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高齢化社会(その4)(小田嶋氏の二題:なぜ御社に有望新人が現れないのか、「シルバー民主主義」の注意点) [社会]

高齢化社会については、7月11日に取上げたが、今日は、(その4)(小田嶋氏の二題:なぜ御社に有望新人が現れないのか、「シルバー民主主義」の注意点) である。

先ずは、コラムニストの小田嶋隆氏が7月21日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「なぜ御社に有望新人が現れないのか」を紹介しよう。
・聖路加国際病院の名誉院長、日野原重明さんが亡くなった。105歳だったのだそうだ。 意外だったのは、私の周囲にいる同世代の人間の多くが、このたびの日野原さんの死にショックを受けていることだ。 意外、という言い方は、不謹慎かもしれない。 が、10年以上前に、父親を70代で見送っている私の実感からすると、105歳のご老人の大往生を惜しむ人がこれほど多いことには、やはり驚かされてしまうのだ。
・「永遠に死なない人だと思っていた」 という感じのコメントをツイッターに書き込んでいる人も多かった。  なるほど。100歳を超えたご老人は、ある意味、象徴的な存在になるものなのかもしれない。 でなくても、この日野原重明という人の言葉や生き方に勇気づけられていた日本人は少なくなかったはずだ。 平凡な感慨だが、長く生きた人の死は、その人が生きた時代の死でもある。とすれば、日野原重明氏の死によって、何百万人の人々の心の中で保持されていた何かが一斉に死んだわけで、これは、単なる一個人の死では片付けられないできごとだったのだろう。ご冥福をお祈りしたい。 
・今回は、高齢化について近頃考えたことなどを記録しておこうと思っている。 政局があわただしいこの時期に、あえてこのネタを扱う理由は、時事問題に鼻を突っ込むことに少々嫌気がさしているということもあるのだが、昨年の秋に還暦を迎えて以来、自分の年齢について考える機会が増えているからでもある。
・頭の中で考えていることは、いずれ書かれなければならない。 でないと、書かれなかった思念は、滞った血流や、野積みにされた生ゴミのように、いずれ悪い病気に結晶する……などと、大真面目にそんなふうに思い込んでいるわけでもないのだが、読む側の人間にどう映るのかはともかく、書く側の人間の仕事は、結局のところ、自分のアタマの中で起こる出来事に支配されているものなのだ。
・60歳を過ぎてからこっち、ツイッターなどを通じて「老害」という言葉を浴びせられる機会が増えた。 個人的に、この種の指摘には反論しないことにしている。 理由は、勝ち目がないからだ。 自分より年齢の若い人間に「老害」という言い方で総括されることは、言ってみれば、当然の帰結だ。 年上の人間に、「老害」と呼ばれたのであれば、私とて、一応の反撃は試みるかもしれない。が、相手が年下である以上、年齢の高低を争ったところで、こちらにははじめから勝算がない。
・背丈であるとか年齢であるとかいった、明白なエビデンスを伴った事柄については争わないのが、言論人のたしなみというもので、ここのところで争うと、かえって、年齢の大小を競うことに意味がある旨を自ら認めてしまうことになって、まことに具合いが良くない。 なので、年齢の話を持ってこられたケースでは、穏当に無視するか、でなければ 「おっしゃるとおりですね」 てな調子で紳士的に対応することにしている。 実際、おっしゃる通りだからだ。
・「老害」というこの言葉を発する人々の内心には、私個人への非難とは別に、「老人たちが社会を壟断して、若い世代の参入を阻んでいる現状」に対する抗議の気持ちがわだかまっている場合がある。 で、これもまた、おっしゃる通りだったりする。 あらためて見回してみると、たしかに、われわれが住んでいるこの国は、様々な分野で、いまだに老人支配が続いている。
・「いまだに」という言い方は、あるいは正確さを欠いているかもしれない。 現代の社会は、バブルの時期やそれ以前の高度成長の時代と比べて、むしろ、老人支配の度合いが進んでいる。 たとえば、1980年代の日本では、各界の先頭に立っているリーダーは、おおむね40代の人々だった。 雑誌の編集部に出入りするライターはもちろん、雑誌の編集者やデスクも、30代以下の人間が多かった。
・こういう話は、なかなか統計にあらわれにくい事例だとは思うのだが、明治政府の初期や、高度成長期の企業のリーダーを見ても明らかな通り、変革の時代や、好況が続いている社会では、若い人間が活躍することになっている。そして、どうやら、21世紀のわれわれの社会は、そういう時代とは正反対の原則で動いているように見える。
