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高齢化社会(その3)(日本の高齢者は、なぜこうも「不機嫌」なのか、日本の高齢者が不平不満を抱える根本原因 「人生=仕事」という日本ゆえの悲劇だ、作家・藤原智美氏が改めて語る「暴走老人!」論) [社会]

高齢化社会については3月27日に取上げたが、今日は、(その3)(日本の高齢者は、なぜこうも「不機嫌」なのか、日本の高齢者が不平不満を抱える根本原因 「人生=仕事」という日本ゆえの悲劇だ、作家・藤原智美氏が改めて語る「暴走老人!」論) である。

先ずは、ミュニケーション・ストラテジストの岡本 純子氏が5月16日付け東洋経済オンラインに寄稿した「日本の高齢者は、なぜこうも「不機嫌」なのか 会社にへばりつこうとすることと密接な連関」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・世界中に「怒り」が蔓延する中で、特に最近、日本で話題になるのが、キレる高齢者だ。駅や病院などでの暴力、暴言、犯罪などが取りざたされ、高齢者に対する若い世代の反感の声が強まっている。まさに、世代間闘争の様相を呈しているが、なぜ、日本の高齢者は「不機嫌」なのか。そこに処方箋はあるのだろうか。
・気がつくと、確かに、身の回りでも、頑迷で不機嫌なお年寄りを見掛けることが多くなった。筆者も先日、こんなシーンを目撃した。電車内で、やや足を伸ばして座っていた若い女性に対し、途中から乗ってきた高齢の男性がその足を軽くたたき、「邪魔じゃねえか」とキレ、つかみかかるようにして声を荒げた。その後、その女性も負けじと「あんた、触ったでしょ」と応戦、すさまじい言い合いバトルに発展した。高齢男性にとっては、その反撃が意外だったようで逃げるように降りたが、女性が猛然と追いかけていく展開となった。
・別の日には、バスの中で、子供が泣いているところを母親が必死であやしていたのだが、後ろに座っていた老夫婦が顔を見合わせ、「ああいうのは親が何とかすべきだよねえ」などといらいらしながら話しているのを聞いた。
▽高齢者は本当に「キレやすい」?
・保育園の建設に「うるさくなる」と反対する。若い駅員を怒鳴りつける。店員にいちゃもんをつける。人の言うことを聞かず、自分の主張ばかりを声高に叫ぶ――。そんなイメージばかりが増幅し、高齢者害悪論がはびこるが、はたして、高齢者は本当に若年層よりも「キレやすい」のだろうか。
・確かに、高齢者が怒りやすい、という説はよく聞く。高齢になると脳の前頭葉が収縮し、判断力が低下し、感情の抑制が利かなくなるというものだ。また、男性の場合、男性ホルモンであるテストステロンが低下し、60代、70代になると女性の更年期にも似た抑うつ症状が起きるという。こういったことから、欧米でもGrumpy old man syndrome (気難しいお年寄り症候群)、Irritable male syndrome(イライラ男性症候群)といった症状が顕在化するとも言われている。
・しかし、驚くことに欧米では、「年を取ると、より性格が穏やかになり、優しくなる」というのが定説だ。筆者も通算6年ほど、イギリスやアメリカで暮らしたが、お年寄りになればなるほど、話し方がゆっくりになり、気は短くなるというより、長くなる印象がある。一昔前までは日本でもこちらのイメージのお年寄りが多かったように思う。
・科学的に見ても、そういう傾向を実証するデータは多い。今年1月にイギリス・ケンブリッジ大学の脳科学者たちは脳の分析調査を発表、「年を取るほど脳の前頭皮質が薄くなり、よりしわになることなどから、気が長くなり、穏やかになる」と結論づけた。 ケンブリッジの科学者の言葉を借りれば、「人間は年を取るほど、神経質ではなくなり、感情をコントロールしやすくなる。同時に、誠実さと協調性が増し、責任感が高まり、より敵対的でなくなる」のだそうだ。これはまさに、日本の高齢者に対する評価とは真逆である。
▽人は年を取るほど幸せを感じるはずなのに…
