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甘利前大臣事件(その4)甘利前大臣の「退き際」と郷原氏が指摘する事件の本質 [国内政治]

甘利前大臣事件については、2月3日に取上げたが、今日は (その4)甘利前大臣の「退き際」と郷原氏が指摘する事件の本質 である。

先ずは、2月3日付けの溜池通信(かんべえの不規則発言)を紹介しよう。
・先週末に発表された世論調査で、いずれも安倍内閣の支持率が上昇したことが驚きをもって受け止められています。「閣僚が辞任したのに、内閣支持率が上がるなんて、そういうことってアリなのか?」
 ●共同通信(1/30-31)53.7%←49.4%(12/25-26)
 ●読売新聞(1/30-31)56%←54%(1/8-10)
 ●毎日新聞(1/30-31)51%←43%(12/5-6)
・それはきっと甘利明大臣の辞任が、日本人が大好きな「痩せ我慢の美学」に殉じていたからだと思います。辞任表明の記者会見のことを「私の晴れ舞台ですから」と言っていたそうですから、ご本人としては望み通りの展開だったことと思います。邪推しますと、たぶんこんな気分だったんでしょう。 「3年間にわたってアベノミクスの司令塔となって、TPP交渉もまとめあげたこの私が、たかだか50万円を受け取ったくらいのことで辞めていくんですよ。それというのも、安倍首相を守るためなんですっ!」
・しかも明日2月4日には、ニュージーランドでTPP署名式があるという晴れがましい瞬間があるのに、それも諦めちゃうわけですから。いやあ、なんてカッコいい。大嫌いなフロマン通商代表と堅い握手を交わす、なんて感動的な瞬間を放棄しちゃうんですから。それもこれも、「秘書の監督責任」「閣僚の責務」「政治家としての矜持」が理由なんです。これが男の美学でなくてなんなんでしょう。あたしゃ「泣いた赤鬼」というおとぎ話を思い出してしまいましたよ。 (とはいうものの、大臣室でカネを受け取るなんていうのは信じがたいルーズさでした。大臣室なんて、出入りしている人は当然チェックされているし、下手すりゃ警察庁が盗聴していると思うんですけどねえ)
・ということで、あまりにもカッコいい「甘利さんの辞任劇」を見て、安倍内閣の支持率が上がるのはむしろ当然ではないかと思うのです。(以下省略)

