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日本のスポーツ界(その9)(ハリル流を受け入れられなかった 日本代表の「ナイーブな一面」、小田嶋氏:華やかな敗北を見たがる人々) [社会]

昨日に続いて、日本のスポーツ界(その9)(ハリル流を受け入れられなかった 日本代表の「ナイーブな一面」、小田嶋氏:華やかな敗北を見たがる人々)を取上げよう。

先ずは、スポーツライターの小宮 良之氏が4月12日付け現代ビジネスに寄稿した「ハリル流を受け入れられなかった、日本代表の「ナイーブな一面」 問題はどこにあるのか?」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽遅すぎた。それでも…
・4月9日、日本サッカー代表監督であるヴァイッド・ハリルホジッチが解任された。 「監督の求心力が薄れた」 要約すれば、それが日本サッカー協会がハリルホジッチを更迭した理由だった。後任には、代表技術委員長(監督の人事などを司る仕事)を務めていた西野朗が決まっている。
・「ワールドカップまで2ヵ月で代表監督交代なんておかしい!」 「協会のガバナンスが不足しているのでは?」 「解任理由がフワッとしている。監督交代で勝てる算段がない」 サッカーファンの反応は、その多くが否定的なものだった。
・どの意見も、それぞれ的を射ている。決断は遅すぎたし、協会のガバナンスは十分に働いていなかったし、西野監督で勝てる見込みもないだろう。 それでも、日本サッカー代表は6月に開催されるロシアワールドカップに、勝利を目指して挑まなければならない。
▽耐えられなかった
・ハリルホジッチが指揮するチームにおいて、一部選手たちの不満は世間が思っている以上だった。選手の名前を覚えられない、という小さな軋轢に始まり、選手メンバー選考や戦い方まで、しこりは大きくなっていった。 「つなぐな、とにかく蹴れ、蹴れ」 例えば昨年12月のE−1選手権で、こうハリルホジッチは厳命を下していたが、その戦い方は自分たちのボールを相手に渡すようなもので、状況を無視していた。
・とても受け入れられない――そう考える選手たちとの距離は遠くなっていった。そして今年3月の欧州遠征、関係は破綻した。 ただ、この点に関して、日本人選手はややナイーブだったとも言える。 欧州、南米の選手は「やれ」と言われた原則を守りながら、より有効な手段を選べる。表立って監督に楯突くことこそしないが、ふてぶてしいというか、規則は破るためにある、という前提を持っている。監督がなにを言おうと、自分たちが正しい選択をする。手段よりも目的が第一にあるのだ。
・日本人選手は、ハリルホジッチの強硬な指示に対し、ひたすら消耗し、苛ついた。論理的でない命令を高圧的に下されることに、我慢ならなかった。モラルの違いも、浮き彫りになったと言えるだろう。 コミュニケーションのすれ違いは、求心力の低下にもつながった。大なたを振るうべきだったか。その是非は別にして、捨て置けない混乱がチームにあったのは事実だ。
▽西野監督に決まった内部事情
・では、監督交代のタイミングや西野監督という選択は正しかったのか? 正しいはずはないが、事情はあった。 西野技術委員長は、ガンバ大阪などで多くのタイトルを取った「Jリーグ最多勝」の指揮官で、もともと監督業の人である。 技術委員長の仕事は監督をサポートし、根回しをし、必要なら新たな監督と交渉し、招聘すること。そうした仕事をした経験はなかった。タイミングもなにも、彼が監督になりかわるか、入閣していたコーチを引き上げるくらいしか、術がなかった。
・それが、解任の決定が先延ばしになり(例えば昨年10月のハイチ戦でのドローや、12月の韓国戦での敗北は契機になり得た)、時機を失い、選択肢も他にはなくなった理由である。 そもそもハリルホジッチを招聘したのは(アルベルト・ザッケローニ、ハビエル・アギーレも)、前技術委員長である霜田正浩氏だ。
・しかし霜田氏は昨年末で辞任(今シーズンからJ2のレノファ山口の監督に就任)。協会内には、外部から監督を連れてこられるだけの人物はいなかったし、このタイミングで外国人の有力監督を連れてくるのは(日本人選手の情報量が少なすぎて)、たしかにリスクが高すぎた。
・タイミングも、人選も、これしかなかった。今となっては。 問題の核心は、もっと以前の人事マネジメントにあったと言える。その点で、協会のガバナンスが不足していた、との意見はその通りだろう。組織の機能性が欠落していたと言わざるを得ず、協会は糾弾を避けられない。 ただ組織として問題はあったとしても、勝負に関してどう転ぶかが問われるのは、これからだ。
▽「長期政権」のほうが強いのか?
