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格差問題(その2)(低所得者こそ賃金が上がらない」という矛盾、「やりがい搾取」の共犯?文科省公認の天職信仰、格差拡大を放置すると日本の社会は瓦解する) [経済政策]

格差問題については、昨年6月28日に取上げた。今日は、(その2)(低所得者こそ賃金が上がらない」という矛盾、「やりがい搾取」の共犯?文科省公認の天職信仰、格差拡大を放置すると日本の社会は瓦解する) である。

先ずは、2月6日付け東洋経済オンライン「「低所得者こそ賃金が上がらない」という矛盾 完全雇用なのになぜ賃金上昇率が鈍いのか」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・毎年恒例の春闘シーズンがやってきた。 経団連(日本経済団体連合会)の榊原定征会長と連合(日本労働組合総連合会)の神津里季生会長が2月2日にトップ会談を行い、いよいよ春闘が始まった。経団連は1月17日に、いわゆる経労委報告(経営労働政策特別委員会報告)を公表し、今年の春闘に臨む方針を示している。
▽市場環境は良いのに組合は及び腰?
・労働市場をみる限り、労働者側にとって今春闘も追い風が吹き、賃上げの環境は十分整っているようにみえる。2016年12月の有効求人倍率は1.43倍(季節調整値)。1991年7月(1.44倍)以来の売り手市場が続いている。 失業率も昨年7月以降3.0~3.1%で推移している。労働力人口は1998年にピークを迎え、今後減り続ける一方だという労働需給を考えれば、もう少し賃金が上昇してもおかしくないはずだ。
・ところが労働組合の要求はいかにも及び腰だ。今春闘に関して連合が掲げるのは、昨年と同水準の「2%程度」のベースアップ。なぜ高い賃上げを要求しないのかについて、野村證券の美和卓チーフエコノミストは「日本固有の終身雇用制と年功序列賃金という労働慣行が(賃上げ要求の)ボトルネックになっている可能性がある」という。定年まで雇用を保障してもらう代わりに、賃上げをあきらめるというバーターが成立しているのではないかというのだ。
・あらためて東芝のケースを引くまでもないだろう。優良とされる大企業ですら明日をも知れず、ちょっとした出来事で企業経営が傾いてしまう不確実性の時代である。労働組合幹部が賃上げを強く要求しないことは理解できなくもない。
▽派遣労働では平均時給がむしろ下落している
・足元の賃金動向をみると、賃金は伸び悩んでいる。 厚生労働省の毎月勤労統計調査によると、現金給与総額は2016年には5月を除きほぼ前年同月比プラス圏を維持している。ただ、8月、9月は横ばい、10月は0.1%増、11月は0.5%増と伸びは鈍い。
・気になる動きもある。派遣大手のエンジャパンの調べでは、2016年12月の派遣平均時給は1535円、3カ月連続で前年同月比マイナスに沈んだ。同社では「昨年10月の社会保険に関する法改正の影響で、介護関連職を中心に、夫が扶養控除を受けられる範囲内で働くように就業調整をする主婦層が多かったせい」と分析している。 社会保険料の負担をしないように収入を調整する場合は、「労働時間を減らす」「時給を下げる」の2通りがある。同社は「介護職場の人手不足の現状もわかっているので、主婦らが時給引き下げを受け入れたのではないか」と推測する。
・16年10月以降、従業員501人以上の企業で、週20時間以上働く短時間労働者も健康保険や厚生年金保険に入らなければいけなくなった。年金保険料を納めれば、将来受け取る年金額が増えるメリットもあるのだが、目先の保険料負担を嫌い、加入対象とならないよう労働時間を抑えるなど、就労調整する動きが懸念されていた。介護派遣の事例は、こうした懸念が現実化したことを示している。
・失業率がこれだけ下がっているのになぜ賃金が上昇しないのか。もう少し大きな視点でみたときに、どういうことが考えられるのだろうか。
・モルガン・スタンレーMUFG証券の山口毅シニアエコノミストは「春闘は高い水準ではないが、中小企業やパート労働者の時給は上昇している。失業率が2%台半ばから後半に下がってくると、賃金と物価の上昇率も加速してくるのでは」とみる。 失業率と物価の間には負の相関があることが経験的に知られている。いわゆる「フィリップス曲線」だ。グラフの横軸に失業率、縦軸にインフレ率をとると、右肩下がりのフィリップス曲線が描ける。これまでは失業率の低下に対して縦軸のインフレ率の上昇幅は小さかったが、失業率が3%を切る水準まで下がってくると、インフレ率の上昇幅が大きくなるというわけだ。
