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新安保法制成立後の情勢(その6)日報隠蔽問題、日本の安保の「超重大な欠陥」 [国内政治]

新安保法制成立後の情勢については、昨年11月24日に取上げたが、今日は、(その6)日報隠蔽問題、日本の安保の「超重大な欠陥」 である。

先ずは、3月27日付け日刊ゲンダイ「日報問題の火付け役 布施祐仁氏が“PKO隠蔽工作”を斬る」を紹介しよう(Qは聞き手の質問、Aは布仁氏の回答)。
・〈当時の業務日誌を情報公開請求したら、すでに廃棄したから不存在だって…。まだ半年も経っていないのに。これ、公文書の扱い方あんまりだよ。検証できないじゃん〉。防衛省を揺るがしている南スーダンPKO(国連平和維持活動)に派遣された陸上自衛隊の日報問題は、昨年12月に書き込まれたこのツイッターから始まった。火を付けたのは気鋭のジャーナリスト・布施祐仁氏。メディアや国会で追及され、安倍政権は唐突に5月末のPKO撤収を発表。組織的隠蔽の疑いが濃厚になった防衛省は特別防衛監察を実施する事態になった。恐ろしいほどの政権のデタラメ、ドタバタを今どう見ているのか。
▽稲田防衛相も捜査対象にすべき
Q:日報問題が急展開しています。不開示決定後の再調査指示を受け、陸自司令部は上部組織の統合幕僚監部に日報の存在を報告。防衛省上層部までその情報は届いたにもかかわらず、「今さら言えない」という理由で廃棄の指示がなされたと報じられました。
A:当初は陸自しか探索しなかったので、統幕で保存していた日報を見つけられなかったと説明していましたが、実際には陸自にもあった。ツジツマが合わなくなるから廃棄したとなれば、隠蔽に隠蔽の塗り重ねです。大臣の指示に背いて防衛省が組織ぐるみで隠蔽工作をしたとなれば、文民統制上きわめて大きな問題でもあります。
Q:稲田防衛相は一連の経緯を把握していなかったのでしょうか。
A:それが一番のポイントです。特別防衛監察は大臣直属の防衛監察本部が行う組織内調査にすぎません。ここまで大スキャンダルに発展した以上、稲田防衛相も調査対象にしなければおかしいでしょう。国会での集中審議や証人喚問で関係者を質す必要があると思います。
Q:なぜそこまで日報の存在を隠そうとしたのでしょう?
A:2015年9月に安保関連法の成立を強行した安倍政権は、南スーダンPKO部隊に新任務の駆けつけ警護を付与するタイミングを探っていました。私が日報の開示請求をしたのが昨年9月末。通常は30日以内に開示あるいは不開示が通知されます。ところが、1カ月後に届いたのは〈開示決定期限延長〉の知らせ。それから2週間後に政府は駆けつけ警護付与を閣議決定し、3週間後には先発隊が出国しました。期限延長は駆けつけ警護をめぐる批判や議論を避ける時間稼ぎだったのではないか。延長も不開示決定も、新任務の実績作りが優先されたからだとしか思えません。
Q:今月10日に安倍首相は「南スーダンでの活動が今年1月に5年を迎え、一定の区切りをつけられる」と5月末をメドにPKOを撤収すると発表。ちょうど森友学園の籠池理事長が会見中という絶妙のタイミングでした。 部隊が派遣されている首都ジュバでは、昨年7月に大統領派と副大統領派(当時)による大規模戦闘が発生しました。にもかかわらず、政府は「法的な意味における戦闘行為ではなく衝突」とし、「ジュバは安定している」というスタンスを取り続けてきた。現地は撤収が当然の情勢ですが、このタイミングでの判断は正直予測していませんでした。
Q:「安定している」というのはウソだった。
A:現実はむしろ逆で、この半年間で南スーダンの治安は不安定になっています。部隊が活動するジュバから南方エリアの情勢が急激に悪化し、いつジュバに波及するか分からない。新任務の実績はできたので、コトが起きる前に撤収させようということだとみています。
▽隠蔽のウラに「駆けつけ警護」の実績作り
Q:昨年7月当時の日報から浮かび上がる現地情勢は非常に生々しい。現場の緊迫感が伝わってきます。
A:宿営地のすぐ近くで激しい戦闘が繰り広げられたことが記載されています。7月11日の日報には〈TK(戦車)射撃含む激しい銃撃戦〉〈突発的な戦闘への巻き込まれに注意が必要〉とあり、日報をもとに上級部隊が作成した13日の報告書には〈日本隊宿営地西側、UNトンピン外のトルコビル一帯において、SPLA(政府軍)戦車1両を含む銃撃戦が生起、日没まで戦闘継続〉と記されていました。稲田防衛相は国会で、「憲法9条上の問題になる言葉を使うべきではないから武力衝突という言葉を使っている」とトンデモ答弁を繰り返していますが、一般的な感覚からすれば明らかに戦闘です。武力紛争が起きているのに、そうした事実を公表せずにごまかし、日報を隠滅した疑いが強まっている。この状況で仮に自衛官が戦闘に巻き込まれて殉職する最悪の事態を迎えてしまったら、政権は相当に追い込まれるでしょう。
