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右傾化(その2)(いつの間にか日本政治の中枢に浸透した「宗教右派」の源流、「日本人でよかった」6年前の神社本庁ポスターが炎上した理由) [国内政治]

右傾化については、4月29日に取上げた。今日は、(その2)(いつの間にか日本政治の中枢に浸透した「宗教右派」の源流、「日本人でよかった」6年前の神社本庁ポスターが炎上した理由) である。

先ずは、宗教学者 作家 島田 裕巳氏が4月28日付け現代ビジネスに寄稿した「いつの間にか日本政治の中枢に浸透した「宗教右派」の源流 教団は衰退、しかし思想は拡散…」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽持続する心
・先日、関西在住の知り合いが仕事で東京に来たというので会うことになった。知り合いとはいえ、初めて会ったのは去年のことで、付き合いは浅い。 だから、私はほとんど相手のことを知らなかったのだが、話の中で、話題は「生長の家」のことに及んだ。
・生長の家は、戦前から続く新宗教の教団の一つで、創立者は谷口雅春という人物である。谷口は、戦前は日本の軍国主義の体制を支持し、戦後も、右派の宗教家として活躍し、共産主義の脅威を訴え続けた。  ところが、生長の家の方向性は、谷口が亡くなった後に大きく変わり、現在では、谷口の主張を全面的に否定し、エコロジーの実践を中心に据えた教団に変貌している。本部も東京の原宿から山梨県北杜市の山の中に移転した。
・その知り合いは、谷口の時代からの生長の家の会員で、現在でも辞めていないという。 生長の家は、方向性を大きく変えただけではなく、近年になって信者数を大きく減らしている。 各教団は毎年、宗教団体を所轄する文化庁の宗務課に信者数を報告しているが、生長の家の場合、1990年に82万1998人だったのが、2015年では52万1100人に減少している。 これは公称の数字で、はたしてそれがどの程度正確なのかは分からないが、その数字だけでも、生長の家は平成の時代になってからの四半世紀で30万人以上もの信者を失ったことになる。
・生長の家が教団として相当に衰退してきていることはたしかで、しかも、大きく路線を転換したのだから、その知人がとっくに生長の家を辞めていても不思議ではない。 私はなぜ辞めないのかと聞いてみた。 それにはそれなりの答えが返ってきたのだが、私にはそれよりも、もっと本質的な事柄がかかわっているように思えた。
▽新宗教としては特殊
・日本には多くの宗教団体が存在している。とくにキリスト教やイスラム教のような支配的な宗教が存在しないので、その分、数多くの新宗教が生まれている。 主な新宗教としては、生長の家のほかに、天理教、大本、天照皇大神宮教、璽宇、立正佼成会、霊友会、創価学会、世界救世教、神慈秀明会、真光系教団、PL教団、真如苑、GLA(ジー・エル・エー総合本部)がある。 これは、私が『日本の10大新宗教』(幻冬舎新書)で取り上げたものだが、ほかに最近話題になったところでも、幸福の科学や統一教会(現在では世界平和統一家庭連合)などがある。
・ただし、数ある新宗教の中で、生長の家はかなり特殊な教団である。 新宗教に人が集まるのは「貧病争」が原因であると言われる。貧困、病気、家庭内の争い事から救われたいと入信するわけである。 とくに病気が直るということは、どの教団も主張することで、生長の家の場合にも、かつては機関誌である『生長の家』を読みさえすれば病気が直ると宣伝していた。
・その点では、生長の家も一般の新宗教と変わらないことになるが、明確な「思想」があるという点ではかなり特徴的である。 思想があるということは、その思想を実現するために行動するということであり、政治への関心は自ずと強くなる。 実際、谷口雅春は、太平洋戦争がはじまるとそれを「聖戦」として位置づけ、アメリカやイギリスとの和解を断固退けろと主張した。
