イスラム教(その1)「イスラム教」とは、スンニ派とシーア派 [世界情勢]
イランとサウジアラビアが一触即発の状況になるなど、中東情勢が緊張の度を強めている。中東情勢を理解する上では、イスラム教について理解を深めておく必要がある。今日は、イスラム教(その1) 「イスラム教」とは、スンニ派とシーア派 を取上げたい。
先ずは、中東研究家の岩永尚子氏がダイヤモンド・オンラインに連載している記事のうち、2015年4月10日付け「教えて! 尚子先生 「イスラム教」とは何ですか?【中東・イスラム初級講座・第21回】」:を紹介しよう(▽は小見出し)。
・イスラム(正確にはイスラーム)教は610年頃、現在のサウジ・アラビアのメッカで、ムハンマドによって始められた宗教です。アラビア語でイスラムとは、「従順、帰依、平和」を意味しています。イスラム教を信仰する人を男性はムスリム、女性はムスリマと呼びます。
・イスラム教の創始者をムハンマドではなく、マホメットと授業などで習った方もいらっしゃると思います。アラビア語は子音(この場合はMHMD)しか表記しないために、母音をあてはめて読まなければならず、マホメットはヨーロッパ人が母音をあてはめた読み方で、現在はムハンマドと呼ぶのが主流です。
▽世界の4人に1人はイスラム教徒
・イスラム教はキリスト教、仏教とならんで、世界3大宗教のひとつに数えられ、2010年のデータではおおよそ世界中で16億人が、イスラム教を信仰しているといわれています(全世界の人口の約23%)。最も信徒数の多いのはキリスト教で、世界中で約22億人(約32%)です。つまり、世界の3人に1人はキリスト教徒、4人に1人はイスラム教徒ということになります。
・けれども、イスラム教徒の人口増加率がキリスト教徒よりも高いために、2030年にはイスラム教徒の割合が最も高くなると考えられています。実際、2006年にはすでにイスラム教徒数がカトリック教徒数を超したといわれています。
・これらの数値はアメリカのピュー研究所(Pew Research Center)の統計にもとづいていますが、正確なイスラム教徒数を把握するのはひじょうに困難だといわれています。なぜなら、イスラム教に改宗するには、2名以上のムスリム(イスラム教徒)の証人の前で、信仰告白(「アッラーのほかに神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒である」)を唱えるだけだからです。キリスト教のように教会で洗礼を受けるわけではありませんし、ユダヤ教のように改宗自体が難しく、時間がかかるのとはまったく異なっています。
・これは、イスラム教に神父や牧師、司祭といった神と人間の間を仲介する聖職者がいないためです。言い換えるなら、信徒間での神の前の平等が徹底されているといえるでしょう。その結果、改宗についても、神を信じ、アッラーのほかに神はないと唱えればよいというひじょうにシンプルな形態になっています。
▽イスラム教徒が実行すべき「六信五行」
・では、イスラム教徒になった場合、どんなことをしなければならないのでしょうか? イスラム教の特徴は、六信五行と紹介されています。六信とはイスラム教徒が信じなければならない6つの信仰の柱で、1)神、2)天使、3)経典、4)使徒(預言者)、5)来世、6)定命(予定)です。
・つまり、神と天使の存在、神が与えた経典コーランとムハンマドが預言者であること、最後の審判を受けた後に天国もしくは地獄に行くこと(来世:仏教でいう生まれ変わりの意味をもつ来世とは異なります)、あらゆることは神の意志によるものであること(定命)の6つを信じなければなりません。
・そして、五行とはイスラム教徒が行なうべき行動を意味しています。具体的には、以下の5つです。
1)信仰告白
2)礼拝(1日5回、明け方から日の出まで、正午から昼過ぎまで、昼過ぎから日没まで、日没直後、就寝前:まとめて行なうことも可)
3)喜捨(困窮者に対して施しをすること)
4)断食(ラマダン月には夜明けから日没まで飲食をしないこと:ただし病人、旅人、妊婦および育児中は除く)
5)巡礼(メッカへの巡礼:可能であれば)