Q:南スーダンPKOの開示請求を始めた当初は日報の存在を知らなかったそうですね。
A:最初の請求は15年9月ごろでした。安保関連法の成立で駆けつけ警護が可能になったので、これまでの活動実態を調べてみようと思ったのです。とはいえ、防衛省にどんな文書があるのか分からない。手始めに、13年12月の内戦勃発時に派遣されていた第5次隊の活動状況をまとめた文書という趣旨で請求しました。すると、「教訓要報」という文書が開示された。現地で発生した事案や、そこからくみ取った教訓をまとめた資料です。そこには〈自衛隊宿営地近傍で発砲事案が発生し、全隊員が防弾チョッキ及び鉄帽を着用〉〈宿営地を狙った襲撃・砲撃も否定できない〉と記されていた。関連資料をさらに請求していく中で、国際平和協力活動に従事する隊員を訓練する「国際活動教育隊」が使用するテキストが開示され、〈隊員たちの訓練内容を検討する上で、派遣部隊が作成する「日報」を教訓収集の基礎資料として活用〉とあった。それで、日報を知ったんです。
Q:そもそも、日報廃棄の理由に正当性があったのですか。
A:防衛省訓令に基づき、陸上自衛隊文書管理規則が定められています。文書の類型によって保存期間基準が設定されていて、PKO関連は3年間です。それで、おかしい、ルール違反じゃないかと思ったのですが、よくよく見ると、備考欄に虫眼鏡を使わないと見えないような小さな文字で〈随時発生し、短期に目的を終えるもの及び1年以上の保存を要しないものの保存期間は、1年未満とすることができる〉と書いてある。彼らの論理では、日報は現地部隊が上級部隊に報告するために作成する文書なので、それが完了した時点で目的を終えた。だから廃棄したという理屈なんです。公文書は「国民共有の財産」とする公文書管理法の精神が完全に欠落している。それに、自衛隊の教訓収集の基礎資料でもある重要な日報がほんの3、4カ月で廃棄されるなんてあり得ないでしょう。
▽不都合な真実を「不開示」にする抜け穴
Q:日報のケースでは証拠隠滅を図った可能性が高まっていますが、行政はとにかく情報を隠したがる。
A:今回はメディアや自民党行政改革推進本部長の河野太郎衆院議員が問題視したこともあって最終的に開示されましたが、情報公開制度を運用する総務省は不開示とするケースを6つ挙げていて、その5番目が厄介なんです。〈審議・検討等に関する情報で、意思決定の中立性等を不当に害する、不当に国民の間に混乱を生じさせるおそれがある情報〉というもので、何度かこれを盾に開示を拒まれたことがあります。
Q:それでは不都合な情報は恣意的に非開示にできますね。
A:安倍首相は安保関連法の国会審議でもそうでしたが、海外派遣の議論になると、何かと自衛隊の「服務の宣誓」を引き合いに出します。警察や消防にはない〈事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め〉というくだりです。自衛官はリスク覚悟で入隊しているという前提で、「自衛隊員の仕事というのは、そういうものなんですね」などと発言しています。ところが、宣誓の結びの〈もつて国民の負託にこたえることを誓います〉には積極的に触れない。この文脈でいえば、自衛官は国民の負託があるからこそ、身をていして危険な任務にあたるわけです。しかし、実態は違う。安倍政権は国民に情報を隠し、民意に耳を傾けることも同意を得ることもなく、PKO部隊への新任務付与を押し切ったのです。安倍政権のやり方は非常に無責任だと思います。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/202035

次に、東京外国語大学教授で紛争屋(国連等の現地派遣団などで活躍)の伊勢崎 賢治氏が3月28日付け現代ビジネスに寄稿した「南スーダン自衛隊撤退ではっきりした日本の安保の「超重大な欠陥」 国際社会にバレたら一大事!? 」を紹介しよう(▽は小見出し、+は段落)。
▽積み上げてきた「理屈」が崩壊した
・2017年3月10日、政府は南スーダンからの自衛隊撤退を表明しました。 僕はこれまで、こういう主張をしてきました。
