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民主主義(その2)(停滞する民主主義、溶けていく近代社会の「建前」) [世界情勢]

民主主義については、昨年8月1日に取上げたが、今日は、(その2)(停滞する民主主義、溶けていく近代社会の「建前」) である。

先ずは、John Lloyd氏が昨年12月30日付けでロイターに寄稿した「コラム:停滞する民主主義、見限るのはまだ早い」を紹介しよう。
・議制による政治こそが最善だと確認された第2次世界大戦以降のどの時期にも増して、2016年は民主主義の限界と欠陥がはっきりと露呈した1年となった。 第2次大戦における大規模で凄惨な戦いを経て、民主主義諸国は専制的国家だったドイツ、イタリア、日本を打倒した。皮肉なことに、その勝利を決定づけたのは、史上最大の専制国家、ソ連によって払われた比類のない人的犠牲だった。
・戦後世界を形成したのは、豊かで自信に満ちた米国を筆頭とする戦勝国である。連合国が創設した国際連合、国際通貨基金(IMF)や世界銀行などの機関は、大戦中に連合国のあいだで行われた議論に由来するものだ。それらの機関は、安定をもたらし、戦争に代わり協議を行い、貧困国のための開発援助を確保することを目指していた。
・1948年、戦争で荒廃した欧州の復興に向けて、米国は約120─130億ドルを拠出。マーシャル・プランと名付けられたこの援助は現在の貨幣価値に換算すると約1200億ドル(約14.1兆円)に上る。この援助は、民主的な政府を支え、当時は強大だった共産主義勢力を遠ざけることを意図していた。 その当時、戦勝国は自国の政治システムに自信を持っており、市民が選挙や政党、公開討論に積極的に参加することによって、その力をさらに発揮できると捉えていた。だが今や、民主主義の前進は止まってしまった。いや、一部には後退している例さえ見受けられる。
・西側諸国では、政党単位で選択された代議員を議会に送るための選挙を、自由社会に自然と付随するものだと見なしていた。しかしその自由とは非常に規制されたものであり、必然的に政治的エリートを生み出した。人々の声は多くのフィルターを媒介して伝えられ、ほとんどの人にとってそのフィルターは不透明だ。  スイスのように日常的に国民投票を活用している国はほとんどない。同国では、経済的なメリットがあるとされているにもかかわらず移民受入の制限が国民投票で承認された。
・今年、欧州で経験の乏しい2つの大国が国民投票を実施し、それぞれの政府が推奨していた政治的選択が却下された。英国民は欧州連合(EU)からの離脱を選択し、イタリアでは憲法改正が否決された。その結果、イタリアのレンツィ首相、英国のキャメロン首相が辞任した。イタリアでは第2次大戦後以降、英国では何世紀にもわたり、国会が最高立法機関として位置づけられている。
・国民投票は今や、ポピュリスト政党のお気に入りの手段となっている。こうした政党は、民衆の反発を利用し、これを誘導することができると信じているからだ。これこそが民衆の声、そうではないのか、と。
・代議制の方が継続性や経験、英知を提供できるという有力な弁護の声もあるが、主流派が政治的な人気を失っている時期において、このような主張をしても盛大な嘲笑を浴びるのが関の山だ。 主流派の政党は、たいていは抗議や議論の結果を受けて、市民の政治参加を拡大しようという試みを繰り返してきた。だがほとんどの場合、多数の市民を集められるのは数回の会合にすぎない。
・米政治学者フランシス・フクヤマ氏が書いているように、「大半の市民には、公共政策に関わる複雑な問題を理解するための時間も、経験も、その意欲もない。政治参加の拡大は、単に、よく組織された活動家団体がさらに大きな力を得る道を開くだけになる」からだ。 新たな民主的構造を生み出すための最大の実験が、1950年代以降、着実に発展してきたEUだ。だがその歩みも、この10年間で停滞している。 有権者だけでなくEU懐疑派の政党に突き上げられた加盟国政府が、意志決定権の回復を求めてきたからだ。それも、各国議会に取り戻すというより、「国民」の手に取り戻すという要求だ。フランスで勢力を増しつつある極右政党・国民戦線のマリーヌ・ルペン党首が主張するように、「国民国家の復活」なのだ。
・EUは民主的な統治の「新たな一歩」として、創設国やその政治家の多くによって提唱されてきた。国民国家を自発的に統合することで、中国、ロシアや米国に対抗し、グローバル企業や銀行への影響力を増すとの考えだ。 だが、EUは政治的プロジェクトを推し進め過ぎた。特に、政治的目標のためにユーロの金融メカニズムを利用しようとした点だ。
