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中国国内政治(その4)(中国新指導部が発足 漂い始めた文革の空気 企業への締め付けはより厳しく、習近平「独裁」への勝利と妥協…党人事を読む 「5年後」に向け 共青団派との闘争は激化、習近平が共産党大会で「後継者」を明確にしなかった理由) [世界情勢]

中国国内政治いついては、昨年10月25日に取上げた。中国共産党の第18期中央委員会第7回全体会議(7中全会)閉幕を踏まえた今日は、(その4)(中国新指導部が発足 漂い始めた文革の空気 企業への締め付けはより厳しく、習近平「独裁」への勝利と妥協…党人事を読む 「5年後」に向け 共青団派との闘争は激化、習近平が共産党大会で「後継者」を明確にしなかった理由) である。

先ずは、10月26日付け日経ビジネスオンライン「中国新指導部が発足、漂い始めた文革の空気 企業への締め付けはより厳しく、日本への脱出を急ぐ起業家も」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・「日本で500万円投資するとしたらどうしたらいいのでしょうか」 中国でベンチャー企業を経営しているある中国人経営者は今、日本の「経営管理ビザ」を取得しようと躍起になっている。経営管理ビザは外国人が日本国内に置かれた企業を経営するために必要となるもので、500万円以上の投資などが条件となっている。経営管理ビザを手に入れれば、将来的には永住許可の取得も視野に入る。
・この経営者は今すぐ日本に拠点を移すことは考えておらず、中国での事業を止めるつもりもない。「いざという時のため備え」だという。それでも経営管理ビザ取得を急ぐのは、中国の企業経営環境が激変する可能性を実感しているためだ。この夏、きっかけとなる「事件」があった。 この企業が提供しているサービスが一時、インターネット上で問題となった。企業の製品やサービス、はたまたCMがネット上で炎上することは今や世界中で見られる現象で珍しいものではない。だが、炎上騒ぎを起こしたことで公安当局の取り調べを受けるとなればどうだろうか。
・個人の安全を守るため同社が引き起こした「炎上」の詳しい内容に触れることはできないが、詐欺のような、どの国でも犯罪に該当するような行為はしていない。不注意により、敏感な問題に触れてしまった格好だ。だが公安当局が取り調べる以上、中国の何らかの法律に触れているということになる。結局、この企業は行政処分を受けることになった。 規模の大きくない同社は事業継続が危ぶまれる事態に陥った。この経営者は、中国では企業の生死は国の考え一つで決まってしまうと改めて分かったという。日本の経営管理ビザ取得を真剣に考え出したのはそれからだ。
▽中央委員から外れた王岐山氏
・中国共産党は10月25日、第19期中央委員会第1回全体会議(1中全会)を開き、最高指導部となる政治局常務委員の7人を選出した。習近平総書記(64歳)と李克強首相(62歳)が続投。栗戦書・中央弁公庁主任(67歳)、汪洋・副首相(62歳)、王滬寧・中央政策研究室主任(62歳)、趙楽際・中央組織部長(60歳)、韓正・上海市党委員会書記(63歳)が政治局委員から昇格した。
・10月18日から10月24日まで開催した中国共産党第19回全国代表大会(党大会)前には、今回の常務委員人事がいくつかの点で注目されていた。1つは反腐敗運動を取り仕切ってきた王岐山氏(69歳)の去就だ。王氏は結局、約200人の中央委員の名簿にも名前がなく、党の中枢メンバーからは外れた形になった。
・また習氏の「子飼い」とされる陳敏爾・重慶市党委書記(57歳)が常務委員入りするかも焦点だったが、常務委員を含む25人で構成される政治局委員入りにとどまった。また、胡錦濤・前国家主席や李首相を輩出した共産主義青年団出身の次期エースとされ、同じく常務委員入りの可能性が出ていた胡春華・広東省党委書記(54歳)も常務委員には昇格しなかった。結局、次の指導者候補となり得る50代の常務委員入りはなかったが、習氏の長期政権への布石なのだろうか。
・この先5年の中国を率いる新たな常務委員メンバーは「習氏のチーム」と言った様相だ。特に栗戦書氏と王滬寧氏はこの5年、すぐそばで習氏を支えてきた側近だ。習氏と栗氏は1980年代に河北省の近接する県の書記として知り合って以来の関係だという。また王氏は思想面などのブレーンとして習氏の外遊に同行するなどしてきた。また趙楽際氏は人事を差配する党中央組織部長として反腐敗を後方から支え、習氏に近い人物の昇格などを実現してきた。
