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医療問題(その5)(徹夜明けの外科医に手術されるの 嫌ですか?、その「ひと口」が遺伝子を変える!?、高齢者優遇と医療費拡大、悪いのは誰だ?) [社会]

医療問題については、5月5日に取上げたが、今日は、(その5)(徹夜明けの外科医に手術されるの 嫌ですか?、その「ひと口」が遺伝子を変える!?、高齢者優遇と医療費拡大、悪いのは誰だ?) である。

先ずは、外科医の中山 祐次郎氏が5月8日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「徹夜明けの外科医に手術されるの、嫌ですか? 第6回 ブラック企業も真っ青の外科医という仕事」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・2017年2~3月まで滞在していた福島県広野町を離れ、4月に郡山市に引っ越してきました。現在は、総合南東北病院で外科医長として勤務しています。さて、まずは近況と郡山の街について少し。 郡山市は、東京から新幹線で約1時間半とそれほど遠くない場所にある人口30万人ほどの都市です。広野町のある「浜通り」(福島県の海沿いの地域)よりも気温の低い「中通り」(浜通りの内陸側の地域)に位置するため、かなり厚着をしての新生活スタートになりました。
・1月まで住んでいた東京に比べて気温が4~5度は低く、風も強いのが特徴。今年は桜の見頃が東京の約1週間後となり、私は唯一の移動手段である自転車(ドン・キホーテで9000円で購入しました)を漕ぎながら横目で楽しんだだけでした。 冬にはマイナス10度にもなるそうですから、早く車を買わねばなりません。知人のフェル(ディナンド・ヤマグチ)さんが日経ビジネスオンラインで書いている連載も購入の参考にと拝読していますが、価格の面で全く参考になりません(笑)。
▽「豊富な人材がいる」病院はなかなかない
・今回のテーマは「徹夜明けの外科医による手術」。外科医の話ですから、私の勤める病院についても少し触れておきたいと思います。 総合南東北病院は、ベッド数は約450床、JR郡山駅から車で15分ほどの便利な場所にあります。隣にある第二病院が約150床ですから、まあまあ規模の大きな病院と言っていいでしょう。私はここで、腹腔鏡手術という小さなキズで済む手術を中心に、大腸がんの最先端手術や治療を実施しています。
・当院には外科医が全部で13人、大腸がんの手術を専門とする医師は私を入れて4人もいます。これほど豊富な人材がいる病院は、全国でもなかなかないと思います。ちなみに院長先生も外科医で、今もよく手術室や病棟に来られる現役バリバリの先生です。 と宣伝のようになってしまいましたが、「豊富な人材がいる」ということは今回のテーマと深い関わりがあります。
▽手術中に居眠り? 助手ならあり得ます
・「おい、お前! 何寝てんだ」 こんな怒り方はしないものの、疲れ切った研修医が手術中に寝てしまうことはあるものです(まだ当院では見たことがありませんが……)。3番目か4番目の助手をしている時は何もしないで見ているだけなので、彼らも眠くなってしまうのでしょう。
・そうでなくても外科医は、しばしば徹夜明けで手術を執刀します。もちろん私も、過去に何度も経験があります。完全な徹夜でなくても、睡眠1時間とか2時間で手術なんてことは、間違いなく外科医全員が経験のあるところなのです。 なぜ外科医は、徹夜明けで手術をしなければならないのか。不眠症? いいえ、「当直」です。
・当直という勤務形態は「宿直」と似た意味で、病院に泊まり込んで何か問題が発生した時に対応することを指します。一部の科ではしていないところもあるかもしれませんが、外科医に限らず基本的に全ての勤務医が週に1~2回は当直を担当します。医療法により、病院には常に医師がいなければならないと決まっているためです。
・当直の日は、夜中に来院する(救急外来の)患者さんの治療をする上、入院患者さんに何か起きた場合もすっ飛んで行って対応します。救急外来の患者さんが一晩に30~40人も来るような病院もありますし、受け付けていない病院もあります。 夜中に患者さんがひっきりなしに来たり、かなり重症の患者さんが来たりすると、そのまま緊急手術になるなどして、医師はほぼ徹夜で働き続けることになります。当直の前と後にも通常勤務をするため、当直明け(病院では短く「明け」と呼びます)には連続24時間の勤務が終わったことになるわけです。
▽帰りたくても帰れない外科医の実態
・ではここで、当直明けがどのような状況かをのぞいてみましょう(フィクションですが、限りなくリアルです)。  午前4時半。夜中から立て続けにやってきた救急車や熱を出した入院中のお子さんの対応がようやく一息つき、私は1階の救急外来室から明るくなったばかりの外に出ます。冷たい空気を胸いっぱいに吸い込み、「うーん」と一つ、大きく伸び。鳥の鳴き声が聞こえるような気もしますが、本当に聞こえているのか幻聴なのかも分かりません。
・すると間もなく、看護師さんのこんな声で我に返ります。 「先生、ホットライン(救急車からの受け入れ要請)です!」 血走った目とベタベタの髪ですが、「オシッ」と気合を入れ、救急外来室に戻ります。目の前に現れたのは、朝だというのに酔っ払いの患者さん。その患者さんに「なんだよー、テメエ!触るんじゃねえよー」とか言われながら点滴を打ちます。
・1時間くらい仮眠をとったら、そこから翌日の通常業務が始まります。午前7時半から回診をし、9時から手術。「今日のオペは5時間の予定だけど、あんまり出血しないといいな……」などと思いながら手術室に入ります。 手術が終わると、患者さんのご家族に手術内容の説明。そして、夕方からは院内のリスクマネジメント会議に出席し、ここでついコックリコックリとしてしまいます。
・会議が終わると、午後6時過ぎ。今度は夕方の回診が始まります。「さあ、今日は明けだから帰るぞ!」と思っていると、内科医からこんな電話が入るのです。 「先生、すみません。虫垂炎(アッペ)の患者さんがいて、手術のお願いなのですが……」  「今日は帰りたかったんだけどな」と心の中でつぶやきながらも緊急手術を執刀し、やっとのことで帰宅するのは午後10時――。 これを外科医は週に1~2回、(人によりますが)58歳くらいになるまで続けるのです。年収はもちろん、他の科のドクターと同じです。
▽睡眠不足では手術の質が下がって当たり前
・外科医が眠い中で手術を執刀すると、そのクオリティー(質)はどうなるのでしょうか。もちろん、明らかに低下します。 「いや、俺の時だけは前日、よく寝てくれよ」 読者の皆さんはこう思われることでしょう。 当直明けの手術は質が低下する――。至極当然のことですが、何十年もの間、誰も公言してきませんでした。それは外科医の矜持でもあり、体制側(厚生労働省)のコスト意識でもあったのだと思います。外科医の矜持は武士のそれととてもよく似ていて、「武士は食わねど高楊枝」ならぬ、「外科医は眠らねど余裕で執刀」という文化が脈々と続いてきたのです。
・長年にわたってこの慣習は変わりませんでしたが、最近になって「当直明けの外科医の執刀は手術関連の死亡を増やす」という論文(Taffinder NJ, et al. Lancet 1998;352:1191)が発表されたこともあり、厚生労働省はあるルールを作りました。「当直明けの外科医が手術を執刀しない病院は加算(お金)を付ける」というものです。
▽外科医の9割は「過労死ライン」超え?