・1)の信仰告白については先に説明しましたが、2)礼拝や4)断食、5)巡礼については、なんとなくテレビや写真で見たことがあるという方も多いでしょうし、おそらく、おぼろげながらでも想像がつくのではないでしょうか。ですが、3)の喜捨は私たち日本人にはなじみのない言葉だと思いますので、少し説明してみたいと思います。
・喜捨は貧困者に対する施しを意味しますが、「寄付」とは少し異なっています。寄付は善意にもとづいたものなので、してもよいし、しなくてもよいという意味合いが強いですが、喜捨はイスラム教徒にとっての「義務」です。
・ムハンマドがイスラム教を説いたのは7世紀で、ユダヤ教やキリスト教と比べると比較的遅くにでき上がった宗教です。当時のメッカは交易で栄えており、すでにかなりの貧富の格差があったといわれています。
・ムハンマド自身も商人でしたが、6歳で両親を失い、親戚のうちを転々としながら育ち、叔父の商家で働いていたそうです。25歳ぐらいにはすでに隊商のリーダーとなっていましたが、その頃40歳だった裕福な女性の貿易商ハディージャに見初められて結婚し、裕福な商人として暮していました。
・彼は40歳ぐらいで神からの啓示を受け、それを人々に広めていったといわれています。この啓示を書きとめたものが聖典である「コーラン」となりました。
・喜捨は当時すでにあった貧富の格差を解消するために、そもそも自由意思にもとづいて喜捨(これを「サダカ」という)をすべきとされていました。ところが、630年ごろから自由意志にもとづいた喜捨だけではなく、制度的に義務化された喜捨(これを「ザカート」という)が加わることとなりました。現在でも各地で、個々人の利益の約2.5~10%程度がザカートとして(国家やザカート委員会などに)徴収され、困窮者に分配されるという仕組みが存続しています。
・さらに、六信五行だけでなく、イスラム教徒は聖典であるコーランと、ハディースと呼ばれるムハンマドの死後にムハンマドの言動を記録した書物にもとづいた規範を尊種すべきだとされています。つまり、コーランとハディースがイスラム教徒の行動規範の根源をなしているのですが、コーランはイスラム教徒にとって神の言葉であり、変更不可のゆるがせないものです。
・たとえば、日本語訳のコーランは、厳密に言えばコーランではありません。つまり、コーランは神の言葉がそのまま書かれたものであるという認識から、アラビア語のコーランだけが真のコーランとなります。
・ハディースは、ムハンマドの死後にヒトが書き記したものであるため、宗派によってどの部分をハディースとして認めるのかなど解釈が異なってきます。イスラムでは聖職者がいないと説明しましたが、コーランとハディースに則った行動を奨励するために、コーランを勉強した人々(ウラマーと呼ばれる法学者)が、コーランやハディースの解釈を行なって、イスラム教徒として「望ましい」行動規範が作られていきます。
http://diamond.jp/articles/-/69935?page=1
次に、2014年7月14日付けダイヤモンド・オンライン「教えて! 尚子先生 イスラム教・スンニ派とシーア派の違いは何ですか?【中東・イスラム初級講座・第9回】」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・昨今のイラクやシリア情勢に関するニュースで、「シーア派」と「スンニ派(スンナ派)」の争いという説明をよく耳にします。イスラム教の中に2つの宗派があることは、なんとなくわかっていても、何が違うのかわからないというのが本当のところでしょう。もちろん、イラクとシリアでは事情が異なっていますが、今回は、両派では基本的に何が異なっているのか、そしてどうして両派が争っているのかについて説明したいと思います。
▽だれがイスラム共同体を率いていくのか
・そもそも両派分裂の起源は、だれがイスラム共同体を率いていくのかという問題に端を発しています。イスラム教は610年にムハンマドによってはじめられた宗教です。ムハンマドは約22年間布教を行なった後に没しますが、その後、指導者をめぐる争いが発生します。イスラム共同体では宗教指導者と政治的指導者が分離していません。政教一致の体制をとり、その指導者はカリフと呼ばれます。
