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労働(その1)(日本でテレワークやフレックスタイムがなかなか進まない理由、定年後再雇用「年収3割減」「引き下げ容認」判決に透ける私たちと司法の「見て見ぬふり」、有休取得を妨げる「アリバイ労働」と「戦後特例」) [経済政策]

今日は、労働(その1)(日本でテレワークやフレックスタイムがなかなか進まない理由、定年後再雇用「年収3割減」「引き下げ容認」判決に透ける私たちと司法の「見て見ぬふり」、有休取得を妨げる「アリバイ労働」と「戦後特例」) を取上げよう。

先ずは、財務省出身で早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問の野口悠紀雄 氏が昨年11月10日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「日本でテレワークやフレックスタイムがなかなか進まない理由」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・情報技術の発展に伴って、働き方の改革が可能になっている。柔軟な働き方の導入は、さまざまな利点を持ち、成長戦略の重要な課題と考えられている。 ところが、日本の実態を見ると、導入が進んでいない。なぜ進まないのか?
▽柔軟な働き方を広げるテレワーキングへの期待
・働き方の変化としては、第1に、企業に就業することを前提として就業形態をより柔軟にするもの、第2に、企業から独立して仕事を進めるもの、の2つがある。今回は、前者について見よう。 就業形態をより柔軟にする改革として、第1に、テレワーキングがある。
・テレワークの普及は、従業員にとって、多様で柔軟な働き方を選択することを可能にするメリットがあるとされる。 また、企業にとっては、コスト抑制や、雇用可能な人材の拡大などのメリットがあるとされる。とりわけ、高齢化による労働人口減少に対応して、女性や高齢者などの人材を活用することを可能にするとされる。地方における雇用機会の増大にも資するとされる。
・政府は、2015年6月に閣議決定した「世界最先端IT国家創造宣言」において、「週1日以上終日在宅で就業する雇用型在宅型テレワーカー数が全労働者数に占める割合を、2020年に10%以上とする」ことを目標とした。 総務省と厚生労働省が、それぞれ年間10億円の予算を組んで推進事業を行なっている。
・政府は10月に「働き方改革実現会議」を開いた。議長の安倍晋三首相は、柔軟な働き方を広げるため、ITを活用して職場以外の場所で働くテレワークや、兼業・副業の促進に向けて「ガイドラインの制定も含めて多様な政策手段について検討したい」と述べた。病気治療と仕事が両立できるよう新たな対策づくりに取り組むことも表明した。首相は、テレワークや兼業・副業に関し「普及を図っていくことが極めて重要だ」と強調した(産経新聞、10月24日)。
▽日本型組織の仕事の進め方に合わない? テレワーク人口は減少している
・以上のように、テレワーキングに対する期待は強い。 2011年3月に東日本大震災が発生し、企業の注目度も飛躍的に高まった。12年には国内のテレワーク人口が1400万人を突破し、就労人口の約20%が何らかの形でテレワークを行なうようになった。 しかし、テレワーク人口は、その後減少している。図表1に示すのは、在宅型テレワーカー数の推移である。 10年までは300万人台であった。それが11年に急増し、12年には930万人に達した。しかし、その後は毎年200万人程度ずつ減少し、14年には550万人となっている。
・図表2に示すのは、「週1日以上終日在宅で就業する雇用型在宅型テレワーカー」の数である。13年には約260万人であり、全労働者に占める割合は4.5%であった。しかし、14年には、約220万人に減少し、比率は3.9%に低下している。
・「平成27年度テレワーク人口実態調査」(国土交通省)によると、制度を導入している企業は、図表3に示すとおりだ。調査対象企業893社のうち、在宅勤務制度等ありは709社で、在宅勤務制度等なしの184社を大きく上回る。しかも、在宅勤務制度等ありの場合、増やしたいとする企業が、41.9%を占める。 しかし、15年において、全労働者数に占める週1日以上終日在宅で就業する雇用型在宅型テレワーカー数の割合は、2.7%でしかないのだ。 このように、制度はあるが、利用されていないのが実態である。
・総務省が中央省庁などの「テレワーク」の実施状況を調べた結果、首相官邸を除く22の政府機関のうち、ルールを決めて本格導入したのは13機関だった。9機関は試行段階にとどまっている。また、国家公務員(本省勤務)約4万8000人のうち、15年度の利用者は3%程度の1592人だった(毎日新聞、11月2日)。 テレワーキングに対する期待は高いにもかかわらず、なぜ進まないのか?
