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教育(その3)戦後教育の変遷 [社会]

教育については、3月12日に取上げた。政治家は教育問題が「大好き」で、その「改革」には心血を注ぐようだ。そこで今日は、(その3)戦後教育の変遷 を取上げたい。

やや旧聞に属するが、1月9日付けNHK2CH「戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 未来への選択(5)教育」のポイントを紹介しよう(▽は私が勝手につけた小見出し)
・戦後、中学校まで無償となった義務教育。高度経済成長を支えたが、1980年代以降、“詰め込み教育”が批判され、臨教審の提言を受けた文部省は、“ゆとり教育”へと転換。しかし、学力の低下を危惧する声が高まり、政策は見直された。その間、公教育予算の対GDP比は下がり、教育格差が問題化。あまねく平等な教育を、と始まった戦後教育。その歩みを、文部官僚、教師などの証言をもとに見つめる。
▽戦後
・戦前の教科書の墨塗りから始まった。戦前は書き込みをすると、怒られたので、生徒は「気持ち悪かった」。1946にアメリカ教育使節団は、「教育を政府が政治的に縛ってはならない、自由主義の光を与えるのが教師の仕事」。
・憲法26条で義務教育無償化。1947に新制中学スタートしたが、校舎建設費は地元負担で、負担に耐えかね自殺した町村長も。同年に教育基本法、目的に人格の完成、個人の価値を貴ぶ。48に教育委員会制度。地方分権、学習指導要領は、拘束力を持たず試案として1つの基準。型通りにやるのであれば教師は機械に過ぎず。修身、歴史、地理は停止、社会科を新設。
・山形県で「山びこ学校」開いた無着成恭氏は、「教育は公共のもの。子供が自己表現をして自分を育てていくという根源的な自発性を大事に」と指摘。
▽自由から管理へ
・56、地方教育行政法で教育委員は公選制から任命制に。57、勤務評定、日教組は激しく抵抗したが、定着。学力低下批判(子供中心主義、体験学習は「ごっこ」)。これを受け、系統的に教える必要性が強調。基礎学力重視。58、指導要領に法的拘束力を持たせ、全国均一の教育を保障。
・60年代の高度成長期には、経済成長を支える労働力の役割に脚光。「金の卵」、集団就職。職業家庭の教科書には、農村版、家庭版、都会版(簿記、金融と保険の仕組みも)。尾鷲地域では6割が就職。財界は理工系大学拡充を提言。経済審で井深、土光、中山が中心に「経済発展における人的能力開発の課題と対策」。”経済発展をリードするエリートの役割”が謳われた。東大を頂点とする学校の序列化が進み、小学生から進学教育。高校進学率は44%(1950)→82%(1970)。
・68にはGNP世界2位。69の指導要領改定で、理数重視、「新幹線授業」、生徒の半数落ちこぼれに。中学校は進路指導に注力。「学習したくない者を無視しなければならない部分もあった」。70年代後半、生徒と教師に溝(抑え込もうとする教師に、生徒反発)。80に尾鷲中学で11人の教師への暴行事件。教師が聖職と呼ばれ誰からも信頼され、教師の言うことに子供たちは一から十まで聞く時代から、子供たちの方もちょっと待てよ、そうじゃないこともあるんじゃないかと変わってきた時代かも知れない。全国各地で行内暴力頻発。学校は校則強化などの対策。中一少年、いじめ自殺。行内暴力、登校拒否、いじめが注目。朝日の調査では、義務教育が悪くなったが55%。
▽中曽根内閣の教育改革
・82、臨教審が戦後教育の総決算として抜本的見直しを提言。ただ、学校に競争原理を導入、教育にも「選択の自由」をとの香山健一らが主張。なかには、義務教育廃止、塾だけでいいとの極論も(中曽根も塾を視察)。日教組をはじめ教育現場が強く反発。有田第三部会長は、「これまでの先生の努力を無にするとして、自由化はまずい。規制廃止ではなく、「柔軟化」「弾力化」に」として、最終答申では自由化は弱まり、個性重視の原則、創造性・考える力・表現力の育成を謳う。
・98に指導要領改定、教える内容3割削減した「ゆとり教育」。生きる力、自ら学び自ら考える力を重視。文科省寺脇課長「今までのやり方の制度疲労が出ている。画一的詰め込みは歴史的役割を終えた」。
・中学理科では遺伝の規則性をやらず、中学地理では2つ、又は3つの国で可。小学校算数の円周率は3でも可。最低限のところでは誰でも100点取れるように。算数を好きにさせるより、嫌いにさせない。嫌いになったら、そのあと自発的に学ばなくなってしまうので、やっぱり算数は面白いということをやってゆく。自分で円周を測ってみると凡そ3になることが分ってゆく中で、厳密には3.14になる。それには手間がかかるので、教える内容が減るのは仕方がない。目玉は「総合的な学習の時間」、教科の枠にとらわれず、体験重視、各学校に任された。
