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中東情勢(その5)トルコのクーデター騒動

中東情勢については3月29日に取上げたが、今日は、(その5)トルコのクーデター騒動 である。

先ずは、7月19日付け闇株新聞「トルコ・クーデター失敗の影響はどこに出る?」を紹介しよう。
・現地時間7月15日の夜(日本時間16日未明)、トルコ軍の一部勢力が突然ボスポラス海峡にかかる2本の橋とトルコ最大のアタテュルク国際空港を閉鎖し、公営テレビ局も一時占拠して「国の全権を掌握した」との声明を出しました。 トルコ南西部のマルマリスで休暇中だったエルドアン大統領は、すぐさまテレビ局CNNトルコを通じて市民に「街頭に繰り出して軍の反乱に抗議するように」と呼びかけました。多数の市民がそれに応じたのですが反乱軍が市民に発砲したため200人以上の死者と1500人以上の負傷者が出ました。
・空路でイスタンブールに戻ったエルドアン大統領はすぐさま軍の指揮系統を立て直して鎮圧に乗り出し、ほぼ半日のうちに反乱軍はほとんど投降してクーデターは失敗に終わりました。クーデターに関与したとして100名以上の軍幹部、6000人以上の兵士を含む7500人以上が拘束されていますが、その数は時間の経過とともに増えています。
・またエルドアン大統領は多数の判事や警察官を含む9000人もの公務員を解任し(一部は拘束し)、死刑制度復活に言及し、さらに米国在住の宗教指導者・ギュレン師をクーデター「首謀者」として米国に身柄引き渡しを要求しています。 つまり結果的にエルドアン大統領は国内の「反対勢力」を一掃し、ますます権力基盤を強化したことになります。
・ここでクーデターの鉄則とは、最高権力者(ここではエルドアン大統領)の身柄をまず拘束することです。実際に反乱軍はエルドアン大統領が滞在していたマルマリスのホテルを襲撃していますが、エルドアン大統領はとっくに脱出していた後でした。 また同じようにクーデターの鉄則は軍の大半をまとめて結束するか、参加しない部隊を無力化する(すぐに動けないようにする)ことですが、実際には「軍のほんの一部が勝手に動いただけ」にしか見えません。トルコ軍は総勢51万人もいますが、クーデターに関わったとして拘束された軍幹部や兵士は数千人です。
・つまり軍の最高司令官(エルドアン大統領)を拘束せず、たかだか数千人の軍幹部と兵士だけでクーデターを起こせば、すぐに制圧されることは明らかです。つまり全くお粗末なクーデターだったことになります。 この辺からエルドアン大統領の自作自演説まで囁かれています。さすがにそれも無理がありますが、エルドアン大統領が事前に察知していながら素知らぬ顔で対応を進めていた可能性はあります。
・さて今回のクーデターでは米国のオバマ大統領、ドイツのメルケル首相、それに安倍首相まで「トルコの民主的体制を尊重すべき」と早々とエルドアン大統領支持を表明していますが、実はこれは少し説明が要ります。
・もともとトルコは1923年にムスタファ・ケマルがオスマン帝国王家のカリフを追放し、西洋化による近代化を目指すイスラム世界初の世俗国家として建国されました。 つまりトルコはその他のイスラム諸国とは大きく違い、イスラム教と政治が分離されています。そして建国以来その世俗主義を主導しているのがトルコ軍なのです。
・それに対してエルドアン大統領の最大の目的は、トルコを世俗国家から「イスラム国家」につくりかえることです。トルコは人口の99%がイスラム教徒でスンニ派が多数を占めていますが、そのトルコをサウジアラビア(ワッハーブ派=最も厳格なスンニ派)やイラン(シーア派)のような「イスラム国家」につくりかえようとしています。
・これは世俗国家とイスラム国家のどちらが好ましいかという議論ではなく、今回のクーデター失敗で(世俗国家を主導している)軍も完全に掌握したはずのエルドアン大統領のもとで、一気に「イスラム国家化」が進むことになります。 イスラム教とは、唯一無二で全能の神がすべてを(もちろん政治も)支配すると教えますが、実際には誰もその神の教えを聞くことができないためイスラム教の最高指導者(エルドアン大統領になるはずです)が神の教えだとして発言すれば、すべてのトルコ国民がそれに従うことになります。
