SSブログ

日本のスポーツ界(その6)(相撲界不祥事:小田嶋氏の見方) [社会]

日本のスポーツ界については、昨年12月5日に取上げたが、今日は、(その6)(相撲界不祥事:小田嶋氏の見方)である。

コラムニストの小田嶋隆氏が2月9日付け日経ビジネスオンラインに掲載した「で、どっちがワルモノなんだい?」を紹介しよう。
・またしても相撲の話題に触れなければならない。 大変にめんどうくさい。 個人的には、大相撲が直面している問題に、たいした公共性があるとは思っていない。 その点からいえば、この話題は、放置するべきだとも思っている。
・しばらく放置して、半年なり1年が経過した時点で、状況の変化を受けてのコメントを提供しておけばとりあえずはOKという、その程度の話題に過ぎない。 ただ、年が明けてからこっち、発端となった暴力事件とは別に、貴乃花親方の理事解任&立候補&落選をめぐる報道が奇妙なぐあいに過熱している。 隠蔽体質の組織 vs 孤高のヒーロー 老害既得権益者集団 vs 若き改革者  という、いつ出来上がったのやら知れない不可思議なアングルの対立図式がQシートの行間に書き込まれた形で番組が進行している。
・世間は、醜いこの世の鬼を退治する若き改革の旗手に熱狂しはじめている。 ことここに至った以上、放置してばかりはいられない。 発言せざるを得ない。 もっとも、私が声を上げるのは、対立している二つの陣営の、いずれかの立場を代弁するためにではない。 私がここに書くつもりでいるのは、一言でいえば、「大相撲をおもちゃにするのはもういい加減にやめようではありませんか」ということに尽きる。それ以上でも以下でもない。
・もうひとつ、私が、たいした公共性を持っているようにも思えない大相撲の話題をあえて取り上げる決意を固めたのは、ここに至る一連の報道の中で、ひとつの仮説として示唆されつつあるスジの悪いストーリーが、あまりにも広い層の人々の心をとらえてしまっている現状に危機を感じたからだ。
・素人というのは、ここまでチョロい人たちなのだろうか。 マジョリティーというのは、これほどまでに軽薄な存在なのだろうか。 だが、注意せねばならない。 この言い方はうっかりすると愚民蔑視に着地してしまう。 ぜひ、慎重に述べねばならない。
・私は、一般大衆を攻撃したくてこんなことを言っているのではない。 ただ、商業メディアがビジネスとして愚民を養成しにかかっていることに、この際、注意を促しておくべきだと考えたから、あえて口を開くことにしたのだ。 彼らは、話を単純化している。 複雑な背景と錯綜した経緯の上に成立しているサブストーリー満載の一大民族叙事詩を、「悪の組織 vs 正義のヒーロー」式の英雄物語に翻案すれば、たしかに素人受けは良くなるだろうし、構成台本も書き起こしやすくなるだろう。
・しかしながら、メディアが伝えるべきなのは、事実であって物語ではない。 おそらく、ファクトよりはストーリーの方が売り上げに結びつきやすいのだろうし、ファクトを並べて専門家の解説を仰ぐよりは、一定のアングルからのブックを宣伝しにかかったほうが視聴者の食いつきも良いには違いなかろう。
・でも、そんなことのために、土俵が焼け野原になっては困る。 焼畑を繰り返す転地農法で収穫をあげている人間たちにとっては、ある分野が灰になったら、また別の火種を求めて違う野原に放火すればそれで良いのかもしれない。 が、相撲ファンにとっての土俵はひとつしか存在していない。