・つい先日、さる広告業界人と話したのだが、かの業界でも、高齢化は、着実に進んでいるらしい。 彼に言わせると、TCC(東京コピーライターズクラブ)で賞を獲る人間はもちろん、審査員も、応募者も、プレゼンターから司会者からゲストに至るまですべてが高齢化しているのだそうだ。であるからして、賞のためのイベントに集まるメンバーは、30年前からろくに変わっていない。最高齢者は80代に突入している。しかも現役。笑い話ではない。
・広告業界に限った話ではない。 テレビの業界でも、スタジオに立っている人間の顔ぶれが30年前から変わっていない番組が珍しくない。 「だって、ひな壇にすわってる若手が軒並み40代ですからね」 という、40代の「若手」芸人が持ち出してくる定番の話題にしてからが、ネタというよりは、事実そのままの情景描写だったりする。
・その若手氏によれば、自分たちがかれこれ20年も若手の地位に甘んじている理由は、一番上にいるビッグ3(タモリ、ビートたけし、明石家さんま)が健在で、その下の中堅(ダウンタウン、とんねるず、ナインティナイン、爆笑問題などなど)がこれまた盤石だからで、この人たちが席を空けてくれない限り、自分たちは、ひな壇から外に出ることができないのだそうだ。 まあ、言っていることはよくわかる。 その通りだとも思う。
・この現状について、 「老害が地位にしがみついているから若手が出てこれない」 と見るべきなのか、逆に 「若手の実力がふがいないから老人たちが生き残っている」 ととらえるべきなのか、それぞれ、見解の分かれるところだと思う。
・個人的には、お笑い世界の高齢化は、ベテランと若手のどちらか一方に責任を押し付けて良い話ではないと思っている。 思うに、高齢化は、お笑いというジャンルそのものの衰退ないしは生命力の低下を物語る変化だ。 おそらくこの先、お笑いは、演歌やロックミュージックが一歩先を歩いているのと同じ形の、「ジャンルまるごとの高齢化」を果たすことになるはずだ。具体的に言えば、演者のみならず聴衆や業界人や関係者すべてを含む人間が、同じように年をとって、そのまま消えて行く、ということだ。
・出版の世界にも似た話はある。 ライターの世界は、もっと極端かもしれない。 実際、われわれの世界では、お笑いの世界以上に、若手が出てきていない。 80年代の雑誌創刊ブームの時代に、20代から30代の若手ライターとして一斉に登場した「新人類ライター」「サブカル文化人」「テクニカルライター」といったあたりの人間たちが、いまだになんだかんだ第一線で活躍している。
・この間、現在に至るまでの約30年余り、新しい若手がまるで登場しなかったわけでもないのだが、その彼らは、結局この業界に定着していない。 あらためて眺めてみると、不思議ななりゆきではある。 どうして、若手が育たないのだろうか。
・これにも、いくつかの仮説がある。 「若手が育たないというより、若い人が参入してくれなくなっているのだと思うよ」 「っていうか、見切りをつけられた、と言うべきなんじゃないか。この際はっきりと」 「近海アワビ漁の後継者不足に似た話だということか?」 「むしろ曲げわっぱだとか風呂桶を作る職人の最若手が50代でしたぐらいな話に近いと思う」 「最後の和文タイプ名人とか、おじいさんのランプとか、そういう話かもしれない」 「ごんお前だったのか、メールで原稿を送ってくれていたのは、的な?」 「いずれにせよ、オレがイケてる若者だったらこんな仕事は目指さないな」 と、多少とも業界の事情に通じている人間は、若手の人材不足を、もっぱら業界そのものの黄昏を示唆する出来事として受け止めている。
・が、若手のライターやライター志望の若者たちは、必ずしもそう思っていない。 「高齢のライター同士がギルドみたいな職能集団を形成していて、若い書き手の参入を阻んでいる」 と思っている人たちが、一定数いる。実際、こういう見方を開陳している人たちの存在をネット上のブログやツイッターで発見して私は、驚いたものなのだが、まあ、若い人たちから見れば、そういうことなのかもしれない。
・ライターだけではなく、編集者もデスクも編集長も軒並み高齢化している雑誌の世界は、彼らの目には高齢の人間たちがスクラムを組んで若手を排除している利権共同体みたいに見えている、その可能性はある。
・いつだったか、ツイッター上で、「高齢のライター(評論家)は、後進に道を譲るべきだ」という内容を含むツイートが話題になったことがある。 これを書いたライターさんの主たる主張は、必ずしも「高齢のライターは身を退くべきだ」というところにはなくて、いくつか別の話をするなかで、このフレーズが出てきただけの話なのだが、話題はそこから派生して「老害ライターは身を退くべきか」といったあたりで無責任に盛り上がった。