▽漂い始めた文化大革命の空気
・24日に閉幕した党大会では、習氏の名を冠した「習近平の新時代の中国の特色ある社会主義思想」を行動指針として盛り込んだ党規約の改正案が採択され、習氏は毛沢東に並ぶ権威となった。習氏は党大会冒頭の演説で次のように述べている。「新時代の中国の特色ある社会主義の偉大な勝利を勝ち取り、中華民族の偉大な復興という中国の夢の実現に向けてたゆまず奮闘しよう」。これが習氏をはじめとする新最高指導部の目標となる。
・具体的には何をしていくのか。特に経済面について見ていきたい。習氏は演説で「供給側構造改革を深化させる」「革新型国家の建設を加速する」などと述べた。「世界レベルの先進的製造業クラスターをいくつか育成」し、「経済体制の改革は(中略)公平で秩序のある競争、企業の優勝劣敗を目指して進まなければならない」と説く。また習氏は「開放は進歩をもたらし、閉鎖は遅れを招く」とも述べた。
・これだけ見れば、中国の市場経済は一段と開放に向かうようにも思えるが、その一方で「全活動に対する党の指導を堅持する」とも述べている。革新や開放はあくまで共産党の指導の範囲内で、ということになる。それどころか、共産党や国による締め付けはますます厳しくなっているように見える。
・冒頭の中国人経営者が経験した「事件」はその一端だろうか。この経営者はまだ若く文化大革命を経験してはいない。だが、知識層だった経営者の父親は農村に下放された経験がある。父親の経験を聞いたこの経営者は、現在の中国に当時と似た雰囲気を嗅ぎ取った。 
・習氏の権威がさらに強まるこの先の5年は、中国の企業経営者であっても難しい判断を迫られる局面が増えるかもしれない。「中華民族の復興を追求する」という習氏の所信表明に照らせば、日本企業を含む外資企業にとってはさらに厳しいものとなりかねない。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/278549/102500013/?P=1

次に、ジャーナリストの福島香織氏が11月1日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「習近平「独裁」への勝利と妥協…党人事を読む 「5年後」に向け、共青団派との闘争は激化必至」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・第19回党大会が10月24日に終わり、25日の一中全会(第一回中央委員会全体会議)で人事と党規約の改正が承認された。翌日の中国各紙の一面は、判で押したように、習近平の撮影用メークアップを施したつややかなポートレートを一面に大きく掲載。その他の政治局委員とは格が違うのだよ、と視覚的に訴えた。
・鄧小平の打ち立てた集団指導体制「書記は委員の一員であり上下関係はない。書記は党の委員会の中で平等な一員である」という1980年以来の規定を、習近平は時代は変わったのだ、と言わんばかりの態度で否定したわけだ。
・だが、今回の党大会が習近平の思惑通りに進み、その長期独裁体制確立の基盤を整えた、と判断するには時期尚早のような気がする。もちろん、今回の党大会で習近平一強体制は大きく前進した。だが、そう見える背後に、かなり激しい闘争の痕跡と、そして今後の闘争の激しさを暗示する材料もある。今党大会における習近平の勝利と妥協を分析してみよう。
▽過半数を押さえ、後継者候補を置かず
・勝利といえる点は、共産党中央委員のヒエラルキーの上部組織・政治局25人の顔ぶれの中に、明らかに習近平に従順、忠実な習近平派とみなせる人間が14人前後いることだ。つまり過半数が習近平派である。また中央委員会メンバー204人も引退年齢(68歳)に達していない共青団派メンバー、例えば李源潮や劉奇葆らが退任し、およそ6割が入れ替えられた。その多くが習近平におもねる政治家たちであった。これで、政治局会議、あるいは政治局拡大会議、中央委員会全体会議で習近平が、たとえば経済政策や外交などの失策で責任を問われて突然総書記職を解任される、といった可能性はなくなった。
・実は習近平はそれを恐れていた。共産党の権力闘争史では、こうした会議の場での政敵による多数派工作で権力の座から引きずり降ろされる解任劇はよくあった。華国鋒も胡耀邦も、旧ソ連のフルシチョフもそれで失脚した。