・代表監督という仕事は、これまで書いてきたように特殊である。戦術以上に、チームとして一枚岩になれるか。同じ選手で時間をかけて戦術、システムを練り上げるクラブチームとは、まるで違う事情がある。 無論、時間をかけて作ってきたチームには大きなアドバンテージがある。
・例えば2016年からスペイン代表を率いるジュレン・ロペテギ監督は、2010年の世界王者、2012年の欧州王者の主力選手たちを大きく入れ替えていない。 新たな血を少しずつ入れながら、2年間でチームを熟成。そのコンビネーションは世界最高のレベルにある。今年3月、強豪アルゼンチン代表とのフレンドリーマッチでは、6−1で大勝し、チームとしての完成度の差を見せつけている。
・一方のアルゼンチン代表は、このスペイン代表戦でリオネル・メッシを欠くハンデを負っていた。前回大会から3人目の監督となる名将ホルヘ・サンパオーリが率いるも、ワールドカップ南米予選でも大苦戦し、チームとしての完成度は著しく低い。とりわけ、ディフェンスの綻びは明らかである。 これら二つの強豪を照らし合わせてみても、一人の監督が続けて指導してきたチームには優位性があると言えるだろう。
・それなら、ハリルホジッチが続投したほうが良かったのでは——それも一理ある。 断言できるのは、ハリルホジッチが間違った戦略を示していたわけではない、ということだ。 「守りを充実し、速く攻める」。それも一つの戦い方であって、また日本が採り入れる必要があるものだった。また、原口元気、久保裕也、井手口陽介、槙野智章など「申し子」とも言える選手も出している。
・しかし、指導のプロセスで求心力を失っていったことも間違いない。それにはハリルホジッチの、思ったことをすべて口にしてしまう正直さと頑迷さもあっただろう。日本人を見下すような発言も目立った。 「日本人は日本人の戦いがある」 結局のところ、その思いが、急転直下の監督交代につながった、と見るべきだろう。
・▽神風は吹かせられる
・だとしたら、新体制のアドバンテージはどこにあるのか。 集団戦術の点で見ると、一つの答えに当たる。  Jリーグのクラブを見てみても、日本は独特のカラーを持つ。名将論が語られる一方、チームとして力を発揮するクラブに、必ずしもカリスマ性の強い指揮官はいない。 2000年代に最強を誇ったジュビロ磐田は象徴的だろう。監督よりも選手たちが主導権を握っていた。藤田俊哉、名波浩という二人を中心に創意工夫を重ね、戦いを成熟させていった。一人の監督の強烈なリーダーシップで動くよりも、選手が集団を動かしていた。
・2013年に天皇杯で優勝し、リーグ戦も最終節まで首位だった横浜F・マリノスも、中村俊輔がピッチの指揮官として振るまい、ジュビロと似た傾向があった。 2016年Jリーグ王者の鹿島アントラーズ、2017年にJリーグ優勝の川崎フロンターレ、そして2017年にアジアチャンピオンズリーグで優勝した浦和レッズも、同じ特色が見える。しかも鹿島、浦和に関しては、シーズン途中に監督が交代している。
・2010年ワールドカップのメンバーも個性と自主性が強かった。自分たちの感性で、当時の岡田武史監督に戦術変更を打診。それは大会直前のことだった。しかし、これによってグループリーグでカメルーン、デンマークにしぶとく勝利し、決勝トーナメント進出をはたしている。
・実はこうしたケースは、欧米ではあまり見られない。選手発信で戦い方を進言するなど、欧州や南米の監督は認めないだろう。それはほとんどの場合、反逆行為と見なされる。 逆説的に、西野ジャパンの活路があるとすれば——。追い込まれた選手たちによる、「突き上げ革命」かもしれない。
・長谷部誠、本田圭佑、岡崎慎司、吉田麻也、長友佑都、川島永嗣、香川真司など、代表には世界の舞台で感覚を磨き、道を切り開いてきた選手がいる。酒井宏樹、乾貴士など、欧州トップリーグのクラブで主力となる選手もいる。 崖っぷちに立った彼らが反発力を見せられるか。 ワールドカップは短期決戦だ。神風を吹かせることは不可能ではない。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55215