・「パソコンが足りないからだ」と言われることが多い。しかし、より基本的な問題は、日本型組織における仕事の進め方との兼ね合いの問題ではないだろうか? 管理者は、目の前にいない部下を把握するのは非常に難しいと感じるのだ。 この問題については、後で再び論じる。
▽フレックスタイム導入企業はわずか5%程度でしかない
・企業での働き方を柔軟化させるもう1つの制度は、フレックスタイムだ。これは、1988年から導入が認められた。 政府は成長戦略の一環として「多様で柔軟な働き方の実現」を掲げており、その中で、「フレックスタイム制度」も重視している。
・では、導入状況はどうか? 図表4に示すように、2014年においてフレックスタイム制度を導入している企業は、従業員1000人以上の企業で約28%、300人から1000人未満の企業で約16%である。しかし、より小規模な企業での導入率が低いため、企業全体から見れば約5%でしかない。このように、産業界全体に広く定着しているとは言えない状態だ。
・業種別で見ても、情報通信産業では約24%、エネルギー関連産業では約12%、学術研究、専門・技術サービス業では10.4%と高いが、他の産業の導入率は一桁でしかない。建設業、宿泊業・飲食サービス業、医療・福祉では、1%台である。
・企業での働き方を柔軟化させるもう1つのものは、副業・兼業を認めることだ。これについては、週刊ダイヤモンド第825号(2016年10月1日号)「新しい情報技術が働き方を大きく変える」で論じた。 そこで述べたように、日本でも「副業解禁」の動きが生じており、ロート製薬は、16年4月から社員の副業を全面的に解禁した。また、日産自動車、花王などは、以前から副業を認めている。
▽テレワークやフレックスタイムはなぜうまくいかないのか
・テレワークやフレックスタイムがうまくいかない基本的な理由は、組織で仕事を進める方式を前提にして、その一部だけを切り離そうとするからである。 協同して仕事をするには、そのための情報交換にコストがかかる。ところが、企業内で仕事を行なえば、こうしたコストを節減することができる。だから、企業という組織が必要になる。つまり、個人で仕事をせずに組織をつくるのは、協業のコストがあるからだ。 ロナルド・コースが、『企業の理論』において指摘したのは、このことだ。
・いかに情報通信コストが低下したといっても、直接対面で情報交換するほうが協業のコストは低い。もちろん、そのためには、同一の事業所まで通勤し、同一時間帯に事業所で勤務しなければならない。それにはコストがかかる。 したがって、問題は、直接対面による協業コスト削減効果と、通勤のためのコストの比較である。後者のほうが大きくなければ、テレワークやフレックスタイムは経済的に見て合理的なものにはならない。
・前者の協業コスト削減効果は、仕事の内容によってかなり異なるし、仕事の進め方をどうするかによっても異なる。 テレワークやフレックスタイムが成功するためには、仕事がほぼ独立してできるようなものになっていなければならない。簡単に言えば、自営業的なものになっていなければならないのだ。そのためには、成果の評価を客観的に行なうシステムも必要である。
▽テレワークやフレックスタイム導入には仕事の進め方改革が必要
・また、仕事の進め方は、アメリカの場合と日本の場合では大きく違う。だから、アメリカで導入できるからといって、日本でできるとは限らない。 日本の多くの組織において、仕事は大部屋でなされている。部屋全体の雰囲気で、管理者が仕事の進捗状況を把握している。仕事の分担範囲や責任範囲も、あらかじめ明確に定められているわけでなく、その時々の事情で変わる。仕事の成果も、グループ全体に対して行なわれ、個人個人の寄与度が明確に測定されるわけではない。
・これがいいか悪いか、その評価は難しいが、現実の日本社会でこうした形態が主流であることは認めざるをえない。 こうした環境では、テレワークやフレックスタイムを導入することは難しい。日本の組織の仕事の進め方は、テレワークやフレックスタイムにはなじまないのだ。 公務員の仕事のように、成果をはっきりした形で切り離せない場合について適用できないのは、当然である。
・情報通信が進歩しコストが安くなったからといって、ただちに、離れても仕事ができるというのは、 実態を無視した空論にすぎない。テレワークやフレックスタイムの導入のためには、組織における仕事の進め方を全般的に改革することが必要だ。
http://diamond.jp/articles/-/107227

次に、健康社会学者の河合薫氏が11月8日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「社会的に容認???定年後再雇用「年収3割減」 「引き下げ容認」判決に透ける私たちと司法の「見て見ぬふり」」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・今回は、「平成のトラック野郎」についてアレコレ考えてみます。 先日「なんでやねん」と、思わずつぶやいてしまった判決が下された。 定年退職後に再雇用され、同じ内容の仕事を続けた場合に賃金を引き下げることの是非が争われた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は11月2日、引き下げを容認する判断を示したのである。
