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教育(その10)(国際学力テストで日本不振の理由、「学習困難」な生徒が、あえて大学に行く理由、“ブラック学校”温存させる教育界の無責任地獄) [社会]

昨日に続いて、教育(その10)(国際学力テストで日本不振の理由、「学習困難」な生徒が、あえて大学に行く理由、“ブラック学校”温存させる教育界の無責任地獄) を取上げよう。

先ずは、統計データ分析家の本川 裕氏が昨年12月21日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「国際学力テストで日本不振、東アジア諸国が好成績の理由」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽やや不調だった日本のテスト成績
・OECDが3年毎にOECD諸国とその他協力国・地域とで行っている15歳(日本は高校1年生)を対象とした国際学力テスト(PISA)の6回目、2015年結果がこのほど公表された。これまでと同様、読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーの三科目で実施されたテストには、今回、過去最多の72カ国・地域、54万人の生徒が参加した。 言うまでもなく、教育水準の高さは産業競争力に直結するため、PISA調査結果は、各国で、教育分野そのものの関心からだけでなく、広く産業界を含めて国中の関心を集めるようになっている。
・学力テストは、OECD加盟国の生徒の平均得点が500点、約3分の2の生徒が400点から600点の間に入るように得点化されている。日本の成績の推移を見ておくと、2003~06年に三科目とも点数がかなり低下し、この低下が、2002年度から始まった「ゆとり教育」のためだったかは定かではないが、「ゆとり教育」路線から「学力向上」路線に文科省がかじを切るきっかけとなったことは確かだろう。今回、2015年は、読解力が4位から8位へ低下したものの数学的リテラシーと科学的リテラシーが両方とも順位を2位あげた。しかし、点数をみると三科目とも低下しており、喜べるような結果ではなかったといえよう。
・読解力テストの不振については、問題表示や解答が紙での筆記からコンピュータの使用に変わったため戸惑いがあった点やスマホの影響などで長文を読まなくなった点を理由としてあげる文部科学省の見解がそのまま新聞等で報じられているが、これらは日本の生徒だけのことではないので、少し怪しい説明といわざるを得ない。
▽成績の良い東アジアに欧米も脱帽
・現在の成績レベルとこれまでの成績の動向を、海外諸国と比較しながら分析する必要がある。 世界の学校生徒の学力状況を概観するため、三科目の平均点について、昨年行われたPISAテストの成績(上下のY軸)とこれまでの3年おき6回までの成績向上度(左右のX軸)の両面からあらわした散布図を次ページの図2に掲げた。前出の図1でもうかがえるように日本の場合、浮き沈みがあるが、6回を通した上昇幅(各回の得点に当てはめた回帰直線の傾き)では、年平均0.16点の若干のマイナスとなっている。
・まず、現在の学力レベルをあらわすY軸方向では、東アジア諸国の好成績が目立っている。東アジア諸国は三科目平均で520点以上の国がほとんどであり、その他の地域ではフィンランド、カナダ、エストニアが同レベルに達しているのみである。
・中国は、前回までは上海だけが参加し、世界一の成績だったのであるが、今回は、北京、江蘇、広東を含めた4市の成績として公表されることとなった。このため三科目平均は514点と韓国の519点を若干下回る水準となっている。
・東アジア諸国の生徒の世界トップ水準に対しては欧米諸国も脱帽状態であり、何らかの参考にしようにも教育政策が左右できる余地は小さいという意見まで出ているという。つまり、国の教育政策より家庭教育や文化によるところが大きく、「PISAから得られる教訓は、東アジア以外の世界でも箸を使うべきだということだとおどけて論じる者もいたぐらいである」(英「エコノミスト」誌2016.12.10号)。
・確かに、家庭・学校・社会を通じて、学校の勉強を重視する儒教の文化的伝統の存在を考慮に入れないと、こうした東アジアでの好成績は理解できないだろう。 東アジア諸国に次いで、欧米OECD諸国が、スロベニアからギリシャまで、510~460点ぐらいの比較的狭い成績範囲に集中して分布している。そして、その他の南米、アジア、アフリカ諸国が460~360点の広い範囲に分布している。
▽成績が上がる傾向なのは少子化の国?
