SSブログ

公務員制度(その2)(エリート官僚のスキャンダルが続出する根因 内閣人事局の「課題」と「処方箋」<前編>、「首相側近幹部」への権限集中が諸悪の根源だ 内閣人事局の「課題」と「処方箋」<後編>、元財務省・田中秀明氏 官僚の「政治化」が生んだ忖度体質) [国内政治]

公務員制度については、4月4日に取上げた。今日は、(その2)(エリート官僚のスキャンダルが続出する根因 内閣人事局の「課題」と「処方箋」<前編>、「首相側近幹部」への権限集中が諸悪の根源だ 内閣人事局の「課題」と「処方箋」<後編>、元財務省・田中秀明氏 官僚の「政治化」が生んだ忖度体質)である。

先ずは、元経産省官僚で早稲田大学ビジネススクール講師の安延 申氏が4月24日付け東洋経済オンラインに寄稿した「エリート官僚のスキャンダルが続出する根因 内閣人事局の「課題」と「処方箋」<前編>」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・最近、森友学園や加計学園問題を契機に、財務省をはじめ、文部科学省、経済産業省など中央官庁の幹部の人事・言動をめぐってメディアも国会も大荒れである。
・その背景として、「内閣人事局の存在によって官邸が各省庁の幹部人事を一手に左右できるようになったことが、過剰な官邸配慮を引き起こし、行政が忖度(そんたく)だらけになったためだ」という指摘がある。他方で、そうではなくて、各省庁の行政縦割りの弊害をなくすには、内閣人事局の創設は間違いではなく、その運用が良くないという主張もある。
・しかし、こうした「0か1か」タイプの議論は、往々にして間違った結論を導く。内閣人事局の仕組みを今のまま残すか、あるいは、一挙に昔に戻るかという極端な議論はまったく非生産的で、かえって混乱を助長するのではないか。
・官僚時代に人事部門でキャリア官僚の人事に携わり、退職後は大小の民間企業で経営者として、人事の最終責任者でもあった経験を踏まえて、今の仕組みに問題点はあるのか、改善するとしたら、どうすれば良いのか、前後編に分けて考えていく。まず前編は「内閣人事局の問題」について考えていく。明日の後編では、「解決策」を論じたい。
▽内閣人事局創設の経緯と背景
・内閣人事局の創設の背景や意義について詳細を記述し始めると、それだけで大論文になってしまうので、ここではエッセンスだけを述べることにしたい。 内閣人事局は、2014年5月に内閣法が改正され、正式な機関として設けられており、その歴史は長いものではない。この議論のルーツは、橋本龍太郎内閣時代に検討され、2000年に中央省庁の大再編として実現した行政改革にある。その1つの車輪が中央省庁の再編、そしてもう1つの車輪が「公務員制度改革」であったが、公務員制度改革は未完のまま「橋本退陣」という事態を受けてしばらく宙ぶらりん状態に置かれたのである。
・そもそも憲法第73条第4号に「(内閣の権能は)法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること」と定められており、官僚の人事は、内閣の長である首相や官房長官の権能として定められている。では、なぜ、わざわざ「人事局」を作らなければならなかったのか。
・これは、考えてみればすぐわかる。国家公務員の総数は60万人弱。いくら官吏の事務を掌理するといっても、こんな数の公務員すべての人事管理を内閣が行えるわけがない。このため、実際は、官僚人事は各省の大臣の所管として運用されていた。
・さらに、各省の大臣も長くて2年。3年やったら驚異という時代であったから、大臣といえども、個々の官僚の能力や性格、適性などを子細に把握するのは到底不可能であった。さらに言えば、国家公務員は政治的に中立であるべきことが国家公務員法に定められており、過度に政治が官僚人事に影響力を持つことに躊躇があったということもあるだろう。
・こういった理由から、事実上官僚人事は、事務方である官僚サイドにほとんど委ねられていたが、こうした中でも閣僚が官僚人事に介入したようなケースはあり、逆に「珍しいこと」として大きな話題になった。筆者が勤務した経済産業省の例でいえば、新進党政権時代に、当時の次官最有力候補者が「政治的に特定勢力と近すぎる」という理由で大臣によって退任を要求された事例は、小説にもなっている。
・このように、長く官僚人事は事務方(=政治レベルではなく官僚レベル)によって行われてきたのだが、他方で、官僚独裁とか政府・閣僚を官僚が牛耳っているといった批判も後を絶たず、「試験を通ればなれる官僚ではなく、選挙で選ばれた政治家が政策を決めていくべきだ」との声が次第に大きくなっていった。
・こうした動きは福田内閣下で渡辺喜美特命大臣によって強力に推し進められ、さらに、民主党内閣になってから「政治家自らが汗をかく」とのキャッチフレーズの下に、官僚を使うのではなく、官僚に仕事をさせず細かい事務仕事まで自分たちがやる……といった見当違いの事象も発生した。
・ただ、民主党内閣時代も、「官邸が官僚を牛耳るべきだ」という思想は連綿と受け継がれ、2010年と2011年に内閣人事局の創設を含む国家公務員法改正案が提出されたが、いずれも成立しないまま廃案となっている。
・その後、2014年4月に安倍内閣下で国家公務員制度改革関連法案が可決され、人事院の一部、総務省行政管理局の査定(組織や定員の管理)部門、人事・恩給局の旧人事局関係部門などを統合する形で内閣人事局の創設が決まったのである。なお、この法案には自民・公明・民主の3党が賛成している。
▽内閣人事局の基本的な仕事とは?