・いま自分たちが見ている土俵が灰になって、すべての力士が遺骨になってしまったら、われわれは二度と相撲を見ることができなくなってしまう。 だから、私は、メディアが提供している安ピカの改革ヒーロー外伝に水をかけて、この不当な火災を鎮火させなければならないと決意した次第だ。
・相撲協会がさまざまな問題をかかえていることは事実だ。 が、それらの問題は、基本的には、相撲にかかわる人々が自分たちの力で解決するべき事柄であって、他人が思いつきで介入することで改善が期待できるようなものではない。 その意味で、この3カ月ほどの大相撲報道は、あきらかに常軌を逸している。 内容もさることながら、報道の量がとにかく異様だ。
・報道が相撲をおもちゃにしているという言い方が妥当なのかどうかはともかくとして、ワイドショーをはじめとするメディアが、相撲界内部のトラブルをあれこれいじくり回すことで放送時間の大きな部分をしのいでいるのは事実だし、彼らが自分たちの作り出した相撲改革劇場を数字のとれる論争コンテンツとしてプッシュし続けていることもまた事実だと思う。
・他人のトラブルであれ、組織の不祥事であれ、見知らぬ男女の婚外交渉であれ、それらの出来事に一定以上の公共性が宿っているのであれば、記者が追いかけるのも良いだろうし、週刊誌が憶測記事を書くことにも、お昼の番組が半端な野次馬を集めて議論することにもそれなりの報道価値が生じるものなのだろう。
・しかしながら、昨年来続いている角界内部の暴露報道合戦は、それをネタに稼いでいる人間たちが潤っている以外、誰にもメリットをもたらしていない。相撲ファンははじめから辟易しているし、非相撲ファンは意味もわからずに腹を立ててばかりいる。
・現代にあっては、腹を立てることそのものが有力な娯楽のひとつなのだと、グッディやバイキングのプロデューサーがそう言い張るのなら、一応、この場は、耳を傾けておいてさしあげてもかまわない。でも、私は彼らが考えているみたいな形式で世界に対峙している人間ではないし、本当のところ、視聴者の多くも、単に退屈しのぎをしているだけなのだと思っている。
・視聴者の怒りを煽ることは、数字に結びつけやすい番組演出作法なのだろうし、だとすれば、不満を抱いている人間が腹を立てるように持っていくのが番組作りのコツだ、ってなことにもなるのだろう。が、怒りそれ自体が状況を改善することはあり得ない。 とすれば、人々の怒りの感情にアピールすることで、何かを成し遂げたつもりになっている人間は、表現者であるよりは単に扇動者なのであって、メディアの中にこの種の人々が増えることは、すなわち業界の頽廃だと思う。
・昨年来の相撲関連報道に、相撲の世界の当事者は、端的な話、迷惑しているはずだ。 角界の運営に問題があることは様々な立場の人々が指摘している通りだし、彼らが反省せねばならないこともおっしゃる通りではある。が、だからといって、基本的な背景知識すらろくすっぽ持っていないド素人による思いつきの説教を、真面目な顔で聴かなければならない義理を相撲界の人間が生まれつき背負っていると考えるのは早計だ。当然じゃないか。いったいどこまで思い上がれば自分が知っているわけでもなければ勉強したわけでもない世界に対して、したり顔で改革を強要することができるのだ? 君たちは創造主なのか?
