日本のスポーツ界(その3)(箱根駅伝はマラソンランナーを育てて来たか?、WBC「侍ジャパン」がまたも決勝を逃した理由) [社会]
日本のスポーツ界については、1月11日に取上げたが、今日は、(その3)(箱根駅伝はマラソンランナーを育てて来たか?、WBC「侍ジャパン」がまたも決勝を逃した理由) である。
先ずは、1月10日付けダイヤモンド・オンライン「箱根駅伝はマラソンランナーを育てて来たか?」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・箱根駅伝は青山学院大が3連覇と大学駅伝3冠を達成したが、3年後に東京五輪が迫っているせいか、走る選手の中から世界と勝負できる長距離・マラソンのランナーが現れないかといった視点からの解説・報道が多かった。
・往路のテレビ中継解説を担当した瀬古利彦氏は日本陸連が2020年東京五輪に向けて新設した「長距離・マラソン強化戦略プロジェクト」のリーダーを務めていることもあり、「この選手はマラソンに可能性を感じる」といったコメントをしていたし、青山学院大の原晋監督も「駅伝で勝つことだけを目標とするのではなく、競技者としての先を見据えて学生には積極的にマラソンにチャレンジさせる」と語っている。
▽男子マラソンが強かった20世紀の日本
・ご存じの通り、日本の男子マラソンは低迷が続いている。 かつてマラソンは五輪でもメダルが有望な種目だった。1964年東京五輪では円谷幸吉氏が銅メダル、1968年メキシコ五輪では君原健二氏が銀メダル、1992年バルセロナ五輪では森下広一氏が銀メダルを獲得。1988年ソウル五輪、1992年バルセロナ五輪と2大会連続で4位に入った中山竹通氏をはじめ入賞者も数多くいた。
・日本選手がマラソンの世界最高記録を持っていたこともある。1965年に重松森雄氏が出した2時間12分0秒だ。その後、高速化が進み記録は次々と更新されたが、1986年に児玉泰介氏が出した2時間7分35秒は当時、世界歴代3位。記録の方でも日本選手はトップレベルだった。
・この状況は世紀が代わる2001年頃まで続いたが、その後はさっぱりだ。 日本の男子マラソン記録歴代10傑を見ると、それが分かる。
順選手タイム 記録した年
1高岡寿成2時間6分16秒2002
2藤田敦史2時間6分51秒2000
3犬伏孝行2時間6分57秒1999
4佐藤敦之2時間7分13秒2007
5児玉泰介2時間7分35秒1986
6今井正人2時間7分39秒2015
7谷口浩美2時間7分40秒1988
8藤原新2時間7分48秒2012
9油谷繁2時間7分52秒2001
9国近友昭2時間7分52秒2003
・近いところでは2015年に今井正人が東京マラソンで出した記録が歴代6位、2012年に藤原新がやはり東京マラソンで出した記録が歴代8位、2007年に佐藤敦之が2007年に福岡国際で出した記録が歴代4位に入っているが、それ以外は10年以上前の記録だ。
・また、これまで2時間9分を切った日本選手は42人いるが、そのうち29人が10年以上前に出したもの。好記録が出ていた2000年前後はマラソンに出場する選手の多くが2時間8分台以上を目指していたし、それを出してもさほど話題にならなかったが、今、8分台を出そうものなら有望選手として大注目される。この状況が日本のマラソンが伸び悩んでいることを表している。トレーニング理論をはじめシューズなどの用具も進化しているのにもかかわらず、この停滞。高岡寿成氏が2002年に出した2時間6分16秒の日本最高記録が14年以上更新されていないことが話題になるが、最近の日本マラソン界にはそれをぶち破る空気は感じられなかった。
・一方、世界のマラソン記録は伸び続けている。世界最高記録2時間2分57秒を持つデニス・キプルト・キメット(ケニア)を筆頭に、2時間3分台の記録を持つ選手が8人、4分台を含めると30人もいる。すべてケニアとエチオピアの選手だ。日本で行われる駅伝にも、多くのケニア、エチオピアの選手が出場するが、そのスピードはけた違いで、とても太刀打ちできない。
・記録を含めたこの圧倒的な差を見せつけられると、いくら日本マラソン界が復活の手立てを講じても、五輪でメダルを獲得するのは夢のまた夢だろう。 ただ、この停滞した状況はぶち破らなければならない。その期待を若く伸びしろがありそうな箱根駅伝を走る有力ランナーに託そうというわけだ。
▽両立が難しい駅伝とマラソン