・この新ルールは全くニュースにならなかったばかりか、実際に採用している病院もわずかだと考えられます。しかし、私の勤める病院では外科医が多いこともあり、明けの外科医は基本的に執刀しないことになっています。 待遇とか外科医の労働負担軽減というより、医療の質の担保のためにそうしているという印象を私は持っています。明けの外科医をそのまま働かせた方が病院経営の視点ではいいに決まっていますし、外科医も絶対に文句を言わないことが分かっているからです。ちなみにこの新しい加算は執刀医にならなければいいだけで、手術の助手になるのはOKです。
・調査したわけではありませんが、当直明けの日の朝、帰宅できる外科医は日本中探してもほぼいないでしょう。 「労働基準法を守っていないじゃないか!」というご指摘も、その通りです。外科医の9割は厚労省の定める「過労死ライン」の労働時間を軽々と超えているというデータもあります。また定期的に労働基準監督署がさまざまな病院をガサ入れすると、数億~十数億円の残業代未払いを指摘される病院が必ずと言っていいほど出てきます。ついこの間も、某有名ブランド病院が10億円を超える残業代未払いを指摘され、ニュースになりました。
▽「患者さんの生命ファースト」が基本
・こんなブラック企業も真っ青の外科医という仕事ですが、なぜこれほど多忙なのでしょうか。その理由は(1)業務そのものの性質、(2)手術件数の増加、(3)外科医数の減少、の3つにあると考えられます。
・まず(1)の業務そのものの性質。 我々外科医は基本的に、「手術をしなければ生命が危うい」という疾患を持つ患者さんを相手に仕事をしています。手術は、患者さんの体に一定のダメージを負わせて実施する「激しい治療」。全身麻酔で行う手術であれば、筋弛緩剤を使って患者さんの呼吸を一時的に停止させます。 手術をしたらそれで終わりというわけでもありません。術後、患者さんの状態は不安定になります。血圧が下がったり、尿が出にくくなったり、止血できていたはずなのに後で大出血することだってあります。看護師さんが見ていてはくれますが、基本的に医療行為はできないため、医師が張り付くことになります。
・つまり外科医は、かなり「濃厚な医療」を提供しなくてはならないのです。「濃厚な」とは「熟練の外科医が患者さんを付きっ切りで見る」という意味。現場を離れられないため、必然的に業務時間が長くなります。 さらに外科医の仕事は、完全に「患者さんの生命ファースト」。間違いなく緊急手術をした方がいい患者さんが目の前にいたら、「オレ、今日は結婚記念日だし奥さんが料理作って待ってくれているから帰る」と言って帰る外科医はいません。米国では保険証の種類(ランク)によって手術をするかどうかが変わりますが、日本では基本的に、あらゆる理由に優先して、手術が必要な患者さんには手術をします。
▽高齢化が進むほど手術件数も増える
・次に(2)手術件数の増加です。 日本全体の高齢化がすさまじいスピードで進んでいるため、がんなど手術の必要な疾患を持つ人口が急増しています。多くのがんでは50~70歳くらいが発症しやすい年代になりますから、その年代の人口が増えれば増えるほど手術件数も増えます。 次のグラフはがん(悪性腫瘍)の手術件数と一般病院数の推移を示したものです。 これを見れば、がん(悪性腫瘍)の手術件数が年々、増えていることが分かります。2002年の水準と比べて2014年は、ほぼ倍となっています。
▽小児科医は増えているのに外科医は減少
・最後に(3)外科医数の減少です。 下のグラフでは、外科医の数は増えるどころか微減しています。医師全体の数が増加し続けていることを考えると相対的です。一般に「減った」と言われている小児科医や産婦人科医と比較しましたが、実際には小児科医が増加傾向、産婦人科は横ばいという結果でした。
・手術件数は増える一方で外科医数は減っているのですから、単純計算でも1人当たりの手術件数は増えることになります。忙しいわけです。
▽正直なところ外科医は増えない。ではどうするか(これを解決する方法は、外科医を増やすか、外科医の仕事を効率化するかしかありません。 前者については先日、外科学会で発表したばかりですが、正直なところ私は、今後、外科医数がぐんぐん増えるとは考えていません。外科医の本来の仕事である手術の件数が増え続けているからです。給料が同じなら誰だって、仕事がきつくなくて訴訟リスクが低い道を選びます。となると、あとは後者の業務の効率化を図るしかありません。
・方策はいくつかありますが、私が最も重要だと考えているのは「複数主治医制」です。 現在は、1人の患者さんに対して主治医が1人付き、その医師が全ての責任を負う体制をとっています。どんな些細なことであっても、その患者さんに関することは全て主治医に連絡をして主治医が指示を出し、決定の全責任を主治医が負います。