・私は、なんだかんだで50年近く相撲を見てきた人間だ。 そういう私のような古くからの相撲ファンは、大相撲に問題があることを、もちろん知らなかったわけではない。それらの問題が永遠に改善されないまま存続してもかまわないと思っているわけでもない。ただ、われわれは、問題の解決が簡単ではないことを理解しているし、それ以上に、自分たちのような外部の人間が生半可な覚悟で問題に介入することで、相撲のあり方を歪めてしまうことを恐れている。
・相撲は、相互に矛盾する複雑な基盤の上に成立している至極曖昧な現象と言っても良いものだ。 それゆえ、改革を進めるにしても、透明化に着手するにしても、一刀両断の荒仕事で簡単に話が決着するような刺し身のネタではない。
・出来の悪い巨大プログラムのデバッグなり仕様変更なりに従事した人間ならある程度わかるはずだが、入り組んだ構造体のバランスを改善するためには、そのシステムが形成されるに至った長い時間に相応する、大変な時間を投入せねばならないものなのだ。何なら、手元のスマホがトラブルに陥った話に例えてもいい。特定のアプリが原因で問題が起こっている、とは限らないし、そのアプリを取り除けばすべてが解決する、というわけでもない。むしろ、考えなしにアプリを削除したら、当面のバランスをさらに崩すことになるかもしれない。 ウィルスのせいと断定することもできない。
・なにしろ設計が古いうえに、場当たり的な修繕と増築が基本構造を複雑怪奇にしてしまっている。 メモリは不足しているし、CPUの基本性能も処理に追随できていない。当然、OSのバージョンは古すぎるしブラウザも信用できない。 こういうシステムをリニューアルするつもりなら、まずはじめに、それなりの時間と手間と資金を覚悟しなければいけない。
・ハードディスクをフォーマットして空き容量を作ったらどうだとか、常駐ソフトを全部捨てればメモリの負担が軽くなるんではないかとか、考えの足りない素人はおよそ無責任な改善策をドヤ顔で畳み掛けてきがちなものだが、そんなアドバイスを鵜呑みにしていたら、それこそシステムは永久にフリーズしてしまう。 むしろ、一番簡単なのは古いシステムをまるごと廃棄して、新しいマシンを買うことだ。
・実際、手間と費用の話をすれば、古いシステムを修理して使うよりは、ニューマシンを買った方がずっと安くつく。そういう道が無いわけではない。 が、仮にSUMOという新しい土俵サークル格闘技を誕生させたのであれば、その瞬間に、相撲の伝統は完全に失われる。
・おそらく、相撲に愛情を抱いていない人々は、それでもかまわないのだろう。 自分たちの好みにかなう、オープンでモダンでトランスペアレントでフェアな競技が爆誕すればOKだと考えているごきげんなクルーたちは、自分の観察範囲の中で派手な騒動が巻き起これば、結果がどうなろうと、騒ぎが見物できるだけでも万々歳だと、どうせそう考えている。
・話を戻そう。 相撲協会が問題百出の腐敗組織であることがその通りなのだとして、それでは、その腐敗組織から排除されているかに見える人物は、そのことをもって正義の追求者と判定できるのだろうか。 スキャンダリズムを標榜するメディアは、善悪二元論に立脚したシンプルなストーリーに乗っかることを好む。
・今回の例でいえば、「隠蔽体質の腐敗した協会の既得権益者のジジイたちが、若き改革者にして正義の人たる貴乃花親方をよってたかって排除しにかかっていて、相撲利権にあずかっている一部マスゴミがその後押しをしている」ぐらいな陰謀論ストーリーが、最大公約数として提供されることになる。
・ドラマなり映画を見ている時に 「で、どっちがワルモノなんだい?」 と尋ねてくる人たちが、いまでも多少は生き残っている。 多くはご老人だ。 おそらく、彼らが生まれ育った時代、時代劇をはじめとするドラマのほとんどすべては、モロな勧善懲悪のプロットを踏襲していて、筋立てから人物造形に至るすべてが「ワルモノ」と「イイモノ」をきっぱりと二つに区分する手法で作劇されていたのだと思う。
