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教育(その4)道徳教育1(法より道徳が大事か?、「徳」の重視を) [社会]

5月8日に教育(その3)戦後教育の変遷 を取上げた。今日は、教育(その4)道徳教育1(法より道徳が大事か?、「徳」の重視を) である。

先ずは、首都大学東京法学系准教授の木村草太氏が1月26日付け現代ビジネスに寄稿した「これは何かの冗談ですか?  小学校「道徳教育」の驚きの実態 法よりも道徳が大事なの!?」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・今日も大学の法学部では、民法や会社法、労働法に刑法が講じられている。 そこでは、「法とは何か?」、「法の支配は実現できるか?」などと考える必要はない。国会が制定したルールが法だと誰もが思っているし、裁判官や警察官は粛々と法を実現している。「なぜこれが法なのか」などと悩む学生は、よほどの変わり者だろう。
・法学部法律学科の講義では、法の定義も、法の支配も自明なのだ。 ところが、学校に関わる法律問題を考えていると、「法とは何か?」、「本当に法の支配はあるのか?」という問題が深刻さを帯びる。
▽骨折という事故はスルー?
・一例として、少し前からインターネット上で話題になっている道徳教材について検討してみよう。 広島県教育委員会は、「『児童生徒の心に響く教材の活用・開発』研究報告集」として、「心の元気」という教材を作っている。その中に、「組体操 学校行事と関連付けた取組み」という教材がある。小学校5・6年生用の教材で、運動会の組体操での練習のストーリーが題材になっている。(注のリンク省略)
・その主人公、つよし君は、組体操に熱心に取り組み小学校6年生だった。そんな彼が、人間ピラミッドの練習中に事故にあう。 今日は運動会の前日。最後の練習だ。笛の合図でだんだんとピラミッドができあがっていく。二段目、三段目。とうとうぼくの番だ。手と足をいつもの場所に置き(さあ決めてやる)と思ったしゅん間、ぼくの体は安定を失い、床に転げ落ちていた。かたに痛みが走る。
・ぼくはそのまま病院に運ばれた。骨折だった。 ぼくは、目の前がまっ暗になったようで何も考えられなかった。 事故の原因は、わたる君がバランスを崩したことだった。わたる君はごめんと謝るが、つよし君は許すことが出来ない。そんなつよし君に、お母さんが次のように語る。
・「一番つらい思いをしているのは、つよしじゃなくてわたるくんだと思うよ。母さんだって、つよしがあんなにはりきっていたのを知っているから、運動会に出られないのはくやしいし、残念でたまらない。でも、つよしが他の人にけがさせていた方だったらもっとつらい。つよしがわたるくんを許せるのなら、体育祭に出るよりも、もっといい勉強をしたと思うよ」
・つよし君の心に、「今一番つらいのはわたるくん」という言葉が強く残る。そして、「その夜、ぼくは、わたる君に電話しようと受話器をとった」という一文でこの教材は終わる。
・読者の皆さんは、この教材を見てどう思うだろうか。シッカリトシタ学校教育を受けたリョウシキアル方々は、「人の失敗を許すのは大切だ。これを機にクラスの団結力を高めよう」と思うのかもしれない。
・実際、この教材の解説にも、「相手を思いやる気持ちを持って、運動会の組体操を成功に導こう」という道徳目標が示されている。教材の実践報告にも、「この実践後の組体操の練習もさらに真剣に取り組み、練習中の雰囲気もとてもよいものになった」と誇らしげな記述がある。そこには、骨折という事故の重大さは、まるで語られていない。
▽学校は治外法権?