・不満を抱える日本の高齢者。これは世界的な幸福度の調査からも垣間見える。そもそも、幸福度を測るランキング調査などにおいて、日本は先進国の中ではかなり低い順位に終わることが多い。たとえば国連の「World Happiness Report 2017」によれば、日本の幸福度は世界155カ国中51位。サウジアラビアやニカラグア、ウズベキスタンなどよりも低い。
・OECDの「Better Life Index(2015)」によれば、人生に対する満足度は38先進国中29番目だ。これについては、日本人はこうした調査において、低めの点数をつける傾向があるとの指摘がある。だから、国際比較にはあまり意味がないという人もいるが、それはさておき、問題は、日本では年を取るほど、不幸だと感じる人が多いという結果である。
・人は年を取るほど幸せを感じる人が増える。これは欧米などで顕著な傾向だが、日本では、まさにその逆。年代別の幸福度を追った調査では、先進国においては、幸せは若いころに高く、中年で低くなり、高齢になって再び上がるというまさにUカーブの傾向がある。17~85歳までの2万3000人を対象にしたロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの調査では、最も幸せなのは23歳と69歳だったそうだ。一方、日本では年を取るにつれ、幸福度が下がっていく。
・年を取れば幸福になるという傾向について、英『エコノミスト』誌は「年を取るほど、争いごとが少なく、争いごとに対するより良い解決法を出せる。感情をコントロールすることができ、怒りっぽくなくなる。死が近づくと、長期的なゴールを気にしなくてよくなり、今を生きることが上手になる」と分析しているが、なぜ、こうした現象が日本では起きないのか。
・これには多くの原因が考えられるだろう。朝日新聞の声欄では、「キレる高齢者が増えている」と指摘する若者の意見に対し、高齢者の立場からさまざまな意見が寄せられている。 「暇なんだ」「話し相手が欲しい」「自分にイライラしている」「私たちは一生懸命働き、そのおかげで日本は先進国入りをし、東京オリンピックまでやれた。お国のために働き続けてきた私たちの言動を大目に見てほしい」「昔のように3世代が一緒に暮らすことも、お寺で法話を聞いた後に他の信者と会話を楽しむことも少なくなった。人生に対する不安や不満を誰も本気で聞いてくれない。老年期は寂寥(せきりょう)感がつのるばかり」などといった声が集まった。
・病気、身体的な不自由。金銭的な不安。さまざまな要素は折り重なるとしても、これは世界各国共通の話である。「なぜ、日本だけが」という話については、次回、専門家のインタビューで詳しく分析する予定だが、筆者が特に、大きな要因ではないかと考えるのは、高齢者の深刻な孤独感、そして、満たされない承認欲求だ。
・以前、日本の中高年男性が特に孤独であるという話(日本のオジサンが「世界一孤独」な根本原因)を書いたが、社会的孤立感は幸福度を最も大きく下げる原因であり、都市化、過疎化、核家族化、少子化などによって、その度合いは年々、加速している。と同時に、人としての生きがいの重要な柱である「人に認められたい」という欲求が満たされる機会がほとんどなくなってしまっている。「承認欲求」は人間の根源的な欲求の1つだ。子育てや仕事で認められ、感謝され、必要とされていた自分がいつの間にか、邪魔な存在になっている、と感じるとき、人は生きがいを失うのではないか。
・そこに重なるのが、「特に、経済的ニーズがない人でもいつまでも会社や組織にへばりつこうとするのか」という疑問だ。企業のトップなどを経験した後、顧問や相談役などとして、会社に残り続けようとする人たちは少なくない。今、大変なことになっている電機メーカーを含めて、顧問や相談役がワンフロアに集結し、「老人クラブ状態」というのはよく聞く話だ。何でも、こういう人々は、「部屋」と「黒塗りの送迎の車」と「秘書」、この3種の神器を失うことが何より怖いのだという。
▽エグゼクティブは退職後、チャリティ活動へ
・ひるがえって、欧米などでは、企業のトップや幹部は日本のエグゼクティブの10倍も100倍も稼ぎ、とっとと辞めてリタイアメントライフを送るのを楽しみにしている。世界に散らばるセカンドハウスを行き来したり、好きな趣味に没頭したり、講演活動をしたり。リタイアメントはまさに、夢を実現する待ち焦がれた時間でもある。