・私は、勝手に横からこの騒ぎを眺めつつ、以下のようなツイートを書き込んだ。 《芸人であれライターであれ商業メディアで働く者の生殺与奪の権を握っているのは、プロデューサーであり編集者であって、出演者、書き手はただの駒で、だから後進に道を譲るとか、そんな話はそもそも夢物語だよ。どこの玉ねぎが新玉ねぎに棚を譲ってゴミ箱に身投げする? 八百屋の親父に言えよ。》(こちら)
・このツイートの中で、私は、ライターが、自分の立ち回り先や引退時期を決める権利も権限も持っていないという単純な事実を指摘したつもりでいる。 ライターは演者に過ぎない。彼を起用し、配置し、テキストを書かせ、あるいは隅に追いやり、廃棄し、ペンを取り上げる権利は、編集者が持っている。ということは、老害ライターの排除は、老害ライター自身に対してでなく、彼らを起用している老害編集者に向けて訴えるべきだということだ。
・この問題は、単純なようでいて、意外に奥が深い。 で、最近、私は、この問題の陰険な奥の深さが、若い人たちにライター業への参入をためらわせている理由の本命なのではなかろうかと思い始めている。 順を追って説明する。 まず、ライターと編集者の関係は、単純な上下関係ではない。 《ライターを「時々仕事をまわしてやってる出入りの業者」ぐらいに思っている編集者は実在する。いま言ってるのは「そういう態度をとる編集者」のこと。内心でそう思ってる組はもっと多いはず。まあ、こっちが「時々仕事をまわしてもらっている出入りの業者」であること自体は事実だし。》(こちら)
・《ライターと編集者の関係では、慣例上、編集者がライターを「先生」と呼んで敬うことになっている。が、その一方で、ライターにとって編集者は、金主であり発注元であり自分の生殺与奪の権を握る全能の人間だったりもする。そんなわけなので、われわれは互いに皮肉を言い合わずにおれない。》(こちら) 
・以上のツイートが示唆している通り、ライターと編集者は、微妙なチェックアンドバランスの力関係の中で、互いに互いを牽制するべく宿命づけられている。 であるからして、実際のところライターは、外からそう見えているほど自由気ままに生きているわけでもない。というよりもほとんどのライターは、一般のサラリーマン以上に自分の生活を守ることに汲々としている。
・ライターを目指すタイプの若い人は、多かれ少なかれ、「自分の腕一本で、自由に生きていく、クリエイティブな生き方」を志向している。 ところが、その自由であるはずのライター業が、一般のサラリーマン以上に、営業努力と業界遊泳術に身をやつして生きている自分売り商売なのだとしたら、夢もへったくれもないではないか。 大きな稼ぎが期待できるのならともかく、貧しくても自由な生き方をと思っていたその職業生活が、貧しい上に米つきバッタよろしくのペコペコ人生なのだとしたら、とてもじゃないがやっていられない。
・1週間ほど前、ある出版社の社員編集者のアカウントが  《商売柄「ライターの仕事をしたい」という人と接する機会は多くて、「どんな勉強すればいいんですか」と聞かれるたびに「人柄をよくしましょう」と言っています。一度だけ「実力勝負じゃないんですか」と返されたことがありますが、「その勝負の舞台に何回上がれるか決めるのが人柄です」と答えました。》(こちら) というツイートを書いて、これが、ちょっと話題になった。ちなみに、7月20日現在で、このツイートは、7252件RT(リツイート)されており、「いいね」の数は1万を超えている。
・それほど支持されているということだ。 このツイートをした編集者氏は、前向きで役に立つ情報や、古典文学や出版界のできごとについてちょっとした発見やウンチクを披露してくれている人で、私自身、常々敬意を抱いている発信者だ。 ただ、この日のこのツイートには、現役のライターである身として、いささかカチンと来た。 なんというのか、期待される最大の能力が「人柄」であるような職業があるのだとしたら、その職業でメシを食っている人間は「間抜け」ないしは「腰抜け」ということになってしまう気がしたからだ。
・ライター志望の若者に良き人であることの大切さを教える主旨そのものは、間違っていない。というか、まったく正しいと思う。しかしながら、ライティングの技巧そのものより、それを生かす周辺技術(すなわち「人柄」)の方が大切であるかのような言い方をしたら、若者は、ハシゴを外された印象を持たないだろうか。
・私が、こんなことを言うのは、半分ぐらいは偏見かもしれないのだが、ライターを志望するのは、文章の得意不得意以前に、対人交渉能力や対社会適応力に自信を持てずにいる若者である気がしているからだ。 そういう、人付き合いが苦手だったり、組織の一員とした過ごすことに圧迫を感じがちだったりする若者が、「人柄をよくしましょう」というアドバイスを投げかけられたら、彼はおそらく、失望感を抱くはずだ。
