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フィリピン(その2)(フィリピン「深刻すぎる薬物戦争」は日本が蒔いた種が原因だった、薬物依存症患者と接するなかで学んだ二つの大事なこと、マラウィ 避難民35万人の厳しすぎる未来 イスラム武力衝突は現地に深い傷跡を残した) [世界情勢]

フィリピンについては、昨年11月6日に取上げた。1年以上経った今日は、(その2)(フィリピン「深刻すぎる薬物戦争」は日本が蒔いた種が原因だった、薬物依存症患者と接するなかで学んだ二つの大事なこと、マラウィ 避難民35万人の厳しすぎる未来 イスラム武力衝突は現地に深い傷跡を残した) である。

先ずは、筑波大学教授の原田 隆之氏が8月9日付け現代ビジネスに寄稿した「フィリピン「深刻すぎる薬物戦争」は、日本が蒔いた種が原因だった 日本人が直視しなかった現実」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽「薬物戦争」の1年
・私は今、マニラの巨大なショッピングモールにあるカフェでこの原稿を書いている。 週末とあって、モールは家族連れやカップルなど買い物客でごった返しており、街は一見平和そのものだ。幸い、心配されていた台風は、ルソン島をかすめただけで済んだ。日本とは違って、すぐ隣で台風が生まれ、あっという間に去って行った。
・マニラに来る前日、ロドリゴ・ドゥテルテ大統領は、就任2年目を迎えた機会に、就任以来2度目となる施政方針演説を行った。 直前にミンダナオ島の戒厳令が延長されたこともあって、イスラム国やテロ対策などに話の大半が割かれるだろうとの予想を見事に裏切って、冒頭から長時間、薬物対策に話が及んだ。彼の姿勢は、本当に一貫している。
・ドゥテルテ大統領が就任したのが昨年6月。彼は、就任するや否や、薬物対策を政権の最優先課題として打ち出し、「薬物戦争」を宣言した。薬物撲滅のため、薬物に関わった者の殺害も辞さないとの強行的な姿勢を示し、世界中から大きな非難を浴びた。 実際、正体のよくわからない「自警団」などに殺害された者は、数千人に上ると報道されている。しかし、支持率70%とも80%とも言われる絶大な人気を背景に、彼のその姿勢にはまったく揺るぎがない。
▽アジアで1、2を争う治安の悪さ
・なぜ薬物政策がそれほど重要で、それほど国民の支持を集めるのか。 それを理解するには、この国の深刻な薬物汚染について知らなければならない。 途上国では、公式な統計があっても、それがそのまま信頼できるわけではないが、この国の統計では薬物使用人口はおよそ180万人と推定されている(一説には、300万人を超えているとも言われている
・180万人という数字を信じれば、国民の50人に1人が薬物を使っているという現状であるから、近所や職場、友人の中に、1人や2人の薬物使用者がいてもおかしくないわけであり、誰もが身近にその脅威を感じている問題だということがわかるだろう。 今、私のすぐ横でコーヒーを飲んでいるカフェの客の中にも薬物使用者がいるかもしれないし、ショッピングモールを歩いている買い物客の中にも何十人、何百人という薬物使用者がいるかもしれない。 そう考えると、一見平和そのもののこの景色が、違った色を帯びてくる。
・また薬物使用は、ほかの犯罪を招く元凶ともなる。薬物の影響で暴力的になったり、幻覚妄想状態になって粗暴行為に及ぶこともあるし、薬物を入手するために新たな犯罪に手を染めるということもある。 さらに、身近なコミュニティが薬物密売の巣窟になると、治安が一気に悪化する。フィリピンの治安の悪さは、アジアでは1、2を争うくらいの深刻な状況であり、それが社会の健全な発展を阻害している。
▽世界的な批判、国民の大きな支持
・現在公開中のフィリピン映画『ローサは密告された』は、昨年のカンヌ映画祭で主演女優賞を受けた秀作であるが、庶民の生活の中にどれだけ薬物が入り込み、それが犯罪や警察の腐敗に結びついているかが、まるでドキュメンタリーのようなリアリティをもって描かれている。 映画では、マニラのスラム街にある小さな商店主が、タバコの包みに覚せい剤を隠して売りさばき、密告によって逮捕される。彼らはどこにでもいる庶民であるが、さしたる罪悪感もなく、日常的に覚せい剤が売り買いされている状況は異常である。