・これが交通事故だったら、運転者は十分に注意をしていたのか、車はきちんと整備されていたのか、道路の整備に不備はなかったのか、など、原因がしっかりと追究されるだろう。そして、原因に対して誰かが責任をとり、そのような事故の再発をいかにして防止するかが議論されるだろう。
・なぜ、学校が舞台になると、「骨折ぐらいは仕方ない。お互いに許して団結しよう」という話になってしまうのだろうか。この教材を見た時、私は、「法とは何なのか」をあらためて真剣に考えなくてはならないと思った。
・法的に見ると、つよし君が参加した組体操は、違法の可能性が高い。 学校は一般に、子どもの安全を確保するために十分な配慮をすべき義務(安全配慮義務)を負う。組み体操を実施するならば、十分な監視者を配置し、バランスを崩した子どもがいないかを丁寧に監視し、危険な場所が見つかれば即座に練習を中止する。それだけの体制を整える必要が学校にはある。これは、下級審ではあるが確定した判決が指摘したことだ。
・一部の子どもがバランスを崩しただけで骨折者がでる、そんな危険な状況で練習をさせたのであれば、学校の安全配慮義務違反が認定される可能性は高い。民事上の問題として考えるなら、学校が損害賠償を請求されれば責任は免れ得ないだろう。
・また、刑事上の問題として考えるなら、注意義務違反によって骨折者が出ているのだから、教員は業務上過失致傷罪に問われてもおかしくない。
・事故が起きれば、原因を追究し、責任者を特定する。責任者の行動が、不法行為や犯罪なら、損害賠償義務が発生し、刑罰が科される。どの国でも、法とはそういうものだ。
・しかし、この教材は、「困難を乗り越え、組体操を成功させる」という学校内道徳の話に終始する。学校内道徳が、法規範の上位にあるのだ。いや、もっと正確に言えば、学校内道徳が絶対にして唯一の価値とされ、もはや法は眼中にない。法の支配が学校には及んでいないようだ。これは治外法権ではないのか。
▽法とは何か?
・「法とは何か」という問いに、たくさんの偉人が頭を悩ませてきた。ちょっと探してみれば、この問いに答えようとする本が山ほど見つかるだろう。哲学的で難しそうなものが多いが、興味のある人は読んでみればいい。
・ただ、今必要な「法とは何か」という問いの答えは、いたってシンプルだ。法の本質は、法と法以外の規範(例えば、道徳や校則、会社規則など)との違いを考えれば分かる。つまり、法の本質は、「普遍的な価値を追求する規範だ」という点にある。
・普遍的な価値とは、どんな人にでも正当性を説明できる価値のことを言う。この世界には、それぞれまったく異なる価値観や思想や意見を持った人々がいる。そうした人々が共存するためには、お互いを尊重し、どんな人に対してもその正当性を説明できるルールが必要になる。
・「どんな人も見捨てない」のが普遍という概念であり、普遍的なルールを生み出そうと思って作られるのが法だ。つまり、「法の支配」とは、支配をするなら普遍的なルールに基づいて行わなくてはならないという理念なのだ。
・法の支配を実現するために考え出されたのが、議会が立法するというシステムだ。王様が勝手に法律を作ったのでは、王様本人やその仲間たちにだけ都合のいいルールが国民に押し付けられる危険が高い。議会のメンバーを国民が選挙で選ぶことにすれば、異なる意見や価値観を持った代表者が集まってくる。そうした多様なメンバーが十分な議論をすれば、多くの人が納得する普遍的な立法がなされる可能性が高まるだろう。
・もっとも、多様なメンバーが集まって議論するだけでは、多数派が力で少数派をねじ伏せ、少数派が迫害される危険もある。 そこで、憲法には、立法の前提ルールとして、特定の宗教と結びついてはならないとか(政教分離)、固有名詞を含む特定の人に向けた命令の形にしてはならない(法律の一般性の要請)といったルールが規定されている。これらも、法が、普遍的な価値を持つようにする工夫である。
▽法以外の規範とはなにか?
・もちろん、法以外の規範がすべて悪いものだ、ということではない。 ただ、法以外の規範の特徴は、「普遍性を持たない」ことにある。つまり、特殊集団のための規範だ。
・道徳は同じ道徳観をもつ人たちの間のルール、校則は学校に通う人たちの間のルール、会社規則は会社に勤める人たちの間のルールだ。特別な集団の中で、独自のルールがあった方が、コミュニケーションがスムーズに進むということはよくある。「みんなで団結してがんばるのが好き」な人が集まって、辛い試練に耐えて頑張るのは、それはそれですばらしいことだろう。
・しかし、内部の人にとっては守るべきルールであっても、その外部にいる人たちには自分たちのルールを押し付けることは許されない。 さらに、「そのルールに従う集団に入るか否かは、当人の自由な意思に委ねなければならない」のが大前提だ。逆に言えば、参加するか否かの自由が保障されない集団では、内部ルールにも普遍性が要求されることになる。
・また、内部ルールはいくらでも自由に定めてよい、というものではない。あくまで法に違反しない範囲で定めなければならない。たとえば、ある会社で、残業手当を払わないという規則があったとしても、それは労働基準法違反で許されない。
▽学校内道徳の何が問題なのか?