・実際のところ、ライティングの仕事を得るのは、文章の上手い若者よりは、コミュ力万全の座持ちの良い若者であるのかもしれない。 でも、心の底からライターになりたいと思っているのは、実のところ、「人柄なんかで判断されたら、オレなんかとてもじゃないけど通用しない」と思い込んでいる若者の方で、こういう人たちが業界に来てくれないと、若い才能の払底は解消されない、と、少なくとも私はそう考えている。
・で、私は、当日、 《出版社の社員編集者が、ライター志望の若者に人格の向上を促すアドバイスを送ったら、相手の耳には「オレに気に入られるように努力しろ」というニュアンスで響くことになると思う。というのも、若いライターにとって、編集者は、金主であり発注元であり自分の生殺与奪の権を握る全能の人間だからだ。》(こちら) というツイートを書き込んだ。また、翌日には、さらにくどくどと 《実際は「ライターの書いてくる原稿なんて大差ないんだからオレは感じの良いヤツに仕事を回すよ」てなことなのかもしれない。だけど、建前としては「良い原稿のためなら火の中にだって飛び込むぞ」「良い原稿を書くのであれば悪魔とだって取引する」と言っておくのが編集者魂ってものじゃないのか?》(こちら) というコメントを書き込んでいる。
・クリエーターの世界で高齢化が進んでいるのは、お笑い芸人であれ、ライターであれ、フリーのコピーライターであれ、とにかく、若い人たちが自分の腕で勝負する職業に魅力を感じなくなっていることの現れなのだと思う。
・というよりも、彼らはすでに「自分の腕で勝負する」というファンタジーを信じていないのかもしれない。 「なんですかそれ? 腕一本で勝負とかどこのファンタジーゲームですかw」 と、だからこそ、「人柄をよくしましょう」のツイートが1万件以上の「いいね」を獲得しているわけで、結局のところ、この30年、うちの国の社会は、「腕」や「才能」よりも、ただただひたすらに「人柄」「コミュ力」「協調性」を重視する方向でわれわれを運んできたのである。
・「才能」などという考え方自体、おとぎ話に過ぎないのかもしれない。 あるいは、最前線で文章の編集にたずさわっているベテランの編集者からすれば、「才能」の二文字ほどライター志望の若者を害する言葉はないということなのかもしれない。 私も、半分ほどまでは、その考えに賛成する。実際、才能だとかを信じて道を誤る若者は常に一定数いるわけだし、それを思えば、「大切なのは人柄だよ」と言っておいた方が、結果としては思いやり深いのかもしれない。どうせ完全に思い上がった若者は、「人柄」と言われても、「ケッ」としか思わない。とすれば、半端に思い上がった若者に覚醒を促すぐらいの言葉がちょうど良いと言えば言えるのかもしれないからだ。
・好況が続いていた時代の若者であった私は、心のどこかで、 「20代はまるごとぶらぶらしていてもOK」 だと思っていた。のみならず  「そのうち自分にふさわしい仕事が向こうからやってくるだろう」  てな調子で、世間を舐めた世渡りを続行していた。 同じことを、いまの若い人たちに求めるのはおそらく無茶な話なのだろう。 なにしろ、ライターにさえ「人柄」が求められる時代だ。 長生きをしてしまうと、私もそのうち「人間合格」ぐらいなタイトルで自己啓発本を書かねばならなくなるのだろうか。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/072000103/?P=1

次に、小田嶋氏が7月28日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「「シルバー民主主義」の注意点」を紹介しよう。
・今回も、高齢者の話をする。 退屈そうだと思った人は、別の記事に進まれるのがよろしかろう。 そのほうが、お互いに無駄な時間を使わなくて済む。 人生の時間は有限だ。 大切なのは何をするかではなく、何をしないかであり、より実効的な指針は、どこかにあるかもしれない有意義な文章を探しに行くことではなく、目に前にある無駄なテキストを読まないことだ。 では、ごきげんよう。
・「シルバー民主主義」という言葉をはじめて聞いたのは、5年ほど前のことだったろうか。 初出のタイミングについて、私は、正確なところを知らないのだが、ともあれ、この言葉が、数年前までは、わりと単純に「高齢者の政治的発言力が高まる傾向」ぐらいな意味で使われていたことは、なんとなく記憶している。
・背景となっていた理屈は、人口構成に占める高齢者の割合が高まりつつある流れを反映して、選挙や世論調査において、高齢者の影響力が増し、ために、現実の政治においても高齢者向けの施策が優先されがちになっている、といったようなお話だった。 この傾向は、現在でも変わっていない。 より顕著になってきているかもしれない。