次に、コラムニストでサッカーファンの小田嶋 隆氏が4月27日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「華やかな敗北を見たがる人々」を紹介しよう。
・久しぶりにサッカーの話題に触れておきたい。 この先、ワールドカップ(W杯)が間近に迫ったタイミングになると、ネガティブな文章は書きにくくなる。 だから、いまのうちに書いておく。 今回の記事はそういうテキストになる。
・私は、一人のサッカーファンとして、6月から開催されるロシアW杯の成功を願っている。 なので、本当なら、その盛り上がりに水をさすような原稿は書きたくない。 でも、それはそれとして、サッカーファンだからこそ書かねばならないことがあるはずだとも思っている。 いま書いておかなければ、日本のサッカーに未来はないとすら考えている。 なんというのか、一人の男がサッカーファンになるということは、自分の力で自国のサッカー界を変革せんとする夜郎自大な思い込みをアタマの片隅から滅却できなくなるということでもあるわけで、実に厄介な生き方なのである。
・私は、ハリルホジッチ監督を解任した日本サッカー協会のガバナンスを信頼していない。 理由は、協会の首脳部が、監督人事とチーム編成という自分たちの最も大切な仕事に関して筋道だった説明を回避しているからだ。この態度は、日本のサッカーがこの30年ほど歩んできた道筋を自ら台無しにするものだ。 もっとも、私が苦言を呈することで協会が目を覚ます、と、本気でそう思っているわけではない。 そんなことは不可能だ。 私がこれからここに書くテキストは、心の中で思っていることを吐き出さずにいると体調を崩してしまうからという私自身の個人的な事情を反映した結果にすぎない。
・協会の関係者にも読んでほしいと思ってはいるものの、私の見るに、彼らは死によってのみ治癒可能なタイプの疾患をかかえている人々だ。そんな人たちの考えを改めるに足る文章を書くことは、書き手が誰であれ、不可能な仕事だ。 自分が愛情を寄せている対象に、いつでも変わることなく賛嘆と支援の気持ちのみで向き合えるのなら、それに越したことはない。 実際に、そうしている人たちがたくさんいることも知っている。
・私にはそれができない。 私は、愛すればこそ苦言を呈さなければならないと考えてしまう厄介な組の人間だ。 反日という言い方で、私の言いざまを罵る人々が現れるであろうことはわかっている。 あらかじめ言っておきたいのは、私が日本のサッカーに注文をつけるのは、弱くなってほしいからではないということだ。私は、きたるW杯の舞台で、日本代表チームが一つでも多く勝つことを願っている。
・ただ、勝利を願う一方で、私たちの代表チームが、このたびの愚かな選択の報いを受けるべきだと考える気持ちをおさえることができずにいる。 こんな不幸な気持ちでW杯を迎えるのははじめてのことだ。
・4月9日、日本サッカー協会(JFA)の田嶋幸三会長は、2015年3月以来3年間にわたって日本代表チームの監督としてチームを指揮してきたヴァイッド・ハリルホジッチ監督の解任を発表した。 この時の会見で、田嶋会長は、解任の理由について、内容、結果ともに低調だった3月のマリ戦、ウクライナ戦の結果を受けて「選手とのコミュニケーションや信頼関係が多少薄れてきて、今までのことを総合的に評価してこの結論に至った」と語っている。 以降、これ以上の説明をしていない。
・サッカーチームは、どんな枠組みのどんなレベルのチームであれ、常に監督と選手との間に緊張感をはらんだ中でゲームに臨むものだ。 むしろ、高いレベルになればなるほど、監督と選手の間には戦術や起用法について意見のぶつかり合いや感情的な行き違いが生じやすくなると言っても良い。
・監督と選手の間だけではない。中盤の選手と前線の選手の間にはいつもポジション取りについての齟齬が生じているものだし、ディフェンスの選手と中盤の選手も、常に守備の最終ラインや攻撃の起点に関して異論をぶつけ合っている。ベンチにいる選手とピッチの上にいる選手の間にも当然のことながら対立を孕んだ空気が介在している。
