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日本・ロシア関係(その2)北方領土(北方領土外交の失敗を認めた安倍首相、鈴木宗男氏の歴史的視点、対日経済協力の窓口閣僚解任の謎) [外交]

日本・ロシア関係については、10月23日に取上げた。プーチン首相訪日を来週に控えた今日は、(その2)北方領土(北方領土外交の失敗を認めた安倍首相、鈴木宗男氏の歴史的視点、対日経済協力の窓口閣僚解任の謎) である。

先ずは、元レバノン大使の天木直人氏が11月21日付けの同氏のブログに掲載した「北方領土外交の失敗を認めた安倍首相」を紹介しよう。
・ペルーで行われた日露首脳会談の後で、記者団の前で語った安倍首相の言葉を聞いて、我が耳を疑った。 こう語ったのだ。 「平和条約について言えば70年出来なかったわけだ。そう簡単な課題ではない。一歩一歩山を越えていく必要がある」
・これまで、あらゆるウソと強弁を重ねて、絶対に失敗を認めなかった安倍首相が、ここまで言った。 北方領土外交の完全な失敗をみずから認めた瞬間だ。 もはやプーチン大統領の訪日すら消化試合になったということだ。 プーチン大統領の事だから、経済協力で安倍首相が言いなりにならなければ、訪日キャンセルも言い出しかねない。 安倍首相はベタ降りするしかない(了)
http://天木直人.com/2016/11/21/post-5688/

次に、新党大地代表の鈴木宗男氏が11月25日付け東洋経済オンラインで対談に応じた「鈴木宗男氏「北方領土への誤解が多すぎる」 安倍・プーチン1215長門会談へ大きな期待」を紹介しよう(▽は小見出し、+は回答の中の段落)。
・第10回は新党大地の鈴木宗男代表。1956年の「日ソ共同宣言」から60年。2016年の12月15日、舞台は山口県・長門市の「大谷山荘」。日ロ関係の改善に執念を燃やす安倍首相とロシアのプーチン大統領との会談が予定され、北方領土への関心が急速に高まっている。
・その安倍首相とたびたび意見交換をしているのが、日ロ関係に命を懸けてきた鈴木氏だ。波乱万丈の政治家人生を生き抜いてきた鈴木氏に、再び天が大きな仕事を与えようとしている。誤解が多い北方領土問題の「基本」から「今後のゆくえ」について、有馬氏が迫る(登場人物の肩書きは当時)。
▽「日本が無条件降伏した」という事実は重い
有馬:日本と旧ソ連が「日ソ共同宣言」に署名したのは1956年の10月19日。この時、旧ソ連との第2次世界大戦からの戦争状態が終わったわけですが、その60年後の今年12月15日、安倍首相が地元の山口県長門市の「大谷山荘」でロシアのプーチン大統領と会談します。 北方領土やロシアとの平和条約を締結するうえで、極めて重要な会談になりそうですが、実は北方領土(歯舞<はぼまい>諸島・色丹<しこたん>島・択捉<えとろふ>島・国後<くなしり>島)の問題は、事実を知らない読者が大半です。「4島」なのか「2島」なのかという議論が漠然と盛り上がっていますが、北方領土問題の解決や平和条約締結に向けては、何がポイントとなるのでしょうか。
鈴木:北方領土問題は、日本の戦後処理で解決されていない問題です。改めて歴史を振り返りながら、お話ししましょう。まず、旧ソ連時代のポイントは少なくとも4つあります。
+はじめに1956年の日ソ共同宣言(両国の議会によって批准された国際条約)が結ばれた背景を知る必要があります。1945年8月15日の終戦後すぐの同年9月2日、日本は東京湾に浮かぶ戦艦ミズーリ号で無条件降伏文書に署名するわけですが、これが戦勝国側から見た国際標準のスタートラインです。
+それに先立つ同年の2月、クリミア半島でヤルタ協定が結ばれます。英国チャーチル首相、米国ルーズベルト大統領、ソ連の最高指導者スターリンという3カ国の首脳によって戦後の処理方針を決めた秘密協定ですが、北方領土問題との絡みで言えば、ソ連の対日参戦と、ソ連への千島列島の引き渡しが書かれています。実際、ソ連は同年の8月9日に対日参戦してきました。