・選挙では、ただでさえ人口の多い高齢者が、投票率においても若年層を圧倒しているために、その発言力はより大きくなる。 で、政治家は高齢者の票を強く意識するようになり、テレビメディアもまた、在宅率が高くテレビ視聴時間の長い高齢層に焦点を当てた番組づくりに注力している。
・最近、気になっているのは、この「シルバー民主主義」という用語が、言われはじめた当初と比べて、よりネガティブなニュアンスで使用されていることだ。 どういうことなのかというと、「シルバー民主主義」には、 「老害」 「頑迷で考えの浅い老人たちが政治を壟断している」 「無駄なノスタルジーに浸る団塊の連中が例によって奇妙な影響力を発揮しようとしている」 「テレビばっかり見ているじいさんばあさんが日本の政治を停滞させている」 「ヒマな老人って、やたら選挙に行くんだよね」 「っていうか、あの人たち政治だの揉め事だのが大好きだから」 「きっと無知な分だけ声がデカいんだろうな」 という感じの行間の叫びみたいなものが含まれ始めているということだ。
・昨今のネット論壇の文脈では、「シルバー民主主義」なるフレーズは、「衆愚政治」「商業主義マスコミ」「スキャンダリズム報道」「センセーショナリズム」「出歯亀ワイド」「メディアスクラム」といったあたりの言葉と同じテーブルに並ぶことになっている。で、それらをひっくるめた全体的な流れとして、 「スポンサーのカネに目がくらんだ邪悪なマスコミが、蒙昧な大衆を煽動して不穏な政治的偏向を助長している」 ぐらいな論調を形成するわけだ。
・総人口の中に高齢者が占める割合が増えていることはまぎれもない事実だ。 この傾向が、引き続き持続するであろうこともほぼ間違いない。 当然の帰結として、政治なり経済なりマスコミなりの想定ターゲットが高齢者にシフトすることもまた、わかりきった話だ。
・とはいえ、だからといって、そのことをもって単純に政治や文化が劣化すると断じて良いものではないはずだ。 ここのところで安易な短絡をやらかしたら、ここから先の議論が、まるごと凶悪なアジテーションに収束してしまう。 むしろ警戒せねばならないのは、若年層と中高年層の間に無理やりに線を引っぱって分断をはかろうとする人々の論法なのであって、私が個人的にこの5年ほど懸念を抱いているのも、必要のない場所でやたらと世代論を持ち出す論者の語り口であったりする。
・であるからして、私の中では、「シルバー民主主義」は、「老害」と同じく、要警戒なワードとして分類してある。 誰かの文章の中に、この言葉を見つけたら、私は、以降、警戒モードで文章を読み進めることにしている。 そうしない時は、その場でウィンドウを閉じる。 大切なのは、有意義な文章を読むことより、悪影響をもたらすテキストを排除することだからだ。
・2つほど、実例を紹介する。 ひとつめは、7月24日に配信された山本一郎という個人投資家・作家による「年寄り民主主義とテレビ番組に反政府を煽られて勝敗が決した仙台市長選」というタイトルの記事だ(こちら)。 記事の中で、山本氏は「シルバー民主主義」という言葉をあえて使わず、代わりに「年寄り民主主義」というより侮蔑的に響くフレーズを採用している。 《民進党と社民党の支持、共産党と自由党の支援を受けた野党統一候補である郡和子女史の当選については、幅広い支持というよりは50代以上女性からの厚い支持とそこまで高くはならなかった投票率によって当選に漕ぎ着けた印象で、反安倍現象以上に「シルバーデモクラシー」と呼ばれる年寄り民主主義の到来のように見えます。》 と、山本氏は書いている。
・「年寄り民主主義の到来」 という言い方をしていることでもわかる通り、山本氏は、「年寄り民主主義」を、ほぼ「衆愚政治」と同じニュアンスで使っている。 「年寄り民主主義」は、民主主義そのものの老化ないしは劣化の行き着く果てとして、われわれの社会に「到来」しつつあるもので、おそらく、彼の見立てでは、一種の災厄てなことになるのだろう。
・細かいところを見ていくと、この原稿の中で引用されている最初のグラフは、 「各社出口調査から推定される年代別投票率の推計」 ということになっているのだが、「各社」が具体的にどの会社とどの会社を指しているのかが示されていない。「推計」が誰によってどのように為されたのかについても説明がない。次の《「仙台市長選の各社平均の速報値(暫定)。安倍政権支持率と得票がやや連動している》とキャプションがつけられているグラフの、「各社」も同様だ。
・《一方、仙台市長選のグループインタビューにおいてはサンプル数が少ないながらも郡和子女史に投票した中高年女性の53%ほどが「特に(郡女史を)支持していない」「郡女史の政策を知らない」と回答しています。》として引用されている、「グループインタビュー」が、誰によってどういうサンプル数で、いつ実施されたものであるのかについても、まったく説明がない。