・もちろん、チームの空気を穏当な状態に保ち、戦える集団として運営していくことも監督に求められる重要な仕事のひとつではある。その意味では、ハリルホジッチ氏が、円滑なチームマネジメントに失敗していたのだとしたら、それはそれで彼の失点として数え上げなければならない。
・とはいえ、「信頼関係」だとか「コミュニケーション」だとかいった、主力選手に冷たくあしらわれてスネた部活のマネージャーがふてくされて部活日誌に書くみたいなお話が、W杯本番を2カ月後に控えたチームの指揮官の解任理由として通用すると考えた協会幹部のアタマの悪さは、やはり問題視されなければならない。  百歩譲って、相手が思春期の生徒なら 「だって、こっち向いてしゃべってくれないんだもん」 式のクソ甘ったれた反応も、魂の成長痛のひとつとして容認してあげても良いだろう。
・しかし、サッカー協会の会長は60ヅラを下げたおっさんだ。その酸いも甘いも噛み分けているはずの還暦過ぎのジジイ(すみません、書いている自分も還暦過ぎました)が、W杯を2カ月後に控えたタイミングで代表監督を解任するにあたって持ち出してきた解任理由が、言うに事欠いて「信頼関係が多少薄れてきた」だとかいう間抜けなセリフだったというこのあきれた顛末を、われわれは断じて軽く見過ごすわけにはいかない。こんなバカな理由を、いったいどこの国際社会が失笑せずに受け止めるというのだろうか。
・仮に、チームの雰囲気が良くなかったことが事実なのだとして(たぶん事実だったのだと思うが)、そんなことは「よくある話じゃね?」としか申し上げようのないお話だ。 世界中のあまたのチームの一流選手たちが、トゲトゲした雰囲気の中で、それでもゲーム中の90分間だけは一致団結してボールを追いかけている。ロッカールームでは視線すら合わせない選手同士がパス交換をするからこそ、サッカーはサッカーたり得ている。当たり前の話じゃないか。
・仮に起用法に不満を持つ選手がいたり、選手間で戦術の理解にバラつきがあったのだとしても、戦術と用兵は監督の専権事項だ。あるいは、監督と選手の間でサッカー観が一致しない部分があっても、最終的には選手は監督の指示に従わなければならない。というよりも、監督というのは、そもそも選手間でバラつきがちな戦術観を統一するためにベンチに座っている人間なのである。
・とすれば、サッカー協会に監督との不和を直訴した選手がいたのだとしても、協会としての答えは、 「監督のサッカーに不満なら君がチームを出て行くほかに選択肢はない」 に尽きているはずだ。 それでもなお、チームの主力と監督の間に広がっている溝が、あまりにも深刻で修復不能に見えた時には、どうすれば良いのだろう? 答えは、早めに手を打つことだ。 別の言い方をするなら、これがW杯1年前のタイミングなら、あるいは、選手の側の言い分を尊重して監督の方を解任する選択肢もあり得たということだ。今回のハリルホジッチ氏のケースで言えば、昨年9月の段階ないしは、最悪でも日韓戦での惨敗直後のタイミングなら、ギリギリで解任を模索する道が残されていたかもしれない。
・しかし、4月ではダメだ。 お話にならない。 ラーメンを注文して半分まで食べ終わってから 「あ、やっぱりラーメンは取り消してチャーハンにします」 と言うのと同じくらいあり得ない。 しかも、田嶋会長は 「選手とのコミュニケーションや信頼関係が多少薄れてきて……」 と言っている。おい、「多少」だぞ「多少」。「多少」なんてことで、解任を言い出して良いと思うその考えを、田嶋さんはどこの学校で教えられてきたのだろうか。
・「コミュニケーションと信頼関係が最終的かつ不可逆的に失われた」と断言し、そう断言したことの責任を引き受ける覚悟で解任理由を語ったのであれば、まだしもその先の話を聞く気持ちにもなる。 が、実際に言ったのは「多少薄れてきて……」というおよそ腰の引けた言い草だ。こんな言い方でこれほどまでに致死的な決断を語ってしまう人間の言葉を、いったい誰が信用するというのだ?