・訴えていたのは、運送会社に再雇用された嘱託社員のトラック運転手3人。彼らは2014年に60歳の定年を迎えた後、1年契約の嘱託社員として再雇用された。仕事内容も責任も定年前と変わらず、セメントを運ぶ仕事だった。 にもかかわらず、年収は3割ほど下げられてしまったのだ。
・5月に行われた東京地裁の一審判決では、「仕事や責任が同じなのに、会社がコスト圧縮のために定年後の賃金を下げるのは不当」と判断。また、この会社について「再雇用時の賃下げで賃金コスト圧縮を必要とするような財務・経営状況ではなかった」として、正社員と非正社員の不合理な待遇の違いを禁じた労働契約法に違反しているとし、正社員との賃金の差額計約400万円を支払うよう会社に命じた。
・ところが高裁では、「企業は賃金コストが無制限に増大することを避け、若年層を含めた安定的な雇用を実現する必要がある」と指摘。 また、定年前と同じ仕事内容で賃金が一定程度減額されることについて、「一般的で、社会的にも容認されている」との判断を示し、一審判決を取り消し、原告の請求を棄却したのである。
・原告側代理人によると、運送業などでは定年退職者を再雇用した場合に同じ仕事のまま賃金を下げる例が多く、判決後に記者会見した原告男性(62)は「納得できない。最高裁でたたかう」としている。 私は言うまでもなく法律は門外漢。なので、法律的な解釈について意見することは控える。
・だが、「一般的で社会的にも容認されている」からってナニ? 本当に、年収の3割減額が社会的に“容認”されているのか? こんなの今のトラック業界で認めちゃったら終わりだ。 一番星の“桃次郎”も泣いているぞ。 なんせ、50代前半でも「若い!」と言われ、賃金も年々下がり、「キツイ、稼げない、危険」の究極の3Kになっているのだ。
▽「世間も見て見ぬふりですわ」
・個人的な話ではあるが、2年ほど前、たてつづけに全国各地のトラック協会に講演会で呼ばれたことがあった。なぜ、続いたのかは定かではない。ただ、どこに言っても耳にするのはトラック運転手の高齢化と、業界の理不尽な力関係ばかりだった。 「私たちの仕事は底辺なんですよ。ボロぞうきんのようにこき使われて、使いもんにならなくなったら捨てられる。世間も見て見ぬふりですわ。やっぱりみんな便利なほうがいいですからね」 乾いた笑いを浮かべながらこう話してくれたのは、55歳(当時)の大型トラックの運転手さん。「トラック野郎」の菅原文太さんにあこがれてこの世界に入ったという。
・「昔は、仕事がキツくてもがんばって走れば稼げたけど、今は走っても走っても賃金は増えない。しかも、荷下ろしまでさせられたり、待たされたり、なんでこんなことまで自分たちがやらなきゃいけないんだって仕事をやらされるんです。何かあったら、すべて運転手の責任になるんだから。たまんないよね。 この業界は荷物を依頼する側が、圧倒的に強いんですよ。赤字になろうがなんだろうが、ノーと言ったら仕事がなくなります。だから経営陣はどんな仕事でも受ける。最悪ですよ。
・あと免許制度が変わったのが、ダメだったね。あれで若い奴ら、いなくなっちゃいましたからね。 昔は普通免許で乗れたトラック(車両重量8トン未満・最大積載量5トン未満)が、中型免許がないと乗れなくなった。中型免許は20歳にならないと取得できないので、高卒で入ってきても、2年間は事務仕事をやらされるんです。 だから半年もたつと、飽きてやめちゃう。運転したくてウズウズしてるようなヤツが、事務仕事に耐えられるわけがないですよ。
・建設にいったほうが稼げるしね。あっちは結構、労働環境いいし、同じ人手不足でも、うちらの業界とは真逆です。 自分でいうのも何ですけど、若い奴らは運転手なんかにならないほうがいいですよ。トラック運転手って底辺の仕事なんですよね。みんな体を酷使しながら世間様の荷物運んでるのに、勉強もしないで生きてきたんだからこき使われても仕方がないだろう、って目で見られますから。
・私もね、なんどか転職しようと思ったんだけどね。……まぁ、難しいっていうか、無理だね。この年になって運転するしか能がないんだもん。トラック野郎に憧れて走ってた時代が懐かしいね。アッハハ。情けないね」
▽毒餃子事件がもたらした運転手への「責任転嫁」
・少々補足しておく。本来、トラック運転手はクルマの運転だけが仕事だが、個人向けの小分けの物流が増え、その荷物を倉庫から出したり、重たい荷物を積み込んだりするのをドライバーに任せる荷主が増えた。 積み下ろし場所には全国からトラックが集まるので、2~3時間の順番待ちはざら。また、積み下ろしの拠点は複数あり、必然的に拘束時間が増える。夕方荷物を積んで、夜通し走って、朝荷物を下ろすという、完全なる深夜勤務。拘束時間が増えれば睡眠時間を削るしかない。
・どんなに国が「4時間走ったら休憩せよ」と規制をかけたところで、「ちょっとでも遅れると文句をつけられる」ため、休んでいられないのが実態なのだ。 しかも、「万が一、荷物を破損させた場合には運転手の責任となり、給料から天引きされる」というのだから、たまったもんじゃない。
