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公文書管理(その3)(小田嶋氏:「発見」された不存在の日記について、泉氏:安倍政権がはまった「公文書疑獄」の底なし沼) [国内政治]

公文書管理については、4月3日に取上げたが、今日は、(その3)(小田嶋氏:「発見」された不存在の日記について、泉氏:安倍政権がはまった「公文書疑獄」の底なし沼)である。なお、前回まで「公文書管理・公開」としていたタイトルから「公開」は外した。

先ずは、コラムニストの小田嶋隆氏が4月6日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「「発見」された不存在の日記について」を紹介しよう。
・大阪市内の路上に、840枚ほどの機密文書を含む国土交通省の廃棄書類がぶちまけられたのだそうだ。  1990年代制作のB級テレビドラマに出てきそうなシーンだ。 風に舞う文書。這いつくばって紙切れを拾い集める背広姿の職員たち。遠巻きに眺めながらヒソヒソ話をする主婦。なぜか周囲を走り回る野犬。あくびをする猫。無意味に全力疾走するオダユージ。民放夜8時の2時間枠で放送されるバカなサスペンス巨編にぴったりの絵だ。
・もっとも、映像として「絵になる」のはその通りなのだとして、起こったことそのものは、たいした事件ではない。書類の廃棄を請け負った下請け業者が、運搬中に積荷を落としただけの話だ。国交省の体質が問われねばならないというほどのお話でもない。 ただ、タイミングがタイミングだけに、必要以上に注目されることは避けられない。
・というのも、この何週間か、あるいはもっとさかのぼれば現政権が発足して以来のこの5年ほどの間を通じて、「文書」ないしは「書類」をめぐる前代未聞の事態が進行中だからだ。 してみると、廃棄書類がナニワの路上に散乱している絵面(えづら)が、絶賛興行中の行政文書受難物語を象徴するスラップスティック(注)なトレーラー映像として世間の耳目を集めるのは、いたしかたのないところだ。
(注)スラップスティックとは、体を使ったギャグ(Wikipedia)
・文書は官僚の仕事の結果でもあれば、そのよって立つ基盤でもある。 魂という意味で言えば、武士における刀に相当する存在だと言っても差し支えない。 官僚による文書の不当廃棄や、紛失や、あるいは隠蔽や、さらには改竄といった未曾有の不祥事が続発しているここしばらくの展開は、武士が丸腰で出仕したとか、城内で大小を紛失したとか、でなければ、差している腰のものが竹光でしたみたいな不祥事に相当するお話なわけで、世が世なら切腹を申し付けられてもおかしくない。
・と、書き進めながら気づいたのだが、官僚にとっての文書を、武士にとっての刀になぞらえたのは不適切だった。撤回する。武士の刀は、形骸化した職能の象徴をスタイルとして残したドレスコードに過ぎない。大筋において甲子園球児の丸刈りや銀行員のネクタイと大差のないものだ。もっといえば、武士道における日本刀は「様式化された愚かさ」を忠誠のフックとして利用したアナクロニズムの発露なのであって、結局のところ、組織の構成員が陳腐な強制に従うことで保たれている秩序のための秩序といったあたりが、武士道の正体だったということになる。刀はその武士道という事大主義のちいちいぱっぱにおける統合の象徴というのかドーナツのアナというのか、いずれにせよ空虚な中心を穿つために用いられた滑稽千万な演出道具だったわけだ。
・話がズレた。 大嫌いなサムライの話になるとつい余計なことを言い募ってしまう。 武士道大好きな皆さんは上記の十行ほどの内容は忘れてください。 私がお伝えしたかったことの骨子は、役人にとっての文書の重要性に比べれば、武士にとっての刀などしょせんはアクセサリーに過ぎないということだ。官僚にとって文書は手段でもあれば目的でもあり、結果でもあれば歴史でもある。かててくわえて、自らの存在証明でもあれば退路でもある致命的に重要な存在だ。寿司屋にとっての寿司ネタどころか鳥にとっての翼、犬にとっての尻尾、猫にとっての肉球に近い、それなしには自分たちの存在そのものが意味を喪失してしまう何かだと言っても良い。