 *  日本が依然として派遣の根拠にしているPKO派遣5原則(1992年制定)は、「住民保護」が主任務になった現代のPKOでは意味を失っている。 もはや停戦があるかどうかなんて関係なく、治安が悪くなればなるほど、その状況の犠牲となる住民を保護するべくPKOは撤退しなくなる。 昨年の7月の首都ジュバでの大規模な戦闘を受けて、即座に国連安保理がPKO部隊の4000名の増派を決定したことからもわかるように、自衛隊が撤退できないのは安倍政権が「駆け付け警護」をやらせるために無理強いしているからではない。単純にそれを国際世論が許さないからだ。やったら、それは「住民も守るためにもっと戦え」と迫る国際社会の正義を敵にすることになる。 だからこそ、安倍政権の安保法制を政局にするのではなく、そもそも民主党政権時に南スーダンに自衛隊を送った民進党が歩み寄り、現場に小康状態が訪れたら即座に、そして静かに、代替え案をもって撤退させよ。 * 
・そう提言し、そのために政党、そして外務防衛関係者へのロビー活動もやってきました。(参照:「南スーダンの自衛隊を憂慮する皆様へ~誰が彼らを追い詰めたのか?」 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49799
・交戦できない自衛隊は、弾がまったく飛んでこない場所でなら活動できます。そんな「仮想空間」を戦場につくり参加してきたのが、これまでの自衛隊によるPKOです。 それらは、
 +後方支援」(通常の施設部隊=兵站部隊に前方も後方もありません)
 +「非戦闘地域」(こんなものが存在したら軍隊は基地を造る必要はありません。基地を一歩出たらそこは戦場です) 
 +「(武力行使と一体化しない)一体化論」(国連が南スーダンのような受け入れ国と一括して結ぶ国連地位協定をベースに、自衛隊に限らず全ての多国籍の部隊は国連の指揮下に一体化します)  などです。
・南スーダンでもこれは成り立ってきました。首都のジュバは、もとは「安全」でしたが、昨年7月に、その「仮想空間」と、それを基に積み上げた「9条に抵触させない」理屈の数々が崩壊し、防衛省、特に陸上自衛隊はかつてない危機感を持ったはずです。
▽「駆け付け警護」など無意味
・実際、今になって、政府は昨年9月から撤収を検討していたと明かしました。でも、そのさなかの11月に「駆け付け警護」の任務を付与したことになる。
・そもそも南スーダンの自衛隊は道路や橋をつくる施設部隊ですから、国連司令部が歩兵部隊がやる能動的な警備業務を命じることはありません。当たり前です。そんな専門外の部隊を送ってそこで何か殺傷等の事件が起こったら、上記のように、南スーダン政府に対する地位協定上の責任は国連が負っているのです。
・施設部隊に付随する警備小隊はある程度専門的な訓練を受けているでしょうが、歩兵部隊を使い果たした後で施設部隊に警備要請が来る状況というのは、例外中の例外。国連PKOにとって、本当に、壊滅的な状況です。全体で2万以下しかいないPKO部隊がその10倍以上の兵力の南スーダン政府軍とガチンコになり取り囲まれるような状況です。
・その際には、PKO主力戦力を提供している周辺各国も当然援軍を送るでしょうから現場は混乱を極め、いくら住民保護のために撤退しなくなったPKOとはいえ、全軍撤退しなきゃならない最終非常事態です。”通常任務”として自衛隊が想定するべきシナリオではありません。
・こういう非常事態では、各地に散らばっている人道援助要員を、最後の砦であるPKO基地に、歩兵部隊や国連文民警察特殊部隊(Formed Police Unitと言います)が避難させているはずで、そこに住民が最後の望みを託して大量に庇護を求めて押し寄せる。その中に、悪さする奴らが紛れていて(住民と見分けがつきません)戦闘になる。PKO基地に閉じ籠っている自衛隊は、これを想定すべきなのです。
・つまり、「駆け付け警護」ではなく、「駆け付けられる警護」です。その際、もし、誤って住民を多く誤射してしまったらどうするか。これが後に展開する国際人道法違反(=戦争犯罪)であり、国連が真摯に想定してる「法的なシナリオ」なのです。日本は、これを全く考えてこなかったのです。
・そもそも、自衛隊だから日本人を助けるというような同国人優先を国連は認めません。当たり前です。現場で働く人道援助要員の国籍は本当に様々です。一つのPKOの部隊は多くて20ヵ国ぐらいですから。 だいいち、世界で日本人の人道援助要員が働いているところは、自衛隊がいない国が圧倒的に多く、南スーダン国内でも自衛隊がとてもいけない危険な場所で彼らは働いているのです。首都ジュバで日本の自衛隊が日本人優先を言い出したら、それよりも圧倒的に多い自衛隊がいない状況で働く日本人が”差別”される理由をつくってしまいます。
