側は非常に複雑である。彼らの帰属意識は国よりも部族に対してのほうが強く、しかも、先に挙げたクルド人に代表されるように、国境と部族が必ずしも一致していない
・さらに、イスラム教にはスンニ派とシーア派という二大宗派があり、多数派のスンニ派と少数派のシーア派が対立を続けているという長い歴史がある。この宗派とは別に、トルコ主義、アラブ民族主義、ペルシャ主義といった、少しずつ異なる民族意識もある
・宗派や民族意識が異なっても、最大概念であるイスラム共同体「ウンマ」への帰属意識は共有している。しかし、イラン・イラク戦争のように、同じイスラム教国同士で起こった戦争には、スンニ派とシーア派の歴史的対立が絡んでいる場合もある
・こうした背景をいっさい斟酌しようともせず、戦勝国が勝手に勢力図を決め、分け合ってしまったのが、第一次世界大戦の一つの結果だった。アラブ世界の人々は、宗教心や帰属意識もろとも、列強の手前勝手な領土欲に振り回されたのである
・現在では中東は、かつてのバルカン半島をしのぐといってもいいほどリスクの高い「火薬庫」となってしまった。目下、最大の懸案は、やはりイスラム過激派組織「イスラム国」の台頭である。「イスラム国」は、サイクス=ピコ協定の終焉を目指している
・ヨーロッパでは、今回のパリのテロ以外にも、これまでにロンドンやマドリードで一般市民をターゲットにしたイスラム過激派によるテロが起こっている。また言うまでもなく、それ以上の数、規模のテロが、中東の国々では今や日常茶飯事となっている
・この問題は簡単に解決しない。以上で見たように、100年前の話が発端になっていて、100年間も解決されなかったからだ。 テロはいかなる理由があっても認められない。ただ、この100年間の歴史も同時に頭に入れておこう。(以上は、まもなく出される拙著「世界のニュースがわかる! 図解地政学入門」からの一部抜粋である。詳しくは同書を参考にしていただきたい)
http://diamond.jp/articles/-/81918

第三には、11月18日付けJBpress(FinancialTimes記事を転載)「パリ同時テロは文明の衝突を浮き彫りにしたのか 多文化主義はナイーブな願望ではなく、現代世界の現実」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・国際政治では「文明の衝突」が最も目立つようになるだろうと故サミュエル・ハンチントンは予言した。1993年に最初に打ち出されたこの理論は熱烈な支持者を獲得してきたが、その中には好戦的なイスラム主義者も含まれている。パリで大量殺人の挙に出たテロリストらは、イスラムと西側諸国は避けられない死闘を繰り広げていると考える勢力の一派だ
・これとは対照的に、西側諸国の政治指導者たちはほぼ決まって、ハンチントンの分析を退けてきた。米国のジョージ・W・ブッシュ前大統領でさえ、「文明の衝突など存在しない」と言い切った
・西側諸国の多文化社会――その大半で、イスラム教徒は大規模なマイノリティー(少数派)集団を形成している――における生活は、異なる信仰と文化は共存も協力もできないという主張への反論を日々提供している
・パリが攻撃された今、この中核的な考え方を再度唱える必要がある。ただし、リベラルな価値観を改めて主張する必要があるとしても、そのせいで冷静さを失い、世界を覆ういくつかの有害なトレンドを認識できなくなってはならない
▽世界各地で台頭するイスラム主義強硬派
・事実、今日の世界ではイスラム主義の強硬派が台頭している。しかもその現象はトルコやマレーシア、バングラデシュなど、かつては穏健なイスラム社会のモデルだと見なされていた国々でさえ観察される
・それと同時に米国や欧州、インドなどでは、政界の主流派からも反イスラムの偏見が表出するようになっている。 こうしたことが重なって、「文明の衝突」という物語を押し戻したいと考える人々は、逆に脇に追いやられつつある
・パリで今回起こったようなテロ攻撃は、イスラム教徒とそうでない人々との緊張を、その狙い通りに高めていく。しかし、過激化を促進している長期的な傾向がこれ以外に存在することもまた事実だ。その中で最大級にたちが悪いのは、ペルシャ湾岸諸国、とりわけサウジアラビアが石油で得た収入を使って、不寛容な部類のイスラム教をイスラム世界のほかの部分に広めてきたことだ
・今ではその影響を東南アジア、インド亜大陸、アフリカ、欧州に見ることができる。マレーシアは以前から、イスラム教徒のマレー人という多数派と大規模な中国系マイノリティーが共存に成功し、かつ繁栄している多民族国家の例だと言われてきた。しかし、状況は変わりつつある
・隣国シンガポールのビラハリ・カウシカン元外務次官は、マレーシアでは「非イスラム教徒の政治的・社会的な居場所が大幅かつ継続的に小さくなっている」と指摘する