・だが、同社チーフエコノミストのロバート・フェルドマン氏は「ロボットなどの登場により、賃金の高い仕事から賃金の低い仕事に労働者が移ると、購買力は落ちるので、失業率は変わらないのに物価は下落してしまう。つまり、所得格差によってフィリップス曲線が下方にシフトしたのではないかという、新しい仮説が米国で登場している」と話す。
▽米国では賃金上昇率が二極分化する現象
・米国のケイトー研究所のマーチン・ベイリー、バリー・ボスワース両氏は、論文「長期の成長低迷に関する説明」の中で次のように指摘している。 第二次大戦後から1970年代初めにかけて農村から都市へ低廉な労働力を吸収する過程が終了すると、賃金が全面的に上昇することが起きなくなる。その結果、イノベーションの恩恵を受ける高所得、高スキル労働者と、そうではない低所得、低スキルの労働者に二極分化する。現在の米国では、より多くの雇用が高い離職率、低い生産性、低賃金の労働に押し込められ、グローバルな競争やテクノロジーの進化にさらされる企業にとっても、従業員を教育・訓練したり、離職しないよう高い賃金を払う雇用戦略を採らないことが合理的になり、そのことが一層の所得の不平等と賃金低下を招いているのだという。
・ベイリー氏らの指摘は米国に関するものだが、雇用の二重構造が賃金上昇の頭を抑えているとの議論は説得力がある。 ただ、フェルドマン氏は「日本における2015年末の外国人労働者の数は前年末と比べて12万人増えたにもかかわらず、賃金上昇は加速した。日本の場合は米国とは少し異なるのでは」と指摘している。日本に当てはまる考え方なのか否か、今後の検証が必要なように思われる。
http://toyokeizai.net/articles/-/156292

次に、健康社会学者の河合薫氏が2月28日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「「やりがい搾取」の共犯?文科省公認の天職信仰 大学キャリア教育と成功者の体験談が招いた誤解」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・今回は「アルバイトにはお金以上の“価値”があるか?」について、アレコレ考えてみる。 個人的な見解を先に述べると、「ある」と言えばあるし、「ない」と言えばない。
・私は「時給が高い」という理由で、学生時代に家庭教師をしていた。単なる「お小遣い」稼ぎ。それ以上でも以下でもなかった。今思えば、かなり恵まれた学生生活を送っていたのだと思う。 なので何一つ、バイト、への期待はなかった。家庭教師をすることが、自分にとってどういう意味や価値があるかなんて、微塵も考えなかった。
・だが、実際に家庭教師をやってみるといろいろな出来事があり、子どもに教えることで自分が学び、子どもの家庭で毎週2時間も、面と向かって過ごした経験は私の大きな財産となった。 とはいえ、それらはバイトをしているときに気付いた価値ではない。 年を重ね、社会人として仕事をしているうちに、「ああ、あのとき……」といった具合に記憶の箱から引っ張り出され、“価値”あるものとなったに過ぎない。つまり、すべて後付け、である。  ところが、最近はバイトをする当事者である学生たちが、リアルタイムで「その価値」を考え、バイトをやるうえでの「モチベーション」にする時代になってしまったようだ。
・アルバイト情報「an」と金城学院大学の学生が共同で、次のような動画CMを作成し、物議をかもしているのである。 カフェのバイトでコップを割り、店長らしき人物に叱られ落ち込む学生。「気にしなくていいよ」と先輩が励ますけど、元気が出ない。 そこにやってきた常連のお客さんが声をかけた。 「なんか元気そうじゃないね。キミに珈琲を入れてもらうと、いつも商談がうまくいくんだよね。だから笑顔で頼むよ」 「ありがとうございます!」元気になる学生。 「よかったね」と駆け寄る先輩……  「アルバイトにはお金以上の価値がある」
▽「これ、やりがい搾取じゃん!」
