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欧州難民問題(その6)(ヨーロッパのリベラリズムは「不寛容な集団に対する寛容の限界」を試されている、「移民が仕事を奪う」という根拠なき感情論、ついに「難民批判」を解禁したドイツ政府の驚くべき変わり身) [世界情勢]

欧州難民問題については、昨年7月12日に取上げたままだったが、今日は、(その6)(ヨーロッパのリベラリズムは「不寛容な集団に対する寛容の限界」を試されている、「移民が仕事を奪う」という根拠なき感情論、ついに「難民批判」を解禁したドイツ政府の驚くべき変わり身) である。

先ずは、作家の橘玲氏が昨年9月15日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「ヨーロッパのリベラリズムは「不寛容な集団に対する寛容の限界」を試されている[橘玲の世界投資見聞録]」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・何年か前の話だが、外国人の富裕層を顧客とするバンコクの高級私立病院が国際空港のちかくにもうひとつ病棟をつくった。そこはアラブの富裕層だけが使うのだという。 「イスラームのひとたちは習慣がちがうでしょ。だから一般病棟だといろいろ難しいし、本人たちもその方がいいというので」病院のマネージャはそう説明したあと、すこし声をひそめた。「それと、アラブのひとがいるとフランス人の患者さんがものすごく嫌がるんです。“イスラームがいるなら入院しない”って、事前に電話でさんざん確認されて……」
・欧米人が見かけほどリベラルではなく、実は人種差別を巧妙に隠しているだけだ、という話はよく聞くが、ここまで直截的なのは珍しく、だからこそ強く印象に残っている。フランス人はほんとうに「人種差別主義者」なのだろうか?
▽フランス国民の約半数が「多少は人種差別的」
・ベルギーに生まれ、フランス国籍を有するミュリエル・ジョリヴェ氏(上智大学外国語学部フランス語科教授)は、『移民と現代フランス』(集英社新書)で、まさに「フランス人は人種差別主義者か」という問いを立てている。 国立人口問題研究所によると、2001年現在でフランスにはマグレブ(アルジェリア、チュニジア、モロッコの北アフリカ3国)人が250万人暮らしており、これはフランス本国の人口の4%強にあたる。またフランスに住むイスラーム教徒は500万人で人口の8.5%、そのうちの半分が「ブール(Beur)」(Arabeの逆さ言葉)と呼ばれるフランス生まれのマグレブ第二世代だ。
・では、彼らに対する人種差別はあるのだろうか? 1992年に発行された「人権諮問委員会」のレポート『人種差別と外国人嫌いに対抗する』で、「あなたは人種差別主義者ですか?」との質問に4%のフランス人がはっきり「そうだ」とこたえ、「人種差別主義者ではないが、そう思われても仕方のない行動をすることがある」は47%、「人種差別主義者では全くない」が48%となっている。
・この調査では、フランス国民の約半数が「多少は人種差別的」だが、明確な意思をもって人種差別する人間は4%しかいない。その一方で、「フランスにはアラブ人が多すぎる」と答えているフランス人は65%もおり、なかでもいちばん嫌われているのがアルジェリア人で、次いでモロッコ人、チュニジア人とマグレブ生まれがつづく。この3国の共通点は、いずれも北アフリカにあるフランスの旧植民地だということだ。
・こうした状況を、差別の対象とされる彼らはどう思っているのだろうか。ジョリヴェ氏は、アルジェリア移民二世で、「同化またはフランス協会」の会長を務めるザイール・ケダデゥーシュに話を聞きにいく。 「フランス人は人種差別主義者かどうかって?これはとてもいい質問だ」とケダデゥーシュはいう。「僕はもちろん違うと即答したいところがだ、こうも言いたい。フランス人も皆と同じように人種差別主義者だと。つまり、どんな人間の集団でも、違う存在のものは全て怖いと思う。(中略)自分たちのアイデンティティに疑問を抱かせるような人間を受け入れないのは普通の反応で、僕はそれはどんな人間の集団にもあると思う。だから、フランス人は人種差別主義者かどうかという質問には、全体的にみてそうじゃないと言えるけど、アラブ人に対して恐怖心か、嫌悪感を抱いているかどうかと聞かれたら、そうだと言わざるをえないね」
・この「ブール(アルジェリア移民二世)」によれば、フランスに人種差別はあるが、それは他の国も同じようなもので、フランスだけが突出しているわけではないということになる。
▽アラブ系の移民やその二世たちの大半が言葉や行動による人種差別を体験
・では次に、1996年にメディアが共同で行なった、外国人(移民)と外国出身のフランス人(移民の二世や三世)への調査を見てみよう(ここでは「移民」「二世」と表記する)。 調査によると、彼らが考える「人種差別の主な犠牲者」はマグレブ人で、「移民」の78%、「二世」の86%が差別体験をしている。その後にくるのがブール(「移民」66%、「二世」75%)とアフリカの黒人(同60%、67%)で、ジプシー(ロマ)(20%、30%)、ユダヤ人(19%、18%)、アンティル諸島人(13%、9%)、アジア人(9%、12%)、地中海沿岸のヨーロッパ人(5%、4%)とつづく。