・内閣ホームページによると、「内閣人事局は、国家公務員の人事管理に関する戦略的中枢機能を担う組織として、関連する制度の企画立案、方針決定、運用を一体的に担って」いるとされている。ただ、良くわからないのは、いったいそこに何人の職員がいて、どういう仕事をしているかだ。
・内閣人事局のホームページによれば、その基本的な仕事は、
 ① 国家公務員の人事行政(女性活躍推進などを含む)
 ② 国の行政組織に関する行政
 ③ 幹部職員人事の一元管理(新たに付加された権能) となっているが、正直なところ、この①と②は、女性登用に関する発信などはあるものの、どれだけ内閣人事局が実働し、影響力を発揮しているかは定かではない。
・実際問題として、人事院や旧総務省などの旧組織を統合したとしても、もともとこれらの組織が霞が関で強い影響力があったかというと、そんなことはないのだから、これを統合しただけで突然影響力が増すわけもない。 そうなると、内閣人事局の創設によって付け加えられた新たな権能、すなわち、この③が現在の議論の焦点であり、この「一元管理」なるものが、どれだけ官僚の心理と業務に影響を与えているか……だろう。
・そこで同じ内閣のホームページから、幹部人事の流れを図示してみると下図のようになる。 この図のプロセスを経て任免される幹部職員とは、霞が関で「指定職」と言われる部長・審議官級以上の職員である。この指定職のポストの総数は約900弱と言われているが、この900名の中には、研究者や技術専門職という性格のポストも含まれるため、実際には、このうちの600名程度が、図に示した任用プロセスで内閣人事局の検討を経て発令が行われると言われている(全900ポストの内容は、人事院から、ポスト毎の給与のランクと数を詳細に定めた「案」が提出されており公表されている)。
・ただ、これは、あくまで「職位の数」であって、そこに誰をつけるかの検討・決定は、別途、人事として行われる。その人事プロセスが上の図である。 各省庁から指定職(幹部)の候補となるべき人材のリストが提示されるその人たちが指定職にふさわしいかどうかの「適格性」は官邸で審査される。この「適格性審査」の内容は明らかにされていないが、懲戒処分を受けてないかとか、指定職になるべき前職の履歴が適切か(大きな職位のジャンプの有無など)といったネガティブチェックに近いものではないかと推定される。
・なぜならば、この適格性審査によって、各省庁で幹部となるだろうと目されている職員(日本の官庁の場合、多くは年功で推定が可能である)が突然排除されたという話を聞いたこともないし、逆に、予想もされていなかった人が突然抜擢されたといった騒ぎが起きたこともないからである。
・上記の適格性審査を経て、幹部職に登用される者の名簿が作成され、各省に配布されることになる。 各省庁の大臣は、この名簿を基に人事異動の案、つまり幹部職の任免案を作成する。 この「案」をもって各省庁は官邸と協議し、最終的な幹部職の任免が決定されるわけである。実際には、この「官邸協議」が、おそらく、最も官邸の影響力が発揮される場面であろう。総理であろうと正副官房長官であろうと、600にも上る全指定職のポストの職務を正確に理解はしていないだろうし、また、その候補者がどんな人間であるかも知らないだろう。
・しかし、各省庁の次官、財務省の主計局長や主税局長、外務省の総合外交政策局長や経済局長、厚生労働省の年金局長といった内閣の政策に直結するようなポストであれば、職務もわかるし、そこに誰が就任するかは大きな関心事項でもあろう。ここに「官邸の意向」が官僚人事に反映されてくる余地が生まれると考えられる。