・さらに政治局常務委員会という共産党中央の最上部組織、最高指導部7人のメンバーには、習近平が最も恐れる男が入らなかった。広東省委書記であり政治局委員を5年務めた習近平より10歳若い共青団派のエース、胡春華である。
・これにより、最高指導部が後継者候補2人を指名し、政治局常務委員会入りさせ、その2人を競わせる形で指導者として育成するという慣例が破られ、習近平政権は後継者未定のままで、2期目に入ったわけである。習近平としては、後継者がいないという口実によって、自分が3期目も総書記・国家主席を継続して、党政・国政の主導権を握り続け、長期独裁体制を確立できる可能性が広がった。胡春華が政治局常務委員会入りできなかったことは、習近平の第19回党大会までの権力闘争における一つの大きな成果であったといえる。
・胡春華は胡錦涛政権時代に元重慶市委書記の孫政才とともに見いだされて、2人セットで後継者育成コースにのっていた。習近平は、この胡錦涛政権時代に選ばれた後継者候補をなんとか失脚させようと画策しており、その結果、孫政才は失脚。その代わりに、習近平自身の選んだ陳敏爾(重慶市委書記)を後継者候補に促成栽培しようとした。
・私の仄聞したところでは、胡春華を政治局常務委員会に入れようとする共青団派に対して、習近平は陳敏爾も一緒に後継者として政治局常務委員会入りさせることを北戴河会議で内定させたという。 だが、習近平としては、陳敏爾を胡春華よりも序列上位につけることにこだわった。そうすれば、たとえ習近平の3期目任期継続の野望が阻まれたとしても、次善の策として、陳敏爾に総書記の座をゆずり、実力も経験も不足している陳敏爾を補佐するという形で、鄧小平のように院政を敷く道が開ける。だが、地方の行政経験も短く、政治局委員ですらない実力不足の陳敏爾を政治局常務委員会に入れ、なおかつ胡春華よりも序列上位につけることへの党中央の抵抗は強く、今の習近平の権力基盤ではこの抵抗を無視することはかなわなかった。
▽直接対決避けた胡春華、勝負は5年先
・党大会直前の最後の人事の攻防の場であった七中全会(第18期中央委員会第七回全体会議)では陳敏爾の政治局常務委員会入りは見送られる公算になった。だが、陳敏爾が政治局常務委員会に入れず、胡春華だけが政治局常務委入りさせることも共青団派としてはリスクが高かった。
・胡春華は外部ではあまり知名度はないが、党内では期待の星である。胡春華が政治局常務委入りすれば、おのずと習近平VS胡春華の直接対決構図がクローズアップされる。陳敏爾が一緒であれば、陳敏爾VS胡春華が牽制しあう形になるが、さすがに習近平との直接全面対決では、胡春華がつぶされる可能性が高い。用心深い胡春華は、体調不良などを理由に政治局常務委入りを辞退し、習近平との全面戦争を回避した、という。
・だが、胡春華は失脚したわけでなく、実力を蓄えたまま政治局委員を2期続けることになる。5年後は59歳、まさしく習近平が総書記になった年齢。その時、引退年齢に達した習近平が、胡春華の台頭を抑えることができるかどうかは、今後の5年の闘争の結果による。後継問題は解決したわけではなく、少し先送りになっただけともいえる。その意味で、習近平の完全勝利ではない。
・政治局常務委員会入りしたのは、習近平、李克強、栗戦書、汪洋、王滬寧、趙楽際、韓正。第18期に引き続いて残留したのは習近平、李克強で、張徳江、兪正声、劉雲山、王岐山、張高麗の5人は定年68歳に達していたので引退した。
・この5人のうち、王岐山は習近平政権1期目において、党中央規律検査委員会書記として反腐敗キャンペーンの陣頭指揮を執り、習近平政権を支えた最大功労者だ。習近平にとってみれば、数少ない実力をともなった“盟友”ということで、本人が引退を言い出したときに定年を無視して残留を望んだともいわれている。王岐山の残留は、習近平が第20回党大会時に定年を超えて3期目の総書記職を継続するための先例になるという期待があった。王岐山の実力は、これまでの不文律を無視できるほどの説得力があった。
・だが、その王岐山は引退した。つまり定年制度は、どんなに実力があっても例外を認めず徹底される、ということが現段階でむしろ確認された格好だ。これは、習近平の思惑が外れた、というふうに見えるかもしれない。汚職疑惑が米国メディアらに取り上げられはじめている王岐山が留任すればしたで、習近平にとってはリスクになったかもしれないので、この妥協はむしろ習近平の慎重な選択ともいえる。
・ただ胡春華の政治局常務委入りを阻止し、なおかつ定年制の例外を認めて王岐山が残留すれば、これは確実に習近平の定年を超えた任期継続の布石になっただろう。そうはできなかったという意味では、これも習近平が完全勝利でないといえる要因の一つだ。