・かつてギリシャやイタリアなどの国では、競争優位を維持するために通貨切り下げを行うことが珍しくなかった。だが今では、ユーロから離脱するしか手がない。その場合、ユーロ建ての膨大な債務を抱える一方で、自国通貨は大幅に切り下げられてしまう。ユーロ圏に留まっても離脱しても、いずれにせようまく行かないのだ。
・一方、独裁主義は復権を果たしつつある。 ロシアのプーチン大統領が米タイム誌の「今年の人」候補に選ばれたのは、ウクライナ、シリア、そしてロシアにおいて(いかに暴力的なものであれ)成功を収めていることへの評価であり、世論調査によれば依然、圧倒的な国民の支持を得ている。プーチン氏同様、高い支持を集める独裁的リーダーとしては、中国の習近平主席、トルコのエルドアン大統領、フィリピンのドゥテルテ大統領などが挙げられる。
・政治的な主流派としての勢力維持を願う人々にとって、こうした民主主義のジレンマから脱する選択肢は3つある。 まず第1に、最も魅力に欠けるものの、可能性が高い選択肢は、さまざまなポピュリスト運動が失敗するのを待つことだ。 ドナルド・トランプ次期米大統領には、首尾一貫した統治は無理だろう。ブレグジットは英国経済に長期に及ぶダメージを与えるだろう。イタリアには、必要とされている痛みを伴う改革を実行できるような政権は誕生しないだろう。少なくとも、手っ取り早い解決策に魅了された人々の一部は目を覚ますだろう。
・第2に、ポピュリスト勢力が主流派に近づくのを待つ。移民制限を掲げるフィンランドの保守政党「真のフィンランド人」がそうであったように、責任ある態度を身につけていく一方で、その先鋭さと人気を失っていく。
・最後に、政治的主流派が改めて勢いを取り戻すことだ。理性に基づいた政治の必要性を説明し、かつ成果を上げることが出来る、新たなリーダーの登場だ。 最後の道が最も困難であり、忍耐力、失敗への寛容さ、そして説明と教育への意欲が必要となる。いくつもの国民投票では、大衆が「彼ら(既存の政治勢力)」に対して抱く拒絶感の強さが表れている。
・成功を収めるためには、上記の3つのシナリオのすべてを活用することにより、過激な変革を今すぐ求めるような政治から脱却することだ。だが、これは容易な道ではない。私たちは、すでにその途上にあり、一気にそこから逃れることは不可能なのだ。
http://jp.reuters.com/article/lloyd-democracy-idJPKBN14H0L7

次に、 哲学者の内山 節氏が昨年12月29日付け現代ビジネスに寄稿した「溶けていく近代社会の「建前」〜「本音」ばかりが跋扈する時代へ たそがれる国家(2)」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・次第に国家が意味を失っていく、いま世界はそんな時代に入りはじめたのではないだろうか……。哲学者・内山節が世界の大きな潮流を読み解く新連載第2回。はたしてトランプ勝利が意味することとは?(*第1回はこちら http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50071
▽理念より現実
・1776年に出版されたトーマス・ペインの『コモン・センス』は、世界の歴史を動かした本の一冊といわれている。 1775年にレキシントンの戦いが勃発し、イギリスからのアメリカの独立戦争がはじまった。当初はアメリカ軍は劣勢であった。その渦中でアメリカの独立を鼓舞したこの本は出版され、たちまちベストセラーになる。勇気づけられたアメリカ軍は反撃に出る。そんな役割をはたした本だった。
・ところがこの本の内容は、かなりお粗末である。 人民の権利を述べている部分では、かたちの上ではジョン・ロック(1632~1704)の自然法思想が使われているが、重心はイギリスから独立しても経済的な利益は維持できるというところにあった。 簡単に述べれば、独立しても利益は維持できるから大丈夫だという説得である。 独立の大義を語るときには、普通は崇高な理念のようなものが書き込まれるものだが、そんなものは感じられない。独立しても儲かるという話なのである。そういう意味でこの本は、世にも珍なる本だといってもいい。
▽理念より現実を重んじる精神。
・この精神は「アメリカ独立宣言」(1776年)や「アメリカ合衆国憲法」(1787年)、さらには1883年のリンカーンによる「ゲティスバーグ演説」にまで通底している。この演説では「by the people, for the people」の部分がよく知られていて、「人民による、人民のための」と訳されたりしてきたが、全文を読んでみると気がつくのは全体に流れている現実主義的な精神である。
▽近代社会の建前