・動画は3本作成されていて、これは「主人公編」だ。残りの2本は全く同じ状況を、「主人公を心配していた先輩」と「内定をもらえなかった学生の客」の視点で捉え、同時に公開された。 ブラックバイト、恵方巻きノルマ、といった「アルバイト」に関する報道に加え、“やりがい搾取”が問題になっているご時世だ。 「お金以上の価値」なんてフレーズを使えば、待ってました!と言わんばかりに、ネット界の突っ込み隊が暴れ出す。その予想どおり「あるわけねーだろ」というツイートと共に、一気に拡散し、 「これ、やりがい搾取じゃん!」 「ありえね~」 「ブラックバイト推進運動か?」 「やりがい、なんて余裕ある時代の話。今の学生は生活のためにバイトすんだよ!」 などなど、批判の嵐となった。
・……、学生たちが言わんとしていることはわかる。 「バイトで失敗すると、メチャ落ち込む~」 「うん、折れる」 「自分では一所懸命やってるのに、タルんでるとか言われちゃって~」 「マジ、折れる」 「でもさ~、そんなときお客さんから感謝されたりすると、ちょっと元気でるんだよね~」 「そうそう。こんな自分でも、誰かの役にたってるんだ、ってメチャ救われる~」 「やりがい!」 「そう、やりがい!」 「うん、やりがいのある仕事って、いいよね!」 「……アルバイトにはお金以上の価値がある……」 なんてやりとりの末、できあがったCMなのだろう(完全なる私の妄想ですので、あしからず)。
▽“結実”した文科省のキャリア教育政策
・そもそも、今の学生は「やりがい」が大好き! かつての「好きな仕事探し」「自分にあった仕事探し」は、「やりがい」という言葉に集約され、彼らは「やりがい」という言葉を頻発する。 「CAとお天気キャスターって、どっちのほうがやりがいがありましたか?」だの、 「銀行とメーカーって、どっちのほうがやりがいがあるんでしょうか?」だの、 答えようがない質問を、何度学生からされただろうか。
・なぜ、彼らは「やりがい」にこだわるのか? はい、そう教育されたからです! そう。これぞ、大学のキャリア教育の賜物。文科省の下で進められてきた「キャリア教育」が、10年の月日を経て、見事に“花開いた”。  2006年11月に文科省が作成した「小学校・中学校・高等学校 キャリア教育推進の手引」には、それぞれの発達段階で目標とされるべき「キャリア教育」が示されている。
・高等学校のそれは、 「生きがい、やりがいがあり自己を活かせる生き方や進路を現実的に考える」 「自己の職業的な能力、適性を理解し伸ばしていく」 など。 書いてある理念そのものには、さしたる問題はない。が、“やり方”が悪かった。その結果、「考える」が「探す」になり、「理解し伸ばす」が「自己分析する」に成り変わった。
・大学が就職への“通過地点”になってしまったことで、どこの大学もキャリア教育に異常なほど力を注いでいることは、改めていうまでもない。 とりわけ地方の大学は必死だ。大学の生き残りをかけ地元の企業や高校と連携し、キャリア教育を進めているケースも多い。こういった取り組みは学生にとってもプラス面も多く、決して悪いことではない。
・オトナたちが企業、大学、高校の枠を超え、学生のこと、地域のこと、をアレコレ考える。その作業に私も関らせていただいたことがあるが、率直に「いいな」と感じた。 もちろんこれまで何度も書いているとおり、大学の本業は「学問」と個人的には思っているので、キャリア教育に過剰なまでに力を入れる流れには合点できない部分も多い。だが今回は、ソレをアレコレ考えるのが主たるテーマではないので、そこは「おいといて」先に進める。
・えっと、つまり、地域を巻き込んだキャリア教育は、教科書的に行われる「キャリア教育」と違い、“人との交流”の中で行われ、オトナも学生も「自分たちの住んでる町」のことを考えるので、結果的に、ソーシャル・キャピタルを豊かにするいい試みだと思った次第だ。
▽すると、学生たちはショックを受ける
・問題は、「人生の先輩」による講義形式のキャリア教育である。 私自身、何度もやった。講義の目的が「キャリア経験をオトナが話す」というものなので、どうしたって自分のキャリアを振り返り、記憶の箱をこじ開け、「働くということは、お金を得るためだけのものではない」という話になる。