・今回は「文書」の話をする。 たいして関心を持たれているようにも見えないこの話題を、あえて持ち出してきた理由は、文書がないがしろにされていることへの世間一般の受けとめ方が、あまりにものんびりしているように見えて、そのことが、言葉にかかわる稼業にたずさわっている人間として残念に思えたからだ。
・ちなみに、私自身は、行政文書が軽視されていることは、官僚が自分たちの仕事への情熱を失っていることのあらわれなのだというふうに受けとめている。でもって、官僚が為すべき義務を果たしていないことは、行政が機能していないということであり、行政が滞っているということは、国政が狂っていることだとも考えている。 大げさな言い方に聞こえるかもしれないが、私自身は、事態を過大に申告しているつもりはない。 私は、この国は、狂いはじめる過程にあると、半ば本気で、そう思っている。
・もっとも、国が狂っているってなことを言い張る人間があらわれた場合、一般的に言って、当該の国家なり国民が狂っている可能性よりも、その旨を言い立てている人間のアタマが狂っている可能性を先に考慮した方が良い。してみると、狂っているのは私の方なのかもしれない。うむ。その可能性は認めなければならない。
・防衛省で、陸上自衛隊のイラク派遣時の日報が「発見」された。 「発見」は、普通は古文書や歴史的文書に使われる名詞で、リアルな行政文書や記録に対して使用される単語ではない。 が、4月3日の日経新聞の朝刊は 《防衛省、「不存在」の日報発見》 という見出しを打っている(こちら)。
・「おい、発見って、防衛省は古墳か何かなのか?」 「まあ、庁舎の地下に秘密のダンジョンがあってもオレは驚かない」 「どうせ天の岩戸ぐらいな名前つけて 自衛隊OBの軍事オタクがコレクションを秘蔵してる程度だと思うけど」 「あとはイシバさんのコスプレ衣装をおさめたワードローブな」 「そこに日報やら交換日記やらを隠蔽してたってわけか?」 「まあ、ガチムチの組織だけにそれぐらいの秘密の花園は許してやろうぜ」
・もちろんだが、日報は地下迷宮の壺の中から発見されたわけではない。 ごく当たり前な保管場所から出てきたのだと思う。 ただ、なぜなのか、誰も気づかずにスルーされていたということなのだろう。 ともあれ、「『不存在』の日報」という、日経の見出しにある表現は、なかなか皮肉の効いた言い方だ。 ほとんど哲学的ですらある。
・が、この見出しを考案したデスクは、おそらく皮肉を言いたかったのではない。単純に「これまで国会答弁などを通じて公式に存在しないとされていた日報が、その不存在を語った国会答弁から1年以上の年月を経たいまになって突然現れた」という、このたびの経緯を短い言葉で伝えるために、「不存在の日報」なる禅問答じみた用語法を採用せざるを得なかったのだと思う。
・してみると、2004年~06年に書かれてから10年以上、不存在があらためて公式認定されてから数えても1年と2カ月ほど日の目を見ずにいた日報がわれわれの前に登場したなりゆきは、やはり「発見」という言葉を持ってこないと表現することができない。
・あらためて考えるに、1万4000ページに及ぶ公文書が「発見」されるに至った経緯は、考えるだに異様だ。われらのような凡人の想像を絶している。 というのも、「発見」されるためには、「発見」に先立って、その公文書を誰かが「紛失」していないと説明がつかないからだ。 とすると、1万4000ページに及ぶ公文書のヤマを、いったい誰がどうやって「紛失」できたものなのだろうか。