・「同じ現場にいる日本人を助けられない忸怩」というカンボジアPKO以来の感情論で始まった「駆け付け警護」ですが、もういい加減に止めましょう。 国籍で”トリアージ”するのは国連ではタブーなのです。 つまり、新たに任務付与された「駆け付け警護」は、蓋然性ゼロなのです。(詳しくはこちら「自衛隊『駆けつけ警護』問題の真実」http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48085
▽なぜ「日報」は隠されたのか
・蓋然性が全くゼロの代物を巡るこれまでの一連の政局は、全く意味がないドタバタのように見えますが、すべては安保法制のためという見方をすれば一貫しています。 昨年7月以降、「仮想空間」の論理は崩れているのに、認めない。そのうえで、安保法制の目玉だった「駆け付け警護」ができる部隊を派遣したという、蓋然性がゼロでも「自衛隊の進歩」の実績を、日本の国内向けだけに、何が何でもつくることに安倍政権にとっての意味があったのです。
・「日報」が隠されたのも、そのためです。 「戦」の字が自衛隊の活動とくっついていてはまずい。任務を付与する前に南スーダンにいられなくなる。「憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」という稲田朋美防衛相の答弁は、狙いをそのまま言ってしまったものです。
・一般論として、海外での軍事活動は常に国際人道法違反(=戦争犯罪)と隣り合わせです。ですから、その疑義の発生時の司法の場で証拠となる「日報」の作成と保管は重要です。 住民の保護のために好戦的になっている現代の国連PKOですが、だからこそ、国連PKO自身が同法違反を犯す可能性を真正面に見据え、1999年に国連事務総長告知として、それを対処する法的な枠組みを、国連史上初めて明文化したのです。
・これによって、国際人道法違反の対処は、各兵力拠出国の国内法廷(通常は軍事法典、軍事裁判所)に課されることになりました。当然、日本を含む国連加盟国は、PKO部隊の派遣にあたって、その法整備を義務づけられたことになります。 (参照:「日本はずっと昔に自衛隊PKO派遣の『資格』を失っていた!」http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51058) 
・日本にそういう国内法廷があったとして(後に詳述しますが、ありません!)、その際に軍事行動の正当性を証明する重要な証拠となる「日報」の”破棄”は、日本が国際社会に対して法治国家としての責任を果さない、と宣言しているようなものです。
・考えてもみてください。もし日本国内で、米軍が、日米地位協定上日本の裁判権が及ばない公務上の凶悪事件を発生させたとしましょう。その際、米軍の軍法会議に必要なハズの”日報”を破棄していたとしたら? われわれは日本人はどう思うでしょうか? この「日報」騒動が、海外メディアに報道されないことを祈ります。日本人として恥ずかしい。
▽自衛隊撤退が生む波紋
・撤収発表のタイミングは、今しかなかったのでしょう。 「日報」問題で連日攻められているときに撤収すれば、野党に屈した印象になる。矛先が「森友学園」問題にそれたときを狙ったのです。期せずして「政局にしない」状況が生まれたようです。
・シリア軍とイスラエル軍の間の停戦監視の主要任務が、その両軍以外の理由(非合法集団の台頭によるシリア内戦の激化)で治安が悪化したゴラン高原PKOでは、治安悪化で主要任務ができないという主張は撤退の理屈として一応は成り立ちました(それでも、国連は、自衛隊撤退を受けて遺憾声明を出したのです)。
・これに対して南スーダンPKOの主要任務は住民の保護です。治安が悪くなって犠牲になるのは住民なのです。治安悪化は撤退する理屈になるわけがありません。だから、国連は、ジュバの戦闘を受けて、逆に増兵を決定したのです。 南スーダンの治安情勢は「安定」はしておらず、軍事力によって辛うじて小康が保たれている、依然、準戦時状態です。
・今回の自衛隊撤退の声明にあたってジュバの日本大使館、そして国連本部のあるニューヨークの日本政府国連代表部は、国連が遺憾声明を出さないように相当の根回しをやったハズです。その一つは、PKO司令部要員の継続そしてODA予算の積み上げです。
・もともと自衛隊は施設部隊でも危険なところに行けない特殊な存在ですから、国連側にとって自衛隊の撤退で発生する軍事的な穴はほとんどないでしょう。 しかし、「国連外交」的な影響はあります。国連PKOはただでさえ兵力集めと結束が難しい多国籍軍です。自衛隊であれ一国の撤退が他の派兵国のやる気と忍耐に影響することが国連にとって一番痛手なのです。
▽もういい加減に現実を見よ
