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大学(その1)(4年後に全大学がAO入試化、「限界大学」は消える!私立大定員割れの構造、慶應塾長選の不可解) [社会]

今日は、大学(その1)(4年後に全大学がAO入試化、「限界大学」は消える!私立大定員割れの構造、慶應塾長選の不可解) を取上げよう。これまでは「教育」のなかで取上げてきたのを、独立させたものである。

先ずは、精神科医の和田秀樹氏が4月3日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「4年後に全大学がAO入試化、経済格差を後押し? 従来型の入試で養われた計画性、探求力が犠牲になる恐れ」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・2020年度の大学入試(2021年春施行)からセンター試験が廃止され、「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」(以下、「希望者テスト」と呼ぶ)が導入される。
・また、国立大の二次試験(個別選抜試験)では、学力テストだけでなく、小論文、面接、集団討論、プレゼンテーション、調査書(いわゆる内申書)、活動報告書、大学入学希望理由書、学修計画書、資格・検定試験などの成績、各種大会などでの活動や顕彰(けんしょう)の記録、そのほか受検者のこれまでの努力を証明する資料などを活用するように明記されている(それどころか、二次試験では「希望者テスト」の点を評価の対象にしろとは書いてあるが、学力テストを使えとは書いていない)。この方針を受け入れる大学に予算的な措置をつけるということであるから、やらない大学は恐らくないとすると、すべての大学がAO入試化することになるだろう。
▽希望者テストの複数回受験、段階別評価は見送りに
・こうした方針は、中央教育審議会による「新しい時代にふさわしい高大接続の実施に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について」(2014年12月22日)という答申(今後何度も出てくるので、以下「答申」と呼ぶ)に盛り込まれている。
・実は、この「答申」はかなりラジカルなもので、1点刻みの学力にこだわることを否定するために、TOEFLや米国版のセンター試験と言えるSATのように、「希望者テスト」を複数回受験できるようにする。加えて、試験結果は段階別評価で学校に送る(要するに91点でも100点でもAという形で、大学に成績を知らせる)ことなども提言されていた。要するにミスで点を落とすのは学力がないわけでないし、そういうものにこだわるから本物の学力がつかないという発想である。
・その後、2016年3月31日には、この答申を具体的にどういう形で実現するかについて、文部科学省の諮問会議である「高大接続システム改革会議」が最終報告(以下「最終報告」と呼ぶ)を公表した。 この「最終報告」では、「希望者テスト」の複数回受験や1点刻みでない採点は見送られるなど、「答申」の方向性は一部改訂された。60万人もの受験生が受ける現状で、そこまでの改革は無理という現実的な判断と言ってよい。しかし、「希望者テスト」での記述式試験の導入や、二次試験をAO入試化する方針など、「答申」の基本的な方向性は継承された。
▽新制度入試では経済格差がさらに広がる
・この大学入試改革は一見もっともらしいものだが、受験の世界に長く携わり、また精神医学を学んできた者としては、さまざまな危険をはらんでいるように見える。 面接によって「人が人を選ぶ」大人の社会に対応できるようにするというが、例えば米ハーバード大学では、2000人もの専従職員をアドミッションオフィスが抱え、面接のプロが試験に立ち会う。大学の教授に面接をさせると、教授に逆らわないような大人しい人間が入りがちだが、あえて教授に議論を売るような学生を採るという。
・日本の大学教授はお世辞にも面接のプロとは言えない。むしろ諸外国と比べて、大学以外の社会を知らない人が多いとされる。だから、おそらく予備校が本格的にこの対策を行うようになれば、それを受けた受験生が圧倒的に有利になるだろう。そういう予備校に通うお金のない受験生やそういう予備校のない地方の子どもたちは不利になる。結局、現在でも問題になっている親の経済力や地域による受験格差は広がる。