・仮に、なんとか周囲に気づかれることなく無事に紛失しおおせたのだとして、調査を命じられた人々は、その1万4000ページの日報のカタマリをどうやってこんなにも長い間見つけずにいることができたであろうか。 私にはどうしてもうまい説明を思いつくことができない。
・とすれば、事ここに至った以上、そもそも「紛失」していたという説明がウソで、「発見」というのもウソの上塗りだったという可能性を考慮せねばならない。つまり、当初の段階で、存在していた日報を「ない」と言い張る「隠蔽」ないしは「虚偽答弁」がおこなわれていたということだ。そう考えた方が、その先の説明についてもずっと理解しやすくなる。
・では、どうしてあるはずの日報を「ない」と答弁せねばならなかったのだろうか。 この謎を解くためには、今回「発見」されたイラク派遣の日報の話以前に、同じく自衛隊の南スーダン派遣(2012年1月~17年5月)の際の日報について、よく似たいきさつがあったことを知っておく必要がある。 2016年の12月、防衛省は、陸上自衛隊の部隊がまとめた日報の情報公開請求に対し、廃棄して存在しないことを理由に不開示とした。だが、同じ月のうちに別組織の統合幕僚監部に保管されていた事実が判明、2017年の2月になって開示した。
・で、ここから先、国会答弁や報道とのやりとりが色々とあったわけなのだが、最終的には、日報についての説明が二転三転したことの責任を取る形で、7月には、このとき防衛相だった稲田朋美氏が辞任する。この間の事情は、以下のリンク先の記事に詳しい(こちら)。 もう半年以上前に書かれたものだが、今回の「発見」に先立つ事態の背景がよく説明されていると思う。
・ともあれ、自衛隊としては、南スーダン派遣の際の日報を「廃棄した」と説明した時点で、PKO南スーダン派遣から遡ること10年前の、2004年から06年の記録であるイラク派遣の日報が残っていてはマズいことになるわけで、ということはつまり、イラク派遣の日報隠蔽の動機は、南スーダン時の日報の廃棄という国会答弁から事後的に発生したことになる。
・誰かの国会での答弁を受けて、事後的に隠蔽なり改竄なり口裏合わせの必要が生じるというこの展開は、民主主義国家の行政の過程としては極めて異常ななりゆきではあるが、縁故主義(ネポティズム)と、人治主義が猛威をふるう前近代的な独裁国家ではさしてめずらしいことではない。というよりも、独裁的なリーダーが官僚の人事を壟断している世界では、あらゆる行政的な決定事項は、ボスの鼻息をうかがう形で決裁される。少しも不思議なできごとではない。
・稲田朋美元防衛相は、今回の事態を受けて 「驚きとともに、怒りを禁じ得ない」 と述べ、あわせて 「上がってきた報告を信じて国会で答弁してきたが、一体なにを信じて答弁していいのか。こんなでたらめなことがあってよいのか」 とコメントしている(こちら)。
・なんという見事な被害者ポジションによる受け身のとり方であろうか。 あるいは、稲田氏がコメントしている通り、彼女は、日報の存在をまったく知らされていなかったのかもしれないし、隠蔽工作や調査の実際についてもきちんとした報告を受けていなかったのかもしれない。
・でも、だとしたら、それは自衛隊という実力組織がその上司である防衛大臣の指揮を裏切って行動していたことを意味するわけで、ご自身の大臣としての無能さを裏書きする出来事でもあれば、政権内でシビリアンコントロール(文民統制)が失われていることを示唆する危険な兆候でもある。
・とすれば、現今の状況への感想を求められて「驚き」だとか「怒り」だとかいった、電車の中で足を踏まれたおばさんみたいなコメントを漏らしていること自体不見識なわけで、本来なら、自身の「監督不行届」と「力不足」を「痛感」して「痛哭」くらいはしてみせてくれないと計算が合わない。