・つまりイスラム教とは、国家や国民をまとめるためには強力な効果を発揮します。それを悪用するイスラム国(ISIS)のバクダディーでも、それなりに国家体制を作り上げています。 しかしトルコが「イスラム国家」になってしまうと、世界のバランスから見るといろいろ困ったことが出てきます。それは近いうちに続編で解説します。
http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-1782.html

次に、7月20日付け日経ビジネスオンラインに編集長の池田信太朗氏が執筆した「「3つの対立」から読むトルコのクーデター騒動 エルドアン政権に挑んだのは誰か」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・異なる「2つの潮流」がぶつかり、勢いのあるものが力を失っていくものを書き換えていく。けれども上塗りされた下には、失われたものがなおも力を失わずに眠っている。ふとした瞬間に塗料が剥がれ、裂けた傷口のような隙間から、失われたはずのそれが姿を見せることがある――。
・7月15日に発生したクーデター騒動の報道を見ながら、記者は、トルコという国の文化が抱える独特の「構造」を思っていた。 記者は2013年、反政府デモで揺れるイスタンブールを訪れた。その様子を「ルポルタージュ・イスタンブール騒乱 「強権の首相よ恥を知れ、建国の父は泣いている!」」として執筆した。当時まだタイイップ・エルドアン大統領は首相だった。
・その取材の折、イスタンブールの旧市街地に位置する「アヤソフィア」を訪れた。史上、この大堂ほど数奇な運命をたどった建物はないだろう。上記の記事に詳解したが、537年、東ローマ(ビザンツ)帝国の皇帝によってキリスト教の大聖堂として建造されたこの建物は、1453年にこの地を陥落させたオスマン帝国のスルタン(王)によってイスラム教のモスクに作り変えられた。さらに20世紀、トルコ共和国を樹立した「トルコ建国の父」ケマル・アタトゥルクは、この建物を宗教施設ではなく「文化遺産」として位置づけ、博物館にしてしまった。 「キリスト教の大聖堂(東ローマ帝国)」→「イスラム教のモスク、大霊廟(オスマン帝国)」→「博物館(トルコ共和国)」。この“非連続の連続”を、アヤソフィアの壁面に描かれた絵が何より雄弁に物語っていた。
・イスラム教では偶像崇拝が禁じられており、モスクの内部で人物画を見ることはない。20世紀の初頭までイスラム教のモスクだったはずの建物の壁面に人物画が描かれているのは、かつてはこの建物がキリスト教の聖堂だったからだ。オスマン帝国によって「上塗り」された塗料が剥がれ落ち、その裏にひそかに息づいていたキリスト教時代の宗教画が露出したのだろう。そして、そもそも私のようにイスラム教徒ではないアジア人がその奥まで足を踏み入れて壁画を眺められるのは、この建物がすでに宗教施設ではなく博物館になっているからだ。
・地理的にはボスポラス海峡で「欧州」と「アジア」を接し、歴史的には「キリスト教」と「イスラム教」、そして「世俗主義(政教分離)」と上塗りされ続けて来たトルコ。しかしアヤソフィアの宗教画がそうであるように、上塗りされた塗料の底には失われたはずのものが息づいており、裂け目から時折顔をのぞかせる。新しいものと古いものとのせめぎ合いこそが、トルコという国の文化の特異さを生み出している。
・トルコのクーデターをどう評価すべきかどうか、情報が錯綜しておりにわかには断じられない。だから本稿では、「異なる潮流がぶつかり合う場所」であるトルコという国の「構造」を説きつつ、クーデター報道を読み解くために前提となる基礎知識をお伝えできればと思っている。
・以下にトルコの政治が抱える3つの「対立構造」を挙げる。いずれもお互いが絡み合っている問題圏であり、単純に切り出せるものではないが、構造を明確にするためにあえて単純化を試みた。
▽対立その1:世俗主義vsイスラム