・仕事を選ぶという作業は、人生に多大な影響を及ぼす大切な行為だ。ただ、私の場合、大学を出るときには「キャリア意識」の“キ”の字もなく、結果的に今のキャリアになっただけなので、 「仕事なんてものは、やりたいとかやりたくないとか関係なく、やらなくてはならない仕事が9割。自分のやりたい仕事なんてできるのは、10年たってからだ」だの、 「石の上にも3年」だの、 「何も考えずに目の前のことをやってきただけ」だの、 「目の前のことがきちんと出来ない人が、夢もへったくれもあったもんじゃない」だの、 「好きな仕事というのは、働いているうちに見つかるものだ」だの、 働いているオトナであれば、誰もがわかっている“超現実”を話すことになる。
・すると学生たちはショックを受ける。「そんなこと誰も言ってくれなかった」と。私が話すような“現実”は、ブラックだの、昭和の精神論だと言われ、世間では批判されているのでビビる。 なので「どうしてもしんどくなったら逃げろ」と、で「どうしても助けが必要になったら、連絡して」と、ひとりの“友人”としてメッセージを伝えると、緊張した顔がやっと和らぐのです。
・つまり、文科省指導のマニュアルに基づき、「生きがい、やりがいがあり自己を活かせる生き方や進路を現実的に考える」という美しいキャリア教育を散々受け、いわゆる成功者”とされる方々が、「やりがい」の重要性を謳い、後付けでしかない「価値」、後付けでしかない「成功体験」を誇示するので、彼らは「夢」を見る。  「好きな仕事」は探せばあると信じ、「やりがいのある仕事」ができる仕事に就けば、輝かしい人生の扉を開くと期待する。
・そんな“天職信仰”に取り憑かれている若者が量産されている“今”だからこそ、「仕事を斡旋する側」が、「やりがい搾取」をイメージさせるキャッチを使ったらダメ。 もちろん「アルバイト」というのがン十年前の“学生”にとってもそうだったように、お金目的であることが前提で、「でもね、それだけじゃないよ~」 「働くって、こんなこともあるんだよ」というメッセージを伝えたかっただけなのかもしれない。 それでもやはりNG。「お金以上」という文言は危険だ。せめて「お金以外」にすべきだった。
・とかくいまどきの学生たちは、過剰なまでに「失敗」を恐れる。 失敗とは言い切れないほど些細なことでさえ落ち込んだり、わからないことがあっても「こんなこと聞いたら、ダメなヤツって思われるから聞けない」などと子羊のごとく怯えたり。 感度の高いセンサーを持つ若者は、“オトナ世界”が、たった一回の失敗でも「ダメなヤツ」「使えないヤツ」とレッテル貼りするのを知っているのだ。
・なので上記の動画が「失敗」から始まっているのは、実に“今”らしいし、先輩を出演させたのも、“仲間至上主義”の学生らしい。と同時に、「しんどいけど、こんないいこともあるよ!」というのも、小さな幸せ探しに長けている今どきの学生らしい、真っすぐすぎるほど素直な演出である。
▽もはや、「たかがバイト」ではない
・なぜ、「ブラックバイト」という言葉が生まれたのか? アルバイトをする学生の中には「お小遣いのため」ではなく、「生活のため」に働いている学生も多い。学費はかなり高くなっているし、親の賃金も上がっていないので仕送りも減少した。返済地獄に陥りたくないとの不安から、奨学金申請をためらう学生もいる。 おまけに、昨今の労働市場を精査すると、「たかがバイト」ではないこともわかる。
・企業はやっかいな「派遣社員」を減らし、手軽な「パート・アルバイト」を増やす方向にむかっているのだ。  その傾向を踏まえ、先週発表された「2016年分の労働力調査(詳細集計)の速報結果」(総務統計局)を見てみると、学生のバイトが実際に増えていることがわかる。
・正規社員は2年連続の増加だが、非正規は7年連続で増加している。非正規の前年比の増減率を年代別にみると、 「15~24歳」=4.3%増 「25~34歳」=3.8%減 「35~44歳」=2.3%減 「45~54歳」=3.1%増 「55~64歳」=0.2%増 「65歳以上」=12.0%増 となっていて、団塊の世代の定年退職などにより増加傾向にある65歳以上の高齢者を除くと、「15~24歳」の伸び率が最も高い(非正規には、パート・アルバイトも含まれる)。
・また、「ブラックバイトユニオン」のHPによると、「フルタイムで働くフリーターの増加も、学生アルバイトの位置づけを変えた」とし、「かつては正社員だけがやっていたような責任の重い仕事が、学生アルバイターのような低賃金の非正規雇用労働者にも押し付けられるになってきた。これを、「非正規雇用の基幹化」と言う」 と記されている。