・まして 「こんなでたらめなことがあってよいのか」 は、到底、責任者だった大臣が言って良いセリフではない。 なぜなら、当時の指揮官である防衛大臣は、被害者でもなければ傍観者でもなく、言葉の正しい意味でかかる事態を招いた当事者であり責任者であり、より強い言葉をもって報いるなら、張本人でもあれば犯人ですらあるからだ。 どうせ言うなら 「こんなでたらめが進行していたことを知らなかった自分の無能さにめまいをおぼえています」 ぐらいは言わないといけない。
・一連の事件には、いまだ不透明な部分が数多く残されている。 今後、真相が明らかになるにしても、その頃には、問題自体が忘れられていることだろう。 もっとも、大切なのは、今回の日報についてのピンポイントの真相そのものではない。 私たちが考えなければならないのは、こんなにも大量の文書が、あらゆる場面で、廃棄され、隠蔽され、改竄され続けていることの理由についてだ。
・官僚は、本来、文書にウソを書くことができない人たちだ。 当然、書いた文書を捨てることもできないはずの人たちでもある。 少なくとも私はそう思っている。 逆に言えば、文書にウソを書いた時点で、官僚は官僚としての生命を終えなければならない。 そんなことを命じることができる人間がいるのだとすれば、それは官僚ではない。 官僚に死を求めることができるのは、政治家以外にいない。
・10年ほど前の流行語であった「政治主導」の目指したところは、省益や前例踏襲にとらわれがちな視野の狭い官僚の発想とは別の、より大局的な政治家の立案で行政を動かすというお話だった。それはまた、行政のリーダーシップを試験に通った人間(官僚)の手から選挙で選ばれた人間(政治家)の手に委譲することで、より国民の意思に近い政治を実現するストーリーでもあった。
・が、政治の覇権争いが人治主義と縁故主義に傾き、選ばれてくる議員が世襲の三代目だらけである現状において、政治主導の理想は急速に色あせている。 それにしても、財務省をはじめとして、厚労省、防衛省、文科省の官僚たちはどうして自分たちの仕事を冒涜しにかかるみたいな暴挙に走ったのであろうか。
・ふつうに考えれば、心あるパティシエがケーキの味見をするためにクリームに指を突っ込まないのと同じように、マトモな官僚は行政文書を捨てたりなくしたり改竄したりはしないものだ。 なのに、なぜなのか、この何年かの間に、見渡す限りのお役所で、本来なら優秀なはずのお役人が、一斉に自分たちの仕事に泥を塗りはじめている。 これは、大きな謎だ。 官僚の職業モラルがある日突然地に落ちたからこんなことが起こっていると考えることも不可能ではない。 ただ、私はそうは思っていない。
・昨今の行政官僚の頽廃は、1人ひとりの官僚の不心得に起因する帰結ではなくて、官僚が官僚であるための基礎的な条件のうちの何かが毀損されたことによって生じている一時的な現象なのだと、私は推測している。 文書が隠蔽され、不当に廃棄され、改竄されているのは、なるほど、官僚のモラルが崩壊しつつあることの現れなのかもしれない。
・しかし、だとすれば、ここへ来て廃棄されたはずの文書が発見され、隠蔽されていた文書が再登場し、改竄されていたはずの文書の改竄前の原本が出てくるケースが続発しているのは、あるいは、官僚がモラルを回復しつつあるからこそ起こっている事態であるのかもしれない。
・個人的には、今後、より重大な文書が「発見」されることを期待している。 みなさん、がんばってください。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/040500138/?P=1

次に、 政治ジャーナリストの泉 宏氏が4月12日付け東洋経済オンラインに掲載した「安倍政権がはまった「公文書疑獄」の底なし沼 「天網恢恢疎にして漏らさず」との声も」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・口裏合わせ、隠蔽、備忘録…。新年度に入って相次いで発覚した「公文書スキャンダル」の連鎖が、安倍晋三政権を激しく揺さぶっている。 森友学園への国有地売却交渉での「口裏合わせ」と、自衛隊イラク日報での「隠蔽工作」を、それぞれ財務省と防衛省が渋々認めた直後に発覚したのが、加計学園問題での首相秘書官の「首相案件」発言を記した愛媛県職員の備忘録で、県知事も県の文書であることを明言した。