・そして、逮捕者に賄賂をせびり、さらなる賄賂のために密告を唆す警察も汚れ切っていて、正義や希望はどこにもない。 この映画を絶賛したというドゥテルテ大統領は、元検察官であり、大統領になる前はミンダナオ島最大の都市、ダバオの市長を長年務めた。
・彼は市長在任中も徹底した犯罪対策、薬物対策を断行し、その結果ダバオの治安は劇的な改善を見せ、現在はフィリピンで一番治安が良い都市と言われるまでになった。その実績を引っ提げて見事大統領まで上り詰めたというわけである。 ドゥテルテ大統領は、命を賭けて薬物戦争を断行すると述べている。
・おそらく、その決意に嘘はないだろう。フィリピン社会を蝕むどす黒い影であり、誰もが身近に感じて怯えている薬物と犯罪を一掃するという彼の政策に、フィリピンの人々にとっては、明るい希望の光を見たのだろう。 このような背景があって、世界的な批判にもかかわらず、彼の政策は国民の大きな支持を集めている。
・日本の場合、逆に平和すぎて国の公的な薬物統計がないため(これは先進国では日本くらいのものである)、犯罪統計に頼るしかないのだが、犯罪白書によると毎年約1万人強が覚せい剤取締法違反で検挙されている。 フィリピンの人口は約1億人であるので、薬物使用者の割合は日本の約180倍という計算になる。この数字を見るだけで、いかにこの国の薬物問題が深刻で、日本とは比べものにならないことがわかるだろう。 おそらく、フィリピンの薬物汚染は、世界最悪と言ってよい。そして、日本と同じく、使用薬物の大半は覚せい剤である。
▽薬物問題の起源
・ところで、覚せい剤が最も中心的な違法薬物となっている国は、世界中を見ても日本とフィリピンくらいしかない。これは世界的に見て、非常に特殊な状況である。 フィリピンでは覚せい剤を指して「シャブ」という言葉が日常的に使われているが、このことから、覚せい剤を持ち込んだのは日本の暴力団であることがわかる。
・そもそも、覚せい剤は日本で生まれた薬物である。戦前、ある著名な化学者が世界で初めて合成に成功し、しばらくはヒロポンという名称で薬局でも売られていた薬物が、覚せい剤にほかならない。 その後、依存性や毒性が明らかになり、戦後になってから「覚せい剤取締法」が制定され違法薬物となったわけだが、その後暴力団が資金源として目をつけ、密輸や密売を始めてから、違法な使用が拡大していった。
・最初は日本だけの乱用に限定されていたが、90年代以降になって、東南アジア、アメリカ、オーストラリアなどに乱用が拡大していった。 つまり、フィリピンの国中を蝕む国家的な「害毒」は、恥ずかしいことに、その生まれも日本であるし、持ち込んだのも日本であるという、二重の意味で日本が蒔いた種なのだ。(「薬物依存患者と接するなかで学んだ、二つの大事なこと」につづく)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52506

次に、上記の続きを同じ8月9日付け「薬物依存症患者と接するなかで学んだ、二つの大事なこと フィリピン支援プロジェクトの現場から」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・昨年6月、フィリピン大統領に就任したドゥテルテ氏。大々的に「薬物戦争」を宣言し、世界最悪の薬物汚染状況をどうにかしようと取り組み始めた。しかし、薬物に関わる人物の殺害も辞さない強行的な姿勢が世界的に批判されている。支援プロジェクトの当事者として、現状と未来を見通してみたい。▽短期間で160万人が出頭
・昨年10月、ドゥテルテ大統領は日本を訪問し、安倍首相と首脳会談を行った。 その中で、日本側は、港湾や鉄道整備などのインフラ整備に加えて、薬物対策への支援を申し出た。支援の規模としては、インフラ支援のほうがはるかに大きいにもかかわらず、大統領はじめフィリピン側政府に大歓迎されたのが、薬物対策への支援であった。