・さらに「過去数十年に及ぶ中東からのアラブの影響が、マレー版のイスラムを着実に侵食してきた・・・以前よりも厳格で排他的な解釈に置き換えられた」と付け加える
・また、ナジブ・ラザク首相の政権を揺るがしている汚職問題は社会の緊張を高めている。同政権が支持を取り付けるにあたり、イスラム教徒の利益を代弁するアイデンティティー政治を頼りにしているからだ。ある政務次官は先日、マレーシアを陥れようとするグローバルなユダヤ人組織の陰謀に野党が加担しているとまで述べていた
・世俗的な憲法を持つイスラム国家のバングラデシュではこの1年間、知識人やブロガー、出版社の社員などがイスラム主義過激派に殺害されている。キリスト教徒やヒンドゥー教徒、イスラム教徒シーア派への攻撃も増えている
・こうした暴力の大半はイラク・シリアのイスラム国(ISIS)やアルカイダによるものだ。しかし、マレーシアと同様にバングラデシュでも、湾岸諸国は教育資金の提供や出稼ぎ労働者が形成する人的なつながりを通じて、イスラム過激派の台頭に大きな影響を及ぼしたように思われる
▽模範とされてきたトルコも様変わり
・西側諸国ではずいぶん前から、トルコはイスラム教徒が多数派を占め、かつ世俗的な民主主義の確立にも成功している国の最高の事例だと多くの人が思っていた。ところがレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領の時代になって、宗教はこの国の政治やアイデンティティーの問題で以前よりもはるかに重要視されている
・英エコノミスト誌などはエルドアン大統領を「穏健派イスラム主義者」と評している。だが、2014年に発した「(西洋人は)友人のように見えるが、実は我々の死を望んでいる。我々の子供たちが死ぬところを見たいと思っている」という大統領の言葉には、穏健さなど微塵もない
・インドのナレンドラ・モディ首相はイスラム教徒について、これほど扇動的なことは言ったことがないが、長年、反イスラムの偏見と暴力を容認してきたと批判されてきた。首相に就任してから最初の数カ月間は、経済改革に集中することで、一部の批判派を安心させた。 だが、この数カ月は、同氏の率いるヒンドゥー民族主義政党・インド人民党(BJP)のメンバーが反世俗、反イスラムの発言を強めており、牛肉を食べたとされるイスラム教徒の男性のリンチ殺人が全国ニュースになった
・欧州では、パリのテロ攻撃の前でさえ、難民・移民危機が反イスラムの政党や社会運動の台頭を煽る一因となっていた。ドイツが中東からの難民に門戸を開放すると、こうした移住者の宿泊施設に対する暴力的な襲撃事件が増加した。フランスでは、来月の地方選挙で極右政党の国民戦線(FN)が大きく議席を伸ばすことが広く予想されている
・米国でも反イスラム主義的な発言が増えており、大統領選指名争いの共和党候補の間では当たり前になっている。共和党員を対象とする多くの世論調査でリードするベン・カーソン氏は、イスラム教徒が米国大統領になることは許されるべきではないと述べた。ドナルド・トランプ氏は、米国への入国を認められたシリア難民は皆、強制送還すると語った
▽イスラム世界と非イスラム世界が入り混じる現実
・北米、欧州、中東、アジアでのこうした展開が重なり、文明の衝突という考えを煽っている。だが、イスラム世界と非イスラム世界は地球全体で入り混じっているというのが現実だ
・多文化主義はナイーブな自由主義の願望ではない。それは現代世界の現実であり、うまく回るようにしなければならない。それ以外の唯一の道は、さらなる暴力と死と悲しみだ
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/45293

ISは第3世代のジハードのテロリストで、「最近目立つのは、移民家庭の出身ではないフランス人が改宗し、過激派に染まる例」とは何とも困ったものだ。対策は「応急措置でなく、抗ウイルス薬で治療するように、問題の根本に迫るべき」とすれば、IS拠点への爆撃は国内向けの政治的ポーズなのかも知れない。
普段は経済問題で発言する高橋洋一氏が、珍しくこの問題で寄稿した背景には自分の近刊本のPRがあるので、紹介は控えようかとも思ったが、内容的には参考になる点もあるので紹介した次第。特に、クルド人は独自国家の建国寸前で、大国の都合で流れたというのは初めて知った。現在の問題の一因を作った欧米主要国には、もっと本腰を入れて取り組んでほしいものだ。
三番目の記事では、イスラム主義強硬派が各地に広がっている状況を改めて知り、危機感が一層強まった。確かに「多文化主義」でいく他ないのが現実とはいっても、まだ「うまく回る」段階には程遠いのも現実。人間の「業の深さ」と言ってしまえば、それまでだが、なんともやりきれない思いだ。
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