・しかし、たぶん今回は国連側から遺憾声明などあまり騒ぎ立てることはしないでしょう。 安保理による4000名の増兵の決定後、兵力を提供する国があるのかと一時は心配されたのですが形を整えつつありますし、去年の戦闘で住民を十分守りきれなかったという国際世論の激しい非難を受けて、PKO部隊全体として士気が高まりつつあるので(それを察してか悪さをする奴らも様子見で現場が小康状態になっている)、それを損なわないために、自衛隊撤退をあえて騒ぎ立てず、シラーっと流すハズです。
・何より、いくらなんでも今回は、「仮想空間」が南スーダンのどこにも、一番安全なハズの首都ジュバのどこにも存在しないことを、日本政府は今まで自衛隊を「お客様」として扱ってくれていた国連に説明したハズです。
・もはや「仮想空間」がない状況で自衛隊を抱え続けることは、大変大きなリスクになりますから、その理由でもシラーと流すハズです。 もし、自衛隊を巻き込む軍事的過失が起きてしまったら? 繰り返しますが、南スーダン政府に対して地位協定上の責任を負っているのは国連です。
・1999年国連事務総長告知で、国連地位協定によって南スーダンのような相手国から犯罪時の裁判権を奪う代わりに、その処理を各派兵国の国内法廷に課しているのに、日本にはそれがない。
・ただでさえ、好戦的になっている国連PKOに、偏狭な主権意識を刺激されている南スーダン政府です。国連PKOは進駐軍のような感じで、南スーダン政府との関係は最悪なのです。 もし、そんな中、自衛隊がらみの事故が起きてしまったら、南スーダン政府は、怒り心頭「軍事犯罪の落とし前もつけられない、いい加減な国の軍隊を我が国に入れたのか!」と、国連を糾弾する材料に利用するに決まっているからです。
・南スーダン撤退表明後、自衛隊関係者からは、もう部隊としてのPKO派遣はしない。もしくは、住民の保護などの好(正しくは 交?)戦性のないPKO、例えばキプロスの停戦監視ミッションを次の派遣候補に挙げる声が聞こえてきます。
・思い返してください。南スーダンに自衛隊を送った民主党政権当時、南スーダンはまだ建国したばかりで、同PKOの主要任務は住民の保護ではなく「国づくり支援」でした。 南スーダン政権は、分離独立したスーダン内戦から成りあがってきた軍閥の集合体のようなもので、いずれは内輪もめが始まり、それが新たな内戦に発展することを国連はしっかり予想していたのです。だから、国づくり支援に見せかけて、こういう危ない連中のお目付役としてPKO部隊を投入したのです。
・案の定、すぐに大統領派と副大統領派の確執が内戦化し、それによって犠牲になりだした住民の保護が主要任務になっていきました。 今は、自衛隊にフィットする「仮想空間」があるように見えるキプロス停戦監視PKOでも、いつ事態が悪化して主要任務が切り替わるかわかりません。
・その事態が住民が犠牲になるものになったら、PKOの主要任務は住民の保護に切り替わり、その時はもはや、南スーダンと同様に、簡単に撤退できなくなるのです。 もういいかげんに、9条に抵触させないためだけの「仮想空間」探しは、止めにしませんか?
▽日本が抱える根本問題
・今回、南スーダンで「仮想空間」が崩壊することによって、期せずして明らかになった自衛隊の法的な地位の根元的な問題は、単にPKOに部隊派遣を止めればいいという問題ではありません。 その根元的な問題とは、自衛隊が国際人道法違反を犯した時にそれを法治国家として適正に対処する法体系が日本にはないことなのです。
・それを普通の国では、軍事法典、軍事裁判所といいますが、日本にはこれがありません。(最近、僕の教え子が、大変意欲的な学術論文を書きましたので、ぜひご参照ください。「日本の軍法の可能性」三浦有機 http://kenpou-jieitai.jp/kenkyuuronbun_miura_yuuki.html ) 
・通常、軍隊で想定される犯罪は、大きく言って二つあります。 一つが「統制犯罪」。 軍隊も一つの官僚組織ですから、それ相当の内規があります。そこで定める服務の違反や組織の名誉を傷つける行為。まあ普通はその内規に沿っての懲戒処分ですが、任務の外で例えば窃盗や殺人を犯せば刑罰を喰らうわけです。これは日本でも現行の自衛隊法、そして刑法で対応できます。
・問題は、もう一つの「軍事犯罪」です。任務中における市民への人権侵害や、国際人道法の違反、つまり戦争犯罪です。 例えば、一般の刑法でも、殺人は重犯罪です。そして、破壊行為の中でも放火などは死刑になりうる罪です。軍隊というのは、いわば、そういう殺傷、破壊の技術を日々訓練し、そういう能力に非常に長けた職能集団ですから、被害も通常以上に甚大になるはずで、だからこそ一層重い厳罰を課すのは当然です。