・また企業だと採用官が採用した人間について責任が問われるが、大学教授にはそれがない。医学部で集団レイプ事件が頻発しているが、ほとんどの医学部が入試面接を実施しているにも関わらず、逮捕者を合格させた教授が責任を問われた例は聞かない。
・また、対人恐怖の傾向があるが、能力が高い受験生なども不利になるだろう。この手の面接に向かない受験生が学力が足りているのに試験で落とされた場合、一般入試だともう1年勉強して再チャレンジを考えるだろうが、面接勝負しかないと悲観して自殺ということだってあり得るだろう。
・集団面接や小論文、自己推薦書にしても、予備校が対策したり、大人が代筆した人間が有利になるのは容易に想像できる。ここでも格差が広がる。
・調査書重視というのも、現行の調査書が、学力だけでなく、意欲や態度など教師の主観部分が75%程度を占めることを考えると、教師に気に入られようとする高校生が増えかねない。思春期の心理発達を考えると、大人に逆らわないことが望ましいとは思えない。また、高校時代に不良だったり、不登校だった人が再起をしようとするときの障害になるだろう。
▽ペーパーテスト学力の斬り捨ては世界の方向に逆行
・さまざまな危険をはらんだ改革だが、この「答申」にも「最終報告」にもそのようなリスクについての検討が書かれていない。この独善が怖い。多様な考え方ができる人間をつくるための改革のはずが、一方向の改革だけが正しいと思っている人間によってなされている。これでは、逆に日本人を画一化しかねない。
・その独善の最たるものが、これまでのペーパーテスト学力を「従来型の学力」と斬って捨てたことだ。もちろん、時代に即応した新しい学力は必要だろうが、これまでの学力が必要ないとは思えない。実際、1980年以降にさまざまな国で初等中等教育の改革が行われたが、米国も英国もアジア諸国もすべて、ペーパーテストの学力を重視する方向に舵を切った。その手本とされたのが日本だ。
・そういう国では、高校生までは一般的な学力をみっちりつけて、今回の「改革」で求められるような学力は大学教育に委ねられる。そして、専門教育は大学院でというのが基本路線だ。 ところが日本では企業も大学教育に期待していないから、大学に長くいる人ほど就職が悪く、博士の比率も日本は世界の中で最も低い「低学歴社会」となっている。
・例えば、今回の「答申」で1点刻みの採点が否定されたように、ミスをしても学力があるならいいじゃないかという発想があるが、米国のSATも1点刻みの採点である。1980年以降は米国が数学力重視の初等中等教育を行って、その後のIT革命や金融市場の席巻につながったという話もある。
・少なくとも医者の世界では、「ふだんは実力があるのに、ちょっとしたミスで」という言い訳は通じない。ごく最近、外資系金融企業の人と話をする機会があったが、金融の世界でもミスが許されないそうだ。計算機を使えばミスがないように思われるかもしれないが、概算ができないと、桁数を間違えるという医学の世界でも金融の世界でも致命的なミスをやらかすことがあるようだ。
・「従来型の学力」をみっちりつけさせて、大学教育でそれ以上の学力を充実させるのが国際標準だというのに、日本は大学の教授ばかりが審議会の委員のためか、世界で評価の高い初等中等教育の改革(というかこれまでのものの否定)ばかりに力が入れられ、優秀な海外の留学生に魅力のない大学の改革がまったく行われようとしない。(補助金を握る文科省としては重要な天下り先なのだから、役人上がりでも簡単に教授になれるシステムを温存したかったのかもしれないが)
▽なんのために「受験勉強」をするのか
・私が特に言いたいのは、この大学入試改革をきっかけにして、「なんのために受験勉強をするのか」ということだ。 確かに、日本人は受験勉強を動機としてしか勉強しないから(全員とは言わないが、そういう子が多いから、少子化で高校や大学に入るのが簡単になると深刻な学力低下が起こっている)、従来型の学力をつけるのに受験勉強が大いに貢献しているのは確かだろう。現実に、数学を入試に課さないと早慶レベルの学生でも、2割の子が分数の計算ができず、7割の子が解の公式を使う二次方程式が解けないことを明らかにした調査結果もある。