・こう考えてくると、学校内道徳を絶対視する態度の何が問題なのかが、よく分かる。 六年生なら中学受験のために根を詰めている子もいるだろう。ピアノの発表会や、サッカークラブの試合など、学外での活動をとても大事に思っている子もいるだろう。もちろん、運動会での晴れ姿を楽しみにしている子もいるだろう。学校に通う子どもたちが大事にしているものは、みんなそれぞれに異なる。しかし、組体操への強制参加は、そんな子どもたちの個性を無視して、全員に骨折の危険を強要することになる。
・もちろん、「嫌いだから」というだけで、学校のカリキュラムをすべて拒否して良いはずはない。ただ、学校が子どもたちに義務付けてよい教育内容には、普遍的な価値が要求される。 そして、教育内容は、その普遍的な価値を実現するのに効果的で、かつ、弊害の生じないものが選ばれなければならない。これを行政法の世界では、「比例原則」とよぶ。
・では、組体操への参加を強制することに、普遍的に説明できる価値はあるのだろうか。また、それは、組体操以外の安全な競技では得られないものなのか。
・組体操は、骨折はもちろん、場合によって死の危険もあるほど危険な競技だ。それを強要するなら、これらの疑問に誠実に答える必要がある。「クラスの団結力を高める」、「困難を努力で乗り越える」という程度の教育目的では、あえて、組体操という危険な競技を選ぶことを正当化することは不可能だろう。
・しかし、今回紹介した道徳教材には、こうした問題意識は微塵も感じられない。その原因は、学校内道徳を絶対的な価値と思い込んでいることにあるだろう。その盲目的な態度は、一般社会であれば当然に思い至るべき疑問を持つこと自体を圧殺してしまう。
▽法学教育の意義
・「道徳」といわれると、多くの人は漠然と「人として良いこと」と考えてしまう。しかし。
・今回紹介した教材は、「学校内道徳が法の支配を排除する」という道徳の授業の危険をとても分かりやすく表現している。あらゆる子どもを受け入れる公教育が公教育であるためには、もっと普遍的な教育こそが必要ではないか。、「道徳」の内容はあまりに曖昧だ。また、法律と違って、誰が作るのかもはっきりしない。このため、「道徳」の授業には、一部の人や集団にしか通用しない規範を、漠然とした圧力で押し付けてしまう危険がある
・以上の議論から得られる私の結論は、至ってシンプルだ。学校では、道徳ではなく、法学の授業に時間を割くべきなのだ。
・組体操事故を教材にするなら、子ども達に、次のような問いを投げかけるべきだ。 「この事故の原因は何だと思いますか?」  「骨折は、その子から、どのような可能性を奪いますか?」  「この事故について、指導をしていた先生は、どのような責任を負うべきですか?」  「学校がいくらの賠償金を払えば、骨折したことに納得できますか?」  「骨折という重大事故にもかかわらず、組体操を中止しない判断は正しい判断ですか?」  「バランスが崩れても、一人もケガをしないようにピラミッドを作ることはできますか?」  「運動会で組体操を行わせることは、適法だと思いますか?」
・こうした問いについて考えれば、それぞれの人が異なる価値観を持っていること、異なる価値の共存のために普遍的なルール作りが必要であることを学ぶことができるだろう。また、実際の民法や刑法が、これらの問題にどんな答えを出しているかを学ぶ機会にもなる。
・こう言うと、「法学の授業が大事なのは分かるが、法学は難しすぎて、道徳の授業と置き換えるのは無理だ」と思う人もいるかもしれない。しかし、法学の基本となる考え方や法律の基本的な内容は、それほど難しいものではない。