・いずれも4月初めから複数の新聞・テレビが相次いで「特ダネ」として報道し、当事者の政府当局者や県知事が追認するというパターンで、それぞれが、一連の問題での首相や関係閣僚らの「国会答弁」などを否定、もしくは矛盾を露呈させるという展開になっている。
・この「もり・かけ」に「イラク日報」の真相をあぶり出すような公文書は、1年余にわたる国会での野党などの追及に対し、政府が内容や存在を否定していたものばかり。まさに「天網恢恢疎にして漏らさず(注)」の故事を地で行くような政府の失態に、野党は「官邸の地獄の(釜の)ふたが開いた」(辻元清美・立憲民主党国対委員長)などとして、安倍政権打倒へ勢いづく。防戦一方の首相や関係閣僚も陳謝の連続で、内閣支持率も続落する中、与党内からも「このままでは政権が持たない」との悲鳴が聞こえてくる。
(注)天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰をこうむるということ(コトバンク)
▽「報道→追認」の悪循環で八方塞がりに
・一連の公文書問題はいずれも報道が先行し、政府側が渋々認めるという「悪循環の繰り返し」(自民国対)で、国民の失望と怒りを増幅させるばかりだ。首相が大号令をかけた働き方関連法案など後半国会の重要法案処理も成立のメドが立たなくなり、日本の進路にも直結する4月中旬の日米首脳会談から始まる一連の「安倍首脳外交」への影響も避けられそうもない。9月の自民党総裁選で3選を狙う首相にとって現在の八方塞がりの状態は、「第2次政権発足以来最大の危機」(自民幹部)となりつつある。
・4月9日夜のNHKの報道をきっかけに、朝日新聞、東京新聞両紙が10日付け朝刊の1面トップで報じたのが、学校法人・加計学園の愛媛県今治市での獣医学部新設計画の問題で、2015年4月2日午後に首相官邸などを訪れた愛媛県と今治市の担当職員に加計学園事務局長を加えた陳情団一行と、当時の首相秘書官や内閣府担当次長との面会記録だ。朝日はその記事の中で、「柳瀬(唯夫)首相秘書官の主な発言(総理官邸)15:00」との標題で書かれた文書の一部を写真も含めて掲載した。また東京は、この陳情団が同2日昼前に面会した藤原豊内閣府地方創生推進室次長の発言内容も詳しく報じた。
・朝日、東京両紙の報道のポイントは、柳瀬秘書官(現経済産業審議官)が陳情団に対し「本件は首相案件となっており、内閣府藤原(豊)次長の公式ヒアリングを受けるという形で進めていただきたい」などと発言したとの文書記録の存在(朝日)と、これに先立つ藤原氏(現経済産業省貿易経済協力局審議官)の「要請の内容は首相官邸から聞いている」(東京)などの発言(東京)だ。
・これらの発言内容が事実なら、首相の「腹心の友」の加計孝太郎氏が運営する加計学園の獣医学部新設(2018年4月に開学)について、申請前の段階から首相官邸や内閣府が後押していたことになり、「すべては一点の曇りもないプロセスで進んだ」という首相らの国会答弁に疑問符がつくからだ。
▽県知事「全面的に信頼」、首相秘書官「記憶にない」
・この報道について、中村時広愛媛県知事は10日夕に記者会見し、「県職員が作成した備忘録だ」と県の文書であることを公式に認めた。同知事はさらに「職員が文書をいじる必然性はまったくない。全面的に信頼している」と記述の真実性も力説した。他方、柳瀬氏は10日午前にコメントを発表し、「記憶たどっても、愛媛県や今治市の人と会ったことはない」「私が『首相案件』など具体的に発言することはあり得ない」などと否定した。