・しかし、それが「命令行動」の一環で、それを誠実に履行したものであるのなら、どんなに甚大な被害でも、その刑事性が勘案されるというのが、一般法と軍法が違う大きなポイントです。
・日本と同様の十字架を背負い戦後復興したドイツには、常設の軍事裁判所がありません。しかし、「軍事犯罪」を裁く軍刑法があり、事案発生に応じて通常の裁判所で運用します。 そのドイツ軍が、僕がその黎明期に関わったアフガニスタンでのテロとの戦いで、2009年、重大な事故を引き起こしました。これが、上記論文で詳述されている「クンドゥーズ事件」です。
・詳細は同論文(第二章/第三節)に譲りますが、あるドイツ人将校の軍事的な判断でNATO軍の戦闘機が民間車を誤爆、なんと102人のアフガン市民が犠牲になったのです。 これは第二次世界大戦以来のドイツ軍が犯した重大な戦争犯罪として、まずドイツ国内で大騒ぎになりました。
・ドイツ検察は、約1年間かけて捜査し、事件当時の現場の緊張した状況に照らし合わせれば(だから”日報”の作成と保管は必要なのです!)、限られた情報収集の中で敵への爆撃の判断を下すことは止むを得ず、後になって市民がいたことがわかっても、その将校と部下たちの判断は軍事的には合理的であり、国際人道法にも、ドイツ刑法にも違反しないと、不起訴にしました。
・結果、ドイツ政府は被害者の遺族にたいして、空爆の法的責任は認めず、手厚い弔意金を支給したのです。 単に、金で解決した、のではありません。ドイツは、国家が犯した犯罪に、(たとえそれが不起訴でも)法治国家として法的な責任の所在を明らかにしながら、国家として説明責任を果たしたのです。
・日本には、その説明責任を生む法体系がありません。あるのは、「統制犯罪」を扱う自衛隊法と、日本人が海外で犯す「過失」は扱えない(国外犯規定)刑法だけです。
・日本は遅ればせながらジュネーブ諸条約追加議定書に加盟した2004年に、慌てて「国際人道法の重大な違反行為の処罰に関する法律」という国内法をつくりました。しかしこの中身は、文化財の破壊や捕虜の輸送を妨害するなど、はっきり言って、どうでもいい罪への処罰だけで、肝心の殺傷を生む罪に関するものが一切ないのです。なぜなら、自衛隊がいるところでは「戦闘」は起き得ないからです。
・(ドイツのクンドゥーズ事件と対照的に、イラクでアメリカ政府が雇った「民間軍事(傭兵)会社ブラックウォーター社」が17人の一般市民を殺戮した軍事犯罪事件で、地位協定により現地政府に裁判権がないだけなく、正規軍じゃないので米軍法が適応できず、地球上にそれを裁く法がないという「法の空白」を引き起こした2007年の「血の日曜日事件」は、自衛隊の法的な問題が見越すべき先行事例と言えます。詳しくは、同論文第一章/第一節/第二項、もしくは、「自衛隊を活かす会」シンポジウム「戦場における自衛官の法的地位を考える」で僕の発言を参照あれ。http://kenpou-jieitai.jp/symposium_20160422.html
▽これは憲法の問題だ
・「私は自衛隊の最高司令官」、「すべての責任は私にある」というのは首相、そして防衛大臣の言葉です。言うのは簡単です。でも、最高司令官としての彼らの法的な責任を立証し、国内外に説明責任を果たす法体系を、日本は持ち合わせていないのです。
・一方で、国際人道法違反=戦争犯罪に一番敏感にならなければならない平和憲法の国の国民が、自らが戦争犯罪を犯す可能性に備えがないことに疑問さえ抱かないのは、なぜか。 自衛隊は、国際人道法上の「交戦」をすることを想定していない「仮想空間」に生きる存在だと、だから何も問題がないのだと、いつの世でも権力に批判的であるべきリベラルどもが、現場の現実を見ずに自分たちを思い込ませてきたからです。
・でも、南スーダンでは、いとも簡単に「仮想空間」が吹っ飛んでしまった。 自衛隊はPKOだけじゃなく、日米地位協定のような二国間の協定によって”駐留軍”としてジブチに駐留しています。(地位協定の問題については、「在日米軍だけがもつ『特権』の真実」ttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/48780 を参照あれ)
・これは、PKOやジブチ、自衛隊が駐留する海外でだけの問題ではありません。日本の領土、領海内に敵が現れ、それに自衛隊が対処する時にも、同様に国際人道法は「交戦」と見なし、同法違反を統制する、ということを忘れるべきではありません。
