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中東情勢(その3) クルド人とは、シリア内戦の全貌 [世界情勢]

中東情勢については、2月28日に取上げたが、今日は (その3) クルド人とは、シリア内戦の全貌 である。

先ずは、ドイツ在住のコラムニストの川口マーン惠美氏が2月26日付け現代ビジネスに寄稿した「ゼロからわかる「クルド人」の謎~いま地上でISと戦っているのは彼らです」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽「サイクス・ピコ協定」が生んだ中東の混乱
・イラクのサダム・フセイン大統領がまだ生きていたころ、彼が少数民族クルド人の集落を爆撃したり、化学兵器で攻撃したりしてしているというニュースがドイツでよく流れた。
・報道内容の信憑性はともかく、クルド人とイラク政府との確執が深いことは確かだ。当然のことながら、戦闘の歴史も長い。しかし、しょっちゅう殺戮が行われているにしては、クルド人が絶滅しそうだという話は聞かず、ふと、クルド人というのは実はたくさんいるのではないかと思ったことを覚えている。
・後で知ったところによると、本当にクルド族は少数民族ではなかった。その数、2500万から3000万人だそうだ。台湾やオーストラリアの人口より多い。スイスやイスラエルに比べると3倍以上にもなる。そして、現在、最高にこんがらがっているシリア内戦の鍵を握っているのが、実はそのクルド人なのである。
・もともとクルド人は、クルディスタンにいた。文字通り「クルド人の国」という意味だそうだ。場所は、現在のトルコ、イラク、イラン、シリア、アルメニアに跨がる地域だが、当時はすべてオスマン帝国の領地だった。つまりクルディスタンは、巨大なオスマン帝国の中にすっぽり収まっていたのである。
・しかし、1916年、イギリスとフランスは、「サイクス・ピコ協定」という秘密協定を結んで、中東の分割を画策した。もちろん、植民地支配圏と、石油利権の温存のためだ。
・第一次世界大戦でボロボロになったオスマン帝国は、そのまま衰退し、そのあとにトルコ共和国ができる。そして、英仏のシナリオ通り、往年のオスマン帝国は分割され、次々にレバノン、シリア、イラク、クウェートなどが出来て、英仏の管理下に入った。同時にクルド人の国も、トルコ、イラク、イラン、シリア、アルメニアの5ヵ国に引き裂かれ、今に至っている。
・無理やり分割された中東は、そのあとにさまざまな問題を残す。なかでも一番大きなものが、パレスチナ問題とクルド問題だ。以来、パレスチナ人とクルド人は、ずっと自治・独立のために戦い続けてきた。 ただ、日本では、パレスチナについて知っている人はいても、クルドのことはほとんど知られていない。
▽ISと戦っているのは実はクルド人だけだった?
・ドイツにはクルド人がたくさんいる。その数、50万から80万人と言われている。 なぜ、こんなに幅があるかというと、クルド人はそれぞれの国籍で把握されているため、正確な数字が出せないのだ。しかし、彼らはあくまでも自分達はクルド人だと思っているため、「何人ですか?」と聞くと、必ず「クルド人だ」と答える。
・現在、ドイツに怒涛のように入ってくる難民のなかにもクルド人が多い。彼らは今でも、トルコやイラクなどで「政治的に抑圧された人々」という扱いとなっているため、政治亡命者として認められるケースが比較的高いからだ。
・とはいえ、一口にクルド人といっても、内実は複雑極まりない。この100年、異なった国で生活しているうちに、文化も生活習慣も宗教も異なった発展をしてしまった。皆が仲良しというわけでもない。それぞれの目標や理念は、似ているようでまったく違う。
