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民主主義 多数決制 [国内政治]

7月24日に取上げた英国EU離脱問題(その8)では、国民投票のあり方が問題になったが、今日は、民主主義 多数決制 である。

先ずは、経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員の山崎 元氏が、6月29日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「国民投票で国論二分の大問題を決めることのリスク」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽ブレグジット可決がもたらす真のリスク
・6月23日(木)に英国で行われた、英国のEU離脱を問う国民投票は、「ブレグジット」(Brexit:ブリテンとエグジットを組み合わせた造語)が可決する結果となり、世界の資本市場は大荒れとなった。 ブレグジットの決定が英国及び世界にどのような帰結をもたらすのかは、今のところ「よく分からない」と言うしかない。
・今後、辞任を表明したキャメロン首相の後任者が決まり、EUに離脱の通知を行い、その後離脱に関する条件交渉が行われて、2年後、又は、当事者が延長に合意した場合にはそのもっと後に離脱の条件が決定するというのが、大まかなスケジュールだ。
・EU側は、英国に早期の離脱条件交渉入りを求める強硬な態度を見せているが、英国側は交渉を主導する首相が決まっていないのだから、これは無理というものだろう。
・交渉の当事者が共に冷静で合理的であればという前提の下に考えると、恐らく当初は今後も離脱を目指す国が出ることを嫌うEU側が強硬な態度を取るものの、交渉の終結が近づくにつれて、英国を経済的側面ではEUに残すに近い結果が両者から模索されることになるのではないだろうか。 例えば、英国からの輸入にEUが関税を掛けることも、EUからの輸入に英国が関税を掛けることも、両当事者にとって不利益である。経済的な繁栄を重視しなければならないはずの、交渉の両当事者が、不利益な結果を選ぶとは考えにくい。EU側の体面が保たれるなら、英国に優しい条件に落ち着き、それがEUにとっても好結果なのではないか。  これが、現時点で合理的に考え得る、最も楽観的な決着だ。
・しかし、交渉に当たる政治家にも官僚にも、それぞれ「国民の全般的経済厚生」以外の当事者の個人的利害(政治家の人気など)もあれば、経済以外の交渉の取引材料に経済的条件が使われる可能性があるし、また、そもそも交渉当事者が経済的損得の意味での合理性を理解していない可能性もある。
・他方、悲観的なシナリオは、おそらくは英国とEUとの交渉の過程の「いつなのかは、わからないいつかの時点で」、EU内で離脱を指向する国が出て来て、通貨統合が崩壊するリスクが高まることだ。この場合、例えば財政的に弱いと目される国の国債が売られることになるが、いわゆるギリシャ危機にあっては、経済規模が小さいギリシャの問題でさえあれだけの混乱を資本市場にもたらした訳だから、大きな金融機関が破綻する可能性が十分ある。そして、イタリアやスペインのような国の場合、政府が金融機関を支えきれない可能性がある。
・もともと、市場の統合までは良かったとしても、財政を各国に委ねながら、通貨を統合したユーロというシステムには無理がある。加えて、振り返ってみると、欧州の金融機関は、不動産バブル崩壊による不良債権の処理を先送りしたまま、ECB(欧州中銀)による金融緩和で延命してきたのであり、その内実は脆弱なはずだ。それこそ「リーマンショック級」の巨大な混乱が訪れる可能性がある。
・厄介な問題は、これがいつ訪れのるかが分からないことだ。どこかの国で、EU離脱に向けた国民投票の「気運が高まる」だけで、資本市場は反応を始める可能性があり、大手金融機関のバランスシートに修復不可能な歪みが生じ、それが表面化する可能性がある。世界経済は、言わば、いつ発作が襲うか分からないような慢性病の病巣を欧州に抱えており、致命的な発作につながりかねない症状の進行を見せたのが今回のブレグジット可決だ。 ブレグジット以降の世界の金融市場は、常に後者の心配と付き合わねばならなくなった。
▽国民投票はいい仕組みか?
