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甘利大臣事件(その3)背景にある公務員制度改革の抜け穴、甘利氏の強気を支えたもの [国内政治]

昨日に続いて、甘利大臣事件(その3)背景にある公務員制度改革の抜け穴、甘利氏の強気を支えたもの を取上げたい。

先ずは、このブログで時々引用している財務省出身で嘉悦大学教授の高橋洋一氏が、1月28日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「甘利大臣“口利き問題”の背景にある公務員制度改革の抜け穴」を紹介したい(▽は小見出し)。
▽天下りの巣窟・URが民営化していれば口利きはできなかった
・甘利大臣はどう説明するのか。 甘利経済再生相の進退問題が、今国会で急浮上した。独立行政法人都市再生機構(UR)の補償交渉に関して、建設会社から口利きを依頼され、その謝礼として甘利事務所が現金100万円を受け取っていた、と週刊文春が報じたものだ。これについて「政治資金規正法違反」「あっせん利得処罰法違反」の疑いが生じている。甘利氏は、この疑惑に関する調査結果を1月28日に公表するとしている。
・本件について、あまりに準備が整いすぎており、政治的に甘利氏がはめられたという意見もある。ただ、本コラムでは、甘利氏の進退などの政局ではなく、口利き問題の背景を探り、その再発防止策を考えたい。
・本件が報じられるとおりであれば、まさしく典型的な口利き事例である。そして、筆者が役人時代に関わってきたことのなかでも、民営化と公務員制度改革に大きく関係している。
・まず、民営化であるが、URが民営化していれば、甘利事務所も口利きはできなかっただろう。逆に言えば、あっせん利得処罰法違反では、URのような政府関係法人は、口利きの対象として明確に規定されている。
・URは、独立行政法人という政府の99.8%子会社である(0.2%は地方自治体)。理事長は上西郁夫氏で民間出身となっているが、副理事長には元国土交通省国土政策局長の花岡洋文氏が役員出向で入っている(参考)。また、理事長ポストは代々、旧建設省の次官クラスの天下り先になっていた。
・さらに、理事長、理事10名のうち半分の5名が役人の役員出向である。役員出向は民主党政権になってお墨付きを得たもので、国家公務員のまま出向という位置づけだから、「天下りではない」との屁理屈になる。
・URは都心一等地に高額賃貸マンションを所有しており、簡単に民営化できる。もし民営化すれば、財政収入になるばかりか、300億円以上の補助金がなくなり逆に納税するようになるので、財政貢献も大きい。また、民間経営者が経営するようになるので、成長戦略の核にもなる。さらに、天下り問題の抜本的な解決にもなって、シロアリ退治である。おまけに、今回のような政治家の口利きもなくなる。
・つまり民営化は、財政貢献、成長戦略、天下り根絶、口利き不要と一石四鳥の政策である。
・URは、歴代政権で何度も民営化の俎上に上ったが、これまでしぶとく逃れてきた。筆者も公務員を退官後、福田政権で渡辺喜美行革担当相の手伝いをしていたとき、あと一歩のところでURの民営化ができなかったことを経験している。まったく残念、無念である。
▽安倍政権は公務員制度改革に熱心だが制度運用が手ぬるい
・次は、公務員制度改革だ。今回のような古典的な口利き問題は従来からあった。そこで、刑法のあっせん収賄罪ではなく、適用の簡単なあっせん利得処罰法が、2001年に作られている。これは、政治家とその秘書を対象として、口利きの見返り報酬を得ることを厳しく罰するものだ。
・一方、政治家だけではなく、官僚の側でも口利きに関わってはいけない。これは、公務員制度改革で常に問題意識があった。
・筆者の役人最後の仕事は2007年の国家公務員法改正だった。その後、福田政権の渡辺喜美行革担当相のもとで、国家公務員制度改革基本法案の作成を手伝った。その法案は、2008年、渡辺行革担当相の執念によって法律として成立した。
・国家公務員制度改革基本法第5条第3項第一号で、「職員が国会議員と接触した場合における当該接触に関する記録の作成、保存その他の管理をし、及びその情報を適切に公開するために必要な措置を講ずるものとすること」と定めている。