・今回改めて考えてみたが、受験勉強というのは「従来型の学力」をつけるためだけにやるものではないと思う。 例えば、古文単語や歴史の年号を覚えて社会に出て役立つのかと言われれば、役立たない人のほうがずっと多いだろう。しかし、受験勉強でそれを覚えることで記憶力は鍛えられるし、覚えるためのテクニックを身につける人もいるだろう。
・このようにコンテンツとしての学力より、ノウハウとしての学力を受験勉強で身につけることが私は受験勉強の意義と考えている。 例えば、スケジュール管理能力や、あるいは志望校を分析して対策を立てる能力、受験の日までに所定の学力が身につかなければ不合格ということだから、締め切りを守る能力だってつくだろう。
・自分の能力を分析する能力を身につければ、どこを伸ばしてどこを捨てて合計点で合格するとかいう戦術が立てられる。今回の「答申」や「最終報告」では、「従来型の学力」の否定ありきで、これまでの受験の良かった点の検討がなかったが、むしろ長所を伸ばすほうが受験の成功にも近づけるし、大人になってからも強いはずだ。
・この手のノウハウ学力の中で私が意外に大切だと思っているのは、方法論を探究する能力である。成績が伸びなかったときに、自分が頭が悪いのでなく、やり方が悪いと思える能力とも言える。こういう人の場合は、あるやり方がうまくいかなければ別のやり方を探す気になる。それによって最終的に点数を伸ばすことができる。
・おそらく方法論を探求する能力や姿勢を受験勉強を通じて身につけることができれば、大人になって、例えばセールスをやっていてうまく売れなければ諦めるのでなく、方法論を探すという解決を求めることができる。答えは本屋にいくらでもある。 受験で身に着く能力を役人や学者の思いつきで切り捨てることは許されない。 (本テーマに関連して、3月17日に『受験学力』(集英社新書)という本を出した。ご関心があればぜひお読み頂きたい)
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/122600095/033000006/?P=1

次に、4月29日付け東洋経済オンライン「「限界大学」は消える!私立大定員割れの構造 差し迫る「2018年問題」、その直前対策は?」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽激変期を迎える大学経営
・2020年、東京オリンピックの開催の裏側で、大学入試センター試験の改革が着々と進んでいる。次の中学3年生が高校3年生になるタイミングであるから、もう間近である。高校も大学も塾も、その準備に追われてとても大変になることは想像に難くないが、その手前にも、大きな問題が来ることは随分前から囁かれていた。2018年問題である。
・1992年に200万人を超えた18歳人口は、2008年に120万人台まで減り続け、その後横ばいで推移した。その安定期は2018年には終わりを告げる。2016年度の出生数は100万人を切っているため、おおよそ20万人が減ることになる。
・これは大学経営に大きな衝撃を与えるだろう。大学進学率が現在の55%前後で変わらず推移すると仮定すれば、大学進学者は10万人以上減ることになり、入学定員500人の大学が200校以上消えてしまう計算なのだ。 事実として、この10年で廃止された大学は10校を超える。2015年段階で、定員割れしている大学数は250校、そのうち定員の充足率が80%未満の大学が114校である。充足率が低下すれば、文部科学省からの補助金の減額幅が大きくなり、経営は苦しくなる。
・いつ破綻してもおかしくなかった大学だが、幼稚園から高校を含めた学園全体で辻褄をあわせて、赤字の大学を支えていた。しかし、公立の中高一貫校の登場などで市場環境が変化し、高校以下の安定経営も難しくなっている。また地方では、私立大学の公立化というウルトラCが繰り広げられ、ますます既存の私立大学は窮地に追いやられている。
・このような厳しい環境の中、同じ私立でも、近畿大学のように着実に成長を続ける大学もあれば生徒の募集や教職員の取りまとめに苦戦し、息絶え絶えの大学がある。そこにはどのような違いがあるのか、著者は歴史を遡り、統計データを駆使して明らかにしていく。