・ブレグジットが可決して、そもそもキャメロン英首相が、この問題で国民投票を行ったこと自体が失策だったのだという意見がある。また、実際に可決が決まった後で、賛成票を投じた英国民の一部に「本当にこんなことになるなら、賛成票を入れるのではなかった」という後悔の念が生まれている、という報道もある。後者は、ブレグジットと同要領の造語で「ブリグレット」(Bregret。regretは後悔)と呼ばれているらしい。
・投票が終わってみると、英国民の間ではEU離脱への賛否を巡って深刻な対立感情が残ったようにも見えるし、スコットランドの英国からの独立問題が再燃する可能性が生じてきた。 キャメロン氏が、国民投票という手段を採らなければ、こうした問題が直ちに表面化することはなかったはずだ。
・国論を二分するような問題を国民投票に掛けてはいけない、ということなのか、国論が二分される大問題である以上国民投票で決めるのが正しいということなのかは、政治家の信条に関わる問題だ。
・国民にとって正しいことを行うのが政治家の役割であり、その為に最も適切な手段を選ぶことが、政治家としては正しいのだとキャメロン氏が考えているとすれば、やはり、彼は間違えたのだろう。 彼が間違えた理由は、「まさか、負けるとは思っていなかった」、「国民を説得できるはずだと思っていた」ということに尽きるのだろう。負けない国民投票なら、これを実施することを公約に掲げて、EU離脱派の勢力を一時的に取り込むことは、かつての彼にとって合理的だった(セコイけれども…)と考えることはできる。
▽「大事なのは経済だよ!」が通用しない
・些か下品な表現だが、かつて「It’s the economy, stupid !」(大事なのは経済だよ、お馬鹿さん!)という言葉があった。ビル・クリントン元大統領が大統領選挙の際に使ったキャッチ・フレーズで、当時効果的であった。わが国でも、経済こそが大事なのだ、ということを表現する際に時々引用される(だから筆者も思い出した)。
・しかし、少なくとも英国経済全体の利害から見た時に「不利」なはずのEU離脱が、投票者の半分以上の賛意を得たということは、「大事なのは経済だよ!」が英国民に通じなかったということだろう。 今回の英国の「民意」には、二種類の説明の可能性がある。
・まず、経済的繁栄の利益を、一部の者が独占してしまった場合、残りの多数の国民が経済上の損得に重要な関心を持たなくなり、EU官僚への反感や、移民への悪感情などが経済上の損得を上回る問題だと感じられることだ。しかし、収益が悪化した企業は、人員の整理や賃金の引き下げによるコストダウンを目指すのが当然だ。在英企業の収益が圧迫されたり、成長が低下したりした場合、利益の恩恵に与っていないと考える層の経済的状態も今より一層悪くなるというのが、経済的には普通の予想だろう。 一つには、英国民の多くが、こうした「経済的には普通の予想」を理解していなかった可能性がある。
・もう一つの可能性は、自分も損をすると分かっていても、儲けている連中が損をすることが望ましいと思う、一種の処罰ないしは嫉妬の感情を持ったことだ。
▽米大統領選も似た状況
・行動経済学で研究されているテーマの一つに「最終提案ゲーム」と呼ばれているものがある。例えば、A、B二人の被験者がいる場合「Bが同意した時にのみ、Aに1000円を渡す。ただし、AはBに対して、1000円もらった場合、幾らかの金額をBに渡すことを予め約束していい」という条件で、Aが幾ら提示するか、またその提示をBが受け入れるか否かを問う、といった実験が行われる。
・経済合理的な解は、Aは1円以上を提示すれば、Bは提案を拒否しない方が儲かるので必ずBはこれを受け入れるはずなので、Aが1円を提示し、Bがそれを受け入れるだろうというものだ。
・しかし、各所で行われている実験では、Aは自分が貰える金額の30%から50%の間くらいの気前のよい金額を提示する場合が多く(Bの拒否が怖いからとも言える)、Bの側では自分が損をするにもかかわらず、20%程度までの提示額では半数以上が提案を拒否する、といった結果が出ることが多い。 Aの得る物が何に起因するのか、といった状況にもよるが、仮に自分が少々損をしても他人が大いに富むことを阻止したいという気持ちが、多くの人間には、なにがしかある。