・次に、X軸方向にあらわされた成績の向上度を見てみると、カタール、アルバニア、ペルーといった成績レベルの低い国で大きな点数上昇が目立っている。図の分布全体を見渡しても、右下がりの傾向が認められ、「成績が悪い国ほど成績上昇が大きい」傾向にあることがうかがわれる。成績が低いほうが伸びしろがあるということだろう。
・先進国の中で成績低下傾向が目立っている国は、ニュージーランド、オーストラリアといったオセアニア諸国、及び、フィンランド、アイスランド、スウェーデンといった北欧諸国である。
・北欧の中でエストニアは例外的に成績が伸びているが、先生の数が変わらないのに少子化の影響で生徒の数が減り、20年間で1先生あたりの生徒数が20人から12人へと減って脱落者を出さない授業が可能となったせいだとも言われる(英「エコノミスト」誌同上)。
・東アジア諸国の中では韓国の成績低下が目立っている。日本も低下傾向にあり韓国に次いで動きは好ましくない。
・一方、東アジアの中でも、シンガポール、香港、マカオは成績が上向きである。ここではデータを掲げていないが、移民生徒の有無別のPISA調査の集計結果からは、欧州諸国とは反対に、これらの国では、移民生徒の方が成績が良いという傾向が確認されている。すなわち、これらの国では、高学歴・高所得の移住者を世界各地や中国本土などから多く受け入れている影響がプラスに働いていると考えられる。
・その他の先進国では、ドイツ、ポーランド、ポルトガルの成績上昇傾向が目立っているが、これらの国は、いずれも、合計特殊出生率が日本以上に低い国であり(2013年に、ぞれぞれ、1.41、1.28、1.21)、上で述べたエストニアと同じ理由が当てはまっている可能性がある。ポルトガルの元文部大臣によれば、同国における生徒の成績向上をもたらした要因としては、能力別クラス編成を限定的にして、教師の努力の下、授業についていくのが大変な生徒が同級生と一緒のクラスで補習を受けられるようにしたのが大きいとのことであるが(英「エコノミスト」誌同上)、これも先生に余裕がなくてはできないことだったろう。
・そうだとすると、日本は、韓国と並んで少子化傾向が根強いのに、韓国と同様に、成績が上昇傾向にないのはおかしいということになる。やはり、保護者への過剰対応、事務・会議・報告書過多など、先生が授業に集中することを阻害する学校環境のせいなのだろうか?それとも、高齢化に伴う財政制約で少子化国にもかかわらず少人数クラスが実現できないことによるのであろうか?
・これからの日本の人口減少の加速、労働力不足の展望の中、限られた人数で経済を支えていくためには、かしこい労働力を増やしていく必要がある。3人でできていたことを2人で実行できるようにならなければ、従来の生活水準を維持できなくなるからである。そのためには、どうしたらよいかを考えるのを、文科省や先生たちだけに任せておくのでは、やはり、心許ない。また、そうした課題への対処を考えるのにPISA調査の結果は、極めて貴重な情報源であるのに、文科省の傘下団体の作成した結果概要資料を紹介するに止まっている報道機関にも問題がありそうだ。
▽お金をかけるだけが成績向上の処方箋ではない
・最後に、もうひとつ、PISA調査のデータから相関図を作成し、そこにおける各国の分布から、学力に関する別の知見を得てみよう。 X軸には、学校(教育機関)が6歳から15歳の間までに支出した累積の教育費、Y軸には、今回の学力テストの成績を示している。教育費には塾代など家庭教育費は含まれない。
・これを見ると、教育費に5万ドル未満しか支出していない(支出できない)途上国では、支出額が増えれば成績が上がっていくという関係にあるが、5万ドル以上支出しているような先進国では、支出額が増えてもそれだけ成績が上がっていくという程度は非常に小さくなることが分かる。すなわち、先進国では、お金をかければそれだけ成績が向上するという訳にはいかないのである。
・先に紹介したようなファクトは、少子化が幸いして先生が生徒にきめ細かな対応をするようになった国で成績向上が見られるという、文科省に有利なデータであったが、この図は、むしろ財務省が見たら喜びそうなデータである。
・文科省は、少人数クラスの実現のため、教師数を維持・増強する予算を要求し、財務省は、少子化で生徒数が減っているのだからそれだけ教師数を削減するべきだと文科省の要求する予算を削る対応をする。こうした対立が長年続いている。この対立をめぐっては、文科省に賛成の立場の教育界以外からの本格的な参戦はないようであるが、もっと注目されてもよいのではないかと思われる。