・この陳情会見問題は、昨年夏に野党側が国会の閉会中審査などで繰り返し追及し、参考人として呼ばれた柳瀬氏が、今回同様「会った記憶がない」などと事実関係を認めなかった経緯がある。しかも、首相はその後、国会で「加計学園の獣医学部新設計画を知ったのは2017年の1月20日」との答弁を繰り返してきた。それより2年近く前に首相秘書官が愛媛県などに対し「首相案件」と発言していたとすれば、首相の答弁が「内閣総辞職に値する虚偽答弁」(民進党)にもなりかねないだけに、首相は11日の衆院予算委員会集中審議で「柳瀬秘書官のコメントを信じる」と繰り返した。
・ただ、首相も含め政府側が一様に「コメントを控える」とした愛媛県の文書は、官邸に派遣された県職員が「報告のために忘れないように書いたもの」(中村知事)とされるだけに、内容の信ぴょう性は高い。このため、野党側はすぐさま、柳瀬、藤原氏や当該県職員らの証人喚問を要求した。柳瀬、藤原両氏の証人喚問については与党側にも容認論があり、今後の与野党折衝次第では柳瀬氏らの国会招致が実現する公算が強まっている。
・柳瀬氏は2008年から2009年にかけて現在の麻生太郎財務相が首相時代に首相秘書官を務め、2012年12月の第2次安倍内閣発足時に再び首相秘書官に就任、2015年8月に経済産業省経済産業政策局長に転じた。柳瀬氏は通商政策の専門家で早くから次官候補とされた超エリートで、秘書官退任後も首相との親密な関係を維持している。このため、与党内では仮に証人喚問が決まっても「記憶にない」の一点張りで佐川宣寿前国税庁長官と同様に事実上の証言拒否に徹するとの見方が広がる。
・この「首相案件」と記載した備忘録文書に先行して、メディアの報道によって問題化したのが森友学園問題でのごみ撤去費をめぐる「口裏合わせ」と、自衛隊イラク派遣時の日報の隠蔽疑惑だ。 ごみ撤去費をめぐって財務省理財局が学園側に口裏合わせを要請していたとの報道については、太田充理財局長が9日の参院決算委員会で、理財局職員が2017年2月20日に森友学園側の弁護士に電話で地下埋設物の撤去について「費用に関して相当かかった気がする」「トラック何千台も走った気がする」といった言い方をするよう求めていたことを認めた。その上で太田氏は、「森友学園側に事実と異なる説明を求めるという対応は間違いなく誤った対応だ。大変恥ずかしいことで、大変申しわけない。深くおわび申し上げる」と平謝りした。
・この問題ではさらにメデイアが「ゴミ撤去に関する学園の認識をまとめた文書を、理財局が近畿財務局に依頼して作成し、学園側に示した」と報道した点についても、太田氏は11日の衆院予算委集中審議で「好ましくない対応だった」と陳謝した。こうして次々と発覚する森友学園との土地取引に関する財務省に失態ついて、与党内からも「底なし沼のようだ」(公明党幹部)と嘆き節が聞こえてくる。
▽「イラク日報」問題で文民統制欠如の危機も
・一方、防衛省も4月上旬に、それまで国会で「不存在」と説明していた陸上自衛隊のイラク派遣時の日報が多くの部署で見つかるという失態を露呈した。防衛相による日報探索の指示をないがしろにするような防衛省内部の対応は、大原則の文民統制(シビリアンコントロール)」の欠如にもつながる問題で、政府・与党内にも危機感が広がる。
・菅義偉官房長官は記者会見で「1週間に3回も大臣が国民におわびする事態となったことを防衛省職員一人一人が重く受け止め、再発防止に向け真摯(しんし)に取り組む必要がある」と危機感をあらわにした。公明党の井上義久幹事長も会見で「文民統制上の観点で極めて深刻な問題だ。速やかに調査結果を公表すべきだ」と求めた。
・このイラク日報の隠蔽疑惑が広がるという事態も、安倍政権にとっては極めて深刻だ。首相が「在任中の実現」を目指す憲法改正の最大のポイントは憲法9条への自衛隊明記だからだ。すでに自民党は3月下旬の定期党大会で「9条1、2項を維持しての自衛隊明記」を軸とする改憲条文の「たたき台」を確認している。しかし、なお党内での異論も根強いだけに、「実力組織の自衛隊」が起こした日報隠蔽問題は、今後の改憲論議進展の大きな障害になることは確実だ。首相も11日の集中審議で「シビリアンコントロールが問題になる」と苦悩を隠せなかった。