・この調査によれば、アラブ系の移民やその二世たちの大半(7~8割)が言葉や行動による人種差別を体験している。その彼らが「もっとも人種差別的な国の機関や組織」として挙げるのは、“極右政党”「国民戦線」(90%と94%)とならんで「警察」(70%と82%)だ。
・この調査が興味深いのは、移民やその二世にも自身の人種差別意識について聞いていることだ。それによると12%の「移民」と18%の「二世」が、「どちらかというと」または「少し」人種差別主義者だと告白し、45%の「移民」と48%の「二世」が「フランスにはマグレブ人が多すぎる」とこたえた(アフリカ人が多すぎると思っているのは44%と39%、アジア人が多すぎると思っているのは25%と22%)。
・さらに、「移民」の88%はフランス人と混ざり合った地域に住みたいと考え、62%は子どもを宗教色のないフランスの公立学校に入れたいと思っている(それに対して、祖国の習慣や宗教を教える学校に入れたいと思っているのは26%)。49%の「移民」は子どもにはフランス人になってほしいと思っており、祖国の国籍を守ってほしいと思っている39%よりも多い。「祖国に仕事があれば帰りたいと思うか」の問いに、帰りたいが36%、フランスに残りたいが56%だが、それでも51%は退職したら国に帰りたいと思っている。――ひとことで「移民」「二世」といっても、その内実はさまざまなのだ。
・移民に対する差別はどのようなものなのか。これについてジョリヴェ氏は、フランスの社会学者ピエール・ブルデューが聞き取り調査を行なった、移民の多い地区に暮らす少年の話を載せている。 「色々なことがあって、わかったことがあるとしたら、それはね、あの人たちは僕たちの家族にここにいてほしくないってこと。ただそれだけさ。いていいとしても、顔を合わせちゃいけないし、姿を見せるのもダメ。猫も犬も、外へ出るのも、公園も、子供もダメなんだ。僕たちだって自分の家にいるんだよ。親のそばにいちゃいけないって言われてるみたいだ。そう、結局はそうなんだ。僕たちの場所じゃないのは、家や地域や町だけじゃなく、この社会全部がそうなんだ。だけど、僕たちは全員、男の子も女の子もフランス国籍を持っているんだよ」
・あるいは、郵便局を退職した62歳の白人男性は次のようにいう。彼は元ド・ゴール派支持で、いまはル・ペン率いる国民戦線に投票している。 「アラブ人は昔からいた。しかし、30年前に破壊的行動をして、小さくなっていた。ところがいまは、アラブのガキがごろごろしていて、私はもう自分の国にいる気がしない。多すぎる、あんまりだ! 前は、移民といえばスペイン人かポルトガル人だった。いまのアラブ人のように道に唾を吐いたり、エレベーターのなかで小便はしなかった」
・こうした差別意識についてブリュデューは、マグレブ人はフランス人に近すぎ、それが逆に人種的偏見を強くしているのだと述べている。「移民への反感は、社会的格差が薄らぐにつれ倍増し、特にそれは過去に植民地だったところの人々に対して抱かれる。過去に支配されていた者が同化するにつれ、支配していた者は本質に基づいた違いから、距離を作ろうとする。こうして逆説的に、近づくことで人種的偏見が強くなる」のだ。
・ところで、移民に対する排斥感情が生まれる経済的な理由は、彼らが移り住むことで住宅価格が下落することだ。日本と同じくフランスでも中産階級の資産の大半は不動産で、なけなしの財産が失われる(大損する)かもしれないというのは、大きな脅威として意識されるのだ。
▽イギリスの「多文化主義」は寛容だからこそ「不寛容な者」の自己主張が強くなる
・前回、アメリカの社会学者クリスチャン・ヨプケの『ヴェール論争』(法政大学出版局)を紹介したが、そこでは公的領域から私的なもの(宗教)を徹底して排除しようとするフランスのライシテ(非宗教性)を「リベラリズムの強硬ヴァージョン」とし、「共同体主義」のドイツ、「多文化主義」のイギリスと比較した。[参考記事]●ムスリム女性の「ヴェール問題」に対する英仏独それぞれの対応と功罪
・多くのひとが感じる疑問は、フランスでムスリム移民の事件が多発するのは、公立学校の教師ばかりか女生徒にまでヴェール着用を禁じる徹底した近代主義が「差別」と受け取られるからではないか、というものだろう。それとは対照的に、イギリスのような「寛容」な多文化主義では、公立学校でもイスラームの伝統を尊重した教育が許されているのだから、移民の統合はより進みそうだ。
・だが、ことはそう単純ではない。「ライシテ」や共同体主義と同様に、多文化主義にもそれ固有の問題があるからだ。 「事件」が起きたのは2002年9月、場所はイングランド東部のデンビー高校だった。 サルワール・カミーズはヘッドスカーフとともに着用する、ゆったりとしたチュニックとズボンで、シーク教徒やヒンドゥー教徒など南アジア系マイノリティの女子生徒が、制服の代替として広く用いる宗教的な服装だ。パキスタン系の女生徒シャビーナ・ベーガムも、それまで他の子どもたちと同じようにサルワール・カミーズを着て学校に通っていたが、ある日、兄にともなわれジルバブ姿で登校した。