・戦後になっても谷口は、「日本は戦争に負けたのではない」と、敗戦を合理化した。 そして、東西冷戦の時代が訪れ、保守と革新、右翼と左翼の対立が激しいものになると、戦前の天皇崇拝や国家主義、家制度の復活などを主張するようになり、保守勢力に支持された。
・1964年には、「生長の家政治連盟」を組織して国会に議員を送り込んだ(所属は自由民主党だった)。  1966年には、「生長の家学生会全国総連合(生学連)」が組織され、これは左翼の学生運動と激しく対立した。当時、谷口は、左翼の学生運動を生んだ原因として戦後の憲法体制を激しく攻撃した。谷口の主張は、明治憲法の復活であった。
▽政治思想を持つ教団
・新宗教が政治にかかわる例はある。 戦後すぐの時期には、天理教なども国会に議員を送り込んでいる。その後は創価学会が公明党を組織し、その公明党は現在自由民主党と政権を組んでいる。国会にはまだ議員を送り込んでいないが、幸福の科学も幸福実現党を組織し、数人の地方議員を抱えている。 その点では、生長の家は特殊ではないし、政治的な影響力では、創価学会の方がはるかに大きい。
・しかし、これは多分に誤解されている部分でもあるのだが、創価学会自体はさほど政治には関心をもっていない。それは会員全体について言えることで、創価学会の会員が関心を持っているのは、政治ではなく選挙なのである。 選挙で公明党の議員に勝たせる。それも候補者全員を当選させることが第一の目標であり、それだけを求めているとも言えるのだ。
・そのため、創価学会の会員は公明党の政策についてもさほど関心を持っていない。それは、公明党がかつて日米安保の即時破棄を主張していたところにあらわれている。そんなことは、当時の創価学会はまったく主張していなかった。
・これに対して、生長の家の会員たちは、谷口の政治的な主張に共感し、生長の家政治連盟がそれを国会の場で具体化することを求めていた。生長の家の会員であるということは、生長の家の政治思想に共感し、それを支持するということを意味した。
・私の知人も、谷口の時代に入会しているとすれば、その政治思想を依然として共有しているに違いない。それが、その人物が退会しない根本的な原因ではないか。 教団のあり方がどう変わっても、自分は変わらない。その証として会員であり続けているように思えるのだ。たとえ、その人物が生長の家を辞めたとしても、政治思想は変化しないだろう。
・最近になって宗教右派として注目を集めている「日本会議」の事務局には、生長の家の会員で、生学連のメンバーであった人間たちが入っているとされるが、彼らは、生長の家から離れても、会員であった時代と同じ政治思想を持ち続けているわけである。
▽衰退が思想拡散の契機
・あるいはこうも考えられるかもしれない。 生長の家の教団が谷口時代のような主張を展開していたとしたら、時代に取り残されていくことは避けられない。 過激な天皇信仰は、現在の天皇の姿を考えれば成り立たないし、支持を得られない。 冷戦構造が崩れた以上、共産主義の勢力や左翼を徹底して攻撃しようとしても、相手がいなくなってしまったわけだから、社会的に意味をなさない。 その点で、生長の家の教団が衰退していくのは必然である。社会的な存在価値を失ってしまっているからで、路線の転換も、それが深く関連する。
・ところが、谷口時代に入会した生長の家の会員は、たとえ組織に残っていようと、そこから出てしまっていたとしても、依然として、谷口の政治思想を内心では支持し続けている。だからこそ、日本会議を動かすような人物が生まれてくるわけである。 その点では、谷口の右派的な政治思想を持つ人間たちが、たんぽぽの種が風に乗って飛散していくように、教団の衰退を機に日本社会に散らばったとも言える。
・逆に、生長の家がかつてのような形を取り、会員たちを組織につなぎ止めておいたならば、そうした飛散は起こらなかったかもしれない。 政治的な場面では当然だが、明確な主張をもっている人間は、曖昧な主張しかもっていない人間よりも強い。 明確な主張を持つためには、思想的なバックボーンが必要である。冷戦が続いている時代には、自由主義と共産主義が対立し、それは、国家同士の争いにとどまらず、国内の組織同士、あるいは個人間の対立を生むことになった。