・一連の公文書スキャンダルが政権を直撃していることで、政局も一段と不透明感を増した。そうした中、永田町に波紋を広げたのが、政府と自民党の大黒柱として政権を支える麻生財務相と二階俊博幹事長の10日夜の会談だ。両氏は党内第2派閥の麻生派と第5派閥の二階派の領袖で、政局運営のキーマンでもあるからだ。
・都内の料理店で両派幹部も交えて会談した両氏は、「もり・かけ」や「イラク日報」問題で安倍政権が動揺している現状について「力を合わせて難局を乗り切る」ことを確認した。両氏はこれまで、9月の党総裁選での首相の3選を支持する立場を明確にしており、その点でも突っ込んだ意見を交換したとみられている。
・ただ、党内では両氏について「状況次第で、いつでも対応を変える」(岸田派幹部)との声も少なくない。特に二階氏は「政界の絶滅危惧種」(自民長老)とも呼ばれる寝業師として知られるだけに、「今は首相に恩を売ろうとしているが、3選が困難になればさっさと変身する」(同)との見方も多く、10日の会談でも双方の思惑が異なるままでの「協力確認」とみられている。
・政権危機の指標ともなる内閣支持率もここにきて続落している。大手メデイアが実施した最新の世論調査ではそろって「支持」と「不支持」が逆転し、「不支持」が上回っている。特に不支持の理由では「首相が信頼できない」が圧倒的多数で、一連の文書スキャンダルなどで国民が首相自身への不信感を強めていることがわかる。首相周辺も「支持率が3割を切って危険水域に入ると、政権危機が深刻化する」(政府筋)と眉をひそめる。
▽「黒い霧」の歴史踏まえた解散断行論も
・そうした中、党内の一部からは「衆院解散で一気に態勢を立て直すべきだ」との物騒な声も出始めている。佐藤栄作政権時代の1966年のいわゆる「黒い霧解散」で当時の佐藤首相が政権危機を脱した歴史があるからだ。首相周辺では「野党がバラバラの現状で解散すれば、自民党の議席は微減にとどまる」との強気の読みも出ている。しかし、「死なばもろとも」(自民幹部)ともみえる解散断行論には「二階幹事長や菅官房長官が、首相を羽交い絞めしてでも止めるはず」(同)との声も多い。
・首相は11日の集中審議での野党側の厳しい追及に、時折興奮する場面もあったが、ほとんどは「答弁メモ」を読み続けることでじっと耐えた。野党の質問が報道を引用した繰り返しばかりで、首相の固いガードを崩せなかったことも審議が盛り上がらなかった原因だ。
・与党内からは真相解明のための、「森友・加計問題等特別委員会」や国会での「特別調査委員会」の設置を求める声も上がっている。ただ、過去の例をみても「時間稼ぎにしかならない」のも事実。手練手管で真相解明を先送りにすれば政権への国民の不信は拡大し、結果的に第1次安倍政権の崩壊という11年前の悪夢の再現ともなりかねない。
https://toyokeizai.net/articles/-/216366

第一の記事で、 『官僚にとって文書は手段でもあれば目的でもあり、結果でもあれば歴史でもある。かててくわえて、自らの存在証明でもあれば退路でもある致命的に重要な存在だ』、 『イラク派遣時の日報・・・2004年~06年に書かれてから10年以上、不存在があらためて公式認定されてから数えても1年と2カ月ほど日の目を見ずにいた日報がわれわれの前に登場したなりゆきは、やはり「発見」という言葉を持ってこないと表現することができない』、 『「発見」されるためには、「発見」に先立って、その公文書を誰かが「紛失」していないと説明がつかないからだ。 