・ジルバブはニカブ(目の部分にスリットが入り、顔の大半を隠すヴェール)と対になる着衣で、宗教的な服装についての規律が緩やかな南アジアのイスラーム(ハナーフィ派)にとってはまったく縁のないものだった。イギリスでは、ヒズブアッタハリル(国際的なムスリム政治団体で、その究極の目的はカリフ制とシャリーアの実施にもとづくイスラーム世界の統一だとされる)に近い急進派グループによって広められており、シャビーナの兄もこの組織に属している疑いがあった。兄は応対に出た副校長に、脅迫まがいの常軌を逸したともとれる激しい調子で、人権や裁判について語ったという。副校長は「きちんとした制服を着たうえで学校に戻ってくる」ようシャビーナを諭したが、彼女はこれに従わず、代わりに裁判に訴えたのだ。
・フランスのヴェール論争が「イスラーム」対「ライシテ(近代主義)」、ドイツが「イスラーム」対「キリスト教」の構図をとるのに対し、イギリスのヴェール論争の特徴は、舞台となったデンビー高校の全生徒の80%近くがムスリムで、合わせて40の言語集団と21のエスニック集団を抱えていたことだ。マイノリティ集団はここでは多数派で、校長は南アジア育ちのベンガル系ムスリムで、6名の父兄評議員のうち4名もムスリム、地域教育局によって任命された外部評議員のうち3名もムスリムだった。
・それに加えて、同じ地域には他に3つのイスラーム色の強い学校があり、そのすべてがジルバブの着用を認めていたから、シャビーナはデンビー高校ではなく他校に通うことも可能だった。なぜそうしなかったかというと、ベンガル系校長の指導の下、同じような生徒構成の他校に比べてデンビー高校が平均値をはるかに超える成績を記録していたからだ。――すなわち、ここでの対立は(多文化主義のもとでの)「穏健なイスラーム」対「過激なイスラーム」というかたちで表われたのだ。
・この事件は高等法院の第一審、控訴裁判所、法律貴族院と二転三転し、最終的にシャビーナの訴えは退けられることになる。その詳細はここでは触れないが、なぜこのようなことが起きたのかヨプケの説明は明快だ。  イギリスの「多文化主義」は寛容だからこそ、「不寛容な者」の自己主張が強くなる。それに対して「強硬」なフランスでは、生徒のヴェールそのものが法で禁じられているのだから、イスラーム原理主義が公立学校を侵食するようなことは起こり得ないのだ。
▽多文化主義と日本人が考えるリベラルな寛容さは別物
・ここで、多文化主義の寛容さについて付言しておく必要がある。彼らの寛容さは、日本人が考えるリベラルな寛容さ(異なる文化を理解し、受け入れる)こととはかなりちがっているからだ。 このことを正確に指摘したのはイスラーム地域研究を専門とする内藤正典氏で、『ヨーロッパとイスラーム』(岩波新書)のなかで、オランダの多文化主義を次のように説明している。重要な指摘なので、全文を引用しよう。
・「この国の多文化主義というものを理解するうえで、たいへん重要なポイントがある。それは、他者の生き方を権利として保障することと、他者を理解することは全く関係ないということである。まして、他者の生き方を尊重することが、他者を好きになることを意味するわけでもない。 カトリックの人がプロテスタントの権利を保障していても、それはプロテスタントを理解しているわけでもなければ、プロテスタントを好きなわけでもないのである。多文化主義という言葉は日本でもよく使われる。日本では、相互理解の上に多文化の共生を図るという意味が込められているが、そのような多文化主義はオランダには存在しない」
・ここで述べられているのは、オランダや(政治文化の近い)イギリスの「リベラリズム」とは、個人の自己決定権と、他人から干渉されない権利だということだ。どのように生き、どのように死んでいくのかは個人の自由(勝手)だから、オランダでは大麻も売春も合法で、安楽死は高齢者だけでなく18歳以上の若者にも認められ、さらに「子どもを苦痛にさらすのは非人間的だ」との理由で12歳まで引き下げられた。ここでの多文化主義は「異なる文化に対する無関心」のことで、移民の若者が学校からドロップアウトし貧困に落ち込んでも、社会が与えた機会が平等であれば、それは「自己責任」なのだ。
・オランダでは自分の子どもを移民といっしょに学ばせないことも個人の自由だから、移民子弟のいない学校に子どもを通わせることもまた自由であり権利となる。その結果、アムステルダムやロッテルダムでは「白い学校」と「黒い学校」の隔離が起きた。ちなみにこれは差別語ではなく、オランダでは行政でふつうに使われている。移民の親も子どもを「白い学校」に通わせることができるのだから、「黒い学校」ができるのは移民や二世がそれを自ら望んだからなのだ。
・こうした「リベラリズム」の政治感覚はイギリスも同じで、だからこそ多文化主義(異なる文化への無関心)に基づく「移民だけの公立学校」ができ、そこで穏健なムスリムと過激なムスリムがヴェールをめぐって対立することになったのだ。
▽「イスラームの側の問題」
・フランス、ドイツ、イギリスの「ヴェール論争」を詳細に検討したヨプケは、最後に「イスラームの側の問題」に言及する。ヨーロッパでムスリムのヴェールが問題になるのは、それが「女性差別」の象徴と見なされるからだが、はたしてこれは「白人の偏見」だろうか。