・実際、昭和の時代の時代劇の中の悪役は、化粧の仕方や視線の運営の仕方だけで、誰が見てもひと目でワルモノとわかる演技をしていたものだった。 21世紀のドラマの世界では、そこまであからさまなツクリのものはさすがにあまり目につかない。
・しかし、代わりに、ニュースショーが勧善懲悪アングルで作られるようになっている。 「で、どっちがワルモノなんだい?」 という視聴者からの質問にこたえる形で、ワルモノとイイモノを、はじめからわかるように描く演出でニュースを作っている。 
・知的負荷の高い情報を避ける人々は、「わからない」状態を嫌う。であるから、彼らは、「モヤモヤする」感情や、「漠とした不安」や、「理解できない」混沌や、「先の読めない」展開よりも、「こんなことが許されて良いのか」的な、「怒り」や「義憤」や「正義の感情」を刺激するフレーズを尊重する。
・てなわけで、ニュースは、ファクトやエビデンスという素材に義憤や正義という調味料をまぶした一品料理の形で食卓に提供されることになる。
・貴乃花親方が相撲協会の改革に強い情熱を持っている人物であることは、私も以前からよく知っている。  ただ、その情熱が、具体性のあるプランを伴ったものであるのかどうかについては、一定の疑念を抱いている。 それ以上に、現在、貴乃花親方自身が、廃業した弟子に対する暴力事件で訴訟をかかえる身であること、さらには、昨年、金銭問題を理由に解任された外部理事といまだに親しい関係(部屋の集まりで乾杯の音頭を取っている)にあることなどなど、ご自身の周辺にかんばしからぬ噂が多い点を憂慮している。
・いま書いたことの裏付けを知りたい読者は、以下にリンクを張る「リテラ」の記事を参照してほしい(こちら)。 リンクを張っておいてこういう言い方をするのはナンだが、リテラ自体、とかくの噂のあるメディアではある。中には、「フェイクニュース」だと決めつけている人たちもいる。 ただ、この記事に関してはしっかりとした取材に基づいている。少なくとも私はそう思っている。 ほかにも、ここに出てくるキーワードを検索すれば、いくつかのメディアのソースにたどりつくことができるはずだ。
・ともあれ、相撲を何十年も見てきている人間であれば、貴乃花親方を単純に正義の味方になぞらえた図式で作られている最近の記事を、簡単には鵜呑みにできないのは当然の話で、だからこそ、私の知っている幾人かの相撲通は、異口同音に相撲報道の偏向を訴えている。
・私は、貴乃花親方を攻撃したくてこんな話をしているのではない。 個人的感情の話をすれば、私は貴乃花の大ファンだったし、いまでも基本的には敬意を抱いている。 ただ、その貴乃花親方が、昨今言われているように、たった一人で相撲協会を改革できる人物なのかというと、その点には疑問を抱かざるを得ない、と、そういうことだ。むしろ、過大な責任を負わせるのは酷だといった感じかもしれない。
・貴乃花親方を一方的に正義の味方に擬する形で大量配信されている昨今の報道には、はっきりと懸念を感じる。 だからこそ、あえてネガティブな記事にリンクを張った。 勘違いしないでほしいのは、私が、協会を擁護するために原稿を書いているのではないということだ。 何かを批判している人間を見つけると、ただちに逆側の立場に立つ誰かの手先だと判断するみたいな基準で世界を眺めている人たちがいる。 党派的な争いの多いネットの世界では、特にその傾向が強い。
・しかし、私は、そういう話をしているのではない。 むしろ、そうやって話をわかりやすくすることの害毒について語るのが、このテキストの主題でさえある。 ぜひご理解をお願いしたい。
・とにかく、相撲協会の不祥事を追及するのであれば、貴乃花親方についても、一部で伝えられている疑惑を一応は紹介しておくのがまっとうな報道だと思う。 にもかかわらず、そうしないメディアが多い。 双方に非があるみたいな話は、アングルとしてわかりにくいという理由で、メディアでは採用されにくい。 彼らが、陰謀に加担していると言うつもりはない。 単に、提供するコンテンツについて商売になる外形を整えたがっているだけなのだと思う。 その、「商売になる外形」が、つまりは、「正義の物語」だということだ。