・実はイギリスでは、政治家と官僚の接触を原則として禁止しているので、日本のような口利きという問題は生じない。そこで、当初の案では、政治家と官僚の接触禁止を盛り込んでいた。しかし、国会での修正によって、政治家と官僚との接触を禁止しないまでも、その記録を作成、保存し、公開することとなった。
・安倍政権は、歴代政権と比べれば、公務員制度改革に熱心である。2007年の国家公務員法改正や、2008年の国家公務員制度改革基本法の基礎を作っている。しかも、2012年12月26日に政権復帰すると、その日のうちに、「政・官の在り方」という閣議決定を行った。
・しかしながら、この制度運用が手ぬるかった。その閣議決定で、 「『官』は、国会議員又はその秘書から、個別の行政執行(不利益処分、補助金交付決定、許認可、契約等)に関する要請、働きかけであって、政府の方針と著しく異なる等のため、施策の推進における公正中立性が確保されないおそれがあり、対応が極めて困難なものについては、大臣等に報告するものとする。報告を受けた大臣等は、要請、働きかけを行った国会議員に対し、内容の確認を行うとともに、政・官の関係について適正を確保するなど、自らの責任で、適切に対処する」  とされている。
・これは、官僚がよくやる骨抜きの手法であるが、「対応が極めて困難なもの」について報告となっている。もし、官僚が「対応が極めて困難なもの」と思わなければ、報告不要となって、記録作成から漏れてしまう。
▽政治家と官僚の接触に厳格なルールが必要だ
・今の政権は、行政記録・保存という点について、安保法案において法制局で協議記録がないなどかなりルーズである。
・もし、政治家との接触について、厳格なルールがあれば、本件のような古典的な口利きは起きなかっただろう。法律があるので、官僚のほうから、記録にとって公開するということができる。そうであれば、政治家のほうから口利きをしなくなるはずだ。
・本件の場合、週刊誌によれば、国交省や環境省の役人は、甘利事務所と接触している。国交省の担当局長は、カネや商品券はもらっていないと言っているが、それは当然である。
・問題は、きちんと記録をとって、公開していたかどうかだ。筆者が担当者であれば、国家公務員制度改革基本法の趣旨を政治家に説明するが、本件ではどうだったのだろうか。
・実は、政治家との接触について規制する考え方は、国だけではなく地方自治体にもある。たとえば、大阪市では2006年から「要望等記録制度」が存在していたが、運用で骨抜きになっていたものを2012年から強化している。この意味で、公務員制度改革の観点から見れば大阪市のほうが国より進んでいる(参考)。
・今回の口利き問題で、国の公務員制度改革での抜け穴が見つかってしまった。
http://diamond.jp/articles/-/85317

次に、たびたび引用しているコラムニストの小田嶋隆氏が、1月29日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「辞任まで“あまり”に強気だった理由」を紹介しよう。
・以前にも書いたことがあると思うのだが、私は、「政治とカネ」というこの決まり文句を耳にする度に、微妙にイライラした気持ちになる。理由は、「政治とカネ」が、具体的に何を指し示しているのかについて、この見出しは、結局のところ、何も説明していないからだ。
・そもそも、「政治とカネ」というこのフレーズは、抽象名詞を二つ並列させただけのもので、ひとつの文として完結していない。「花と蝶」 「酒と涙と男と女」 「部屋とワイシャツと私」 「オレとお前と大五郎」 「ネギとイモ」 「木村と中居」 これらは、実のところ何も語っていない。
・それぞれの単語がもたらすそれぞれの映像と、関係を匂わせる物語の予感と、余情と余韻と余白以外には、何も伝えていない。 主語も述語も無い。 言わばポエムの断片に過ぎない。
・にもかかわらず、二つの名詞を一音節の接続詞でつなげただけの成句である「政治とカネ」は、深い含蓄のあるヘッドラインであるかのように連呼され、意味のある描写であるかのように受け止められ、巷間に流布し、市中を席巻し、時にはその言葉で語られた人間の政治生命を奪っている。
・バカな話だと思う。 「政治とカネ」というこの言葉は、もともとは 「政治とカネの不適切な関係」 ないしは 「政治とカネの関係をめぐる不透明な話題」 ぐらいの言い方で流通していたフレーズで、それが、たびたび使われるうちに、後半部分が省略されて一息で発音できる見出し用語におさまった事例だろう。