・少子高齢化が深刻化する中で、日本社会を支えてくれる我々の将来世代が力強く育てるためには、あまりお金をかけずに、少人数クラスを実現できるような教育改革が極めて重要な喫緊の課題となっており、そのための国民的議論がもっと沸きあがっても良いのではないだろうか。
http://diamond.jp/articles/-/112144

次に、教育ライターの朝比奈 なを氏が昨年12月30日付け東洋経済オンラインに寄稿した「「学習困難」な生徒が、あえて大学に行く理由 低偏差値高校の実績作りに利用されている?」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・「教育困難校」という言葉をご存じだろうか。さまざまな背景や問題を抱えた子どもが集まり、教育活動が成立しない高校のことだ。 大学受験は社会の関心を集めるものの、高校受験は、人生にとっての意味の大きさに反して、あまり注目されていない。しかし、この高校受験こそ、実は人生前半の最大の分岐点という意味を持つものである。
・高校という学校段階は、子どもの学力や、家庭環境などの「格差」が改善される場ではなく、加速される場になってしまっているというのが現実だ。本連載では、「教育困難校」の実態について、現場での経験を踏まえ、お伝えしていく。 「教育困難校」に進路指導のお手伝いに伺うと、「大学進学を目指す生徒が少しでも増えるように、大学進学のメリットを話してください」と、しばしば頼まれる。こう求めてくる教員は、管理職や学校改革の責任者になっている教員が多い。
▽高校を評価する基準は、大学進学率?
・現在、世間が高校を評価する基準は、大学進学率が唯一といっても過言ではない。15年ほど前から、少子化を受けて全国各地で高校の再編成が行われている。再編成といっても、進学校の存続はまったく問題にされない。存続か廃校かの危機にさらされているのは、やはり「教育困難校」である。
・学校をマネジメントしなければならない立場の教員が、とにかく大学進学率を上げ、世間の評価を少しでもよくして生徒募集につなげようとするのは当然であろう。ごく一部の分野を除いては、専門学校への進学は高校のPRにはならないのだ。しかし、とにかく1人でも多く大学に行かせたいという願望は、生徒の適性や能力を無視し、学校の都合を重視したものでもある。このような立場の教員にとっては、大学は自身が勤める高校の評価を上げる手段にすぎない。
・一方、一般の教員からは「大したことのない大学に行っても何もならない」と、大学進学率の向上に消極的な発言が聞こえてくる。また、「どうせ、うちの高校の生徒は、大学に行っても勉強についていけずやめてしまうのがオチだ」といった言葉も耳にする。これらの発言は一部正論ではあるが、最近の大学事情に通じていないことを露呈しているものでもある。
・少子化への危機感は大学も同様だ。そこで、近年は生き残りを懸けて教育内容の改革を進めている。特に、「大したことのない」大学では、能力が十分でない学生のサポートに力を入れる試みが増えている。一昔前にはなかった学習支援室やラーニングセンターが設けられ、また授業や補習でも、足りない学力を身に付けさせる努力が行われている。「大したことのない」大学も、入ってきた学生の能力を伸ばそうと努力しているのだ。実際に入学してきた学生の能力や学習習慣をしっかりと把握し、そこから社会で必要とされるレベルまで能力を育成・伸長し、高い評価を得ている大学も出現し始めている。
・しかし、「大したことのない大学」の中にも教職員が旧態依然とした体質で、学生に真剣かつ丁寧に向き合わない大学も存在する。その大学関係者がどれだけ自分が勤務する大学の社会的使命を認識しているかが、大学の教育の質に影響を及ぼすのだと感じる。「大したことのない大学」と十把一からげに切り捨てず、学生の能力を伸ばそうと努力している大学を見分け、その情報を生徒に紹介するのが、高校教員の本来の役目だろう。
▽「国公立大学に入れる」という親の幻想