・しかし、この支援が非常にセンシティブなものであることは言うまでもない。この時期はドゥテルテ大統領の「薬物戦争」と「超法規的殺害」などに対して、既に世界中からの非難が渦巻いていた最中である。 例えば、国連人権高等弁務官事務所が「国家は国民の生命を保障する法的義務がある」と批判したが、それに対しドゥテルテ大統領は「国連のクソ野郎」と罵倒し、国連からの脱退も示唆するなど、過激さをますます強めていた。
・このような中でフィリピンの薬物問題に支援するとなると、日本がドゥテルテ大統領の「薬物戦争」「超法規的殺害」に賛同し、それを後押ししているととらえられかねない。 しかし、日本側が申し出たのは、薬物使用者の治療や更生に対する支援であり、それによって蛮行をやめさせようとする意図があるのは明らかである。
・フィリピンが国際的に孤立するなかで、このまま国際社会からの非難が集中すれば、ますます頑なになったドゥテルテ大統領はさらなる強硬措置に出るかもしれない。 また、ドゥテルテ大統領の薬物政策のなかで、強硬な側面ばかりが強調されるが、実は薬物使用者の治療やリハビリにも重点を置いており、自首をすれば逮捕はせずに治療や教育を提供するという施策も併せて行っている。 その結果、「超法規的殺害」を恐れて、短期間で何と160万人に及ぶ人々が警察に出頭したと言われており、彼らへの治療やリハビリが今後、きわめて重要なテーマになってくるわけである。
▽支援プロジェクトの始動
・安倍・ドゥテルテ会談を受けて、首相官邸のリーダシップの下、外務省、国際協力機構(JICA)が支援策の具体化に動き始めた。 フィリピンへの支援は、上に述べたような人道的な面からの意味合いは大きいが、ただそれだけではない。このとき、同時に中国も薬物問題への支援を名乗り出て、急ピッチでのプロジェクトが展開され始めていた。
・例えば、中国の篤志家が日本円で数十億円という巨額を投資し、なんと1万人を収容できる巨大薬物使用者使用施設の建設を始め、昨年の11月に収容を開始した。その開所式には大統領自らが出席し、テープカットを行った。今後同様の施設をあと3ヵ所建設する予定だという。 おそらく、中国には薬物依存の治療についてのノウハウはなく、「閉じ込めておけばよい」という考え方なのだろう。
・しかし、1万人もの薬物使用者を突貫工事で建設した施設にただ閉じ込めておくというのは、人権上も大きな問題があると言わざるを得ない。 しかも、160万人もの薬物使用者を片っ端から閉じ込めておくなど、どう考えても不可能である。
・一方、日本の支援は、治療プログラムの開発や更生に向けてのヒューマン・サービスの提供を目指すものであり、そもそものフィロソフィーが根本的に違う。 ドゥテルテ大統領は、したたかに日中両国それぞれに働きかけて、両者の援助合戦を上手に利用しているところがある。 言うまでもなく、尖閣諸島などでの領土問題を抱える日中両国にとって、同様に中国と南沙諸島を巡る問題を抱えるフィリピンは地政学上重要な位置を占める。ドゥテルテ大統領はそのことは百も承知の上である。
・支援計画が動き出してから、私は薬物問題の専門家として、プロジェクトにかかわることとなった。 言うまでもなく、JICAと言えば、国際的にきわめて高い評価を得ている援助機関であるが、これまで薬物問題を取り扱ったことはなく、当初は何をすればよいのか、おそらく雲をつかむような話だったのではないかと思われる。 しかし、これは何もJICAに限ったことではない。当の官邸も外務省も同様だ。
▽子どもたちが収容され…
・そこで、私はまず「エビデンス・ベースト」をキーワードにして、つまり科学的根拠に基づいた治療プログラムの開発を目玉にすることを提案した。 具体的には、治療施設だけではなくコミュニティ内での治療サービスの提供、アセスメントのためのツールの開発、現地の専門家の研修、子どもの保護や教育、貧困対策や雇用対策、自助グループの育成などをパッケージにした支援計画の骨組みを提示した。