・生長の家の政治思想は、共産主義の政治思想に対立するもので、谷口が生きていた時代には、それぞれの側の思想が、その陣営に属している人間の考え方を規定していた。 ところが、冷戦構造が崩れてから、共産主義の思想は力を失い、それと同時に、リベラルな思想をも弱体化させた。
・現実の政治の世界を見ても、確固とした思想を持つ政治家はほとんど消えてしまった。野党が成り立たないのもそれが関係する。 その中で、生長の家の思想は依然として力をもっている。 戦後、この思想が復活し、力を持ったのは、冷戦の深化という事態が背景にあったからだ。
・今や、アメリカ、ロシア、中国という大国同士の対立が日本の政治状況にも強く影響しつつある。そのなかで、ナショナリズムの傾向が強い生長の家の主張、宗教を背景とした右派的な政治思想は力をもち得るようになってきた。 こうした状況は、今後も長期にわたって続く可能性がある。私たちは、飛散した種がどこでどういう形で芽を吹くかに注目しておかなければならないのである。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51581

次に、ノンフィクションライターの窪田順氏が5月11日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「「日本人でよかった」6年前の神社本庁ポスターが炎上した理由」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・ネット上で大炎上した神社本庁の「日本人でよかった」ポスター。5月3日の憲法記念日前後の護憲派vs保守派のヒートアップを分析していくと、このポスター炎上も情報戦の一端だったことが透けて見える。憲法改正を巡るフラットな議論をしたいのなら、こうした情報戦には気をつける必要がある
▽神社本庁のポスターが大炎上!ネットで侃々諤々の議論に
・ゴールデンウィークの連休に入る直前、ネット上では1枚のポスターをめぐる論争が起きていた。 微笑む女性と日の丸があしらわれたそのポスターには、「私、日本人でよかった。」というコピーがつけられており、下の方にはやはり日本の国旗とともに、「誇りを胸に日の丸を掲げよう」なんて呼びかけがされている。制作したのは、全国の神社が加盟する「神社本庁」である。
・これを京都市内で見かけたというTwitterユーザーが投稿した画像がまたたく間に拡散され、「気持ち悪い」「外国人観光客がみたら異常だと思う」「誰がなんの目的で?」という否定派と「日本人でよかったと思うことが、なにが問題なの?」という肯定派の間でバチバチのバトルが繰り広げられたのだ。
・これに火に油を注ぐ形となったのが、「モデルの国籍」だ。ネット民たちが持ち前の調査力を活かし、ポスターの女性が大手写真画像代理店「ゲッティ イメージズ」が管理している女性のイメージ画像と酷似していることをつきとめた。問題は、彼女がプロフィールで「中国人女性」となっていること。これで一気に「大炎上」となった。
・「愛国」を呼びかけるプロパガンダ広告が、実はそういうイデオロギーを掲げる人が忌み嫌う他民族の方の写真を使っていた、というブーメラン的な現象というと、ナチスの「最も美しいドイツ・アーリア人の赤ちゃん」を思い浮かべる方も多いだろう。 ナチスがヨーゼフ・ゲッベルス国民啓蒙・宣伝相のもとで、国民に対してさまざまなプロパガンダを仕掛けたことは有名だが、実はその一環で「最も美しいドイツ・アーリア人の赤ちゃん」を選ぶコンテンストなんてものまで催されていたことはあまり知られていない。
・そこで週刊誌の表紙を飾ったかわいらしい生後7ヵ月の赤ちゃんは、国民に「ドイツ人でよかった」と思わせるのに効果てきめんだったが、近年になってから衝撃の事実が発覚する。 なんとこの赤ちゃん、ナチスが忌み嫌ったユダヤ人だったのだ。 アメリカへ逃げたご本人が名乗り出て、その時の表紙をホロコースト記念館に寄贈したとAFPが2014年7月に報じている。
▽2011年制作のポスターが なぜ今、炎上したのか?