・であるからして、この言葉の守備範囲は、「不適切な関係の人間から手渡された政治資金」や「適正な法的処理を経ていない寄付金」や「政治家が便宜供与への見返りとして受け取った不透明な謝礼金」や「帳簿上は政治家の事務所から支出されたことになっていながらその実関連企業が負担している秘書給与」や「後援会主催のパーティー券を介して政治家に直接還流している運動資金」といった、大小様々なカネをめぐるスキャンダルに及んでいる。大変に使い勝手がよろしい。なぜなら、「政治とカネ」とさえ言っておけば、たいていの政治家のスキャンダルはひとっからげに捕捉できてしまうからだ。
・一方において、この「政治とカネ」というキーワードは、「職務権限に関わる贈収賄」のような重大な犯罪と「帳簿上の記載ミス」のような、軽微な資金問題を一緒くたに語ってしまう粗雑さをはらんでもいる。
・ある政治家が後援者に配った夏祭りのうちわの代金が適法的に処理されていなかった問題と、別の政治家が職務権限の行使に関連して便宜を供与したと見られる業者から酒食の接待と数百万円の現金を受け取った事案は、その犯罪性や重大性において相当に重みの違う事件であるはずなのだが、新聞紙上では「政治とカネ」という同じ見出しの下にまとめられてしまうことになる。
・もうひとつ、別次元の問題として、この言葉は、「政治家がカネにかかわること」それ自体をタブー視する本末転倒の政治観を普及させる意味で、困った副作用を発揮している。
・政治は、もともとカネと縁の深いものだ。 あるいは、政治とは、カネの使いみち(予算)とカネの集め方(徴税)についての合意形成の過程だといっても良い。 政治とカネは、魚と水のような、切っても切れない、表裏一体の存在であり、カネは、政治という運動を支えるガソリンでもあれば排気ガスでもある。
・とすれば、「政治とカネ」という、この誤解を招きやすいフレーズを、マスメディアの記者が安易に使うことには、問題があると言わざるを得ない。
・カネを集め、カネを使う力量と胆力を持ち、カネの効用とカネの副作用についての実効的な知識を身につけ、カネと権力を正しく運用できる能力を備えている人間でなければ、頼りになる政治家とは言えない。
・その意味で、政治家にとってタブーなのは、不透明な資金に手を出したり、不適切なカネの力で他人をコントロールしようとすることなのであって、カネに触れることそのものは、むしろ政治家の本務と考えなければならない。
・料理人が汚れた手で板場に立つことは、強くいましめられなければならないが、かといって、板前が食材に触れることそのものをタブーにしてしまったら、料理は成立しない。
・政治とカネにまつわる事件を報じる時には、「贈収賄疑惑」 「政治資金問題」 「寄付金疑惑」 「二重帳簿問題」 「後援会の旅行費についての不正報告疑惑」と、いちいち個別の事案ごとに、そのケースにふさわしい見出しをひとつずつ考えて、それぞれにふさわしい言葉で報道するのが本当だと思う。
・ところが、キャスター氏は 「次は、永田町に衝撃、新たな政治とカネの疑惑、です」と、いともあっさりとキャッチフレーズを連呼しにかかる。
・キャッチフレーズとして一丁上がりになってしまった言葉は、メディアとその受け手の双方に、条件反射をもたらす。
・「ベル」→「エサ」→「よだれ」という一連の行動が反復されるうちに、いつしか、「エサ」の部分を飛び超えて、「ベル」から直接「よだれ」を誘発するに至る回路が形成される過程と同じように、「政治とカネ」というレッテルが、内容の如何にかかわらず、いきなり「アウト」の判定を呼び寄せる粗雑な図式が出来上がる。
・と、ニュース原稿は単純化され、Qシートはフローチャートみたいになる。 「政治とカネ」だけではない。 政治報道の現場、あるいは床屋政談の掲示板では、この種の常套句が猛威をふるっている。 「永田町の論理」 「五十五年体制」 「護送船団方式」 「民間では考えられない」 「対案を出せ」 「既得権益層」 「抵抗勢力」 「決められない政治」 「ねじれ解消」 「責任政党」 「ブーメラン」  「ダブスタ」 「工作員」 「ポジショントーク」 といったこれらの用語も、おそらく、使われはじめた当初は、それぞれに独自の意味を備えていたはずだ。
・それが、対敵破壊工作用語としての衝撃力を評価され、考え無しに繰り出される「レッテル」として多用されるようになると、最終的には、思考停止を促すマジックワードとして流通することになる。