・きっかけは、2008年に発覚したの中国製の「毒餃子事件」だった。 中国の食品メーカー天洋食品が製造した冷凍餃子に、同社の作業員が殺虫剤の成分を混入させ、日本人10人が中毒を起こしたこの事件以来、商品の段ボールが少し破損しているだけで「何か細工がされているのでは?」と拒否する荷受け先が急増したそうだ。 荷受け先はメーカーにクレームを付け、メーカーは運送会社のせいにし、運送会社は運転手に責任を転嫁するという、「末端の弱者が叩かれる」という最悪の構図が出来上がってしまったのだ。 私が話をさせていただいた方の中には、国の規制緩和が「悪夢の始まりだった」とする人もいた。
▽運転手の労働環境は、規制緩和で悪化した
・規制緩和が行われるまでは、国が運輸業への新規参入に強い規制をかけていたため、運転手の労働条件はかなり良かったそうだ。ところが規制が緩和され事業者が急増。バブル崩壊と重なり価格競争が激化し、運転手の賃金は激減した。 低賃金、運転免許制度改定などで若者はいっこうに増えず、2006年には92万人だった運転手人口は、わずか2年で86万人まで減少。ひたすら運転手の高齢化だけが進んだ。
・この状況は以下のグラフを見れば、一目瞭然である。人手不足は今後さらに拡大していくと予想されている。  上記のデータは、いずれも国交省の「自動車運送事業等における労働力確保対策について」から抜粋したもので、「運送業の労働力不足は、我が国の成長戦略が進化していくに当たりボトルネックとなり得る大きな問題」という認識のもとで作られた。
・「うん、うん」とうなずける内容になっているのだが、「ベテラン運転手」たちの救済策は見受けられない。「女性活用」と「若者雇用」のことばかりで、今、この時間も聞こえてくる“悲鳴”は放置されている。 「ココに書いてある未来図が実現される頃には、オレらは過労死してるよ」 こう嘆く運転手の方もいた。 今の状況になぜ、手をつけない? 荷主への指導や処罰でもいいし、待機時間にコストを発生させて、運転手の賃金アップに反映させるように荷受け先や運送業者に義務づけるとか、やり方はいくつでもあるはずだ。それが労働力確保につながるんじゃないのか。
▽未来を語り、現在をないがしろにするのはなぜ?
・だから、納得できないのですよ。こういった状況での今回の判決は。やっぱりおかしいよね、と。 だって、「再雇用時の賃下げで賃金コスト圧縮を必要とするような財務・経営状況ではなかった」わけで(一審判決)。  「一般的で、社会的にも容認されている」という理由で、同じ責任・同じ仕事なのに賃金を3割も下げるだなんて、申し訳ないけど私には理解できない。「一審の判決を認めたら若手の労働環境をさらに悪化させる」という人もいるけど、ベテラン運転手たちは? 彼らは“ボロぞうきん”のように使われても仕方がないわけ?
・なんでいつもこう、声なき悲鳴を救い上げることなく、未来図ばかりを描くのか。 なぜ、「今」をないがしろにする? 平成27年度の過労死の労災請求は、「輸送・機械運転従事者」がトップだ(161 件 20.3%)。 過労死とは、いわば突然死。長時間労働や、深夜勤務などの過重な負荷が積み重なったことで、脳血管疾患または虚血性心疾患などが引き起こされる。
・「ならば自動運転を!」と、自動車業界に詳しいジャーナリストの井上久男さんにお話をうかがってみたところ、次のような事情を教えてくれた。 「現状の自動運転技術は運転手がいることが前提なんですね。クルマを運転するのはあくまで人で、自動運転技術はサポート役。ただ、ディープラーニング(AIの深層学習)や3Dマップなどを活用し、完全自動運転を目指す開発が急速に進んでいます。いずれにしても、想像する以上に早いスピードで人と車の関係は変わるでしょうね」 井上さんが指摘するとおり、独BMWと米フォード・モーターはレベル4(加速・操舵・制動すべてにドライバーが全く関与しない完全自動走行システム)に相当する自動運転車の量産を2021年までに始めるとそれぞれ表明している。
・つまり、未来の運送業界の働き手は「若者」でも「女性」ではない、「クルマ」になるかもしれないのだ。 「世間も見て見ぬふりですわーーー」 55歳の運転手さんの言葉は、私をとてつもなく後ろめたい気にさせる。
・昨日も、そして今日も、我が家には宅急便が届く。本、冬用スリッパ、有機玄米、加湿器のフィルター……。どれもネットで注文してからあっという間に届く。毎朝、商店街には商品を搬入するトラックが列をなし、高速を走れば大きなトラックがゆらゆら揺れながら、前にも後ろにも、そして隣の車線にも走っている。
・私たちの便利を支える業界はブラック化し、そこで働く人たちは命を削りながら働いている。便利さが環境を壊す時代から、便利さが人を壊す時代になった。世の中で起きている大きな問題に、私たちは必ずといっていいほど加担している。
・この現実に、私たちはどう向き合えばいいのだろう。 高いお金を出して有機栽培の野菜を買うように、高いお金を出して輸送される商品を買うのだろうか。 コレと言った答えをここで出せない自分がいる。ただ、だからこそ、今回の高裁の判決には異を唱えたい。定年前と同じ仕事内容で賃金が一定程度減額されることについて、「一般的で、社会的にも容認されている」……って。3割の減額が「一般的」とか「社会的に容認」と言うなら、業界の労働環境をきちんと勉強してほしい。 これでは、世間だけではなく、司法までもが「見て見ぬふり」をしていることになってしまう……。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/110400078/?P=1