・たとえば、デンマークのムフティー(イスラーム法学者)は次のようにいう。  「女は原罪を負っており、だから女の顔や髪はムスリム男性を強姦魔へと変えてしまう」 ヴェールを着けない女性は「強姦されたい」のだという「悪意に満ちた考え方」は、当然ながらリベラルな社会では受け入れられない。だとすれば、「差別の原因は宗教というよりも、むしろ女性が家庭の外で働くことを禁じるイスラーム的な戒律全体にある」とヨプケは指摘する。個人が「自己決定的であっても自律的ではない」とするイスラーム的な個人観は、リベラルな個人観と衝突せざるを得ないのだ。
・ヨーロッパの困惑は、ムスリム移民に「統合」の意思があるかどうかわからないことにある。これも一概に偏見とはいえず、主流のムスリム法学者の見解では、ムスリムがイスラーム共同体(ウンマ)以外への移住を許されるのは、「ナショナルな、あるいはエスニックなアイデンティティよりも宗教的なアイデンティティを上位に置き……グローバルなムスリム全体の利益を増進し」、率先して「模範的なムスリム」として振る舞うかぎりにおいてであるとされる。
・「イスラム世界で最も有力な神学者」と一般に目され、欧州ファトワ研究評議会の会長であるエジプトのユースフ・アル=カラダーウィーなど代表的なムスリム法学者は、「(フランスでヘッドスカーフが禁止されたのは)人はムスリムであると同時にフランス人たりえない」からだと述べる。そのうえで彼らは、ムスリム移民の「義務」として、以下の3つを挙げている。 1)「レンガ造りの強固な建物のごとく」互いに団結しなければならない 2)同化に抵抗しなければならない。とりわけ「自分の子どもたちをムスリムとして育てることがきわめて困難だと判明した場合は、故国に帰らなければならない」 3)他人をイスラームに改宗させなければならない。「西洋のムスリムは、みずからの宗教への誠実な勧誘者たるべきである。他人をイスラムに導くという責務は学者や長老(シャイフ)のみならず、あらゆる敬虔なムスリムにも課されていることを、彼らは心に留めておかなければならない」
・正統なイスラームの法学者にとって、移民とは「西洋とイスラムの間の抗争における強力な武器」として、宗教心や宗教活動を高揚させるためにのみ容認され、歓迎される存在である。そして西洋国民国家は、「ムスリムがイスラムを十全に実践するための社会機構にすぎない」のだ。
・彼らの見解では、西洋国民国家はその「偶像崇拝的な野蛮性」ゆえに、神の怒りによって破壊されるべきであるし、かりにそうならないにせよ、内在する精神的な虚無から自壊するはずだ。したがって、精神的に強固でグローバルなムスリム国家にとって、西洋国民国家は重大な競争相手たりえない。要するに、「ムスリム法学者の主流派にとって、イスラムは単なる文化や宗教や伝統ではなく、むしろ人間活動のすべての面を管轄する、ある種のナショナリティ」なのだ。
・このような「偏狭」なイデオロギーは、イスラームでは法学者だけのものではない。ドイツ・ムスリム評議会の会長は、世俗国家の諸原則がムスリムにとって「不変の基礎」であるかと尋ねられて、「ムスリムが少数派であるかぎりは、そのとおりでしょう」とこたえた。その真意は、「いったんムスリムが多数派を構成すれば「(憲法という)契約」は無効となり、「イスラムの家」による別の法体系が適用される」ということなのだ。
・こうしてヨプケは、ヨーロッパのリベラリズムは「不寛容な集団に対する寛容の限界」を試されているのだと結論する。 これはもちろん、「(白人の)人種差別主義者の偏見」かもしれない。そこで最後に、ジョリヴェ氏の『移民と現代フランス』で紹介されているサン=ドゥニ出身のラップグループNTM(「マザー・ファッカー」の意味の略語)の歌詞を掲載しておこう。
・サツを地下鉄の通路に追いつめる  それが夜になったときのジョイ・ジョーの夢 オイラに弾をくれ、サツをやっつけたい オイラに銃をくれ……  サツ殺し、サツのアホ  サツ、正義殺し、マザー・ファッカー  俺が最後に会った判事は、町のディーラーよりたちが悪いこのグループが95年の暮れに出した3枚目のアルバム『爆弾の下のパリ』は大ヒットし、15万枚を売り上げて初の「ディスク・ドール金のCD」賞に輝いたという。
http://diamond.jp/articles/-/101734

次に、早稲田大学政治経済学術院名誉教授の藪下 史郎氏が昨年11月2日付け東洋経済オンラインに寄稿した「「移民が仕事を奪う」という根拠なき感情論 膨大な研究成果が示す本当の影響」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・移民が来ると仕事が奪われ、経済にマイナスの影響があり、治安が悪くなると思っている人は多い。アメリカで移民排斥を叫ぶトランプが一定の支持を得ているのも、移民に対するネガティブな印象が背景にあるからだろう。しかし、実際のデータに基づいて議論している人はあまり見られない。
・そうした根拠なき感情論と実証研究のギャップを埋める目的で刊行されたのが『移民の経済学』(テキサス工科大学自由市場研究所所長ベンジャミン・パウエル編)だ。本書の監訳者である、早稲田大学名誉教授の藪下史郎教授が執筆した日本語版の解説を、一部編集のうえ掲載する。
▽あまりに感情的な議論が多すぎる