・ムハンマド没後、4代目のカリフまでは(正統カリフ時代:632~661年)、争いごとはありながらも分裂することはありませんでした。ところが4代目のアリーを境に、カリフはムハンマドの子孫であるべきだと主張する派(シーア派)と、子孫の中からではなく、話し合いによって皆から選ばれたものがカリフとなるべきと主張する派(スンニ派)に分裂してしまいます。
・そもそも「シーア」とは「派閥」や「党派」を意味しており、「アリーの党派」が短くなり、「党派」という意味の「シーア」だけが残ったといわれています。
・その後、スンニ派はムアーウィヤをカリフに選出して、現在のシリアにウマイヤ朝を建設します。一方、シーア派はアリーの子孫であるハサンとフセインを支持しますが、ウマイヤ朝と敵対することとなります。3代目の指導者(イマームと呼ばれる)であったフセインはウマイヤ軍に滅ぼされて、戦死してしまいます。こうした悲劇から、シーア派の人々はアリーの子孫であるイマームによって導かれる共同体こそが、神の支配を復活させると考えています。
・ところが、ムハンマドの死から約300年後には、アリーの子孫は12代目で途絶えてしまいます。そのため、シーア派の人々にとって、現在は「イマーム不在」の悪の状態であると考えられるのです。けれども、終末直前に最後のイマームがマフディー(救世主)となって再臨して、この世の悪から救済されると信じられています。
・アリーの子孫が途絶えるまでの間に、シーア派のなかでは、だれをイマームとして認めるかによって3派に分派していきます。まず5代目のイマームをめぐり、ザイドを支持する者たちと、そうでない人々に分かれます。ザイドの支持者たちはザイド派と呼ばれ、現在ではイエメンで多く見られます。その後、7代目のイマームをムーサ・カーズィムとする者たちと、兄のイスマイールを支持する者たちに分かれます。ムーサの支持者たちが、現在、シーア派の中で最も多く、約85%程度を占めています。彼らは十二イマーム派と呼ばれ、イランやイラク、バハレーンなどに居住しています。一方、イスマイール支持者はイスマイール派と呼ばれ、東アフリカや南アジアに多くみられます。
▽スンニ派政権にとって「脅威」となった貧困するシーア派
・では、シーア派とスンニ派では、信仰上の儀礼において違いはないのでしょうか?
・スンニ派もシーア派も断食、巡礼、礼拝などの方法に違いはほとんどありません。イスラム教の異端とされるアラウィー派やドルーズ派のように、巡礼や断食は行なわないといった明らかな違いは見受けられません。あるとすれば、シーア派では殉死したフセインを追悼するために、アーシューラ―と呼ばれる宗教行事があったり、シーア派の聖人の墓(聖者廟)を詣でるといった習慣が見られます。また、偶像崇拝を厳しく禁止するスンニ派に対し、4代目カリフのアリー(シーア派にとっては初代イマーム)など、イマームの肖像画などを掲げることもあります。
・ですが、イスラム教徒ではない私たちからみれば、宗教指導者でもない限り、基本的に外見や行動からシーア派とスンニ派を区別することは難しいでしょう。日常生活において、シーア派であるか、スンニ派であるかを問われるような場面もほとんどありません。日本に来た私のイスラム教徒の友人は「なぜ日本人は、私がスンニ派かシーア派か尋ねるのですか?アラブ人同士で、そんな質問をされたことは今までありませんが、なぜ気にするのですか?」と尋ねられたほどです。
・では、なぜ、現在、シリアやイラクなどでは、シーア派とスンニ派が対決しているのでしょうか?宗教的正当性を巡って、争っているのでしょうか?もちろん、そうではありません。
・シーア派が問題視されるようになったのは、イラン革命以後といってもよいでしょう。イランの対岸にある湾岸諸国は、国内に多数のシーア派の住民が存在しているために、イランが革命の「輸出」をして現政権の転覆を図るのではないかと危惧しているのです。