とすると、1万4000ページに及ぶ公文書のヤマを、いったい誰がどうやって「紛失」できたものなのだろうか』、などの鋭い「謎かけ」に対して、 『自衛隊としては、南スーダン派遣の際の日報を「廃棄した」と説明した時点で、PKO南スーダン派遣から遡ること10年前の、2004年から06年の記録であるイラク派遣の日報が残っていてはマズいことになるわけで、ということはつまり、イラク派遣の日報隠蔽の動機は、南スーダン時の日報の廃棄という国会答弁から事後的に発生したことになる』、というのは見事な「謎解き」だ。 『民主主義国家の行政の過程としては極めて異常ななりゆきではあるが、縁故主義(ネポティズム)と、人治主義が猛威をふるう前近代的な独裁国家ではさしてめずらしいことではない。というよりも、独裁的なリーダーが官僚の人事を壟断している世界では、あらゆる行政的な決定事項は、ボスの鼻息をうかがう形で決裁される。少しも不思議なできごとではない』、 『政治の覇権争いが人治主義と縁故主義に傾き、選ばれてくる議員が世襲の三代目だらけである現状において、政治主導の理想は急速に色あせている。 それにしても、財務省をはじめとして、厚労省、防衛省、文科省の官僚たちはどうして自分たちの仕事を冒涜しにかかるみたいな暴挙に走ったのであろうか・・・この何年かの間に、見渡す限りのお役所で、本来なら優秀なはずのお役人が、一斉に自分たちの仕事に泥を塗りはじめている。 これは、大きな謎だ・・・ここへ来て廃棄されたはずの文書が発見され、隠蔽されていた文書が再登場し、改竄されていたはずの文書の改竄前の原本が出てくるケースが続発しているのは、あるいは、官僚がモラルを回復しつつあるからこそ起こっている事態であるのかもしれない。 個人的には、今後、より重大な文書が「発見」されることを期待している』、との結びには、強く同意する。
第二の記事で、 『柳瀬秘書官(現経済産業審議官)が陳情団に対し「本件は首相案件」』、との発言は、本人だけは否定しているが、愛媛県の文書になっているだけに、安部首相には致命傷になりかねない。 『「黒い霧」の歴史踏まえた解散断行論・・・「死なばもろとも」(自民幹部)ともみえる解散断行論には「二階幹事長や菅官房長官が、首相を羽交い絞めしてでも止めるはず」(同)との声も多い』、のであれば、普段は好きになれない二階幹事長や菅官房長官に大いに頑張ってもらいたいところだ。
タグ:公文書管理 (その3)(小田嶋氏:「発見」された不存在の日記について、泉氏:安倍政権がはまった「公文書疑獄」の底なし沼) 小田嶋隆 日経ビジネスオンライン 「「発見」された不存在の日記について」 官僚にとって文書は手段でもあれば目的でもあり、結果でもあれば歴史でもある。かててくわえて、自らの存在証明でもあれば退路でもある致命的に重要な存在だ。 行政文書が軽視されていることは、官僚が自分たちの仕事への情熱を失っていることのあらわれなのだというふうに受けとめている。でもって、官僚が為すべき義務を果たしていないことは、行政が機能していないということであり、行政が滞っているということは、国政が狂っていることだとも考えている イラク派遣の日報隠蔽の動機は、南スーダン時の日報の廃棄という国会答弁から事後的に発生したことになる ここへ来て廃棄されたはずの文書が発見され、隠蔽されていた文書が再登場し、改竄されていたはずの文書の改竄前の原本が出てくるケースが続発しているのは、あるいは、官僚がモラルを回復しつつあるからこそ起こっている事態であるのかもしれない 泉 宏 東洋経済オンライン 「安倍政権がはまった「公文書疑獄」の底なし沼 「天網恢恢疎にして漏らさず」との声も」 官邸の地獄の(釜の)ふたが開いた 報道→追認」の悪循環で八方塞がりに イラク日報」問題で文民統制欠如の危機も 「黒い霧」の歴史踏まえた解散断行論も 解散断行論には「二階幹事長や菅官房長官が、首相を羽交い絞めしてでも止めるはず」
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