・クルド人組織のなかでいちばん強大なのは、①イラクの「ペシュメルガ」。 クルド人組織は、皆、ISと戦っているが、ペシュメルガが一番の効果を上げている。それもそのはず、自分たちで地上戦など展開できないEUがペシュメルガに武器を提供し、代わりに戦わせているからだ(ドイツは武器だけでなく現地で兵隊の養成も行っている)。 ペシュメルガは今や、高性能の軍備と25万の兵力を有する堂々たる軍隊。しかも、EUがお墨付きを与えた"良い"軍隊である。
・一方、②トルコの「クルドPKK(クルディスタン労働者党)」は30年来、トルコ政府を相手に戦ってきた政党で、実はトルコでは禁止政治組織、EUと米国ではテロ組織として認定されている。 現在、PKKの司令部は隣国イラクの北部にあり、彼らもまた、IS相手に戦っている。ただ、トルコ政府にしてみれば、現在、このPKKも敵だ。シリアのアサド政権もISも敵だから、とてもややこしい。
・また、③シリアの「クルドYPG(クルド人民防衛隊・PYD党の武装部門)」というのも、ISとの戦いにおいて力をつけてきている。しかも、トルコ政府にとってまずいことに、YPGはPKKと近い。
・①のペシュメルガと②のPKK、③のYPGは、基本的に仲が悪いが、しかし、必要とあらば、ところどころの戦線では協力もする。いずれにしても、しっかりとイラクやシリアの地上でISと戦っているのは、現在、彼らクルド人だけというのが実情のようだ。
・そのクルド勢力が何かのきっかけで互いに協調したりすれば、トルコ政府にとってこれほど恐ろしいことはない。いや、イラクにとってもEUにとっても面倒なことになる。 EUやドイツがペシュメルガに提供している武器も、難なくPKKやYPGの手に渡るだろう。そうなれば、トルコはEUという同盟国の武器で攻撃されることになる。
・EUはそういう綱渡りを承知で、ペシュメルガに武器を提供しているのである。トルコ軍の空爆の目標が、今ではISよりも PKKに変わってしまったのは、それほど不思議なことではないだろう。
▽難民問題の「ヨーロッパレベルでの解決」
・このように誰が敵だか味方だかわからない複雑な状況下において、EUは、難民問題の解決にトルコ政府の協力を得ようとしている。
・旗振り役はメルケル首相だ。 EUの多くの国は、難民の受け入れ人数を絞り始めた。ところが、メルケル首相だけは、人数制限を頑として拒否している。人道に反するからだそうだ。 ただ、難民をどうにかして減らさなければならない事情はドイツも同じだ。そこでメルケル首相は、中東難民のハブ国となってしまっているトルコに頼んで、そこから難民がEUに出ないよう図ってもらおうと期待している。これをメルケル氏は、難民問題の「ヨーロッパレベルでの解決」と呼ぶ。
・もっとも私にはこの計画は、EU(とくにドイツ)が手を汚さぬよう、トルコを買収して、EU国境防衛の汚れ役を引き受けてもらうというアイデア以外の何物にも見えない。その代償として、EUからトルコへの資金援助や、トルコ人のEU入国ビザの緩和などが俎上に乗っている。
・ただ、トルコ側にも条件がある。EUがトルコの協力を得たいなら、まずはクルド人組織への軍事援助をやめなければならない。EUは、トルコと同盟を組むのか、クルド人と同盟を組むのか、旗幟鮮明にしろということだ。トルコにしてみれば、当然の要求だろう。
・ところがドイツメディアはそれを、エルドアン大統領が難民を武器にしてEUを恐喝しているとか、血塗られたオスマン帝国の復活だとか、激しく非難している。 エルドアン大統領がイスラム教を重視していること、また現在、報道規制を強めているのも事実だが、だからといってそれを一流のメディアが「ならず者」呼ばわりするのは行き過ぎではないか。 それに、そういう意味ではもっと桁違いの「ならず者」であるはずのサウジアラビアや中国と、ドイツは仲良く付き合っているではないか。なぜ、彼らはならず者ではないのだろう。