・現在、イラン、イラク、バハレーン、アゼルバイジャンでは、スンニ派の住民よりもシーア派人口のほうが多くなっているといわれています。ですが、それ以外にもシリア、レバノン、湾岸諸国、イエメン、アフガニスタンなどにもシーア派の人々は多数、存在しています。この中でイランにおいてのみ、シーア派が政権をとり、国家を運営していますが、それ以外の地域で政権を握っているのは、ずっとスンニ派でした(イラクは現在の政権のみシーア派で、それ以前はすべてスンニ派)。
・政権を握っているスンニ派に対して、シーア派はたとえ数の上で優っていたとしても、政治的には少数派となっています。そのため、国民国家建設の過程で富の分配にうまくあずかれず、貧困層となってしまっている場合が多いのです。この現象は、レバノンやイラク、バハレーン、湾岸諸国でも同様の現象がみられます。
・つまり。その結果、政権側のバランスの、シーア派がスンニ派と対立するのは、シーア派だからという宗教的理由からではなく、経済的・政治的に劣位に立たされている現状を打破するために、団結して反政府活動を行なっているといえるでしょう。だからこそ、スンニ派の政権にとって、シーア派は「脅威」となっているのですとり方次第では、現在のイラクのように、シーア派とスンニ派が戦うという、いわゆる「宗派対立」の図式に発展する結果を招いてしまうのです。
http://diamond.jp/articles/-/55770
喜捨には、自由意思にもとづく「サダカ」だけでなく、義務化された「ザカート」もあることは初めて知った。
「アラビア語のコーランだけが真のコーランとなる」としながら、イスラム教が非アラビア語圏にまで広がり、彼らはアラビア語で読んでいる背景には、イスラム教の魅力があるのかも知れない。
アラブ人同士では、「シーア派であるか、スンニ派であるかを問われるような場面もほとんどありません」。「・「シーア派が問題視されるようになったのは、イラン革命以後」。「シーア派がスンニ派と対立するのは、シーア派だからという宗教的理由からではなく、経済的・政治的に劣位に立たされている現状を打破するために、団結して反政府活動を行なっているといえるでしょう。だからこそ、スンニ派の政権にとって、シーア派は「脅威」となっているのです」
うーん、なるほどである。
明日は、「イスラム原理主義」を取上げる予定である。
先ずは、中東研究家の岩永尚子氏がダイヤモンド・オンラインに連載している記事のうち、2015年4月10日付け「教えて! 尚子先生 「イスラム教」とは何ですか?【中東・イスラム初級講座・第21回】」:を紹介しよう(▽は小見出し)。
・イスラム(正確にはイスラーム)教は610年頃、現在のサウジ・アラビアのメッカで、ムハンマドによって始められた宗教です。アラビア語でイスラムとは、「従順、帰依、平和」を意味しています。イスラム教を信仰する人を男性はムスリム、女性はムスリマと呼びます。
・イスラム教の創始者をムハンマドではなく、マホメットと授業などで習った方もいらっしゃると思います。アラビア語は子音(この場合はMHMD)しか表記しないために、母音をあてはめて読まなければならず、マホメットはヨーロッパ人が母音をあてはめた読み方で、現在はムハンマドと呼ぶのが主流です。
▽世界の4人に1人はイスラム教徒
・イスラム教はキリスト教、仏教とならんで、世界3大宗教のひとつに数えられ、2010年のデータではおおよそ世界中で16億人が、イスラム教を信仰しているといわれています(全世界の人口の約23%)。最も信徒数の多いのはキリスト教で、世界中で約22億人(約32%)です。つまり、世界の3人に1人はキリスト教徒、4人に1人はイスラム教徒ということになります。
・けれども、イスラム教徒の人口増加率がキリスト教徒よりも高いために、2030年にはイスラム教徒の割合が最も高くなると考えられています。実際、2006年にはすでにイスラム教徒数がカトリック教徒数を超したといわれています。
・これらの数値はアメリカのピュー研究所(Pew Research Center)の統計にもとづいていますが、正確なイスラム教徒数を把握するのはひじょうに困難だといわれています。なぜなら、イスラム教に改宗するには、2名以上のムスリム(イスラム教徒)の証人の前で、信仰告白(「アッラーのほかに神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒である」)を唱えるだけだからです。キリスト教のように教会で洗礼を受けるわけではありませんし、ユダヤ教のように改宗自体が難しく、時間がかかるのとはまったく異なっています。