・世俗主義(セキュラリズム)とは、政治・社会システムにおいて「政治」と「宗教」を分離すべきという考え方を指す。トルコ国民の大半はイスラム教徒だが、トルコの政治体制は政教分離の考え方を原則としている。  オスマン帝国が第1次世界大戦に敗れ大幅に国力を衰退させたのちに、帝国を打倒してトルコ共和国を樹立したのが、上記のようにアヤソフィアから宗教色を取り除いたアタトゥルクだ。明治維新後の日本が「脱亜入欧」の欧化政策を進めて近代化を目指したように、アタトゥルクは「脱イスラム入欧」を進めて国力を取り戻そうと努めた。オスマン帝国末期の因習を打破して新しい技術や制度を取り入れなければ国が滅びるという危機感があったのだろう。アタトゥルクはトルコ語を表記するのに用いられていたアラビア文字の使用をやめて、アルファベットを使うようにしたり、公共の式典や公職の勤務中に宗教的な発言をすることすら禁じたりした。
・トルコ共和国にとって建国以来の国是が、この「世俗主義(政教分離)」だったと言っていい。スルタン(王)とカリフ(宗教指導者)が一致している「スルタン=カリフ制」、すなわち「政教一致」政策を採っていたオスマン帝国の政治体制は、アタトゥルクによって導入された世俗主義、「政教分離」政策によって「上塗り」されたわけだ。
・ところが、塗料が剥がれて、その底に息づいていた宗教画が姿を見せるように、トルコの近代政治史には、イスラム色の強い政権が立ち上がり、世俗主義が上塗りしたはずのイスラム主義が首をもたげる瞬間が何度かあった。 その芽を「クーデター」という手段で潰してきたのが「軍」だった。これまで国軍は3回、クーデターによりイスラム色の強い政権を転覆させている。最近では1997年にネジメッティン・エルバカン政権を退陣に追い込んだ。
・本サイトが配信した新井春美氏による記事「トルコでクーデター未遂、国民の支持得られず」を含む多くの報道で「軍」を「世俗主義の擁護者」「世俗主義の守り手」などと表現しているのは、上記のような理由からだ。
・AKP(公正発展党)を与党とし、エルドアン大統領が率いている現政権は、近代トルコ史上、最もイスラム色の強い政権と言っていいだろう。上でも紹介したルポルタージュから一部を引用するのでその雰囲気の一端に触れていただきたい。 イスタンブール市長在任時(1994年選出)の言動に、その原点を見ることができる。当時、エルドアン氏はNATO(北大西洋条約機構)からの脱退やEU(欧州連合)への加盟交渉中止を繰り返し主張した。さらに1997年には、政治集会で朗々とイスラム賛美の詩を詠み上げた。 「モスクはわが兵舎。(モスクの)ドームはわがヘルメット。(モスクの)尖塔はわが銃剣。忠実なるはわが兵士」
・この行為は宗教や人種差別の扇動を禁じる刑法の規定に反するものとして告発された。エルドアン氏は逮捕され、服役し、被選挙権を剥奪されている。 エルドアン大統領も、自らを脅かし得るのは軍のクーデターであることは予見していた。ゆえに、権力を握る過程で軍の文民統制を徐々に進め、意向に沿わない司令官を更迭するなどして軍を自らの権力下に置くことに腐心して来た。結果、エルドアン大統領は軍を完全に掌握した――つまりトルコ軍は「世俗主義の擁護者」としての牙を抜かれ、現政権の権力に「上塗り」されてしまった、と見られていた。
・つまり「世俗主義vsイスラム」は、「軍vsエルドアン政権」と相似形をなしている。 新井春美氏は上記の記事で、「上塗り」された軍が勢いを取り戻す土壌をこう説いている。 一度は骨抜きにされた軍であるが、エルドアン政権に反発する力を徐々に取り戻しつつある。トルコは現在、過激派「イスラム国(IS)」とPKK(クルディスタン労働者党、トルコからの自治を掲げるクルド系武装組織)に対して、二正面作戦を続行中だ。これは、軍の協力がなければどうにも進まない。このように安全保障問題が国家の優先課題になれば軍の発言力は増す。
・2015年に就任したアカル参謀総長は、エルドアン大統領と友好な関係を維持しており、同大統領の娘の結婚式に出席するほどの仲である。とはいえ軍内部には、世俗主義と民主主義の擁護者としての意識を強く持ち、イスラーム政党であるAKP政権と独裁化するエルドアン大統領による治世を快く思わない勢力が相当数、存在している。
