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いじめ問題(その6)(いじめ問題研究家 内藤 朝雄氏による残り1題:人格を壊して遊ぶ…日本で「いじめ自殺」がなくならない根深い構造) [社会]

昨日に続いて、いじめ問題(その6)(いじめ問題研究家 内藤 朝雄氏による残り1題:人格を壊して遊ぶ…日本で「いじめ自殺」がなくならない根深い構造) を取上げよう。

明治大学准教授 いじめ問題研究 内藤 朝雄氏が11月3日付け現代ビジネスに寄稿した「人格を壊して遊ぶ…日本で「いじめ自殺」がなくならない根深い構造 戦争中の全体主義を超えている…」を紹介しよう(▽は小見出し)
・なぜ「いじめ自殺」が後を絶たないのか? 「教育」なら何でも許されていいのか? 大反響となった「いじめ自殺を隠蔽するとき、教育者が必ず口にする『異常な論理』」につづき、茨城県取手市・中3女子自殺事件の核心に迫る。
▽「いじめ殺す」とは何か?
・茨城県取手市・中3女子自殺事件のように、子どもが自殺に追い込まれ、いじめ殺されてしまうのは、逃げられず対人距離を調節できない閉鎖環境の効果が大きく関与している。 このような有害作用から子どもたちを守るために、閉鎖空間に閉じこめ強制的にベタベタさせる現行学校制度を見直すことを、公論の主題にしならなければならないのではないか。
・ここでは、中島菜保子さんが学校のグループ(教員が含まれる可能性もある)によっていじめ殺された経緯から、閉ざされた集団生活のなかで、加害者がどこまでも加害を続け、被害者が内側から破壊されるしくみを考える。そして、国や自治体の「閉鎖空間設定責任」という新しい考えを世に訴える。
・いじめ殺すとは、「さんざん苦しめ悩まして殺す。苦しめ抜いて死なせる」(『日本国語大辞典』)の意である。 資料は限られている。菜保子さんがグループに囲い込まれ、迫害され、壊されていった具体的な出来事についての報道は、教委に関する報道に比べて、とても少ない。 学校や教委は、生徒を外部社会の力に触れさせたくない。彼らを<自分たち教育のもの>にしておきたい。<我らの世界>で起きた残酷と不正を隠したい。当然、学校や教委は、生徒への直接取材をしないでほしいとメディアに強く要求する。
・だからこそ、学校や教委が最もいやがることをしなければならない。 メディアは、学校と教委が子どもたちを<教育のなかの我らの世界>に囲い込んで隠蔽するのに対し、それをこじ開け、市民社会の公共性のもとに引きずり出し、照らし出さなければならない。それが社会正義の担い手としてのジャーナリズムの役割である。
・菜保子さんがいじめ殺された経緯について、きちんと調査取材をして報じようとしたのは、筆者が知るかぎり週刊文春と産経新聞だけである。 以下、『週刊文春』2017年6月15日号と『産経新聞』2017年8月6日の記事から菜保子さんがいじめ殺された経緯を紹介する(二つの記事を要約しつつ合成しているが、まとまった文章をそのまま用いた箇所もある)。
▽「きもい」「うんこ」「クソやろー」
・菜保子さんは、中3のクラス替え後、A子らのグループで行動するようになった。 進級直後の4月、「いやなクラスになった」と母にこぼしていた。 最初、素行の悪いA子と距離をとろうとしたが、「菜保子に無視された」と文句を言われ離脱できなかった。 そのうち、クラスメートの前で「きもい」「うんこ」「クソやろー」などと言われるようになった。
・B子が4月まで交際していたA君のとなりに菜保子さんの席があり、二人が会話をすることがあった。それをB子が妬み、A子に伝えた。それから、いじめがさらにひどくなった。 A子が「行くよ」と命令すると、菜保子さんが「うん」と返事して、暗い顔でグループの後をついていく。A子が「早く来いよー、うんこー」と呼びつけていた。こういったことがしばしば目撃されていた。