・これは、イスラム教に神父や牧師、司祭といった神と人間の間を仲介する聖職者がいないためです。言い換えるなら、信徒間での神の前の平等が徹底されているといえるでしょう。その結果、改宗についても、神を信じ、アッラーのほかに神はないと唱えればよいというひじょうにシンプルな形態になっています。
▽イスラム教徒が実行すべき「六信五行」
・では、イスラム教徒になった場合、どんなことをしなければならないのでしょうか? イスラム教の特徴は、六信五行と紹介されています。六信とはイスラム教徒が信じなければならない6つの信仰の柱で、1)神、2)天使、3)経典、4)使徒(預言者)、5)来世、6)定命(予定)です。
・つまり、神と天使の存在、神が与えた経典コーランとムハンマドが預言者であること、最後の審判を受けた後に天国もしくは地獄に行くこと(来世:仏教でいう生まれ変わりの意味をもつ来世とは異なります)、あらゆることは神の意志によるものであること(定命)の6つを信じなければなりません。
・そして、五行とはイスラム教徒が行なうべき行動を意味しています。具体的には、以下の5つです。
1)信仰告白
2)礼拝(1日5回、明け方から日の出まで、正午から昼過ぎまで、昼過ぎから日没まで、日没直後、就寝前:まとめて行なうことも可)
3)喜捨(困窮者に対して施しをすること)
4)断食(ラマダン月には夜明けから日没まで飲食をしないこと:ただし病人、旅人、妊婦および育児中は除く)
5)巡礼(メッカへの巡礼:可能であれば)
・1)の信仰告白については先に説明しましたが、2)礼拝や4)断食、5)巡礼については、なんとなくテレビや写真で見たことがあるという方も多いでしょうし、おそらく、おぼろげながらでも想像がつくのではないでしょうか。ですが、3)の喜捨は私たち日本人にはなじみのない言葉だと思いますので、少し説明してみたいと思います。
・喜捨は貧困者に対する施しを意味しますが、「寄付」とは少し異なっています。寄付は善意にもとづいたものなので、してもよいし、しなくてもよいという意味合いが強いですが、喜捨はイスラム教徒にとっての「義務」です。
・ムハンマドがイスラム教を説いたのは7世紀で、ユダヤ教やキリスト教と比べると比較的遅くにでき上がった宗教です。当時のメッカは交易で栄えており、すでにかなりの貧富の格差があったといわれています。
・ムハンマド自身も商人でしたが、6歳で両親を失い、親戚のうちを転々としながら育ち、叔父の商家で働いていたそうです。25歳ぐらいにはすでに隊商のリーダーとなっていましたが、その頃40歳だった裕福な女性の貿易商ハディージャに見初められて結婚し、裕福な商人として暮していました。
・彼は40歳ぐらいで神からの啓示を受け、それを人々に広めていったといわれています。この啓示を書きとめたものが聖典である「コーラン」となりました。
・喜捨は当時すでにあった貧富の格差を解消するために、そもそも自由意思にもとづいて喜捨(これを「サダカ」という)をすべきとされていました。ところが、630年ごろから自由意志にもとづいた喜捨だけではなく、制度的に義務化された喜捨(これを「ザカート」という)が加わることとなりました。現在でも各地で、個々人の利益の約2.5~10%程度がザカートとして(国家やザカート委員会などに)徴収され、困窮者に分配されるという仕組みが存続しています。
・さらに、六信五行だけでなく、イスラム教徒は聖典であるコーランと、ハディースと呼ばれるムハンマドの死後にムハンマドの言動を記録した書物にもとづいた規範を尊種すべきだとされています。つまり、コーランとハディースがイスラム教徒の行動規範の根源をなしているのですが、コーランはイスラム教徒にとって神の言葉であり、変更不可のゆるがせないものです。
・たとえば、日本語訳のコーランは、厳密に言えばコーランではありません。つまり、コーランは神の言葉がそのまま書かれたものであるという認識から、アラビア語のコーランだけが真のコーランとなります。