・こうしたエグゼクティブは退職後、チャリティ活動にいそしむ。たんまり稼いだおカネをごっそりと寄付し、〇〇図書館、××ホール、などと名前を冠した施設を造ってもらう、慈善事業に寄付して、ありがたがられる。また、それほど余裕がなくても、ボランティアなどして、社会貢献をする。こうしたことで「承認欲求」「名誉欲」を満たしていくのだ。日本ではこうした話はあまり聞かない。黒塗りに固執するおじさま方が恐れているのは、社会から認められなくなる、必要とされなくなる、そういった高齢者特有の喪失感なのだろう。
・批評家の浅田彰氏は、「(ドナルド・トランプ勝利の背景には)白人男性を中心とする『サイレント・マジョリティ』の『承認』欲求、つまり、過剰な『承認』を受けているかに見えるマイノリティへの嫉妬と憎悪が異様に亢進していたことがある」と看破したが、日本のキレる高齢者の怒りのマグマの源泉は、同様の「満たされぬ承認欲求」といえるのかもしれない。
・キレる高齢者が増えている、というが、それは社会全体に高齢者が増えたからそう見えるという側面はあるだろうし、単に、年を取れば、気が短く怒りっぽくなるからということで片づけられるものでもない。そうした意味で、高齢者を疎外したり、単に批判したりしても、何ら問題は解決しないし、今若くても、誰もがいつか同じように自らの成功体験をひけらかす頑固で怒りっぽい高齢者になるかもしれないのだ。
・高齢者の承認欲求という渇望を満たすためには、新たな顕彰のシステムやコミュニティづくりのアイデアも必要だろう。また、世代間、さらに高齢者同士のコミュニケーションが、質量ともに絶対的に不足している。声をかける。あいさつをする。感謝をする。褒める――。何げない言葉がけや会話から、お互いをハッピーにするきっかけは生まれてくるはずだ。
http://toyokeizai.net/articles/-/171469

次に、上記記事の続きである5月30日付け東洋経済オンライン「日本の高齢者が不平不満を抱える根本原因 「人生=仕事」という日本ゆえの悲劇だ」を紹介しよう(▽は小見出し、Qは岡本氏の質問、Aはニック・ポータヴィー教授の回答、+は回答内の段落)。
・前回の記事「日本の高齢者は、なぜこうも『不機嫌』なのか」には、たくさんの反響の声をいただいた。以下はそのうちの一部だ。
 *長年「滅私奉公」で働いてきた人が、いきなり用済みにされ「私」に放り出され、行き場がなくなる。
 *日本人はすべてを仕事に振りすぎている。だからリタイア後に不安定になったり、無気力になる高齢者が多いのだろう。
 *若者は年金も減り(もらえるかもわからないが)、高齢者からはきつく当たられる。若者も不機嫌である。互いに不機嫌である今の社会では、互いを思いやる余裕がない。
 *封建制度とか、男尊女卑とかの概念がまだ日本人の中に根強くある。その中で苦しんだ年配の特に女性が怒っていて、パートナーである男性にも冷たくしてしまう。
 *高齢者に限らず日本全体がピリピリしてる。言いたいことも言えない、やりたいこともできない、周りに合わせるばっかりで自分を見失う。そのうえ、長時間労働やストレスフルな労働環境で疲弊している。
▽閉塞感は加速度的に深刻化していく可能性
・誰もが身近で喫緊の問題としてとらえていることが伝わってくる。実際にキレる高齢者に遭遇し、不快な思いをした経験を語る方の声が多く、この問題が幅広い年代の人々の心に影を落とし、日本社会にきしみをもたらしていることがうかがえた。問題の根は深く、少子高齢化が進む中で、この圧迫感、閉塞感は加速度的に深刻化していく可能性がある。
・その背景にあるのは、世界の中でも日本の高齢者はとりわけ、幸福実感が低いということだ。日本の高齢者の「幸福観」ははたして特殊なのだろうか。そこに解決策はあるのか。幸福経済学の専門家で『幸福の計算式』の著者であるイギリス・ウォーウィック大学のニック・ポータヴィー教授に話を聞いた。
Q:日本の高齢者は特に幸福感が低いというデータが出ているが。