・学生のバイトにノルマを課したり、欠勤に罰金をとったり。そういった問題も、「バイトがたかがバイトではなく、社員並みの労働を期待している」からこそ起きている問題なのだ。 たかがバイト、されどバイト。 バイトはもはや、バイトではない。 「アルバイトにはお金以上の“価値”がある」は、雇う側が決して口外しない“心のセリフ”なのだ。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/022400093/?P=1

第三に、4月30日付け東洋経済オンライン「格差拡大を放置すると日本の社会は瓦解する 「平等な関係」を構築するための制度とは?」を紹介しよう(▽は小見出し、Qは聞き手の質問、Aは齋藤教授の回答、+は回答内の段落)。
・格差の拡大が社会に深刻な分断をもたらしている。「平等な関係」を構築するため、いかに制度を構想すべきか。『不平等を考える:政治理論入門』を書いた早稲田大学政治経済学術院の齋藤純一教授に聞いた。
▽有利―不利の違いは人々の関係のあり方を決める
Q:なぜ「平等な関係」を築かないといけないのですか。
A:人々にさまざまな点で違いがあることは事実であり、能力や才能の点で互いに等しくはない。問題は、そうした違いが社会の制度や慣行の下で互いの関係における「値しない」有利―不利の違いへと変換されていく点にある。値しないとは、その人に「ふさわしくない」、もっといえば「不当である」という意味合いを含んでいる。機会の平等への道が閉ざされ、将来の見込みのストーリーが成り立たなくなる。
Q:有利―不利の違い?
A:有利―不利の違いは人々の関係のあり方を決める。不利な立場にある人は、より有利な立場にある人の意に沿うことを強いられやすく、また、劣った者として扱われ続ければ屈辱の感情を抱かずにはいられない。不平等が過度のものとなり、固定化すれば、何とか不利を挽回しようとする意欲すら持てなくなる。
Q:社会的には貧困問題にフォーカスされています。
A:格差の拡大それ自体が社会のまとまりを破壊し、分断していく。そういう社会に日本もなってきた。誰と結婚するかばかりでなく、どこに住むか、どこで教育を受けるかなど、あらゆるところで分け隔てられる社会になりつつあるのではないか。
+人々が互いのことを知らない。とりわけ裕福な人が、厳しい状況にある人の実態をつかめなくなっている。となると、たとえば社会保障制度で年金を一緒に維持していく動機がわからなくなっていく可能性がある。裕福な人は私的年金で済むから公的年金をやらなくていいと。社会の連帯、統合の面では大いにまずい。経済的・社会的な不平等が政治的影響力の格差にも波及していってしまう。
Q:セーフティネット整備が重視されます。
A:所得が十分でない人は生活保護でといった考え方になってしまう。生活保護では働くインセンティブが弱いし、とかく給付が問題視もされる。 社会保障は事後的な救済としてではなくて、若い時代から不利な条件をなくし、平等な足場で社会の舞台に立っていけるようにプロモートする機能こそ重要だ。だが日本の社会保障制度はこの点が弱い。たとえば政府の教育支出はOECD(経済協力開発機構)諸国の中で下から2番目だとか。
+たとえば、いくら才能があっても家庭が貧しいから大学に行けないといったことにもなる。社会全体で見れば生かせたはずの資源が生かせない。挫折しやすい条件で社会に入れば、それだけ転落もしやすい。こういう社会問題に対処するコストも増えかねない。
+子供の貧困に関心が集まっているにしても、後期高齢者への重点志向から転換し、早期幼児教育から始め切れ目なく若者を支援する制度に切り替えないと、分断社会での将来世代の未来は厳しい。
▽唱えられたトリクルダウンは起こらなかった
Q:実証できなかった均霑(きんてん)理論への反省?
A:1980〜90年代に「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちる」とするトリクルダウン効果(trickle-down effect)が唱えられた。しかし、実際にはそうではなかった。機会が閉ざされているがゆえに才能や適性を生かすチャンスが与えられないと、社会の停滞を招く。ある一部に富が偏るよりも、ボトムの活性化に力を入れたほうが、経済的な観点からいっても効率的だと考えを切り替えたほうがいい。
Q:福祉国家的な方向もある?