・過去には、大学にとって驚くほどおいしい時代もあった。1986年から92年のゴールデンセブンと呼ばれる7年間である。受験戦争は加熱し、受験校数は平均で10回を超え、受験料収入だけでも莫大な収入になった。さらに、文部科学省は受験戦争の加熱化をおさえるため、臨時定員を設け、生徒数は増え、学納金収入も大幅に伸びた。準備があったにも関わらず、89年から93年の五年間で毎年40万人前後の不合格者数が出ていた。これはバブル崩壊により高卒の求人倍率の急降下などの要因により、予想以上に大学進学率が上昇したためだった。もちろん、予備校や塾などの周辺産業にとってもおいしい時代だった。
・この時代以降、大学は急激に増え、私立大学は334校から604校になった。そして、新設された大学の7割強の母体は短大だった。短大側から見ると、最大500校あった短大のうち、半数以上が大学経営に進出したことになる。そして、受験バブルの恩恵を受けて、短絡的に四大化した短大が今、厳しい競争環境に晒され、学生募集に苦戦している。こういった短大の経営難を、歴史とデータを丁寧に追っていき、責任ある教育機関として目も当てられないような不祥事やずさんな経営体制の事例を交えながら、明らかにしていく。
▽長期的な視点の有無が左右する
・その一方で、苦しい時代を組織一丸となって、乗り越え成長してきた大学がある。武蔵野大学、共愛学園前橋国際大学などである。武蔵野大学は200人の単科女子大学と400人の短大を併設したお嬢さま大学だったが、総合大学へと見事転換し、入学定員は2000人を超える。学部構成も「情報」や「環境」や「総合」などを掲げた新しいコンセプトを作り出す他大学とは真逆で、オーソドックスな構成になっている。
・前橋国際大学は、定員225人、教員組織も30人強と小規模ながらも、文部科学省が支援する事業に私立大学6位の6件も採択されている。教職員が一体化し、風通しのよい組織をつくっている。また、産業界と共創する仮想企業による商品化のプロジェクトなどにより組み、地元からも高い評価を受けている。
・うまくいっている大学は長期的な視点で身の丈にあった取り組みをし、衰退している大学は、流行に追随し、その場しのぎの改革に取り組んでいるように思える。ありきたりで、身も蓋もない話ではあるが、大学経営でも変わりのない真実である。
・2050年には1億人を下回り、出生数は60万人を下回る。そして、将来の推計人口は予測を大きく外れることはない。少子化の煽りを受ける大学及び教育機関の撤退戦は、この先もずっと続いていく。この逆境に負けない、力のある大学を見分けるヒントも本書にはある。
http://toyokeizai.net/articles/-/169669

第三に、デモクラシータイムス同人・元朝日新聞編集委員の山田厚史氏が5月11日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「慶應塾長選の不可解、なぜ教職員投票2位候補に決まったのか」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・韓国の大統領選で革新系の文在寅が当選した。フランスは二大政党を否定した中道のマクロン。米国では型破りのトランプが権力を握った。世界のあちこちで、潮流に変化が起きている。
・慶應義塾の塾長選は、教職員による投票で元経済学部長の細田衛士教授が最高得票を得た。ところが塾長を決める評議員会は得票2位の元文学部長・長谷山彰教授を選んだ。 得票1位を塾長にするという慣例を破り、なぜ2位を塾長にしたのか。不透明な選考過程への違和感が学内に広がっている。
・新学長になる長谷山氏は、清家篤塾長を8年間、常任理事として支えた№2だ。学内政治から距離を置く細田氏に得票が集まったのは「執行部への批判票」とも見られている。それが評議員会でひっくり返った。慶應に何が起きているのか。
▽教職員投票1位の候補を評議員会が追認するのが慣例
・塾長は、3つの選考過程を経て、約1ヵ月かけて選ばれる。最初の関門は10学部、小中高、職員の12職場がそれぞれ2人の候補者を選ぶ(今年は4月4日まで)。延べ24人が選ばれ、重複して推薦を受けた分を除く19人が今回、候補者になった。それぞれが所信表明し、投票に臨む。職場代表の推薦委員450人が日曜日の三田キャンパスに集まり、最初の投票で5人を選び、その中から3人に絞って評議員会に推薦した。