+これは1941年に結ばれた日ソ中立条約に対する明らかな違反ですが、戦勝国のソ連からすれば「日独伊3国同盟」で、ナチスドイツによって3000万人の犠牲者が出たという主張になるわけです。国際社会の中でも、ヤルタからの議論が認められているのですから、ここが最初の重要なポイントになります。
+次の二つ目のポイントは1951年のサンフランシスコ講和条約。日本が国際舞台に復帰した条約ですね。日本は千島列島と北緯50度以南の南樺太を放棄したわけですが、大事なことは、この時、日本は国後島、択捉島を放棄しているのです。 同年条約署名後の10月の国会で、吉田茂首相の答弁に引き続き、西村熊雄外務省条約局長が、「千島列島の範囲とは北千島と南千島の両者を含む。その一方で歯舞と色丹は千島に含まれないことはアメリカ外務当局も明言している」という趣旨の答弁をしています。
▽国後・択捉の放棄後、再び4島返還論になった
+この事実を多くの政治家も、マスコミもわかっていないのです(内閣府は北方領土4島が日本固有の領土であり、千島列島の範囲に含まれないとし、米国もこの立場を支持するという説明をしている)。ですから、日本が国際舞台で北方領土4島の議論をするときは、日本は決して有利とはいえず、私は、サンフランシスコ講和条約を歴史の事実として考えないといけないと思います。
+しかも、その後外務省は「物語」を作ります。サンフランシスコ講和条約にソ連は署名しませんでした。それを持って、「国後島と択捉島は放棄していない」という、いわば「議論のすり替え」をするのです。
有馬:今のような背景を知ってから、1956年の日ソ共同宣言の話を考えないといけないわけですね。
鈴木:そのとおりです。三つ目のポイントは1956年10月の日ソ共同宣言です。鳩山一郎首相は日ソ共同宣言に署名しますが、歯舞・色丹の2島だけでも平和条約を結ぼうという意見もありました。
+しかし、国内世論や閣議の結果、2島では平和条約までは結ばないということを同年の8月に閣議決定します。ところが、この後、こうした決定をしているにもかかわらず、米国が「もし2島で日ソ平和条約を結ぶなら、沖縄を返還しないぞ」と言ってくるわけです。これがいわゆる「ダレス(国務長官)の恫喝」です。冷戦が激しくなってきたために、米国が日本に圧力をかけてきたわけですが、この「上から目線」がソ連の態度を硬化させ、問題を複雑化しました。
+そして四つ目のポイントは1960年の日米安保条約の改定時。1956年の日ソ共同宣言の直前に交わされた「松本・グロムイコ書簡」では、「日ソの外交関係再開後も領土問題を含む平和条約交渉を継続する」とされていましたが、共同宣言では最高指導者であるフルシチョフ氏の反対で、「領土問題を含む」という文言が削除されました。
+日本側は松本・グロムイコ書簡と共同宣言を一体のものと説明しながら、平和条約の前提としても4島返還を求めてきたわけですが、1960年には「外国の軍隊が駐留する国には領土を渡さない」という新たなグロムイコ外相の書簡が出ます。これによって、1956年の宣言は反故にされ、これ以降、ソ連時代、ソ連から見れば、領土問題は事実上存在しないことになってしまったのです。
+その後、1972年の田中首相とブレジネフ書記長の会談でも、田中首相は「戦後の諸問題の中に、北方領土問題は入っているな?」と、ソ連側に迫りましたが、ソ連側は聞くだけで、まったく取り合いませんでした。 有馬:ところが、ソ連が崩壊しロシアになったことで、話が変わってくるわけですね。
鈴木:1991年4月、ソ連時代の最後の指導者だったゴルバチョフ大統領と海部首相の間で「北方領土4島を話し合いで解決する」と変化していましたが、同年にソ連は崩壊します。ソ連は、自由と民主のロシアになり、エリツィン氏が大統領になります。彼は「戦勝国、敗戦国という枠組みにとらわれず、法と正義に基づいて話し合いで解決する」と言いました。