・さらに、「大したことのない大学」という言葉には、学校生活を優等生で過ごし、教員となった者が「教育困難校」の生徒を見下す、驕りのようなものも透けて見える。筆者が「教育困難校」に勤務していた際、2次募集で不本意入学してきた、非常に能力の高い男子生徒がいた。周囲の雰囲気に流されることもなく、期待する教員のアドバイスにも素直に従った彼は、AO入試制度に助けられ、かなり知名度のある大学に合格した。すると、教員の中から「自分が現役受験のとき不合格になった大学に、この学校の生徒が合格して悔しい」という言葉が聞こえてきた。声に出さないまでも、同様の思いをしていた教員がそうとういることは、当時、強く感じられた。一般的な教員にとって、大学は自分自身のプライドであり、これだけ大学教育の中身が変わっても、いまだにアカデミックな場という思いが強いのだろう。
・また、「教育困難校」の保護者から必ず聞かれるのは、「うちはおカネがないから国公立大学に行ってもらいたい」という言葉である。この言葉から、彼らがいかに大学や受験のことを知らないかがわかる。国公立大学に入れるのは進学校に通う高校生の中でも、ごく一部である。近年では多様な入試制度をうまく利用して、農業や工業などの専門高校から入学する例もあるが、「教育困難校」からは絶対に合格できない。
・また、国公立大学の授業料が私立に比べて大幅に安価である時代はとうに過ぎている。「教育困難校」の保護者には大卒者はほとんどおらず、中卒者、高校中退者も少なくない。人生の中で何かがうまくいかないとき、「自分は大学を出ていないから」と学歴をその原因と考えてきた彼らは、子どもに大学に行かせたいという願望は強い。しかし、その大学観は、間接的に得た情報で作られた夢想の世界のようだ。
・そして、生徒たちはどうか。義務教育段階で学力が低く、成績も悪かった彼らは、「教育困難校」で学力的には同質の集団で再スタートを切ることになる。騒がしい授業でも休まず出席し、課題や試験をこなすと成績優良者になれる。すると、彼らは一気に自信をつけ大学進学を目指すようになる。しかし、進学校の生徒との交流もないので、授業難易度の違いには気づかない。また、全国模試も受けず、予備校にも行かないので、自分の学力を相対化することができない。そこで、自身の学力を根拠なく過大評価し、到底手の届かない大学を志望するようになる。そこを諄々(じゅんじゅん)と説得して、学力レベルに合った大学を志望するように持って行くのが、高校教員の役割でもある。
▽「大学は自由で楽しいところ」という甘言
・一方で、本来持っている能力が高く、大学に行って「教育困難校」卒業の学歴をロンダリングしたほうがよいと思われる生徒もいる。このような生徒は、なぜか自分に自信がなく、大学に行こうとしない。そこで、「大学は高校より自由で楽しい」「好きな勉強ができる」「将来の就職のためにも行ったほうがよい」と言った定番の甘言で、大学進学に向かわせようとするのも教員のもう1つの仕事だ。
・筆者が教えるあまり学力の高くない大学に通う1年生に、「入学以前に大学はどのようなところと思っていたか」を尋ねたアンケートで、印象的な回答があった。「親からも先生からも、大学はいいところだ、自由で楽しいところだと言われた。だから、ディズニーランドみたいな面白いところだと思っていた。こんなに勉強させられるところだと思っていなかった」とあったのだ。この学生のだまされたという思いが払拭されるような4年間であることを祈るしかない。いずれにせよ、自分の周囲に大学にかかわる者・モノがまったくなかった「教育困難校」の生徒にとっては、大学はまさに未知の世界、ワンダーランドなのだろう。
・それぞれの立場の人たちが持つ大学観は平行線をたどりつつも、大学受験のスケジュールは進んでいく。どこの「教育困難校」でも、年末のこの時期には今年の大学受験はほぼ終了している。ほぼ全員がAO入試、推薦入試で進学するからだ。あとは、これまで進路を決められず、大学進学と言い出す生徒の指導を残すのみだ。来学期は「落ち穂拾い」の時期になる。
http://toyokeizai.net/articles/-/151428

第三に、健康社会学者の河合薫氏が1月24日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「“ブラック学校”温存させる教育界の無責任地獄 休職者比率は高止まりで、その半数がメンタル不全という現実」を紹介しよう(▽は小見出し、+は段落)。
・今回は「教師の長時間労働を止めるのは、誰なのか?」ということについて、考えてみる。 校長?教育委員会?先生自身?いったい誰? 何人もの教師たちがうつ病などの精神疾患で休職したり、過労死や過労自殺しているというのに、責任は誰、あるいはどこにあるのか?