・この視点で今回のクーデターを見るならば「世俗主義の擁護者としての力を奪われ、息を潜めていた軍の一部が立ち上がってエルドアン政権に挑戦した」と位置づけることができるだろう。現地報道によるとすでにクーデター勢力は力を失っているとのことなので、結果として、「しかしエルドアン政権の統帥は崩れず、クーデターに参加した勢力は軍の中では主流派にならなかった」という結末になった。
▽対立その2:都市部vs地方
・民主主義とは何か、あるいは資本主義とは何か、ということをつまびらかに書く紙幅はないし、必要もないだろう。ただ、ここでは以下のように単純化を試みたい。「1票(1人)の下の平等」を礎とするのが民主主義であり、「1円(1トルコリラ)の下の平等」を礎とするのが資本主義である、と。 エルドアン大統領は、この2つのシステムのズレを知悉している政治家と言える。
・トルコ最大の都市であるイスタンブール、首都のアンカラなど、政治・経済の中心は欧州側、つまりトルコの西部に位置している。一方、アジア側、つまりトルコの東部にはそうした国際都市はない。ただし、広大な国土に多くの国民が生活している。
・単純化して書くならば、「1トルコリラの下の平等」を是とする資本主義の観点から言えば、1人当たりの経済力が強い、つまり豊かな都市生活者に力が集中する。ところが「1票の下の平等」を是とする民主主義の観点から言えば、頭数の多い地方在住者に力が宿ることになる。市民ひとりひとりがどれだけ貧しくても、1票は1票だからだ。
・エルドアン大統領は、保守的、イスラム的な傾向の強い地方在住者の支持を背景に、都市生活者やインテリ層から支持される旧来の政治勢力を打ち破ることで権力を握った政治家だ。ゆえに一般に都市部で人気に乏しく、トルコ東部では圧倒的に支持が強い。記者が2013年に取材したイスタンブール騒動(記事)の折も、同時期に発生したデモの大半が都市部で発生し、東部の地方ではむしろ「反・反政府デモ」が繰り広げられていた。
・エルドアン大統領は、都市生活者の視点からは「地方在住者に迎合しつつ権力を握るポピュリスト」として映り、地方生活者の視点からは「民主主義の力を借りて都市部の既得権益者やそれに連なる軍に挑む改革者」と映る。いずれか一方の描き方では描ききれない。だが、敵対する勢力からすれば、民主主義最高の意思決定ツールである「選挙」で勝ち続ける政権に挑むには、軍という「力」を用いるほかないのは確かだ。
・この政治構造は、例えばタイで地方在住者から支持を集めたタクシン・チナワット氏が政権を握った経緯と重なる。2014年6月、記者はタイ・バンコクで起きたクーデターの様子を取材して、この構造を記事「タイのクーデターを肯定する罪」として書いた。
・ところが今回の報道で、イスタンブールなどの都市部でクーデター勢力に反発するデモが発生したと伝えられた。記者が現地にいたわけではないし、現地の報道機関にはクーデター勢力とエルドアン政権の両者が様々な圧力を及ぼしているため、状況が把握しにくい。だが、いくつかの報道を総合するに、2013年に大規模な反政府デモに身を投じた都市生活者の大半が、今回のクーデターには賛同しなかった可能性が高いと言えそうだ。
・反エルドアン政権の志を持っている都市生活者をしても、クーデターという暴力的な手法に抵抗を覚えたのか。3年間でエルドアン政権の権力掌握がさらに進み、市民が反政府の声を上げられないほどに萎縮しているのか。そもそもクーデター勢力が弱く、政府軍にすぐに鎮圧されてしまったのか。都市部の市民がクーデターを支持しなかった理由は分からない。
・いずれにしても、上記の観点から今回のクーデータを見るならば、「軍の一部が反エルドアン政権を掛け声に立ち上がったが、呼応すべき都市生活者たちの支持を集めることができず、大きな反政府のうねりを生み出せなかった」ということは言えそうだ。
▽対立その3:「エルドアン政権vsギュレン師」
・休暇で首都を離れていたエルドアン大統領は、クーデター発生直後、CNNの取材に応じて、クーデターがギュレン運動の影響を受けた勢力によるものと非難した。 「ギュレン運動」とは何か。1941年にトルコ東部に生まれたフェトフッラー・ギュレン氏が提唱し、トルコ全土に支持者を持つ社会運動だ。その思想は、イスラム復興運動にも見え、貧困撲滅などを目指した社会活動にも見える。政治システムとしての世俗主義と、生活と精神のよりどころとしてのイスラムは矛盾しない、という穏健な思想とも説明される。その玉虫色のごとき懐の深さゆえに、イスラム保守層から世俗主義者まで幅広く支持を集めて来た。