・エスノセントリズム(自民族中心主義)というものが必ず後頭部に突き刺さる特大ブーメランになる、ということを示す好例だが、これを今回の「愛国ポスター」とダブらせて、いわゆる「右傾化」の批判を展開している方も少なくないのだ。
・もちろん、「どこの国だって自分の国を誇りに思っている。それができない方が異常」という意見もある。このあたりは、政府が推し進める教育改革の「愛国心」という部分にも関わっていることなので、罵り合いだけではなく、ぜひ建設的な議論をしていただきたいと心から願う一方で、個人的にはそれよりも気にかかることがある。 それは、なぜこのタイミングで「炎上」をしたのかということだ。
・ハフィトンポストの取材で神社本庁が回答しているように、実はこのポスターが配布されたのは2011年。筆者も数年前からこのポスターを何度か見かけている。当時は東日本大震災後、日本中で「がんばろう日本」の大合唱がなされている時期だったので、その手の「日本を元気づけさせる系スローガン」だと思っていた。 無論、当時から違和感を覚えた方も多いようで、13年7月にはネット掲示板に《「私、日本人でよかった」という奇怪なポスターがアチコチに貼られていると話題に》というスレッドも立てられて注目を集めている。また、これと同様に、日の丸掲揚を呼びかける「愛国ポスター」は他にもいくつか存在し、それらも合わせて話題になっていた。
・では、そのようなわりと昔から一部では知られた存在だった「愛国ポスター」がなぜここにきて、再びスポットライトを浴びたのか。 いろいろな意見があるだろうが、個人的には「護憲派」のみなさんによる「扇動」が大きいと思っている。つまり、一般の方のTwitter投稿を炎上させようという明確な意志を持った方たちが拡散することで、話題化に成功した、ということだ。
▽改憲勢力にがっちりコミットする神社本庁は護憲派の仇敵
・「おーい、ここにも戦争大好きヒトラー安倍の信者がいたぞ!」と怒り出す方も多いかもしれないが、筆者は「護憲派」のみなさんに、なにか特別な感情を抱いているわけではない。 ただ単純に、ここ数年のみなさんの動きを客観的に見ていれば、ゴールデンウィークあたりに今回のポスター制作主である「神社本庁」を批判する動きが活発化しているのがよくわかるからだ。
・憲法9条を愛する平和的な人たちがなぜ神社をディスらなくてはいけないのかというと、「神社本庁」が憲法改正を掲げ、安倍政権など改憲勢力の力の源泉になっているからだ。 「保守のマドンナ」として知られる櫻井よしこさんが共同代表をつとめる「美しい日本の憲法をつくる国民の会」(以下、国民の会)。この国民の会は、籠池さんですっかりメジャーになった「日本会議」が主導していることで知られるが、実は「神社本庁」もガッツリからんでいる。
・「日本会議」の副会長で「国民の会」の代表発起人のひとりは、「神社本庁」の田中恒清総長なのだ。 さらに、「神社本庁」が組織した政治団体「神道政治連盟」の主張に賛同する超党派議連「神道政治連盟国会議員懇談会」には、衆議院225名、参議院80名(平成29年4月現在)が参加しており、そこには安倍晋三首相をはじめ自民の保守がずらり。07年に今回のポスターと瓜二つの「日本人でよかった」ポスターで出馬された丸川珠代五輪担当相もメンバーだ。
・「護憲派」のみなさんからすれば、「神社本庁」は憲法改正をたくらむ「悪の組織」なのだ。 ご覧になった方も多いだろうが、15年からは初詣客で賑わう神社に「国民の会」のブースを設置、参拝客に署名を呼びかるほか、それぞれの神社の宮司が「氏子」に憲法改正の必要性を訴え、署名集めを依頼するという事態も起きている。なぜそんな昔の日教組みたいなことをしているのかというと、15年に長野市内で開かれた日本会議の支部総会で事務局員が語った言葉がわかりやすい。 「これは請願署名ではない。国民投票という大空中戦で投票を呼びかける名簿になる」(毎日新聞2016年5月4日)
▽護憲派vs保守派の情報戦はフラットな議論の邪魔になる