・ついでに言えば「レッテル」という言葉自体、最も典型的な「レッテル」だし、「思考停止」というワードそのものも、見事な「思考停止ワード」になっている。ことほどさように、政治の言葉は、繰り返し連呼するうちに鈍器に似たものに変化する。というよりも、言葉を相手を殴るための鈍器として使用するタイプのコミュニケーション作法を、われわれが政治と呼んでいるということに過ぎないのかもしれないわけだが、これはまた別の話になるので、ここでは深く追及しない。
・さて、今回の甘利明経済再生担当相のケースは、「政治とカネ」というタグでまとめられるエピソードの中で、近来では最もたちの悪い事件だ。 単なる政治資金疑惑ではない。 帳簿上の記載ミスだとか、税務当局との解釈の違いだとか、パーティー券の計算間違いだとか、そういう話ではない。
・「週刊文春」の記事を読む限りでは、あからさまな贈収賄疑獄であり、目に余る悪辣なタカリ行為だ。 金額も大きい。証拠もはっきりしている。 謝礼金以外に使わせた接待の額も少なくない。犯情も劣悪だ。どこからどう見ても平成に入ってからの政治家の資金スキャンダルでは、最も悪質な重大案件だと思う。
・逃げ道はほぼ塞がれていた。 告発した業者は、実名を明かして、自らが贈賄側として罪に問われるリスクをあえて犯しながら、疑惑の告発に踏み切っている。つまり、それだけの覚悟を持っているということだ。  物証も揃っていた。
・記事に書いてある通りだとすると、告発側は、手渡した現金についての一枚一枚の写真と、現金供与の現場の録音を持っている。さらに、これらとは別に「週刊文春」の取材陣は、現金授受の瞬間をカメラにおさめている。
・見る限り、最初から到底逃げきれるとは思えなかった。 二十世紀までの常識だったら、これだけの材料を並べ立てた形で贈賄疑惑を報じられたら、大臣の首は、3日もつながっていなかったはずだ。その先には議員辞職が待っている。つまり、甘利経済再生相の事件は、それほどの大事件だということだ。
・ところが甘利大臣は、疑惑発覚からほぼ一週間、自身の進退についてはっきりと述べなかった。 信じられない対応だと思う。 少なくとも昭和の常識からは到底考えられない厚顔さだ。
・さらに驚くべきなのは、安倍晋三首相が、27日午前の参議院代表質問で、甘利経済再生相について 「速やかに必要な調査を行い、自ら説明責任を果たしたうえで、経済再生、TPP(環太平洋経済連携協定)をはじめとする重要な職務に引き続き邁進してもらいたい」 と答弁していることだ(こちら)。
・つまり、安倍首相は、これだけはっきりした証拠が挙がっている報道を受けてもなお、司直による裁きが下るまでは、甘利大臣の職責を防衛するつもりでいたのだ。 開いた口がふさがらない。
・この甘利大臣への異様に甘い処遇は、第2次安倍内閣において、松島みどり法務大臣がうちわ配布問題の責任を取って辞任し、小渕優子経済産業大臣が、後援会員の観劇費用が政治資金収支報告書に未記載であった問題を受けて辞任した件との比較からしても、著しくバランスを欠いている。
・それだけ、甘利経済再生相が安倍政権にとって欠くことのできない重要な閣僚だということなのかもしれないが、重要閣僚であればこそ、それだけ責任が大きいという見方もできるはずで、ともあれ、今回の対応は、国民を舐めていると見られても仕方がない。
・一時は、首相ならびに甘利大臣が、このまま正面突破で何事もなかったかのように続投し続けるのかと思わされたほどだ。 どっちにしても、ことここに至るまで大臣の職に拘泥していた姿は、とんでもない態度だと申し上げねばならない。
・この「とんでもなさ」は、実は、政権側だけの問題ではない。 私自身は、どちらかといえば、「とんでもない」のは、メディアとその受け手であるわたくしども一般国民の側なのかもしれない、と思い始めている。
・どういうことなのかというと、われわれが、この種の疑惑に食傷しているということが、問題の根本なのであって、甘利さんと安倍さんの異様な強気は、そこのところを見透かした上で「これなら行けるんじゃないか」と考えた末であったのかもしれない、ということだ。
・私たちは、政治家の素行に対して鈍感になっている。