・個人間の大きな経済「格差」が顕在化して、固定してきた、という印象を多くの人が持つ場合、「経済全体にとって得なこと」が選択されなくなる可能性が、大いにあるということだ。 もっとも「経済のパイを拡大して、それを適切に分配すれば皆の状態が良くなるのだから、そうしないのはバカだ」という説明が、その社会にとって常に正しいとは言えない。「そのやり方でない方が、気持ちがいい」と思うメンバーが過半数いるなら、それが正しいと決める素朴な民主主義が適切な場合もある。
・今回の英国の国民投票が置かれた状況は、次の大統領選挙に向けて米国が直面している状況と似ている可能性があるし、経営者の報酬ばかりを引き上げる一方、ROE向上に圧迫されて一般社員の賃金が上がりにくい現在の日本企業と社会にあっても、遠からず問題となる状況かもしれない。
http://diamond.jp/articles/-/93862

次に、7月23日付けダイヤモンド・オンライン「多数決は本当に公平で民主的な「決め方」なのか?~『「決め方」の経済学』(坂井豊貴著)を読む」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽英国の国民投票は民意を正しく反映できたか
・2016年6月23日に行われたイギリスの欧州連合(EU)離脱の是非を問う国民投票では、離脱支持票が残留支持票をわずかに上回ったため、多数決の原則に則り、イギリスのEU離脱の方針が決まった。得票率は、離脱支持が51.9%、残留支持が48.1%という僅差の結果だった。 この結果を受けて、イギリス通貨のポンドは暴落。残留支持が多かったスコットランドでは、イギリスから独立しようとする機運が再燃するなど、イギリスは大混乱に陥っている。
・EU残留を訴えてきたキャメロン首相は国民投票の結果がでた時点で辞意を表明。7月13日にはテリーザ・メイ新首相が誕生し、今後EUとの離脱交渉に臨むことになる。イギリスのEU離脱をめぐる情勢が、今後どのように推移するのか、世界中がハラハラしながら見守っている状況だ。
・それにしても、これほどまでに深刻な結果を招く決定を、そもそも単純な多数決に委ねてしまってよかったのだろうか。しかも、今回の投票率は72.2%。離脱支持の得票率は51.9%なので、EU離脱に明示的に賛成したのは全国民の37.5%と半数に満たない。これがはたして民意を正しく反映する「決め方」といえるのだろうか。
・『「決め方」の経済学』 の著者、坂井豊貴氏は、米国ロチェスター大学で経済学Ph.D.(Doctor of Philosophy)を取得。その後横浜市立大学、横浜国立大学を経て、現在は慶応義塾大学経済学部教授を務める。メカニズムデザイン、マーケットデザイン、社会的選択理論を専攻し、人々の意思をよりよく反映させる選挙方式、物を高く売るオークション方式、人と組織をうまく結ぶマッチング方式といった制度設計の研究で、国際レベルの業績をあげている人物だ。
・坂井氏は本書で、集団の意思決定をするための民主的な方法だと考えられている多数決の限界を具体例を挙げながら客観的に示している。そして、多数決を正しく機能させる方法や、多数決以外の「ものの決め方」を、理論的、かつ解りやすく解説してくれている。
▽実は「正しく」使うのが難しい多数決
・坂井氏はまず、2000年のアメリカ大統領選挙を例に、「票の割れ」が起こることで多数決がまともに機能しなくなることを指摘する。この大統領選では、共和党候補のジョージ・W・ブッシュが、民主党候補のアル・ゴアを僅差で抑えて勝利した。 坂井氏は、この時のブッシュの勝利は、緑の党から立候補した第三の候補、ラルフ・ネーダーがゴアの票の一部を奪ったおかげだと分析する。ネーダーとゴアの支持層はかぶっていた。一人を選ぶ多数決では、ネーダー・ゴア・ブッシュの順に支持する有権者は、ネーダーに投票する。しかしもし、ネーダーが立候補していなければ、その人はゴアに投票したはずだ。
・アメリカ大統領選挙は、有権者による一般投票の結果でまず州ごとに多数決をとる。そしてその州で勝利した候補者は、州の連邦上下両院の合計議席と同数の選挙人票を獲得する。そして全州での獲得選挙人票数の合計が多い方が最終的に当選する。坂井氏は、ブッシュとゴアの人気が拮抗した州では、ゴア支持票の一部がネーダーに流れてしまい、結果としてその州の選挙人票をブッシュが獲得したのではないかという。