・ただ、上記エルドアン大統領の発言を理解する上で重要なのは、その思想の内容ではない。このギュレン氏が、エルドアン大統領が属するAKP設立当初はその強力な支持者であったという事実と、しかし今はエルドアン大統領と袂を分かち、米国に亡命しているという事実だ。
・上で述べたように、エルドアン氏はクーデターで追われることのないように国軍から政治力を奪って権力下に置いた。その過程で、エルドアン氏はギュレン氏の影響力を後ろ盾のひとつとした。かつて両者は蜜月の関係だったと言っていい。
・しかしエルドアン氏が権力を掌握し、政権が強権的な色彩を帯びてゆくなかで両者の関係は次第に悪化。2013年末、エルドアン政権に、閣僚やその親族を巻き込んだ大規模汚職事件が起き、ギュレン派が浸透していると言われる捜査当局がこの捜査に本腰を入れたことで亀裂は決定的になった。2015年、エルドアン政権は、かつて最大の支持勢力だったギュレン派を、国家転覆を企むテロ組織として指定した。いまや両者は明確に「政敵」となっているのだ。
・ただし、ギュレン氏は今回のクーデターに対する関与を否定している。 上記の経緯から今回のクーデター報道を見るなら「エルドアン政権は、今回のクーデターを、かつての支持母体であり今は政敵となったギュレン派による巻き返しであると見ているが、ギュレン氏は関与を否定した」という理解になるだろう。
▽3つの対立が複雑に絡み合う
・ここまでトルコの社会に横たわる3つの断絶について書いてきた。世俗主義とイスラム。都市部と地方。そして、ギュレン派とエルドアン政権。いずれも大雑把に要約してしまえば「反政府vs政府」となってしまうが、それぞれの勢力は必ずしも反政府的とは限らないし、重なりもしない。これらの断絶や対立が重層的にせめぎ合いながら一方に寄らずバランスするのが、トルコの政治システムに安定をもたらして来た。バランスが取れないほどに蓄積されたひずみを解消するために採られてきた手法の一つがクーデターだった。
・ひずみは頂点に達していたと言えるだろう。ますますイスラム色を強めるエルドアン政権に対して、「世俗主義者」たちは対抗する術を持てずにいた。2013年にイスタンブールなどで大規模な反政府デモに参加した「都市生活者」たちも、政権の強権にもはや沈黙を守っていた。テロ組織に指定された「ギュレン派」は監視下に置かれ、力を失っていた。エルドアン政権は誰の目にも強くなりすぎていたのだ。
・クーデターがどのような勢力によるものであれ、この圧倒的な構造をリセットする力が働こうとした政治現象と考えて差し支えないだろう。「上塗り」された政治構造の下で息を潜めていた何者かが、つかの間覗いた綻びから現れて弓を引いた。だが、失敗した。リセットの機構は働かなかった。働かないほどにエルドアン政権は強くなっていた。
・クーデターの失敗によって、エルドアン勢力は反政府勢力をさらに追う政治的な理由を手に入れた。すでに政権はクーデターに関与した疑いで反政府的な勢力を拘束し、クーデター防止の名目で「死刑」の復活にも言及している。これまでも報道機関などに対して監視体制を敷くなど言論の自由を認めない姿勢を見せてきたが、その傾向に拍車がかかる可能性もあるだろう。経済的なダメージは別として、一部欧州のメディアが「クーデター騒動はエルドアン大統領の自作自演」と陰謀論を書きたくなる気持ちも分かるほどに、政治的にはエルドアン政権を利するばかりの騒動だった。
・上記のように、エルドアン大統領はかつてEUとNATOの離脱を訴え、「強いトルコ」を取り返そうという政治姿勢が「新オスマン主義」とも称された。その強権の宰相の姿は、英国はEUから離脱すべきと説いた政治家や、「強い米国を再び」と保護主義を訴える大統領候補とも重なって見える。