・4月16日に行われた投票(3名まで複数連記が可能)は、細田教授230票、長谷山教授217票、医学部長の岡野栄之教授170票。 20日の臨時評議員会は紛糾した。議長である岩沙弘道・三井不動産会長は「塾長銓衡(せんこう)委員会は長谷山氏を選んだ」と報告、議論もないまま「長谷山候補を塾長とすることにご異議は…」と、いきなり拍手による承認を求めた。拍手の中で「異議あり」の声があちこちから上がった。
・真っ先に発言したのは附属中学の宮内完二教諭だった。「日ごろ生徒たちに『言うべきことはしっかり言いなさい』と指導してます。この場で震える手でマイクを持ち、ひとこと申し述べたい」と切り出し、教職員がいかに真剣に選挙に取り組んできたか切々と述べ「得票第1位の候補者が、銓衡委員会で選定されなかったのは大変遺憾です」と抗議した。
・投票の翌日、塾長候補者銓衡委員会という非公開会合が三田で開かれていた。評議員会の内部に設けられた組織。3人の候補から1人を選んで評議員会に掛ける習わしだ。 委員長は評議員会議長の岩沙氏が兼務。だれが委員なのか公表されず、議事録はなく、話し合いの内容は外に漏らさない秘密会合だ。
・「銓衡委員会は満場一致で長谷山氏を塾長候補に選んだ」と岩沙議長は20日の評議員会に報告した。 慶應の内規では「塾長を選ぶのは評議員会」と決まっている。教職員の投票は、候補者を絞り込むためで「票数はあくまで判断材料」(慶應広報)という。 銓衡委員会が塾長候補を決め、評議員会が決定するのは「規則に沿って行われたもので問題はない」と広報は説明する。
▽常識に基づき現場の判断を尊重する不文律が破られた
・ところが、この決定が「慶應義塾が大切にしてきたコモンセンス(常識)を踏みにじるもの」として大問題になっている。 評議員会で商学部の樋口美雄教授は「これまで銓衡委員会では、教職員による予備選挙で得票数第1位の候補者が選ばれることが常だった。どうしてこういう結論になったのか。教職員が理解し納得できる説明をしてほしい」と述べた。
・投票による塾長選びが始まったのは戦後。教職員が選んだ最高得票者を銓衡委員会が評議員会に推薦する、という慣行が定着していた、という。 「名塾長と言われた石川忠雄さんが5選に出馬した時、投票で経済学部の鳥居泰彦教授に敗れた。慶應OBの財界有力者が石川留任を工作しようとしがダメだった」 当時の事情を知る財界人は言う。
・「石川塾長は、投票結果を尊重し『鳥井君がやれ』と降りた。銓衡委員会は投票1位の鳥井さんを推薦し伝統は守られた」 学内関係者はそう指摘する。決定権は評議員会や銓衡委員会にある。だが現場の判断を尊重することなしに義塾の運営はできない。不文律が慶應にはある、という。
・では学外の人が半数を占める評議員会を最高決定機関としているのはなぜか。 「慶應義塾は社会の中に存在する。教職員は専門家であっても社会の代表ではない。軍隊に譬えれば制服組です。慶應は様々な職業の多くの社会人に支えられる組織にしたいという理想があった。常識ある社会人の代表に最終決定を委ねているという制度だった」
・福沢精神を研究してきた有力OBはそう述べ、次のように指摘した。 「この制度はコモンセンス、つまり常識がなければ機能しません。常識があれば専門家集団が下した評価は、よほどのことがない限り尊重すべきです。もしそれを変えるとすれば十分に納得できる説明をするのがコモンセンスです。今回、その常識が崩壊したということです」 評議員になっている財界人にコモンセンスがなかった、といわんばかりの批判にも聞こえる。
▽評議員会、銓衡委員会の密室で何が語られていたのか
・「今回の評議員会は企業の株主総会みたいだった。あらかじめ決められた結論を押し通す強引な議事運営で、塾長を選ぶ話し合いとはとても言えないものでした」 参加者の一人は言う。議事録は公開されないが内部関係者が作成した「議事要旨」が手元にある。何人かの参加者に照会したところ「大筋この通り」とのことだった。
・議長を除き、意見を表明した10人のうち9人が塾長の選ばれ方に疑問を投げかけている。 日本IBMの会長だった北城恪太郎氏は「他の2候補の考えも聞きたい」と、「長谷山候補に絞って議論する」という岩沙議長の議事運営に異を唱え「他の候補の考えを聞いて判断しなければ評議員としての責任を全うできない」と述べた。