・坂井氏は、このような場合の「決め方」には二つあると説く。上位2名で決選投票を行う、もしくは「ボルダルール」を適用する。ボルダルールとは、「1位ネーダー、2位ゴア、3位ブッシュ」のように支持する順番を含めて投票し、「1位3点、2位2点、3位1点」というルールで換算した合計点数で当否を決める多数決の方法だ。
・2000年の大統領選に当てはめると、ゴアとブッシュで決選投票を行ったとすれば、ネーダー支持者がゴアに投票するためゴアが勝利したはず。ボルダルールでも、ネーダー支持者はブッシュ(3位で1点)よりもゴア(2位で2点)に高い点数を与えるため、合計点でゴアが勝利したと考えるのが妥当だ。
・つまり多数決は、やり方次第でいくらでも結果が変わりうる「決め方」であり、本来は国家の行く末を左右するような選挙に用いるのは危険が大きすぎると言わざるを得ないのだ。
・坂井氏によれば、多数決が正しく機能するには条件がある。確率論的な多数決の性質を表わす「陪審定理」に基づくその条件とは、(1)多数決で決めようとしていることに関して、参加者の間に利害の対立がないこと、(2)個々の参加者の判断が正しい確率が50%を越えること、(3)参加者は誰か他の人の意見に影響されずに、自分の頭で考えて選ぶこと、のすべてが成り立つことだそうだ。
・たとえば、5階建てマンションで共有部分のエレベーターの改修費の費用分担を決める際に、5階住民が悪知恵を働かせて、「1階住民が全額負担するべき」と提案して多数決をとったとしよう。その結果、2階から5階までの住民が賛成し、全体の80%の賛成多数で可決されたらどうだろう。どう考えても正しい「決め方」ではない。この場合は投票参加者の利害が一致しておらず(1)が満たされない。それゆえ、多数決が機能していないのだ。だが、ビジネスの現場ではこのような関係者の利害が一致しない状態で何かを決めなくてはならないケースの方が多そうだ。 それでは、多数決が機能しない場合、どのように物事を決めていけばよいのだろう?
▽安易に多数決に逃げずに地道で合理的な説得を
・坂井氏は、フェアな「決め方」の基本を、アリストテレスが唱えた公正の基準、「等しいものを等しく、等しくないものを等しくなく扱う」を用いて説明している。
・たとえば住宅地AとBの双方から管理を受託している企業Cに対して、AとBの管理組合間で管理費用をどのように按分すればよいかを考えてみよう。実はこれは私の住んでいる地で、実際に昨年発生した案件だ。 住宅地Aと住宅地Bでは戸数が異なる。したがって単純に2等分するのでは折り合えない。二つの住宅地でフェアに費用を按分するためには、すべての人が納得できる合理的な案が必要になる。
・アリストテレスの公正基準の「等しいもの」に当たるのは、A、Bすべての住民がCの管理サービスを利用する権利を等しく有していることだ。それに関する費用は、管理事務所の家賃や電気代などCがサービスを提供するのに必要な基本的費用。これはAとBの戸数に応じて均等に割って分担額を決めればよい。
・「等しくないもの」は、AとBの住民が個別にサービスを受ける際に発生する費用だ。サービス提供のための軽トラックの燃料費等は、稼働に応じて分担するべきだ。Cの管理事務所からA、 Bそれぞれへのサービス提供のために軽トラックを動かした走行距離を記録しておいて、月次で集計するなどして分担割合を決めればよいだろう。
・ちなみに先のマンションのエレベーターの改修費用分担の事例では、1階の住民はエレベーターをほとんど使用しないため、受益者負担の観点から改修費用を分担する必要はない、と一見思えるかもしれない。しかし、マンション全体の保全にエレベーターの整備は不可欠だ。エレベーターが壊れたままではマンションの資産価値は下がり、スラム化してしまう。したがって、エレベータの改修は全住民に取って等しい利益と考えられるため、1階住民であっても一定の割合の費用負担をするべきということになる。
・このようにフェアな考え方に基づく費用分担方式案を、あらかじめ理事会等でしっかり議論してまとめておくことができれば、住民全員による多数決で否決されることはまずない。 民主的なプロセスを重視するならば、面倒でもこのような合理的で着実な手順を踏むことがきわめて重要なのだ。それは、たとえばビジネスでチーム内の意見が対立した時に解決を図る上で、重要な原則として心得ておくべきだろう。