・マリ戦およびウクライナ戦の結果を問題視する判断も承服できない。 親善試合は親善試合だ。戦術を試す意味もあれば、選手を試す意味もある。結果も内容も、本番のための試金石に過ぎない。とすれば、その結果をもとに監督の資質を評価されたのではたまったものではない。
・私は、個人的にハリルホジッチ氏が本番に向けてひそかにあたためていたかもしれない秘策に期待していた。それを裏切られた意味でも、今回の解任には失望している。どうして、包装を解く前にケーキを箱ごと捨ててしまうことができたのか、そのことが惜しまれてならない。
・もうひとつ、後任監督に西野朗技術委員長を抜擢した点も、筋の通らない措置だったと思っている。 西野さんの能力や人格についてどうこう言いたいのではない。 監督の仕事を評価する役割を担う技術委員長であった西野氏を後任監督に就けるのは、組織の力学として狂っているということを申し上げている。 いったいどこの世界にアンパイヤが打席に立つ野球があり、審査員が受賞するイベントがあるだろうか。 そんなことを許したら、野球が野球であり賞が賞である正当性が失われてしまう。
・あるいは、派遣労働の自由化に尽力した政治家が人材派遣会社のオーナーになったら、いったい誰が政治を信頼できるだろう。 今回のこの人事は、ファンの間で「行司だと思っていたらふんどしを締めていた事案」と評価されている。 それほどスジが違っていたということだ。 監査法人が会社を乗っ取って良いのか、という話でもある。 論外だと思う。
・でもまあ「ほかに適任者がいなかった」事情は理解できる。 たしかに、岡田武史さんがS級ライセンスを返上してしまった以上、日本中を見回して(あるいは世界中を見回しても)この時期にチームを引き受けて指揮を取れそうな人物は、西野さんをおいてほかには見当たらなかったはずだ。
・でも、だとしたらなおのこと、「適切な後任が見当たらない状況下でどうして唐突な解任に踏み切ったのか」と思わずにはいられない。 逆に言えば 「この人なら大丈夫だろう」 という誰もが納得する後任にあらかじめ目星をつけていたのであれば、いきなりの解任にも、これほどの憤りは感じずに済んだことだろう。
・ともあれ、コトは起きてしまった。 そしてわれわれは、起こってしまったことは良いことだと考えがちな国民だ。 以前、中島岳志さんと何かのイベントでご一緒した時に彼が教えてくれたお話をもう一度蒸し返しておく。こんな話だ。小泉内閣の時代に、朝日新聞が首相の靖国神社参拝への賛否を問う世論調査を実施したことがあった。 参拝前の調査では、反対が賛成を大きく上回っていた。 ところが、首相が参拝を強行したその後にあらためて賛否を問うてみるとその時の調査結果では、賛成が反対を上回っていたというのだ。 実にありそうな話ではないか。
・よく似た例は、ほかにもたくさんある。 ハリルホジッチ解任についての賛否も、国民世論は、順次現状を追認する方向で推移していくはずだ。 なんであれ、起こってしまった事態には余儀なく適応する。われわれは、そういう国民なのだ。 さて、ここまでの話は、実は前置きだ。
・私は、協会の説明能力の低さと現状認識の甘さに失望感を抱いてはいるものの、ハリルホジッチ解任の責任が全面的に彼らにあるとは思っていない。 では、誰の責任なのかというと、元凶はつまるところ世論だと思っている。 それが今回の主題だ。 ハリルホジッチは、結局、われらサッカーファンが追放したのだ。 悲しいことだが、これが現実だ。
・一部に今回の解任劇の真相を電通の陰謀やスポンサーの圧力に帰する見方が広がっていることはご案内の通りだ。 私自身、その見方がまるで見当はずれだとは思っていない。 実際、電通ならびにスポンサー各社(ついでに言えばテレビ各局およびスポーツ新聞各紙も)は、少なくともこの半年ほどハリルホジッチのサッカーに対してあからさまに冷淡だった。 が、それもこれも、彼らの金主であるサッカーファンの声を反映した結果以上のものではない。