▽日本も「対岸の火事」では済まされない
・ちなみに日本には、500人から600人のクルド人がいるという。そのほとんどが、埼玉県の蕨市と川口市に住んでいる。自称"ワラビスタン"だ。 その多くは90年代のはじめ、トルコやシリアなどから難民として流れてきた。ただ、正式に在留を認められている人は少ないらしい。
・この地域には、その他の外国人も急増しており、各種の問題が持ち上がっている。日本でも、難民、外国人、経済移民問題は、思ったよりも早く深刻化するかもしれない。 EUという対岸で起こっている火事を真剣に観察し、受け入れ態勢や必要な法律を早めに整えておかなければ、あとあと大変なことになる。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48028

次に、立命館大学教授/SOASロンドン中東研究所研究員の末近浩太氏が3月25日付け現代ビジネスに寄稿した「これでわかる!「シリア内戦」の全貌〜そして「イスラーム国」が台頭した 絶望が世界を覆い尽くす前に」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・「21世紀最大の人道危機」と言われるシリア「内戦」――。 2011年の「アラブの春」の一環として始まったこの紛争も今年の3月で丸5年を迎え、既に総人口約2100万人の半数以上が国内外への避難を余儀なくされ、27万とも47万とも推計される人びとが命を落としている。
・「内戦」の泥沼化、そして、あらゆる「普遍的価値」を蹂躙する過激派組織「イスラーム国(IS)」の出現。今日のシリアには、「アラブの春」後の中東の「絶望」を象徴する終末的風景が広がっている。
・シリアでは、なぜ「アラブの春」が「内戦」になってしまったのか。その「内戦」は、なぜ泥沼化したのか。なぜISは生まれたのか。そして、シリアはどこに向かおうとしているのか。
▽民主化運動から革命闘争へ
・シリアは、1946年のフランスの植民地支配から独立後、宗教に基づかない近代西洋的な国民国家を範とする国造りが行われた。
・現在のアサド政権の成立は、1970~71年に起こったクーデタにまでさかのぼる。2000年に「先代」ハーフィズの後を襲うかたちで次男のバッシャールが大統領に就任し、実に40年以上にわたってアサド一家による独裁政治が続いていた。市民の不満は、軍や治安部隊、秘密警察によって監視・抑圧されていた。
・こうしたなか、2011年3月、「アラブの春」がシリアにも飛び火した。チュニジアとエジプトでの政変を受けて、シリアでもアサド政権に対して市民が政治改革を要求する声を上げたのである。
・これに対して、アサド政権は憲法改正など一定の政治改革を行うこと市民の声に応えようとした。しかし、市民による民主化運動が全国規模へと拡大していくなかで、軍・治安部隊を用いてこれを激しく弾圧した。 弾圧を受けた民主化運動のなかから、やがて武器を取る者が現れるようになった。革命闘争の開始である。これを象徴したのが、2011年9月の「自由シリア軍」の結成であり、その後も各地で無数の武装組織が生まれていった。
・その一方で、民主化運動からは多くの市民が離脱していった。市民のほとんどは、当然のことながら、戦闘の訓練など受けておらず、また、自分の命を危険に晒すほどの覚悟を持っていなかったからである。
・その結果、シリアにおける「アラブの春」の民主化運動は、アサド政権の軍事的な打倒を目指す革命闘争へと変質した。「アラブの春」の民主化運動に特有の「緩さ」――政治信条の違いや老若男女問わず、誰でも参加できる巨大な運動としての力――は失われ、一部の血気盛んな人びとによるアサド政権に対する軍事行動が目立つようになった。こうして、シリアは「内戦」へと突入していった。
▽国外からの武器流入