・つまり、「内閣の政策に直結するようなポスト」の人事が問題なのである。ではどのように解決をしていけばいいのか。後編で論じていきたい。
https://toyokeizai.net/articles/-/217838

次に、上記の続きである同日付け東洋経済オンライン「「首相側近幹部」への権限集中が諸悪の根源だ 内閣人事局の「課題」と「処方箋」<後編>」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・前編では内閣人事局の設立経緯について詳述してきた。後編では「内閣人事局の何が問題なのか」について考えると同時に、改善策について論じていきたい。
・まず断っておきたいのだが、筆者は「幹部公務員は省益ではなく国益を実現すべく働くべきである」という命題には何の異論もない。しかし、現行の制度にはいくつかの点で問題があると考えている。それを順番に整理してみたい。
▽官僚にとって人事権は最大のパワーソース
・当たり前じゃないかと思われるかもしれない。しかし、官民の両方で人事をする立場を経験すると、官の人事権は民以上に強力なパワーになると痛感した。 民間では(この場合は上場企業レベルの民間企業という意味だが)、どうのこうの言いながらも最後は「数値」という客観指標から逃げることはできない。売り上げと利益を急伸させたマネージャーや常に高視聴率をたたき出す番組プロデューサーは、たとえ、上司がどう思おうと、それなりの処遇を与えざるをえないだろう。逆に、非常に人望があって可愛がっている部下であっても、売り上げを30%ダウンさせ黒字部門を赤字化させてしまった人物を昇格させることは難しい。
・つまり、民間企業の活動はさまざまな意味で数値化されてパフォーマンスが測定できるようになっており、いかに権力者といえども、これを無視して人事を進めるのは難しいのである。 最近で言えばセブン&アイ・ホールディングスの絶対権力者であった鈴木敏文会長ですら、一定の業績を上げていた社長を交代させるという人事案が否決され、会長の座を降りるしかなかったということは好例であろう。
・しかし、官僚の世界では成果もコストも客観的に測ることは難しく、そうなると評価は「主観的」なものに近づかざるをえない。「あいつは頑張っている」とか「皆が褒める人物である」、「オレのために尽くしてくれる」といった主観的な判断のウェイトが増してくる。
・官僚の世界だけではないが、「カネとヒトを握る」というのは、昔からある権力の源泉である。そして、その片方の「カネ」を握っていたからこそ、財務省、あるいは旧大蔵省は「官庁の中の官庁」と呼ばれていたのだが、最近の財政事情では、このカネを使った権力の行使の余地は小さくなっている。財政支出の6割近くが、「社会保障費」と「債務償還」という裁量性のない支出で占められている状況で、財務省が振るえる権力の余地など限られているのである。
・他方、「ヒト=人事を握る」ことの意味は昔と変わっていない。つまり、内閣への人事行政の集約化は、財務省と並ぶ、あるいは、それを凌駕するような権力の源泉を創り出したのに等しいのであるが、それにしては、現行の制度・仕組みは粗雑であると言わざるをえない。
・財務省の予算査定のプロセスは100年以上にわたって骨格を維持しつつ、細部の改善を積み重ねて練り上げられたものであるが、現行の内閣人事局による幹部人事の一元管理の仕組みは、生まれたばかりであり、予算作成プロセスに比べれば、あまりにずさんという事実は否定しようがないのである。
▽今の仕組みは短命政権を想定?