・箱根駅伝は「日本のマラソンの父」と呼ばれる金栗四三氏の「世界に通用するランナーを育成したい」という思いをきっかけに1920年に創設された。そして実際、多くの名ランナーを生んだ。1984年ロサンゼルス五輪、1988年ソウル五輪に出場した瀬古利彦氏(早稲田大)がそうだし、1991年の世界陸上で金メダルを獲り、1992年バルセロナ五輪に出場した谷口浩美氏(日本体育大)もそうだ。マラソン記録日本歴代10傑を見ても、2位の藤田敦史氏(駒沢大)、4位の佐藤敦之氏(早稲田大)、6位の今井正人(順天堂大)、7位の谷口浩美、8位の藤原新(拓殖大)は箱根駅伝経験者だ。
・ただ、その一方で箱根駅伝で大活躍し、長距離・マラソンのランナーとして将来を期待されたものの大成しなかった選手も少なくない。また、実績を見ると箱根駅伝とは縁がなかった選手の方が良かったりする。五輪でメダルを獲った円谷氏、君原氏、森下氏がそうだし、中山氏、双子の名ランナー・宗茂氏、宗猛氏、同時期に活躍した伊藤国光氏も高卒で社会人になってから実力を伸ばした。また、日本最高記録を持つ高岡氏は関西の龍谷大学出身で箱根駅伝を走っていない。
・注目度が高い箱根駅伝に憧れる少年は多く、競技者を増やすことには貢献している。だが、その一方で長距離ランナーとして大成を阻む弊害もあるといわれる。たとえば箱根駅伝を走ることが最大の目標となり、それを達成すると燃え尽きてしまい、次の目標が見いだせないというもの。また、チームのために頑張るという意識から限界を超える走りをしてしまい、故障を抱えるという説もある。駅伝のスケジュールが優先となり、マラソンへのチャレンジが難しい。駅伝とマラソンではレース中の駆け引きも異なり、そうした経験のなさが後々の競技人生にも影響するという専門家もいる。加えて箱根駅伝を走った選手と、それを経験せず独自にマラソンランナーの道を歩んだ選手では、競技に対する姿勢に微妙な差があるような気がする。
・筆者はマラソンで実績をあげた選手の取材をしたことが何度かある。長距離ランナーは総じて性格が穏やかで話しやすいが、その中にも、ちょっと変わっているというか、独自の世界観を持っている人が多かった。大学駅伝はチームで戦うものであり、協調性が優先される。そんな環境で過ごすことで、そうした個性が失われるのではないだろうか。
・青山学院大の原監督は、箱根駅伝を3連覇した実績を背景に学生陸上界だけでなく、日本の長距離・マラソンにも改革の提言をしている。学生のうちにマラソンにチャレンジさせるというのもその実践のひとつだし、個性を尊重する指導もしているようだ。 東京五輪でのメダル獲得はともかく、そうした革新的な試みを続け、マラソン界に記録更新へのチャレンジが積極的に行われるような風を呼び込んでもらいたいものである。
http://diamond.jp/articles/-/113537
次に、3月25日付け東洋経済オンライン「WBC「侍ジャパン」がまたも決勝を逃した理由 落とし穴は雨に濡れた天然芝だけでなかった」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・無傷の6連勝で第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)決勝ラウンドに進んだ侍ジャパン。しかし米国時間3月21日(日本時間同22日)、米カリフォルニア州ロサンゼルスのドジャースタジアムで行われた準決勝で米国に1-2で敗れ、2大会連続のベスト4に終わった。
・悔しい敗戦。2失点にはいずれも守りのミスが絡んだ。 0-0で迎えた4回1死。再三の超ファインプレーでチームを救ってきた二塁手、菊池涼介(広島)がイエリチ(マーリンズ)の正面のゴロをグラブの土手に当てて後ろにそらす。降り続く雨で水を含んだインフィールドの天然芝を滑ったゴロが目の粗い土の部分で微妙にイレギュラー。「NINJA」とたたえられる名手のグラブを弾いたのである。打球はセンター前まで転がり、イエリチは2塁に進む。2死後、マカチェン(パイレーツ)の左前打で先制のホームインを許した。
・6回にはその菊池がライトへ同点ホームランを放ち、ミスを帳消しにした。だが……。8回1死2、3塁の守り。今度はムードメーカーの3塁手、松田宣浩(ソフトバンク)がA・ジョーンズ(オリオールズ)のゴロをファンブルしてしまう。普通に捕れば本塁に突っ込んだ3塁走者をアウトにできるタイミングだったが、素早く拾い上げても打者走者を1塁でアウトにするのがやっと。クロフォード(ジャイアンツ)の生還を許し、これが決勝点になった。