・「移民を受け入れると、治安が悪くなる」と思う人は多い。しかし、本書のデータによれば、アメリカでも日本でも、移民の方が犯罪率は低いという。日本にも多くの示唆を与える一冊 本書は、現在アメリカで論争の的になっている移民政策に対する警告の書である。これまで、移民のもたらす経済的効果、さらに文化的、政治的効果については、膨大な研究成果が蓄積されてきた。それにもかかわらず、現在、メディア、議会および一般社会で行われている議論の多くは感情的なものであり、移民問題に関する学術的研究に基づいていない。
・こうした懸念から、これまでの膨大な研究成果をまとめて提示し、移民政策論議をより客観的かつ建設的なものに深めることを意図している。さらに本書では、これまでの研究成果、およびそれらとは異なった価値観、視点に基づく、さまざまな移民政策の功罪も論じている。
・アメリカにおける移民政策の深刻さを教えてくれたものに、本年(2016年)のアメリカ大統領選挙での共和党候補者ドナルド・トランプ氏の過激な発言がある。 たとえば、メキシコとの国境に万里の長城のような巨大なフェンスを築き、メキシコからの不法移民を阻止する、イスラム教徒の入国を禁止する、などと物議を醸し出す発言を行った。選挙での票獲得を目指した詭弁であり、現実を無視した短絡的な暴言と思われる。
・しかしそうした発言によってトランプ人気が出たことは、誤った(少なくとも、確固とした証拠に基づかない)事実認識をもつ、一部のアメリカ国民の心をとらえたと言えるだろう。 メキシコ国境でのグレートウォール建設は、低所得白人労働者層の抱く認識と不満に敏感に反応したものである。彼らは、メキシコや中南米諸国からの移民がアメリカ国内の労働者から職を奪い、労働市場では賃金を低下させてきたと思いこんでいる。
▽感情論とデータが示す真実はこんなに違う
・それでは、感情的な議論ではなく、客観的な証拠に基づいて議論するとどのようなことが見えてくるだろうか。ここでは、代表的な3つの感情論を取り上げ、それぞれ本書で分析されているデータに基づいた研究結果と比較してみたい。
・代表的な感情論1:「移民は雇用を奪う」 移民がアメリカ人労働者の雇用水準に及ぼす効果を考察した論文は多数あるが、大半がアメリカ人労働者の雇用を減少させる効果はないと結論付けている。かなりの数の文献を分析した最近のメタ解析でも、アメリカ人労働者の雇用は移民によってほとんど影響を受けていないことを示している。
・代表的な感情論2:「移民で治安が悪くなる」 アメリカでは、外国生まれの移民の収監率はアメリカ人の5分の1である。日本でも、日本にいる移民のほうが日本人よりも犯罪率は低い。
・代表的な感情論3:「移民が来ると国が貧しくなる」 自由な国家間の労働移動がグローバルな厚生水準を劇的に上昇させることについて、経済学者の間では論争の余地がない。最も悲観的な推定値でさえ、移民はアメリカ人に毎年50億~100億ドルの効率性の向上をもたらすとしている。
・以上に紹介したのは、本書のごく一部にすぎないが、思い込みや感情論ではなく、複数の論文をもとに丁寧にデータ分析していくことで、まったく違う世界が見えてくることがおわかりいただけると思う。 移民はアメリカだけではなく、多くの国にとって重大な問題となっており、世界全体で取り組まなければならない政策課題となっている。
▽市民社会への影響も俎上に
・ヨーロッパにはシリアなど中東地域や北アフリカなどから多数の難民が押し寄せていることは、テレビや新聞などのメディアで日々報道されている。シリアなどの独裁政治による抑圧生活や内戦による死の恐怖の伴う劣悪な環境から逃れるために、多くの人が生命の危険を冒し国外に脱出している。
・彼らは、小さなボートで地中海を渡り、トルコやギリシャ沿岸に命からがらたどり着き、その後より豊かなヨーロッパ諸国に移動しようとしている。しかしその中に多くの人々が海の藻くずになったとのテレビ報道は、われわれに大きなショックと悲しみを与えてきた。
・そうした難民は、母国の劣悪な現状からより豊かな生活を求めてヨーロッパへの移住を試みているが、そのために密航業者に多額の費用を支払わなければならない。これらの人は、こうした渡航費用や密航に伴うリスクを負担し、よりよい生活を求めるという経済動機に基づいて移動しようとしているため、難民と言うよりも経済移民であると揶揄する人もいる。
・彼らが経済移民と見なされようとどうであろうと、難民を受け入れた国および彼らの母国の経済社会に及ぼす影響は、メキシコなど中南米からの移民がアメリカの経済社会や母国に及ぼす影響と同じであり、ヨーロッパ諸国でも経済的、社会的、政治的な問題を引き起こすことになる。
・シリア難民がヨーロッパを目指すのは、メキシコ移民がアメリカを目指すように地理的に近いこともさることながら、EU諸国が比較的移民を受け入れようとしていること、またEU自体が地域内での労働移動という理想を掲げた地域統合であることにもよるであろう。
・しかしフランスをはじめ多くの国で、イスラム教徒のテロ事件が頻発するようになり、重大な政治問題となっている。それは、一部の国粋主義者などによる憎悪犯罪や移民排斥運動など人種問題にも発展している。    さらに6月に行われたイギリスのEU離脱をめぐっての国民投票においては、EU域内での東欧諸国からの移民がイギリス労働者の職を奪い、労働市場に悪影響を及ぼしているとの認識が要因となって、離脱派の勝利につながったと言われている。