・記事の中で数字として示されている、かに見えるエビデンスやファクトに、ソースとして示して欲しい部分が欠けているのは、論客の山本氏にしては残念なところだが、もっと気になるのは、無造作に使われている「反政府」という言葉の不穏さだ。 タイトルからして 「年寄り民主主義とテレビ番組に反政府を煽られて勝敗が決した仙台市長選」 と、テレビが「反政府」を煽っているかのごとき前提で書かれている。
・では、テレビは、「反政府」を煽っているのだろうか。 私はそうは思わない。 7月に入ってからこっち、朝昼の情報ワイド番組が、政権の疑惑についての報道を連日繰り返していることは事実だ。 が、テレビ局のスタッフは、「反政府」を煽るためにその種のニュースをヘビーローテーションしているのではない。 おそらくは、単に数字の穫れる話題を重点的に追いかけているに過ぎない。
・この傾向を「反政府」という言葉で説明する態度は、それこそ、昨今流行している言葉で言えば、悪質な印象操作になろうかと思う。 でなくても、あまりにもばかげている。 政権の疑惑を報じることと、反政府を煽ることは同じではない。
・「反政府」という用語ないしは接頭語は、「反政府ゲリラ」「反政府一斉蜂起」という多少とも暴力的な要素を含む文脈で使われる言葉で、テレビ番組の編集方針や特定の候補に票を投じた市民の政治的傾向を描写する場面で不用意に使って良いものではない。 記事の中で、山本氏が指摘している通り、民進党と社民党の支持、共産党と自由党の支援を受けた野党統一候補である郡和子氏に投票した人々の中に、安倍政権を支持しない層の市民が多かったことは事実だと思う。
・が、「安倍政権を支持しない」ということを、「反政府」という言葉でくくるのは、当たり前の話だが、適切な用語法ではない。 まあ、ここのところは、「反日」と言わなかっただけでも良心的だったと考えてさしあげるべきところなのかもしれない。 ともあれ、テレビが政権の打倒を煽ったから、それに乗せられた老人層が極端な投票行動に走ったみたいな分析の仕方は、あまりにも有権者を愚弄したものの見方だろう。
・2つめの実例は、7月22日にアゴラというサイトに掲載された 《マスコミを極左化させる「文学部バイアス」》 というタイトルの記事だ(こちら)。 この記事の中でも、シルバー民主主義とテレビディアの蜜月が指摘されている。
・筆者の池田信夫氏は、記事の中で「ワイドショーに登場するコメンテーターが極左化する」理由として、3つの理由を挙げている。そのうちの1つ目が 《第一はマーケティングだ。テレビの主要な視聴者である老人は、ちょっと前までは戦争の記憶があり、特に戦争から生還した世代には「押しつけ憲法」に対する反感が強かったが、そういう世代はいなくなり、団塊の世代が主要な客になった。彼らは子供のころ「平和憲法」の教育を受けたので、ガラパゴス平和主義になじみやすい。》 ということになっている。
・「ガラパゴス平和主義」というのは、たぶん池田氏の造語で、「世界の現状から取り残された日本国内でだけ通用する自閉的で幻想的な平和主義」といったほどの意味だと思うのだが、いずれにせよ、テレビの主要な視聴者層を「老人」と決めつけていることからも、彼が「テレビ漬けの老人たち」のアタマの中身をあまり高く評価していないことはたしかだと思う。
・この論考の中では、「文学部バイアス」という言葉がなかなか印象深い。 意味するところは以下のとおりだ。 《第二は業界のバイアスだ。マスコミに入る学生は超エリートではなく、役所に入れる法学部や銀行に入れる経済学部には、マスコミ志望は少ない(私のころ東大経済学部からNHKに入る学生は、2年に1人ぐらいだった)。多いのは普通の会社に就職できない文学部卒で、法学部エリートに対する左翼的ルサンチマンがある。現場を離れると、正直になるのかもしれない。》
・どうやら、池田信夫氏は、マスコミに就職する文学部出身の人間たちが、役所や銀行に行った法学部や経済学部の学生たちに「左翼的ルサンチマン」を抱いていて、その気持ちが、「文学部バイアス」として、反体制な報道を呼び寄せると考えているらしい。 なんだかめまいがしてくるようなお話だ。 特に論評はしない。各自、自己責任でくらくらしてください。
・テレビ番組を「反政府」と呼ぶことが適切であるのかどうかはともかく、この1か月ほど、民放各局の報道・情報番組のタイムテーブルの中で、政権に対して批判的な内容を含むニュースの割合が増えたことは、山本、池田両氏が指摘している通り、明らかな事実だ。 テレビの主たる視聴者層が高齢者であり、1日の中で最も長時間テレビを見ている人々が高齢者層であることも、また彼らが指摘している通りだ。
・ということは、言葉の使い方はともかくとして、彼らの論旨が的を射ているではないか、という見方も成立するとは思う。 私は、この種の議論を展開する際には、因果関係を慎重に見極めなければならないと考えている。