・残留したのは習近平と李克強の2人だけで、この2人は第19期も引き続き国家主席、首相を務めることになる。新しく入ったメンバーを見てみると、習近平派と呼べるのは習近平本人のほか、栗戦書、趙楽際の3人。共青団派と呼べるのは李克強、汪洋の2人。韓正は唯一の上海閥だが、アンチ習近平派という意味では、共青団と同じ立場だろう。王滬寧は無派閥ということになるが、今は習近平の指導思想を支えるスピーチライターだ。そう考えると、最高指導部内の権力バランスは若干の習近平有利と言えるが、圧倒的に有利というわけではなく、今後5年、依然として激しい権力闘争が継続する可能性を残したと考えたほうがよいだろう。
▽「反腐敗」は栗戦書ではなく趙楽際に
・新たに政治局常務委入りしたメンバーで注目すべきは、栗戦書だ。習近平の側近であり、「習近平半径5メートルの男」と呼ばれるほど、いつも習近平に寄り添っている習近平派の中心人物。非常に有能だが習近平より3歳年上であり、習近平の後継者にはなりえない。また実は共青団派とも深い関係があり、権力闘争においては非情になり切れない人情家の面もある。
・彼は本来、王岐山が退任すれば中央規律検査委員会書記を継いで、習近平路線の最大の推進力である反腐敗キャンペーン(という名の政敵排除)を担うことを期待されていたが結局、その任務を外された。それはひょっとすると、栗戦書の人情家の部分が、非情な習近平にそこまで信頼されていない、ということかもしれない。もっとも本人にとっては、この苛酷な任務から外されたことは幸いだろう。彼は全人代常務委員長(国会議長に相当)となり、国家主席任期を2期と決めている憲法を改正して、習近平政権の延長を画策する任務を負わされるかもしれない。
・一方、中央規律検査委員会書記に新たに任命された趙楽際は“偉大なるイエスマン”、ごますりと出世と揶揄される官僚である。陝西省委書記時代、習近平の父親である習仲勲の巨大墓所「習仲勲陵園」整備計画を打ち出したことで、2012年秋、習近平政権のスタートとともに政治局委員に抜擢された。
・趙楽際の祖父・趙寿山(建国後は青海省主席)が習仲勲と親友であり、習仲勲が毛沢東から反党的だとして攻撃されたとき、身を挺して毛沢東から習仲勲をかばったという逸話がある。以来、家族ぐるみの親交が続いている。だが、趙楽際自身は、開明派の祖父と違い、思想的には毛沢東の信望者であり、共青団系でありながら、改革派とは程遠い。習近平の下では中央組織部長として習近平人事を推し進めてきた。だた、さほど切れ者という評判もなく、王岐山でさえ27回も暗殺未遂にあったという身の危険をともなう中央規律検査委員会書記の職務を趙楽際が全うできるかどうか、習近平の権力闘争の中心である反腐敗キャンペーンを支え切れるかどうかは、未知数である。
・序列四位に入った汪洋は胡錦涛の信頼を得ている共青団派の有能な政治家だ。国際派であり、その思想も本質的には改革派、開明派。イデオロギー、路線的には習近平と対立する。共青団派の同い年(1955年生まれ)というライバル関係上、李克強とは相性が悪いが共青団派としては忠実だ。李克強が仮に健康状態を理由に引退していれば、首相を務められるくらいの実力はもっている。結果的には、閑職・名誉職的な全国政治協商会議主席のポジションに就くようだ。
▽共青団派の集団指導体制に期待
・汪洋は如才なく習近平とも付き合っているが、習近平としてはやはり、その有能さを警戒したのかもしれない。李克強とともに第20回党大会時に、引退年齢に達しておらず、留任可能な若さがある。5年後、定年制を打破できなかった習近平が69歳で引退を迫られたとき、67歳の李克強と汪洋が政治局常務委員会に留任、今度こそ新たに政治局常務委入りする胡春華を補佐する形で、共青団派主導の集団指導体制を確立するというシナリオもまったくなくはない。
・私がひそかに期待するのは、この共青団派の集団指導体制である。共青団出身官僚政治家は、よくも悪くも官僚的で、国際派で、実務派で、リアリストで、権力闘争はどちらかというと関心が薄く、共産党史上初めて本格的な政治改革に取り組もうとした胡耀邦の薫陶を受けたエリート集団である。しかも60后(1960年代生まれ)はポスト文革時代、天安門事件前の中国社会の民主化希求の熱気の中で青年期を過ごした世代である。彼らが最高指導部で党政・国政の主導権を握ったときに、中国の方向性が変わるかもしれない、という期待は、中国の体制改革を望む人間に共通している。