・参考書としても、『キヨミズ准教授の法学入門』など、分かりやすくて、面白い本はたくさんある。最近では、社会的活動に関心の高い弁護士さんも増えたから、制度を整えれば、授業に協力してくれる専門家を見つけるのも難しくないだろう。
・法は、人間味のない冷たいものではない。だ。
・法学を学ぶということは、人々の失敗の歴史に学ぶということだ。法には、すべての人の異なる個性を尊重しあいながら共存するための知恵が詰まっている。法は、全ての人を見捨てない。法学に触れて、法の優しさ、暖かさを感じてほしい。
法は、人類の失敗の歴史から生まれたチェックリストだ。憲法は、国家が権力を濫用し、人々を苦しめてきた歴史から、国家の失敗を防ぐ工夫を定めたリスト。民法は、人々の生活の中で生じやすいトラブル集とその解決基準。刑法は、よくある犯罪集とそれへの適正な刑罰の目安を定めたリスト
(著者略歴:木村草太(きむら・そうた)1980 年生まれ。憲法学者。首都大学東京法学系准教授。東京大学法学部卒業。同助手を経て現職)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47434

次に、精神科医の和田秀樹氏が4月26日付け日経Bpnetに寄稿した「熊本地震で確信した道徳教育の本質」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽精神科医として感じてきた震災時の道徳
・熊本地震は、最初にきた地震より大きな本震が28時間後にきたり、大きな余震がずっと続いたりするなど、多くの人の精神状態に相当なダメージを与えるような経過になっている。 実際、私の周囲には、実家が熊本にある人が少なくないのだが、みな余震が怖くて家にいることができないのだという。 エコノミークラス症候群で死者まで出ているわけだが、家に戻ればいいのにと言えないくらいの恐怖感が続いているということだろう。
・九州は、九州大学が日本の心療内科の発祥の地で、西園昌久先生や北山修先生(有名なフォーク・シンガーだが、現在は著名な精神分析学者だ)、神田橋條治先生など、日本を代表する精神分析学者が後進を指導したこともあって、日本の中ではメンタルヘルスが充実している地域であるが、やはり心のケアができる人の絶対数は足りないだろう。さらに、心のケアというと長期のフォローが必要だ。
・前にも問題にしたことだが、震災の負の後遺症が少しでも小さなものであってほしい。 こういうことは当然、精神科医として感じてきたことなのだが、神戸の震災のとき以来、ずっと感じていることがある。 それは、日本人における道徳である。
▽社会的地位の高いものや為政者の「徳」の欠如が深刻な問題に
・今回の地震でも、インターネットを含む、中国メディアは、日本人が震災後も秩序正しい行動をしていたり、ゴミ出しもこれまで通り、整然と行っていたり、外国人観光客を分け隔てなく、救助したことなど、おおむね賞賛の声を上げている(火事場泥棒のことも一部報じられているようだが、おそらく諸外国と比べれば少ないほうだろう)。
・この2、30年間、とくに第2次安倍政権発足後、道徳教育の必要性が声高に訴えられるが、日本人の道徳観というのは、道徳が教科化されていなくても、捨てたものでないということを改めて感じるし、それは誇りに思う。少なくとも危機的状況にあるとき(こういうときのほうが、人間の本性がでやすい)の団結力や助け合いの精神は十分保たれている。
・さて、道徳教育というと「親を大切にしろ」とか「年長者を敬え」などといった人としての道を教えるものと思われがちだが、それは道徳の「道」にあたる部分だろう。 もう一つ大切なのは、「徳」のほうだ。