・もちろんほかの医師もカルテを見て、議論しながらの決定にはなりますが、担当する患者さんの決定を全て1人の主治医が担当するのは負担が大きいと私は考えています。複数主治医制が実現すれば、医師が週末に遠出をすることも可能になります。その期間は別の主治医に判断をゆだね、遠方で開かれる学会などに参加できるようになるわけです。
・この他にも厚生労働省は、さまざまな手段を考えています。先日、発表された、「新たな医療の在り方を踏まえた医師・看護師等の働き方ビジョン検討会」の報告書では、医師以外のスタッフ(看護師など)が医師の業務を一部担当する「タスク・シフティング/タスク・シェアリング」の考え方などが提唱されました。これは法改正などを必要とするため、すぐには実現しないと考えられますが、私も強く期待しているところです。 外科医の生活が少しでも改善され、その結果、手術や診療の質が上がることを願いつつ、今回は筆をおきます。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/011000038/050200007/?P=1

次に、6月12日付けダイヤモンド・オンライン「その「ひと口」が遺伝子を変える!? 「遺伝学者×医師」が明かす“遺伝子スイッチ”の真実」を紹介しよう(▽は小見出し、――はインタビュアーの質問、+は回答内の段落)。
・「遺伝で決まったことを、変えられるわけがない」 ――もしこれが、「完全に間違っている」としたら? いまホットな遺伝子のトピック「エピジェネティクス」を解き明かした極上のノンフィクション『遺伝子は、変えられる。』著者、シャロン・モアレム氏に遺伝にまつわる最新情報を聞く特別インタビュー! 私たちの日々の食事や暮らしが、遺伝子にどう影響するのか――「遺伝学者×医師」として活躍するモアレム氏だからこそわかった、その真実とは?(インタビュアー:大野和基)
▽「遺伝子は、変えられる」は本当か?
―― 近著“Inheritance”(邦訳『遺伝子は、変えられる。――あなたの人生を根本から変えるエピジェネティクスの真実』)のサブタイトルは“How Our Genes Change Our Lives and Our Lives Change Our Genes”(遺伝子はいかにして私たちの人生を変えるのか、そして私たちの人生はいかにして遺伝子を変えるのか)となっています。この“Our Lives Change Our Genes”の部分は、一見すると信じられないことのように思われます。いったいどういうことなのでしょう。
モアレム まずここで申し上げておきたいのは、遺伝子がいかにして発現するか、つまりエピジェネティックな現象が非常に重要だということです。 
―― エピジェネティクスとは、「1世代のあいだに遺伝形質がどのように変化し、変化させられるか、さらにはその変化がどのようにして次の世代に引き継がれるかを研究する学問」と本書では述べておられます。もう少し詳しく説明していただけますか?
モアレム たとえば、台所にシンクがありますね。そこには水が出る蛇口と湯が出る蛇口があります。それぞれの蛇口をどれくらい開けるかによって、出てくる水(湯)の量と温度が決まります。 それと同じようなことが、遺伝子にも起こります。私たちの体が、特定の毒にさらされたとします。すると、それに反応して特定の「遺伝子のスイッチ」がオンになります。こうした変化は、カフェインでさえ起こります。そのようにして日常生活で行うすべてのことが、遺伝子の働きを変え、さらにそのことが私たちの暮らし方、そして人生までも変えていくんです。
―― つまり、その結果起きるエピジェネティックな変化が、将来の世代に伝わるかもしれないということですか?
モアレム そうです。この研究はとてもワクワクするものです。エピジェネティックな変化のどの程度が次世代に伝わるかは、完全にはわかっていません。マウスの実験では、かなりのストレスを受けると、それによるエピジェネティックな変化が次世代に継承されることがわかっています。しかもそれは、数世代にわたって継承されます。
―― 特定の遺伝子のスイッチがオンになったことは、どうやってわかるのでしょうか。
モアレム 遺伝子のスイッチがオンになったのか、オフになったのかを調べるテストがあります。逆に現在のところ非常に難しいのは、脳内のエピジェネティックな変化と肝臓のエピジェネティックな変化が同じかどうかを知ることです。こうした「まだわからないこと」が、この分野の研究を難しくさせているところでもあるし、一方でワクワクさせるところでもあります。 たとえば、運動が重要であることはわかっていますし、時には少し辛いものを食べたほうが体にいい、ということもわかっています。なぜ体にいいかというと、つまるところそれは特定の遺伝子のスイッチをオンにするから、ということです。
▽DNAが同じなのに、違う病気にかかる双子がいるのはなぜ?