A:福祉国家志向でも、民主主義のあり方によってだいぶ社会保障制度が違ってきている。今、大きくいえば2つの流れがある。米英、ドイツもそうだが、トップダウンによる新自由主義的な思考の国は、減税の一方で、その分社会保障もカットする。そして働いていない人は、ワークフェアで無理やり職に就かせる方向だ。
+一方、フランスやオランダの場合は社会参入のルートや手立ての厚みを増すことを優先する。こちらは各種の組織・運動体がさまざまな観点を突き合わせて、ボトムアップで社会にかかわっていくルートを開拓する。正規での完全雇用は無理としても、補完的な所得との組み合わせで収入水準を確保する方向だ。
Q:「完全従事」を目指す社会ですか。
A:今後も正規雇用で十分な収入が得られて生活の安全保障を構築できるという人は一部だろう。今や生産性が高い企業はあまり人を吸収しなくなっている。しかも人工知能が活用されてくるので、十分な収入が得られる職種はさらに限られてくる。 そのため、いろいろな組み合わせで働く。単に1つの仕事をするのではなく、たとえば雇用は部分的で、残りのある部分は自営で働き、それでも十分な所得に達しない場合には給付型税額控除、つまり「負の所得税」で収入を補っていく。
+雇用(エンプロイメント)ではなくて従事(エンゲージメント)、それが広い意味での「働く」になる。教育や訓練を受けることでもいい。社会的に有意義な活動に携わってもいい。ボランティアや社会的企業でケアワークに従事するのでもいい。それら全体をエンゲージメントとして評価しサポートする制度だ。
▽自律の保障こそが重要
Q:熟議デモクラシーが支えになる?
A:政治は数の力とおカネの力で動かされやすい。熟議デモクラシーは理由の力が主軸になる。なぜこの政策がいいのか、または危ないのか。正当化している理由について、市民社会のいろいろな場で行われる議論を組み合わせ、突き合わせて意思形成をし、政策を作っていく。
+そういうデモクラシーのあり方なので、数の力やカネの力がなくても、理由の力があれば政策を動かすことができる。1990年代の新潟県巻町、岐阜県御嵩(みたけ)町や徳島県の吉野川河口堰(ぜき)での住民投票が事例になる。単に直接投票をしているだけではなく、集中して情報交換、意見交換をして、専門家を交え勉強もする。そうすると、思い込みや今まで持っていたイメージが変わり、共通してコミットできる価値がよくわかってくる。
Q:個々人の自律が問題に。
A:基本的に制度にも人にも依存し、生活を送るのが人として当たり前の姿だ。依存しながらも他者から支配されない、言いなりにならないように、自律の条件を作っていくことが社会保障の役割だ。自分の感じていること、思っていることを表明できるような自律の保障こそが重要なのだ。
http://toyokeizai.net/articles/-/168771

第一の記事で、 『ロバート・フェルドマン氏は「ロボットなどの登場により、賃金の高い仕事から賃金の低い仕事に労働者が移ると、購買力は落ちるので、失業率は変わらないのに物価は下落してしまう。つまり、所得格差によってフィリップス曲線が下方にシフトしたのではないかという、新しい仮説が米国で登場している」と話す』、この米国での仮設が日本にも当てはまるのか、否か、注目されるところだ。
第二の記事で、河合氏が使った「やりがい搾取」なる言葉は初めて知った。なるほど、言われてみれば、そういうことも大いにあり得ると納得した。 『そもそも、今の学生は「やりがい」が大好き! かつての「好きな仕事探し」「自分にあった仕事探し」は、「やりがい」という言葉に集約され、彼らは「やりがい」という言葉を頻発する』、これは 『“結実”した文科省のキャリア教育政策』の賜物らしい。 しかし、 『文科省指導のマニュアルに基づき、「生きがい、やりがいがあり自己を活かせる生き方や進路を現実的に考える」という美しいキャリア教育を散々受け、いわゆる成功者”とされる方々が、「やりがい」の重要性を謳い、後付けでしかない「価値」、後付けでしかない「成功体験」を誇示するので、彼らは「夢」を見る。「好きな仕事」は探せばあると信じ、「やりがいのある仕事」ができる仕事に就けば、輝かしい人生の扉を開くと期待する』、というのは「罪作り」な話だ。河合氏のように本音で講義してくれる講師は例外的なので、『“天職信仰”に取り憑かれている若者が量産されている』、とは恐ろしいことだ。バイトに伴う問題も、 『「バイトがたかがバイトではなく、社員並みの労働を期待している」からこそ起きている問題なのだ』、とはイヤハヤ、大変な時代になったものだ。