・女子トイレで菜保子さんだけが個室に入っていて、3人が外から「なんかくさくねえ?」「まだ出ちゃだめだよ!」などと言っていて、閉じこめられている様子だった。 グループは菜保子さんをトイレに連れて行き、授業に遅れるようにしむけた。しかも担任のT教諭の授業の前にことさら遅れていた。 たとえばA子は、トイレの前で「あんた、ちょっと持ってなよ」と教科書を持っているように命じ、菜保子さんが自分といっしょに授業に遅れていくようにしむけた。
・このようなことが起きたとき、担任のT教諭は、A子らを叱らず、菜保子さんだけを生徒たちの面前で叱った。「前に来なさい。遅れた理由を言いなさい」などと言って、菜保子さんだけを叱るのだ。 同級生は、こういうことが5、6回あったと証言する。別の生徒は「中島さんを狙い撃ちにしている感じ」と証言する。 T教諭は生徒の好き嫌いが激しいことで有名な人物だった。A子はT教諭と良好な関係だった。
・菜保子さんは部活動をしていなかった。理由は幼いころから続けているピアノのレッスンがあったためで、高校も東京都内の名門校への進学を希望し、それも叶えられそうな方向で進んでいた。 居残り授業に参加せずに菜保子さんが帰ろうとすると、T教諭は「ピアノばかりやっていても仕方がない」と怒った。母によると、三者面談の際、T教諭は「2学期の態度を見て志望校を一校に絞っていいかどうか、こちらで決めます」と言った。
・T教諭について、ある同級生は「先生も中島さんに嫉妬している感じだった。A君と隣りあわせにした席替えで、B子さんが中島さんに嫉妬して激しくなったいじめだけど、それにT先生が加勢した感じ」と言う。 A君と菜保子さんの席を隣り合わせにしたのもT教諭だった。しかも席替えがあっても、A君と中島さんの席だけは不動で、こうした不自然な席替えが4回もあったという。
・A子が菜保子さんを、離れていても「バンバン」と聞こえるほど叩いているのを、同級生が見ている。 10月には、菜保子さんは「くさや」と書かれたメモをノートに貼られたり、「くさや」と声をかけられたりするようになった。 机の上に落書きがはってあったのを見つけた菜保子さんが、暗い顔で消していたのを複数の同級生が見ている。 「くさい」「くさや」といった悪口は、ほぼ毎日続いた。
・音楽室で行われていた合唱祭の練習のさいにも、C子が菜保子さんを別の生徒の前に引っ張っていき、「この子、くさくない?」と言った。 あるとき、ピアノを弾いている菜保子さんが、A子らのグループとは別のクラスメートと楽しく話していた。そのクラスメートが「なお、すごいよね」と言っていたら、A子とC子が面白くなさそうに「えっ?えっ?何が?」と言った。
・体育祭のバスケットボールのチーム決めのとき、A子らが相談して、菜保子さんを外すように仕組んだグーパーじゃんけんをした。菜保子さんは下駄箱のところで泣いていた。 A子とC子が「壁ドンごっこ」をして教室のドアのガラスを割った。菜保子さんは関与していない。しかし、非常勤講師、学年主任、T教諭、教頭らに次々と叱られた。菜保子さんは「A子とC子が割ったのに…」と言って泣いていたという。
・様子がおかしいので母がT教諭に電話をした。 T教諭は、母に次のように言った。 「菜保子さんではないが、お友達がガラスを割った。割ったこともよくないが、その後の態度が悪かった。逃げようとした。3人のうち2人が逃げようとした」 「こうなった(ガラスが割れた)ことは、元に戻さないといけないよね、と菜保子さんに言いました」 「菜保子さんは何と言ってますか」 母「泣いています。関係ない、知らないと言ってます」 T教諭「泣いているということは本人も反省しているということです」