・ひと月前の12月22日。文科省から「平成27年度公立学校教職員の人事行政状況調査結果」が公表され、2015年度にうつ病などの精神疾患で休職した公立学校の教員が5009人に上ることがわかった。 これは在職している全教員の0.54%に当たり、病気休職者7954人中6割強を精神疾患が占める。
・以下のグラフは、在職者に占める「精神疾患による病気休職者の比率」と、「精神疾患による病気休職者数」の推移を示したものだ。精神疾患による休職者の比率は、急激に上昇した後、ここ10年近くはほぼ横ばいで、ほとんど改善されていない。また、休職者数の増加は、その大半が精神疾患による休職が原因なのだ。
▽20代の教職員、この10年で20人が自殺?
・しかも、20代の精神疾患による休職者は564人で、この10年の間に2倍近くに増加。NHKの夕方のニュース(12月23日)によれば、少なくとも20人が自殺していて(NHK調べ)、この事実を文部科学省は把握していないと報じていた。
・で、先日。松野博一文部科学大臣の定例記者会見で、NHKの記者が大臣に質問を投げかけた(映像はこちらからご覧になれます)。
記者:「NHKの調査で、この10年間に新人の先生が、採用から1年で46人が死亡退職され、そのうち半数近くが自殺だったことが明らかになった。それについて大臣の御所感を伺いたい。最悪のケースに至っているという実態を把握しているのか」
大臣:「死亡退職した人数は把握しているが、死亡の原因やその背景についての調査は行ってない。一方、教職員の過労死については『過労死等の防止のための対策に関する大綱』でも指摘をされており、厚生労働省と連携をし、過重労働の実態等について調査研究を行うことを検討している」
記者:「採用からわずか一年の死亡退職のうち自殺が半数近くいる事実については、どのように捉えられているのか?」
大臣:「今まで原因等の調査を行っていないので、まずは、調査からと考えている」
記者:「実態について調査を進めていくと?」
大臣:「厚生労働省と連携をして、その調査を進めるべく検討をしている」
・話が前後するが、この日の会見は「学校現場における業務の適正化に関する大臣メッセージ」として、次の3点が報告されている。
 1.業務改善に集中的に取り組む「重点モデル地域」を20か所程度指定する
 2.運動部活動に関する実態調査を実施し、適切な練習時間や休養日等を含めた総合的なガイドラインを策定する。それに先立ち本日(6日)、各都道府県教育委員会等に対し、休養日の適切な設定を求める通知を発出する
 3.業務改善等に知見のある有識者や、教育委員会関係者等を「業務改善アドバイザー」として、教育委員会の求めに応じて派遣する 
・記者の質問に対する回答なども加え、上記を補足しておくと……  
+本日付け発出するのは、休養日を設けていない学校に適切に設定を求めるもので、具体的に何日というような規定はない。
+業務アドバイザーは、あくまでも教育委員会の要請があったときにのみ派遣。内容も教育委員会の希望にあわせる。
+業務アドバイザーは学校経営やマネジメントの知識を持っている専門家。または、すでに各教育委員会の指導に入っている人たちから選定する。
・ふむ。要するに大臣は、「国はがんばるけど、あくまでもやるのは教育委員会だよ。これまでだってそうだったでしょ?」と、明言した。ええ、そうです。これまでと一緒だ。 私の記憶に間違いがなければ、文科省が具体的に教員のメンタルヘルス対策に乗り出したのは2013年。予防的取り組みと復職支援に関わる対応をまとめ、この年の10 月に発表した(教職員のメンタルヘルス対策について(中間まとめ) )。 ただし、通知しただけで、何をどうするかは各教育委員会に任された。
▽生かされず、負担にしかならない文科省の調査
・大臣は「教員の業務負担の軽減を図ることは喫緊の課題であると認識をしている」と会見の冒頭で語っていたけど、本当にこれで先生たちの劣悪な職場環境は、改善されるのだろうか? 「調査、調査、調査」って繰り返していたけど、それでまた現場の先生たちが“雑用”に追われることになるのではあるまいか。