次に、頻繁に引用している東京地検特捜部検事出身で弁護士の郷原信郎氏が、2月5日付けの同氏のブログに掲載した「「甘利(前)大臣問題」と「遠藤大臣問題」の”決定的な違い”」を紹介したい。
・2月4日の毎日新聞朝刊で、遠藤利明オリンピック・パラリンピック担当相が、英語の授業で日本人教師を補佐する外国語指導助手(ALT)を派遣する会社の創業者から献金を受け、文部科学省にALT派遣事業の予算化を働きかけたと報じられたが、甘利明氏が、URへの「口利き」と大臣室での金銭受領等の問題で大臣辞任に追い込まれた問題が追及されているタイミングだったことから、“安倍政権の閣僚の新たな「政治とカネ」の問題”として両者が関連づけられかねない状況だった。
・しかし、毎日新聞の記事を見る限り、遠藤大臣の問題は、甘利前大臣の問題とは全く性格が異なる。
・決定的な違いは、後者が、URという国が全額出資する特殊法人の事業に関して発生した補償の問題に関して、特定の企業の利益を図る「口利き(あっせん)」を行い、秘書及び大臣自身が利益の提供を得た疑いであるのに対して、前者は、ALT派遣に対して国費を投入することによって利益を得る可能性のある企業の経営者から政治献金を受けていたという問題だということである。
・甘利元大臣の問題は、政治家や秘書が、URの民営化等の政策を議論し、多数決によって決定する立場にある国会議員たる政治家が、それによる影響力を利用して、本来介入すべきではないURの「事業遂行」に介入して利益を図った疑いであり、あっせん利得禁止法違反の疑いに加え、不正な職務行為の「あっせん」であれば、あっせん収賄という刑法犯にも該当し得る問題である。(⇒【甘利問題、検察が捜査着手を躊躇する理由はない】参照)問題とされているのは、秘書がそのような「口利き」の対価の疑いがある金品の授受を行い、それに大臣も関わっていた疑いがあることで、政治家としての資質そのものが問われているのである。
・それに対して、遠藤大臣の問題は、国会議員の本来の職務である政策実現に関して、それが利益となる特定の業界や企業から政治献金を受けていたという問題であり、政治献金が政治資金収支報告書で公開され透明化されていれば、それ自体は何の問題もない。問題になり得るとすれば、ALTという政策自体に何らかの問題があるのに、問題点をことさらに無視したとか、他の政策で同様の目的が実現できるのに無視するなど、政策実現のやり方に問題があり、そのようなやり方が、政策実現によって利益を得る企業等からの政治献金を受けていることに影響されている疑いがある場合である。
・両者を、「政治とカネ」の問題として同列に扱うことは、甘利前大臣問題を追及する意味を稀薄化させることになりかねない。
・甘利氏が、大臣辞任を表明した会見で説明した内容に関して、多くの問題点と疑問を指摘する週刊文春の続報【 甘利大臣辞任スクープ すべての疑問に答える】(2月11日号)が出た日の朝刊で、遠藤大臣に関する記事が新聞で報じられたことは、甘利前大臣問題のさらなる追及に対して、攻撃の矛先をかわす効果すら生じかねないものであった(毎日新聞にそのような意図があったとは思えないが)。
・かかる観点からすれば、同日の衆議院予算委員会で、遠藤大臣の問題が取り上げられたものの、基本的には事実確認にとどまり、遠藤大臣も、英語教育の充実のための政策として、ALT事業の予算化に向けての活動を続けてきたことを適切に説明し、この問題が拡大の兆しを見せていないことは幸いであったと言えよう。
・「政治とカネ」の問題に関しては、「政策実現と政治献金との対価性」、「政治資金の透明性」「赤字企業、外国企業、補助金受交付企業など政治献金を行う主体の制限の問題(「企業・団体献金の禁止」もその延長上にある)」など様々な問題が交錯する。甘利前大臣の問題は、そのような「政治とカネ」の問題とは性格を異にする、「犯罪」そのものが疑われる問題だ。
・この時期に遠藤大臣問題が報じられたことで、むしろ、甘利前大臣問題が、そのような一般的な「政治とカネ」問題とは全く次元の異なる悪質な問題であることを再認識すべきであろう。これを契機に、引き続き甘利前大臣の問題の真相解明を行っていく必要がある。
 https://nobuogohara.wordpress.com/2016/02/05/%e3%80%8c%e7%94%98%e5%88%a9%ef%bc%88%e5%89%8d%ef%bc%89%e5%a4%a7%e8%87%a3%e5%95%8f%e9%a1%8c%e3%80%8d%e3%81%a8%e3%80%8c%e9%81%a0%e8%97%a4%e5%a4%a7%e8%87%a3%e5%95%8f%e9%a1%8c%e3%80%8d%e3%81%ae/ 

内閣支持率上昇の一因に「甘利明大臣の辞任が、日本人が大好きな「痩せ我慢の美学」に殉じていたからだ」とのかんべえ氏の指摘は、その当否は別としてなるほどと納得させられる。しかし、辞任の理由が、「「秘書の監督責任」「閣僚の責務」「政治家としての矜持」」などと甘利氏が表向き挙げているものに留まり、郷原氏が指摘するような裏面にある犯罪的行為には触れてないのが気になる。そのように問題の本質を隠蔽して、「痩せ我慢の美学」に殉ずるカッコよさだけを見せて、甘利氏が辞任したのであれば、大した役者だ。ただ、甘利氏にそこまでの「芸」が出来るとは思えず、結果的にそうなったと見るべきだろう。
郷原信郎氏が両問題を「政治とカネ」という言葉でひとくくりにすべきでなく、甘利問題ははるかに深刻、悪質との指摘は、いつもながらポイントを的確に突いていると思う。
それにしても、最近の報道は、甘利問題はそっちのけで、北朝鮮ミサイル問題、台湾南部地震、さらには、本来どうでもいいような「清原覚せい剤事件」の報道、一色である。過去の人で誰もがクリーンとは思っていない清原の事件は、「やはりそうか」と思わせただけで、意外性など全くないゴミよようなニュースだ。北朝鮮ミサイル問題も後日取上げる予定だが、どうも「騒ぎ過ぎ」という印象を受ける。こうした目を逸らせるような問題が相次いだ甘利氏は、やはり「強運」の持ち主なのではという気さえしてくる。
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