・その後菜保子さんは「明日二人(A子とC子)ににらまれる」「学校に行きたくない」と言い、首を吊って死んだ。 毎日が怖い、自分が嫌い…  菜保子さんの自殺後、11月16日に両親がみつけた日記は次のようなものだった。 報道では、日記の内容がわずかしか紹介されていなかったので、テレビ(TBS「News23」(2017年5月29日放映)、NHK「クローズアップ現代」(2017年7月18日放映)など)の録画画面に映った日記から筆者がメモしたものを大幅に加えた。
・「もうやだ…あんなに学校が楽しいって思ってたのに…たのしくない  気づかってばっかで自分がだせない。自分の性格もきらい。いやだ…  …がいなかったら、自殺してた。ありがとう。あと、ごめんね。本当に…なんか変わっちゃった。どうしたの?自分は何もしてないのに  ひどい…。傷つく。ストレスがたまる。   気分屋がきらいって…言ってたけど…  おまえもだよ  なんにも自覚してない  …には、めいわくかけてると思う   あまり うちといてもたのしくは…  ホッとしたい。  明日は、ぼっちにされるのかな? それとも上手くすごせるかな?  不安。  …大丈夫。大丈夫って、自分に言いきかせても、目に涙があふれてくる  それを自分でごまかそうとしている。  いや…ごまかしている。  目は涙目だけど。  おねがい…これ以上苦しめないで。  …苦しい、悲しい、さびしい」  「いやだ もう 学校きらい…3年のある日突然から。2年は、こんなことなかった」  「ピアノも 勉強も 友達も なにもかもが上手くいかない。だから死にたい」 「いじめられたくない。ぼっちはいやだ」  「(他の女子生徒の名前)お願いだから、耳打ちは、やめて おねがい。本当に」 「毎日が怖い。今日はうまくいくのかいかないのか。家に帰ってからも、そのことばかり考えて、疲れた。明日も(ひとり)ぼっち?それとも上手くいくのかなって…怖くてしかたがない。毎日、不安な夜を過ごしてる。疲れがピーク」 「友達が居なくなるのが怖い、本当にこわい」 「おねがい…私を一人にしないで。おねがいだから。今日みたいな日が毎日だったらどれだけ楽しいか。(複数の女子生徒の名前)…」 「…にもんくばっか言ってる。自分が嫌い。死にたいくらい」
・報道を読むかぎりでは、加害者たちが行った一連の行動は、一回かぎりと考えれば、それほど大きなダメージを与えるようなものではないはずだ。 では、なぜ加害者が怪物になり、被害者は死ななければいけなかったのか。
▽世界でもめずらしい日本の学校教育
・先進諸国の標準的な市民社会では、このようなことをする人物がいたとしても、一回だけいやな思いをした後で自由に距離を取ることができる。給料や学力認定を得るために義務となるのは、範囲が狭く限定された仕事や勉強だけだ。 それ以外の対人距離は、個人が魅力と幸福感にもとづいて自由に調節できる。だから、大きなダメージになることもなく、安心して生活することができる。
・だが、日本の特殊な学級制度は、閉鎖空間に囲い込んで強制的にベタベタさせるよう、考え抜かれて設計されている。人間を個の人から群れの人へと内から変化させるのが、中学校の本当の目標である。 当然、兵営や刑務所のように、市民的な距離と個人主義が発生しにくいしくみになっている。逃げ場なく密着させて人を内側から変化させる爆縮レンズのような構造になっている(http://www.antiatom.org/GSKY/jp/Rcrd/Basics/jsawa-10.htm)。
・日本の中学校のように、勉強ではなく、ベタベタ群れさせることに主眼をおいた学校教育は、世界でもめずらしい。 日本の中学校のクラスは、共に生きることを無理強いするための生活学級だ。どんなに嫌なひとたちでも、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで、共に生きなければならない。 学校は勉強するためにいくところだ、と感じている生徒はほとんどいない。生徒にとって学校は群れて生きなければならないところである。それを個人で拒むことは許されない。