第三に、上記と同じ河合薫氏が2月7日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「有休取得を妨げる「アリバイ労働」と「戦後特例」 あの…日本はまだ「戦後復興期」なのでしょうか?」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・マイナビは、運営する女性総合サイト「マイナビウーマン」に掲載した記事2本が不適切だったとして、該当記事を削除したと発表した。 あちらこちらで話題になっていたのでご存知の方も多いと思うが、ことの成り行きを簡単に説明しておく。 問題となったのは、「意味わかんない!『社会人としてありえない』有休取得の理由7つ!」と、「男性に聞いた! 女性が『生理休暇をとる』のはアリ?」という、タイトルを見ただけで「オイオイ、大丈夫か?!」って感じの2本の記事。
・特に有給休暇に関する記事は、想像どおり瞬く間に激しく炎上した。 「寝坊、二日酔い、やる気が出ない、彼氏とのケンカ、彼氏に振られた、体が痛い、天気が悪い、などの理由で休むのはNG。有休を取ることは働く人の権利ですが、常識ある使い方をしたい」 という内容に、「有休取得に理由なんて関係ないだろう!」と批判が殺到したのだ。
・過去にも似たような記事がアップされるやいなや撃沈されていたのに、なぜ、マイナビという「若い人向け」のサイトで、見事なまでに危うい記事が掲載されたのかは定かではない。 ただでさえ、日本における有給休暇の消化率は半分以下(厚生労働省「平成26年就労条件総合調査結果」)。おまけに今年は、祝日の“土曜日かぶり”の多い年だけに、炎上の条件はそろっていた。
・「どんな理由であれ、使えばいいじゃん」と個人的には思うのだが、この記事の担当者は、よほど“ドタキャン”ならぬ“ドタ休み”に迷惑をこうむっていたのか、「最近の若者は○●××」と若い社員への不満がたまっていたのか、「社会人らしからぬ理由で休むなよ!」と釘を刺したかったらしい。 社会人らしからぬ、か。……いったいどんな理由なら社会人らしい、常識ある理由になるというのだろう。
・そもそも年次有給休暇をどう使うかは、労働者の自由。上司に理由を伝える義務もない。 「おいおい、そんなどーでもいい理由で有休とか、勘弁してくれよ!」と内心思ったとしても、有給休暇が企業と労働者の決めごとである以上、現場の不満は愚痴レベルで終わらせるべき問題である。
・だいたいなんでこんなにも、「休む」ってことが難しいのだろう。 「申し訳ないけど、休ませてください」って、みんな当たり前のように言うけど、なぜ謝る? 「あいつは毎年、有休をフルに使って海外旅行だとさ。結構なご身分だね」っと不機嫌になる人がいるけど、なぜ、批判する?
・みんな休みたいはずなのに、なんで???ただ単純に人手が足りないことだけが、理由なのか? というわけで、今回は「有給休暇の謎」について、アレコレ考えてみようと思う。
▽有休はそもそも、「連続取得」が前提
・まずは、有給休暇の“そもそも話”からしなくてはならない。 日本では「有給休暇の分割」が認められているけど、国際労働機関(ILO)は、原則として有給休暇の分割取得を認めていない。つまり、「労働者はまとめて休む必要がある」から、有給休暇という制度が誕生したのだ。
・遡ること、今から100年前の20世紀初頭。「精神的かつ知的な休息は、労働者の健康のために不可欠である」との理由から、週休とは異なる連続休暇を労働者の権利だとする考え方が欧州の労働組合に存在していた。  ILOの報告によれば、1926年には既に有給休暇はスウェーデンの労働者に広まっていて、1935年にはほとんどの欧州諸国の企業が、労働者に有給休暇を与えていた。
・そこでILOはそういった現状をたたき台に、1936年、「1年以上継続して働くすべての労働者は、連続した最低6労働日の有給休暇を享受する」とした条約(第 52 号条約)を定め、「この最低基準を超えるものに関してのみ、特別に有給休暇の分割を認める」としたのである。 その後改訂を重ね、現在は1970年の第132号条約が、世界基準になっている(以下抜粋)。
 +労働者は1年勤務につき3労働週(5日制なら15日、6日制なら18日)の年次有給休暇の権利をもつ。
 +休暇は原則として継続したものだが、事情により分割も可
 +ただし、分割された一部は連続2労働週を下回ってならない
 +祝日や慣習上の休日は年次有給休暇の一部として数えてはならない
・要するに、20日の有給休暇が付与されている場合、少なくとも10日は連続して休むことが求められているのである。 だが、残念なことに日本はこの条約を批准していない。日本は先進国の中では珍しくILOの条約のいくつかを批准していないのだが、そのうちのひとつが「年次有給休暇に関する条約」なのだ。
・有給休暇などの労働基準を定めた労働基準法が作られたときの日本は、とにかく貧しかった。 1947年に労働基準法が制定されたときに、中心的役割を果たした労働省の課長だった寺本廣作氏は, 参議院議員時代に著した自伝 『ある官僚の生涯』 (非売品、1976 年) のなかで、当時の様子を次のように語っている(※文中の「彼」とは寺本氏本人のこと)。
