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教育(その5)道徳教育2(歴史家からの指摘を無視する道徳教科書) [社会]

道徳教育については、5月11日に取上げたが、今日は、教育(その5)道徳教育2(歴史家からの指摘を無視する道徳教科書) である。

たびたび引用しているコラムニストの小田嶋隆氏が4月8日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「江戸しぐさはなぜ消えない」を紹介しよう。
・「江戸しぐさ」は、消えたものと思っていた。 公式な敗北宣言がリリースされたとか、関係者による謝罪会見が開かれたという話までは聞いていない。が、個人的に、あれはもう終わりだと思い込んでいた。形式上のケジメは別にして、歴史伝承ないしは思想運動としての「江戸しぐさ」普及活動が、その社会的な生命を絶たれた点については、まったく疑っていなかったということだ。
・というのも、あれだけはっきりと証拠を突きつけられた形で歴史の捏造が証明され、ついでに普及の経緯における各方面との癒着までもが明るみに出てきてしまっている以上、これまで通りの活動を続けることは不可能であろうと、かように判断したからだ。
・ちなみに、「江戸しぐさ」のインチキが発覚してから証明されるまでの経緯は、原田実氏の『江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統』(星海社新書)に詳しい。 私は、2014年の8月に本書が出版されるやいなや読んだ。で、読んで得心したからこそ、「江戸しぐさ」には結論が出たと判断して、以来、監視を怠っていた次第だ。
・ところが、「江戸しぐさ」は、どうやら、まだ死んでいなかった。死んでいないどころか、いまだに道徳教材の中で元気に講釈を垂れている。 驚くべきことだ。 というよりも、教育現場の頽廃が、ここまで深く進行していたことに、いまさらながら、言葉を失う。
・何かの間違いで、バカなお話が教科書に採用されてしまうこと自体は、よくあるミスのひとつと考えれば、特段に嘆き悲しむべき出来事ではない。ミスは、気づいた時点で、その都度改めて行けば良い。大切なのは、ミスを犯さない完全さではなくて、ミスを改める柔軟さだからだ。
・が、ミスが発見されてなお、それが改められないのだとすれば、それは単なるミスではない。ミスよりももっと根の深い、教育にとって死に近い何かの現れだ。
・事実関係をめぐる議論は、既に決着している。 前出の原田実氏による『江戸しぐさの正体』および、その続編として出版された『江戸しぐさの終焉』が、最も代表的な仕事だが、原田氏の一連の活動以外にも、この何年かの間に、各種メディア上で「江戸しぐさ」のインチキさ加減に言及した人の数は少なくない。
・一方、「江戸しぐさ」を擁護し、その存在の正しさを立証する目的で書かれた記事は、私の観察範囲の商業誌の中では確認できていない。あるいは、私の知らないメディアで、江戸しぐさの存在を強くアピールする記事が書かれていたのかもしれないが、だとしても、その記事がたいして話題になっていないことはたしかだろう。
・要するに、「江戸しぐさ」は、この5年ほどの間に、徹底的かつ全面的にその存在を否定されたのである。  にもかかわらず、小中学校では、いまだにその「江戸しぐさ」を教材としてに、道徳が論じられ、日本の敬うべき伝統が語られ、江戸商人の真心の美しさが喧伝されている。
・そもそも、ありもしなかったエピソードを粉飾して偽史を捏造するような人々が、子供たちに向けて何を教えるというのだろうか。
・道徳、あるいは真心だろうか。 それとも、教室で学ぶ子供たちが身に付けるべき学習態度を、彼らは教えているつもりでいるのだろうか。
・つまり、アレか? 文部科学省が道徳教材を通して子供たちに推奨している最も根本的な市民意識は、ウソつきの教える歴史を教えられた通りに信奉する鵜呑みしぐさだということなのか?
・文科省は、いまのところ「江戸しぐさ」を教材から外す考えを持っていないようだ。 この記事の後半部分に、記者が文科省の教育課程課の担当者に取材した時の模様が一問一答の形で記載されている。 以下、引用する。
――江戸しぐさには批判も強い。なんでわざわざ取り上げるのでしょうか?
担当係長「時と場をわきまえて、礼儀ただしく真心をもって接することを考える教材として取り上げています」
――江戸しぐさ自体が創作物だという批判がありますが。
「批判があることは知っていますが、今回の改訂では教材に追加する部分を議論しています。基本的に、既存部分はそれまでと変えていません」
――教材を読むと、江戸しぐさそのものが事実であるとしか読めないように描かれています。批判があることを知っているなら、このような書き方をすべきではないのでは?
「道徳の教材は江戸しぐさの真偽を教えるものではない。正しいか間違っているかではなく、礼儀について考えてもらうのが趣旨だ」
――見直すべきではないでしょうか?