▽外務省はエリツィン大統領登場で対応を事実上変えた
+ここで大事なことは、日本政府も、1991年10月以降は「4島一括返還の旗」を降ろしたことです。つまり、「ロシアが4島の帰属さえ認めれば、その返還時期や条件については柔軟に対応する」と事実上、対応を変えたのです。この事実は一部では報道されていますが、外務省が政治家や国民に明確に伝えていないため、さまざまな誤解が生じているのです。
+その後、1993年10月、エリツィン大統領は細川首相と会談した際には国会でシベリア抑留を謝罪。北方領土4島の名前を列挙して「4島の帰属の問題を解決して平和条約を締結する」という東京宣言に署名するなど、旧ソ連時代とはまったく違った姿勢で臨んできました。
+さらに、1997年と98年には、橋本首相とエリツィン大統領とがそれぞれロシアのクラスノヤルスク、川奈(静岡県伊東市)で会談を行い、1997年には「2000年までの平和条約締結に向けて全力を尽くす」と決定。1998年には非公式に「北方4島の北側で両国の国境を画定し、当面はロシアによる4島の施政権を認める」という「川奈提案」も行いましたが、ロシア側が拒否しました。
有馬:このあと2000年にプーチン大統領が登場したことで、どう変わったのでしょうか。鈴木さんも、プーチン氏に特使として会うなど、交渉には深くかかわっています。またその後は、いろいろ大変なことになりました。
鈴木:話はここからが本番です。2000年の3月に当選したプーチン大統領(就任5月)は、1960年の安保条約改定以後のソ連・ロシアの首脳の中で、1956年の日ソ共同宣言の有効性を認めてくれた初めての最高首脳です。逆に言えば、日ロ双方にとって、国境画定の議論や領土問題は法律的に裏付けられているものは日ソ共同宣言だけという立場を明確にしました。私は小渕内閣の時に当選直後のプーチン氏と会った経験がありますし、森次期首相とプーチン氏との会談をセットしたこともあるからはっきりといえますが、プーチン大統領は約束を守る政治家です。また法律の専門家でもあります。
+プーチン大統領は2000年の9月に日本にやって来ると、日ソ共同宣言の存在を認めたうえで、「今回は記者会見だけ。文書にするのは次の首脳会談で」といい、そのとおり2001年の3月25日に文書にしてくれました。これが森首相とのイルクーツク宣言です(日ソ共同宣言を、交渉の出発点と位置付けた宣言)。私に言わせれば、日本がもっとも北方領土に近づいた日でした。
+ではイルクーツクでの首脳会談の大事な部分とは何でしょうか。ポイントは2つです。歯舞・色丹の2島について、日本への具体的引き渡しの協議をしようということ。もう一つは、国後・択捉についてはどちらに帰属するかの協議を行おう、というものです。日ソ共同宣言の引き渡し交渉と、国後・択捉の帰属も同時に話し合う並行協議案ですが、これについて、プーチン大統領は「承った」と、持ちかえって協議することになったのです。
+しかし、2001年4月に小泉政権が誕生すると、話が変わってしまいます。 信じられないことに、2002年5月ラブロフ外相と会った川口外相は、このとき日本の側から交渉の旗を降ろしてしまうのです。米国一辺倒になった小泉政権の方針ですが、同じ政党なのに政策を大転換してきた日本の態度に、プーチン政権側がびっくりして、不信感を強めたのは想像に難くありません。このあと2012年末に第2次安倍政権が誕生するまで、日ロ関係は「空白の10年」になりました。
+私も、歴史を踏まえて行動をしているにもかかわらず、こうした「2島先行返還論」を主張したことなどで「2島返還論者」「売国奴」などとののしられることになりました。しかし、そのようなときにあっても、当時小泉首相の官房副長官だった安倍首相は、「鈴木さんは政府の方針を踏まえて日ロ外交を行っており、何の問題もない」と言ってくれていたのです。