・ハディースは、ムハンマドの死後にヒトが書き記したものであるため、宗派によってどの部分をハディースとして認めるのかなど解釈が異なってきます。イスラムでは聖職者がいないと説明しましたが、コーランとハディースに則った行動を奨励するために、コーランを勉強した人々(ウラマーと呼ばれる法学者)が、コーランやハディースの解釈を行なって、イスラム教徒として「望ましい」行動規範が作られていきます。
http://diamond.jp/articles/-/69935?page=1
次に、2014年7月14日付けダイヤモンド・オンライン「教えて! 尚子先生 イスラム教・スンニ派とシーア派の違いは何ですか?【中東・イスラム初級講座・第9回】」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・昨今のイラクやシリア情勢に関するニュースで、「シーア派」と「スンニ派(スンナ派)」の争いという説明をよく耳にします。イスラム教の中に2つの宗派があることは、なんとなくわかっていても、何が違うのかわからないというのが本当のところでしょう。もちろん、イラクとシリアでは事情が異なっていますが、今回は、両派では基本的に何が異なっているのか、そしてどうして両派が争っているのかについて説明したいと思います。
▽だれがイスラム共同体を率いていくのか
・そもそも両派分裂の起源は、だれがイスラム共同体を率いていくのかという問題に端を発しています。イスラム教は610年にムハンマドによってはじめられた宗教です。ムハンマドは約22年間布教を行なった後に没しますが、その後、指導者をめぐる争いが発生します。イスラム共同体では宗教指導者と政治的指導者が分離していません。政教一致の体制をとり、その指導者はカリフと呼ばれます。
・ムハンマド没後、4代目のカリフまでは(正統カリフ時代:632~661年)、争いごとはありながらも分裂することはありませんでした。ところが4代目のアリーを境に、カリフはムハンマドの子孫であるべきだと主張する派(シーア派)と、子孫の中からではなく、話し合いによって皆から選ばれたものがカリフとなるべきと主張する派(スンニ派)に分裂してしまいます。
・そもそも「シーア」とは「派閥」や「党派」を意味しており、「アリーの党派」が短くなり、「党派」という意味の「シーア」だけが残ったといわれています。
・その後、スンニ派はムアーウィヤをカリフに選出して、現在のシリアにウマイヤ朝を建設します。一方、シーア派はアリーの子孫であるハサンとフセインを支持しますが、ウマイヤ朝と敵対することとなります。3代目の指導者(イマームと呼ばれる)であったフセインはウマイヤ軍に滅ぼされて、戦死してしまいます。こうした悲劇から、シーア派の人々はアリーの子孫であるイマームによって導かれる共同体こそが、神の支配を復活させると考えています。
・ところが、ムハンマドの死から約300年後には、アリーの子孫は12代目で途絶えてしまいます。そのため、シーア派の人々にとって、現在は「イマーム不在」の悪の状態であると考えられるのです。けれども、終末直前に最後のイマームがマフディー(救世主)となって再臨して、この世の悪から救済されると信じられています。
・アリーの子孫が途絶えるまでの間に、シーア派のなかでは、だれをイマームとして認めるかによって3派に分派していきます。まず5代目のイマームをめぐり、ザイドを支持する者たちと、そうでない人々に分かれます。ザイドの支持者たちはザイド派と呼ばれ、現在ではイエメンで多く見られます。その後、7代目のイマームをムーサ・カーズィムとする者たちと、兄のイスマイールを支持する者たちに分かれます。ムーサの支持者たちが、現在、シーア派の中で最も多く、約85%程度を占めています。彼らは十二イマーム派と呼ばれ、イランやイラク、バハレーンなどに居住しています。一方、イスマイール支持者はイスマイール派と呼ばれ、東アフリカや南アジアに多くみられます。
▽スンニ派政権にとって「脅威」となった貧困するシーア派
・では、シーア派とスンニ派では、信仰上の儀礼において違いはないのでしょうか?