・一人でいること、あるいは一人でいることを<みんな>に見られることは、異常で恥ずかしい。それは、考えただけでも凍りつくような恐ろしいことだ。 このベタベタした<距離なし生活>を強いられる閉鎖空間で、悪意の行為がこれでもか、これでもかと繰りかえされると、通常の市民生活では考えられないような、けたはずれのダメージが生じる。これが被害者の身に起きたことである。
▽だから「人間壊し遊び」が生まれる
・学校の磁場が、被害者の菜保子さんを突き落としていくさまを見てみよう。 最初「いやなクラスになった」とこぼした菜保子さん。群れずに一人でいることが実質的に不可能な中学校で、たまたまA子らのグループで行動するようになる。その後、素行の悪いA子と距離をとろうとしたが離脱できなかった。
・それから、自殺に至るまでの数ヵ月の急展開が起こる。菜保子さんは、A子らのグループに囲い込まれ、引き回され、人間の人格を壊して遊ぶために飼育する<友だち家畜>の状態にさせられた。 これが通常の市民生活であれば、菜保子さんの身にふりかかったような不幸は、起きようがない。 たしかに、世界中どこでも、学校は多かれ少なかれ閉鎖的な空間である。だが、日本の中学校ほど程度が極端に「多かれ」でなければ、菜保子さんが亡くなることはなかったはずだ。
・たとえば、世界で普通にみられる習熟別クラス編成で、授業ごとに次々とクラスを移動するのであれば、A子たちのグループが行ったような囲い込みと<人間壊し遊び>は、やろうと思ってもできない。 このような遊びの行動プランは、被害者を逃げないようにできる密閉空間を必要条件とする。<人間壊し遊び>は、開かれた市民の生活空間では非現実的であり、頭の中の選択肢から消える。その結果、やろうとも思わなくなる。
▽多くの人が見逃しがちな盲点
・加害者が「怪物になる」しくみについては、拙著『いじめの構造――なぜ人が怪物になるのか』(講談社現代新書)で論じつくした。これは学術書『いじめの社会理論』(柏書房)をわかりやすく新書化したものだ。TEDxスピーチでも要点を説明した。 筆者による最先端の理論は、「学校の秩序分析から社会の原理論へ――暴力の進化理論・いじめというモデル現象・理論的ブレークスルー」『岩波講座 現代 第8巻』第9章(岩波書店)で提出した。いじめ加害者については、これ以上書くことはない。
・だが、被害者については、いくつか世に問わなければならないことがある。 菜保子さんのように、もっぱらコミュニケーション操作系のいじめ(物理的暴力ではなく、もっぱら言葉やしぐさによるいじめ)によって大きなダメージを受けた被害者について、多くの人が見逃しがちな盲点がある。
・なぜ、敵であり、赤の他人である加害者グループに服従し、連れまわされ、<友だち家畜>のような状態にされてしまうのか。 ひどい暴力的な処遇が人間を無力化してしまうことは、よく知られている。 たとえば、殺されていく数千人のユダヤ人の列を監視するナチスの人員がほんの数人なのに、なぜ逃げずに従順に従うのだろうか。
・東京都足立区で、女子校生が不良少年のグループに監禁され、輪姦され、なぶり殺された。遺体はコンクリート詰めにされて捨てられた。 有名な女子校生コンクリート詰め殺人事件で話題になったのは、逃げるチャンスがいくらでもあったのに、どうして女子校生は逃げようとしなかったのか、ということだ。マフィアやゲリラに誘拐されたり、捕虜になったりした人たちも、よく似た状態になる。
・心理学者のフィリップ・ジンバルドーは大学の地下に模擬監獄をつくり、十数人ずつの健康な若者を、看守役と囚人役にわけて共同生活をさせた。すると、看守役は囚人役をいたぶって遊ぶ怪物になり、囚人役は精神に変調を起こし、無力化されてしまった(TEDトークを参照)。