A:世界の調査統計で確認したところ、日本人の場合、最も不幸、つまり怒りに満ち、人生に満足していないのは、65~75歳の年代グループという結果だった。人の幸福感はほとんどの国において、通常、30代から下降線をたどり、40代で底を打ち、50代からまた盛り返すU字型カーブになっている。だから、苦悩する40代の人々を形容して「ミッドライフクライシス」(中年の危機)という言葉もあるほどだ。 一方で、日本では最も幸せなのは25歳以下の年代で、その後は一貫して下がり続けるL字型カーブ。75歳を過ぎて若干、幸福感は上昇するが、それほど大きなものではない。歳を取るほど、不幸になる。こうした状況は世界の中でも極めて特異のものといえ、日本では人生のクライシス(危機)は、中年より老年にやってくるということだ。
Q:一般的に、人は、高齢になると不機嫌になるということではないということか。
A:なぜ、幸せはU字型になるのかといえば、われわれは歳を取れば、過度な期待をしなくなり、より賢くなり、現実を受け入れることができるようになる、と考えられているからだ。一方で、アジアでは「お年寄りは敬われるべき」といった社会的通念が強く、日本でも歳を取るにつれ、(年功序列などで)ステイタスを手に入れる構造になっており、「期待値」が下がりにくく、現実との乖離が生まれてしまっているのかもしれない。
▽期待値が高いから不幸に感じる
Q:期待値が高いことが不幸感につながっていると。
A:幸福は「現実」と「期待値」との乖離により大きく影響を受ける。その幅が小さいほど、幸せになりやすい。西洋では「歳を取れば、若者から敬われるべき」などといった通念はなく、そういったことは期待していない。しかし、日本の高齢者は、長い間、一生懸命働いてきて、それがまだ報われていないという気持ちが強いのではないか。収入や金銭的な心配や不安が彼らの不幸感の源泉とは言い切れない。特に収入に問題がない人でも、歳を取るほど、不幸に感じるという傾向があるからだ。
Q:収入と幸福には相関関係はあるか。
A:もちろん、おカネがある人のほうがない人より、幸せを感じやすいという傾向はある。しかし、たとえばある国の国民の収入が過去に比べて総体的に上がったからといって、その国民がより幸せになったと感じているかといえば、そういうことにはならない。また、その国のトップ1%の金持ちだとしても、自分をトップ0.1%の人と比較して、不幸に感じる人もいる。つまり、幸福感や満足度は、どれぐらい期待値を上げ、それがどれぐらい満たされるかによって、変わってくるのだ。
Q:幸福の決め手、幸福感に影響を与える因子とは何か。
A:健康や金銭的な充足度など幸福に影響を与える要因はいろいろとあるが、最も大きな決め手となるのが、その人の社会的な関係性だ。孤独は健康面にも支障を来し、幸福感に大きなダメージを与える。特に関係性の中で、日本が西洋の国と大きく異なるのは、たとえばアメリカやイギリスのような個人主義の国では、歳を取って子供と一緒に住むことを期待していない、ということだ。だから、定年後は高齢者向けのホームなどに移り住み、その中で自分が好きなことをして暮らしていく、という人も多い。
+アジア、日本においては、やはり、家族主義なところがあり、家族に面倒を見てもらいたいという期待値が高い。しかし、それがかなわない場合、そのセーフティネットとなるコミュニティのようなものがあまりないために、孤独に陥りやすい。 特に日本では、現役時代に世界の中でも最も長い労働時間に耐え続けた人たちは、そういったコミュニティを探したり、つくる暇もなく過ごしてきた。退職したら、もっと報われるはず、とずっと我慢して働き続けても、結局、願ったとおりにはならず、期待値と現実の差に打ちのめされてしまう。
+最近、ネットフリックスで「侍グルメ」という日本の番組を見たが、ひたすら働き続けてきた男性が退職し、何をしていいのかわからない、という前提の話だった。いろいろと食べ歩きをするが、彼はずっと1人。友達もネットワークもない。まさにそういう人が日本には多いのだろう。「人生=仕事」という日本ゆえの悲劇ではないか。
▽失業が与える傷は男性のほうが女性の2倍深い
Q:人生における仕事の比率があまりにも高いということか。