有馬:もともと2島先行返還でも問題なかった安倍首相ですから、首相になってからも、地球儀を俯瞰する外交で、ロシアにはかなり精力を傾けてきました。
鈴木:安倍首相はお父さんの安倍晋太郎外相が日ソ関係の改善に尽力したこともあり、2012年末に首相に再度就任すると、翌年の2013年にはモスクワを訪問して交渉の活性化で合意しています。2014年には欧米とロシアの関係が冷え込む中、ソチ五輪の開会式にも出席しました。しかも、クリミア半島の問題が深刻化してからも、日ロ交渉の進展に向けて、態度を変えませんでした。クリミアの停戦合意後はそれこそ、さまざまなチャネルを通じてロシア側の出方を探ってきたわけです。
+それが一つの形となって表に出たのが、2016年5月のロシアのソチでの首脳会談です。ここで安倍首相はいわゆる「新しいアプローチ」として8つの経済協力を示しました。 これにプーチン大統領はびっくりしたと思います。彼の琴線を揺さぶった。プーチン大統領はこの新しいアプローチに同意しましたが、一方で、9月2日の東方経済フォーラムへの出席を要請した。私が思うに、プーチン大統領は安倍首相の本気度を試したのです。この日は日本が無条件降伏した日です。しかし、安倍首相は即決した。
+この時の会談では、安倍首相は8つのアプローチについて具体的な説明をし、エネルギー政策・医療・インフラ・環境などの分野について丁寧に説明しました。東方経済フォーラムでプーチン大統領は公の席で初めて安倍首相に「シンゾー」と呼びかけ、安倍首相も「ウラジミール」と応じましたが、これが二人の信頼関係を物語っています。
▽長門会談は日本とロシア双方にリスクがある
有馬:ということは、12月15日の長門会談の下準備は完全だ、ということでしょうか。
鈴木:長門会談は昨日今日に考えられたわけではありません。すでに3年前の会談で安倍首相が申し出ているように、安倍首相は用意周到にスケジュールを考えています。 今、北方領土4島について言えば、大事なことは、一方的な期待感や期待値を上げないことです。外交には相手があり、お互いの名誉と尊厳がかかっています。静かな落ち着いた環境で首脳会談を行うのが一番です。
+両首脳の波長がとてもあっており、しかも、両首脳は現在、国民からの高い支持率を得ています。領土や国境の画定は結局トップの決断によるしかありません。
+もう一つ大事なことは、両首脳ともリスクを抱えながらの決断になるということです。1956年の日ソ共同宣言に基づいて交渉が行われると言っても、ロシア国民の約8割は「日本に領土など返す必要はない」という意見です。もしプーチン大統領がこれは義務だからなどといってカードを切ったら、いかにプーチン大統領でも大変なリスクになります。
+一方、日本の安倍首相にとってもリスクがあります。今回前半でお話したように、国民の大半は、日ソ、日ロの交渉の詳細を知りません。こうしたところで安倍首相が大きな決断をするには大きなリスクがあるのです。 「1956年の日ソ共同宣言で、平和条約締結の後、歯舞・色丹の2島は引き渡されることになっているじゃないか」というのが漠然とした国民の理解かもしれません。よく「返還」と言われますが、正しい理解は、あくまでも「引き渡し」なのです。これは旧ソ連の善意で返してあげる、という意味で、「返還」ではないのです。過去の歴史を振り返るとき、「戦争でとられた領土は、戦争で取り返す」という繰り返しでした。一滴の血も流さず、領土が戻ってくるとしたら、これは大変なことなのです。落ち着いた雰囲気の中で、日本もロシアも良かったという決着を図らなければいけません。
有馬:過去には、北方領土問題は、麻生財務大臣が外相だった2006年に4島の面積を等分する「3・5島返還論」などが出たこともあるのですが、こうした分割による「引き分け論」はないわけですね?