・看護医療学部の山内慶太教授は「第1位の候補者が選ばれなかったプロセスを次の2点から説明してほしい」とし、「詮衡委員会で学部長は全員意見を述べたのか、全員の意思を反映させた結論だったのか」と質した。
・岩沙議長は「最終的に議長としての責任で結論を出した」と答えたが、関係者によると「詮衡委員の議事も強引だった」という。 銓衡委員会は議事録もない秘密会だが、手元に関係者が作成した「議事メモ」がある。これを見る限り「満場一致」は疑わしい。
・「長谷山候補がいい」と口火を切ったのは菊池廣之委員(極東証券会長)で、茂木友三郎委員(キッコーマン名誉会長)が続き「セカンド(2位)がいい、現執行部の継続が望ましい」という趣旨の発言があったという。これに対し「改革が必要。現執行部でなく得票1位を選ぶべきだ」と佐治信忠委員(サントリー会長)や「国際化を考えると細田氏がいい」と主張する上原明委員(大正製薬会長)が細田候補を推した。
・財界から出ている選考委員の多くは長谷山支持を表明したが、学内委員のほとんどは沈黙していた。かろうじて総合政策学部長の河添健委員が「国際性、改革性で細田氏が優れている」と発言した程度だ。 委員長の岩沙氏が頃合いを見て、元塾長の安西祐一郎委員に発言を促し「委員会としては長谷山氏を全会一致で評議員会に推薦します」と宣言し、閉幕した。
▽慣例破りの説明責任は? 新塾長は多くを語らず
・メモがどこまで正確か、定かではない。議事録のない銓衡委員会は、外部に箝口令が敷かれている。「我々が選んだ塾長候補をひっくり返すならなぜそのような結果になったのか、説明する責任が評議員会にある。こんな不透明な決め方で慶應は大丈夫でしょうか」 企業のガバナンスを研究する教授は嘆く。多くの学内関係者がこうした疑問を共有している。
・新塾長に選ばれた長谷山教授は、記者会見でこの点を聞かれると、「塾長選挙そのものについてお答えをできる立場でございませんし、答えは控えさせていただきます」 と述べるにとどまった。
・細田教授は選挙人450人の過半数を獲得した。なぜこの人ではいけなかったのか。 当人を知る人は「真面目で、普通の人だが自分の考えはきちんと語る」という。経済学部長を務めたときも、問題を起こしたわけでもない。評議員にも選ばれている。日本聖公会に所属し日曜は教会に通うクリスチャン。活動の場はロータリークラブだ。
・「今回から塾長は2期4年と多選が禁止されたのは執行部の風通しを良くするということだったが、常任理事が2人も出て、この人たちが本命などと言われていた。これでは改革にならない。私に票が集まったのは流れを変えたい、という民意の表れで、それが無視されたのは甚だ残念です」 細田教授は静かに語る。長谷山常任理事が新しい塾長になる。つまり今の執行部が続投するということだ。 「細田さんのように物事の成否をきちんとする人に見られたくないことがあるのでは」。そんな憶測さえ広がっている。
▽下馬評が高かった慶應病院長は医学部で候補を一本化できず脱落
・清家塾長の末期になって、施設の建築や建て替えがバタバタと決まった。典型が信濃町の慶應病院だ。今年は医学部創設100周年で記念事業として300億円を掛けて建て替えが決まり、工事が始まっている。  「建設工事だけでなく医療機器から内装まで関連する業者は多く、大きな利権になっている」と言われている。
・「2年前でした。評議員会議長の西室さんから次の塾長は病院長の戸山だというが、どんな男だ、と聞かれました」 医学部の関係者は明かす。東芝で社長会長を務めた西室泰三氏である。病院長の戸山芳昭氏は常任理事で、清家塾長は身内の会合などで「次は戸山さん」と言っていた、という。300億円もかかる難しい事業の仕切ってきた病院長に次を任そうという腹づもりだったのかもしれない。
・ところが医学部が割れた。医学部長だった岡野栄之教授が塾長選に名乗りを上げた。 「岡野さんは基礎研究の人。臨床研究の頂点に立つ病院長と医学部の双璧でした」  医学部から塾長が出たことはこれまでなかった。病院建設という大事業を前に医学部は一本化できず、内輪もめが始まった。
・その結果、本命のはずだった戸山常務理事は最初の絞り込みの5人にも入れず脱落。急遽担がれたのが長谷山候補、という見立てが専らだ。 こうした争いに辟易する人たちの批判票が細田氏に流れた、と見られる。
▽「慶應の天下」が続いてコモンセンスは衰退したのか