A:そもそも、人はどのような経験に対しても「慣れ」によって、順応性を身に付けていくことができる。この特性によって、たとえば、「離婚」などといった経験から比較的早く立ち直ることができる。しかし、「失業」と「通勤時間」にはなかなか順応できない。どんなに時が経っても、そのストレスや不快感を受容していくのが難しい。なぜなら、失業期間中は、時間がたくさんあり、おカネがあまりなく、ほかにすることもない状態で、気を紛らわせることができない。こうした負の考えにずっと付きまとわれてしまうのだ。これは通勤時間中も同じことだ。
+また、失業が与える傷は男性が女性の2倍ほどであることわかっている。「失業」は誰にとっても痛手だが、「仕事」の比重が非常に高い日本のサラリーマンの場合は特にそのメンタルダメージがとても強いということなのだろう。
Q:何か解決策はあるのか。
A:特に個人主義的な西洋に比べて、アジアでは家族や地域など同一グループ内でのつながりを重視するが、そういった社会の場合、そのグループや家族のほかにつながりを作っていこうとせず、「閉鎖的」になりがちだ。個人主義的な社会では、自らの独立性を保ちながらも何かあれば、外部のセーフティネット(たとえば、フロリダの高齢者ホームに移り住むなど)に頼ることをいとわない。日本においても、もっとオープンなネットワークやコミュニティのあり方を考える価値はある。
+また、人生において、その満足感に大きく影響するのが「生きる目的」である。仕事という目的を失った人たちが新たに「生きがい」を見いだせるような仕組みがあればいいと思う。それは国や文化、そして個々人で違うものだが、その解が出しやすくなるように社会として取り組んでいく必要があるかもしれない。
http://toyokeizai.net/articles/-/173790

第三に、5月18日付け日経ビジネスオンライン「「老人を嫌うのは老人自身なんです」 作家・藤原智美氏が改めて語る「暴走老人!」論」を紹介しよう(▽は小見出し、――は聞き手の質問、+は回答内の段落)。
・日経ビジネス5月1日号の特集「さらば老害ニッポン 10の提言」では、各分野の識者に超高齢化社会を迎える日本の課題や、高齢者を取り巻く状況について分析してもらった。2007年に著書『暴走老人!』(文芸春秋)を発表し大きな反響を呼んだ芥川賞作家の藤原智美氏(61)は、「キレる老人」の問題は「10年前に比べてより深刻化している」と警鐘を鳴らす。我々はどのように課題と向き合うべきなのか、藤原氏に聞いた。   ――「キレる老人」が社会問題化し、頻繁に報道などでも取り上げられるようになっています。まず、シニア層を取り巻く問題について、藤原先生はどのように考えておられるのでしょうか。
藤原:まず、高齢者の様々な問題については、環境や制度を論じる前に個人の問題としてあると考えています。高齢者というのは若い頃と比べて、確実に身体的に衰えている。これは自分でも把握できますよね。だから、健康を維持するために散歩をしたり、スポーツクラブに通ったりする。ヨガの教室などでは生徒の平均年齢が70歳という教室もあるくらいです。
+ただ、身体に比べてより見えにくいのが、思考力やメンタルの部分です。これらも体同様に、ストレスへの耐性や克服する力というものが弱くなっていく。メンタルが「老化」するということですよね。しかし、自分自身がそれを自覚することは非常に難しい。本来であれば身体と同様に鍛えていくことが必要なのに、それができていない人が多いのです。
+だから、体はピンピンしているのだけど、思考力や心は弱っているというアンバランスな状況が生まれてしまうのです。特に影響が顕著なのがコミュニケーション。ボキャブラリーや考えることだけでなく、人と会って会話をして、顔の表情を動かすこと。こうしたことが十分にできなくなっていくということです。
――『暴走老人!』の中でも、コミュニケーション不全というか、他者と満足にやり取りできない高齢者の実例などが取り上げられていましたね。