―― 我々のほとんどは、自分が受け継いだ遺伝的運命を変えられないと思い込んでいます。
モアレム 特定の遺伝子が特定の病気にかかりやすいかどうかを決定するという意味ではそれはほとんどの場合本当のことでしょう。しかし私が読者に伝えたいことは、インタラクション(相互作用)の重要性です。自分が前世代から受け継いだことを変える能力だけではなく、次世代に受け継ぐことを変える能力がある、ということです。ひと世代前の日本人と今の日本人とを比べると、今の日本人のほうが背が高くなっています。遺伝子の影響があったとしても、食べる量や質、そしてどのように生活を送るかで、遺伝子の発現に対して非常に大きなインパクトを及ぼせることがわかっています。
+もし人生というものが、生物学的に、また遺伝子的にあまりにもたやすいもので、自分の体や自分に対して何の挑戦もしなくていい、というのであれば、私たちは繁栄しなかったでしょう。日本の武術をみるとわかると思います。鍛えれば鍛えるほど強くなり痛みを感じなくなります。私たちの体も、遺伝的にそれと同じように機能するのです。
+私がいつも患者に説明するのは、宇宙飛行士の話です。宇宙飛行士が無重力の宇宙に行くと、骨量の減少が生じます。体を支える必要がない宇宙では骨が必要とされなくなってくるので、特定の遺伝子のスイッチがオンになります。これは宇宙では適応的かもしれませんが、地球に戻ってくると大きな問題になります。だから、宇宙飛行士が地球に戻ってきて、ミッション完遂を知らせる報道写真を撮る際、特別にあつらえられたリクライニングチェアにそっと横たえてもらわなければならないのです。
―― 一卵性双生児はDNAが100%同じですが、遺伝子発現は異なります。遺伝子発現がどれくらい重要であるか、説明していただけますか?
モアレム 遺伝子発現は生命そのものである、と言っても過言ではありません。DNAそのものは不活性で核の中でじっとしているだけです。それ自体はあまり活動をしません。音楽にたとえると、DNAは楽譜のようなものです。楽器で演奏しないかぎりそこに書かれたメロディは聞こえません。
+細胞はその遺伝子が発現して機能するのです。それが私たちの生命が辿る道を決定します。一卵性双生児に遺伝子発現の違いをみることができるのは、興味深いことです。彼らは同じような生活を送ってきたはずですが、実際にはそれほど同じにはなりません。その理由は、遺伝子発現が異なることに起因しているのです。
http://diamond.jp/articles/-/131028

第三に、医療政策学の若手論客・津川友介氏への6月19日付け日経ビジネスオンラインのインタビュー記事「高齢者優遇と医療費拡大、悪いのは誰だ? 医療政策学の若手論客・津川友介氏に聞く」を紹介しよう(▽は小見出し――は聞き手の質問、+は回答内の段落)。
・いわゆる「シルバー民主主義」の克服をテーマにした連載「さらば『老害』ニッポン」。 今回は、増え続ける医療費の問題にスポットを当てる。高齢化が医療費拡大に拍車をかけ、それが社会保障制度の「高齢者優遇」を招いているとの批判がある。こうした状況について、医療政策学・医療経済学の若手論客、津川友介氏に話を聞いた。 津川氏は教育経済学者・中室牧子氏との共著『「原因と結果」の経済学』(ダイヤモンド社)などで、エビデンス・ベース(科学的根拠)に基づく政策立案を提言している (聞き手 大竹 剛)
――まず、お聞きしたいのが、若者が選挙に行かず、高齢者の意見が政治に反映されやすい、いわゆる「シルバー民主主義」は、米国でも見られる現象なのでしょうか。 
津川友介氏(以下、津川):私はシルバー民主主義の専門家ではありませんが、米国でも若者より高齢者の方が選挙に行くという状況は同じで、日本特有のことではないと思います。民主主義をやっている以上は、良く見られる現象でしょう。 「シルバー民主主義」というのは、日本によくあるラベリングではないでしょうか。言葉が独り歩きしています。若者が選挙に行かない問題などは、なかなか解決が難しいですよね。そもそも、それが本当に問題なのかと考えてみる必要もあると思います。
+今はトランプ氏が大統領になっていますが、バーニー・サンダース氏であれヒラリー・クリントン氏であれ、特に民主党系、リベラル系の政党は、若い世代にアピールするだけでなく、高齢者に対しても、子供や孫があなたたちよりも良い生活を送れるようになってほしくないですか、というような訴え方をするんですね。子供や孫が貧しい生活をするのはかわいそうなので、そうならないように、大学無償化などの制度設計をしましょうと、高齢者に訴えるのです。
+他人の子供に自分の富を再分配することには反対する高齢者もいるでしょうが、自分の子供や孫が自分と同等、もしくはそれ以上の良い生活ができるようにする。この主張に反対する人は、あまりいないのではないでしょうか。そうすることで、若い世代が選挙に行かなくても、高齢者優遇になり過ぎないような政策が実現される可能性もあるわけです。
+むしろ、「シルバー民主主義」とラベリングすることは、世代間対立をはっきりさせ、高齢者を悪者扱いしてしまうことにつながるのではないかと危惧しています。それは、あまりいいやり方ではないでしょう。 日本は、医療費の問題にしても、高齢者に高額の抗がん剤を使うのはどうなのかとか、透析患者さんに医療費をたくさん使うのはどうなのかとか、そういう国民間の対立構造を生む議論を、何かと持ち出す傾向にあります。しかしそれは、非常に際どい発想だと思います。米国やヨーロッパで起きているような、人種間や性別間の対立と同じで、国民をセクターで分けていって、どのセクターが得をしている、どこのセクターが損をしているといった議論は、社会の分断を生むことにつながりかねません。
――米国や欧州では、人種間や宗教間の対立などが問題になっていますが、日本も同じことを世代間でやっているだけではないか、と。