・このようなことは、もっぱら激しい暴力的圧迫のもとで生じ、通常の非暴力的な生活レベルでは生じるはずがない、と思われるかもしれない。 しかし、上で紹介した記事と菜保子さんの日記、そして多くのいじめ被害の記録をあわせ読むと、閉鎖空間に閉じこめ強制的にベタベタさせる学校では、悪口、しかと、嘲笑といったコミュニケーション操作系のいじめだけで、ナチ収容所、女子校生コンクリート詰め殺人、ゲリラやマフィアによる拉致誘拐、ジンバルドーの監獄実験と同形の、人間破壊が多かれ少なかれ生じうることがわかる。
・この「多かれ」の局面で、さまざまな偶然がかさなり、菜保子さんのように死に追い詰められる犠牲者が一定数でてくる。 私たち、日本の中学校で3年間の集団生活をさせられた者は、多かれ少なかれ、菜保子さんと同じ形の、人間破壊を受けているのではないか。 わたしたちがまわりの空気を気にして、何か自分が滅ぼされてしまうような不安をおぼえるとき、その後遺症が出ているのではないか。 わたしたちは菜保子さんを「かわいそう」と言う前に、過度に集団化された学校生活のなかに埋められた過去の自分を抱きしめるべきではないだろうか。 そして痛みとともに、頭に埋められた洗脳チップを引き抜くべきではないだろうか。 私たちは、たまたま生き延びることができた菜保子さんではないだろうか。
▽学校という閉鎖空間の有害作用
・なんでこんなことぐらいで」「この子は弱いのではないか」と言う人には、この図を頭に叩き込んでもらいたい。 (いじめによる苦痛の大きさと生活空間が閉鎖的である度合いの関係)  同じことをされても、広い生活圏で自由な市民として生きているほど苦痛は小さく(図のA)、狭い世界で絶えず周囲に運命を左右されて生きているほど苦痛が大きい(図のB)。 特に小学校高学年から中学校では、それが極端なまでになりうる。裁判官やジャーナリストや研究者は、大人の平均以上に自由で広い世界を生きている。
・自分が同じことをされたとしても「どうということはない」という図のA地点の感覚で、極端に狭い世界で自由を剥奪されて生きている中学生(図のB地点)を評価しないでほしい。特に裁判官は、閉鎖空間の有害作用を考慮に入れて「自己過失割合」を計算するよう注意してほしい。 自由な市民であるあなたが自殺する場合と、きわめて有害な閉鎖空間で<友だち家畜>にされてしまった中学生が自殺する場合では、まったく事情が違うのだ。
・ところでこの有害な閉鎖空間は、国や地方公共団体が制度的に設定し、強制したものだ。それならば、国や地方公共団体には、閉鎖空間による有害作用によって人を害した責任があるのではないだろうか。 たとえば公営プールの設計ミスによって排水溝付近に渦巻きが発生し、それによって溺死者が続出した場合、公共団体にはその設計ミスの責任がある。訴訟になれば損害賠償の義務が生じる。 また、すぐにプールを閉鎖し、プールを設計しなおし、安全を確認したのちに、はじめて再開することができる。危険なまま有害プールを市民に提供してはならない。
・これと同じことが、学校という閉鎖空間の有害作用についても言える。 筆者はここで、国や地方公共団体による「閉鎖空間設定責任」という概念を提出する。 法律関係者には、いじめ関連裁判のための、閉鎖空間設定責任の法理を磨き上げることをお願いしたい。この責任概念が法曹関係で効いてくると、日本の学校が改善され、子どもたちの苦しみを減らすことができるかもしれない。
▽戦争中の全体主義を超えた瞬間
・最後に、日本の学校が全体主義的であり、これが全体主義に抵抗がない大衆を生み出す、強力なインフラストラクチャーになっていることを指摘したい。このことについて、『教育新聞』(2017年5月22日)に書いたことをもういちど繰りかえす。 昭和初期から敗戦までの日本は、天皇を最高尊厳とし、天皇を中心とする高次の集合的生命である「国体」を最高価値とする、現在の北朝鮮とよく似た全体主義社会であった。 一人ひとりが「日本人らしく」天皇の赤子になり続ける「くにがら」を守ること(国体護持)がなによりも重視された。一人ひとりの命は鴻毛(羽毛)のように軽い。