藤原:表情筋をうまく動かせないから喜怒哀楽があまり表に出ない。その結果いつもブスッとした表情で生活して、身振り手振りも落ちてくる。そうすると表現力自体が、自分が頭の中で思っているのとは全く異なってくるわけです。それについて本人は自覚していないし、周りから見たら怒っているようにしか見えない。
+加えて、60代に入って仕事をリタイアすると、現役時代のコミュニケーションの場を失うわけですよね。体を動かさないと体力が落ちていくように、コミュニケーションを維持し続けないとその力は弱っていく。その悪循環が他者と満足にコミュニケーションが取れず、それが時に暴発して「キレる」ということにつながってしまうのだと思います。
▽10年で事態はより深刻に
――藤原先生が『暴走老人!』を書かれたのは2007年。10年経って状況はどのように変わってきたのでしょうか。 
藤原:状況はより深刻になってきていますよね。高齢者の数が増えて本の中で書いたような問題点が増えているのに、何か改善が進んだかというとほとんど変わっていない。「キレる老人がいるのだ」という社会的認識は広がっているとは思いますが、それに対する手立ては模索が続いているということでしょう。
藤原:例えば今ではすっかりスタンダードになったスマートフォン(スマホ)やSNS(交流サイト)。独居老人だってスマホは持っていますが、20~30代が自由に使いこなしているように使えているわけではない。つまり、若い世代のようなスタンダードからは完全に外れているということです。SNSの世界にも乗っていけていない。
+だから、高齢者にスマホを渡して、一人暮らしだけどスマホで外の世界と繋がっているから大丈夫ということは全くないわけです。やはり土台はリアルな世界の中で、どれぐらい他者と繋がりを持って、どれぐらい喜びを持って生きているかが重要なのだと思います。その繋がりの上にSNSが補完的に存在するというのがあるべき姿ではないでしょうか。
――役所などの公共施設や小売店、病院などでのトラブルの多さについては、どのように捉えられていますか。
藤原:高齢者がたくさん来るところはトラブルが多い。だから、役所や店舗の側も非常に気を使うし、過剰に接客するということですよね。それでは解決にならないと考えています。単に、いわゆるキレる閾値を下げているだけで、「これまでは一礼していたのに今日はしない、けしからん!」ということになるわけです。だから、先ほどの話に戻りますが、表面的な配慮ということではなく、やはりリアルな人間関係をどれだけきちんと構築するかが大事なのです。
+これは高齢者に限った話ではないですが、地域のコミュニティーが崩壊寸前で、老人会や消防団などの組織率もどんどん下がっている。現代人というのはあらかじめ用意された繋がりではなく、趣味や人生のテーマなどで共通項のある仲間を意識的に求めていますよね。高齢者も、老人会に行ったって面白くないわけですよ。だから行かない、仲良くなろうとも思わない。
+そういう状況を見ていると、実は老人が嫌いなのは老人自身なんだと思ったりしますよね。例えばJR横須賀線なんか乗ると、向かい合わせの4人席にお年寄りが4人乗っているけど、ブスッとして全然話そうともしない。昔は他人同士でもそういう場で会話が弾むようなシーンがあったと思うのですが・・・。
――お互いに不機嫌そうで、話しかける雰囲気でもない。
藤原:そう。実は、自分もそうなのですが、相手が不機嫌そうで、すぐ怒りそうだし・・・ということですよね(笑)。
▽国の抜本的な社会設計が必要
――キレる老人に関しては、極端な形では犯罪に走る事例も目立ちます。こうした社会不安の増大という意味でも、問題は非常に根深いと思うのですが。
藤原:ものすごく大きいですよね。社会不安ということでもそうですが、経済的にも医療や介護の問題に関連しても、社会的な損失やコストは非常に大きいのです。逆に言えば、そうした高齢者を生み出さないようにするために、国家が果たすべき役割はより重要になってきていると感じています。
+例えば教育。19世紀以降、国家運営の一つの柱は教育だったと思いますが、それは21世紀も続いていきます。子供の教育は国家を成長させ、支えていく柱ですから。それでは、高齢者はどうかといえば、平均寿命が80代まで延びてきている状況で、もうすぐ死ぬから放っておけばいいということでは全くないわけですよね。