津川:おっしゃる通りです。要するに、いろんなことに不満があると、不満のはけ口を探すわけです。日本の場合、それが高齢者だったり、小さい子供を持つ母親だったり、透析患者さんだったりということになっています。日本では、ここ最近は財政上の問題などもあり、そのはけ口の矛先が高齢者に向いているような気がしてなりません。 そういう議論が本当に問題解決に向けて正しい方向性なのかを、少し冷静になって考えた方がいいと思います。放っておくと、こうした議論はどんどん極端になり、米国のような状況になってしまうと思いますよ。
▽そもそも、医療費のコントロールは難しい
――世代間の不公平感、つまり高齢者が優遇され過ぎているという議論では、特に年金や医療費など社会保障の在り方が問題視されています。津川さんの専門である医療で考えると、どうしたら、こうした世代間の不公平感が生まれるような状況を是正できるのでしょうか。
津川:医療では、いくつかの問題があると思います。まず、日本の医療費が高いというのは、その通りです。しかも、コントロールが非常に難しくて、世界中どの国と見ても、医療費をうまくコントロールしているところはほとんどありません。つまり、答えがないことを解決しようとしているんですね。
+基本的に、国の財政では防衛費や教育費などは政治的な判断で決定できます。一方、医療や年金については、政治が直接的に決定することはなかなか難しいわけです。特に医療費は、医療サービスがどれだけ使われているかや、どれだけ新しい高額の薬が開発されるかなど、外的に決まる要素が非常に大きい。間接的にコントロールすることはできても、予算配分できちっとコントロールすることは難しいという現実があります。
+ちなみに、社会保障費というと、基本は年金と医療ですが、これらは全く異なる性格を持っています。米国では「医療費の問題」と言うのですが、日本では年金も含めて「社会保障費の問題」と言いますよね。おそらく、社会保障費とすると額が大きくなるので、インパクトを出すためでしょう。その方が、危機感をあおりやすいからかもしれません。
+年金は基本的に富の再分配をする仕組みなので、政治的な判断をすれば、コントロールできるはずです。政治家がリスクを取って「支給額を減らします」と言えば、減らせるでしょう。 しかし、医療は全くの別物です。ロボット手術やC型肝炎治療薬、抗がん剤「オプジーボ」といった高額な医療技術の開発がどのように進むのかは、かなり予測が困難です。高齢化が医療費の増加の一端を担っていることは確かなのですが、少なくとも米国のエビデンス(科学的な根拠)では、医療費高騰を招く最も大きな理由は高度技術の開発だと言われています。
+医療費の高騰は、高齢化で医療需要が増加するから仕方がないという側面はありますが、それ以上に高度技術の開発をコントロールすることは、高齢化の問題以上に難しいと考えるべきでしょう。新しい薬を開発させないわけにはいきませんし、日本で開発しなくても海外から入ってきますから。何よりも病気で苦しんでいる人の希望を閉ざすことになりかねません。
――医療費をコントロールするのが難しいとしても、このまま医療費が拡大し続ける状況を何とか抑制しないと、結局、その恩恵を主に受けているのは高齢者だという不満につながりかねません。どういう手立てを取り得るのでしょうか。
津川:日本での議論で足りていないのは、エビデンスと医療経済学的な理論に基づいた制度のデザインだと思います。具体的に日本で耳にする議論のほとんどは、自己負担を上げる、もしくは診療報酬点数を引き下げるという方法だけですよね。
――高齢者が優遇され過ぎているから、自己負担をどれだけ上げるかというのが、政治のせめぎ合いになっている面は、確かにあります。
津川:自己負担を上げるのは有効な手段なのですが、どちらかというと対処療法的な方法です。もっと重要な構造的な解決策を考える必要があると思います。 医療費については、2つのことを考える必要があります。1つは、今、どれくらいかかっているかという、医療費の水準です。そしてもう1つが、毎年どれくらい上がっているのかという、増加率の問題です。自己負担を少し上げるというのは、1つ目の医療費の水準を下げることなのですが、増加率は変えてくれません。つまり、例えば財政が破綻するのが10年先だったら、それをさらに数年先延ばしにすると言ったくらいの話です。
+しかし、本来は2つ目の医療費が増える傾きをなだらかにすることが大切なんです。それをしないと、問題を少し先送りをするだけで、根本的な解決にはつながらないからです。 もちろん、消費税の税率を上げるといった、財源を増やすという議論もあります。しかしこれも、医療費が増える傾きを下げるわけではありません。長期的に医療費の問題を根本的に解決する議論が、ほとんどなされていないのです。 本来であれば、しっかり医療政策学者や医療経済学者が集まって、理念も含めてグランドデザインを作り直すべきなのです。
▽診療報酬制度は、もう制度的に持たない
――高齢者優遇を是正するために、若い世代、子供への再分配を強化しようという、小泉進次郎氏らの提言(参考:「小泉進次郎氏らが激論!高齢者優遇は行き過ぎだ)も、グランドデザインという意味では物足りないと。
津川:若い世代への再分配を何とかしてやろうというのは、悪くないと思います。ただ、どこかから財源を取ってきて、若い世代にばら撒くということだけではなく、もう少し構造的にどう直すのかという議論を深めるべき時期が来ていると思います。特に、医療費の問題については、抜本的な改革が不可欠でしょう。
+日本の医療費の問題は、基本的には診療報酬制度にあります。2年に一度、診療報酬を上げ下げするというのは、国民皆保険制度が始まった時から、ずっと続けてきているわけです。当初は、それなりに上手くいっていたのですが、もう、制度的に持たなくなっているのではないかと私は考えています。
+過去、診療報酬を使い過ぎたところを、懲罰的に下げるということを、基本的に繰り返してきています。しかし、下げるとどうなるかというと、病院はあまり利幅が大きくないので、何らかほかのサービスを増やそうとするわけです。コンピューター断層撮影装置(CT)の診療報酬が下がったら、その代わりに磁気共鳴画像装置(MRI)を増やそうとか、どうにか失った収益を穴埋めしようとします。