・そこからの動きは驚くほど速かった。JICAの担当者が初めて私の研究室に訪れてからわずか1ヵ月後、私は総理補佐官、関係省庁の担当官、そしてJICA担当者たちとともにマニラにいた。 激しいスコールとマニラ名物の渋滞に行く手を阻まれながら、最初に訪れたのはマニラ郊外にある薬物リハビリセンターである。そこには定員をはるかに超えた薬物使用者が収容されており、息も詰まるような光景であった。
・何より驚いたのは、まだ小学生くらいの子どもが収容されていたことである。本人たちに話を聞くと、彼らはストリートチルドレンで、小遣い稼ぎに薬物密売人の手先をする中で、空腹を紛らわせるために覚せい剤を使っていたという。 この国では食料よりも覚せい剤が安く手に入るのだ。そして、覚せい剤を使用すると、その薬理効果として空腹を感じなくなるのである。
・彼らはセンターの一角で算数の授業中だったが、生涯で初めて受ける教育が薬物リハビリセンターの中だという現実が、この国の薬物問題の深刻さを突きつける。 そして、「薬物は犯罪」という信念にがんじがらめになっていたわが国の警察庁からの同向者も「薬物問題の根本には貧困があるのですね」という感想を口にするのだった。 薬物乱用が犯罪であることは確かだが、この国では貧困問題であると同時に、それが疫病のように拡大している公衆衛生上や医療上の問題でもあるのだ。
▽フィリピンならではの明るさ
・その後、私はほぼ2ヵ月おきにフィリピンを訪れているが、最初の暗澹とした気持ちは、次第に薄らいでいっている。 それは1つには、JICAや日本大使館の人々の支援に対する献身的な姿勢を見て、大いに力づけられたということがある。 途上国支援の最前線では、このような地道な取り組みが、日本に対する信頼を高めていることを日々実感している。
・そしてもう1つは、この国の明るさと、薬物問題に取り組む専門家たちの熱意のお陰である。 何かにつけいい加減なところや、物事がなかなか前に進まないところには、この先も何度もイライラさせられるのかもしれないが、この国で仕事するのは悪くないという気持ちになっている。 何より、この国を訪れるたびに、私のほうが彼らから学ぶことが大きいのだ。
▽「依存症からの回復は楽しいこと」
・薬物依存の治療について、フィリピンから学んだ大事なことが2つある。 先日、フィリピン保健省との会合で、フィリピン人医師が「Recovery is fun.」(依存症からの回復は楽しいことだ)と述べたのを聞いて、私ははっとさせられた。 これこそが、治療を受けている薬物依存症者に対して、一番大切なメッセージではないだろうかと感じたからである。
・日本人は何かにつけ、物事に深刻になりすぎるところがある。確かに薬物使用は褒められたものではない。 しかし、ひとたび過ちを認め、そこから回復していく道のりは、楽しいものであってよいはずだ。薬物の呪縛や罪悪感から解き放たれ、心身の健康を取り戻し、悪い仲間やライフスタイルを捨て、新しい仲間や健康的なライフスタイルを身に付けて、生まれ変わった自分になっていく。 新しい趣味を見つけたり,新しい学びに取り組んだりすることもできる。薬をやっていたのではできない多くの楽しい体験が待っている。
・依存症の治療は、いつも反省を口にしつつ申し訳なさそうな顔をして、失ったものや暗い過去を見つめてばかりで、後悔や罪の意識に苛まれた中での修行や苦行であってはならない。 もちろん反省や償いを忘れてはならないが、明るい未来のための、希望に満ちた楽しい活動であるべきだ。これは、日本の薬物依存治療に決定的に欠けている姿勢かもしれない。
▽もう1つの「薬物戦争」と戦う
・もう1つは、家族やコミュニティからの支援の豊かさである。フィリピンは家族の絆がとても強く、地域社会のつながりもとても密接である。また、教会を通して深い信仰でも結ばれている。 フィリピンの専門家を日本に招いて、日本のある薬物治療施設を見学していたとき、その入所者のほとんど全員が、薬物が原因で離婚したという話を聞いて、一同ものすごく驚いていた。 日本では、例えば夫が覚せい剤で逮捕されたとなれば、妻が離婚を選んでも誰も不思議に思ったり驚いたりすることはないだろう。それどころか、むしろ周りは離婚を勧めるに違いない。