・各省が省益優先に走るのを抑制し、公僕の原点に戻るよう官僚人事も官邸が管理できるようにすべきだという議論は1990年代からあったということは先に述べた。 他方、当時の反対論は、「政治的中立が求められている公務員人事を内閣が行うというのは、その中立性を侵害する可能性がある」、「各省の大臣の人事権、組織掌握力が弱まってしまう」といったものであった。ただ、その頃は、内閣に組織を作っても、結局、各省庁から上がってくる人事案を追認するだけで、どれだけ影響力が発揮できるかは疑問……といった懐疑的な見方も多かったように思う。その理由の1つは、そこまで強い求心力、統率力を発揮できた内閣は、過去それほど存在しなかったということである。
・長く与党であった自由民主党の総裁任期は長い間2年(1978年 - 2003年の間のルール。2004年以降は3年)であり、かつ、連続2期が上限とされていた。したがって総理の在任期間は最長でも4年であり、多くの場合2年から3年で総理は交代してきた。
・過去に任期満了で総理総裁を退任したのは中曽根康弘氏と小泉純一郎氏の2人しかいなかったのである。国際畑では、リーダーのポストの在職期間が大きくものを言う。 筆者も通商畑の仕事が長かったので、サミットに行くたびに首脳の集合写真の端のほうに小さく映るわがリーダーの姿に情けない思いをし、中曽根総理や小泉総理が議長国のリーダーの隣に立つ記念写真を見て、内心誇らしい気持ちになったのを思い出す。
・そして首相が頻繁に「交代するだけでなく、各省の大臣はそれ以上にコロコロ変わる。大臣は、各省庁の最終人事権者である。これでは政治が官僚に人事的な影響力を及ぼそうにも、不可能である。
▽長期政権では弊害が露呈
・ところが、現在の第2次安倍晋三内閣は今年で6年目に入り、さらに自民党総裁としての3選も話題に上っている。そしてこれを支える菅義偉官房長官、杉田和博官房副長官も同じく6年目である。さらに言えば、最近なにかと辣腕ぶりが報道される今井尚哉政務担当秘書官も同様である。
・各省の幹部官僚は、通常同一ポストの在任は長くて2年である。他方、これを統括する側の官邸の主要人物は、すべて就任6年目を迎える大ベテランばかりである。そうなると各省に対する官邸の影響力が強まるのは、必然とも言えよう。何せ、彼らは毎年持ってこられる各省庁の人事案を何回も検討してきているのである。
・その中にはかつて一緒に仕事をした人も入っているだろうし、逆に全然知らない人物が要職の候補者になっていることもあるだろう。官邸幹部といえども人間である。自分の意に添わぬ人間よりも、自分と波長の合う人間、自分の政策を忠実に実現してくれる人間を高く評価するだろう。これは、官民問わず一般的に発生する現象であって、別に人事において「ひいき」をしていなくても、人事権者の心中で評価の高い人材が厚遇されるのは、当然といえば当然なのである。
・しかし、はたしてこれが正しい仕組みなのかどうかは議論の余地がある。たとえば、現在の自民党政権下で、無私無欲で必死に働き、政権から与えられたミッションを忠実にこなして多大な成果を上げた官僚がいたとする。その人は、まさに「官吏」として最高の仕事をしたわけである。しかし、次の選挙で与党が倒れてしまったとする(今の状況では起こりそうにない仮定だが、制度設計においては十分考慮すべき仮定である)。そうするとこの「最高の仕事をした官僚」は次期政権においては、「自分たちの反対する政策を実現させた最悪の戦犯」になってしまうかもしれない。
・その時に、この官僚の人事はどう扱われるべきなのだろうか。 アメリカのように「政治任用=Political Appointee」の仕組みが出来上がっている国は良い。もともと各省庁の上級幹部で政治任用されるポストは決まっており、そこに任用される人たちは、自分の任期は、その政権の寿命の間だけと認識したうえでポストを受諾しているし、任期を終えた後の仕事もいろいろ選択可能である。
・しかし、「天下り根絶」が叫ばれ、民間企業への再就職もさまざまな形で制限されている日本の状況下では、官僚を辞めてほかに職を探します……というのも容易ではない。仮に政治任用的に上級幹部を扱うのであれば、任用期間が終了した後の職業選択の道も開いておかなければ、明らかに機能不全な仕組みが出来上がってしまうだろう。
▽今の仕組みをどう改善すればいいのか