+こうしたことを繰り返していて、結果的に、日本は世界で一番、MRIとCTが多い国になり、外来の件数や入院日数も米国の2~3倍、ベッド数も病院数も多いのです。分かりやすく言えば、医療サービスの単価が非常に低く、薄利多売によって経営を成り立たせている状態だと考えられます。 例えば、外来(再診)は1人700円くらいしかもらえないのですが、血液検査をすると数千円もらえるわけです。外来をやること自体の経済合理性を持たせようとしたら、山ほど患者を診てたくさん検査をしなければならなくなります。血液検査を毎回しないと、経営上、患者を診れば診るほど赤字になってしまいます。
+米国では6カ月に1回、病院に来てもらえばいいものを、日本では毎月来てもらうとか、来てもらうだけだと赤字だから、検査もしています。糖尿病では毎月コレストロールを調べる必要はないのに、毎月調べる。患者さんも、それでしっかり診てもらっているという気になるから、嬉しく思う。患者さんが腰が痛いと言ったら、比較的簡単にMRIを撮ります。患者さんの自己負担割合も低いので、お金の面でもブレーキがかからない。要するに、構造的に歪んでしまっている。これ以上、この制度を続けても、どうしようもないところまで来てしまっているんです。
+この制度を続ける以上、どんどん医療費が持たなくなって、また診療報酬を下げることになる。そうなると、薄利多売がさらに進む。そして現場の医師や看護師は忙しいと悲鳴を上げるようになる。これ以上、医療サービスの供給量を増やせなくなるところまで行き着いたら、病院が潰れていく。外来も、検査も、もうこれ以上増やせなくなり、それでも赤字だったら、もう、潰れるしかありません。 つまり、診療報酬制度そのものを見直すしかないと私は考えています。それには専門家がエビデンスをベースに、数年かけてじっくりと解を見出していかなければならないと思います。
▽民間企業である日本の病院は利益を最大化しようとする
――単価が安く薄利多売になっている状況を変えるには、どのような改革をすればいいのでしょうか。
津川:大切なのは、既存の仕組みの中でどうにか解決しようという発想から抜け出すことです。 大きな医療改革は、トップダウンで政治的に実施せざるを得ないと思います。ただし、拙速にやってはいけません。医療改革は、ハイリスクです。米国のオバマケアの時も、英国のトニー・ブレアの医療改革の時もそうでしたが、何が起きるかわからないですから。
――薄利多売をから抜け出すために、医療サービスの単価を上げることはできますか。
津川:今の状況では、単価を上げることはできません。病院が儲かるだけで、その結果として日本の財政破綻を早めてしまうでしょう。単価を上げても、外来や検査の量を減らすというようなインセンティブは全く無いからです。日本の病院は民間企業ですので、利益を最大化するように制度設計されています。
――では、どうしたらよいのでしょうか。
津川:今の診療報酬制度は、いわゆる「出来高払い」という仕組みです。これは、「量に対する支払い」とも言われるのですが、提供するサービスの量が増えるほど収入が増えるというものです。しかし、これはほとんどの国で、需要よりも供給が多くなってしまうという状況を招き、不十分な制度設計であると言われています。
+そのため、多くの国で「包括支払い」の方式を取り入れています。例えば、外来では「人頭支払い」と呼ばれる制度があります。患者1人当たりいくら、かかりつけ医の患者1人当たり1年間いくら、もしくは、風邪や糖尿病などで病院に来たら1回いくらといったように、医療機関への支払額を固定額にする仕組みです。そうすると、病院側としては、1人当たりのサービスの提供回数を減らした方が儲かるようになり、無駄なサービスが減るというわけです。
+ただ、この仕組みの問題点は、患者さんにとって必要なサービスと、必要でないサービスの両方を減らしてしまうことです。本来であれば、必要でないサービスだけを減らしたいわけですよね。腰が痛いという患者さんに湿布を出すとか、風邪を引いた患者さんに抗生剤を出すとか。その一方で、患者さんがひどい腹痛で来院したらお金がかかってもきちんとCTをオーダーして欲しい。患者さんにとってメリットのある医療まで控えられたら困ります。
+そこで多くの国では「ペイ・フォー・パフォーマンス」、つまり、業績に対する支払いを組み合わせているのです。ちゃんとガイドラインに沿った診療しているか、術後の30日死亡率は全国平均より低いかなどの実績を見て、悪かったら経済的なペナルティーを与えて、良かったらボーナスを与えるといったことをしています。
+この包括支払いにペイ・フォー・パフォーマンスを組み合わせるというのが、欧米では標準的になりつつあるのですが、日本でも「包括支払い」が部分的に導入されているとはいえ、まだ不十分だと思います。もちろん、この仕組みが全て正しいと証明されているわけではありません。特にペイ・フォー・パフォーマンスのエビデンスは弱く、日本でも実証研究が行われるべきだと思います。しかし、いずれにしても近い将来、何らかの形でより包括的な支払いを導入する必要があると考えます。
+日本で取り入れられている包括支払いは「DPC」という仕組みなのですが、これは米国の「DRG」という仕組みを日本版にアレンジしたものです。米国では、「入院1回当たりいくら」なのですが、日本では「入院1日当たりいくら」で、だんだん報酬が減っていくというものです。医療費を抑制するインセンティブは、米国のDRGほどは強く無いと考えられます。おそらく、そこには何らかの政治的な妥協があったと思われます。
▽しっかりとした死生観を持つことが大切
―なぜ、こうした「妥協」が生まれてしまうのでしょうか。
津川:病院が強く反対したからではないでしょうか。包括支払いになったら、その後、徐々に報酬も下げられて、いずれ梯子を外されてしまうのではないかと病院は考えるでしょうね。歴史的にも、日本はそういう「梯子を外す」ことをやってきた傾向がありますから、医療提供者の多くは厚生労働省に対して不信感を抱いているのかもしれません。