・カミカゼ自爆攻撃などで死ぬ瞬間こそが、人として生まれた最高の栄誉であり、華やかに花が咲いたような生のきらめき(散華)でなければならない。親はそれを光栄ですと喜び祝うことが強制された。 「国体」については、「世界が警戒する日本の『極右化』〜私たちはいま、重大な岐路にいる」で詳しく書いたので、そちらを参照されたい。 戦時中の「国体」の「日本人らしく」を、戦後の集団主義学校の「生徒らしく」に、「くにがら」を「学校らしさ」に置き換えれば、戦争中の日本と学校は同じ全体主義の形をしていることがわかる。 学校の全体主義(中間集団全体主義)について知りたい方は、拙著『いじめの構造――なぜ人が怪物になるのか』(講談社現代新書)を参照されたい。
・最後に、学校の全体主義が、戦争中の大日本帝国の全体主義を超えた瞬間を記録した動画があるのでご覧いただきたい。 中学校運動会の巨大組体操の崩落事故で、親たちは盛大に拍手している。事故のありさまを見れば、障害が残るけがをしても、あるいは死者が出てもおかしくない。 赤子のころから大事に育てた、なによりも愛しい子どものはずである。交通事故なら、すぐに駆け寄り、わが子を探して、生きているか、けがをしていないか確認し、無事であれば泣いて喜ぶような事態である。
・だが、学校の集合的生命が生き生きと躍動する運動会で、親たちは、子どもが集団的身体として散華する姿に拍手している。戦争中の日本ですら、親は強制されて喜ぶふりをさせられていただけで、このような自発的な拍手はありえない。 「共に生き」るはずの「ともだち」は、うずくまっている他人を無視して、軍隊まがいの整列で、「ぴしっ」と兵隊のまねごとをしている。
・義務教育によってこのような集団洗脳をすることによって、他の先進諸国であればナチスまがいの発言をしたとして絶対に国会議員になれないような人物に、何も感じずに投票する大衆が生み出される。 また、ブラック企業と呼ばれる職場を、あたりまえに感じる大衆が生み出される。学校教育のおかげで、市民は育たない。自由も民主主義も社会に根づかない。
・学校は、習慣化された感情反応に包み込んで「国体」を護持し、国を再全体主義化するための、貴重なインフラストラクチャーになっている。その成果が実り、今、全体主義勢力が社会を飲み込もうとしている。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53333

『担任のT教諭は、A子らを叱らず、菜保子さんだけを生徒たちの面前で叱った。「前に来なさい。遅れた理由を言いなさい」などと言って、菜保子さんだけを叱るのだ。 同級生は、こういうことが5、6回あったと証言する。別の生徒は「中島さんを狙い撃ちにしている感じ」と証言する。 T教諭は生徒の好き嫌いが激しいことで有名な人物だった。A子はT教諭と良好な関係だった』、 『居残り授業に参加せずに菜保子さんが帰ろうとすると、T教諭は「ピアノばかりやっていても仕方がない」と怒った。母によると、三者面談の際、T教諭は「2学期の態度を見て志望校を一校に絞っていいかどうか、こちらで決めます」と言った』、 『T教諭は、母に次のように言った。 「菜保子さんではないが、お友達がガラスを割った。割ったこともよくないが、その後の態度が悪かった。逃げようとした。3人のうち2人が逃げようとした」 「こうなった(ガラスが割れた)ことは、元に戻さないといけないよね、と菜保子さんに言いました」 「菜保子さんは何と言ってますか」 母「泣いています。関係ない、知らないと言ってます」 T教諭「泣いているということは本人も反省しているということです」』、