・道というのは、どちらからというと、一般大衆や国民のあるべき姿を説くもの(もちろん、上に立つものだって道にはずれたことをしてはいけないのだが)だとすれば、徳というのは、上に立つもの、社会的地位の高いものや為政者のあるべき姿を指すものだ。
・実際、東日本大震災のときは、有名な金持ちたちの寄付が相次いだ。100億円(これだってアメリカの成功者の寄付と比べるとかなり小さいのだが)という話があった。 しかし、今回の震災は、一地方のものと思われているせいか、「同じ九州人として」ジャパネットたかたが特別番組を制作して、そこでの売り上げを全額寄付したり、一部のタレントの寄付があったりした程度で、なだたる富豪の寄付の話はほとんど出てこない。
・東日本大震災当時と比べて、株価もはるかに上がり、多くの人の個人資産や企業の内部留保も大幅に増えているというのに、まさに上に立つ者の「徳」のなさにはがっかりさせられる。
▽なぜ安倍首相は現地に直行しないのか
・首相にしても、後述するノブレス・オブリージュの精神から言うと、危険な時期にこそ現地に直行すべきだと思うのだが、余震などを考慮して、現地入りは10日近くたった23日にやっとというありさまだ。
・中国では、旧来の政権を倒して、自らが皇帝になろうとする際に、それは戦で勝ったということより、自分のほうがより徳があるというのを示さないといけない。前の政権が腐敗しているから、その代わりに自分が帝の座につくという体を取っていた。だから為政者のあるべき姿を説く史書がたくさんある。
・キリスト教にしても、イスラム教にしても、成功者を律するルールはかなり厳格だ。 イスラム世界では、金持ちになると、たとえば断食月(ラマダーン)の夜には、来るもの拒まずで食事をふるまわないといけないという。こういう考え方があるから、イスラム世界では、原則的に飢え死には存在しない。 アメリカの金持ちが多額の寄付をするのも、やはり自分だけが欲を貪っていると地獄に落ちるという風に信じている人が少なくないからだという。
▽欧米ではノブレス・オブリージュの考えが浸透
・宗教的なものではないようだが、欧米では「ノブレス・オブリージュ」(高貴な者の義務)の考えが浸透していて、金持ちの多額の寄付だけでなく、上に立つものが、一般の人の規範にならないといけないという考えが、コンセンサスになっている。たとえば、危険な戦争でも、身分の高い家の子供は先陣に立たないといけない。
・この考え方が、一般庶民にも浸透しているので、社会的地位の高い人の徴兵逃れや、金持ちなのに寄付をしない人間とか、あるいは脱税者に対する批判も厳しいものになる。今のアメリカの寄付文化は、キリスト教によるものより、このノブレス・オブリージュに対する厳しい目によるものだという話も聞いたことがある。
・「パナマ文書」が話題になっているが、いくら合法的であっても、国のために払うべき税金を払わないことは卑しいことだと断罪される文化が欧米にはある。だから、多くの権力者が、このリストの流出に戦々恐々としているそうだ。
・これと比べると、日本は、徳のほうの教育がなっていないし、一般庶民にそのような話が行き渡っていない。  金持ちの税金を上げると、金持ちが海外に逃げていくなどというロジックが公然とまかり通る。 脱税者に対しても甘く、脱税で一時的に話題になった有名人はかなりいるが、今でも、社会的な地位が傷つくことがほとんどない。
・おそらくパナマ文書の流出で、日本企業や日本の富裕層の実名が出ても、それほど大きな断罪にはならないだろう。日本でノブレス・オブリージュ的なものというと、有名人や社会的地位の高いものに対する不倫に厳しいくらいではないか?