・王滬寧は、おそらく胡春華が政治局常務委員会落ちした代わりに、急きょ政治局常務委員会入りが決定したのだろう。一中総会のときの記者会見で、落ち着きなく居心地悪そうにしていたのは、本人がこの苛烈な権力闘争の鬼の巣のような政治局常務委員会に望んで入ったことではないことがうかがえる。
・王滬寧は地方の行政経験がゼロの研究者肌のスピーチライターである。江沢民の「三つの代表」、胡錦涛の「科学的発展観」、そして第19回党大会で党規約に盛り込まれることになった「習近平新時代の中国の特色ある社会主義思想」のいずれも王滬寧が中心となって理論構築している。「三つの代表」と「習近平新時代の~思想」は路線として真逆であり、このことは王滬寧自身が時の政権の御用理論家であることの証左でもある。地方の行政経験がないということは、部下もおらず独自の派閥もないということで、権力闘争的には「戦闘力ゼロ」。積極的に権力闘争にかかわらないようにしながら、その時の強き方に傾斜して生き抜くタイプであろう。 こうした点を総合すれば、第19回党大会における人事は習近平もかなり妥協し、絶対的な基盤を築くには今後の5年が勝負となる。
▽長い形容句と、続く権力闘争
・人事面でかなり妥協した習近平だが、最もこだわったはずの党規約改正にも妥協がみられる。総綱に「習近平新時代の中国の特色ある社会主義思想」という個人名と思想を入れた言葉を、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論、三つの代表、科学的発展観に並べたことは習近平にとって勝利だ。少なくとも、江沢民、胡錦涛よりも上位であることを党に承認させ、自分が毛沢東、鄧小平に並ぶ第三の強人政治家である、というアピールはできた。しかも「理論」ではなく「思想」なので(理論より、思想の方が格上)鄧小平理論すら、超えたといえなくもない。
・習近平新時代とは、鄧小平時代が旧時代である、といいたいのだ。だが、改革開放40年の成果を習近平時代のわずか5年で越えようというのは、おこがましいにもほどがあると党内の多くが思っている。その不満が、習近平と思想の間にこれでもかと挟まれた長い形容句に表れている。なんとか、習近平という言葉が思想にかからないように、抵抗した跡のようにも思えるのだ。
・そして習近平のもう一つのこだわり「党主席」制度復活は、見送られた。死ぬまで権力を掌握し続けた毛沢東と同じ党主席になろうという野望を今の時点で貫き通すほどの権力は習近平になかったということである。
・第19回党大会の総括としては、習近平は鄧小平時代を過去のものとし、習近平時代ともいうべき習近平長期個人独裁政権の確立にむけて、その野望を隠さずに全面的に宣言したことが最大の意義である。だが、党がその野望のもとに団結できるのか、国際社会がその野望を容認するのかまではわからない。一つ言えるのは、習近平がその方向性を変えない限り、今後5年間の中国もやはり、波乱に満ちた権力闘争を展開するはずである。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/218009/103100124/?P=1

第三に、国際コラムニストの加藤嘉一氏が11月7日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「習近平が共産党大会で「後継者」を明確にしなかった理由」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽“習近平思想”が定着して歴史と化していく
・中国共産党の第19回大会が閉幕し、習近平第2次政権がスタートした。前回コラム(習近平演説が示唆する「外国企業・個人も共産党に忠誠を」)では習総書記が大会開幕日に行った報告を振り返りインプリケーションを抽出すべく試みた。その際に次のように記した。 『習総書記が発したフレーズを眺める限り、その指導思想とは「新時代中国特色社会主義思想」であり、かつそれが行動指南として党章に書き加えられる政治的準備はすでに整っている状態だと解読することが可能であろう。』
・そして、習近平以外の政治局常務委員(当時)が各地方の代表分科会にて「習近平新時代中国特色社会主義思想」という文言を統一的に使用していた光景から「『新時代』の前に『習近平』の3文字が書き入れられる可能性すら含んでいる」と提起し、「権力がこれまで以上に習近平に集中し、かつそれが“制度化”される趨勢を意味している」と段階的に結論づけた。