・近代から現代にかけての世界は、いくつかの建前によってつくりだされてきた。 1789年のフランス革命は自由、平等、友愛という近代の理念を宣言したし、イギリスでは議会制民主主義の実現をめざす改革が進んでいた。さらに産業革命以降の世界は、経済発展をエネルギーとし、経済が発展すれば人々は豊かになっていくという理念にもとづく社会を創り上げていく。 それらの理念は、いわば近代社会の建前であったといってもよい。
・自由や平等が本当に実現したわけではない。議会制民主主義が民意を反映した「国民の国家」をつくるわけでもない。経済発展が人々に豊かさをもたらすとはかぎらない。経済発展が「取り残された人々」や「旧来のシステムで生きている人々」を没落させ、新たな貧困をもたらすのもしばしばである。 だが、自由、平等、民主主義、経済発展が豊かさをもたらすといった建前を維持することによってでき上がったのが、近代社会なのである。
・この建前は、1917年のロシア革命によって強化されることになった。 弱肉強食のような社会を放置しておけば、社会主義革命が起こるかもしれないという恐怖は、この建前を現実化する動きを高めた。 自由や平等の実現に向けて努力すること、民主主義が機能するように努力し、経済発展が人々の豊さと結びつくように努力する。社会主義革命への恐怖は、そういう動きをひろげていくことになった。 政治的には被抑圧者たちの権利の承認がすすんでいった。女性の権利、少数民族の権利、最近の性的マイノリティの権利などさまざまな権利が承認されることによって、自由と平等の実態化がはかられた。
・とともにもうひとつ重要だったことは、社会の再配分システムをつくりだすことだった。 そのひとつの軸は税制と社会保険、社会保障システムの構築である。 累進課税や財産税などの制度などが試みられ、所得に応じた社会保険料を支払うことによって誰もが平等に医療制度などを活用できるようにする。子どもたちは親の所得と関係なく学校教育が受けられるようにし、公共住宅の建設や全国的な交通網の確立、収益基盤の弱い産業への支援などがおこなわれていった。
・さらに述べれば、再配分システムにとって重要な軸のひとつに安定雇用の確立があった。日本では戦後の高度成長期に生活給的な賃金体系と終身雇用制がつくられたが、これも収益性の高い分野から低い分野への再配分システムという一面をもっていた。
・20世紀の社会は、このようなさまざまな努力を積み上げることによって、近代社会の建前に実態を伴わせようとしてきたのである。 だがそのような努力があったとしても、建前は所詮建前にすぎない。完全なかたちで実現することはないのである。 さらに1991年にソ連が崩壊し、「資本主義の勝利」が謳歌されるようになると、私たちの社会は建前を守ろうとする努力への熱意を失っていった。
・再配分システムの強化よりも自分のものは自分で稼げといった風潮が高まり、すべてのことを市場で決めようとする市場原理主義が跋扈していく。企業や高所得者への減税などがすすめられ、社会保険、社会保障システムも劣化していくことになった。企業もまた安定雇用のために努力しなくなり、それは格差社会や非正規雇用の増大を生んでいく。 こうして生まれてきたのが、本音の時代だったといってもよい。
▽上からも下からも本音が噴出
・近・現代社会は、建前と本音の衝突を内蔵させながら、建前を守ることによってつくられた社会なのである。 建前としては自由、平等、友愛があり、民主主義や人々の豊かさをめざす経済があった。だが本音としては、自己や自分の企業活動の自由であり、それぞれの最大利益の獲得だった。簡単に述べれば、自分が勝者になればそれでよいのである。
・民主主義は多数派の横暴にすぎないし、自由は自分の自由のためのものだ。近代社会はそういう本音もまたもっている。 建前を大事にし、本音を隠す。それが近代社会の作法だったといってもよかった。 リベラリストたちは建前の実現に向かって努力しつづけることが人間の責務だという立場をとっていたし、ロシア革命の衝撃はこのリベラルな立場の社会化を求めた。
・今日の世界を覆いはじめているものは、この建前の虚偽性の露見である。あるいは建前を近代の理念だとしてきたことの虚偽性の露見だといってもよい。 政治や経済も、建前よりも本音で動くようになってきた。政治家たちは自分の権力を維持するために動き、それはポピュリズム(大衆迎合主義)をもたらしていく。  あるいは今日の政治は、ポピュリズムというよりデマゴーグの政治といった方がいいのかもしれない。デマゴーグとは自分の権力を維持し高めるためには何でもする扇動政治家のことなのだが、日本でも小泉、安倍という扇動政治家の時代がつくられている。
・経済もまた、本音の経済の時代である。格差社会やブラック企業が生みだされていくばかりでなく、労働組合もまた電力総連などが原発推進派の候補を応援するように、本音が前面に出てきている。 だが本音の社会ができていけば、建前としての「公正」は崩れていく。そしてそれは、「取り残された人々」や「没落していく人々」を救済しない社会をつくりあげることになる。