▽「徳」を教えることが貧困問題や福祉問題の解決につながる
・そういう意味で、日本で、道徳教育をやるとすれば、むしろ徳の教育を進めたほうがいいのではないかという私の思いはますます強まった。 たとえば、その教科書には、アメリカの富豪の資産と総寄付額を載せる。ついでに、日本の富豪についても同じものを載せる(個人情報保護とやらでそれは許されないだろうが)。そうすれば、徳がある人間と、徳がない人間の区別が子供にも一目瞭然となるだろう。
・そこまで過激にできなかったとしても、過去の偉人などで徳のあったと思われる人をきちんと教えていくことで、今の財界人や政治家は徳がないことが実感されるだろう。金があるのに寄付もしないでセレブ生活を自慢するのが恥ずかしいことだという感覚くらいは共有されるはずだ。
・私も寄付をろくにしないので、偉そうなことは言えないが、神戸の震災のときは1年間毎週、東日本の震災から5年間毎月、心のケアのボランティアを現地で続けている。こういう人が、たとえば医者の世界では驚くべきほど少ない。今年から震災遺児に無料で私の経営する通信教育を受けてもらっているが、やれることはやろうという心構えくらいはもっているつもりだ。
・このような感覚が一般に共有されるようになれば、アメリカのように寄付文化が形成されるかもしれない。少なくとも、寄付をしないことが恥ずかしいことだと思われるようになる。それでも寄付をしない厚顔な人間は少なくないのかもしれないが、そういう人を尊敬する人はいなくなるだろう。寄付税制(全財産の99%も寄付するという人が珍しくないように、アメリカの富豪は税金が安くなるから寄付をするわけでない)などよりよほど効果的に貧困問題や福祉問題の解決につながるはずだ。 政治家の行動だって、もう少し徳を目指すようになるだろう。
▽道徳教育の目的は徳のない大人が恥ずかしいと感じる社会を作ること
・内部留保をためこむことが恥ずべきことだという話になれば、もう少し、一般労働者の所得も増えるだろう。 アベノミクスで多少は増えたとはいえ、バブル崩壊以降、欧米では軒並み、賃金が20~30%増えているのに、日本は15%くらい減っているというのも、やはりもうけ過ぎが許されない欧米の「徳」の考え方の影響が大きいのではないか?
・つまり、「徳」の教育がうまくいけば、一般労働者の収入が増える見込みだって、小さくないだろう。 あるいは、高齢になったり、失業したりしても、寄付の基金によって飢える心配がなくなれば、日本人の貯金癖だってましになるかもしれない。
・道はしっかりしているのに、徳がしっかりしていない日本で、本当に必要なのは、徳があるというのはどういうことなのかを子供たちにきちんと教えて、「なりたい」自分をしっかりもってもらい、徳のない大人が恥ずかしいと感じるような社会を作ることだろう。 それが、日本のサバイバルのために本当に役立つ道徳教育だと、今回の熊本地震を通じて、確信するようになった。
http://www.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/306192/042400030/?P=1

組体操については、2月8日に取上げた。広島県教育委員会の「組体操 学校行事と関連付けた取組み」という教材は、単なる「美談」の押し売りで、危険性に関する考察もない驚くべき内容だ。組体操への参加を強制する際の理由としての、「クラスの団結力を高める」、「困難を努力で乗り越える」という「程度の教育目的では、あえて、組体操という危険な競技を選ぶことを正当化することは不可能」との指摘は的確だ。また、『「道徳」の内容はあまりに曖昧だ。また、法律と違って、誰が作るのかもはっきりしない。このため、「道徳」の授業には、一部の人や集団にしか通用しない規範を、漠然とした圧力で押し付けてしまう危険がある』もその通りだと思う。『法は、人類の失敗の歴史から生まれたチェックリストだ。憲法は、国家が権力を濫用し、人々を苦しめてきた歴史から、国家の失敗を防ぐ工夫を定めたリスト。民法は、人々の生活の中で生じやすいトラブル集とその解決基準。刑法は、よくある犯罪集とそれへの適正な刑罰の目安を定めたリスト』との指摘には感服した。
和田氏が指摘する「上に立つ者の「徳」のなさにはがっかりさせられる」はその通りだが、「道」についても、一部政治家や企業経営者で踏み外している者が少なくないことも問題だと思う。「道徳教育の目的は徳のない大人が恥ずかしいと感じる社会を作ること」については、それが可能ならばそうすべきだが、日本でノブレス・オブリージュの概念を広めることは不可能に近いと思う。バブル崩壊後の、賃金上昇率の欧米比の低さを「徳の考え方の影響」は筆のすべり過ぎと思われる。