▽ゆとり教育批判とその後
・忙し過ぎて十分な時間が取れない83%、子供のためになってない89%。教育社会学者の苅谷剛彦氏は、「予算、人員などきちんとした条件整備や、研修など新しいことを沢山やらなければならないのに、準備なしに全国一斉にやろうとした」 「良いと思うことは何でも取り入れたがるが、社会がどれだけ合意を持ってお金を出すかが重要なのに、そこの議論が巻き起こらない。教育のことをお金で語るといけないみたいな感じがある」。
・マスコミで「「分数が出きない大学生」私立トップ校で2割」。産業界からもゆとり教育に、「学力低下がモノづくりの基盤を掘り崩す」と強い批判。2002文科省「学びのすすめ」で「確かな学力の向上」のなかで、3割も減らす必要があったのか、理数は教えるべき分野が増えていると指摘。
・2006教育基本法改正(伝統と文化尊重し、我が国と郷土を愛することが新たな目標に。義務教育の目標(個人の能力を伸ばしつつ、社会において自立的に生きる力を培い、また国家、社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養う)。
・2008指導要領改訂で、教科時間増やし、総合的学習時間削減。寺脇は07退官、大学で教鞭。「文科省が断固とした姿勢を示せなかったことに混乱の原因」。苅谷氏は「学校外での勉強の時間が1979-97で大幅減。母親の職業・学歴による格差も拡大。勉強離れが起こっているところに、ゆとり教育が格差を拡大、恵まれていない家庭の子供にシワ寄せ」 「ゆとり教育や総合的学習の時間は理想主義だから、それに燃えてアクセル。それが進むと、世代をまたがって不平等が伝達され、再生産される時代になってしまう」と指摘。
・平成に入って300万近くの子供たちが中途退学。その子たちが日本の貧困層(親にもなれない単身)を作り上げてゆく。学校は全ての子供たちに平等に教育を与えるので、経済的に貧しい子供たちに特別に(補習)教育するようなことは想定外。
・おととし閣議決定した「子供の貧困対策に関する大綱」では、生活困窮世帯への学習支援をNPOや自治体と連携して行い、学校を貧困の連鎖を断ち切るプラットフォームと位置づけ。文科省は、スクール・ソーシャルワーカーなど福祉の専門家を学校に加えることで、学校全体の機能強化を図る。リタイア世代の活用も。
▽まとめ
・学習指導要領は揺れ動いてきた。苅谷剛彦氏は「知識と考える力 両方必要なのは当たり前。知識のない考える力なんてあり得ない。考える力は知識をどう使うか。知識のインプット方法自体も暗記が必要な時だってあるし、強制的にたくさんのものを読まされることによって出来ることもある。知識と考える力は相関的な関係にあるわけで、対立しているわけでは全くない。二分法でみてゆくと、闇の方は限りなく黒く暗く見え、理想がまばゆ過ぎてしまうコントラストによって、見えなくなっている事柄の方が大事」 「今の教育がどっちに向かってゆくのか。もしかすると、また同じように僕が関った90年代の終わりから2000年代初頭のゆとり教育と似たことが、大学入試改革とか、アクティブ・ラーニングと言われている改革とか、言葉は変っているけれども、そういうところで出てくる理想主義と現実をちゃんと突き詰めていかないと、格差の問題に歯止めをかけたり、そのことを通じてちゃんと人と人々が雇用を確保し、一定の生活を維持するのは難しいでしょう。教育はその基盤、大きなインフラストラクチャーなので、どうやって維持していくのか難しいところに来ていると思います」、と指摘。
・尾鷲中学校では、アクティブ・ラーニングを5年前から取り入れ、グループに分けて出来る生徒が説明。教える方は知識が定着、教えられる方もわかり易い。不登校は1/4に減った。

以上は、私のメモなので正確性は保証の限りではないが、その時々の政治家や「学識経験者」らが、教育現場の現実を度外視して、「理想主義」に走った結果の政策のブレ、混迷が如実に描かれていた。中曽根内閣時代の臨教審で、「教育にも「選択の自由」を」との新自由主義的改革が、ギリギリのところで回避されたのはよかったが、代わりに出てきたのが「ゆとり教育」というのでは、情けない限りだ。こうしてみると、教育行政を掌る筈の文科省が、教育現場の現実を理解せず、政策の副作用にも十分な検討をしないまま、政治家の顔色をみて「教育改革」をしてきたところに、大きな問題がありそうだ。苅谷剛彦氏の指摘はオーソドックスで、素人の私にも納得できるものだった。
明日は、道徳教育を取上げる予定である。
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