▽やはり米投手の「動くボール」に苦しんだ日本
・「守備のミスも出たけど、それは責められない。1点が遠かった。あれだけの選手たちがなかなか芯でとらえられない。メジャークラスの動くボールの対処は難しかった」 小久保裕紀監督は、打線が米国7投手の「動くボール」に苦しみ、4安打1点に封じられたことを敗因に挙げた。確かにホームは遠かった。初回2死3塁、8回2死1、2塁で打席に入った筒香嘉智(DeNA)のとらえたかに見えた打球はレフトとライトへの飛球。湿気を吸ったボールはいずれも定位置よりやや後ろで外野手のグラブに収まった。
・しかし、0点に抑えられたわけじゃない。先発の菅野智之(巨人)は1番から9番までメジャーリーガーが並ぶ打線を6回3安打に抑える好投。大会ベストナインに選ばれた千賀滉大(ソフトバンク)は7回から登板し、2イニングで5三振を奪った。2次ラウンドまでのようにしっかり守っていれば1-0という結果もあった。
・上手の手から漏れた水……。悪い条件が重なった。年間通して雨が少ないロサンゼルス。3月は雨季にあたるが、それでも月間降水量は50ミリメートルほどで東京の半分程度しかない。珍しい雨が意地悪く落ちてきたのである。 前日の練習で天然芝の状態は確認していたが、試合前はフィールドにシートが敷かれ、ノックができなかった。人工芝の東京ドームで1次、2次ラウンドを勝ち上がって渡米。アリゾナで天然芝に慣らしてはいたが、ぬれた芝はぶっつけ本番だった。
・日程面のハンデもあった。2次ラウンド最終戦は15日。日本時間で言えば、準決勝まで1週間のブランクがあった。16日に渡米してアリゾナ入り。2次ラウンドまで6試合を戦った疲労に時差ボケが加わる。じっくり調整したくても、許してもらえない事情があった。
▽米国での調整が難しかったワケ
・日中の気温が30度を超える中、米大リーグ(MLB)と同選手会が立ち上げた大会運営会社WBCIから練習試合2試合を義務づけられていたのである。MLBのエキシビションゲーム(オープン戦)に組み込まれた有料試合で、拒否はできない。カブスに4-6、ドジャースに2-3と連敗。勝敗はともかく、調整目的なら1試合で十分だった。
・アリゾナとは気温も湿度も違うロサンゼルスに移動し、ドジャースタジアムで1日練習して迎えた本番。米国に来ての初戦がいきなり「負ければおしまい」の準決勝だ。相手は3日前、ロサンゼルスから車で約2時間のサンディエゴで前回優勝のドミニカ共和国を破って勝ち上がってきた米国。勢いという点では大きな差があった。
・2006年の第1回、2009年の第2回大会は1次ラウンドだけ東京ドームで開催された。1次ラウンドを勝ち上がってアリゾナで調整。天然芝の球場に慣れ、2006年はアナハイム、2009年はサンディエゴで2次ラウンドを戦った。 アウェー感あふれる中でチームの一体感を高めていき、2006年はサンディエゴ、2009年はロサンゼルス、2次ラウンドと同じ西海岸で行われる決勝ラウンドに進んで頂点を極めたのである。
・前回2013年の第3回大会からパターンが変わった。1次が福岡のヤフオクドーム、2次が東京ドーム。2次ラウンドまで日本開催になったのだ。決勝ラウンドは今回同様アリゾナ経由でサンフランシスコに入り、準決勝でプエルトリコに1-3で敗れた。 今回は1次、2次とも東京ドームでやってロサンゼルスで……。つまり日本は2次ラウンドから米国で戦った2大会はいずれも優勝し、2次ラウンドまで日本で戦った2大会は渡米初戦の準決勝で敗退したことになる。
・日本だけじゃない。東京ドームでの2次ラウンドを2大会連続で勝ち上がったオランダも準決勝でいずれも敗退。2次ラウンド東京勝ち上がり組は1度も決勝に進めていないのだ。 小久保監督は「日程は決められたもので、どうのこうの言えない」と話したが、直前調整の難しさを考えれば、その差は歴然である。
・どうして2次ラウンドまで東京開催になったかというと、それはジャパンマネーが関係している。第1回大会から1次ラウンド東京プールの興行権を読売新聞社に譲渡していたWBCIだったが、第3回大会からはさらに2次ラウンドまで売るようになったのだ。
・米国では認知度がいま一つのWBCだが、日本では第1回大会から人気沸騰。2次ラウンド初戦の米国戦、ボブ・デービッドソン球審の「世紀の大誤審」で火がついた。2次ラウンド1勝2敗ながら失点率で準決勝進出という幸運にも恵まれ、初代王者に。第2回大会も優勝。日本のファンにとっては4年に1度の欠かせないお楽しみになっている。