などから、A子らもさることながら、T教諭にも極めて大きな責任がありそうだ。こんな生徒の好き嫌いが激しい人物が教師になっているというのも酷いことだ。そんな人物を担任にしていた校長の責任も重い。 菜保子さんの日記の内容は、ここまで追い込まれるのかと、深刻さを再認識した。 『閉鎖空間に閉じこめ強制的にベタベタさせる学校では、悪口、しかと、嘲笑といったコミュニケーション操作系のいじめだけで、ナチ収容所、女子校生コンクリート詰め殺人、ゲリラやマフィアによる拉致誘拐、ジンバルドーの監獄実験と同形の、人間破壊が多かれ少なかれ生じうることがわかる』、との説明で、なぜA子たちのグループから逃げ出せなかったのかが理解出来た。 『日本の特殊な学級制度は、閉鎖空間に囲い込んで強制的にベタベタさせるよう、考え抜かれて設計されている。人間を個の人から群れの人へと内から変化させるのが、中学校の本当の目標である。 当然、兵営や刑務所のように、市民的な距離と個人主義が発生しにくいしくみになっている。逃げ場なく密着させて人を内側から変化させる爆縮レンズのような構造になっている』、というのは同感だ。 ただ、『筆者はここで、国や地方公共団体による「閉鎖空間設定責任」という概念を提出する。 法律関係者には、いじめ関連裁判のための、閉鎖空間設定責任の法理を磨き上げることをお願いしたい』、との部分については、閉鎖空間について、もう少し掘り下げないと、 『閉鎖空間設定責任の法理を磨き上げる』、のはおぼつかない気がする。 『戦時中の「国体」の「日本人らしく」を、戦後の集団主義学校の「生徒らしく」に、「くにがら」を「学校らしさ」に置き換えれば、戦争中の日本と学校は同じ全体主義の形をしていることがわかる』、 『義務教育によってこのような集団洗脳をすることによって、他の先進諸国であればナチスまがいの発言をしたとして絶対に国会議員になれないような人物に、何も感じずに投票する大衆が生み出される。 また、ブラック企業と呼ばれる職場を、あたりまえに感じる大衆が生み出される。学校教育のおかげで、市民は育たない。自由も民主主義も社会に根づかない』、などの指摘は言われてみれば、確かにその通りだ。
内藤氏の3つの記事を読んで、いじめ問題についての見方がより深まった気がする。もっと多くの人に読んでほしい記事だ。
タグ:日記 女子トイレ いじめ問題 現代ビジネス 内藤 朝雄 (その6)(いじめ問題研究家 内藤 朝雄氏による残り1題:人格を壊して遊ぶ…日本で「いじめ自殺」がなくならない根深い構造) 「人格を壊して遊ぶ…日本で「いじめ自殺」がなくならない根深い構造 戦争中の全体主義を超えている…」 取手市・中3女子自殺事件 いじめ殺されてしまうのは、逃げられず対人距離を調節できない閉鎖環境の効果が大きく関与 中島菜保子さん 学校や教委は、生徒を外部社会の力に触れさせたくない。彼らを<自分たち教育のもの>にしておきたい。<我らの世界>で起きた残酷と不正を隠したい。当然、学校や教委は、生徒への直接取材をしないでほしいとメディアに強く要求する きちんと調査取材をして報じようとしたのは 週刊文春と産経新聞だけである A子らのグループで行動 閉じこめられている様子 菜保子さんが自分といっしょに授業に遅れていくようにしむけた 担任のT教諭は、A子らを叱らず、菜保子さんだけを生徒たちの面前で叱った。「前に来なさい。遅れた理由を言いなさい」などと言って、菜保子さんだけを叱るのだ 同級生は、こういうことが5、6回あったと証言する。別の生徒は「中島さんを狙い撃ちにしている感じ」と証言する。 T教諭は生徒の好き嫌いが激しいことで有名な人物だった。A子はT教諭と良好な関係だった 居残り授業に参加せずに菜保子さんが帰ろうとすると、T教諭は「ピアノばかりやっていても仕方がない」と怒った。母によると、三者面談の際、T教諭は「2学期の態度を見て志望校を一校に絞っていいかどうか、こちらで決めます」と言った A子とC子が「壁ドンごっこ」をして教室のドアのガラスを割った。菜保子さんは関与していない。しかし、非常勤講師、学年主任、T教諭、教頭らに次々と叱られた。菜保子さんは「A子とC子が割ったのに…」と言って泣いていたという T教諭は、母に次のように言った。 