http://diamond.jp/articles/-/96471

第三に、7月27日付けダイヤモンド・オンライン「多数決の代替案として最適な「ボルダルール」」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・多数決には、「票の割れ」という致命的な欠陥があるため、多数派の意見さえ反映されない(詳細は第4回、第5回)。そのため、『「決め方」の経済学』の著者である坂井豊貴氏は、「ボルダルール」という方法を代替案として提案する。なぜなら、「満場一致に最も近い方法」だからだ。詳細を聞いた。  (新刊『「決め方」の経済学』)より、一部を特別に公開します)
▽スロヴェニアの一部で使われている「ボルダルール」とは
・「1位に3点、2位に2点、3位に1点」のように配点するボルダルールは、18世紀後半にフランス海軍の科学者ジャン=シャルル・ド・ボルダが考案し、はじめて数理的な分析を与えたものだ。 ボルダルールは仕組みとしては単純だから、ボルダ以前にもそれを考案した人はいる。15世紀の神聖ローマ帝国でブリクセン地方の大司教を務めた、ニコラウス・クザーヌスがそうだ。
・彼は神聖ローマ皇帝の選出に、「神の意志を見つけるべく」、今でいうボルダルールを用いるよう提言していた(結局は採用されず)。クザーヌスはボルダのような分析は与えていないが、「この方法により、無限に起こりえる過誤を避けられる」と主張していた。 「無限に起こりえる過誤」の真意は不明だが、賢者として知られたクザーヌスのことだから、もしかすると票の割れを気にしていたのかもしれない。
・ボルダルールのもとだと有権者は投票用紙に「2位」や「3位」も書けるから、票の割れは起こらない。国政レベルでのボルダルール実用例には、中欧スロヴェニアでの少数民族代表選挙がある。 ボルダルールは多数決とずいぶん異なるように見えるかもしれないが、実はどちらも分類上は「スコアリングルール」という同種に属している。スコアリングルールとは、順位に対して点数を付与する決め方のことだ。多数決は「1位に1点、2位以下はすべてゼロ点」とする極端な傾斜配点のスコアリングルールである。
▽「ボルダルール」では「広く支持される人」が選ばれる
・決選投票付き多数決とボルダルールは、いずれも、票の割れへの対策が取られた決め方だ。では両者のどこが本質的に異なるのかというと、有権者による「2位以下」の扱い方である。 そこで、候補が乱立するなか「全有権者から2位に支持される候補」を考えてみよう。誰を1位に支持するかは有権者により異なるが、すべての有権者がその候補を2位に支持している。
・図表2-1の例でいうとBがそうだ。そこでは9人の有権者と4人の候補がいて、すべての有権者がBを2位に支持している。 この例では、ただの多数決だと、結果は上からACDBの順となる(上から4、3、2、0票)。勝つのはAだ。しかし計5人は、CをAより支持している。 だから決選投票付き多数決だと、AとCが決選投票に進んで、そこでCが勝つことになる。決選投票が付いていようがいまいが、Bは最下位である。こうなる理由は明らかで、有権者は1位しか投票用紙に書けないからだ。
・一方、ボルダルールだとBが最多の27点を集めて勝つ(AとCは24点、Dは15点)。Bは誰からも1位とされていないが万人からそれなりに高く評価される選択肢であり、そこをボルダルールは汲み取るのだ。 なぜ汲み取れるのかというと、有権者は2位以下の選択肢への順序も投票用紙に表明できるからだ。このことがなぜ望ましいのか、民主主義と決め方の関係から考えてみよう。
▽民主的な決め方」とは何か
・民主主義にもさまざまな考え方があるけれど、その根本にあるのは「被治者と統治者の同一性」だ。これは噛み砕いていうと、自分たちで自分たちのことを決めることだ。「自分だけ」でなく、「自分たち」という点が難しい。
・自分だけなら1人で考えれば決定できる。だが自分たちとなると、複数の人がいるから、話はそうシンプルにはいかない。どんなに丁寧に議論を進めても、満場一致の決定に至れるとは限らない。だから集団には、1つの決定を導くための決め方が必要になる。 では決選投票付き多数決と、ボルダルールでは、どちらがより民主的な決め方なのだろう。本来なら満場一致が理想なのだという点は重要だ。すべての人々が選択肢Aを満場一致で1位に支持するとき、多数決に決選投票が付いていようがなかろうが、ボルダルールだろうが、およそ常識的に考えうるあらゆる決め方はAを選び取る。実に「自分たち」の決定ができるのだ。