・自由な労働移動と競争的市場がEU域内でも経済的歪みをもたらしている可能性がある。イギリスで発生してきたテロ事件も、地域社会での所得格差の拡大、文化的、宗教的軋轢、人種差別が大きな原因となっているとも指摘される。 本書では、移民のもたらす経済的側面の影響のみならず、文化的かつ言語的な面で市民社会に溶け込み同化されているかなどの研究にも言及している。移民政策が経済だけでなく多面的な問題に関連していることが理解される。
・それでは日本における移民問題はどうであろうか。移民の多くは途上国から先進国への移動であるが、アメリカやヨーロッパ諸国が移住先として選択されることが多い。それに比べると日本への移民は格段に少ない。 またシリアなどからの難民受入について各国でどれだけの負担をすべきかについてEUや国際機関で議論されているが、地理的に遠いこともあり、日本を移住先として選択する人は少ないと報道されている。
・急速に少子高齢化が進んでいる日本においても、公共政策として移民政策を真剣に考えるべきとの指摘は、海外の研究者からなされている。しかし近年、近隣国や東南アジアからの訪日客は急増しているにもかかわらず、移民を受け入れようという機運はそれほど盛り上がっていない。むしろ政治的課題としては、タブー視されている感がある。
・日本においても移民に関しては、感情的な議論や事実に基づかない短絡的な議論が少なくない。たとえば、もし移民を自由化すれば、すぐさま中国から1億人の移民が押し寄せるとか、移民が増加すると犯罪率が上昇し社会不安が高じると懸念する人もいる。 しかしどれほどの移民がどの国から来ると予測されるのか、犯罪率がどのように変化するか、さらには労働市場や経済全体にどのような影響を及ぼすか、などについて客観的データや経済的理論に基づく研究はあまりなされていない。そうした議論は、他人が入ってくることを本質的に排除するという「外国人嫌い」の気質によるのかもしれない。
▽将来の日本社会全体をどのように描くか
・しかし現実には、外国人労働はさまざまな形で増加している。外国人技能実習制度を通じて、農業や建設業では外国人労働への依存がかなり高まっている。また語学留学生として入国している外国人もアルバイトとして多くの職場で働いている。政府は外国人の高度人材の受け入れを積極的に行おうとしているが、単純労働においても少子高齢化の日本経済は外国人労働に依存しなければならないのが現実である。
・実際、アベノミクスの経済政策で第三の矢として提示された成長戦略では、その一つとして労働市場改革がかかげられている。労働力の増加のためには女性労働力の活用や外国人材の活用がうたわれている。少子高齢化社会では、生産に携わることのできる労働者数が減少するとともに、老人の増加が経済全体の貯蓄率を低下させる。それは投資資金を減少させ、資本蓄積のペースを遅らせるため、労働力減少とともに日本経済の成長を抑制することになる。
・今後、さらなる少子高齢化とグローバリゼーションの進展によって、移民政策の議論は避けて通れなくなるだろう。ただし、労働力は他の財・サービスの輸出入とは異なり、国境を越えた人の移動であるため、それとともに経済制度や社会制度の移動を伴うことになる。
・その結果、受け入れ国に社会的、文化的な変化と影響をもたらす可能性がある。したがって、そうした議論では、経済だけでなく将来の日本社会全体をどのように描くかが重要な視点となるだろう。閉鎖的に日本のことだけを考えるのか、グローバル社会の一員としての日本を目指すのか。そうした問題を考えるうえでも本書は大きな示唆を与えてくれるであろう。
http://toyokeizai.net/articles/-/142462

第三に、ドイツ在住の作家・拓殖大学日本文化研究所 客員教授の川口 マーン 惠美氏が1月6日付け現代ビジネスに寄稿した「ついに「難民批判」を解禁したドイツ政府の驚くべき変わり身 きっかけはベルリン・クリスマステロ」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・謹賀新年。 ドイツの元旦は一年の最初の日というだけで、新年は例年通り、除夜の鐘のかわりに爆竹で明けました。二日からは普通の日常が始まっております。 今年もこのコラムで、ドイツを中心に、EU全般の動き、そしてさまざまな個人的見聞なども盛り込んで、幅広く、ドイツの生の雰囲気をご報告したいと思いますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
▽ドイツが抱える矛盾
・ドイツの一年はパーティーで暮れ、パーティーで幕が開く。多くの都市では、中心の広場にステージが設けられ、厳寒にもめげず大勢の人が詰めかけ、賑やかな戸外フェスティバルとなる。たいていすし詰め状態で、最後はカウントダウンで花火。とにかくきらびやかで騒音も激しく「happy new year!」の大騒ぎが延々と続く。
・一昨年、ケルンの駅前広場でたけなわだった大晦日の野外パーティーが、集団婦女暴行のるつぼと化したことは記憶に新しい(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47293)。 何千人ものアラブや北アフリカ風の男性(被害者の証言)が女性を取り囲み、好き放題した挙句、スマホやお金を盗み、最終的に被害届は800件を超えた。警官はあまりの犯罪者の多さに、ほとんど何もできなかった。監視カメラは性能が悪く、役に立たず。