・スタンドは埋まるし、テレビの視聴率はハネ上がる。米国での不人気で収益が上がらないWBCIにとって日本はドル箱。一定の収益を確保するために2次ラウンドまで読売新聞に譲渡したのだ。ファンにとっては東京ドームで生の侍ジャパンが見られるし、テレビ観戦もいい時間に楽しめる。
・今回の視聴率も1次ラウンドがキューバ戦22.2%、オーストラリア戦21.2%、中国戦18.0%、2次ラウンドはオランダ戦25.2%、キューバ戦27.4%、イスラエル戦25.8%。準決勝の米国戦も平日の午前中で20.5%をマークした(いずれも関東地区、ビデオリサーチ調べ)。
・侍ジャパンにとってもメリットはある。天候に左右されない東京ドームで、360度から熱い声援をもらえる。デーゲームもある他国と違い、すべてナイターという「開催国特典」も付く。滑るWBC球(ローリングス社製のMLB公式球)には苦労しても、2次ラウンドまでは有利な条件で戦えるのだ。
▽「2次ラウンド」を日本で開催する損得
・しかし、決勝ラウンドでは前述のように環境の変化、ゲーム感覚など大きなハンデを背負う。世界一を目指す侍ジャパンにとって2次ラウンドまで日本で開催するのは両刃の剣なのである。 オランダ、イスラエルなどの台頭で盛り上がった今大会。侍ジャパンは1戦ごとに結束力を高めていき、すばらしい戦いを見せてくれた。小久保監督以下首脳陣、選手に敬意を表したい。同時に、これだけのチームだからこそ、2次ラウンドから米国のプールに入っていたらなあと思う。
・次回2021年の第5回大会はどんな日程になるのだろうか。今回、初優勝を果たした米国でも少しはWBCに対する関心が高まったと思う。観客動員数も108万6720人と初めての大台を記録。前回大会の88万5212人を22.8%上回った。そろそろジャパンマネーを当てにするのはやめて、日本開催は1次ラウンドだけという形に戻してもらえないだろうか。
・できれば日本を2次ラウンドでドミニカ共和国やベネズエラと同じプールに入れてほしい。日本がこれまでWBCで対戦した相手を回数順に並べてみると、韓国8、キューバ6、米国、中国、オランダ各3、台湾2、メキシコ、ブラジル、プエルトリコ、オーストラリア、イスラエル各1となる。実は、メジャ―のスター軍団を抱えるカリブの強豪2カ国とはまだ1度も対戦していないのである。
http://toyokeizai.net/articles/-/164692
第一の記事で、 『男子マラソンが強かった20世紀の日本』、というのを改めて思い出した。ただ、弱くなった理由については、 『両立が難しい駅伝とマラソン』と指摘しつつも、さすがに駅伝が原因とまでは決めつけることはせず、曖昧なままである。 『青山学院大の原監督は、・・・日本の長距離・マラソンにも改革の提言をしている』ということは、原監督は駅伝とマラソンを対立するものと捉えずに両立が図れると考えていると思われる。ただ、マラソンでの成果はまだ出てないようだ。いずれにしろ、男子マラソンがもう少し強くなってほしいものだ。
第二の記事を読むと、多くの悪条件が「侍ジャパン」を苦しめたことが理解できた。カリフォルニアでの異例の雨は不運というほかないが、『2次ラウンド東京勝ち上がり組は1度も決勝に進めていないのだ』、というのは大きなハンディのようだ。ただ、 『日本開催は1次ラウンドだけという形に戻してもらえないだろうか』、というのは無理でも、せめて米国に移ってからの練習試合を1つにしてもらう程度だろう。まあ、次回はせめて決勝までは進んでもらいたいものだ。
先ずは、1月10日付けダイヤモンド・オンライン「箱根駅伝はマラソンランナーを育てて来たか?」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・箱根駅伝は青山学院大が3連覇と大学駅伝3冠を達成したが、3年後に東京五輪が迫っているせいか、走る選手の中から世界と勝負できる長距離・マラソンのランナーが現れないかといった視点からの解説・報道が多かった。
・往路のテレビ中継解説を担当した瀬古利彦氏は日本陸連が2020年東京五輪に向けて新設した「長距離・マラソン強化戦略プロジェクト」のリーダーを務めていることもあり、「この選手はマラソンに可能性を感じる」といったコメントをしていたし、青山学院大の原晋監督も「駅伝で勝つことだけを目標とするのではなく、競技者としての先を見据えて学生には積極的にマラソンにチャレンジさせる」と語っている。