・しかし、フィリピンの人たちはこう言う。「離婚して一人ぼっちになってしまったら、誰が彼を支えるというのですか。われわれの国では、必ず家族や地域の人々が立ち直りを支えます」 過ちを犯した者を社会から排除し、必要以上に晒し者にして、侮辱したり非難したりする社会と、過ちを反省し悔い改めて立ち直ろうとする者を、温かく迎え入れ、回復に向けて共に進もうとする社会。
・果たしてどちらが、成熟した居心地のよい社会だろうか。 「薬物戦争」に見られるフィリピンの人権状態は,きわめて深刻な状況にあることは確かである。報道や映画で見るフィリピンは、薬物犯罪者は殺されて当然と叫ぶ大統領に多大な支持が集まり、スラムの一角では、殺害された死体が転がっているような社会である。
・しかし、その中にあっても支え合って、愛情や信仰を武器にして薬物問題と戦っている人々がいることも事実である。対策に駆け回っている役人や専門家、真面目に職務を遂行している警察官を私はたくさん知っている。 ニュースにはならないもう1つの「薬物戦争」がそこにはある。そして私は、日本とフィリピンの心強い仲間とともに、科学という武器を頼りに、この「薬物戦争」を戦っていくつもりである。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52507

第三に、 ジャーナリストの中坪 央暁氏が11月8日付け東洋経済オンラインに寄稿した「マラウィ、避難民35万人の厳しすぎる未来 イスラム武力衝突は現地に深い傷跡を残した」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・フィリピン南部ミンダナオ島のマラウィで5カ月間続いたイスラム過激派による武力衝突は、約1200人の死者を出して10月23日に終結した。 しかし、人口約20万人のマラウィと周辺町村から戦闘を逃れて退避した避難民35万人の大半は、今も避難生活を余儀なくされている。
・写真をみてもわかるように、マラウィ中心部は激しい戦闘によって破壊し尽くされている。その復興と避難民の帰還には数年かかる見通しで、日本を含む国際社会の支援がカギになりそうだ。
▽5カ月余りも狭いテントで生活
・マラウィの北隣に位置するサギアラン町の小学校。大屋根に覆われた吹き抜けの集会場に、白色や青色のシートを継ぎはぎしたテントが密集して並び、65世帯500人近くの避難民が暮らしている。ほとんどが今も政府軍によって完全封鎖されている市街南東部の下町界隈の住民である。 リーダー格の農民、ルマ・アンプアンさん(58)は「5月23日に戦闘が始まって5日後、政府軍に強制退去を命じられて、わずかな着替えだけ持って逃げてきました」と話す。
・フィリピン政府や国連機関、国際赤十字、国内外のNGOが食料、衣料、毛布など救援物資を配付しているものの、「コメなどの食料配給は不足ぎみで、近くに市場はあっても現金を持っていないので何も買えません。家や畑は今頃どうなっているのか……」。
・テントをのぞくと、内部をシートで仕切って複数の家族が同居し、4.5畳見当のスペースに子供を含めて6~7人が寝るという。衣類や毛布の救援物資以外は何もない。「互いに助け合っているが、プライバシーが保たれないので、みなストレスがたまっている」(アンプアンさん)。
・避難所には乳幼児や子供が多く、赤ん坊を抱いた若い母親が目立つ。生後3カ月の男児をあやしていたノミラ・ウランカヤさん(26歳)は「夫と一緒に3人の子供を連れて歩いて逃げてきましたが、身重で山道を下るのはつらかったです。8月末に避難所近くの病院で出産しましたが、ミルクがないので困っています。いつになったら家に帰れるのでしょうか」。
・事件を引き起こしたイスラム過激派について尋ねると、避難民たちは口々に「彼らは同じイスラム教徒とはいえない。こんなことが起きるなんて誰も予期しなかったし、すぐに終わると思っていた。ごく一部の連中が私たちの暮らしも街も何もかも壊してしまった」と訴えた。 フィリピン社会福祉開発省(DSWD)によると、5月以降発生した避難民の総数は7万8466世帯・35万9680人、この半数近くがマラウィ市民である。