・というか、そもそも国際人道法とは、第一次大戦後のパリ不戦条約そして国連の誕生によって侵略戦争が厳格に違法化されて以来、自衛のための交戦を律するためにあるのです。 でも、9条の自衛隊の”ジャブ”程度の反撃なら、国際人道法上の「交戦」にはあたらないと、日本は”誰の断りもなく”定義し、運用してきました(防衛省HP「交戦権」http://www.mod.go.jp/j/approach/agenda/seisaku/kihon02.html)。
・国際人道法違反に対応する法整備がないのですから、これは外から見たら、自衛隊は、国際人道法を全く気にしない、つまり戦争犯罪を全く気にしない野放図な打撃力の主体としか見えません。通常戦力で世界五指(クレディ・スイス2015:ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)とグローバル・ファイアーパワー(GF)で換算)の軍事力の”ジャブ”が、です。
・そもそも、自衛権とは、国際人道法に則って徹底的に戦うという意思を、仮想敵に対して、知らしめること。これが、抑止力の「礎」でしょう。 それも、ただ、その意思を大げさにキャンキャン騒ぎ立てるのではなく、何より、自らが国際人道法違反を犯した時にそれを厳粛に対処する法整備をもって、その反撃の意思の”本気度”を、知的に、整然と、国内外に知らしめること。ここに国防の「礎」があるはずです。
・この礎なしに、いくら高価な兵器を買おうと、ただのハリボテなのです。というか、これがないから逆に高価な買い物の購買欲が抑えられなくなっているのではないでしょうか。気がついてみれば、日本はすでに軍事大国です。9条の国が、です。
・同時に、足元がしっかりしないから「脅威論」ばかりが席巻します。「礎」なき日本は、「安全保障のジレンマ」に最も脆弱な国民性を呈しているのではないでしょうか。 だからこそ「米軍が鉾、自衛隊は盾」で、自衛隊は「交戦」しないで済むのだ、という日米同盟強化の理屈を言う向きもあるのでしょうが、保守の間でもそれをヤキモキする議論がある、どうせどこまで本気かどうかわからない「鉾」でしょう。
・貧弱な武器でも「礎」を持つからこそ示せる”凄み”か。それとも、当てにならない「鉾」と「礎」なしのハリボテか。一体、どちらが、抑止力として有効なのでしょうか。 今回の南スーダンからの自衛隊撤退で、期せずして、戦後初めて顕在化した国際人道法と自衛隊の法的地位の問題。これをPKOの問題というだけで幕引するべきではありません。
・安保法制でさらに加速することが予想されるPKO以外の海外派遣、そして何より日本領土、領海内での国防に関わる問題なのです。これは、つまり、憲法の問題です。 改憲派/護憲派を超えて、今こそ考えるべきです。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51311

日報隠蔽問題は、布施氏の粘り強い努力の結果、明らかになったものである。特別防衛監察をしたところで、内部でかばい合う体質の前には無力だろう。 『稲田防衛相は国会で、「憲法9条上の問題になる言葉を使うべきではないから武力衝突という言葉を使っている」とトンデモ答弁』、には、苦笑いせざるを得なかった。そんな答弁を許している野党もだらしなさ過ぎる。現在の情報開示制度には、『不都合な真実を「不開示」にする抜け穴』がある以上、野党は抜け穴を塞ぐ措置を要求すべきだろう。
伊勢崎氏は、自ら「紛争屋」と自称するだけあって、プロフィールをみると国連等の現地派遣団などで活躍した第一人者のようだ。さすがに、指摘は新鮮で深い。『「駆け付け警護」など無意味・・・「駆け付け警護」ではなく、「駆け付けられる警護」です』 というのは言われてみればその通りだ。安保国会での「駆け付け警護」論議は一体何だったのかと考えさせられる。 『期せずして明らかになった自衛隊の法的な地位の根元的な問題は、単にPKOに部隊派遣を止めればいいという問題ではありません。 その根元的な問題とは、自衛隊が国際人道法違反を犯した時にそれを法治国家として適正に対処する法体系が日本にはないことなのです』、『軍事行動の正当性を証明する重要な証拠となる「日報」の”破棄”は、日本が国際社会に対して法治国家としての責任を果さない、と宣言しているようなものです』、 『「私は自衛隊の最高司令官」、「すべての責任は私にある」というのは首相、そして防衛大臣の言葉です。言うのは簡単です。でも、最高司令官としての彼らの法的な責任を立証し、国内外に説明責任を果たす法体系を、日本は持ち合わせていないのです』、 『国際人道法違反に対応する法整備がないのですから、これは外から見たら、自衛隊は、国際人道法を全く気にしない、つまり戦争犯罪を全く気にしない野放図な打撃力の主体としか見えません』、 『そもそも、自衛権とは、国際人道法に則って徹底的に戦うという意思を、仮想敵に対して、知らしめること。