鈴木:ないと思います。これに関連して言えば、先般、民進党の野田幹事長が歯舞・色丹の面積をもとに「ロシアは日本から昔100万円強盗しておいて、今になって7万円くらい返すといっているのと同じだ。けしからん」などという趣旨のことをブログで綴っていますが、これは首相経験者の話とは思えないほどの、低い見識に基づいた発言です。
+まず歴史の経緯から見て、世界の大国ロシアを強盗呼ばわりして、いいはずがない。もうひとつは、北方領土は陸の面積もさることながら、200カイリの排他的経済水域の概念などでわかるとおり、海の面積が非常に重要だということです。例えば今年サケマスの流し網漁は禁止されていますが、色丹島が日本の領域ということになれば、流し網漁ができる。これだけで、根室市の1年分の予算250億円に匹敵するほどなのです。野田幹事長の主張は、こうしたことがわかっていない、とんちんかんな発言だといわざるをえません。
▽旧西ドイツから学べ
有馬:結局のところ、落としどころはどうなるのでしょうか? 1956年の日ソ共同宣言をベースにするにしても、今のお話にあったように、当時は排他的経済水域のような概念はありませんでした。また強力な在日米軍もいませんでした。条件が変わっており、2島が直ちに引き渡しされることも考えにくい、というのが現実的でしょうか。プーチン大統領は、北方領土問題を機に、日米安保体制にくさびを打ち込もうとしているとも考えられますね。
鈴木:外交には相手があります。お互いの国益を考えての結論を出すしかありません。日本もロシアもリスクを負うという中で、1956年宣言を元に決着を図るのは一つの手です。しかし、例えば極端な話、引き渡しは歯舞諸島だけだが、それをもとに次の展開が見込めるというなら、私はそれを了としなければならないと思うのです。
+この話に関しては、旧西ドイツから学ぶべきです。1972年、東方外交を進めていた西ドイツのブラント首相は、東ドイツを承認、それは東西ドイツ基本条約の形で締結され、東西ドイツは相互承認をしました。この17年後の1989年11月9日にベルリンの壁は崩壊して、1990年には統一ドイツが誕生しました。ですから、歯舞・色丹の2島だけでも主権が戻ってきて国後・択捉島には出て行ける、共同経済活動ができる、となれば状況は変わってきます。
+また、日米安全保障条約など、米国との同盟関係については極めて重要です。安倍首相は、ことあるごとにオバマ大統領やバイデン副大統領に直接会って話をして、日本とロシアの領土問題についての理解を求め、納得を得てきました。 トランプ新大統領になっても、それは変わりないと思います。私は安倍首相が、日本の国益を損なわず、日米同盟に配慮しながら、さらに日ロ関係を強固にすることで、中国を見据えたアジアの安定にも貢献するという「地球儀を俯瞰する外交」が実行できると信じています。ロシアも日本と結ぶことで、対中国や対朝鮮半島の関係からも安定が図れるのです。
有馬:「8つの経済協力」への不安はありませんか?やはり、もし関係がぎくしゃくしたら、いざとなったらロシアが施設を接収するなどの問題も考えておく必要はありませんか?
鈴木:「ロシアは経済協力が目当てだ」などという議論は、さきほどの「100万円強盗して7万円返還する」と同じくらいレベルが低い議論だと、私は思います。「ソ連=ロシア」ではありません。そもそもロシア人は高い人的能力を持っていますし、今のロシアは信頼に足るエネルギー大国です。現在は財政が厳しいと言ってもソ連時代とは比べ物になりません。日本人はいいかげん、頭を切り替えなければいけません。
+一方で、ロシアは日本の農業や医療などの応用技術に関心を持っています。これは20年違うかもしれず、ロシアにとっては魅力です。世界一の応用技術を持つ日本と、世界一のエネルギー資源大国であるロシアが協力することによって、世界の平和と安定につながります。
有馬:最後に、次の衆議院選挙には出馬しますか?