・「労働保護課の発足と同時に、彼らは労働基準法の立案に取りかかった。 国際労働条約やアメリカの公正労働基準法、イギリスの工場法などを参考とし、日本の実情と照らし合わせながら時間をかけて少しずつ作 業を進めていった」
・その中で問題になったのが、1日8時間、週40時間という労働時間の基準だった。 立案された条文は 1条1条、課員の全体会議にかけて検討した。議論に熱が入り過ぎて時には掴み合わんばかりの激論になることもあった。 一番議論が白熱したのは労働時間の条文であった。 国際労働条約の 1 日8時間制を取り入れたいのはやまやまであったが、 破壊しつくされた当時の日本では8時間労働で国民の必要とする最低生活を支えることは、不可能ではないかという疑問が出た。
・1週間も激論が続いたあげく、労働組合との協定があれば25パーセントの割増賃金で時間外労働をさせることができるという結論に到達した。この作業がようやく軌道に乗ってきたころ、 幣原内閣が倒れて第1次吉田内閣ができた」 当時の日本では、1日の労働時間を10時間にしているところも多かった。会議では「9時間」という案も出たが、寺本氏らはILOの基準にとことんこだわった。 そこで8時間とする代わりに、出来るだけ経済復興を阻害しないよう時間外手当を欧米の50%の半分の25%にするという案でまとまったのだ。
▽日本は、まだ戦後復興期にあるのか?
・敗戦の痛手のなかで8時間労働制、週休制、さらには、年次有給休暇制度を取り入れようとしたのだから、その調整に苦労したのは容易に想像できる。 それでも「理想と現実の狭間」で、担当者たちは世界に日本を近づけようと踏ん張った。 産業革命以降、欧州では長時間労働が蔓延し、労働者の間で過労が原因と思われる心身の不調が多発していた。それを撲滅すべく「1日8時間にしよう!」「1週間に40時間にしよう!」「週休とは別に、年次休暇を作ろう!」と、権利をひとつひとつ積み上げてきた。
・そう。今はやりの“ファースト”。“大企業ファースト”じゃなく、労働者ファースト。労働者は奴隷ではないというメッセージを、寺本氏をはじめとする日本の役人たちは真摯に受け止めていたのだ。
・しかしながら「まとめて取るのが大原則」とする年次有給休暇を、まんま敗戦の焼け野原で戦後復興中の日本が受け入れるのは到底ムリ。 その結果、「年次有給休暇については、やむにやまれぬ事情の下で1日単位の分割取得というおかしな制度をあえて導入した」というのである。  ってことは……、“やむにやまれぬ事情”がない今、“おかしな制度”は、“おかしくない制度”に戻すべき。「有給休暇はまとめて取るもの」と正すべきだが、そういった声は一向に聞こえてこない。
・残業の上限に関しては80時間だの、60時間だのと議論しているけど、「ゆうきゅうきゅうか」の「ゆ」の字も出てこないのはどうしたものか? ひょっとして今の日本は、まだ戦後復興期にあるのだろうか?まさか、いまだに世界についていけない、極貧の国なのか? やむにやまれぬ事情で“おかしな制度”を作った先人たちは、今の「休むのが難しい日本」を見て、なんと言うだろうか。 多くの仕事が「精神的かつ知的な労働」になった現代社会で、連続休暇はおろか1日の休暇でさえアリだのナシだので炎上している現状って、いったいナニ?
▽「アリバイ作りですよ」
・そもそも疲れは、食べて寝るだけで自然に消えていくものではない。 特に精神的緊張や心的負担を伴う仕事には、適度な運動、精神的なゆとり、遊び、お喋り、笑い、など、心的疲労を癒す“資源”と、「仕事を忘れる時間」が必要不可欠。 頭痛、肩こり、イライラ、やる気がでない、眠れない、ケアレスミス、疲れやすいなどの症状に代表される蓄積疲労は、最悪の場合、うつや突然死につながる極めて深刻な状態である。
・夏季休暇などで休むと「余計疲れが出る」ことがあるが、あれは疲れが蓄積し機能障害に陥っていた“疲れのセンサー”が回復した状態を意味する。 「疲れが出た」のではなく「疲れを自覚できるようになった」だけ。本当に疲れを取る作業は、そこからスタートするのだ。 つまり、疲れのセンサーが回復するのに1週間。心身の疲れを取るのにさらなる1週間。最低でも、2週間は「休息」に必要な期間となる。
・私は夏が来る度に「3週間休めれば、『よっしゃ~、がんばってバリバリ働くぞ!!』ってなるのになぁ」とため息をつき、「ああ、フランス人になりたい」と毎度毎度願う。そういえば久米宏さんは必ず3週間休んでいた。ふむ。久米宏的休みを取るには、もっともっと頑張らないとダメじゃないか……と、これまた袋小路に迷い込み……。
・とまぁ、私の個人的願望はさておき、とにかく疲労は“借金”と同じで、放っておけば利子がつくやっかいなもの。預貯金の利子はちっともつかない現代社会で、私たちはおそらく私たちが認識している以上に疲れの借金だらけになっているのである。 で、ここで素朴な疑問がわくわけです。 なぜ、みんなでもっと休もうよ~という空気に、職場はならないのだろうか、と。 中にはマグロのように、働き続けてないと死んでしまうという人もいるかもしれないけど、フツーは休暇は嬉しいはずだ。
・「アリバイ作りですよ」―――。 そんな私の疑問に、思いもよらぬ答えが現場から聞こえてきた。 先週、打ち合わせで雑談になったときに、「なんで日本の職場って、休みをとりづらいのか?」と私がブツクサ言っていたら、そこにいたメンバーたちが「アリバイ作りだよ」と笑ったのだ。
▽「不便だけど、おたがいさま」ではダメなのか?