「既存の部分は見直す必要がないと判断している」
――事実でない教材で、礼節を教えるのは根本的にダメなのではないでしょうか。
「繰り返しになるが、道徳の時間は江戸しぐさの真偽を教える時間ではない」
・なんというのか、あまりにも典型的すぎて、論評の言葉が見つからない。 これほどまでにティピカルな官僚答弁に対して、同じようにティピカルな官僚批判の原稿を書いたら、こっちの文章が腐ってしまう。 なので、ここは一番、お役人の行動形態を活写した文献として名高い「いぬしぐさ」の中から、該当しそうな項目を捜してみることにする。
・と、おお、「傘隠れ」というのがピッタリだ。以下に紹介する。 傘隠れ(かさがくれ) 所属機関の権威の傘の下におのれの存在を同一化し、批判に対して知らぬ顔を決め込む様子
・思うに、文科省のお役人にとって、「江戸しぐさ」が事実であろうがなかろうが、そんなことはどうでも良いのだろう。 彼らにとって大切なのは、教材のネタとして採用されたエピソードの真偽ではなくて、それが教科書に載ることになった経緯であり、その経緯の背景にある力関係であり、その「江戸しぐさを教科書に押し込んだ勢力」が自分たちの地位と将来に及ぼすかもしれない不穏な影響力なのである。
・あるいは、もう少しわかりやすく言えば、「江戸しぐさ」がインチキであろうがウソであろうが、それを採用させるに至った勢力が死んでいない以上、文科省としては、「江戸しぐさ」を退場させるわけにはいかないということだ。なぜなら、彼らが奉仕しているのは、歴史の真実に対してではなくて、教育現場に対して影響力を行使する人々の威圧に対してだからだ。
・では、はじめから存在さえしていなかった偽史である「江戸しぐさ」を、道徳教材として文科省に売り込み、公共広告機構の名においてテレビ各局に配信される啓発PR広告のネタに推薦し、地下鉄のマナー広告に採用すべく運動したのは、いったいどのような「勢力」だったのであろうか。
・これについては、特定の人物の名前を挙げるよりは、より曖昧な言い方で、「日本の過去を美化しようとする風潮」を犯人として名指しした方が話の通りが良いだろう。
・ちなみに「江戸しぐさ」とワンセットで教育現場に推薦されることの多い「親学」(おやがく)の普及と推進を目指している「親学推進議員連盟」の会長は安倍晋三氏であり、「親学推進議連」のメンバーの多くは、「日本会議」ならびに「神道政治連盟」にも登録している。ということは……というこの順序でこのまま話を進めると、典型的な陰謀論が出来上がってしまってよろしくない。
・なので、これ以上の言及は控える。 腕の良いコラムニストは書かない。彼はただほのめかす。 腕の良いコラムニストは、アタマの良い圧力団体と同じく行間で物を言う方法を知っているからだ。  ともあれ、これまでのところではっきり言えるのは、文科省の助言に従って伝承としての「江戸しぐさ」そのものの真偽を別にして議論するのだとしても、「江戸しぐさ」が伝えようとしている「礼儀」なり「真心」なりといった「道徳」が、つまるところ、復古的な伝統に基づく思想であり、昨今話題になっている「古き良き日本」を取り戻そうとする流れと無縁ではあり得ないということだ。
・官庁は、変わりにくい場所だ。 仮にお役所のやっていることに何らかの間違いが発見されたのだとしても、間違いが間違いであることを指摘しただけでは、その間違いを改める理由としては承認されない。 間違いを改めるためには、間違いが採用される以前の時点に遡って、間違いを採用してしまった人間の責任を追及し、間違いに基いて業務を遂行していた人々の罪を指摘せねばならない。
・であるからして、その種の自己否定を伴う作業は、始まった瞬間に、ほかならぬ作業の当事者によって葬り去られることになる。 誰も使わないOHPシートがいまだに納入され続けていることも、PTAに関わるほとんどすべての人々がその作業の煩雑さに辟易しているベルマーク分類作業がいまだに学校のカレンダーから消去されていないことも、毎年のように不幸な負傷者を生み出している組体操が巨大な抗議の声にもかかわらず今年も全国各地で披露され続けていることも、甲子園の高校球児の服装規定が戦前の軍事教練の伝統を固守しつつ一向に改められずにいることも、根は同じだ。  学校のような場所で、一度走りだしてしまった伝統は、たとえどんなに滑稽な姿を晒すことになっても簡単には改められない。なぜなら、官僚にとって、改めることは、自分たちの過去および現在を否定することで、とすれば、彼らが自分の地位を防衛しようとする限りにおいて、その地位の別名でもあれば保障でもある彼らの業務は決して改められないからだ。
・「江戸しぐさ」の中で掲げられている項目のひとつひとつを読み取る限りでは、特に問題となる記述は見当たらない。 ただ、全体として「江戸しぐさ」の中で展開されている人間観を考えてみると、ここで語られている「しぐさ」が、「道徳」というよりは、定められた規矩からはみ出さないことを至上の心得とする身分制度下の「処世訓」であることに気づかざるを得ない。昨今、居酒屋のトイレだとかに貼ってある人生訓カレンダーみたいなものだ。