・スンニ派もシーア派も断食、巡礼、礼拝などの方法に違いはほとんどありません。イスラム教の異端とされるアラウィー派やドルーズ派のように、巡礼や断食は行なわないといった明らかな違いは見受けられません。あるとすれば、シーア派では殉死したフセインを追悼するために、アーシューラ―と呼ばれる宗教行事があったり、シーア派の聖人の墓(聖者廟)を詣でるといった習慣が見られます。また、偶像崇拝を厳しく禁止するスンニ派に対し、4代目カリフのアリー(シーア派にとっては初代イマーム)など、イマームの肖像画などを掲げることもあります。
・ですが、イスラム教徒ではない私たちからみれば、宗教指導者でもない限り、基本的に外見や行動からシーア派とスンニ派を区別することは難しいでしょう。日常生活において、シーア派であるか、スンニ派であるかを問われるような場面もほとんどありません。日本に来た私のイスラム教徒の友人は「なぜ日本人は、私がスンニ派かシーア派か尋ねるのですか?アラブ人同士で、そんな質問をされたことは今までありませんが、なぜ気にするのですか?」と尋ねられたほどです。
・では、なぜ、現在、シリアやイラクなどでは、シーア派とスンニ派が対決しているのでしょうか?宗教的正当性を巡って、争っているのでしょうか?もちろん、そうではありません。
・シーア派が問題視されるようになったのは、イラン革命以後といってもよいでしょう。イランの対岸にある湾岸諸国は、国内に多数のシーア派の住民が存在しているために、イランが革命の「輸出」をして現政権の転覆を図るのではないかと危惧しているのです。
・現在、イラン、イラク、バハレーン、アゼルバイジャンでは、スンニ派の住民よりもシーア派人口のほうが多くなっているといわれています。ですが、それ以外にもシリア、レバノン、湾岸諸国、イエメン、アフガニスタンなどにもシーア派の人々は多数、存在しています。この中でイランにおいてのみ、シーア派が政権をとり、国家を運営していますが、それ以外の地域で政権を握っているのは、ずっとスンニ派でした(イラクは現在の政権のみシーア派で、それ以前はすべてスンニ派)。
・政権を握っているスンニ派に対して、シーア派はたとえ数の上で優っていたとしても、政治的には少数派となっています。そのため、国民国家建設の過程で富の分配にうまくあずかれず、貧困層となってしまっている場合が多いのです。この現象は、レバノンやイラク、バハレーン、湾岸諸国でも同様の現象がみられます。
・つまり。その結果、政権側のバランスの、シーア派がスンニ派と対立するのは、シーア派だからという宗教的理由からではなく、経済的・政治的に劣位に立たされている現状を打破するために、団結して反政府活動を行なっているといえるでしょう。だからこそ、スンニ派の政権にとって、シーア派は「脅威」となっているのですとり方次第では、現在のイラクのように、シーア派とスンニ派が戦うという、いわゆる「宗派対立」の図式に発展する結果を招いてしまうのです。
http://diamond.jp/articles/-/55770
喜捨には、自由意思にもとづく「サダカ」だけでなく、義務化された「ザカート」もあることは初めて知った。
「アラビア語のコーランだけが真のコーランとなる」としながら、イスラム教が非アラビア語圏にまで広がり、彼らはアラビア語で読んでいる背景には、イスラム教の魅力があるのかも知れない。
アラブ人同士では、「シーア派であるか、スンニ派であるかを問われるような場面もほとんどありません」。「・「シーア派が問題視されるようになったのは、イラン革命以後」。「シーア派がスンニ派と対立するのは、シーア派だからという宗教的理由からではなく、経済的・政治的に劣位に立たされている現状を打破するために、団結して反政府活動を行なっているといえるでしょう。だからこそ、スンニ派の政権にとって、シーア派は「脅威」となっているのです」
うーん、なるほどである。
明日は、「イスラム原理主義」を取上げる予定である。
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