▽男子マラソンが強かった20世紀の日本
・ご存じの通り、日本の男子マラソンは低迷が続いている。 かつてマラソンは五輪でもメダルが有望な種目だった。1964年東京五輪では円谷幸吉氏が銅メダル、1968年メキシコ五輪では君原健二氏が銀メダル、1992年バルセロナ五輪では森下広一氏が銀メダルを獲得。1988年ソウル五輪、1992年バルセロナ五輪と2大会連続で4位に入った中山竹通氏をはじめ入賞者も数多くいた。
・日本選手がマラソンの世界最高記録を持っていたこともある。1965年に重松森雄氏が出した2時間12分0秒だ。その後、高速化が進み記録は次々と更新されたが、1986年に児玉泰介氏が出した2時間7分35秒は当時、世界歴代3位。記録の方でも日本選手はトップレベルだった。
・この状況は世紀が代わる2001年頃まで続いたが、その後はさっぱりだ。 日本の男子マラソン記録歴代10傑を見ると、それが分かる。
順選手タイム 記録した年
1高岡寿成2時間6分16秒2002
2藤田敦史2時間6分51秒2000
3犬伏孝行2時間6分57秒1999
4佐藤敦之2時間7分13秒2007
5児玉泰介2時間7分35秒1986
6今井正人2時間7分39秒2015
7谷口浩美2時間7分40秒1988
8藤原新2時間7分48秒2012
9油谷繁2時間7分52秒2001
9国近友昭2時間7分52秒2003
・近いところでは2015年に今井正人が東京マラソンで出した記録が歴代6位、2012年に藤原新がやはり東京マラソンで出した記録が歴代8位、2007年に佐藤敦之が2007年に福岡国際で出した記録が歴代4位に入っているが、それ以外は10年以上前の記録だ。
・また、これまで2時間9分を切った日本選手は42人いるが、そのうち29人が10年以上前に出したもの。好記録が出ていた2000年前後はマラソンに出場する選手の多くが2時間8分台以上を目指していたし、それを出してもさほど話題にならなかったが、今、8分台を出そうものなら有望選手として大注目される。この状況が日本のマラソンが伸び悩んでいることを表している。トレーニング理論をはじめシューズなどの用具も進化しているのにもかかわらず、この停滞。高岡寿成氏が2002年に出した2時間6分16秒の日本最高記録が14年以上更新されていないことが話題になるが、最近の日本マラソン界にはそれをぶち破る空気は感じられなかった。
・一方、世界のマラソン記録は伸び続けている。世界最高記録2時間2分57秒を持つデニス・キプルト・キメット(ケニア)を筆頭に、2時間3分台の記録を持つ選手が8人、4分台を含めると30人もいる。すべてケニアとエチオピアの選手だ。日本で行われる駅伝にも、多くのケニア、エチオピアの選手が出場するが、そのスピードはけた違いで、とても太刀打ちできない。
・記録を含めたこの圧倒的な差を見せつけられると、いくら日本マラソン界が復活の手立てを講じても、五輪でメダルを獲得するのは夢のまた夢だろう。 ただ、この停滞した状況はぶち破らなければならない。その期待を若く伸びしろがありそうな箱根駅伝を走る有力ランナーに託そうというわけだ。
▽両立が難しい駅伝とマラソン
・箱根駅伝は「日本のマラソンの父」と呼ばれる金栗四三氏の「世界に通用するランナーを育成したい」という思いをきっかけに1920年に創設された。そして実際、多くの名ランナーを生んだ。1984年ロサンゼルス五輪、1988年ソウル五輪に出場した瀬古利彦氏(早稲田大)がそうだし、1991年の世界陸上で金メダルを獲り、1992年バルセロナ五輪に出場した谷口浩美氏(日本体育大)もそうだ。マラソン記録日本歴代10傑を見ても、2位の藤田敦史氏(駒沢大)、4位の佐藤敦之氏(早稲田大)、6位の今井正人(順天堂大)、7位の谷口浩美、8位の藤原新(拓殖大)は箱根駅伝経験者だ。
・ただ、その一方で箱根駅伝で大活躍し、長距離・マラソンのランナーとして将来を期待されたものの大成しなかった選手も少なくない。また、実績を見ると箱根駅伝とは縁がなかった選手の方が良かったりする。五輪でメダルを獲った円谷氏、君原氏、森下氏がそうだし、中山氏、双子の名ランナー・宗茂氏、宗猛氏、同時期に活躍した伊藤国光氏も高卒で社会人になってから実力を伸ばした。また、日本最高記録を持つ高岡氏は関西の龍谷大学出身で箱根駅伝を走っていない。