・そうなれば人々のなかからも本音で動く人たちが前面に出てくる。こうして、「上からも」「下からも」本音の社会がつくられていく。 今回のアメリカ大統領選挙が示したのはこのことだった。
▽なぜトランプが勝ったか
・前の社会を代表したのはクリントン候補だったが、もはや彼女は建前の代弁者だとはみなされていなかった。建前を掲げることによってエリートたちの利益を代弁する本音の政治家だと思われていたのである。建前が本音の手段に使われていると思えばいい。
・それに対してトランプ候補は、ストレートに人々の本音に語りかけた。イスラム教徒や移民の排斥、アメリカ第一主義。それらは有権者の本音を揺さぶる方式だったといってもよい。こうして大統領選では、本音と本音がぶつかり合うことになった。
・ところで大統領選の得票をみると、「没落した」白人だけでなく、大学卒の白人や女性などの票もトランプ候補がかなりとっていた。おそらくそれはこういうことである。トランプ候補は、自分が当選すれは皆様は儲かる、ということを提示していたのである。 不法移民を追放して雇用を守るというのもそのひとつだし、企業と全所得階層の減税、大規模な公共投資などを約束していた。
・この約束は上層の人たちにとっても本音では悪くない。所得税が減ることも悪くないし、企業の税引き後の利益が多くなれば分け前も増えるかもしれない。公共投資などで一時的な活況がもたらされれば、そこからも新しい収益源が生みだされるかもしれない。 「儲かる」という本音の部分を揺さぶったのはトランプ候補だった。
・それに対してクリントン候補は、現状維持の政治家、既成の支配層の利益の代弁者としか有権者には映らなかった。自分にも利益をもたらしてくれる人ではなかったのである。
・本音の時代に移行すれば、本音を揺さぶる扇動政治家が支持を拡大する。アメリカはこの方向に動きやすい社会なのかもしれない。 なぜなら『コモン・センス』をはじめとする建国の意義を書いた文章が示しているように、どちらが利益になるのかといったプラグマチズムや現実主義が、建国時から底流には流れていたからである。それがアメリカは移民の国だということの意味でもある。
・もっともそのアメリカは、とりわけ戦後になると、自由や民主主義の守護神として振る舞おうとした。だがそれもまた、建前を前面に出すことによって自分たちを脅かしかねない敵を封じ込めるという本音の部分に裏付けられていた。本音の手段として建前を利用したにすぎない。 だが今日では、建前の利用価値は低下している。「社会主義圏」は崩壊したし、建前を掲げて世界を牛耳るだけの力もなくなっている。本音を押さえておく必要性がなくなっているのである。
▽民主主義とファシズム
・今日では、世界中が本音で動くようになっている。ヨーロッパでも移民などの排斥を掲げる極右勢力、国家主義政党が勢力を伸ばしている。ポピュリズムやデマゴーグの政治が跋扈し、それが世界中に広がっている。 そしてそれは、近・現代の虚偽性を暴露していくことになる。 そもそも近代の建前自体が虚偽性をもっている。つねに不自由や不平等が存在し、機能しえない民主主義、問題を生みだしつづける経済発展がこの時代の真の姿だといってもよい。
・だが、これまでも述べてきたように、この建前を守る、あるいはこの建前を社会化するために努力する、それがリベラル派の理念でもあった。その理念が持ちこたえられなくなっていく、建前の虚偽性によって打ち崩されていく。それがいま、世界の動きをつくりはじめているのである。
・とするとそれは、近代以降の社会や国家のあり方の黄昏を露見させているのではないだろうか。建前を維持できなくなれば、建前を守ることによってつくられてきた社会や国家は虚無化していくだろう。 だがそれだけの動きでは、新しい時代の創造は起こらない。なぜなら虚無化されていく国家を生みだしたものは、近・現代の本音でしかないからである。それでは近・現代の原理の上に、劣悪な国家をつくりだすだけである。
・若くして亡くなってしまったが、1960年代終盤から80年代初期にかけて多くの作品をつくったドイツの映画監督に、ファスビンダー(1945~82)という人がいた。彼のテーマのひとつは、「我らの内なるファシズム」だった。我々の民主的な社会は、つねにファシズムの芽を内蔵しているという提起である。
・それは、そのとおりであって、民主主義とファシズムは対極の関係ではない。民主主義は実現しうるというのが近代以降の建前であり、しかしそれはつねに本音の前に敗北してきた。 その本音が自分たちの利益を実現する強大な国家を求めれば、そこにファシズムがあるからである。そしてそれはますます存続できない国家を、すなわち黄昏れていく国家を成立させることになる。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50307