・慶應は年間80億円ほどの私学助成を受け学生一人当たりの助成額はトップに立つ。政府から支給される科学研究費も私学で一番多い。OB組織である三田会の結束は固く、寄付も潤沢だ。 
・「塾長は普通の私学の学長と理事長を兼務する実力者。財務や経営の手腕が問われ、財界や政府とのつながりが深まっている」 と関係者は言う。橋竜・塩爺の慶應コンビが福沢諭吉を1万円札にした頃から「慶應の天下」が始まった、といわれる。予算は増え、政府の重要審議会に呼ばれるなど「世俗化」が進むにつれ、塾長の仕事は増え、権限も肥大化した。
・OBの財界人にとっても母校が影響力を増すことは悪い話ではない。その中で、慶應が大事にしてきたコモンセンスが衰退したのかもしれない。 「これで押し切られたら独立自尊の精神が泣きます」と言う人もいる。公開質問状を出そう、署名集めを始めよう。そんな声がキャンパスで囁かれている。
http://diamond.jp/articles/-/127480

・和田氏が言うAO入試とは、出願者自身の人物像を学校側の求める学生像(アドミッション・ポリシー)と照らし合わせて合否を決める、具体的には、内申書、活動報告書、学習計画書、志望理由書、面接、小論文などにより出願者の個性や適性に対して多面的な評価を行い合格者を選抜方法である(Wikipedia)。 『大学入試改革は一見もっともらしいものだが、受験の世界に長く携わり、また精神医学を学んできた者としては、さまざまな危険をはらんでいるように見える・・・親の経済力や地域による受験格差は広がる・・・調査書重視というのも、現行の調査書が、学力だけでなく、意欲や態度など教師の主観部分が75%程度を占めることを考えると、教師に気に入られようとする高校生が増えかねない・・・「従来型の学力」をみっちりつけさせて、大学教育でそれ以上の学力を充実させるのが国際標準だというのに、日本は大学の教授ばかりが審議会の委員のためか、世界で評価の高い初等中等教育の改革(というかこれまでのものの否定)ばかりに力が入れられ、優秀な海外の留学生に魅力のない大学の改革がまったく行われようとしない』、などの指摘は正論だ。
・大学が淘汰され、「限界大学」は消えるようとしているのは、人口構成からみてやむを得ないことだ。それにしても、『2018には、大学進学者は10万人以上減ることになり、入学定員500人の大学が200校以上消えてしまう計算』、とは大学関係者は既にそれを織り込んで対応している筈とはいっても、やはりかなり大きなショックであろう。 『うまくいっている大学は長期的な視点で身の丈にあった取り組みをし、衰退している大学は、流行に追随し、その場しのぎの改革に取り組んでいるように思える』、やはり長期的視点で取り組んでゆくことがポイントのようだ。
・慶應塾長選は、確かに不可解だ。 『本命のはずだった戸山常務理事は最初の絞り込みの5人にも入れず脱落。急遽担がれたのが長谷山候補、という見立てが専らだ』、との指摘は今回の混乱の一端を説明している。 『橋竜・塩爺の慶應コンビが福沢諭吉を1万円札にした頃から「慶應の天下」が始まった、といわれる。予算は増え、政府の重要審議会に呼ばれるなど「世俗化」が進むにつれ、塾長の仕事は増え、権限も肥大化した』、との指摘で、慶應の発言力が高まった理由が理解できた。こうした人事での説明責任を果たすのには難しい面があることは確かだが、それにしても、評議員会・銓衡委員会の議長の岩沙氏は、もう少し説明責任を果たすべきなのではないだろうか。
タグ:大学 (その1)(4年後に全大学がAO入試化、「限界大学」は消える!私立大定員割れの構造、慶應塾長選の不可解) 和田秀樹 日経ビジネスオンライン この方針を受け入れる大学に予算的な措置をつける 、対人恐怖の傾向があるが、能力が高い受験生なども不利になるだろう おそらく予備校が本格的にこの対策を行うようになれば、それを受けた受験生が圧倒的に有利になるだろう。そういう予備校に通うお金のない受験生やそういう予備校のない地方の子どもたちは不利になる 日本の大学教授はお世辞にも面接のプロとは言えない 受験の世界に長く携わり、また精神医学を学んできた者としては、さまざまな危険をはらんでいるように見える すべての大学がAO入試化 4年後に全大学がAO入試化、経済格差を後押し? 