・しかし、アサド政権は倒れなかった。ここで注目すべきは、軍の役割である。 シリアの政権軍、とりわけ精鋭部隊は、アサド大統領の親族や側近に率いられた「家産化された軍」であった。すなわち、政権が革命の危機に瀕したとき、その防衛のために市民に躊躇なく銃口を向けられる私兵部隊と化していた。これは、国家と国民の利益を考慮して最終的に大統領を見捨てたエジプトの「制度化された軍」とは対象的であった。
・だとすれば、軍事力で優る政権軍が反体制諸派を圧倒することで「内戦」は早々に決着がつくはずだった。しかし、実際には、反体制諸派はアサド政権に対する攻勢を強めていった。 なぜ、反体制諸派は政権軍と対峙し続けられたのか。それは、次の3つのプレイヤーが、シリア国外から武器や資金を提供したからであった。
・第1に、米国、欧州連合、トルコ、サウジアラビアなどの湾岸産油国である。これらの諸国は、独裁者であるアサド大統領の退陣を求め、反体制諸派をシリアの「正式な代表」として政治的・軍事的に支持した。
・第2に、シリア国外で活動してきた反体制派の諸組織である。彼らは、アサド政権の反体制派に対する弾圧や取り締まりを逃れて、数十年にわたって欧州や中東の各国で細々と活動してきた。「アラブの春」は、祖国への帰還と政権奪取のための千載一遇のチャンスであり、国内で蜂起した反体制諸派を支援した。
・第3に、過激なイスラーム主義者である。彼らは、独裁政治と社会の「脱イスラーム化」を行ってきた「不義の体制」であるアサド政権を打倒するために、世界中からシリア国内の反体制諸派に合流していった。
・この3つのプレイヤーはそれぞれ異なる背景やイデオロギーを有しながらも、「アサド政権の打倒」で奇妙な一致を見せ、シリア国内の反体制諸派の勢力拡大を後押ししたのである。
▽代理戦争としてのシリア「内戦」
・反体制諸派の攻勢に伴い、アサド政権側の損害も大きくなっていった。 こうしたなか、国際政治において欧米諸国の影響力拡大を嫌うロシアと中国、また、中東政治でサウジアラビアと競合関係にあるイランが、それぞれアサド政権への支援を強めた。さらには、レバノンのイスラーム主義組織・政党ヒズブッラー(ヒズボラ)が、アサド政権側で「内戦」に参戦した。
・こうして、シリアでの「内戦」は国際的な代理戦争の様相を呈することになった。「内戦」にカギ括弧がつけられているのは、シリア国内で自己完結しない「国際化した国内紛争」という意味が込められている。
・つまり、国際政治では欧米と露中、中東政治ではサウジアラビアとイラン、そして、国内政治では反体制諸派とアサド政権という三層構造の対立図式が完成したのである。
・その結果、シリア「内戦」の解決はいっそう困難なものとなり、戦局は膠着状態へと陥った。その最たる象徴が、2013年8月末の首都ダマスカス郊外での化学兵器の使用事件に対する米国や英国の不干渉の決断であった。
▽破綻国家に寄生したIS
・長期化する「内戦」で消耗したアサド政権と反体制諸派の間の「漁夫の利」を得るかたちで急速に台頭したのが、「イスラーム国(IS)」であった。
・「内戦」による混乱と破壊は、シリアをいわゆる破綻国家の淵へと追いやっていった。中央政府による統治や国民としての一体感が失われていくなかで、国内外から参戦した過激なイスラーム主義者たちの存在感が増していった。当初は「助っ人」であったはずの彼らは、反体制諸派の戦闘能力や組織規模を徐々に凌駕するようになった。
・そして、その一部の組織が、破綻国家となったシリアの領土の一部を実効支配するようになり、2014年6月、同国北東部の街ラッカを「首都」とする「国家」の建国を宣言したのである。