▽一部帰還も「将来に不安」
・サギアラン町の避難所のように“evacuation centers”と呼ばれる政府公認の避難所は78カ所あるが、実は避難所にいるのは全体の1割足らずに留まる。9割超の7万0895世帯・33万5064人は、車で1時間余りの北ラナオ州イリガンなど都市部の親類宅に身を寄せたり、経済的な余裕があれば自前で部屋を借りたりしている。
・一方で、そうした避難民への食料配給は早々に打ち切られたため、一時的に親類を頼った後、マラウィ周辺の避難所に移る例も多い。マラウィから10キロメートル余り離れた南ラナオ州バロイ町パカルンド地区には、イリガンから再移動してきた120世帯が72張りのテントに暮らしている。DSWDが砂利を敷いて整地し、電線も引かれているが、ジョワド・パカルンドさん(36歳)は「病気がちの両親と4人の子供を抱えて転々としている。地元の援助団体が親切にしてくれるが、テントの中は暑くて暑くて……」。
・ところで、ニュース映像や写真だけを見ると、マラウィ全体が壊滅したかのように思うかもしれないが、直接影響を受けたのは市内98地区のうち33地区、ちょうど3分の1に限られる。市街戦は中心部から南東方面に移っていったため、市街西寄りは比較的早く安全が確保され、北西部にあるミンダナオ国立大学は8月末には授業を再開した。
・ちょうどこの頃、避難先からマラウィに戻ってサリサリ(雑貨店)を再開したクスナ・マカランドゥンさん(47歳)は「菓子やたばこ、洗剤などを売っていますが、住民がみな帰ってきたわけではないので、商売はさっぱりです」。事件については「ただ悲しいだけ。同じイスラム教徒、同じマラナオ人なのに、どうしてこんなことをしたのか……。間違った思想や考え方に毒されてしまったら、この町はどうなるのか、若い人たちの未来はどうなってしまうのか不安でなりません」と表情を曇らせた。
・マラウィ市街では現在、陸軍工兵隊が不発弾処理や瓦礫(がれき)の一部撤去を行っている。フィリピン政府は当面の復興予算として150億ペソ(約320億円)を見込み、関係省庁や政府軍で構成する復興タスクフォースがニーズ調査と復興計画策定を担うが、ロドリゴ・ドゥテルテ大統領は「少なくとも500億ペソ(約1050億円)は必要だ」と発言している。
▽マラウィ復興プロジェクトの行方
・マラウィ復興はフィリピン政府単独ではなく、日本を含む先進援助国や国際機関による“国際プロジェクト”である。すでに水面下の折衝が始まっており、国連、世界銀行、アジア開発銀行を中心に米国、オーストラリア、欧州連合(EU)などの復興支援資金を一括して管理・運用するプールファンドを設立する方向で調整が進む見通しだ。
・ドゥテルテ大統領は事件終結直後の10月29~31日に来日し、安倍晋三首相と首脳会談を行った。安倍首相はマラウィおよび周辺地域の復興を最大限支援することを表明したが、日本としては資金協力に留まらず、国際協力機構(JICA)を通じて都市開発計画、インフラ整備など得意分野で独自性のある貢献を打ち出したいところだ。
・もともとマラウィは道路や給水など社会インフラ整備が立ち遅れていたこともあり、現地では「単なる復旧・復興ではなく、本格的な再開発を通じてマラウィを再生したい」という声が聞かれる。日本の技術力やノウハウが生かされる場面は少なくない。
・筆者がもうひとつ強調しておきたいのは、マラウィの武力衝突とはまったく別のストーリーとして、当地最大のイスラム勢力モロ・イスラム解放戦線(MILF)とフィリピン政府によるミンダナオ和平プロセスが進行中であり、わが国が“日本にいちばん近いイスラム紛争”の終結と平和構築に大きな貢献をしてきたということだ(日本が貢献した「イスラム紛争終結」の舞台裏参照)。
・マラウィの事件では「IS(イスラム国)系勢力がミンダナオ島を拠点化しようとしている」という報道ばかりが目立ち、より本質的なミンダナオ和平に向けた取り組みがかき消されてしまった感がある。確かにミンダナオ島あるいはフィリピンがイスラム過激思想の浸透の危機に直面しているのは事実だが、現地取材を重ねてきた感触から言うと、ミンダナオ本島にIS系の支配地域が確立される可能性は非常に低い。