・「休んだほうが効率が上がるってのは、頭では理解できる。でも、それを結果で示すのは難しい。だからアリバイを作る」 「そうそう。ノルマが達成でききなかったとき『こんなに働きづめで、休むことになく働いてます!』って、言い訳になるよね」 「残業と同じで、休みも取らないでがんばって働いてるのを見せたほうが上司受けもいいし」 「私なんて、部下たちの有休取得率が高すぎるって、上から怒られたことありますよ」 「さすがに最近は残業の肯定はタブーになったけど、有休は別」
・もちろんこれらは私の半径3メートル内での“声”でしかない。でも、アリバイ作りという言葉にはエラく納得してしまったのだ。 「休まない=がんばってる」 「休まない=精一杯やっている」 「休まない=真面目に取り組んでいる」 「休まない=責任感が高い」 etc etc etc …… 
・こんな思考性が、「申し訳ないけど、休ませてください」「あいつは毎年、有休をフルに使って海外旅行だとさ。結構なご身分だね」という言葉に繋がり、「休みをとらない」ことをアリバイ作りに利用する。 もし、今回ここに書いたような「そもそも有休はまとめてとるもの」であるとか、「理想と現実」に狭間で格闘しながら、世界基準に合わせようとふんばった役人たちのことを、もっともっと多くの人が知ったら………、有給休暇へのトップや現場の意識は変わるだろうか?
・バカンスが当たり前のヨーロッパで暮らした経験のある人たちにインタビューすると、必ずといっていいほど苦笑いしながら話してくれることがある。 「時間になるとさっさと仕事を切り上げるし、お店もさっさと店じまいする。サービスのサの字も感じられず、価格も高い。バカンスのシーズンなんて担当者がいないなんてのは日常茶飯事だし、お店も平気で休む。めちゃくちゃ不便だけど、労働者の立場からすると“お互いさま”って、感じなんですよ」
・そうなのだ。不便だけど、おたがいさま。それで回っている、と。 「部下が会社休んでFacebookに『ディズニーランド行きました!』とアップしていることをムカついてるアナタ。不便なおたがいさまも、たまにはいいんじゃないですかね。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/020300090/?P=1

野口氏が指摘するように、テレワークやフレックスタイムは定着しないようだ。『日本の多くの組織において、仕事は大部屋でなされている。部屋全体の雰囲気で、管理者が仕事の進捗状況を把握している。仕事の分担範囲や責任範囲も、あらかじめ明確に定められているわけでなく、その時々の事情で変わる。仕事の成果も、グループ全体に対して行なわれ、個人個人の寄与度が明確に測定されるわけではない』、というのは、テレワークやフレックスタイムだけでなく、女性活躍、長時間労働是正などを妨げている。なかなか難しい問題だが、仕事のやり方自体も徐々に変わってゆくのではなかろうか。
河合氏の「定年後再雇用」の記事では、高裁の「年収3割減」「引き下げ容認」判決は、司法の保守性を表している。ただ、私はトラック運転手の年齢別賃金カーブについての知識がないので、この問題ではこれ以上のコメントは控えたい。ただ、トラック運転手を取り巻く環境の悪化は確かに酷い。『私たちの便利を支える業界はブラック化し、そこで働く人たちは命を削りながら働いている。便利さが環境を壊す時代から、便利さが人を壊す時代になった。世の中で起きている大きな問題に、私たちは必ずといっていいほど加担している』、というのは大いに考えさせられる問題だ。
「有休」については、私も現役時代は、部下の“ドタ休みには頭にきていた類なので、大きなことはいえないが、ILOの『1970年の第132号条約が、世界基準になっている』、というのは恥ずかしながら初めて知った。日本がこの批准を見送り、さらに時間外手当の割増率も、欧米の50%の半分に止めた当時の事情も理解できた。ただ、『ひょっとして今の日本は、まだ戦後復興期にあるのだろうか?まさか、いまだに世界についていけない、極貧の国なのか?』、との指摘は正論だ。日本の労働法制は極めて遅れたままに放置されているのには、労働組合の責任も重い。 『夏季休暇などで休むと「余計疲れが出る」ことがあるが、あれは疲れが蓄積し機能障害に陥っていた“疲れのセンサー”が回復した状態を意味する。 「疲れが出た」のではなく「疲れを自覚できるようになった」だけ』、との指摘も新鮮で、自分の抱いていた疑問が氷解した。『「アリバイ作りですよ」』、との指摘はその通りだ。