・だが、満場一致が成り立たないときには、そもそも全員が満足する決定はできない。決め方を使って多を一に結び付けるのは、本来的に、満場一致からのやむなき妥協であるのだ。 となると、その妥協の程度が弱いもの、満場一致に比較的近い決定ができる決め方を使うのが、「自分たち」の決定をするには相応しい。民主主義は多数派のためのものではなく(ノット・フォー・マジョリティー)、万人のためのもの(フォー・オール)だという考えに親しむ決め方はどれだろう。
▽満場一致に近いボルダルール
・先ほどの例でボルダルールは、全員から2位に支持されるBを選び取る。ではBを選ぶのは、ほかの選択肢、つまりAとCとDを選ぶよりも、満場一致に比較的近い決定になっているのだろうか。 近さとは距離に関する概念だが、ここでは各選択肢について、それが満場一致の1位となるためのステップ数でカウントしてみよう(図表2-2)。
・まずは選択肢Aを考えてみよう。4人にとってAは最初から1位だ。そこへ3人がAの順位を2つ上げて、2人がAの順位を3つ上げると、Aは満場一致の1位になる。それに要したのは計12ステップ(=3×2+2×3)。図表2-2aは、そのようにして、Aを満場一致の1位に上げた状況を表している。
・同様の作業をBにしてみよう。9人すべての有権者がBの順位を1つずつ上げれば、Bは満場一致の1位になる。つまりBは計9ステップの上昇で、満場一致の1位となれる。図表2-2bは、そのようにして、人々の順序付けのなかで、Bを満場一致の1位に上げた状況を表している。 9ステップで満場一致に到達できるBと比べると、Aは3ステップ多く要している。その分だけ満場一致への距離が遠い。
・同様に計算してみると、満場一致の1位となるためには、Cは12ステップ、Dは21ステップの上昇が必要だ。
・つまり最少のステップ数、最短の距離で満場一致の位となれる選択肢は、ボルダルールが選ぶBなのだ。 この例に限らず、ボルダルールが選ぶ選択肢は、必ずそのようになっている。言い換えると、そのような選択肢であらねば、ボルダルールのもとでは絶対に勝利できない。勝つためには広い層からの着実な加点が必要なのだ。この意味でボルダルールは「フォー・オール」の民主主義と相性がよい。
▽決選投票付き多数決は万人のため」の民主主義と相性が悪い
・そして決選投票付き多数決が選ぶのは、Bと比較すると満場一致に3ステップ遠いCだ。ボルダルールと比べると、フォー・オールの民主主義との相性が下がる。
・付記すると、この相性の悪さは、決選投票とはまた違った「複数回多数決」の方式である繰り返し多数決でも同じである。これは最下位の選択肢を落としながら多数決を繰り返していく決め方で、国際オリンピック委員会が競技種目や開催地の選定でよく使っている。
・例えば2020年の夏季オリンピックは東京で開かれるが、その最終選考では東京・イスタンブール・マドリードの3都市が残っていた。そこではまずマドリードが落とされ、次いでイスタンブールが落とされ、東京が勝ち残った。 この決め方は、何度も多数決を繰り返すぶん入念に選定しているように見えるが、「2位以下」が投票用紙に書けない点が、やはり1回だけの多数決と共通している。だから先ほどの例でも、どのみち初回の多数決で1票も得られない「フォー・オール」なBは、真っ先に落とされてしまう。
・ここでの議論はボルダルールが完璧だと主張しているわけではない。満場一致が成り立たない以上、全員を満足させることはできない。ボルダルールはベストではないというより、そもそもベストな選択肢がないから困っている。そこでセカンドベストとして、ボルダルールのもとで勝つ選択肢はきわめて有力ということだ。
http://diamond.jp/articles/-/96679

山崎氏が指摘する欧州金融機関の脆弱性は、近日中に取上げるつもりである。「最終提案ゲーム」で、『個人間の大きな経済「格差」が顕在化して、固定してきた、という印象を多くの人が持つ場合、「経済全体にとって得なこと」が選択されなくなる可能性が、大いにある』、というのは、格差が拡大するなかで、大いに考えさせられる問題だ。確かに、対岸の火事ではなく、日本でも問題なのだろう。