・つまり、テレビが政権にとってダメージになる情報を積極的に流すようになったから、有権者がそのテレビ報道に煽られて、反政権的な気持ちを強く抱くようになって、その結果、与党が選挙で負けるようになったというふうに考えるべきなのか、逆に、そもそも視聴者の中に政権に対して不信感を抱く人々が増えたから、政権の疑惑を追及する番組企画の視聴率が上がって、その高視聴率に対応してテレビがその種の企画を連発するようになり、一方選挙では、有権者の政権への不信感を反映して、与党が敗北する結果があらわれるようになったと見るべきなのか。
・どちらが正しいのかは正直言って分からない。 分かるのは、これは、簡単には決められないということだけだ。 最後に産経新聞とFNNが合同で実施した世論調査の結果を見てみよう(こちら)。 これを見ると、全体として、安倍政権の支持率は、高齢者になるほど低い。 しかしながら、5月から7月に至る推移を見ると、最も大きく支持率を減らしているのは10代~20代の女性であり(70.6%→33.8%。同年代の男性は70.8%→44.4%)、数字として最も低い支持率を記録しているのは、40代、50代の女性だ(29.4%、27.8%)。
・この結果を見る限り、テレビに影響されて反政府に翻った人々がいるのだとしたら、それは高齢者であるよりは、むしろそれ以外の層だということになる。 というのも、高齢者層の政権支持率は、テレビが政権批判報道の比率を高める前の5月から、すでに平均より低かったからだ(同様に5月と7月で比較すると、60代以上の男性は56.6%→30.3%、女性は42.9%→30.1%、全体平均は男性で60.3%→38.6%、女性で52.1%→31.0%)。
・数字の読み方は、こちらの読み方次第で、ある程度どうにでもなるものだ。 なので、私は、特定の社の世論調査の結果を見て、政権支持層の分布を断定的に語ろうとは思わない。 ただ、ひとつ言えるのは、現状において「シルバー民主主義」「シルバーデモクラシー」「年寄り民主主義」といったあたりの用語を見出しに持ってきたうえで展開される記事は、高齢者への偏見を利用した眉唾モノの立論だと思って、眉毛に唾をつけてから読みにかかるほうが無難だということだ。
・誰かを悪者にする耳当たりのいい「正論」を、目くらましに使っているだけかもしれない。 もちろん、ハナから読まないという選択肢もある。 むしろ、正しいのはそっちかとも思う。 確率論的に言えば、ウェブ上のテキストであれ、活字であれ、脳にとって有害な文章の方が多いからだ。
・当稿も、読者を選ぶタイプのテキストではある。 面白くないと思ったあなたにとっては、有害だったはずだ。 貴重な時間を浪費させてすまなかった。 ラジオ体操でもして、忘れてくれ。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/072700104/?P=1

第一の記事にある 『現代の社会は、バブルの時期やそれ以前の高度成長の時代と比べて、むしろ、老人支配の度合いが進んでいる』、 『お笑い世界の高齢化』の例は言われてみればその通りで、愕然とした。 『ライターにさえ「人柄」が求められる時代』、のなかで、頑張らざるを得ない若い世代には同情する他ない。「少子化」を放置してきた日本社会が払わざるを得ないツケなのだろう。
第二の記事で、 『私の中では、「シルバー民主主義」は、「老害」と同じく、要警戒なワードとして分類してある』、との指摘はその通りだ。 池田信夫が 『戦争から生還した世代には「押しつけ憲法」に対する反感が強かったが、そういう世代はいなくなり、団塊の世代が主要な客になった。彼らは子供のころ「平和憲法」の教育を受けたので、ガラパゴス平和主義になじみやすい』、 『「文学部バイアス」』、と乱暴な指摘をしているのは、驚いた。私も団塊の世代だが、少なくとも私の両親は戦争体験があるだけに、私よりも反戦意識が強かった。 『この1か月ほど、民放各局の報道・情報番組のタイムテーブルの中で、政権に対して批判的な内容を含むニュースの割合が増えたことは、山本、池田両氏が指摘している通り、明らかな事実だ』、との指摘は、森友学園、加計学園と余りに酷く世間の関心を引くテーマが出てきたので、そうしているだけだろう。その前までは、安部政権のマスコミ・コントロールは「巧みだ」と言われていた。こうした流れを見ずに、現在の局面だけで論じている山本、池田両氏の論旨は粗雑過ぎる。 『「シルバー民主主義」「シルバーデモクラシー」「年寄り民主主義」といったあたりの用語を見出しに持ってきたうえで展開される記事は、高齢者への偏見を利用した眉唾モノの立論だと思って、眉毛に唾をつけてから読みにかかるほうが無難だということだ』、との小田嶋氏の見立てはその通りで、今後気をつけたい。