・注目度が高い箱根駅伝に憧れる少年は多く、競技者を増やすことには貢献している。だが、その一方で長距離ランナーとして大成を阻む弊害もあるといわれる。たとえば箱根駅伝を走ることが最大の目標となり、それを達成すると燃え尽きてしまい、次の目標が見いだせないというもの。また、チームのために頑張るという意識から限界を超える走りをしてしまい、故障を抱えるという説もある。駅伝のスケジュールが優先となり、マラソンへのチャレンジが難しい。駅伝とマラソンではレース中の駆け引きも異なり、そうした経験のなさが後々の競技人生にも影響するという専門家もいる。加えて箱根駅伝を走った選手と、それを経験せず独自にマラソンランナーの道を歩んだ選手では、競技に対する姿勢に微妙な差があるような気がする。
・筆者はマラソンで実績をあげた選手の取材をしたことが何度かある。長距離ランナーは総じて性格が穏やかで話しやすいが、その中にも、ちょっと変わっているというか、独自の世界観を持っている人が多かった。大学駅伝はチームで戦うものであり、協調性が優先される。そんな環境で過ごすことで、そうした個性が失われるのではないだろうか。
・青山学院大の原監督は、箱根駅伝を3連覇した実績を背景に学生陸上界だけでなく、日本の長距離・マラソンにも改革の提言をしている。学生のうちにマラソンにチャレンジさせるというのもその実践のひとつだし、個性を尊重する指導もしているようだ。 東京五輪でのメダル獲得はともかく、そうした革新的な試みを続け、マラソン界に記録更新へのチャレンジが積極的に行われるような風を呼び込んでもらいたいものである。
http://diamond.jp/articles/-/113537
次に、3月25日付け東洋経済オンライン「WBC「侍ジャパン」がまたも決勝を逃した理由 落とし穴は雨に濡れた天然芝だけでなかった」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・無傷の6連勝で第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)決勝ラウンドに進んだ侍ジャパン。しかし米国時間3月21日(日本時間同22日)、米カリフォルニア州ロサンゼルスのドジャースタジアムで行われた準決勝で米国に1-2で敗れ、2大会連続のベスト4に終わった。
・悔しい敗戦。2失点にはいずれも守りのミスが絡んだ。 0-0で迎えた4回1死。再三の超ファインプレーでチームを救ってきた二塁手、菊池涼介(広島)がイエリチ(マーリンズ)の正面のゴロをグラブの土手に当てて後ろにそらす。降り続く雨で水を含んだインフィールドの天然芝を滑ったゴロが目の粗い土の部分で微妙にイレギュラー。「NINJA」とたたえられる名手のグラブを弾いたのである。打球はセンター前まで転がり、イエリチは2塁に進む。2死後、マカチェン(パイレーツ)の左前打で先制のホームインを許した。
・6回にはその菊池がライトへ同点ホームランを放ち、ミスを帳消しにした。だが……。8回1死2、3塁の守り。今度はムードメーカーの3塁手、松田宣浩(ソフトバンク)がA・ジョーンズ(オリオールズ)のゴロをファンブルしてしまう。普通に捕れば本塁に突っ込んだ3塁走者をアウトにできるタイミングだったが、素早く拾い上げても打者走者を1塁でアウトにするのがやっと。クロフォード(ジャイアンツ)の生還を許し、これが決勝点になった。
▽やはり米投手の「動くボール」に苦しんだ日本
・「守備のミスも出たけど、それは責められない。1点が遠かった。あれだけの選手たちがなかなか芯でとらえられない。メジャークラスの動くボールの対処は難しかった」 小久保裕紀監督は、打線が米国7投手の「動くボール」に苦しみ、4安打1点に封じられたことを敗因に挙げた。確かにホームは遠かった。初回2死3塁、8回2死1、2塁で打席に入った筒香嘉智(DeNA)のとらえたかに見えた打球はレフトとライトへの飛球。湿気を吸ったボールはいずれも定位置よりやや後ろで外野手のグラブに収まった。
・しかし、0点に抑えられたわけじゃない。先発の菅野智之(巨人)は1番から9番までメジャーリーガーが並ぶ打線を6回3安打に抑える好投。大会ベストナインに選ばれた千賀滉大(ソフトバンク)は7回から登板し、2イニングで5三振を奪った。2次ラウンドまでのようにしっかり守っていれば1-0という結果もあった。