▽戦闘は終結したが本当の戦いはこれから
・国際テロ組織は不安定で貧しい国・地域に入り込むのを常とする。1970年代から紛争が続いて開発が遅れたミンダナオ島のイスラム地域バンサモロは、確かに狙われやすく、イスラム過激派残党の取り締まりやテロ警戒が重要なのは当然である。他方で中長期的には、バンサモロを政治的・経済的・社会的に安定させることを何より考えなければならない。
・地元ミンダナオ出身のドゥテルテ大統領の任期中(~2022年)に、イスラム勢力主導のバンサモロ自治政府を樹立する現行の和平プロセスを実現するとともに、1人当たりの国内総生産(GDP)がマニラ首都圏の15分の1と極端に貧しい同地域の経済開発を進める必要がある。最終的には、それがイスラム過激派を排除する最も有効な対策になるからだ。 戦闘は終結したが、本当の戦いはこれからである。マラウィの復興はミンダナオ和平のシンボルになるだろう。
http://toyokeizai.net/articles/-/196212

第一の記事で、 『そもそも、覚せい剤は日本で生まれた薬物である。戦前、ある著名な化学者が世界で初めて合成に成功し、しばらくはヒロポンという名称で薬局でも売られていた薬物が、覚せい剤にほかならない。 その後、依存性や毒性が明らかになり、戦後になってから「覚せい剤取締法」が制定され違法薬物となったわけだが、その後暴力団が資金源として目をつけ、密輸や密売を始めてから、違法な使用が拡大していった。 最初は日本だけの乱用に限定されていたが、90年代以降になって、東南アジア、アメリカ、オーストラリアなどに乱用が拡大していった。 つまり、フィリピンの国中を蝕む国家的な「害毒」は、恥ずかしいことに、その生まれも日本であるし、持ち込んだのも日本であるという、二重の意味で日本が蒔いた種なのだ』、というのは初めて知った。日本の責任が大きい以上、支援もそれを考慮する必要があろう。
第二の記事で、 『ドゥテルテ大統領は、したたかに日中両国それぞれに働きかけて、両者の援助合戦を上手に利用しているところがある。言うまでもなく、尖閣諸島などでの領土問題を抱える日中両国にとって、同様に中国と南沙諸島を巡る問題を抱えるフィリピンは地政学上重要な位置を占める。ドゥテルテ大統領はそのことは百も承知の上である』、とういうものの、ドゥテルテ大統領は南沙諸島を巡る問題では中国寄りの政策を展開、日本政府は「ハシゴを外された」形になっているのは、残念だ。 『依存症の治療は、いつも反省を口にしつつ申し訳なさそうな顔をして、失ったものや暗い過去を見つめてばかりで、後悔や罪の意識に苛まれた中での修行や苦行であってはならない。 もちろん反省や償いを忘れてはならないが、明るい未来のための、希望に満ちた楽しい活動であるべきだ。これは、日本の薬物依存治療に決定的に欠けている姿勢かもしれない』、というのは、日本のあり方を見直すヒントになるのかも知れない。
第三の記事の写真にあるマラウィの市街の崩壊ぶりは、目を覆いたくなるような惨状だが、『直接影響を受けたのは市内98地区のうち33地区、ちょうど3分の1に限られる』というのが、せめてもの救いだ。 『戦闘は終結したが本当の戦いはこれから』、というのはその通りだろう。
ただ、上記の3つの記事とも、JICA関係者などが書いていることもあって、ドゥテルテ大統領や日本政府への遠慮がありそうなのが気になる。ドゥテルテ大統領が国際的に強い批判を浴びているからには、それなりの理由がある筈なのに、それに言及していないのは物足りない。今後、そうした角度からの記事があれば、紹介してゆきたい。