タグ:小田嶋隆 (その4)(小田嶋氏の二題:なぜ御社に有望新人が現れないのか、「シルバー民主主義」の注意点) 高齢化社会 日経ビジネスオンライン なぜ御社に有望新人が現れないのか たしかに、われわれが住んでいるこの国は、様々な分野で、いまだに老人支配が続いている 変革の時代や、好況が続いている社会では、若い人間が活躍することになっている。そして、どうやら、21世紀のわれわれの社会は、そういう時代とは正反対の原則で動いているように見える 広告業界 テレビの業界 お笑い世界の高齢化 ライターの世界は、もっと極端かもしれない。 実際、われわれの世界では、お笑いの世界以上に、若手が出てきていない 高齢のライター同士がギルドみたいな職能集団を形成していて、若い書き手の参入を阻んでいる」 と思っている人たちが、一定数いる ・ライターだけではなく、編集者もデスクも編集長も軒並み高齢化している雑誌の世界 心の底からライターになりたいと思っているのは、実のところ、「人柄なんかで判断されたら、オレなんかとてもじゃないけど通用しない」と思い込んでいる若者の方で、こういう人たちが業界に来てくれないと、若い才能の払底は解消されない、と、少なくとも私はそう考えている 結局のところ、この30年、うちの国の社会は、「腕」や「才能」よりも、ただただひたすらに「人柄」「コミュ力」「協調性」を重視する方向でわれわれを運んできたのである ライターにさえ「人柄」が求められる時代だ 「「シルバー民主主義」の注意点」 、「シルバー民主主義」には、 「老害」 「頑迷で考えの浅い老人たちが政治を壟断している」 「無駄なノスタルジーに浸る団塊の連中が例によって奇妙な影響力を発揮しようとしている」 「テレビばっかり見ているじいさんばあさんが日本の政治を停滞させている」 「ヒマな老人って、やたら選挙に行くんだよね」 「っていうか、あの人たち政治だの揉め事だのが大好きだから」 「きっと無知な分だけ声がデカいんだろうな」 という感じの行間の叫びみたいなものが含まれ始めているということだ スポンサーのカネに目がくらんだ邪悪なマスコミが、蒙昧な大衆を煽動して不穏な政治的偏向を助長している」 ぐらいな論調 山本一郎 年寄り民主主義とテレビ番組に反政府を煽られて勝敗が決した仙台市長選 山本氏は、「年寄り民主主義」を、ほぼ「衆愚政治」と同じニュアンスで使っている 7月に入ってからこっち、朝昼の情報ワイド番組が、政権の疑惑についての報道を連日繰り返していることは事実だ。 が、テレビ局のスタッフは、「反政府」を煽るためにその種のニュースをヘビーローテーションしているのではない。 おそらくは、単に数字の穫れる話題を重点的に追いかけているに過ぎない ・この傾向を「反政府」という言葉で説明する態度は、それこそ、昨今流行している言葉で言えば、悪質な印象操作になろうかと思う アゴラ マスコミを極左化させる「文学部バイアス」》 池田信夫 ワイドショーに登場するコメンテーターが極左化する」理由 戦争から生還した世代には「押しつけ憲法」に対する反感が強かったが、そういう世代はいなくなり、団塊の世代が主要な客になった。彼らは子供のころ「平和憲法」の教育を受けたので、ガラパゴス平和主義になじみやすい 文学部バイアス 第二は業界のバイアスだ。マスコミに入る学生は超エリートではなく、役所に入れる法学部や銀行に入れる経済学部には、マスコミ志望は少ない(私のころ東大経済学部からNHKに入る学生は、2年に1人ぐらいだった)。多いのは普通の会社に就職できない文学部卒で、法学部エリートに対する左翼的ルサンチマンがある。現場を離れると、正直になるのかもしれない この1か月ほど、民放各局の報道・情報番組のタイムテーブルの中で、政権に対して批判的な内容を含むニュースの割合が増えたことは、山本、池田両氏が指摘している通り、明らかな事実 テレビが政権にとってダメージになる情報を積極的に流すようになったから、有権者がそのテレビ報道に煽られて、反政権的な気持ちを強く抱くようになって、その結果、与党が選挙で負けるようになったというふうに考えるべきなのか 逆に、そもそも視聴者の中に政権に対して不信感を抱く人々が増えたから、政権の疑惑を追及する番組企画の視聴率が上がって、その高視聴率に対応してテレビがその種の企画を連発するようになり、一方選挙では、有権者の政権への不信感を反映して、与党が敗北する結果があらわれるようになったと見るべきなのか 現状において「シルバー民主主義」「シルバーデモクラシー」「年寄り民主主義」といったあたりの用語を見出しに持ってきたうえで展開される記事は、高齢者への偏見を利用した眉唾モノの立論だと思って、眉毛に唾をつけてから読みにかかるほうが無難だということだ
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