第三の記事で、 『不利な立場にある人は、より有利な立場にある人の意に沿うことを強いられやすく、また、劣った者として扱われ続ければ屈辱の感情を抱かずにはいられない。不平等が過度のものとなり、固定化すれば、何とか不利を挽回しようとする意欲すら持てなくなる』、 『格差の拡大それ自体が社会のまとまりを破壊し、分断していく。そういう社会に日本もなってきた』、 『自律の保障こそが重要』、などの指摘は正論でその通りだ。
タグ:ケイトー研究所のマーチン・ベイリー、バリー・ボスワース両氏 そういった問題も、「バイトがたかがバイトではなく、社員並みの労働を期待している」からこそ起きている問題なのだ 「これ、やりがい搾取じゃん!」 不利な立場にある人は、より有利な立場にある人の意に沿うことを強いられやすく、また、劣った者として扱われ続ければ屈辱の感情を抱かずにはいられない。不平等が過度のものとなり、固定化すれば、何とか不利を挽回しようとする意欲すら持てなくなる “天職信仰”に取り憑かれている若者が量産されている 自律の保障こそが重要 ロボットなどの登場により、賃金の高い仕事から賃金の低い仕事に労働者が移ると、購買力は落ちるので、失業率は変わらないのに物価は下落してしまう。つまり、所得格差によってフィリップス曲線が下方にシフトしたのではないかという、新しい仮説が米国で登場している 今の学生は「やりがい」が大好き! かつての「好きな仕事探し」「自分にあった仕事探し」は、「やりがい」という言葉に集約され、彼らは「やりがい」という言葉を頻発する 、「かつては正社員だけがやっていたような責任の重い仕事が、学生アルバイターのような低賃金の非正規雇用労働者にも押し付けられるになってきた。これを、「非正規雇用の基幹化」 早稲田大学政治経済学術院 「低所得者こそ賃金が上がらない」という矛盾 完全雇用なのになぜ賃金上昇率が鈍いのか 問題は、「人生の先輩」による講義形式のキャリア教育 雇用(エンプロイメント)ではなくて従事(エンゲージメント)、それが広い意味での「働く」になる ロバート・フェルドマン 学生のバイトにノルマを課したり、欠勤に罰金をとったり 結実”した文科省のキャリア教育政策 市場環境は良いのに組合は及び腰? 格差拡大を放置すると日本の社会は瓦解する 「平等な関係」を構築するための制度とは?」 齋藤純一教授 アルバイトにはお金以上の“価値”があるか? 文科省が作成した「小学校・中学校・高等学校 キャリア教育推進の手引」 大学が就職への“通過地点”になってしまったことで、どこの大学もキャリア教育に異常なほど力を注いでいる 文科省指導のマニュアルに基づき、「生きがい、やりがいがあり自己を活かせる生き方や進路を現実的に考える」という美しいキャリア教育を散々受け、いわゆる成功者”とされる方々が、「やりがい」の重要性を謳い、後付けでしかない「価値」、後付けでしかない「成功体験」を誇示するので、彼らは「夢」を見る。  「好きな仕事」は探せばあると信じ、「やりがいのある仕事」ができる仕事に就けば、輝かしい人生の扉を開くと期待する。 ・アルバイト情報「an」と金城学院大学の学生が共同で、次のような動画CMを作成し、物議をかもしているのである 「やりがい搾取」の共犯?文科省公認の天職信仰 大学キャリア教育と成功者の体験談が招いた誤解 河合薫 農村から都市へ低廉な労働力を吸収する過程が終了すると、賃金が全面的に上昇することが起きなくなる。その結果、イノベーションの恩恵を受ける高所得、高スキル労働者と、そうではない低所得、低スキルの労働者に二極分化する。現在の米国では、より多くの雇用が高い離職率、低い生産性、低賃金の労働に押し込められ、グローバルな競争やテクノロジーの進化にさらされる企業にとっても、従業員を教育・訓練したり、離職しないよう高い賃金を払う雇用戦略を採らないことが合理的になり、そのことが一層の所得の不平等と賃金低下を招いているのだとい 格差の拡大それ自体が社会のまとまりを破壊し、分断していく。そういう社会に日本もなってきた (その2)(低所得者こそ賃金が上がらない」という矛盾、「やりがい搾取」の共犯?文科省公認の天職信仰、格差拡大を放置すると日本の社会は瓦解する) 日経ビジネスオンライン 派遣労働では平均時給がむしろ下落 格差問題 東洋経済オンライン
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