・繰り返すが、メディアは、わかりやすいストーリーを好む。 複雑な背景を持った事件について伝えるにあたって、彼らは、事実そのままの複雑な記事を書くことを好まない。なんとなれば、複雑な記事はわかりにくいという理由で、読者に好まれないからだ。 で、彼らは、多様なファクトを列挙することよりも一本道のストーリーに乗っかった書き方を選ぶ。
・テレビの態度はさらに露骨だ。 彼らは、感情に訴える伝え方を好む。 彼ら自身は、視聴者の側がエモーショナルな情報を好むことに対応しているに過ぎないと考えているのだろうが、事実として、テレビの番組制作にかかわっている人間たちは、取材で知り得たとおりの、複雑でわかりにくくて多様な解釈の余地を残す硬軟取り混ぜたバラバラのファクトを並べにかかるよりは、単純なストーリーに乗っかったシンプルなアジテーションの完成に注力している。
・だからこそ、一方を悪として告発するためには、もう一方の側を正義の味方として描写せねばならなくなるわけで、今回の扇情的な報道は、つまるところ、そういう商売上の必然がもたらしたバイアスだったと言って良い。
・相撲の世界を観察してきた者の目には、今回の報道はただただ異様に見えた。 とはいえ、私は、昨年来の愚かしい報道を眺めながら、こんなに雑なストーリーが、長持ちするはずはないと、一方ではタカをくくってもいた。いくらなんでも、視聴者はそこまでのバカじゃないぞ、と。 しかし、実際に起こったのは、私の予断を超越していた。 ワイドショーや一部の週刊誌が提供している横着な貴乃花正義報道は、どうやら、大衆の支持を獲得しつつある。
・粗雑な要約は、粗雑であるがゆえに飲み込みやすく、受け容れられやすいということなのだろうか。 わからない。 1週間ほど前に、貴乃花アゲアゲ報道にツイッター上で苦言を呈したところ、その日を境に、私のツイッターのフォロワー数は目に見えて減少し続けている。 おそらく、この記事が公開されたら、フォロワー数はより顕著な減少をたどることになるだろう。
・すっきりした結論が思い浮かばない。 より正確に言えば、私は、いま自分のアタマの中に浮かんでいる結論を、はっきりと書き起こす気持ちになれずにいるということだ。 理由は、あまりにも救いがないからだ。  ということで、いくつか引用を並べてなんとなくフェイド・アウトすることにしたい。
・まずは2月2日に投稿したツイートを列挙しておく。 《しかしまあ、ここしばらくのワイドショーや週刊誌の持ち上げ方が影響しているのだとは思うけど、「腐敗した協会の体質は高潔な英雄的人物の力で根本から改革されるべきだ」みたいなお話を鵜呑みに信じ込んでしまっている人たちの数が少なくない事実にしみじみと恐ろしさを感じることです。》
・《腐敗が存在することが事実なのだとして、だからって、「一人の高潔な救世主の登場を待望するマインド」がこれほどまでに安易かつ軽率にしかもおそろしい勢いで共有されてしまって良いはずがないではありませんか》 
・《この「英雄待望マインド」が相撲の世界限定のお話で完結すれば良いんだけど、私は必ずしも楽観していません。この先、北朝鮮が先鋭化したり、トランプが短慮に走ったり、北朝鮮以外の東アジア諸国のいずれかかが極端な行動に出たりすると考えると、色々とアタマが痛いことになる気がしています。》 
・最後に毎日新聞の今朝の記事にリンクを張っておく。 《日馬富士暴行問題 「白鵬ら神事に反する」 貴乃花親方、場所出場を批判 --毎日新聞》(こちら) テレビ番組出演時の発言内容をそのまま記事にしているだけでもどうかしていると思うのだが、 「暴行事件に同席した力士が土俵に上がるのは神事に反するように思える」 という、個人の宗教的なコメントに過ぎない談話を、何の論評を加えることもせずそのまま掲載している態度にも驚きを禁じ得ない。
・週刊誌やワイドショーが一般の英雄待望マインドに媚びたり、悲劇のヒーローを演出することで部数や視聴率を稼ぎにかかる構造は、まあ、ありそうな話なのだが、その安っぽい英雄物語に新聞が乗っかっている姿を見せられると、いささか嫌な気分になる。