・上手の手から漏れた水……。悪い条件が重なった。年間通して雨が少ないロサンゼルス。3月は雨季にあたるが、それでも月間降水量は50ミリメートルほどで東京の半分程度しかない。珍しい雨が意地悪く落ちてきたのである。 前日の練習で天然芝の状態は確認していたが、試合前はフィールドにシートが敷かれ、ノックができなかった。人工芝の東京ドームで1次、2次ラウンドを勝ち上がって渡米。アリゾナで天然芝に慣らしてはいたが、ぬれた芝はぶっつけ本番だった。
・日程面のハンデもあった。2次ラウンド最終戦は15日。日本時間で言えば、準決勝まで1週間のブランクがあった。16日に渡米してアリゾナ入り。2次ラウンドまで6試合を戦った疲労に時差ボケが加わる。じっくり調整したくても、許してもらえない事情があった。
▽米国での調整が難しかったワケ
・日中の気温が30度を超える中、米大リーグ(MLB)と同選手会が立ち上げた大会運営会社WBCIから練習試合2試合を義務づけられていたのである。MLBのエキシビションゲーム(オープン戦)に組み込まれた有料試合で、拒否はできない。カブスに4-6、ドジャースに2-3と連敗。勝敗はともかく、調整目的なら1試合で十分だった。
・アリゾナとは気温も湿度も違うロサンゼルスに移動し、ドジャースタジアムで1日練習して迎えた本番。米国に来ての初戦がいきなり「負ければおしまい」の準決勝だ。相手は3日前、ロサンゼルスから車で約2時間のサンディエゴで前回優勝のドミニカ共和国を破って勝ち上がってきた米国。勢いという点では大きな差があった。
・2006年の第1回、2009年の第2回大会は1次ラウンドだけ東京ドームで開催された。1次ラウンドを勝ち上がってアリゾナで調整。天然芝の球場に慣れ、2006年はアナハイム、2009年はサンディエゴで2次ラウンドを戦った。 アウェー感あふれる中でチームの一体感を高めていき、2006年はサンディエゴ、2009年はロサンゼルス、2次ラウンドと同じ西海岸で行われる決勝ラウンドに進んで頂点を極めたのである。
・前回2013年の第3回大会からパターンが変わった。1次が福岡のヤフオクドーム、2次が東京ドーム。2次ラウンドまで日本開催になったのだ。決勝ラウンドは今回同様アリゾナ経由でサンフランシスコに入り、準決勝でプエルトリコに1-3で敗れた。 今回は1次、2次とも東京ドームでやってロサンゼルスで……。つまり日本は2次ラウンドから米国で戦った2大会はいずれも優勝し、2次ラウンドまで日本で戦った2大会は渡米初戦の準決勝で敗退したことになる。
・日本だけじゃない。東京ドームでの2次ラウンドを2大会連続で勝ち上がったオランダも準決勝でいずれも敗退。2次ラウンド東京勝ち上がり組は1度も決勝に進めていないのだ。 小久保監督は「日程は決められたもので、どうのこうの言えない」と話したが、直前調整の難しさを考えれば、その差は歴然である。
・どうして2次ラウンドまで東京開催になったかというと、それはジャパンマネーが関係している。第1回大会から1次ラウンド東京プールの興行権を読売新聞社に譲渡していたWBCIだったが、第3回大会からはさらに2次ラウンドまで売るようになったのだ。
・米国では認知度がいま一つのWBCだが、日本では第1回大会から人気沸騰。2次ラウンド初戦の米国戦、ボブ・デービッドソン球審の「世紀の大誤審」で火がついた。2次ラウンド1勝2敗ながら失点率で準決勝進出という幸運にも恵まれ、初代王者に。第2回大会も優勝。日本のファンにとっては4年に1度の欠かせないお楽しみになっている。
・スタンドは埋まるし、テレビの視聴率はハネ上がる。米国での不人気で収益が上がらないWBCIにとって日本はドル箱。一定の収益を確保するために2次ラウンドまで読売新聞に譲渡したのだ。ファンにとっては東京ドームで生の侍ジャパンが見られるし、テレビ観戦もいい時間に楽しめる。
・今回の視聴率も1次ラウンドがキューバ戦22.2%、オーストラリア戦21.2%、中国戦18.0%、2次ラウンドはオランダ戦25.2%、キューバ戦27.4%、イスラエル戦25.8%。準決勝の米国戦も平日の午前中で20.5%をマークした(いずれも関東地区、ビデオリサーチ調べ)。
・侍ジャパンにとってもメリットはある。天候に左右されない東京ドームで、360度から熱い声援をもらえる。デーゲームもある他国と違い、すべてナイターという「開催国特典」も付く。滑るWBC球(ローリングス社製のMLB公式球)には苦労しても、2次ラウンドまでは有利な条件で戦えるのだ。
▽「2次ラウンド」を日本で開催する損得