+そうであれば、子供の教育に匹敵するような場所や、退職してから死ぬまでの時間をどのように過ごしてもらうかというノウハウを国が公的に提供するような仕組みが必要だと考えます。 自分からそれを積極的に求めていくバイタリティーや資産のある高齢者はいいけれど、そうでない多くの人は取り残されてしまう。それが結果的に、甚大な社会的損失を招くことになってしまう。だからこそ、国は高齢者に対して、学びやスポーツ、娯楽や趣味などを提供する場と機会を提供しなければならないと思います。
藤原:国家財政が逼迫されるような事態は避けなければならないですが、医療や介護といった社会保障費については、むしろ心身ともに健康な高齢者が増えれば、そうしたコストが減るというメリットも大きいです。実際にいくつか実験的な施策で効果が上がっている事例もある。そうした社会設計を本格的に導入していくべきでしょう。
▽団塊の世代はまだ、「老人」ではない
――団塊の世代が全て75歳以上の「後期高齢者」になる「2025年問題」も議論されています。藤原先生はどのように考えておられますか。
藤原:「老人=団塊の世代」というイメージは強いですが、僕に言わせると、まだ老人ではないですよね。以前ある民間の老人ホームに取材に行く機会があったのですが、そこで感じたのは「老人というのは社会の中で見えないところにいる人たちだ」ということだったのです。
+つまり、街中を出歩かない、百貨店などで色々な買い物をしない、部屋に閉じこもって一日中過ごしている。そういう人たちですよね。団塊の世代については、まだ多くの人々はそうではないですよね。消費の担い手でもあるし、産業の世界でバリバリ働いている人も中にはいる。社会の中で目に見えるところで活動しているわけですよね。
+それでは、あと5年、10年経った時にどうなるでしょうか。団塊の世代が後期高齢者になり、老人ホームに入居する。体が弱り、身動きが取りづらくなる。そうして街の中から、社会の中で老人の姿が見えなくなる。そうした時には医療費や介護費はとんでもない額に膨れ上がるでしょう。その社会的コストは本当に深刻になると思います。
――そうした問題を控えている今、我々はどのように高齢者と向き合うべきなのでしょうか。
藤原:個人の立場では、まず高齢者とはどのようなものであるのかをきちんと理解し、接するということが大切でしょうね。例えばコミュニケーション力が落ちている、人付き合いが下手になっていることを想像して向き合うということです。 それから、行政や企業の側も、施設のバリアフリーなどハード面だけではなく、ソフト面をどのように充実させていくかが重要でしょう。過剰に接客するということではなく、高齢化社会の中で、どうすれば高齢者とうまく接して、サービスを回していけるかを考える。それこそが今求められていることだと思います。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/051000049/051700002/?P=1

第一の記事にある 『ケンブリッジの科学者の言葉を借りれば、「人間は年を取るほど、神経質ではなくなり、感情をコントロールしやすくなる。同時に、誠実さと協調性が増し、責任感が高まり、より敵対的でなくなる」のだそうだ。これはまさに、日本の高齢者に対する評価とは真逆である』、との指摘は、欧米では高齢化にはバラ色の側面があるのに、日本では真逆とはやっかいな問題だ。 欧米では、『エグゼクティブは退職後、チャリティ活動へ』、というのは確かにうらやましい。 日本では「会社人間」で自分の属する社会を狭くしていた上で、退職したとたんに、社会とのつながりが絶たれてしまう。 『高齢者の承認欲求という渇望を満たすためには、新たな顕彰のシステムやコミュニティづくりのアイデアも必要だろう』との指摘はその通りだ。ところで、私が毎週土曜日に観ることにしているBS日テレ「小さな村の物語」は、イタリアの小さな村が舞台で、どこの村にもバル(カフェ)があって、老人たちのたまり場になっている。日本にもこういうのがあればいいのにと、毎回思っている。