鈴木:私の公民権は2017年の4月29日に回復します。その後に国政選挙があり、もし北海道のみなさんが「鈴木出るべし」ということなら、出馬します。もし年末の安倍・プーチン会談で北方領土の問題に道筋がついても、その仕上げには2年、3年、5年とかかるでしょう。2島だけでなく、国後・択捉などとの向き合い方にも課題が出てくるはずです。今後とも、生涯日ロ関係に命を懸けたいと思います。
【有馬の目】4島一括でなければ評価しないという意見があるなか、一歩でも進めることが大切と期待する鈴木宗男氏。安倍首相とプーチン大統領の個人的な関係は、日ソ共同宣言以来60年の歳月を埋めるチャンスと見る。北方領土に拘る族議員が見当たらないなか、ライフワークを自負する鈴木氏に丁寧に解説願った。
http://toyokeizai.net/articles/-/145689

第三に、12月9日付け日経ビジネスオンライン「対日経済協力の窓口、ロシア閣僚解任の深い謎 北方領土問題進展を阻止する勢力による陰謀説の真偽」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・ロシアで先月、対日経済協力の窓口も務めていたウリュカエフ経済発展相(当時)が収賄容疑で突然拘束され、解任された。日ロの北方領土問題進展を阻止する勢力が仕組んだとの見方も一部にあるが、真相はどうなのか。
・ロシア連邦捜査委員会がウリュカエフ経済発展相(当時)を収賄容疑で拘束したと発表したのは、先月15日未明のことだ。中堅石油会社「バシネフチ」の民営化(政府保有株の売却)に当たり、国営石油最大手「ロスネフチ」が一括購入できるよう便宜を図り、見返りに賄賂として200万ドルを受け取ったというものだった。  ウリュカエフ氏は刑事訴追され、裁判所は自身の健康状態や高齢の両親を抱えているといった家庭環境を考慮し、来年1月中旬まで2カ月間の自宅軟禁を命じた。
・プーチン大統領は「信頼を失った」として、ウリュカエフ氏を直ちに経済発展相のポストから解任した。大統領は先月末には、同相の後任としてマクロ経済政策に精通した若手の財務省次官を抜てきした。
▽あまりに不可解…くすぶる陰謀説
・こうした事実関係だけを拾えば、ロシアでありがちな閣僚や官僚の収賄スキャンダルにしか見えない。ただ、当時のウリュカエフ氏の政権内の立場や身柄拘束の経緯などを踏まえると、実際は不可解な点も少なくない。何者かによる陰謀説がくすぶるゆえんでもある。
・まずは身柄拘束に至った当日の経緯だ。ロシアメディアによれば、ウリュカエフ氏は先月14日夕刻、省内で開かれていた会合を中座し、公用車でロスネフチのオフィスに向かった。ロスネフチのオフィス内で、同氏は100万ドルの入ったカバンを渡され、残る100万ドルは車に運ぶと言われた。 その現場に治安機関の連邦保安庁(FSB)職員らが押し入り拘束された。ウリュカエフ氏は現金には触れていないと反論したものの、カバンの把手に触れた痕跡が決め手になったとされる。同氏は裁判所でも容疑を否認した。一方のFSBは「おとり捜査」だったと認めるとともに、1年以上前から監視を続け、数カ月前からは電話の盗聴もしていたと明かしたという。
▽売却の白紙撤回への動きが見られない不思議
・次に連邦捜査委のロスネフチへの対応だ。ロスネフチによるバシネフチの買収そのものは合法で、全く捜査の対象にはならないとしているからだ。 現地の報道によれば、実はウリュカエフ氏へのおとり捜査を陰で主導したのはロスネフチ自身だったという。FSBの元幹部で、現在はロスネフチの保安担当副社長がFSBと組んで仕掛けたというのだ。副社長はイーゴリ・セチン同社社長と親しく、ウリュカエフ氏の追い落としは社長の指示だったのではないかとの臆測も一部に浮上している。
・さらにバシネフチの民営化でそもそも、ウリュカエフ氏がどこまで決定権を握っていたかという疑問だ。 政府内では、この民営化をめぐって激しい論争があった。国営企業のロスネフチによる買収は、果たして「民営化」といえるのかが焦点だった(関連記事「ロシア、奥の手「大民営化政策」に漂うきな臭さ」)。確かにウリュカエフ氏は民営化の当事者で、当初はロスネフチへの売却に否定的だったものの、9月以降に容認する立場に変わっている。