・その後党章の正式な改正案が公表され、「習近平新時代中国特色社会主義思想」が党の行動指南として党章に書き入れられた。過去の指導思想の名称のなかで最も長い(中国語で毛沢東時代5文字、鄧小平時代5文字、江沢民時代8文字、胡錦濤時代5文字、習近平時代16文字)。この違和感を禁じ得ないほどの長さが、逆にその端的さを如実に主張しているように映る。 要するに“習近平思想”なのだと。 実際に、人々はそのうちこの長々しい指導思想を毎回、ことあるごとに読み上げるのに疲れ、次第に“習近平思想”の5文字が定着し、歴史と化していくに違いない。
▽「後継者」を明確にしなかった習近平総書記 3期目続投の可能性も
・私が想定していた中で最も強いレベル、言い換えれば、権力集中と神格化の程度が最も高い指導思想であった。自らが時の権力者として顕在している状況下で“習近平”の三文字が入った事実を前に、正直私も驚いた。 上記の状況から、今後習近平への権力集中および神格化そのものが制度化され、前回コラムで検証したように、共産党がこれまで以上にすべての分野を“指導”し、トップダウンかつ政治の論理と需要で経済活動が運営され、社会への引き締めが強化されていく趨勢が明らかになったと言えよう。そして、そんな趨勢にさらなる確信を付与するかのように25日、新たな中央政治局常務委員がお披露目となった。
・最も目を引いたのはやはり、明確に後継者と想定される人間が常務委員の中に入らなかったことであろう。 2007年に行われた第17回党大会において、他の8人を引き連れて記者の前に姿を現した胡錦濤前総書記は、同僚を紹介する際、「習近平、李克強両氏は比較的若い同志である」と明らかに“次”を見据えたフォーメーションを演出した。習近平は自らが「5年後に胡錦濤の後を継ぐ」という覚悟を持ってそれからの5年を過ごし、実際に総書記に就任した。
・だが今回、習近平は当時の自分に相当する人物を常務委員に選ばなかった。 この事実をもって、2022年に開催される第20回党大会で習近平が総書記を続投し、国務院総理も他の6人(李克強、汪洋、王滬寧の3人は67歳、趙楽際は65歳で2022年を迎えるため、年齢的にも常務委員続投は問題ない)から選出されるとは限らないと考えている。
・もちろん、今回後継者を入れなかったことで、習近平が第3期目も総書記として続投し、他の6人のうち数名を引き続き常務委員に残す可能性が断然高くなったのは言うまでもない。
▽習近平が総書記を3期務める制度的な弊害は見いだせない
・ここで指摘しておきたいのが“七上八下”についてである。「67歳は上がり(あるいは残り)、68歳は退く」という共産党内における一種の慣例であるとされるが、私はこれも相対的なものだと考えている。 例えば、そう遠くない過去の第16回党大会(1998年)、江沢民が総書記、朱鎔基が総理として新政権がスタートしたが、当時江は72歳、朱は70歳であった。この例だけをもってしても、69歳で2022年を迎える習近平が“年齢的要因によって”第3期目を続投しないという議論は通用しなくなる。
・と同時に、任期に関して、1990年代後半に王岐山・元政治局常務委員の直接の上司だった元政府高官が以前私にこのように語ったことがある。 「中央・地方を問わず、党のトップである書記は3期務めることができるというのが中南海における暗黙の規定である。したがって、習近平が3期総書記を務めることは可能である」 これらを受けて私なりに推察するに、習近平が2022年~2027年という3期目を総書記として全うする“制度的障害”は見いだせない。
・残るのは“政治的障害”であるが、これも前述した“習近平思想”やそれにまつわる「権力の神格化+制度化」という状況から判断する限り、見いだすのは困難というべきだろう(もちろん、これからの5年で何が起こるか決して分からないが…)。
▽2022年を境に発生しうる政治リスクとは
・2022年を境に発生しうる政治リスクに焦点を当ててみたい。後継者不在という“結果”を前に、5年後の人事はいまだ不透明であるが、リスクは現時点においてもある程度明晰に浮かび上がってくるように私には思える。 仮に2022年に習近平が総書記を退任し、政治局委員から“比較的若い同志”を2人引き上げるとしよう。その際、国際社会、とりわけ西側諸国では「習近平は慣例を守った。中国の集団的指導体制は継続されている」といったポジティブな見方が蔓延するかもしれない。