・甘利大臣やその周辺の人々が、疑惑を告発した人物について漏らしていた「その筋の人らしいね」(菅義偉官房長官) 「罠を仕掛けられた感がある」(高村正彦自民党副総裁) 「先方は最初から隠し録音をし、写真を撮ることを目的とした人たち」(甘利大臣)といった言葉が、いずれも論点をはぐらかす物言いでしかないことは、おそらく、普通の新聞読者にははっきりとわかっていることだ。
・が、それでもなお、多くの人々は、この種の疑惑の出現にうんざりしている。で、このことが、報道への冷淡さを生んでいるのだと思う。
・別の見方もある。 もしかすると、疑惑は疑惑として憂慮していても、それ以上に深い政治不信が疑惑の追及をためらわせているのかもしれない。
・どういうことなのかというと、具体的には 「そりゃ賄賂はマズいんだろうけど、じゃあ、後任は誰にやらせるんだ?」 「これで政権が倒れるんだとして、その次に出てくる政権が現状以下だったら最悪ってことにならないか?」 「カネに汚い大臣なんだとしても、まるっきり何もできないデクノボーよりはマシかもしれないしなあ」 と思っている国民が多かったということだ。
・安倍政権に不満があるのだとして、問題は、それを倒した後にやってくるであろう民主党政権に期待を持てないことだ。現政権より悪い政権がやってくることが分かっているのだとしたら、誰が政権を拒否しようと思うだろうか。
・そんな状況下で民主党は、この27日に 《民主党は嫌いだけど、民主主義は守りたい。 そんなあなたへ。すぐに信じなくてもいい。  野党として、止める役割をやらせてください。》 という文字オンリーのポスターを発表した。
・なんでも、参院選向けのポスターなのだそうだ。 正直な話、大変にがっかりした。 こんな、斜に構えた中学二年生がどうせ振られる予防線コミコミで同級生の女子を口説いてるみたいなからっきし意気地のないコピーで、いったい彼らは何を有権者に訴えようとしているのだろうか。
・安倍政権暴走へのブレーキ役以外にろくに期待されていないのが事実で、みごとなばかりに支持されていないのだとしても、この自虐はありえない。
・これだけの敵失の中でさえ、自信を持って自分たちの政策を訴えることをためらう政党に、いったい誰が何を期待するというのだろう。
・甘利大臣にはようやく辞任していただけた。 民主党には、ポスターの白紙撤回をお願いしたい。 なんなら白紙でも良い。白旗みたいだけど。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/012800029/?P=1

高橋洋一氏の記事は、さすがにこの分野を担当していただけあって、説得力十分である。「役員出向は民主党政権になってお墨付きを得たもので、国家公務員のまま出向という位置づけだから、「天下りではない」との屁理屈」には恐れ入った。それを認めた民主党も情けない限りだ。国家公務員制度改革基本法案で当初は、イギリスのように政治家と官僚の接触禁止を盛り込んでいたが、禁止せずに接触の記録を作成、保存し、公開することとなったらしい。当初案通りになっていれば、情報収集や法律立案を官僚に丸投げしていた政治家は、自らこれらの不得手なことをせざるを得なくなり、日本の政治には大変革が生じていた筈であり、通らなかったことは誠に残念である。また、安部内閣が閣議決定の「政・官の在り方」で、『官僚が「対応が極めて困難なもの」と思わなければ、報告不要となって、記録作成から漏れてしまう』という抜け穴を認めたことも初めて知ったが、こうしたことを報じないマスコミの罪も深い。
利権の塊ともいえるURの民営化は、上記のように「一石四鳥の政策」である以上、これを機に民営化論が再び高まってほしいものだ。
小田嶋隆氏の指摘は、いつもながら鋭く考えさせられる。「政治とカネ」などの常套句が、「思考停止を促すマジックワードとして流通」といのも困った現象だ。甘利大臣の当初の反応は、「少なくとも昭和の常識からは到底考えられない厚顔さだ」、安部首相も含めた「とんでもなさ」は、政権側だけの問題ではない、『「とんでもない」のは、メディアとその受け手であるわたくしども一般国民の側なのかもしれない』。 『深い政治不信が疑惑の追及をためらわせているのかもしれない』などは、考えさせられる指摘だ。これだけの大きな「敵失」を生かせない民主党も、まずは小田嶋氏の言う通り情けないポスターを白紙撤回するべきなのかも知れない。
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