・しかも翌10月、メドベージェフ首相が最終的にロスネフチへの売却決定を発表した際、政府指令書は「経済発展省の提案を受け入れた」と明記していた。プーチン大統領も自らの本意ではないことをほのめかしつつも、この決定は財政赤字の穴埋めを優先する「政府内の財政・経済派の立場だ」と弁明していた。 こうした経緯からみると、大統領も首相もウリュカエフ氏の提案に従った格好だが、ロスネフチへの売却の流れが一気に進んだのは9月初め、プーチン大統領が「英BPも出資するロスネフチは厳密にいえば国営企業ではない」と発言したのがきっかけだったとされている。
・また、仮にウリュカエフ氏がこの民営化プロセスの全権を握り、かつ裏で要求した多額の賄賂によって民営化が決着したとすれば、大統領はロスネフチへの売却自体の白紙撤回を命じるのが筋だろう。しかし、そういう動きは全く見られない。
▽謎を深めた大統領と新経済発展相の面談内容
・ウリュカエフ氏は60歳。ソ連崩壊直後にロシアの急進経済改革を進めたガイダル・チームの一員で、2013年から経済発展相を務めていた。改革派の閣僚のひとりだが、政府内でもどちらかというと地味なタイプとされていた。 対するロスネフチのセチン社長は豪腕タイプ。プーチン大統領のかつての「最側近」であり、政界への影響力も依然大きいとされる。そのセチン社長率いるロスネフチを相手に賄賂を要求すること自体、考えにくいとみる政治専門家も少なくない。バシネフチ民営化の検討段階ならともかく、決着から1カ月以上もたって賄賂を授受するのは極めて不自然と指摘する声もある。
・様々な臆測が飛び交うなか、多くの専門家が事件の背景を探る手掛かりとして注目したのが後任人事だった。ところが、プーチン大統領が経済発展相に任命したのはマクシム・オレシキン財務省次官。34歳という若さを除けば極めて穏当な人事だった。
・しかも11月末、任命時の大統領とオレシキン氏の面談がさらに謎を深めた。
プーチン大統領「あなたは財務省次官になってどれくらいか」
オレシキン氏「ほぼ2年です」
大統領「2年か。それまでは?」
オレシキン氏「財務省の部長です。それ以前は銀行で、対外貿易銀行と国際的な銀行に勤めていました」
大統領「大学の専攻だと、あなたはエコノミストだね」
オレシキン氏「はい」
大統領「それほど長く勤務したわけではないが、もう短いとはいえないし、仕事はうまくやっている。あなたを経済発展相に任命したい」……。
・会話内容から、大統領自らが抜てきした人物ではないことがうかがえる。改革派の経済・財政担当閣僚らがこぞって歓迎していることから、こうした勢力の推薦によるものとみられる。ロスネフチやFSBの関与は感じられない。 一方でプーチン大統領は、今月初めの年次教書演説で汚職問題にも触れている。抽象的な表現に終始してはいるが、「汚職との戦いはショーではない。専門性と真面目さ、そして責任が要求される」と強調し、大げさに騒ぎ立てる治安機関の行動にクギをさした場面があった。
・これらを総合してウリュカエフ事件を振り返ると、大統領はFSBが主導した同氏の追い落としを黙認したが、FSBの横暴ぶりには閉口し、後任人事で巻き返して政権のバランスをとった、というシナリオが考えられなくもない。
▽日ロ領土問題との関連性は?
・ではFSBがなぜウリュカエフ氏を標的にしたのか。石油利権との関連を指摘する専門家は少なくない。経済の長期低迷で全体に利権のパイが小さくなるなか、エネルギー分野は数少ない有望分野だからだ。 例えばフォーブス誌ロシア版が集計した2015年のロシア企業経営者の年間報酬ランキング。トップは国営天然ガス最大手「ガスプロム」のアレクセイ・ミレル社長、2位はロスネフチのセチン社長だった。
・とくにロスネフチは、かつて脱税や横領の罪で投獄された元石油王ミハイル・ホドルコフスキー氏が率いた「ユーコス」の解体資産を吸収して急拡大した、いわく付きの企業でもある。FSBが利権の宝庫とみてもおかしくない。
・財政赤字の穴埋めに躍起となる政府は、ロスネフチの資金力や資産を最大限利用しようとしている。これに反発するFSBが政権内の財政・経済派に圧力をかけるため、ウリュカエフ氏をスケープゴートにした可能性も否定できない。 ロシアでは2018年春に予定される次期大統領選を控え、各勢力による水面下の権力闘争やかけ引きが早くも始まっている。大統領自身、大統領府幹部に若手や有能な実務家を抜てきするなど、「次」を見据えた人事刷新に動き始めている。ウリュカエフ事件もそうした文脈の中で捉えるべきなのかもしれない。
・さて、事件と日本との関係だ。ウリュカエフ氏は11月初めにモスクワで世耕弘成経済産業相と会談し、プーチン大統領の来日時に調印する日ロ経済協力案件を詰めた。ペルーでのアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議時に開いた日ロ首脳会談にも同席を予定していたが、その直前に拘束された。