第一の記事にある 『独裁主義は復権を果たしつつある・・・民主主義のジレンマから脱する選択肢は3つ・・・先ず第一に・・・さまざまなポピュリスト運動が失敗するのを待つことだ』、については、多くのポピュリスズム的独裁主義が、報道の自由を制限することにより、政策の失敗の表面化を国民に知らせないようにするとすれば、現実に失敗するまでには相当の長時間を要する懸念がある。
第二の記事にある 『1991年にソ連が崩壊し、「資本主義の勝利」が謳歌されるようになると、私たちの社会は建前を守ろうとする努力への熱意を失っていった・・・すべてのことを市場で決めようとする市場原理主義が跋扈していく・・こうして生まれてきたのが、本音の時代』、『建前を大事にし、本音を隠す。それが近代社会の作法だったといってもよかった』、『今日の世界を覆いはじめているものは、この建前の虚偽性の露見である』、などの鋭い指摘はたしかにその通りだ。 『民主主義とファシズムは対極の関係ではない。民主主義は実現しうるというのが近代以降の建前であり、しかしそれはつねに本音の前に敗北してきた。 その本音が自分たちの利益を実現する強大な国家を求めれば、そこにファシズムがあるからである。そしてそれはますます存続できない国家を、すなわち黄昏れていく国家を成立させることになる』、との指摘は大いに考えさせられる問題だ。特に、マスコミの対抗力が殆ど期待できない我が国では深刻で、注意を怠るべきではないようだ。
タグ:イタリア 英国 欧州 民主主義 トランプ ロイター クリントン ポピュリズム デマゴーグ 現代ビジネス (その2)(停滞する民主主義、溶けていく近代社会の「建前」) John Lloyd コラム:停滞する民主主義、見限るのはまだ早い 民主主義の限界と欠陥がはっきりと露呈 戦後世界を形成したのは、豊かで自信に満ちた米国を筆頭とする戦勝国 自由とは非常に規制されたものであり、必然的に政治的エリートを生み出した 2つの大国が国民投票を実施し、それぞれの政府が推奨していた政治的選択が却下 新たな民主的構造を生み出すための最大の実験が、1950年代以降、着実に発展してきたEUだ 、「国民」の手に取り戻すという要求 国民国家の復活 独裁主義は復権を果たしつつある 民主主義のジレンマから脱する選択肢は3つある 第1に、最も魅力に欠けるものの、可能性が高い選択肢は、さまざまなポピュリスト運動が失敗するのを待つことだ 第2に、ポピュリスト勢力が主流派に近づくのを待つ 最後に、政治的主流派が改めて勢いを取り戻すことだ 内山 節 溶けていく近代社会の「建前」〜「本音」ばかりが跋扈する時代へ たそがれる国家(2) 近代から現代にかけての世界は、いくつかの建前によってつくりだされてきた 自由、平等、民主主義、経済発展が豊かさをもたらすといった建前を維持することによってでき上がったのが、近代社会 この建前は、1917年のロシア革命によって強化 再配分システム ソ連が崩壊し、「資本主義の勝利」が謳歌されるようになると、私たちの社会は建前を守ろうとする努力への熱意を失っていった 市場原理主義が跋扈 本音の時代 上からも下からも本音が噴出 本音としては、自己や自分の企業活動の自由であり、それぞれの最大利益の獲得だった。簡単に述べれば、自分が勝者になればそれでよいのである 民主主義は多数派の横暴にすぎないし、自由は自分の自由のためのものだ 今日の世界を覆いはじめているものは、この建前の虚偽性の露見 政治や経済も、建前よりも本音で動くようになってきた 小泉、安倍という扇動政治家の時代がつくられている 格差社会やブラック企業が生みだされていくばかりでなく、労働組合もまた電力総連などが原発推進派の候補を応援するように、本音が前面に出てきている 、「取り残された人々」や「没落していく人々」を救済しない社会をつくりあげることになる エリートたちの利益を代弁する本音の政治家だと思われていたのである ストレートに人々の本音に語りかけた 大統領選では、本音と本音がぶつかり合うことになった 本音を押さえておく必要性がなくなっているのである 民主主義とファシズムは対極の関係ではない 民主主義は実現しうるというのが近代以降の建前であり、しかしそれはつねに本音の前に敗北してきた その本音が自分たちの利益を実現する強大な国家を求めれば、そこにファシズムがあるからである。そしてそれはますます存続できない国家を、すなわち黄昏れていく国家を成立させることになる
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