第二の記事では、イギリス・ウォーウィック大学のニック・ポータヴィー教授が 『幸せはU字型になるのかといえば、われわれは歳を取れば、過度な期待をしなくなり、より賢くなり、現実を受け入れることができるようになる、と考えられているからだ。一方で、アジアでは「お年寄りは敬われるべき」といった社会的通念が強く、日本でも歳を取るにつれ、(年功序列などで)ステイタスを手に入れる構造になっており、「期待値」が下がりにくく、現実との乖離が生まれてしまっているのかもしれない』との指摘は、やや昔の日本をイメージしているような気がする。既に、日本でも年功序列などが崩れ、おいしい思いをしないまま会社を去るケースが増えており、それに対する「怒り」はあっても、「期待値」は既に下がっているのではなかろうか。
第三の記事で、『実は老人が嫌いなのは老人自身なんだと思ったりしますよね。例えばJR横須賀線なんか乗ると、向かい合わせの4人席にお年寄りが4人乗っているけど、ブスッとして全然話そうともしない』、との指摘は男性の老人には確かに当てはまるようだ。ただ、 『国は高齢者に対して、学びやスポーツ、娯楽や趣味などを提供する場と機会を提供しなければならないと思います』、との指摘は、国が面倒をみるべき分野は、もっと他にも保育、医療、介護など多くあるので、一般的な学びやスポーツ、娯楽や趣味などを提供する場と機会などは自己責任で見出すべきだと思う。ここまで国に「おんぶにだっこ」では、財政のパンクを加速するだけではなかろうか。
タグ:国の抜本的な社会設計が必要 高齢化社会 実は老人が嫌いなのは老人自身なんだと思ったりしますよね。例えばJR横須賀線なんか乗ると、向かい合わせの4人席にお年寄りが4人乗っているけど、ブスッとして全然話そうともしない。 (その3)(日本の高齢者は、なぜこうも「不機嫌」なのか、日本の高齢者が不平不満を抱える根本原因 「人生=仕事」という日本ゆえの悲劇だ、作家・藤原智美氏が改めて語る「暴走老人!」論) 岡本 純子 東洋経済オンライン 日本の高齢者が不平不満を抱える根本原因 「人生=仕事」という日本ゆえの悲劇だ ケンブリッジの科学者の言葉を借りれば、「人間は年を取るほど、神経質ではなくなり、感情をコントロールしやすくなる。同時に、誠実さと協調性が増し、責任感が高まり、より敵対的でなくなる」のだそうだ。これはまさに、日本の高齢者に対する評価とは真逆である 大きな要因ではないかと考えるのは、高齢者の深刻な孤独感、そして、満たされない承認欲求 日本では年を取るにつれ、幸福度が下がっていく 年代別の幸福度を追った調査では、先進国においては、幸せは若いころに高く、中年で低くなり、高齢になって再び上がるというまさにUカーブの傾向がある 欧米では、「年を取ると、より性格が穏やかになり、優しくなる」というのが定説 キレる高齢者 、「キレる老人」の問題は「10年前に比べてより深刻化している」と警鐘を鳴らす 歳を取るほど、不幸になる。こうした状況は世界の中でも極めて特異のものといえ、日本では人生のクライシス(危機)は、中年より老年にやってくるということだ 期待値が高いから不幸に感じる イギリス・ウォーウィック大学のニック・ポータヴィー教授 藤原智美 仕事という目的を失った人たちが新たに「生きがい」を見いだせるような仕組みがあればいいと思う 著書『暴走老人!』(文芸春秋) 「老人を嫌うのは老人自身なんです」 作家・藤原智美氏が改めて語る「暴走老人!」論 高齢者の承認欲求という渇望を満たすためには、新たな顕彰のシステムやコミュニティづくりのアイデアも必要だろう 日本の高齢者は、なぜこうも「不機嫌」なのか 会社にへばりつこうとすることと密接な連関 エグゼクティブは退職後、チャリティ活動へ 、現役時代に世界の中でも最も長い労働時間に耐え続けた人たちは、そういったコミュニティを探したり、つくる暇もなく過ごしてきた。退職したら、もっと報われるはず、とずっと我慢して働き続けても、結局、願ったとおりにはならず、期待値と現実の差に打ちのめされてしまう 日経ビジネスオンライン 閉塞感は加速度的に深刻化していく可能性
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