タグ:戦闘は終結したが本当の戦いはこれから イスラム勢力モロ・イスラム解放戦線(MILF)とフィリピン政府によるミンダナオ和平プロセスが進行中であり、わが国が“日本にいちばん近いイスラム紛争”の終結と平和構築に大きな貢献をしてきたということだ フィリピン政府単独ではなく、日本を含む先進援助国や国際機関による“国際プロジェクト”である マラウィ復興プロジェクトの行方 直接影響を受けたのは市内98地区のうち33地区、ちょうど3分の1に限られる イスラム過激派 マラウィ中心部は激しい戦闘によって破壊し尽くされている 避難民35万人の大半は、今も避難生活を余儀なくされている 5カ月間続いたイスラム過激派による武力衝突は、約1200人の死者を出して10月23日に終結した ミンダナオ島のマラウィ 「マラウィ、避難民35万人の厳しすぎる未来 イスラム武力衝突は現地に深い傷跡を残した」 東洋経済オンライン 中坪 央暁 もちろん反省や償いを忘れてはならないが、明るい未来のための、希望に満ちた楽しい活動であるべきだ。これは、日本の薬物依存治療に決定的に欠けている姿勢かもしれない 依存症の治療は、いつも反省を口にしつつ申し訳なさそうな顔をして、失ったものや暗い過去を見つめてばかりで、後悔や罪の意識に苛まれた中での修行や苦行であってはならない 言うまでもなく、尖閣諸島などでの領土問題を抱える日中両国にとって、同様に中国と南沙諸島を巡る問題を抱えるフィリピンは地政学上重要な位置を占める。ドゥテルテ大統領はそのことは百も承知の上である ドゥテルテ大統領は、したたかに日中両国それぞれに働きかけて、両者の援助合戦を上手に利用しているところがある 日本の支援は、治療プログラムの開発や更生に向けてのヒューマン・サービスの提供を目指すものであり、そもそものフィロソフィーが根本的に違う 巨大薬物使用者使用施設の建設を始め、昨年の11月に収容を開始 中国も薬物問題への支援を名乗り出て、急ピッチでのプロジェクトが展開され始めていた 安倍・ドゥテルテ会談 短期間で何と160万人に及ぶ人々が警察に出頭したと言われており、彼らへの治療やリハビリが今後、きわめて重要なテーマになってくる 強硬な側面ばかりが強調されるが、実は薬物使用者の治療やリハビリにも重点を置いており、自首をすれば逮捕はせずに治療や教育を提供するという施策も併せて行っている それに対しドゥテルテ大統領は「国連のクソ野郎」と罵倒し、国連からの脱退も示唆するなど、過激さをますます強めていた 国連人権高等弁務官事務所が「国家は国民の生命を保障する法的義務がある」と批判したが 「薬物依存症患者と接するなかで学んだ、二つの大事なこと フィリピン支援プロジェクトの現場から」 フィリピンの国中を蝕む国家的な「害毒」は、恥ずかしいことに、その生まれも日本であるし、持ち込んだのも日本であるという、二重の意味で日本が蒔いた種なのだ 最初は日本だけの乱用に限定されていたが、90年代以降になって、東南アジア、アメリカ、オーストラリアなどに乱用が拡大していった その後、依存性や毒性が明らかになり、戦後になってから「覚せい剤取締法」が制定され違法薬物となったわけだが、その後暴力団が資金源として目をつけ、密輸や密売を始めてから、違法な使用が拡大していった そもそも、覚せい剤は日本で生まれた薬物である。戦前、ある著名な化学者が世界で初めて合成に成功し、しばらくはヒロポンという名称で薬局でも売られていた薬物が、覚せい剤にほかならない 覚せい剤が最も中心的な違法薬物となっている国は、世界中を見ても日本とフィリピンくらいしかない フィリピンの薬物汚染は、世界最悪 薬物使用者の割合は日本の約180倍 毎年約1万人強が覚せい剤取締法違反で検挙 日本の場合 薬物使用人口はおよそ180万人と推定 アジアで1、2を争う治安の悪さ 正体のよくわからない「自警団」などに殺害された者は、数千人に上ると報道 薬物撲滅のため、薬物に関わった者の殺害も辞さないとの強行的な姿勢 ドゥテルテ大統領 薬物戦争 「フィリピン「深刻すぎる薬物戦争」は、日本が蒔いた種が原因だった 日本人が直視しなかった現実」 現代ビジネス 原田 隆之 (その2)(フィリピン「深刻すぎる薬物戦争」は日本が蒔いた種が原因だった、薬物依存症患者と接するなかで学んだ二つの大事なこと、マラウィ 避難民35万人の厳しすぎる未来 イスラム武力衝突は現地に深い傷跡を残した) フィリピン
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