・先生たちの8割以上が、「負担に感じている業務」に「国や教育委員会からの調査やアンケートへの対応」を挙げたことを、文科省の役人たちは忘れてしまったのか? 詳しい内容は連載の過去記事(「先生も生徒も数値で“仕分け”」 超効率主義で朽ちる学校)をご覧いただくとして、2014年に文科省が行ったこの調査(「学校の総合マネジメント力の強化に関する調査研究」)は、初めて全国規模で先生たちの「具体的な負担」が明かされた貴重な資料である。
・その調査で、「国や教育委員会からの調査やアンケートへの対応」が、大きな負担であることが示された。まさにやぶへび。 当時、文科省はこの笑うに笑えない結果に、「平成20年以降、見直しに取り組んできているが、引き続き調査の見直しに取り組んでいく」 と回答していたけど、いったい何を、どう、見直したのか教えて欲しかった。 っていうか、会見に出ている記者さんたちは誰ひとり、疑問を抱かなかったのだろうか。
・だいたい国は、2015年、「学校現場における業務改善のためのガイドライン~子供と向き合う時間の確保を目指して~」を策定していたわけで。その効果くらい質問できたはずだ。 存在すら知らなかった? その可能性はある。
・大臣の会見から9日後、「小中教諭の7割、週60時間超勤務 医師や製造業上回る」との見出しが、朝日新聞の朝刊一面に掲載された(15日付朝刊)。 連合総研が、全国の公立中学校の教師約4500人を対象に実施した調査の結果を紹介した記事だ。調査では、「最も負担に感じている仕事は?」との問いに、
+小学校の84%、中学校の82%が「保護者・地域からの要望や苦情への対応」
+小学校の83%、中学校の80%が「国や教育委員会からのアンケート」 と回答。  さらに、
+小中学校教員の1日平均労働時間が約13時間
+小学校の73%、中学校の87%が週60時間以上の勤務
+小中ともに、週50時間未満はゼロ ・15%が朝7時前に出勤
+22%が夜9時以降に退勤 (すべて連合総研の調査結果)
 と、その結果は2014年の調査と変化なし。文科省のガイドラインは、なにひとつ実っていなかった。 これでは、うつ病などの精神疾患による教職員の休職が10年間改善しないのも、当たり前である。
▽文科省の辞書に「検証」という文字は存在しないのか
・大臣は先の会見で、 「教員の働き方を改革し、教員がその担うべき業務に専念できる環境整備を目指します!平成29年度予算案において、各教育委員会における業務改善の取り組みを加速するべく、「学校現場における業務改善加速プロジェクト」を始動するための予算を計上しました!」 と胸を張ったけど、いったい何回プロジェクトを立ち上げれば気が済むのだろう。 毎度毎度、調査を繰り返し、ガイドラインを策定し、「あとは君たちでやってよ」と教育委員会に投げる。――文科省の辞書に「検証」という文字は存在しないのか。
・そういえば、東京都の公立中に通う長女の部活動がブラックすぎるとして、中学校と闘い改善させた父親に関する記事が話題になったが、「ブラック部活動」についてはずっと以前から社会的にも認識されていた。
・今から20年前の1997年。文部省(現文部科学省)は運動部活動をはじめ中学生・高校生のスポーツ活動の望ましい在り方について有識者会議を設置。全国の中学校100校、高等学校100校の生徒や保護者、教員など計約5万4000人を対象に調査を実施したうえで、「週に2日以上」「長期休業中はまとまった休養日を設置すること」など、中学校の部活動における休養日のガイドラインを提示しているのだ。
・つまり、部活動が先生の負担になっていることは20年前にわかっていたのに、まるで「今明らかになった」かのように取り沙汰されている状況は異常だ。 しかも、件の父親によれば「スケジュールをつくっているのは外部指導者」で、現場の先生たちはその練習日程に合わせざるをえなかったそうだ。
・部活の指導を先生ではなく外部に任せる方針は、文科省の中央教育審議会が、進めている政策である。一昨年末には、教員以外が部活指導や引率をしやすくするための制度化を答申するなど、外部指導者の積極的な活用をすすめている。 いったいこのチグハグさは何なのだろう? 本当に誰が、教師たちの長時間労働を止めるのか? そもそも、その責任は誰にあるのだろうか?