これが、抑止力の「礎』、 『この礎なしに、いくら高価な兵器を買おうと、ただのハリボテなのです・・・。気がついてみれば、日本はすでに軍事大国です。9条の国が、です。同時に、足元がしっかりしないから「脅威論」ばかりが席巻します』 などの指摘は重大で深刻だ。ただ、伊勢崎氏は、『これは憲法の問題だ』、としているが、現行憲法で認められている個別的自衛権の行使に伴う戦闘行為に対しては、法整備をする必要がある。憲法を「隠れ蓑」に法整備を放置するのは怠慢でしかない。もっとも、PKO活動が個別的自衛権の行使か否かについては、議論が分かれるのかも知れない。平和憲法を前提にすれば、やはりPKOに参加すること自体に無理があったのだろうか。
タグ:(その6)日報隠蔽問題、日本の安保の「超重大な欠陥」 成立後の情勢 新安保法制 足元がしっかりしないから「脅威論」ばかりが席巻します この礎なしに、いくら高価な兵器を買おうと、ただのハリボテなのです 自衛権とは、国際人道法に則って徹底的に戦うという意思を、仮想敵に対して、知らしめること。これが、抑止力の「礎」でしょう これは外から見たら、自衛隊は、国際人道法を全く気にしない、つまり戦争犯罪を全く気にしない野放図な打撃力の主体としか見えません 国際人道法とは、第一次大戦後のパリ不戦条約そして国連の誕生によって侵略戦争が厳格に違法化されて以来、自衛のための交戦を律するためにあるのです。 でも、9条の自衛隊の”ジャブ”程度の反撃なら、国際人道法上の「交戦」にはあたらないと、日本は”誰の断りもなく”定義し、運用してきました 「私は自衛隊の最高司令官」、「すべての責任は私にある」というのは首相、そして防衛大臣の言葉です。言うのは簡単です。でも、最高司令官としての彼らの法的な責任を立証し、国内外に説明責任を果たす法体系を、日本は持ち合わせていないのです クンドゥーズ事件 ドイツ軍 アフガニスタンでのテロとの戦いで それが「命令行動」の一環で、それを誠実に履行したものであるのなら、どんなに甚大な被害でも、その刑事性が勘案されるというのが、一般法と軍法が違う大きなポイント 問題は、もう一つの「軍事犯罪」です。任務中における市民への人権侵害や、国際人道法の違反、つまり戦争犯罪です 現行の自衛隊法、そして刑法で対応できます 一つが「統制犯罪 軍隊で想定される犯罪は、大きく言って二つ 軍事法典、軍事裁判所といいますが、日本にはこれがありません その根元的な問題とは、自衛隊が国際人道法違反を犯した時にそれを法治国家として適正に対処する法体系が日本にはないことなのです 国づくり支援に見せかけて、こういう危ない連中のお目付役としてPKO部隊を投入 南スーダンに自衛隊を送った民主党政権当時、南スーダンはまだ建国したばかりで、同PKOの主要任務は住民の保護ではなく「国づくり支援」でした 国連地位協定によって南スーダンのような相手国から犯罪時の裁判権を奪う代わりに、その処理を各派兵国の国内法廷に課しているのに、日本にはそれがない 1999年に国連事務総長告知として、それを対処する法的な枠組みを、国連史上初めて明文化 。「憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」という稲田朋美防衛相の答弁は、狙いをそのまま言ってしまったものです 「駆け付け警護」ですが、もういい加減に止めましょう。 国籍で”トリアージ”するのは国連ではタブーなのです 国際人道法違反(=戦争犯罪)であり、国連が真摯に想定してる「法的なシナリオ」 つまり、「駆け付け警護」ではなく、「駆け付けられる警護」です 「駆け付け警護」など無意味 南スーダン自衛隊撤退ではっきりした日本の安保の「超重大な欠陥」 国際社会にバレたら一大事!? 現代ビジネス 伊勢崎 賢治 総務省は不開示とするケースを6つ挙げていて、その5番目が厄介なんです 不都合な真実を「不開示」にする抜け穴 自衛隊の教訓収集の基礎資料でもある重要な日報がほんの3、4カ月で廃棄されるなんてあり得ない 隠蔽のウラに「駆けつけ警護」の実績作り 期限延長は駆けつけ警護をめぐる批判や議論を避ける時間稼ぎだったのではないか。延長も不開示決定も、新任務の実績作りが優先されたからだとしか思えません 稲田防衛相も捜査対象にすべき 特別防衛監察を実施 布施祐仁 日報問題の火付け役 布施祐仁氏が“PKO隠蔽工作”を斬る 日刊ゲンダイ
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