・こういう動きを誰よりも敏感に感じ、その芽をつぶしてしまおうとがんばっていらっしゃるのが「護憲派」のみなさんだ。 そんな彼らのテンションがマックスになるのが、5月3日の憲法記念日周辺である。実はこの日は「日本会議」や「国民の会」などの憲法改正推進団体だけではなく、「九条の会」などの護憲派もさまざまなイベントを催しているのだ。
・そうなると俄然ネットも盛り上がる。「市民」のみなさんの反原発デモの「参加」や「連帯」の呼びかけが、いまやビラではなく、SNS上でおこなわれる、というのはいまさら説明の必要がないだろう。 想像してほしい。憲法記念日という1年に1度のイベントを前にSNS上で「護憲派」のみなさんがさまざまな情報をやりとりしているなかで、ひょこっと京都の街で不気味なポスターと見たという投稿がひっかかる。かねてから一部で叩かれてきた「愛国ポスター」だが、SNSの反応を見る限り、まだ「鮮度」が落ちていないようだ。 これを拡散しない手はない。もし筆者が「護憲派」だったら、ここぞとばかりに「愛国プロパガンダだ!」とバッシングにまわる。
・断っておくが、批判をしているわけではない。「情報戦」というものはタイミングがなによりも大事であり、過去の使い古されたネタであっても、それが有効である場合は躊躇なく再利用し、敵対する相手へのカウンターにすべきであり、今回の「愛国ポスター」の炎上騒動は、その可能性があると申し上げたいのだ。
・「護憲派」もしくは「保守派」で考えが固まっているみなさんにとっては、このような話をしても意味がないが、もし憲法についての議論をフラットに眺めたいという人は、このような「印象操作」に気をつけていただきたい。  「平和憲法」をめぐる、熾烈な「情報戦」はすでにはじまっているのだ。
http://diamond.jp/articles/-/127488

島田氏が 『日本には多くの宗教団体が存在している。とくにキリスト教やイスラム教のような支配的な宗教が存在しないので、その分、数多くの新宗教が生まれている』、との指摘は確かにその通りだ。成長の家について、 『戦後になっても谷口は、「日本は戦争に負けたのではない」と、敗戦を合理化した。そして、東西冷戦の時代が訪れ、保守と革新、右翼と左翼の対立が激しいものになると、戦前の天皇崇拝や国家主義、家制度の復活などを主張するようになり、保守勢力に支持された』、とは驚くべきしぶとさだ。宗教とはそれだけ信者を虜にするということなのだろう。 『ナショナリズムの傾向が強い生長の家の主張、宗教を背景とした右派的な政治思想は力をもち得るようになってきた。こうした状況は、今後も長期にわたって続く可能性がある』、との指摘もその通りなのだろう。
窪田氏の記事のなかで、 『「愛国」を呼びかけるプロパガンダ広告が、実はそういうイデオロギーを掲げる人が忌み嫌う他民族の方の写真を使っていた、というブーメラン的な現象』、というのではスポンサーの神社本庁や広告代理店の当時の慌てぶりは相当なものだったのだろう。 『ナチスの「最も美しいドイツ・アーリア人の赤ちゃん」』、が実はユダヤ人だったとして、 『エスノセントリズム(自民族中心主義)というものが必ず後頭部に突き刺さる特大ブーメランになる、ということを示す好例』、との指摘は初めて知った。 『15年からは初詣客で賑わう神社に「国民の会」のブースを設置、参拝客に署名を呼びかるほか、それぞれの神社の宮司が「氏子」に憲法改正の必要性を訴え、署名集めを依頼するという事態も起きている。なぜそんな昔の日教組みたいなことをしているのかというと、15年に長野市内で開かれた日本会議の支部総会で事務局員が語った言葉がわかりやすい。「これは請願署名ではない。国民投票という大空中戦で投票を呼びかける名簿になる」』、と日本会議や神社本庁が、初詣を政治的に利用しているといのも初めて知った。これでもまだ「中立的立場」を続ける窪田氏には、失望した。
なお、27日から29日は更新を休むので、30日にご期待を!