「菜保子さんではないが、お友達がガラスを割った。割ったこともよくないが、その後の態度が悪かった。逃げようとした。3人のうち2人が逃げようとした」 「こうなった(ガラスが割れた)ことは、元に戻さないといけないよね、と菜保子さんに言いました」 「菜保子さんは何と言ってますか」 母「泣いています。関係ない、知らないと言ってます」 T教諭「泣いているということは本人も反省しているということです」 日本の特殊な学級制度は、閉鎖空間に囲い込んで強制的にベタベタさせるよう、考え抜かれて設計されている。人間を個の人から群れの人へと内から変化させるのが、中学校の本当の目標である 当然、兵営や刑務所のように、市民的な距離と個人主義が発生しにくいしくみになっている。逃げ場なく密着させて人を内側から変化させる爆縮レンズのような構造になっている 日本の中学校のクラスは、共に生きることを無理強いするための生活学級だ。どんなに嫌なひとたちでも、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで、共に生きなければならない。 学校は勉強するためにいくところだ、と感じている生徒はほとんどいない。生徒にとって学校は群れて生きなければならないところである。それを個人で拒むことは許されない 一人でいること、あるいは一人でいることを<みんな>に見られることは、異常で恥ずかしい。それは、考えただけでも凍りつくような恐ろしいことだ。 このベタベタした<距離なし生活>を強いられる閉鎖空間で、悪意の行為がこれでもか、これでもかと繰りかえされると、通常の市民生活では考えられないような、けたはずれのダメージが生じる。これが被害者の身に起きたことである 人間壊し遊び ひどい暴力的な処遇が人間を無力化してしまうことは、よく知られている 上で紹介した記事と菜保子さんの日記、そして多くのいじめ被害の記録をあわせ読むと、閉鎖空間に閉じこめ強制的にベタベタさせる学校では、悪口、しかと、嘲笑といったコミュニケーション操作系のいじめだけで、ナチ収容所、女子校生コンクリート詰め殺人、ゲリラやマフィアによる拉致誘拐、ジンバルドーの監獄実験と同形の、人間破壊が多かれ少なかれ生じうることがわかる 学校という閉鎖空間の有害作用 広い生活圏で自由な市民として生きているほど苦痛は小さく(図のA)、狭い世界で絶えず周囲に運命を左右されて生きているほど苦痛が大きい(図のB) 裁判官は、閉鎖空間の有害作用を考慮に入れて「自己過失割合」を計算するよう注意してほしい 有害な閉鎖空間は、国や地方公共団体が制度的に設定し、強制したものだ 、国や地方公共団体には、閉鎖空間による有害作用によって人を害した責任があるのではないだろうか 筆者はここで、国や地方公共団体による「閉鎖空間設定責任」という概念を提出する 法律関係者には、いじめ関連裁判のための、閉鎖空間設定責任の法理を磨き上げることをお願いしたい 戦時中の「国体」の「日本人らしく」を、戦後の集団主義学校の「生徒らしく」に、「くにがら」を「学校らしさ」に置き換えれば、戦争中の日本と学校は同じ全体主義の形をしていることがわかる 義務教育によってこのような集団洗脳をすることによって、他の先進諸国であればナチスまがいの発言をしたとして絶対に国会議員になれないような人物に、何も感じずに投票する大衆が生み出される また、ブラック企業と呼ばれる職場を、あたりまえに感じる大衆が生み出される。学校教育のおかげで、市民は育たない。自由も民主主義も社会に根づかない 学校は、習慣化された感情反応に包み込んで「国体」を護持し、国を再全体主義化するための、貴重なインフラストラクチャーになっている。その成果が実り、今、全体主義勢力が社会を飲み込もうとしている
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