+もちろん、国と医療提供者は、同じ方向を向かなければなりません。病院もつぶしてはいけないし、医者も失業させてはいけないけれども、国が破産するわけにもいかない。そのことには、誰もが同意するはずで、本来であれば二人三脚で改革を進めるべきです。
――時間がかかりそうですね。
津川:いや、そうとも限りませんよ。米国でも、クリントン元大統領の時代には、医療改革に医師会は反対をしましたが、オバマ前大統領の時には反対をしませんでした。医療費が拡大して持続可能な状況ではないという問題が見えていれば、同じ方向を向いて議論することができると思います。 医師はすごく強欲なわけではありません。一般よりは高い報酬を得ているかもしれませんが、極端な高給取りではありません。人をだましてカネを儲けようとしているのではなく、基本的には患者さんを助けたいと思って医者になっている人がほとんどです。医療費で国の財政が破綻するまで、今の制度を続けようとは思っていません。
+ただ、自分たちだって生活が心配だし、国に対する不信感があるから、なかなか前に進まないのだと思います。それでも、問題が顕在化していけば、二人三脚で問題解決に取り組むようになってくると思います。
――医療費拡大の要因の1つに、延命治療など終末期にかかる高額の重装備医療があるとも言われています。
津川:ここで注意をしなければいけないのが、ほとんどの研究は、亡くなった患者さんについて、例えば亡くなる前の6カ月間にかかった医療費を調べ、生涯の医療費に占める割合を算出するといったものです。亡くなったというのは結果なので、医療行為を施して回復した患者さんのデータは含まれません。 つまり、亡くなった患者さんの終末期にかかった医療費が高額なのは、ある意味当然で、その数値が独り歩きしがちです。そもそも、健康な人には医療費はほとんどかかりません。具合が悪くなって、突然、多額の医療費がかかるわけです。そうした背景も、考慮しなければなりません。
+もちろん、日本ではやたらと胃ろうを作ったり、おそらく患者さんが望んでいないであろう終末期医療が多いことは確かです。終末期医療には、痛みを緩和していい時間を過ごせるようにしようといった、患者さんが望むものもあります。しかし、寝たきりで意識もないのに胃ろうが入って何年も生き続けるといったこともあります。本人が望んでいないのに、誰も意思決定ができずに、ズルズルと延命してしまうのは不幸な状況でしょう。
+終末期医療の議論で注意すべきなのは、本来、生きたい人に対して社会的なプレッシャーをかけるようなことはあってはならないということです。高齢者なのに抗がん剤を打ったらもったいないではないか、といった意見も聞きますが、90歳を超えてもしっかり歩いてご飯も食べて元気な方だっているわけです。 終末期医療はお金がかかるので削減しましょう、という議論ではなくて、本当に患者本人や家族はどのような医療を望んでいるのか、といった議論を進めるべきです。胃ろうを入れたり、意識のないまま寝たきりで生き続けたりすることは、患者さんの多くは望んでいないはずです。
+日本では多くの場合、家族に「どうしますか」と意思決定を求めますが、患者さんの生き死にを家族はなかなか決断できません。ですので、国民一人ひとりが、あらかじめ寝たきりになったら、延命は止めてほしいという意思表示をしておくべきなのです。 医療費が高いから延命をやめましょう、という議論ではなく、それはみんなにとって望むべき理想的な医療ではないのでやめましょう、という議論を展開すべきです。医療費が高いから、という議論にすると、必ず、高齢者や病気の人が悪者にされてしまう。
――それは、冒頭で指摘した世代間の対立をあおり、社会を分断するリスクを高めてしまうことにつながってしまいますね。
津川:そうです。どの国でも、「高齢者だから」というように年齢で区切って医学的な適用を拒否することはしていません。年齢を判断材料にすることはあっても、医療行為を拒否することは倫理的に問題があります。  重要なのは、無駄な医療をやめることです。そもそも、医療費の2割は無駄と言われています。年齢によって医療の適用を区別するのではなく、どうしたら医学的に必要な医療に限りある財源を有効活用できるかという議論を、国民レベルで深めていくべきでしょう。
――その際に大切なのは、私たち一人ひとりが、どう生き、どう死ぬかという、死生観をしっかりと持つことなのかもしれませんね。
津川:それこそが、幸せに暮らし、幸せに死ぬために必要なことだと思います。そして、それによって副次的に、医療費が減っていくのだと考えられます。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/051000049/061200007/?P=1

中山氏が語る外科医の勤務実態は、想像以上に厳しいことに驚かされた。 『「外科医は眠らねど余裕で執刀」という文化が脈々と続いてきたのです』、 『睡眠不足では手術の質が下がって当たり前』、 『外科医の9割は厚労省の定める「過労死ライン」の労働時間を軽々と超えているというデータもあります』、など驚きの連続である。 『高齢化が進むほど手術件数も増える』、のに 『小児科医は増えているのに外科医は減少』、というのは困った事態だ。報酬での優遇については触れられてないが、外科医としては自らは言いだし難いということなのだろうか?「複数主治医制」については、連絡ミスへの対応策が必要だろう。
モアレム氏が語る最新の遺伝子科学の成果も、驚きだ。 『もし人生というものが、生物学的に、また遺伝子的にあまりにもたやすいもので、自分の体や自分に対して何の挑戦もしなくていい、というのであれば、私たちは繁栄しなかったでしょう。日本の武術をみるとわかると思います。鍛えれば鍛えるほど強くなり痛みを感じなくなります。私たちの体も、遺伝的にそれと同じように機能するのです』との指摘は、人類の進化の必然性を示唆しているのかも知れない。