タグ:右傾化 日本には多くの宗教団体が存在している。とくにキリスト教やイスラム教のような支配的な宗教が存在しないので、その分、数多くの新宗教が生まれている ダイヤモンド・オンライン なぜそんな昔の日教組みたいなことをしているのかというと、15年に長野市内で開かれた日本会議の支部総会で事務局員が語った言葉がわかりやすい。 「これは請願署名ではない。国民投票という大空中戦で投票を呼びかける名簿になる」 15年からは初詣客で賑わう神社に「国民の会」のブースを設置、参拝客に署名を呼びかるほか、それぞれの神社の宮司が「氏子」に憲法改正の必要性を訴え、署名集めを依頼するという事態も起きている 「日本会議」の副会長で「国民の会」の代表発起人のひとりは、「神社本庁」の田中恒清総長なのだ。 さらに、「神社本庁」が組織した政治団体「神道政治連盟」の主張に賛同する超党派議連「神道政治連盟国会議員懇談会」には、衆議院225名、参議院80名(平成29年4月現在)が参加しており、そこには安倍晋三首相をはじめ自民の保守がずらり。07年に今回のポスターと瓜二つの「日本人でよかった」ポスターで出馬された丸川珠代五輪担当相もメンバーだ 窪田順 生長の家の方向性は、谷口が亡くなった後に大きく変わり、現在では、谷口の主張を全面的に否定し、エコロジーの実践を中心に据えた教団に変貌している 戦前は日本の軍国主義の体制を支持し、戦後も、右派の宗教家として活躍し、共産主義の脅威を訴え続けた 生長の家の場合、1990年に82万1998人だったのが、2015年では52万1100人に減少 生長の家 ナショナリズムの傾向が強い生長の家の主張、宗教を背景とした右派的な政治思想は力をもち得るようになってきた。 こうした状況は、今後も長期にわたって続く可能性がある。 (その2)(いつの間にか日本政治の中枢に浸透した「宗教右派」の源流、「日本人でよかった」6年前の神社本庁ポスターが炎上した理由) ・エスノセントリズム(自民族中心主義)というものが必ず後頭部に突き刺さる特大ブーメランになる、ということを示す好例 なんとこの赤ちゃん、ナチスが忌み嫌ったユダヤ人だったのだ 「最も美しいドイツ・アーリア人の赤ちゃん」 衰退が思想拡散の契機 生長の家の会員であるということは、生長の家の政治思想に共感し、それを支持するということを意味 創価学会自体はさほど政治には関心をもっていない。それは会員全体について言えることで、創価学会の会員が関心を持っているのは、政治ではなく選挙なのである 「愛国」を呼びかけるプロパガンダ広告が、実はそういうイデオロギーを掲げる人が忌み嫌う他民族の方の写真を使っていた、というブーメラン的な現象というと、ナチスの「最も美しいドイツ・アーリア人の赤ちゃん」を思い浮かべる方も多いだろう 問題は、彼女がプロフィールで「中国人女性」となっていること。これで一気に「大炎上」となった。 微笑む女性と日の丸があしらわれたそのポスターには、「私、日本人でよかった。」というコピーがつけられており、下の方にはやはり日本の国旗とともに、「誇りを胸に日の丸を掲げよう」なんて呼びかけがされている。制作したのは、全国の神社が加盟する「神社本庁」 東西冷戦の時代が訪れ、保守と革新、右翼と左翼の対立が激しいものになると、戦前の天皇崇拝や国家主義、家制度の復活などを主張するようになり、保守勢力に支持された 戦後になっても谷口は、「日本は戦争に負けたのではない」と、敗戦を合理化した 「「日本人でよかった」6年前の神社本庁ポスターが炎上した理由」 明確な「思想」があるという点ではかなり特徴的 新宗教に人が集まるのは「貧病争」が原因 いつの間にか日本政治の中枢に浸透した「宗教右派」の源流 教団は衰退、しかし思想は拡散… 現代ビジネス 島田 裕巳
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