・ここまで述べてきたように、今の霞が関の幹部人事の仕組みは、否応なしに内閣=官邸の意向が強く反映されるようになっている。しかし、これを「安倍内閣のせいだ」とか「安倍一強政治が悪い」というのは間違いだろう。そもそも、公務員人事に内閣の影響力を強めようというのは、民主党政権下でも強力に推進されていた政策であるし、国民世論もこれを支持してきたはずである。ただ、同時に今の仕組みに多くの足らざるところがあることも事実である。
・筆者自身も十分に検討したわけではないので、本稿において、その改善の仕組みを子細に述べることはできないが、それでもいくつか思いつく改善策はあるので、それを列挙してみたい。
・まずは内閣人事局長の任期を長くするべきではない。かつ、現在の杉田局長(事務担当内閣官房副長官)のように、各省庁の幹部の職責や候補人材の人となりをある程度熟知している官僚出身者を充てることが望ましい。
・各省庁の幹部と同様、2年か長くても3年程度にすべきであろう。これによって、官僚が過剰に官邸の意向を気にするような事態は、ある程度緩和されるし、また、過度の権限集中も少しは弱められるのではないか。
・現在のように官邸幹部の主観的人事によって、過剰な省益追求を排するのではなく、明確化したルールによって、各省庁が国益追及型の人事ができるように考えるべきである。具体的には、たとえば各省庁の課長職以上の4分の1、部長・審議官の3分の1、そして局長以上の2分の1は他省庁採用者から任用するといったルールを定めれば良い。そうすれば、自省庁の省益をいくら追及しても、その人が次にどの役所で幹部になるのかわからない訳だから、天下り問題を含め、過度の省益追求にはブレーキがかかる。
・内閣人事局長以外の官邸の幹部職についても、長期化は望ましくない。特に政治家ではなく事務方の幹部職については、あまり長く特定の職位についているのは望ましくない。 繰り返しになるが、結果が数字で客観的に出にくい官僚の世界では、一定のポストに長く特定の人が留まることは、過剰な権限の集中をもたらしやすい。だからこそ、政府の中での特定ポストは、在職最長3年で異動という内規が定められている。それが、政府の中でも中枢になる内閣、首相近辺の職である官房副長官や首相秘書官、その他の枢要ポストに長い期間特定の官僚が留まれば、その影響力が半端なものではないことは容易に想像がつくためである。
・内閣に一定の人事権能を持たせて、霞が関の各省が過度に省益追求に走らないようにするという発想自体は悪くないし、これを否定するべきではない。ただ、現状の仕組みが多くの問題点を内包していることも事実であり、これを「少しずつ改善して望ましい姿に近づけていく」というのが、今求められるアプローチではないだろうか。
https://toyokeizai.net/articles/-/217842

第三に、5月28日付け日刊ゲンダイが掲載した元財務官僚で明大公共政策大学院専任教授の田中秀明氏(最後に経歴)へのインタビュー「元財務省・田中秀明氏 官僚の「政治化」が生んだ忖度体質」を紹介しよう(▽は小見出し、Qは聞き手の質問、Aは田中氏の回答、+は回答内の段落)。
・霞が関の官僚の壊れっぷりが酷すぎる。中でも“最強官庁”として君臨してきた財務省は一体どうなってしまったのか。森友疑惑に関して決裁文書改ざんに手を染めたうえ、事務次官がセクハラ発言で辞職に追い込まれた。安倍政権下で官僚は人事を官邸に握られ、忖度ばかりするようになったといわれるが、原因はそうなのか。 元財務官僚でもある明大公共政策大学院専任教授の田中秀明氏に聞くと、官僚の「政治化」がその背景にあるという。
▽「内部統制」の概念がない
Q:古巣の財務省で、あり得ない不祥事が続発しています。
A:公文書の書き換えもセクハラもとんでもないことです。1990年代の接待汚職事件で財務省は逮捕者まで出し、その後、変革を誓って自己改革の報告書をまとめた。しかし、20年経って、元に戻ってしまいました。原因は複雑ですが、組織と公務員制度の2つの問題が背景にあります。それは財務省に限らず、霞が関に共通しています。
Q:組織の問題とは?
A:役所にはマネジメントの概念が乏しく、自己チェック機能が弱いのです。組織のマネジャーは本来、事務次官です。しかし実際は、次官は「名誉職」だと思います。1、2年で交代する順送り人事だからです。英豪などでは、次官は3年以上務め、組織のマネジメントに責任を負っていますが、そう自覚する次官は日本にはいないでしょう。
Q:マネジメントの必要性に対する意識が低いのでしょうか。
A:役所は手続き重視の前例踏襲。マネジメントとは少ない資源でより良い結果を生み出すということですが、役所には、そうした概念はありません。それから、根本的には、内部統制という概念がなく、内部監査も不十分です。
Q:内部統制がない?