・このため日ロ関係との関連が一部で指摘されたが、ロシアでは日ロの領土問題と結びつけるような分析は見当たらない。ウリュカエフ氏は日本との経済協力の窓口を務めたが、業務のごく一部に過ぎない。やはり内政問題とみるのが自然だろう。 ただし、日ロが平和条約締結交渉を続けていくうえで、ロシアの政局が大きく流動化しつつある現状は頭の片隅に入れておく必要がある。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/040400028/120700019/?P=1

安部首相の郷里の長門で訪日したプーチン首相と会談するというので、当初は北方領土問題で何らかの成果を引き出し、それで解散・総選挙という見方が多かったようだが、天木氏が指摘するように、ペルーでの日露首脳会談で安部首相も困難さを再認識させられたようだ。
鈴木宗男氏は、さすが日ロ問題のプロだ。小泉政権がまとまりかけていた交渉の旗を降ろしたとは、初めて知った。外務省のいいかげんさも厳しく批判している。『安倍首相はお父さんの安倍晋太郎外相が日ソ関係の改善に尽力したこともあり、2012年末に首相に再度就任すると、翌年の2013年にはモスクワを訪問して交渉の活性化で合意しています』、というのであれば、ロシアとの交渉に安部首相は適任ということだろう。プーチン大統領としても、外見ほどの絶対的権力を握っている訳ではないので、交渉は一歩ずつ進めていくしかないのだろう。
三番目の記事は、驚くべき内容で、ロシアという国の闇の深さを示している。『ロスネフチは、かつて脱税や横領の罪で投獄された元石油王ミハイル・ホドルコフスキー氏が率いた「ユーコス」の解体資産を吸収して急拡大』、というのは、まだこんなことが行われるのかと驚いた記憶がある。安倍首相は民間企業にロシアとの経済関係強化を促しているようだが、ロシアという国の特殊なカントリー・リスクには十二分に留意する必要がありそうだ。
タグ:日本・ロシア関係 (その2)北方領土(北方領土外交の失敗を認めた安倍首相、鈴木宗男氏の歴史的視点、対日経済協力の窓口閣僚解任の謎) 日ロが平和条約締結交渉を続けていくうえで、ロシアの政局が大きく流動化しつつある現状は頭の片隅に入れておく必要がある ロシアでは日ロの領土問題と結びつけるような分析は見当たらない 日ロ領土問題との関連性は バシネフチの民営化でそもそも、ウリュカエフ氏がどこまで決定権を握っていたかという疑問だ へのおとり捜査を陰で主導したのはロスネフチ自身 ウリュカエフ経済発展相(当時)が収賄容疑で突然拘束され、解任された 対日経済協力の窓口も務めていた 対日経済協力の窓口、ロシア閣僚解任の深い謎 北方領土問題進展を阻止する勢力による陰謀説の真偽 日経ビジネスオンライン 長門会談は日本とロシア双方にリスクがある 8つの経済協力 ソチでの首脳会談 安倍首相はお父さんの安倍晋太郎外相が日ソ関係の改善に尽力したこともあり、2012年末に首相に再度就任すると、翌年の2013年にはモスクワを訪問して交渉の活性化で合意 空白の10年 プーチン政権側がびっくりして、不信感を強めたのは想像に難くありません ラブロフ外相と会った川口外相は、このとき日本の側から交渉の旗を降ろしてしまうのです 小泉政権が誕生すると、話が変わってしまいます プーチン大統領は「承った」と、持ちかえって協議することになったのです 国後・択捉についてはどちらに帰属するかの協議を行おう、というものです 歯舞・色丹の2島について、日本への具体的引き渡しの協議をしようということ 日本がもっとも北方領土に近づいた日 森首相とのイルクーツク宣言 外務省はエリツィン大統領登場で対応を事実上変えた 国後・択捉の放棄後、再び4島返還論になった 「日本が無条件降伏した」という事実は重い 山口県・長門市の「大谷山荘 新党大地代表 鈴木宗男氏「北方領土への誤解が多すぎる」 安倍・プーチン1215長門会談へ大きな期待 東洋経済オンライン 鈴木宗男 北方領土外交の完全な失敗をみずから認めた瞬間だ 平和条約について言えば70年出来なかったわけだ。そう簡単な課題ではない。一歩一歩山を越えていく必要がある ・ペルーで行われた日露首脳会談 北方領土外交の失敗を認めた安倍首相 天木直人
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