・ISの前身は、2003年のイラク戦争後に結成された「イラクのアル=カーイダ」である。同組織は、イラク領内で「異教徒」の軍勢である米軍と「背教者」の政府である新政権に対する武装闘争を繰り返したが、戦後復興が進んでいくなかで徐々に衰退していった。 彼らを結果的に救ったのが、隣国シリアの「内戦」であった。ISは、破綻国家となったシリアという新たな宿主を見つけ、そこに寄生し資金、武器、人員を獲得することで蘇生したのである。
▽ISが提示する「歪んだ希望」
・なぜ、中東の内外からISに合流する者が後を絶たないのか。 そこには、ISが、豊富な資金を駆使した巧みなリクルートを行っていることの他に、混迷の色を深める「アラブの春」後の中東において、新たな秩序の青写真を見せることに成功している点が挙げられる。
・その新たな秩序とは、彼らが理想とする「イスラーム国家」の建設であり、現行の国民国家とはまったく異なる統治の原理(イスラーム法による統治)と領域の設定(超領域的な国家建設)を特徴とする。
・ISは、自由、人権、民主主義、さらには「世界遺産」といった現代世界における「普遍的価値」をグロテスクなまでに否定することで、その新たな秩序の「新規性」をアピールしている。
・こうした過激主義は、平時であれば多くの人びとに支持されることはないだろう。しかし、現実にはISへの支持者や参加者は増え続けている。それは、「アラブの春」後の中東が政治的混乱していることだけではなく、「民主主義」や「市民の力」が政治や社会の諸問題を解決する力を失ってしまったことの証なのかもしれない。
・ここで考えなくてはならないのは、今日の世界において、政治的な混乱は中東に限ったことではない、という事実である。混乱と呼ぶほどではなくとも、差別や貧困などの社会問題が深刻化している国や地域は無数にある。
・しかし、かつての冷戦期のように、これらの諸問題の解決を約束してくれる強力なイデオロギーも、「壁の向こう側」のユートピアも、もはや存在しない。 ISが提示する新たな秩序は、実際にはそれがディストピア(注)であったとしても、いや、むしろ徹底したディストピアであるからこそ、民主主義、自由主義、資本主義の三位一体が席巻した今日の世界に対するアンチテーゼとしての魅力あるいは「魔力」を醸し出すことに成功している。それが、中東だけではなく、世界の各地から共感者や参加者を獲得し続けている理由の1つであろう。
(注)ディストピア(dystopia)はユートピア(理想郷)の正反対の社会
・だとすれば、ISが提示する新たな秩序は、「アラブの春」後の中東で生まれた「絶望」だけでなく、「壁の向こう側」がなくなった冷戦後の世界に沈潜してきた「絶望」から生まれた「歪んだ希望」と見ることもできる。
▽三つ巴の戦いが生み出した停滞と変化
・ISの台頭は、シリア「内戦」の三層構造の対立図式に停滞と変化の両方をもたらした。 停滞としては、アサド政権と反体制諸派にISを加えた「三つ巴」の複雑な戦局を生み出したことで、「内戦」解決のシナリオをいっそう混乱させた。
・国際社会にとっての脅威はアサド政権ではなくISである、という認識が急速に広がったことで、アサド大統領の退陣を既定路線とする欧米諸国主導の取り組みが難しくなったのである。アサド政権は、ISに対峙する自らを「対テロ戦争」の最前線を担うものとして正当化するチャンスを得ることとなった。
・他方、変化としては、ISを共通の敵とする「三つ巴」の戦いの対立図式が顕在化したことで、結果的にアサド政権と反体制諸派、そしてそれぞれを支持するプレイヤーたちの間のデタント(雪解け)の兆しを生んだ。  特にアサド政権の存続を消極的に承認した、ないしはISとの戦いでの利用価値を見いだした欧米諸国は、それまでの反体制諸派への一辺倒な肩入れを見直し始めた。
・この変化を象徴したのが、2014年8月に発動された米国主導の「有志連合」によるISをターゲットにした軍事介入であり、2015年7月のイランの核開発疑惑をめぐる同国と米国を筆頭とする6ヵ国との間の「包括的合同行動計画」の合意であったと見ることができよう。