・彼のサッカーは人気がなかった。 特に、サッカーにさほど関心のない層に人気がなかった。 これは、特筆大書しておかなければならない事実だ。 サッカー界の動向は、サッカーにさしたる関心も愛情も持っていない多数派のサッカーファンが動かしている。 ほかの世界でも同じなのかもしれない。
・どんな世界でもマジョリティーというのは、対象についてたいした知識も関心も愛情も抱いていない人たちで、そうでありながら、世界を動かすことになるのは、その気まぐれで無責任なマジョリティーだったりするのだ。
・結論を述べる。 今回の解任劇の隠れたシナリオは、サッカーにさしたる関心も愛情も抱いていない4年に一度しかゲームを見ない多数派のサッカーファンが、「華麗なサッカー」を見たいと願ったところから始まる悲劇だった。 今回の例に限った話ではない。トルシエも、ジーコも、ザッケローニの時も同じだった。われわれは、三顧の礼で外国人監督を迎えながら、最後には彼らを追放した。
・どうしてこんなことが繰り返されるのか。 繰り返すが、4年に一度W杯の時にだけサッカーを見る多数派のサッカーファンは、見栄えのするサッカーを見たいと思っている。 彼らは、日本人選手の中から、ボール扱いの巧い順に11人の選手を並べて、テレビ画面の中に、スキルフルでテクニカルでスリリングで華麗なサッカーを展開してほしいと願っている。
・ところが、世界を知っている戦術家である外国人監督は、世界の中の日本の実力に見合ったサッカーを構築しにかかる。すなわち、守備を固め、一瞬のカウンターを狙う走力と集団性を重視したサッカーで、言ってみれば、世界中のリーグの下位チームが採用している弱者の戦術だ。
・予選を勝ち抜いているうちは、ファンも我慢をしている。 というよりも、アジアの格下を相手にしている間は、力関係からいって守備的なサッカーをせずに済むということでもある。 しかしながら、本番が迫って、強豪チームの胸を借りる親善試合が続くうちに、当然、守備的な戦いを強いられるゲームが目立つようになる。 で、いくつか冴えない試合が続くと、ファンはその田舎カテナチオ(注)に耐えられなくなる。
(注)田舎カテナチオとは、カギを掛けたように守備が堅い戦術
・人気選手に出資しているスポンサーも、視聴率を気にかけるメディアも、派手な見出しのほしいスポーツ新聞も同じだ。彼らは、技術に優れた中盤の選手がポゼッションを維持しつつスペクタクルなショートパスを交換するクリエイティブでビューティフルなサッカーを切望している。でもって、そのサッカーの実現のために、華麗なボールスキルを持った技巧的で創造的な選手を選出してほしいと願っている。もちろん、スポンサーもその種の華のある選手をCMに起用するわけだし、テレビ局はテレビ局でより高い視聴率のために知名度のある選手をスタメンに並べる戦い方を希望している。
・もちろん、その戦い方を採用して勝てれば文句はないわけだが、どっこいそうはいかない。 きょうびブラジルでさえ、巧い順から11人並べるみたいなチームは作ってこない。そんなことで勝てるほど世界のサッカーが甘くないことを知っているからだ。
・W杯の本番では、世界の強豪でさえ思うままの華麗なサッカーは封印せねばならない。 まして日本のようなW杯選出枠の最下層に属するチームは、走れる選手や身体の強い選手を揃えて守備に備えなければならない。そうでないと戦いのスタートラインにさえ立てない。
・と、その水を運ぶことの多いチームは、どうしても堅実でありながらも華のないチームになる。 この至極単純な事実こそが、おそらくは、ハリルホジッチが私たちに伝えようとしたことだった。 そして、彼が作ろうとしていた、地味で堅実で面白みには欠けるものの、3回戦えば1回は上位チームを食うかもしれないチームは、多数派のライトなサッカーファンには我慢のならないぞうきんがけサッカーだったということだ。