・そこでこれまでインタビューに協力してくださった現場の先生たちに取材したところ、次のような回答があった。
+勤務時間は、基本的には市で決められている。
+出勤と退勤の時刻は学校により異なる
+給食、昼休みの時間が昼休憩となっているが、現実にはとれない
+在校時間は、常に規定を大幅にオーバーしている
+職員の勤務時間については、基本的には校長が管理している
+勤務管理は校長の仕事だが、実質的には管理されておらず、長時間労働は当たり前。唯一「管理者」としての機能が果たされるのは年休など、校長の許可が必要な場合のみ
+地域によって、業務負担の差が大きい
+地方自治体(教育委員会)が、国が決めた方針に積極的に取り組むか次第
+校長が力のある人だと、市との連携が上手くいく
+校長に対する保護者からの信頼が厚いと、保護者が部活動や防犯パトロールなどに協力してくれる
+都内のある公立学校では図工も家庭科も専科の先生がいて、うらやましいと思った
+以前の学校では、理科の支援員がいたので助かった。理科は授業の準備に時間がかかる 
 う~む。これらをどう解釈すればいいのだろうか?
▽一体全体、責任は誰にあるのか?
・先生たちの労働環境を“変える”権限を持っているのは、教育委員会であることはわかる。でも、変える責任を負っているのは誰なのだろう? 長時間労働を“責任”をもって止めるのは、教育委員会?校長?どっち?
・ひとつだけ、確かなのは取材に応じてくれた先生たちが、いずれも長時間労働に疲弊していたことだ。 特に、20代で6年生の担任を任されている先生は、「12月は地獄で。いつ自分が倒れるか恐かった」とし、次のように話してくれた。 「恵まれた地域に赴任できるのは、ごく一部です。ほとんどの先生は、私と同じようにボロボロです。特に同年代の先生は(20代)は、苦しんでいます。中学校に行った友人は、週末に部活動を休みにすると保護者からクレームがくるので『休めない』と言っていました。
・私は6年生の担任なので、12月は地獄でした。 提出する資料が多い上に、受験する子どももいる。保護者も過敏になっているので対応するのがいつも以上に大変でした。不安定な体調に苦しみながらの日々で、確実に身体のバランスが崩れているのですが、気がついたときにはコントロールが利かなくなっていました。  食事を食べる時間もなく、気力も出なくて、自分でも恐かった。以前、河合さんに話を聞いてもらってから気分転換も必要だと痛感し、月に最低でも2回は趣味の茶道のお稽古に行くようにしていました。でも、12月は行けなかった……です。
・今はただただホッとしています。大きな問題が起きることもなく、2学期が終って本当に良かったです。 学校の現場は孤独です。私は職員室には行きません。一日中、担任のクラスで過ごしています。長時間労働や保護者の対応の大変さ、部活動のことなどはニュースになりますけど、先生たちとの人間関係も大きな問題なんです。
・学校の行事の準備や休日の部活、防犯パトロールなど、すべて若手の仕事になります。前の校長のときは、まだ良かった。でも、今は校長は見てみないふりをしています。みんな自分のことを守りたいんです」  彼女のように、今もギリギリのところで耐えている先生たちがいることを、国や教育委員会の人たちはわかっているのだろか? 校長先生でさえ、目を背けたがるって、どうなっているのだろう。
・企業はブラック企業とレッテルを張られるのを恐れるけど、学校にはそれがない。企業のトップは、電通の社長辞任にワナワナするけど、教育現場でビビるのは誰?  調査結果やガイドラインを生かし、実効性を持たせるには責任の明確化が不可欠である。その上で検証する。お題目はもういい。今、この時間もギリギリにいる先生に目を向けてくれ。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/012000088/

第一の記事が指摘するように、『PISA調査の結果は、極めて貴重な情報源であるのに、文科省の傘下団体の作成した結果概要資料を紹介するに止まっている報道機関にも問題がありそうだ』、というのはその通りだ。傘下団体が作成するのでは、文科省に不都合な事実があったとしても伏せられてしまうだろう。