▽ジュネーヴ・プロセスとは何か
・シリア「内戦」は一体、どのように解決されるべきなのか。実は、「内戦」開始から約1年後の2012年6月、関係各国が参加したジュネーヴでの国際会議が開かれた時点で、その大枠はつくられていた。
・その大枠を一言で言えば、「内戦」は、特定の勢力の軍事的な勝利ではなく、シリアの「国民的対話プロセス」を通して政治的に解決するべきである、というものであった。シリア人の、シリア人による、シリア人のための和平へのプロセスと言い換えてもよいであろう。
・この大枠に基づく「内戦」解決に向けた営みは「ジュネーヴ・プロセス」と呼ばれ、2014年2月(ジュネーヴ2)、2016年1月(ジュネーヴ3)と2度にわたって国際会議が開かれてきた。しかし、国連安保理常任理事国5カ国を含む関係各国による交渉はいずれも物別れに終わり、その結果、シリア国内での戦闘は続いた。
・なぜ、ジュネーヴ・プロセスの交渉は決裂を繰り返したのか。
・第1に、アサド大統領の処遇が争点化したことあった。シリア人主導の政治的解決にアサド大統領自身が含まれるかどうかについて、プレイヤー間で意見の相違が見られるのは道理であった。
・第2に、政治的交渉を有利に進めるために軍事的な優勢を確保したいという様々なプレイヤーの思惑があった。誰もが相手の喉元に刃を突きつけた有利な状態で話し合いを始めたかったのである。
・第3に、反体制諸派の足並みの乱れがあった。彼らには、国内組と海外組の拠点の違い、世俗主義とイスラーム主義というイデオロギーの違い、民主化運動と革命闘争という目的の違い、政治的解決と軍事的解決という手段の違い――少なくとも4つの変数によるバリエーションがあった。 しかも、外国人戦闘員の大量流入や政治的・軍事的環境の変化によって、日々、様々な組織が離合集散を繰り返すような状況にあった。
▽ゲームチェンジャーとしてのロシア
・ここまで見てきたように、シリア「内戦」は軍事的にも政治的にも膠着が続いてきたが、2015年9月末、それを破るゲームチェンジャーが現れた。ロシアが、アサド政権の正式要請を受けるかたちで、シリアへの大規模な軍事介入を開始したのである。
・軍事介入は「対テロ戦争」の名目で進められ、ターゲットはISやアル=カーイダ系のヌスラ戦線に限定するとされた。しかし、実際には、欧米諸国が支援してきた反体制諸派の拠点も空爆の対象にされ、ロシア軍の圧倒的な火力による航空支援を受けたアサド政権の部隊は「失地」を次々に回復していった。
・これに対して、欧米諸国をはじめとする反体制諸派の支援国は打つ手を欠き、ロシアの行動を事実上黙認した。その背景には、2015年春頃から深刻化した世界的なテロリズムの拡散と難民・移民の急増があった。
・特にその影響を強く受けた欧州は、シリア「内戦」の泥沼化に歯止めをかける何らかの手立てを必要としていた。ロシアは、その欧州の「弱み」を突くかたちで、アサド政権への直接的な軍事支援を敢行したのである。
・ロシアの参戦による軍事的な均衡の崩壊は、政治的な均衡をも揺るがすこととなった。2015年11月、ジュネーヴ・プロセスのてこ入れのためにウィーンで国際会議が開かれた。 この会議では、米国、ロシア、欧州と中東の各国からなる「国際シリア支援グループ(International Syria Support Group、ISSG)」が結成され、アサド政権と反体制諸派の間の「国民的対話プロセス」のためのテーブルの準備が本格化した。
・この会議は、それまで大きな争点となっていたアサド大統領の処遇についての言及がほとんどなかったという点で画期的なものとなった。言い換えれば、反体制諸派を支援してきたプレイヤーたちがアサド政権に対して一定の妥協を見せたのである。
▽「内戦」の終わりの始まり?