河合氏は、これまでも時々紹介しているが、女性問題のみならず、労働問題でもなかなかユニークな見方を示してくれる。下記のWikipediaを見たら、その華麗なキャリアからも納得だ。これからも注目していきたい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%90%88%E8%96%AB
タグ:ひょっとして今の日本は、まだ戦後復興期にあるのだろうか?まさか、いまだに世界についていけない、極貧の国なのか? (その1)(日本でテレワークやフレックスタイムがなかなか進まない理由、定年後再雇用「年収3割減」「引き下げ容認」判決に透ける私たちと司法の「見て見ぬふり」、有休取得を妨げる「アリバイ労働」と「戦後特例」) 社会的に容認???定年後再雇用「年収3割減」 「引き下げ容認」判決に透ける私たちと司法の「見て見ぬふり」 国際労働機関(ILO)は、原則として有給休暇の分割取得を認めていない 日経ビジネスオンライン 有休取得を妨げる「アリバイ労働」と「戦後特例」 あの…日本はまだ「戦後復興期」なのでしょうか? フレックスタイム導入企業はわずか5%程度 組織における仕事の進め方を全般的に改革することが必要 日本の多くの組織において、仕事は大部屋でなされている。部屋全体の雰囲気で、管理者が仕事の進捗状況を把握している。仕事の分担範囲や責任範囲も、あらかじめ明確に定められているわけでなく、その時々の事情で変わる。仕事の成果も、グループ全体に対して行なわれ、個人個人の寄与度が明確に測定されるわけではない 平成27年度の過労死の労災請求は、「輸送・機械運転従事者」がトップだ 日本型組織の仕事の進め方に合わない? テレワーク人口は減少 出来るだけ経済復興を阻害しないよう時間外手当を欧米の50%の半分の25%にするという案でまとまったのだ 「社会人らしからぬ理由で休むなよ!」と釘を刺したかったらしい 定年前と同じ仕事内容で賃金が一定程度減額されることについて、「一般的で、社会的にも容認されている」との判断を示し、一審判決を取り消し、原告の請求を棄却 毒餃子事件がもたらした運転手への「責任転嫁」 1日8時間、週40時間という労働時間の基準 定年退職後に再雇用され、同じ内容の仕事を続けた場合に賃金を引き下げることの是非が争われた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は11月2日、引き下げを容認する判断を示した 仕事内容も責任も定年前と変わらず、セメントを運ぶ仕事だった。 にもかかわらず、年収は3割ほど下げられてしまった 働き方改革実現会議 「アリバイ作りですよ」 全労働者数に占める週1日以上終日在宅で就業する雇用型在宅型テレワーカー数の割合は、2.7%でしかないのだ 野口悠紀雄 ダイヤモンド・オンライン 柔軟な働き方を広げるテレワーキングへの期待 日本でテレワークやフレックスタイムがなかなか進まない理由 労働 1970年の第132号条約が、世界基準になっている 中型免許は20歳にならないと取得できないので、高卒で入ってきても、2年間は事務仕事をやらされるんです 日本は先進国の中では珍しくILOの条約のいくつかを批准していないのだが、そのうちのひとつが「年次有給休暇に関する条約」なのだ 運転手の労働環境は、規制緩和で悪化した 夏季休暇などで休むと「余計疲れが出る」ことがあるが、あれは疲れが蓄積し機能障害に陥っていた“疲れのセンサー”が回復した状態を意味する。 「疲れが出た」のではなく「疲れを自覚できるようになった」だけ。 私たちの便利を支える業界はブラック化し、そこで働く人たちは命を削りながら働いている。便利さが環境を壊す時代から、便利さが人を壊す時代になった。世の中で起きている大きな問題に、私たちは必ずといっていいほど加担している 働基準法が作られたときの日本は、とにかく貧しかった “ドタ休み”に迷惑をこうむっていたのか テレワークやフレックスタイムがうまくいかない基本的な理由は、組織で仕事を進める方式を前提にして、その一部だけを切り離そうとするからである この業界は荷物を依頼する側が、圧倒的に強いんですよ。赤字になろうがなんだろうが、ノーと言ったら仕事がなくなります そもそも年次有給休暇をどう使うかは、労働者の自由。上司に理由を伝える義務もない 河合薫 年次有給休暇については、やむにやまれぬ事情の下で1日単位の分割取得というおかしな制度をあえて導入した」 建設にいったほうが稼げるしね。あっちは結構、労働環境いいし、同じ人手不足でも、うちらの業界とは真逆 “やむにやまれぬ事情”がない今、“おかしな制度”は、“おかしくない制度”に戻すべき。「有給休暇はまとめて取るもの」と正すべきだが、そういった声は一向に聞こえてこない
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