・民主主義を基盤とした欧州的な価値観を持ち、宗教や文化はイスラムに礎を置き、民族としては中央アジアに近い。いわば、文化と宗教と民族の結節点。コンスタンティノープルがイスタンブールに名を変えたように、異なるものが入れ替わり、交じり合い、その多様性の中でたくみにバランスを取って自在に姿を変えるのがトルコの強さだった。このバランサーが一方に偏ることの地政学的なリスクは世界にとって小さくない。だが、このクーデターによってますます、その可能性は避けがたいものになったと言っていいだろう。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/281273/071900003/ 

闇株新聞が指摘する「イスラム国家化」が、世界のバランスへ与える影響については、続報を期待したい。
日経ビジネスオンラインの記事は、さすがに編集長が執筆しただけあって、分析が深く、なかなか読ませる内容だ。なかでも、アヤソフィアの壁面に『オスマン帝国によって「上塗り」された塗料が剥がれ落ち、その裏にひそかに息づいていたキリスト教時代の宗教画が露出したのだろう』、『新しいものと古いものとのせめぎ合いこそが、トルコという国の文化の特異さを生み出している』 などは出色の表現だ。エルドアン氏のイスタンブール市長在任時の発言からみるかぎり、同氏は「筋金入り」のようだ。ギュレン師のことは、新聞の断片的な報道ではさっぱり理解できなかったが、この記事で漸く理解できた。
ドイツやEUは難民問題、アメリカもシリアのIS爆撃用の基地提供、をそれぞれ人質に取られ、生ぬるい対応に終始しているようだが、エルドアン大統領の「新オスマン主義」を放置すれば、長期的には悲惨な結果を招く可能性もある。ますます目が離せなくなってきた。
明日の金曜日は更新を休むので、土曜日にご期待を。
タグ:マルマリス 闇株新聞 (その5)トルコのクーデター騒動 中東情勢 トルコ・クーデター失敗の影響はどこに出る? エルドアン大統領 ほぼ半日のうちに反乱軍はほとんど投降してクーデターは失敗に終わりました 休暇中 多数の判事や警察官を含む9000人もの公務員を解任 死刑制度復活に言及 ・ギュレン師をクーデター「首謀者」として米国に身柄引き渡しを要求 全くお粗末なクーデター エルドアン大統領の自作自演説 建国以来その世俗主義を主導しているのがトルコ軍 世俗国家から「イスラム国家」につくりかえることです トルコが「イスラム国家」になってしまうと、世界のバランスから見るといろいろ困ったことが出てきます 日経ビジネスオンライン 編集長 池田信太朗 「3つの対立」から読むトルコのクーデター騒動 エルドアン政権に挑んだのは誰か アヤソフィア アヤソフィアの壁面 オスマン帝国によって「上塗り」された塗料が剥がれ落ち、その裏にひそかに息づいていたキリスト教時代の宗教画が露出 新しいものと古いものとのせめぎ合いこそが、トルコという国の文化の特異さを生み出している 3つの「対立構造」 対立その1:世俗主義vsイスラム イスラム色の強い政権が立ち上がり、世俗主義が上塗りしたはずのイスラム主義が首をもたげる瞬間が何度かあった その芽を「クーデター」という手段で潰してきたのが「軍」 国軍は3回、クーデターによりイスラム色の強い政権を転覆させている イスタンブール市長在任時 「モスクはわが兵舎。(モスクの)ドームはわがヘルメット。(モスクの)尖塔はわが銃剣。忠実なるはわが兵士」 エルドアン氏は逮捕され、服役し、被選挙権を剥奪 対立その2:都市部vs地方 、「1トルコリラの下の平等」を是とする資本主義の観点から言えば、1人当たりの経済力が強い、つまり豊かな都市生活者に力が集中 「1票の下の平等」を是とする民主主義の観点から言えば、頭数の多い地方在住者に力が宿ることになる ・エルドアン大統領は、保守的、イスラム的な傾向の強い地方在住者の支持を背景に、都市生活者やインテリ層から支持される旧来の政治勢力を打ち破ることで権力を握った政治家 都市生活者の大半が、今回のクーデターには賛同しなかった可能性が高い 対立その3:「エルドアン政権vsギュレン師」 玉虫色のごとき懐の深さゆえに、イスラム保守層から世俗主義者まで幅広く支持 かつて両者は蜜月の関係 ギュレン派を、国家転覆を企むテロ組織として指定 3つの対立が複雑に絡み合う
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