坂井氏が言う「多数決が正しく機能する条件」は、どう考えてもハードルが高過ぎるようだ。『フェアな「決め方」の基本を、アリストテレスが唱えた公正の基準、「等しいものを等しく、等しくないものを等しくなく扱う」』、についての具体例の説明は、なるほどと納得させられる。
「ボルダルール」というのは初めて知った。『民主主義は多数派のためのものではなく(ノット・フォー・マジョリティー)、万人のためのもの(フォー・オール)だという考えに親しむ決め方』だそうだが、確かに「セカンドベスト」として合理的だと思う。その割に、『国政レベルでのボルダルール実用例には、中欧スロヴェニアでの少数民族代表選挙がある』、だけというのは何故だろう。集計が面倒、という理由は思いつくが、他にも理由があるのかも知れない。安部政権による「多数の暴力」が横行しているなかで、今後も考えてゆきたい。
タグ:中欧スロヴェニアでの少数民族代表選挙 国政レベルでのボルダルール実用例 多数決の代替案として最適な「ボルダルール」」 ボルダルール 満場一致に最も近い方法 「1位に3点、2位に2点、3位に1点」のように配点 経済的繁栄の利益を、一部の者が独占してしまった場合、残りの多数の国民が経済上の損得に重要な関心を持たなくなり、EU官僚への反感や、移民への悪感情などが経済上の損得を上回る問題だと感じられる 山崎 元 ▽「大事なのは経済だよ!」が通用しない 自分も損をすると分かっていても、儲けている連中が損をすることが望ましいと思う、一種の処罰ないしは嫉妬の感情を持ったことだ 英国EU離脱問題(その8) 民主主義 多数決制 国民投票のあり方が問題 ダイヤモンド・オンライン 国民投票で国論二分の大問題を決めることのリスク 欧州の金融機関は、不動産バブル崩壊による不良債権の処理を先送りしたまま、ECB(欧州中銀)による金融緩和で延命 英国民の間ではEU離脱への賛否を巡って深刻な対立感情が残った 世界経済は、言わば、いつ発作が襲うか分からないような慢性病の病巣を欧州に抱えており、致命的な発作につながりかねない症状の進行を見せたのが今回のブレグジット可決 内実は脆弱 このような場合の「決め方」には二つあると説く。上位2名で決選投票を行う、もしくは「ボルダルール」を適用 多数決が正しく機能するには条件 多数決で決めようとしていることに関して、参加者の間に利害の対立がないこと 個人間の大きな経済「格差」が顕在化して、固定してきた、という印象を多くの人が持つ場合、「経済全体にとって得なこと」が選択されなくなる可能性が、大いにあるということだ 最終提案ゲーム 行動経済学 経営者の報酬ばかりを引き上げる一方、ROE向上に圧迫されて一般社員の賃金が上がりにくい現在の日本企業と社会にあっても、遠からず問題となる状況かもしれない 大統領選挙に向けて米国が直面している状況と似ている 多数決は本当に公平で民主的な「決め方」なのか?~『「決め方」の経済学』(坂井豊貴著)を読む 『「決め方」の経済学』 の著者、坂井豊貴 これほどまでに深刻な結果を招く決定を、そもそも単純な多数決に委ねてしまってよかったのだろうか 多数決の限界 実は「正しく」使うのが難しい多数決 アメリカ大統領選挙を例に、「票の割れ」が起こることで多数決がまともに機能しなくなることを指摘 安易に多数決に逃げずに地道で合理的な説得を 参加者は誰か他の人の意見に影響されずに、自分の頭で考えて選ぶこと 個々の参加者の判断が正しい確率が50%を越えること 民主的なプロセスを重視するならば、面倒でもこのような合理的で着実な手順を踏むことがきわめて重要なのだ フェアな「決め方」の基本 アリストテレスが唱えた公正の基準、「等しいものを等しく、等しくないものを等しくなく扱う」 民主主義は多数派のためのものではなく(ノット・フォー・マジョリティー)、万人のためのもの(フォー・オール)だという考え スコアリングルール 満場一致が成り立たない以上、全員を満足させることはできない ボルダルールは「フォー・オール」の民主主義と相性がよい セカンドベストとして、ボルダルールのもとで勝つ選択肢はきわめて有力
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