・しかしながら、政治局常務委員としての経験のない人物をいきなり総書記や総理に任命し、彼らに国家最高指導者としての大役を課すことは、深刻な統治リスクを内包するものであろう(胡錦濤は総書記就任前に10年間常務委員として経験を積んでいる。江沢民は未経験のままいきなり総書記に飛び込んだが、当時は天安門事件直後という特殊な状況であり直接の参考対象とはならない)。 2007年に中央委員から飛び級で政治局常務委員に上がってきた習近平でさえ、常務委員として5年間鍛錬を積んだ上で総書記になっている。
・私がここで言いたいことは、2022年に習近平が総書記を続投するとしたら、権力の長期一極集中という意味でリスクであり(物事を大々的かつ安定的に推し進めていく上でこれを契機だとする見方は中国国内に根強いようであるが、たとえそのような側面が見いだせるとしても、長期的かつ一極に集中した権力は暴走する、あるいはそれ自体が腐敗するという意味で私はリスク>契機だと考える)、一方で2022年にいきなり政治局委員から後継者を抜擢するのも当事者たちの経験不足という意味でリスクであるということである。  もっとも、習近平自身が個人的かつ水面下で耳打ちをするという形で、事実上かつ非公開の後継者に5年後、あるいは10年後を見据えていまから準備させる可能性は否定できない。
・また、2017年の時点で次の後継者を確定的に選出し、公開しないというスタイルは「中国政治の透明性」という観点からしても、習近平時代の中国はこれまでにも増して“我道”を突き進んでいる感がある。グローバリゼーションや“人類運命共同体”の推進を提唱する習近平の外交関係・政策への“鈍感力”に満ち溢れているように私には映る
▽現時点では後継者が決められない!?
・もっとも、“第三の道”として、2017~2022年に政治局常務委員を経験した同僚のなかから2022年の総書記を選ぶという選択肢はある。 前述のように年齢的要素だけを見ても該当する候補者は少なくない。また、2022年に習近平は形式上ステップバックし、政治局委員から総書記を抜擢した上で、当時の鄧小平のようにいわゆる“院政”を敷き、新総書記を後ろから操るというシナリオも十分に考えられる。 鄧小平が早くから胡錦濤を未来の総書記に指名して意図的に育てたように、習近平が今の段階から同様のアプローチを取る可能性は十分にある。いや、実際はすでに始まっているのかもしれない。
・習近平に近い“比較的若い同志”としては、丁薛祥(1962年生)・国家主席弁公室主任、陳敏爾(1960年生)・重慶市書記、李強(1959年生)・江蘇省書記が今回の党大会を経て政治局委員に昇格した。閉幕後まもなく、丁が中央弁公庁主任、李が上海市書記という要職(それぞれ党大会で常務委員に昇格した栗戦書、韓正の後任)に抜擢されている。
・私の根拠なき推測からすれば、習近平は誰を自らの後継者にするのかを現段階で決めているわけではない、いや、いくつかの事情や要因によって決められないといったほうが正しいかもしれない。 ただ、“紅二代”という正統性をもって現在の地位まで登りつめた習近平の心のなかで、「XXの類の人間はダメ。選ぶならYYとZZの類からだ」といった“一種の掟”は存在しているのだろう。
http://diamond.jp/articles/-/148375

第一の記事で、 『中国の市場経済は一段と開放に向かうようにも思えるが、その一方で「全活動に対する党の指導を堅持する」とも述べている。革新や開放はあくまで共産党の指導の範囲内で、ということになる。それどころか、共産党や国による締め付けはますます厳しくなっているように見える』、 『「中華民族の復興を追求する」という習氏の所信表明に照らせば、日本企業を含む外資企業にとってはさらに厳しいものとなりかねない』、とやはりある程度、覚悟しておいた方がよさそうだ。
第二の記事で、 『中国各紙の一面は、判で押したように、習近平の撮影用メークアップを施したつややかなポートレートを一面に大きく掲載。その他の政治局委員とは格が違うのだよ、と視覚的に訴えた。 鄧小平の打ち立てた集団指導体制「書記は委員の一員であり上下関係はない。書記は党の委員会の中で平等な一員である」という1980年以来の規定を、習近平は時代は変わったのだ、と言わんばかりの態度で否定したわけだ』、のうちの『書記は党の委員会の中で平等な一員』、と集団指導の規定があったというのは初めて知った。これを空文化した習氏の政治力はやはり強力なようだ。 