・ウィーンで始まったこの取り組みは、2016年2月22日、米国のケリー国務長官とロシアのラブロフ外相の間で交わされた2週間の停戦合意として1つの実を結んだ。アサド政権と反体制諸派との間の砲声が5年ぶりに鳴り止んだ。また、3月14日には、ジュネーヴで中断していた国際会議での交渉が再開された(ジュネーヴ3)。
・しかし、ジュネーヴ・プロセスの枠組みに含まれないISやヌスラ戦線といった「テロ組織」は戦闘を継続しており、また、アサド政権による「対テロ戦争」の名の下での軍事作戦も展開中である。
・実は、この「対テロ戦争」の問題が、今後の「内戦」解決に向けた取り組みにおける1つの焦点となる。交渉では、もはやジュネーヴ・プロセスを停滞させてきたアサド大統領の処遇をめぐる問題は後景に退き、むしろ反体制諸派の処遇、つまり交渉のテーブルに着くべき組織の取捨選別が課題となっている。
・ISやヌスラ戦線が「テロ組織」と認定される一方で、アル=カーイダとのつながりを持つとされるシャーム自由人イスラーム運動やイスラーム軍といった複数の組織が反体制諸派の交渉主体の一部として名を連ねている。アサド政権はこれらを「テロ組織」として排除することを求めているが、他方、反体制諸派を支持してきたサウジアラビアは交渉への参加に固執している。
・この問題をさらに複雑にしているのは、これらのいわば「グレーな組織」が今や反体制諸派のあいだで軍事的にも政治的にも大きな影響力を持っていることである。つまり、「グレーな組織」はアル=カーイダとつながっているかもしれないが、それを排除したときに反体制諸派は交渉主体として成立し続けられなくなるかもしれない。ジレンマである。
・このように、ジュネーヴ・プロセスにはいくつかの大きな課題があり、交渉の行方は未だ不透明なままである。一方で、一時的とはいえ、停戦が発効したことは「内戦」解決に向けたマイルストーンとして評価できよう。
・シリアで起こっているのは国内外のプレイヤーが関与することで国際化した「内戦」であり、国内政治、中東政治、国際政治の三層にわたる対立や憎悪を再生産している。
・また、その「内戦」の泥沼化が、ISという鬼子を生み、さらには、難民・移民やテロリズムの世界的な拡散をもたらすことで、世界各地で治安の悪化や排外主義の台頭の原因となっている。 そのため、シリアにとっても、世界にとっても、シリア「内戦」の一刻も早い解決が求められている。「絶望」が世界を覆い尽くす前に。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48257

川口マーン惠美氏が指摘するように、クルド族は少数民族ではなく、2500万から3000万人もいるというのは、大きな存在だ。今年は「サイクス・ピコ協定」からちょうど100年、英仏の秘密協定による人為的な国境策定が、とんでもない悲劇をもたらしたものだ。難民問題の「ヨーロッパレベルでの解決」とは、「トルコを買収して、EU国境防衛の汚れ役を引き受けてもらう」ことで、そのためのトルコ支援の他に、トルコのEU加盟まで材料に使っているようだ。日本にも「ワラビスタン」500~600人が住んでいる、とは初めて知った。
末近浩太氏が指摘するように、「アラブの春」はとんでもない後遺症を残したものだ。アサド政権の軍が「家産化された軍」、も初めて知った。反体制派に3つのプレイヤーが存在し、「内戦」が「国際的な代理戦争」となり、「三層構造の対立図式」があったなかで、衰退しつつあったISが「破綻国家となったシリアという新たな宿主を見つけ、そこに寄生し資金、武器、人員を獲得することで蘇生した」、何たる複雑に絡み合った図式なのだろう。しかも、ロシアが、欧州の「弱み」につけ込んで、「ゲームチェンジャー」としておいしい思いをしているようだ。いずれにしても、「「内戦」の泥沼化が、ISという鬼子を生み、さらには、難民・移民やテロリズムの世界的な拡散をもたらすことで、世界各地で治安の悪化や排外主義の台頭の原因となっている」、のであれば、「「内戦」の一刻も早い解決が求められている」のは当然だが、その具体的イメージが残念ながら浮かばないのが現実である。なお、末近氏の記事ではクルド人についての言及がないのが残念だ。
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