・その後、犯人たちの多くが難民としてドイツで保護されていた人たちだったということがわかり、しかも、当局がその事実を隠そうとした動きも判明し、ドイツ人は怒った。結局、罪が確定したのはわずか数人。以後、ドイツ人の難民に対する感情が急激に変化したが、当局はあくまでも、難民を十把一絡げに犯罪者扱いしてはいけないと国民を諭し続け、メディアもそれに倣った。
・ところが、去年の暮れも押し迫った12月19日、やはり難民としてドイツに入っていたチュニジア人が、ベルリンのクリスマス市にトラックで突っ込み、計60人以上もの市民を殺傷して以来、政府とメディアが示し合わせたように難民報道の方向を転換し始めた(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50556)。
・まず、難民にどれだけの経費がかかっているかということが火急のテーマとなった。難民の衣食住、教育、医療、お小遣いまで、人道大国ドイツでの難民の待遇は世界一良く、出費ももちろん多い。財務大臣の発表では、2016年、難民にかかった経費は300億ユーロ。 そればかりか、いくつもの名前を使い分け、複数の自治体で何重にも生活保護を受けている難民がいることも報道された。財源はすべて地方税と国税、つまり税金である。
・二つ目のテーマは治安の問題。2015年、難民の波がピークだったとき、そのどさくさに紛れて危険人物(テロリストや凶悪犯)が入り込む可能性が常に指摘されていたが、これまでその意見は“人種差別的である”とか“根拠がない”と一蹴されてきた。ところが、今になって突然、ドイツには危険人物としてマークされている難民が500人以上もいるという話が浮上してきたのである。
・危険人物の半分は拘束されているが、あとの半分は法的問題があり拘束できない。ベルリンテロの容疑者であるチュニジア人も危険人物のうちの一人だったが、自由に動き回っていた(犯行の4日後にミラノで見つかり射殺)。 一人の人間を24時間監視するには3交代で3人では済まず、監視員の休暇、休日、さらに難民が移動したときに対応する人員、情報のコーディネーターなどを含めると、30人近い人間が必要になるのだそうだ。つまり、監視はまるで追いつかない。国民には知らされていなかった由々しき現実だ。
・難民のうち犯罪者の割合の多いのは圧倒的に北アフリカ系で、本来なら祖国に強制送還するべきである。ところが、母国の側がなかなか受け入れない。それどころか、チュニジアの首都では市民が立ち上がり、「犯罪者などに帰ってこられたら治安がさらに乱れる」と、送還反対のデモまでしている。 ドイツ人は当然、「なぜ、ドイツが外国の犯罪者を引き受けなければならないのか」と憤るが、あちらはあちらで、「難民は気の毒だと言って、ドイツが好きで入れたんじゃないか」と言わんばかりだ。
▽政府の変わり身
・さて、そんな状況で迎えた2016年の大晦日。前年修羅場となったケルンでは、醜聞を繰り返すまじの決意とともに、中央駅前広場を柵で囲み、防弾チョッキと武器で身を固めた1700人の警官が立ちはだかった。 普段なら大晦日に皆が打ち上げる花火も持ち込み禁止。また、最新の監視カメラも大量に設置され、広場の一角には、何かあったときに駆け込める避難施設も作られた。
・そして当日、この厳戒態勢のところにまさか難民は来るまいと思ったら、それが大間違いだった。彼らは続々とやって来た。 数ヵ所の入り口で厳重な検査が行われた結果、去年の犯人像と合致する人物、約900人が退去を命じられたという。同時刻に、ちょうどケルンの中央駅に向かっていた列車にも、同様の人間が約300人乗っていることが判明したため、列車は一つ前の駅で止められ、男たちは降ろされた。
・肝心の野外パーティーの方は、市民が最初から敬遠したのか、映像を見る限りガラガラだった。スペクタクルな大音響のコンサートも、ビートに合わせて揺れ動く人の波もなく、空いていたおかげで、地面に映し出されたレーザー光線の文字群がよく見えた。そして翌日、当局が、すべてが平穏無事に終わったことを報告した。
・ところが、ここでまた、ちょっとした騒ぎが持ち上がった。何にでも必ず文句をつける緑の党の代表が、警察が広場に入れる人間を風貌でセレクトしたことを人種差別的であると批判したのだ。確固とした容疑もなく、個人の自由行動を制限するのはけしからんと。 それに対する警察の反論は「風貌で抽出したのではなく、徒党を組んでいる者、大量に酒を飲んでいたと思われる者、暴力的な態度の者などを取り締まった結果、それが一年前の容疑者の風貌と一致しただけ」。
・さて、このあとの国民の反応が興味深かった。警察の行動を高く評価する声が炸裂したのだ。ソーシャルメディアには警察への感謝を伝える声が溢れ、ケルンの地方紙には、「緑の党の代表は警察に謝罪すべき」という意見まで載った。 これまでドイツ政府は、「難民は弱き者で、それを助けるドイツ人は善」という線を崩さず、そこに疑問を差し挟む国民を押さえつけてきた。しかし、今、国民はそれを振り切り始めたようだ。
・慌てた政府は、あっという間に意見を変えた。いや、そのチャンスを待っていたに違いない。180度意見を変えるチャンスは今をおいて他にはない。秋には総選挙がある。 それにしても、彼らの変わり身のなんと早いこと!