津川氏の記事にある  『「シルバー民主主義」とラベリングすることは、世代間対立をはっきりさせ、高齢者を悪者扱いしてしまうことにつながるのではないかと危惧しています』、 『診療報酬制度は、もう制度的に持たない』、 『重要なのは、無駄な医療をやめることです。そもそも、医療費の2割は無駄と言われています。年齢によって医療の適用を区別するのではなく、どうしたら医学的に必要な医療に限りある財源を有効活用できるかという議論を、国民レベルで深めていくべきでしょう』、などの指摘は正論だ。津川氏のようなバランスのとれた考え方をする若手医療政策学がいることを知っただけでも、なにやら嬉しくなった。
タグ:給料が同じなら誰だって、仕事がきつくなくて訴訟リスクが低い道を選びます ダイヤモンド・オンライン シャロン・モアレム その「ひと口」が遺伝子を変える!? 「遺伝学者×医師」が明かす“遺伝子スイッチ”の真実 『遺伝子は、変えられる。』著者 複数主治医制 日常生活で行うすべてのことが、遺伝子の働きを変え、さらにそのことが私たちの暮らし方、そして人生までも変えていくんです 当直明けがどのような状況 外科医長 外科医の9割は厚労省の定める「過労死ライン」の労働時間を軽々と超えているというデータもあります 術後、患者さんの状態は不安定になります。血圧が下がったり、尿が出にくくなったり、止血できていたはずなのに後で大出血することだってあります 「外科医は眠らねど余裕で執刀」という文化が脈々と続いてきたのです 総合南東北病院 徹夜明けの外科医に手術されるの、嫌ですか? 第6回 ブラック企業も真っ青の外科医という仕事 日経ビジネスオンライン 小児科医は増えているのに外科医は減少 中山 祐次郎 (その5)(徹夜明けの外科医に手術されるの 嫌ですか?、その「ひと口」が遺伝子を変える!?、高齢者優遇と医療費拡大、悪いのは誰だ?) 高齢化が進むほど手術件数も増える 医療問題 手術中に居眠り? 助手ならあり得ます 睡眠不足では手術の質が下がって当たり前 業務そのものの性質 外科医の矜持 外科医が全部で13人、大腸がんの手術を専門とする医師は私を入れて4人もいます 当直明けの外科医の執刀は手術関連の死亡を増やす」という論文 帰りたくても帰れない外科医の実態 エピジェネティックな変化のどの程度が次世代に伝わるかは、完全にはわかっていません 細胞はその遺伝子が発現して機能するのです。それが私たちの生命が辿る道を決定します 津川友介 高齢者優遇と医療費拡大、悪いのは誰だ? 医療政策学の若手論客・津川友介氏に聞く 「シルバー民主主義」というのは、日本によくあるラベリングではないでしょうか。言葉が独り歩きしています。若者が選挙に行かない問題などは、なかなか解決が難しいですよね。そもそも、それが本当に問題なのかと考えてみる必要もあると思います 、「シルバー民主主義」とラベリングすることは、世代間対立をはっきりさせ、高齢者を悪者扱いしてしまうことにつながるのではないかと危惧しています。それは、あまりいいやり方ではないでしょう 日本は、医療費の問題にしても、高齢者に高額の抗がん剤を使うのはどうなのかとか、透析患者さんに医療費をたくさん使うのはどうなのかとか、そういう国民間の対立構造を生む議論を、何かと持ち出す傾向にあります 社会の分断を生むことにつながりかねません 日本では、ここ最近は財政上の問題などもあり、そのはけ口の矛先が高齢者に向いているような気がしてなりません。 そういう議論が本当に問題解決に向けて正しい方向性なのかを、少し冷静になって考えた方がいいと思います。放っておくと、こうした議論はどんどん極端になり、米国のような状況になってしまうと思いますよ そもそも、医療費のコントロールは難しい 国の財政では防衛費や教育費などは政治的な判断で決定できます 医療費は、医療サービスがどれだけ使われているかや、どれだけ新しい高額の薬が開発されるかなど、外的に決まる要素が非常に大きい。間接的にコントロールすることはできても、予算配分できちっとコントロールすることは難しいという現実があります 医療費については、2つのことを考える必要があります。1つは、今、どれくらいかかっているかという、医療費の水準です。そしてもう1つが、毎年どれくらい上がっているのかという、増加率の問題です 自己負担を少し上げるというのは、1つ目の医療費の水準を下げることなのですが、増加率は変えてくれません 診療報酬制度は、もう制度的に持たない 日本は世界で一番、MRIとCTが多い国になり、外来の件数や入院日数も米国の2~3倍、ベッド数も病院数も多いのです。分かりやすく言えば、医療サービスの単価が非常に低く、薄利多売によって経営を成り立たせている状態だと考えられます 日本では毎月来てもらうとか、来てもらうだけだと赤字だから、検査もしています。糖尿病では毎月コレストロールを調べる必要はないのに、毎月調べる。患者さんも、それでしっかり診てもらっているという気になるから、嬉しく思う。患者さんが腰が痛いと言ったら、比較的簡単にMRIを撮ります。患者さんの自己負担割合も低いので、お金の面でもブレーキがかからない。要するに、構造的に歪んでしまっている 民間企業である日本の病院は利益を最大化しようとする 大きな医療改革は、トップダウンで政治的に実施せざるを得ないと思います。ただし、拙速にやってはいけません。医療改革は、ハイリスクです 包括支払いにペイ・フォー・パフォーマンスを組み合わせるというのが、欧米では標準的になりつつあるのですが、日本でも「包括支払い」が部分的に導入されているとはいえ、まだ不十分だと思います 日本ではやたらと胃ろうを作ったり、おそらく患者さんが望んでいないであろう終末期医療が多いことは確かです 本人が望んでいないのに、誰も意思決定ができずに、ズルズルと延命してしまうのは不幸な状況 終末期医療はお金がかかるので削減しましょう、という議論ではなくて、本当に患者本人や家族はどのような医療を望んでいるのか、といった議論を進めるべきです どの国でも、「高齢者だから」というように年齢で区切って医学的な適用を拒否することはしていません。年齢を判断材料にすることはあっても、医療行為を拒否することは倫理的に問題があります
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