・おそらく、爆弾三勇士の話が英雄譚の形を整えて行く過程でも、似たようなことがあったはずだ。 はじめは講談本やカストリ雑誌が煽ることで増幅された気分が、やがて確固たる市場を形成し、最終的には新聞がこぞってそれに乗っかって記事を書くイケイケの時代がやってきたということだ。
・マジョリティーは実に軽薄だ。 というよりも、時代というのは、そういうチョロい人たちが動かすものなのだろう。 動かしたい人は、好きにしてくれてかまわない。 私は時代に取り残される所存だ。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/020800130/?P=1

小田嶋氏が、 『商業メディアがビジネスとして愚民を養成しにかかっていることに、この際、注意を促しておくべきだと考えたから、あえて口を開くことにしたのだ。 彼らは、話を単純化している。 複雑な背景と錯綜した経緯の上に成立しているサブストーリー満載の一大民族叙事詩を、「悪の組織 vs 正義のヒーロー」式の英雄物語に翻案すれば、たしかに素人受けは良くなるだろうし、構成台本も書き起こしやすくなるだろう・・・人々の怒りの感情にアピールすることで、何かを成し遂げたつもりになっている人間は、表現者であるよりは単に扇動者なのであって、メディアの中にこの種の人々が増えることは、すなわち業界の頽廃だと思う』、との指摘はその通りだ。 『週刊誌やワイドショーが一般の英雄待望マインドに媚びたり、悲劇のヒーローを演出することで部数や視聴率を稼ぎにかかる構造は、まあ、ありそうな話なのだが、その安っぽい英雄物語に新聞が乗っかっている姿を見せられると、いささか嫌な気分になる。 おそらく、爆弾三勇士の話が英雄譚の形を整えて行く過程でも、似たようなことがあったはずだ。 はじめは講談本やカストリ雑誌が煽ることで増幅された気分が、やがて確固たる市場を形成し、最終的には新聞がこぞってそれに乗っかって記事を書くイケイケの時代がやってきたということだ』、というのは、よくぞここまで思いついたと感心すると同時に、日本の一般紙の姿勢に改めて懸念を強くした。
タグ:おそらく、爆弾三勇士の話が英雄譚の形を整えて行く過程でも、似たようなことがあったはずだ。 はじめは講談本やカストリ雑誌が煽ることで増幅された気分が、やがて確固たる市場を形成し、最終的には新聞がこぞってそれに乗っかって記事を書くイケイケの時代がやってきたということだ その安っぽい英雄物語に新聞が乗っかっている姿を見せられると、いささか嫌な気分になる 筋立てから人物造形に至るすべてが「ワルモノ」と「イイモノ」をきっぱりと二つに区分する手法で作劇されていたのだと思う 改革を進めるにしても、透明化に着手するにしても、一刀両断の荒仕事で簡単に話が決着するような刺し身のネタではない 相撲は、相互に矛盾する複雑な基盤の上に成立している至極曖昧な現象 人々の怒りの感情にアピールすることで、何かを成し遂げたつもりになっている人間は、表現者であるよりは単に扇動者なのであって、メディアの中にこの種の人々が増えることは、すなわち業界の頽廃だと思う らは、話を単純化している。 複雑な背景と錯綜した経緯の上に成立しているサブストーリー満載の一大民族叙事詩を、「悪の組織 vs 正義のヒーロー」式の英雄物語に翻案すれば、たしかに素人受けは良くなるだろうし、構成台本も書き起こしやすくなるだろう 商業メディアがビジネスとして愚民を養成しにかかっていることに、この際、注意を促しておくべきだと考えたから、あえて口を開くことにしたのだ 老害既得権益者集団 vs 若き改革者 隠蔽体質の組織 vs 孤高のヒーロー 貴乃花親方の理事解任&立候補&落選をめぐる報道 「で、どっちがワルモノなんだい?」 日経ビジネスオンライン 小田嶋隆 (その6)(相撲界不祥事:小田嶋氏の見方) 日本のスポーツ界
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。