・しかし、決勝ラウンドでは前述のように環境の変化、ゲーム感覚など大きなハンデを背負う。世界一を目指す侍ジャパンにとって2次ラウンドまで日本で開催するのは両刃の剣なのである。 オランダ、イスラエルなどの台頭で盛り上がった今大会。侍ジャパンは1戦ごとに結束力を高めていき、すばらしい戦いを見せてくれた。小久保監督以下首脳陣、選手に敬意を表したい。同時に、これだけのチームだからこそ、2次ラウンドから米国のプールに入っていたらなあと思う。
・次回2021年の第5回大会はどんな日程になるのだろうか。今回、初優勝を果たした米国でも少しはWBCに対する関心が高まったと思う。観客動員数も108万6720人と初めての大台を記録。前回大会の88万5212人を22.8%上回った。そろそろジャパンマネーを当てにするのはやめて、日本開催は1次ラウンドだけという形に戻してもらえないだろうか。
・できれば日本を2次ラウンドでドミニカ共和国やベネズエラと同じプールに入れてほしい。日本がこれまでWBCで対戦した相手を回数順に並べてみると、韓国8、キューバ6、米国、中国、オランダ各3、台湾2、メキシコ、ブラジル、プエルトリコ、オーストラリア、イスラエル各1となる。実は、メジャ―のスター軍団を抱えるカリブの強豪2カ国とはまだ1度も対戦していないのである。
http://toyokeizai.net/articles/-/164692
第一の記事で、 『男子マラソンが強かった20世紀の日本』、というのを改めて思い出した。ただ、弱くなった理由については、 『両立が難しい駅伝とマラソン』と指摘しつつも、さすがに駅伝が原因とまでは決めつけることはせず、曖昧なままである。 『青山学院大の原監督は、・・・日本の長距離・マラソンにも改革の提言をしている』ということは、原監督は駅伝とマラソンを対立するものと捉えずに両立が図れると考えていると思われる。ただ、マラソンでの成果はまだ出てないようだ。いずれにしろ、男子マラソンがもう少し強くなってほしいものだ。
第二の記事を読むと、多くの悪条件が「侍ジャパン」を苦しめたことが理解できた。カリフォルニアでの異例の雨は不運というほかないが、『2次ラウンド東京勝ち上がり組は1度も決勝に進めていないのだ』、というのは大きなハンディのようだ。ただ、 『日本開催は1次ラウンドだけという形に戻してもらえないだろうか』、というのは無理でも、せめて米国に移ってからの練習試合を1つにしてもらう程度だろう。まあ、次回はせめて決勝までは進んでもらいたいものだ。
タグ:日本開催は1次ラウンドだけという形に戻してもらえないだろうか 2次ラウンド」を日本で開催する損得 一定の収益を確保するために2次ラウンドまで読売新聞に譲渡 米国での不人気で収益が上がらないWBCIにとって日本はドル箱 第3回大会からはさらに2次ラウンドまで売るようになったのだ 2次ラウンド東京勝ち上がり組は1度も決勝に進めていないのだ 日本は2次ラウンドから米国で戦った2大会はいずれも優勝し、2次ラウンドまで日本で戦った2大会は渡米初戦の準決勝で敗退 練習試合2試合を義務づけられていたのである ・日程面のハンデもあった ぬれた芝はぶっつけ本番 珍しい雨が意地悪く落ちてきたのである やはり米投手の「動くボール」に苦しんだ日本 2大会連続のベスト4に終わった WBC「侍ジャパン」がまたも決勝を逃した理由 落とし穴は雨に濡れた天然芝だけでなかった 東洋経済オンライン 大学駅伝はチームで戦うものであり、協調性が優先 駅伝とマラソンではレース中の駆け引きも異なり、そうした経験のなさが後々の競技人生にも影響するという専門家もいる チームのために頑張るという意識から限界を超える走りをしてしまい、故障を抱えるという説もある 長距離ランナーとして大成を阻む弊害も 両立が難しい駅伝とマラソン 世界のマラソン記録は伸び続けている 日本最高記録が14年以上更新されていない 日本のマラソンが伸び悩んでいる 男子マラソンが強かった20世紀の日本 「駅伝で勝つことだけを目標とするのではなく、競技者としての先を見据えて学生には積極的にマラソンにチャレンジさせる 青山学院大の原晋監督 「長距離・マラソン強化戦略プロジェクト」 瀬古利彦 3連覇 青山学院大 箱根駅伝 「箱根駅伝はマラソンランナーを育てて来たか?」 ダイヤモンド・オンライン (その3)(箱根駅伝はマラソンランナーを育てて来たか?、WBC「侍ジャパン」がまたも決勝を逃した理由) 日本のスポーツ界
コメント 0