・しかし、とうの昔から、無防備な難民受け入れを懸念していた国民はいた。もっと管理すべきだと主張していた政党もあった。代表的なのが、右派の新党AfD(ドイツのための選択肢)。政府が国家主義的、人種差別主義のポピュリスト党と決めつけ、常に激しく糾弾してきた政党だ。 ところが今、どう見ても、政府の船はAfDと同じ方向に舵を切り始めたとしか思えない。なのに不思議なことに、その途端、AfDの名前はメディアから跡形もなく消えてしまった。
・その代わり、政府は、突然、難民にかかる多大な費用を問題視し、難民が起こす犯罪の防止法を模索し始めた。それをメディアが、さも冷静そうに分析する。 この調子では、これから難民問題はおそらく、主に財政と治安のテーマとして扱われるようになるのだろう。難民の権利縮小に関する議論もタブーではなくなると思う。断っておくが、これまでドイツの難民政策は、まさに人権と隣人愛を中心に回ってきたのだった。
▽日常と化す厳重警備
・さて、ここでもう一度、市民レベルの話。 この大晦日、ケルンだけではなく、ベルリンでもミュンヘンでも、市民が新年を祝った場所では、広大な敷地をあらかじめ柵で囲み、そこへ入る前に厳しいチェックがあった。重装備をした大勢の警官の姿が会場の雰囲気を圧倒したことは言うまでもない(ベルリンのブランデンブルク門での野外パーティーでは1500人の警官と600人の警備員が配置された)。
・しかし、それはすでに日常生活でも同じだ。シュトゥットガルトでも、驚くほど多くの警官が常に街をパトロールしている。しかも警官はまだ足りず、これからさらに増員されるという。これらの経費も莫大なものになるだろう。  ただ、そこまでしても、警備をあらゆるところで徹底することは不可能だ。市民、とくに中高生の娘を持つ親の心配は尽きない。自分たちの街で、テロや婦女暴行の不安を感じるなんて、3年前には想像もできなかったことだ。
・メルケル首相は新年のスピーチ(年末に録画していた)で、今まで通りドイツ人の団結や民主主義を強調し、勇気を出そう、テロに負けてはならない、と発破をかけた。 しかし、特殊な防弾車に乗り、24時間SPに囲まれている人がそんなことを言ってもあまり説得力はない。ドイツ人はやりきれない思いにとらわれている。
・ちなみに、今回のケルンのニュースを聞いて、まず私が思ったのは、広場に入れなかった1000人以上の男たちは、いったいそのあと、どこへ行ったかということだったが、それについての報道は、私の知る限り、一つもなかった。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50646

橘氏の記事にある 『フランス国民の約半数が「多少は人種差別的」だが、明確な意思をもって人種差別する人間は4%しかいない』、というのは健全な姿なのだと思う。 『移民に対する排斥感情が生まれる経済的な理由は、彼らが移り住むことで住宅価格が下落することだ。日本と同じくフランスでも中産階級の資産の大半は不動産で、なけなしの財産が失われる(大損する)かもしれないというのは、大きな脅威として意識されるのだ』、との指摘は建前論では割り切れない切実な問題だ。 『イギリスの「多文化主義」は寛容だからこそ「不寛容な者」の自己主張が強くなる』、『「イスラームの側の問題」』、などは、簡単な答えのない難しい問題だ。
藪下氏が指摘する、『代表的な感情論である「移民は雇用を奪う」、「移民で治安が悪くなる」、「移民が来ると国が貧しくなる」』、などはデータ上の根拠がないというのは、当然のことだが、『市民社会への影響』、は広範で深いだけに、深刻な問題だ。
川口氏の記事にある 『ドイツ政府の驚くべき変わり身』、というのはやむを得ないことだ。『ベルリンのクリスマス市にトラックで突っ込』んだ事件は、確かに衝撃的で転機になり得るものだった。 『本来なら祖国に強制送還するべきである。ところが、母国の側がなかなか受け入れない。それどころか、チュニジアの首都では市民が立ち上がり、「犯罪者などに帰ってこられたら治安がさらに乱れる」と、送還反対のデモまでしている』、とは驚きだ。チュニジアは、たしか、「ジャスミン革命」が発生した国だが、ずいぶん無責任な国だ。 『日常と化す厳重警備』、はやむを得ないとはいえ、さぞかし重苦しいことだろう。ただ、北朝鮮への米国による北爆観測まで出ており、日本も難民問題は他人事と片づけられないだけに、当分、この問題も要ウォッチだ。
タグ:メルケル首相 日常と化す厳重警備 秋には総選挙 本来なら祖国に強制送還するべきである。ところが、母国の側がなかなか受け入れない。それどころか、チュニジアの首都では市民が立ち上がり、「犯罪者などに帰ってこられたら治安がさらに乱れる」と、送還反対のデモまでしている 難民のうち犯罪者の割合の多いのは圧倒的に北アフリカ系 危険人物の半分は拘束されているが、あとの半分は法的問題があり拘束できない ドイツには危険人物としてマークされている難民が500人以上もいる 二つ目のテーマは治安の問題 ベルリンのクリスマス市にトラックで突っ込み、計60人以上もの市民を殺傷し ついに「難民批判」を解禁したドイツ政府の驚くべき変わり身 きっかけはベルリン・クリスマステロ 現代ビジネス 川口 マーン 惠美 将来の日本社会全体をどのように描くか 市民社会への影響も俎上に 難民にどれだけの経費がかかっているかということが火急のテーマ 代表的な感情論3:「移民が来ると国が貧しくなる」 政府とメディアが示し合わせたように難民報道の方向を転換し始めた 代表的な感情論2:「移民で治安が悪くなる」 代表的な感情論1:「移民は雇用を奪う」 あまりに感情的な議論が多すぎる 東洋経済オンライン 「「移民が仕事を奪う」という根拠なき感情論 膨大な研究成果が示す本当の影響」 藪下 史郎 「イスラームの側の問題」 多文化主義と日本人が考えるリベラルな寛容さは別物 イギリスの「多文化主義」は寛容だからこそ「不寛容な者」の自己主張が強くなる アラブ系の移民やその二世たちの大半が言葉や行動による人種差別を体験 フランスにはアラブ人が多すぎる」と答えているフランス人は65%もおり、 明確な意思をもって人種差別する人間は4%しかいない フランス国民の約半数が「多少は人種差別的」 「ヨーロッパのリベラリズムは「不寛容な集団に対する寛容の限界」を試されている[橘玲の世界投資見聞録] ダイヤモンド・オンライン 橘玲 (その6)(ヨーロッパのリベラリズムは「不寛容な集団に対する寛容の限界」を試されている、「移民が仕事を奪う」という根拠なき感情論、ついに「難民批判」を解禁したドイツ政府の驚くべき変わり身) 欧州難民問題
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