・あれは、「道徳」ではない。 もっと娑婆くさい、なんたら十訓的な「説教」の類と見るべきだろう。 さらに言えば、江戸商人の処世道徳であったという触れ込みで捏造された「江戸しぐさ」の精神の底流には、「武士は武士らしく」「商人は商人らしく」「使用人は使用人らしく」「丁稚は丁稚らしく」「娘は娘らしく」「母親は母親らしく」「貧乏人は貧乏人らしく」「農民は農民らしく」というふうに「身分」と「立場」を意識しつつ、常にその場その場での「分をわきまえる」ことを民衆に求めた封建社会の統治意識が濃厚に漂っている。要するに、これの「作者」ならびに後援者たちは、子供たちに、「慎み深さ」と「遠慮」を学習させることを望んでいたのだと思う。
・「江戸しぐさ」は、文科省の担当者がうっかりとその真相を物語っていた通り「真偽を教えることよりも、礼儀について考えてもらうこと」を重視する流れの中で採用されている教材だ。 ということは、真偽の点でウソであっても、その精神において礼儀をアピールするものである以上、教材としては有効だというお話になる。
・奇妙な話だ。 百歩譲って、「出発としてウソであっても結果として正しく機能しているのであればOKだ」というこの考え方が、お役人の職業倫理としてアリなのかもしれないということは、半分ぐらい認めても良い。
・しかし、これは、子供に教えて良い「道徳」だろうか。 私はそうは思わない。 子供にご都合主義を教えることで、一体誰が得をするのだ? 長いものに巻かれることがこの国の市民意識の伝統なのだということが、仮に、7割方までは真実であるのだとしても、子供に教える道徳が、「ウソでも有効なら信じておこうぜ」では、学問は死滅せざるを得ない。
・私はアカデミズムの人間ではないが、架空の江戸商人が語る国民総丁稚化教育みたいな運動に甘い顔をするつもりはない。「江戸しぐさ」には、さっさと退場してほしいと思っている。
・最後に、さきほど紹介した「いぬしぐさ」の中に、下っ端役人を恫喝する行政官の様々な手練手管のひとつとして、「ふところこぶし」というワザの解説があるので、ご紹介しておく。参考にしてほしい。
・ふところこぶし(ふところこぶし) 後ろ暗い任務をもたらす上役が、柔和な表情とは裏腹に、懐(ふところ)や袂(たもと)の中で拳(こぶし)を握りながら指示することで実行役の下級役人を恫喝するマナー。ふところこぶしをチラつかせながらの司令は、しくじった場合の切腹を暗示するとも言われ、当時の官僚にとっては恐怖の的だった。ちなみに、一度出された布告なり訓令を引っ込めるためには、誰かが腹を切らねばならず、ために、腹を切りたくない役人が多数派を占める部署では、内容を読み取ることさえ困難な中世以来の式目の類が永続的に効力を発揮したと言われる。
・ちなみに、「いぬしぐさ」に関する文献は、その伝承者たる影の官吏集団が虐殺されたため、散逸している。筆者は聞いた噂を受け売りにしているだけなので、真偽を追究して責めるようなことはやめた方が良いと思う。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/040700039/?P=1

なんということだろう。「江戸しぐさ」については、この記事で初めて知った。「教育現場に対して影響力を行使する人々の威圧」が、「日本の過去を美化しようとする風潮」からもたらされ、その1つに安倍晋三氏を会長とする「親学推進議員連盟」があると知ると、文教族議員たちの恐ろしいまでのアナクロニズムには慄然とさせられる。為政者にとっては、都合がよい「長いものには巻かれること」などが道徳教科書にあるようでは、イノベーティブな社会など実現する筈もない。使われないOHPシートがいまだに納入されているなど、文科省の旧態依然たる態度には改めて絶望するほかない。
明日、金曜日は更新を休むので、土曜日にご期待を!
タグ:ふところこぶし 官庁は、変わりにくい場所 子供に教える道徳が、「ウソでも有効なら信じておこうぜ」では、学問は死滅せざるを得ない ありもしなかったエピソードを粉飾して偽史を捏造するような人々が、子供たちに向けて何を教えるというのだろうか 小田嶋隆 (その5)道徳教育2(歴史家からの指摘を無視する道徳教科書) 歴史伝承ないしは思想運動としての「江戸しぐさ」普及活動が、その社会的な生命を絶たれた 「身分」と「立場」を意識しつつ、常にその場その場での「分をわきまえる」ことを民衆に求めた封建社会の統治意識が濃厚に漂っている 江戸しぐさはなぜ消えない 教育にとって死に近い何かの現れだ 教育現場の頽廃が、ここまで深く進行していたことに、いまさらながら、言葉を失う 教育 会長は安倍晋三氏 親学推進議連 お役人の行動形態を活写した文献 原田実 いぬしぐさ あれだけはっきりと証拠を突きつけられた形で歴史の捏造が証明され、ついでに普及の経緯における各方面との癒着までもが明るみに出てきてしまっている 誰も使わないOHPシートがいまだに納入され続けていることも 江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統 日経ビジネスオンライン 傘隠れ いまだに道徳教材の中で元気に講釈を垂れている 所属機関の権威の傘の下におのれの存在を同一化し、批判に対して知らぬ顔を決め込む様子 親学 日本の過去を美化しようとする風潮 教育現場に対して影響力を行使する人々の威圧
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