・でもって、わたくしども世界のサッカーの辺境で夢を見ている哀れなサッカーファンは、どうせ勝てないのなら、せめて自分たちらしいサッカーを貫いて世界を驚かせてやろうじゃないかてなことを発想するに至る。  敗北に目がくらんで近視眼的になるのは、うちの国の民族の考え方の癖みたいなもので、前回のW杯でも同じだったし、さらにさかのぼれば、先の大戦でも同様だった。つまり、ミッドウェーで一敗地にまみれ、ガダルカナルで壊滅的な敗北を喫したのち、自分たちの戦術や戦力がまったく敵に通用していないことを思い知らされたにもかかわらず、それでもわれわれは、自分たちの「美学」だかを貫いて、美しく散ることを願ったわけで、つまるところ、ウクライナに敗北したあげくになぜなのか華麗なパスサッカーを志向するに至ったわれら極東のサッカーファンの幻視趣味は、帝国陸軍末期の大本営の机上作戦立案者のメンタリティーそっくりだということだ。
・われわれは、醜く勝つことよりも、美しく敗北することを願っている。 ずっと昔から同じだ。われらニッポン人はそういう物語が大好きなのだ。 悲しい結論になった。 6月のW杯で、私は、自分たちの代表チームに、美しく散ってほしいとは思っていない。 むしろ、醜く勝ってほしいと願っている。
・本当は美しく勝つのが一番良いのだが、それは百年後のことだ。 私のような苦しい時代を生きたサッカーファンは、百年後を自在に夢見ることができる。 簡単に身につく能力ではないが、みなさんにもぜひ習得をおすすめする。  ひとたびわがものとすれば、世界はたなごころのなかにある。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/042600141/?P=1

第一の記事で、 『欧州、南米の選手は「やれ」と言われた原則を守りながら、より有効な手段を選べる。表立って監督に楯突くことこそしないが、ふてぶてしいというか、・・・監督がなにを言おうと、自分たちが正しい選択をする。手段よりも目的が第一にあるのだ。 日本人選手は、ハリルホジッチの強硬な指示に対し、ひたすら消耗し、苛ついた』、というのはナイーブな日本人選手らしい。 『選手発信で戦い方を進言するなど、欧州や南米の監督は認めないだろう。それはほとんどの場合、反逆行為と見なされる。 逆説的に、西野ジャパンの活路があるとすれば——。追い込まれた選手たちによる、「突き上げ革命」かもしれない』、というのに賭けるしかないのかも知れない。
第二の記事は、さすがに深い。 『4月ではダメだ。 お話にならない。 ラーメンを注文して半分まで食べ終わってから 「あ、やっぱりラーメンは取り消してチャーハンにします」 と言うのと同じくらいあり得ない』、というのには笑ってしまった。  『世界を知っている戦術家である外国人監督は、世界の中の日本の実力に見合ったサッカーを構築しにかかる。すなわち、守備を固め、一瞬のカウンターを狙う走力と集団性を重視したサッカーで、言ってみれば、世界中のリーグの下位チームが採用している弱者の戦術だ。 予選を勝ち抜いているうちは、ファンも我慢をしている。 というよりも、アジアの格下を相手にしている間は、力関係からいって守備的なサッカーをせずに済むということでもある。 しかしながら、本番が迫って、強豪チームの胸を借りる親善試合が続くうちに、当然、守備的な戦いを強いられるゲームが目立つようになる。 で、いくつか冴えない試合が続くと、ファンはその田舎カテナチオに耐えられなくなる』、 『ウクライナに敗北したあげくになぜなのか華麗なパスサッカーを志向するに至ったわれら極東のサッカーファンの幻視趣味は、帝国陸軍末期の大本営の机上作戦立案者のメンタリティーそっくりだということだ。 われわれは、醜く勝つことよりも、美しく敗北することを願っている』、などは見事な謎解きだ。 『6月のW杯で、私は、自分たちの代表チームに、美しく散ってほしいとは思っていない。 むしろ、醜く勝ってほしいと願っている』、というのは私も同感である。
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