第二の記事の「教育困難校」なる言葉は初めて知ったが、その先にある、『「大したことのない」大学では、能力が十分でない学生のサポートに力を入れる試みが増えている。一昔前にはなかった学習支援室やラーニングセンターが設けられ、また授業や補習でも、足りない学力を身に付けさせる努力が行われている』、ところも出てきているので、『「大したことのない大学」と十把一からげに切り捨てず、学生の能力を伸ばそうと努力している大学を見分け、その情報を生徒に紹介するのが、高校教員の本来の役目だろう』、というのはその通りだろう。 『かなり知名度のある大学に合格した。すると、教員の中から「自分が現役受験のとき不合格になった大学に、この学校の生徒が合格して悔しい」という言葉が聞こえてきた』、と成功した生徒に嫉妬する教員がいるというのには驚いた。高校教員の風上にも置けない心の狭さだ。
第三の河合氏の記事にある文科省と記者クラブの記者の程度の低さには、心底驚かされた。これまでの行政や施策を振り返ることなく、その場を取り繕う答弁やアンケート調査を繰り返しているだけでは、何ら進歩は望めないだろう。いわゆるPDCAでのチェックがまるでないようだ。それにしても、第一の記事にも共通することではあるが、若い記者はともかく本社のデスクが詰めの甘い記者を厳しく指導すれば、質問のレベルも上がり、文科省もいいかげんなことはできなくなる筈だ。教育行政を掌る文科省のこうした体たらくや、それを許している国会議員の文教族の猛反省を促したい。
タグ:「“ブラック学校”温存させる教育界の無責任地獄 休職者比率は高止まりで、その半数がメンタル不全という現実」 日経ビジネスオンライン かなり知名度のある大学に合格した。すると、教員の中から「自分が現役受験のとき不合格になった大学に、この学校の生徒が合格して悔しい」という言葉が聞こえてきた 河合薫 本川 裕 ダイヤモンド・オンライン お金をかけるだけが成績向上の処方箋ではない OECD 国際学力テストで日本不振、東アジア諸国が好成績の理由 国際学力テスト(PISA) 2015年は、読解力が4位から8位へ低下したものの数学的リテラシーと科学的リテラシーが両方とも順位を2位あげた。しかし、点数をみると三科目とも低下しており、喜べるような結果ではなかったといえよう 読解力テストの不振については、問題表示や解答が紙での筆記からコンピュータの使用に変わったため戸惑いがあった点やスマホの影響などで長文を読まなくなった点を理由としてあげる文部科学省の見解がそのまま新聞等で報じられているが、これらは日本の生徒だけのことではないので、少し怪しい説明といわざるを得ない 東洋経済オンライン 朝比奈 なを 高校を評価する基準は、大学進学率? 「「学習困難」な生徒が、あえて大学に行く理由 低偏差値高校の実績作りに利用されている? 「教育困難校」 、「大したことのない」大学では、能力が十分でない学生のサポートに力を入れる試みが増えている。一昔前にはなかった学習支援室やラーニングセンターが設けられ、また授業や補習でも、足りない学力を身に付けさせる努力が行われている 休職者数の増加は、その大半が精神疾患による休職が原因 20代の教職員、この10年で20人が自殺? ブラック部活動 部活動が先生の負担になっていることは20年前にわかっていたのに、まるで「今明らかになった」かのように取り沙汰されている状況は異常 1997年。文部省(現文部科学省)は運動部活動をはじめ中学生・高校生のスポーツ活動の望ましい在り方について有識者会議を設置。全国の中学校100校、高等学校100校の生徒や保護者、教員など計約5万4000人を対象に調査を実施したうえで、「週に2日以上」「長期休業中はまとまった休養日を設置すること」など、中学校の部活動における休養日のガイドラインを提示 その調査で、「国や教育委員会からの調査やアンケートへの対応」が、大きな負担であることが示された 毎度毎度、調査を繰り返し、ガイドラインを策定し、「あとは君たちでやってよ」と教育委員会に投げる。――文科省の辞書に「検証」という文字は存在しないのか 一体全体、責任は誰にあるのか? (その10)(国際学力テストで日本不振の理由、「学習困難」な生徒が、あえて大学に行く理由、“ブラック学校”温存させる教育界の無責任地獄) 教育 。「大したことのない大学」と十把一からげに切り捨てず、学生の能力を伸ばそうと努力している大学を見分け、その情報を生徒に紹介するのが、高校教員の本来の役目
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