従来型の入試で養われた計画性、探求力が犠牲になる恐れ 2020年度の大学入試 センター試験が廃止され、「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」(以下、「希望者テスト」と呼ぶ)が導入 集団面接や小論文、自己推薦書にしても、予備校が対策したり、大人が代筆した人間が有利になるのは容易に想像できる。ここでも格差が広がる 調査書重視というのも、現行の調査書が、学力だけでなく、意欲や態度など教師の主観部分が75%程度を占めることを考えると、教師に気に入られようとする高校生が増えかねない ペーパーテスト学力の斬り捨ては世界の方向に逆行 米国も英国もアジア諸国もすべて、ペーパーテストの学力を重視する方向に舵を切った。その手本とされたのが日本 ・「従来型の学力」をみっちりつけさせて、大学教育でそれ以上の学力を充実させるのが国際標準だというのに、日本は大学の教授ばかりが審議会の委員のためか、世界で評価の高い初等中等教育の改革(というかこれまでのものの否定)ばかりに力が入れられ、優秀な海外の留学生に魅力のない大学の改革がまったく行われようとしない なんのために「受験勉強」をするのか 記憶力は鍛えられるし、覚えるためのテクニックを身につける人もいるだろう ノウハウとしての学力を受験勉強で身につけることが私は受験勉強の意義と考えている 今回の「答申」や「最終報告」では、「従来型の学力」の否定ありきで、これまでの受験の良かった点の検討がなかったが、むしろ長所を伸ばすほうが受験の成功にも近づけるし、大人になってからも強いはずだ 東洋経済オンライン 「「限界大学」は消える!私立大定員割れの構造 差し迫る「2018年問題 2018年問題 18歳人口 おおよそ20万人が減ることになる 大学進学者は10万人以上減ることになり、入学定員500人の大学が200校以上消えてしまう計算 近畿大学のように着実に成長を続ける大学もあれば生徒の募集や教職員の取りまとめに苦戦し、息絶え絶えの大学がある ゴールデンセブン 1986年から92年 受験戦争は加熱し、受験校数は平均で10回を超え、受験料収入だけでも莫大な収入になった 長期的な視点の有無が左右する うまくいっている大学は長期的な視点で身の丈にあった取り組みをし、衰退している大学は、流行に追随し、その場しのぎの改革に取り組んでいるように思える 山田厚史 ダイヤモンド・オンライン 慶應塾長選の不可解、なぜ教職員投票2位候補に決まったのか 元経済学部長の細田衛士教授が最高得票 評議員会は得票2位の元文学部長・長谷山彰教授を選んだ 不透明な選考過程への違和感が学内に広がっている 長谷山氏は、清家篤塾長を8年間、常任理事として支えた№2 学内政治から距離を置く細田氏に得票が集まったのは「執行部への批判票」とも見られている。それが評議員会でひっくり返った 教職員投票1位の候補を評議員会が追認するのが慣例 議長である岩沙弘道・三井不動産会長 「塾長銓衡(せんこう)委員会は長谷山氏を選んだ」と報告、議論もないまま「長谷山候補を塾長とすることにご異議は…」と、いきなり拍手による承認を求めた 拍手の中で「異議あり」の声があちこちから上がった 慶應の内規では「塾長を選ぶのは評議員会」と決まっている。教職員の投票は、候補者を絞り込むためで「票数はあくまで判断材料」(慶應広報)という 常識に基づき現場の判断を尊重する不文律が破られた 学外の人が半数を占める評議員会を最高決定機関としているのはなぜか 慶應は様々な職業の多くの社会人に支えられる組織にしたいという理想があった。常識ある社会人の代表に最終決定を委ねているという制度だった この制度はコモンセンス、つまり常識がなければ機能しません。常識があれば専門家集団が下した評価は、よほどのことがない限り尊重すべきです。もしそれを変えるとすれば十分に納得できる説明をするのがコモンセンスです。今回、その常識が崩壊したということです 議長を除き、意見を表明した10人のうち9人が塾長の選ばれ方に疑問を投げかけている 下馬評が高かった慶應病院長は医学部で候補を一本化できず脱落 橋竜・塩爺の慶應コンビが福沢諭吉を1万円札にした頃から「慶應の天下」が始まった、といわれる。予算は増え、政府の重要審議会に呼ばれるなど「世俗化」が進むにつれ、塾長の仕事は増え、権限も肥大化した
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