しかし、現実には小学校・中学校での「道徳」教育の位置づけはさらに高められるようだ。Wikipediaの「道徳教育」によれば、『2015年(平成27年)3月27日の学習指導要領の一部改正により、これまで教科外活動(領域)であった小学校・中学校の「道徳」を、「特別の教科 道徳」とし、教科へ格上げした。小学校では2015年度(平成27年度)~2017年度(平成29年度)の移行措置を経て、2018年度(平成30年度)から完全実施され、中学校では2015年度(平成27年度)~2018年度(平成30年度)の移行措置を経て、2019年度(平成31年度)から完全実施』とのことである。
私としては、木村氏が主張する道徳教育に替えて法律の基礎を教えるようにとの提案には、大賛成だが、自民党がこだわってきたものを根底から否定するという意味で、残念ながら現実性には欠けるようだ。
タグ:教育 (その4)道徳教育1(法より道徳が大事か?、「徳」の重視を) 木村草太 現代ビジネス これは何かの冗談ですか?  小学校「道徳教育」の驚きの実態 法よりも道徳が大事なの!? 広島県教育委員会 「『児童生徒の心に響く教材の活用・開発』研究報告集」 「心の元気」 「組体操 学校行事と関連付けた取組み」 運動会の組体操での練習のストーリー 人間ピラミッドの練習中に事故 骨折 教材の解説 誇らしげな記述 骨折という事故の重大さは、まるで語られていない 学校は治外法権? 法的に見ると、つよし君が参加した組体操は、違法の可能性が高い 学校は一般に、子どもの安全を確保するために十分な配慮をすべき義務(安全配慮義務)を負う 損害賠償を請求されれば責任は免れ得ないだろう 教員は業務上過失致傷罪に問われてもおかしくない この教材は、「困難を乗り越え、組体操を成功させる」という学校内道徳の話に終始 学校内道徳が絶対にして唯一の価値とされ、もはや法は眼中にない 法の本質は、「普遍的な価値を追求する規範だ」 憲法には、立法の前提ルールとして、特定の宗教と結びついてはならないとか(政教分離)、固有名詞を含む特定の人に向けた命令の形にしてはならない(法律の一般性の要請)といったルールが規定 法が、普遍的な価値を持つようにする工夫 法以外の規範の特徴は、「普遍性を持たない」ことにある 特殊集団のための規範 参加するか否かの自由が保障されない集団では、内部ルールにも普遍性が要求されることになる 組体操への強制参加は、そんな子どもたちの個性を無視して、全員に骨折の危険を強要 学校が子どもたちに義務付けてよい教育内容には、普遍的な価値が要求される 普遍的な価値を実現するのに効果的で、かつ、弊害の生じないものが選ばれなければならない 「クラスの団結力を高める」、「困難を努力で乗り越える」という程度の教育目的では、あえて、組体操という危険な競技を選ぶことを正当化することは不可能 「道徳」の内容はあまりに曖昧 「道徳」の授業には、一部の人や集団にしか通用しない規範を、漠然とした圧力で押し付けてしまう危険がある 学校では、道徳ではなく、法学の授業に時間を割くべき 法は、人類の失敗の歴史から生まれたチェックリスト 憲法は、国家が権力を濫用し、人々を苦しめてきた歴史から、国家の失敗を防ぐ工夫を定めたリスト 民法は、人々の生活の中で生じやすいトラブル集とその解決基準 刑法は、よくある犯罪集とそれへの適正な刑罰の目安を定めたリスト 和田秀樹 日経BPnet 熊本地震で確信した道徳教育の本質 社会的地位の高いものや為政者の「徳」の欠如が深刻な問題に 道徳教育というと「親を大切にしろ」とか「年長者を敬え」などといった人としての道を教えるものと思われがちだが、それは道徳の「道」にあたる部分 もう一つ大切なのは、「徳」のほうだ 徳というのは、上に立つもの、社会的地位の高いものや為政者のあるべき姿を指すものだ 上に立つ者の「徳」のなさにはがっかりさせられる キリスト教にしても、イスラム教にしても、成功者を律するルールはかなり厳格 欧米ではノブレス・オブリージュの考えが浸透 日本は、徳のほうの教育がなっていないし、一般庶民にそのような話が行き渡っていない 「徳」を教えることが貧困問題や福祉問題の解決につながる 道徳教育の目的は徳のない大人が恥ずかしいと感じる社会を作ること 学習指導要領の一部改正 小学校・中学校の「道徳」を、「特別の教科 道徳」とし、教科へ格上げした
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