日本の新聞では、『今回の党大会が習近平の思惑通りに進み、その長期独裁体制確立の基盤を整えた』、との報道が殆どだが、福島氏は、 『と、判断するには時期尚早のような気がする。もちろん、今回の党大会で習近平一強体制は大きく前進した。だが、そう見える背後に、かなり激しい闘争の痕跡と、そして今後の闘争の激しさを暗示する材料もある。今党大会における習近平の勝利と妥協を分析してみよう』、として、かなりの妥協があったことを分析している。独裁者の習氏といえども、必ずしも思うようにはいかないというのは、なるほどだ、ただ、次の体制については、 『青団派の集団指導体制に期待』、としているが、これだけ強力になった習近平がさらに政権に居座る可能性に触れてないのは、やや違和感を感じる。
第三の記事は、 第二の記事とは異なり、『“習近平思想”が定着して歴史と化していく』、とするほど習近平のパワーの強烈さに着目している。 後継問題については、『2022年に習近平が総書記を続投するとしたら、権力の長期一極集中という意味でリスクであり・・・総書記を退任し、政治局委員から“比較的若い同志”を2人引き上げるとしよう・・・政治局常務委員としての経験のない人物をいきなり総書記や総理に任命し、彼らに国家最高指導者としての大役を課すことは、深刻な統治リスクを内包するものであろう』、といずれのケースにもリスクがあるとしている。今後の展開を注目したい。
タグ:(その4)(中国新指導部が発足 漂い始めた文革の空気 企業への締め付けはより厳しく、習近平「独裁」への勝利と妥協…党人事を読む 「5年後」に向け 共青団派との闘争は激化、習近平が共産党大会で「後継者」を明確にしなかった理由) 中国国内政治 日経ビジネスオンライン 「中国新指導部が発足、漂い始めた文革の空気 企業への締め付けはより厳しく、日本への脱出を急ぐ起業家も」 この経営者は、中国では企業の生死は国の考え一つで決まってしまうと改めて分かったという 次の指導者候補となり得る50代の常務委員入りはなかったが、習氏の長期政権への布石なのだろうか 習近平の新時代の中国の特色ある社会主義思想 習氏は毛沢東に並ぶ権威となった 中国の市場経済は一段と開放に向かうようにも思えるが、その一方で「全活動に対する党の指導を堅持する」とも述べている。革新や開放はあくまで共産党の指導の範囲内で、ということになる。それどころか、共産党や国による締め付けはますます厳しくなっているように見える 福島香織 「習近平「独裁」への勝利と妥協…党人事を読む 「5年後」に向け、共青団派との闘争は激化必至」 翌日の中国各紙の一面は、判で押したように、習近平の撮影用メークアップを施したつややかなポートレートを一面に大きく掲載。その他の政治局委員とは格が違うのだよ、と視覚的に訴えた 鄧小平の打ち立てた集団指導体制「書記は委員の一員であり上下関係はない。書記は党の委員会の中で平等な一員である」という1980年以来の規定を、習近平は時代は変わったのだ、と言わんばかりの態度で否定したわけだ 今回の党大会が習近平の思惑通りに進み、その長期独裁体制確立の基盤を整えた、と判断するには時期尚早のような気がする 今回の党大会で習近平一強体制は大きく前進した。だが、そう見える背後に、かなり激しい闘争の痕跡と、そして今後の闘争の激しさを暗示する材料もある 今党大会における習近平の勝利と妥協を分析してみよう 直接対決避けた胡春華、勝負は5年先 青団派の集団指導体制に期待 長い形容句と、続く権力闘争 習近平のもう一つのこだわり「党主席」制度復活は、見送られた 加藤嘉一 ダイヤモンド・オンライン 習近平が共産党大会で「後継者」を明確にしなかった理由」 習近平思想”が定着して歴史と化していく 後継者」を明確にしなかった習近平総書記 3期目続投の可能性も 習近平が総書記を3期務める制度的な弊害は見いだせない 2022年を境に発生しうる政治リスクとは 2022年に習近平が総書記を続投するとしたら、権力の長期一極集中という意味でリスクであり(物事を大々的かつ安定的に推し進めていく上でこれを契機だとする見方は中国国内に根強いようであるが、たとえそのような側面が見いだせるとしても、長期的かつ一極に集中した権力は暴走する、あるいはそれ自体が腐敗するという意味で私はリスク>契機だと考える 2022年にいきなり政治局委員から後継者を抜擢するのも当事者たちの経験不足という意味でリスクであるということである 現時点では後継者が決められない!?
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