A:役所特有の考え方はあるんです。例えば、物品を買うという場合。それを使う人、注文を出す人、お金を出す人、届いた商品をチェックする人などを分ける。不正を回避する仕組みです。しかし、民間企業のような事前のリスクコントロールという考え方はありません。不正や情報漏洩などが起こることをあらかじめ想定して、その発生をどうやって下げるか。そういう意味での内部統制やその重要な要素である内部監査は、法令に書いてありません。
Q:いわゆる危機管理がないのですね。
A:防衛省や警察などには危機管理を担う部署があるのですが、一般の役所は「無謬性」といって、「間違えない」という前提なんです。だからリスクがなく、失敗もない、と。しかし、リスクを想定して、事前に対応を取る仕組みや体制は必要です。 英国などでは、事務次官は「会計官」としても任命され、内部統制報告書や財務書類などに署名します。また、外部の専門家も入る内部監査委員会も設置され、自律的にチェックをしています。今般の財務省・防衛省などの不祥事は、まさにこうしたガバナンスが欠けていたからといえます。
▽政治任用と資格任用の区別が必要
Q:官僚自体も劣化していませんか。
A:80年代にエズラ・ボーゲル(米ハーバード大名誉教授)が著書「ジャパン・アズ・ナンバーワン」で、戦後の奇跡的な経済復興を牽引したのは大蔵省や通産省などの官僚たちだと言いました。これは過大評価であり、右肩上がりの時代は、誰がやってもうまくいった。
+しかし、90年代に入り、バブルがはじけて日本経済は低迷しました。官僚の不祥事も続き、官僚主導から政治主導へと行政改革が行われました。従来官僚たちは、政治家や関係業界と調整して政策を作りながら、自らの利益も追求してきました。私は、これを「政治化」と呼んでいます。しかし、政治主導が進む中でこうしたモデルは通用しなくなったのです。官僚は本来、専門性に基づき分析し選択肢を提示すべきですが、そうした専門性は政治化ゆえにおろそかになっています。それでは、良い政策は作れません。
Q:内閣人事局にも問題があるとされています。
A:公務員の任命権は各省の大臣にありますが、2014年に内閣人事局が設置されてからは、幹部公務員の任免については、総理・官房長官・大臣が事前協議することになりました。政府全体の見地から幹部人事を行う建前は良いのですが、菅官房長官が、各省から出された人事案を差し替えたり、官邸に異論を唱えた幹部を左遷しているといわれています。
+菅長官は適材適所と言っていますが、それは恣意的な人事と紙一重です。人事を握られているので、公務員は政治家に忖度します。今や幹部公務員は官邸のイエスマンとなりました。
Q:菅長官の影響力が強いことが問題なのでしょうか?
A:従来から幹部人事に官房長官等が関与する仕組みがあったのですが、それが過度になっています。ただ根本的な問題は公務員の任命制度にあります。公務員の任命制度には、政治任用と資格任用があります。例えば米国では、局長級以上の幹部公務員については政治任用です。大統領の好き嫌いで決められ、政権交代のたびに入れ替わる。
+英国は、資格任用で、大臣に直接の人事権はありません。事務方トップの次官に至るまで能力や業績で決まる。幹部公務員は公募採用が一般的で、ポストごとに競争原理に基づいて採用されます。公務員には政治的中立性が厳しく求められ、政治家との接触は制限されています。日本は、制度の建前は英国型ですが、公務員の任命権は大臣にあるため、政治任用できる仕組みです。
Q:日本では政治任用と資格任用の区別がない。
A:公務員の政治化は、両者の区別がないことに起因しています。今の官邸主導の人事は、公務員をさらに政治化させています。公務員は忖度し、政治家に耳障りなことは言わないのです。米国も、課長までは厳しい能力主義です。資格任用を建前ではなく、実質的に強化し、政策立案において、中立的な分析や検討ができる仕組みに変えるべきです。そして、資格任用の公務員は、公募のように透明かつ競争的な任命プロセスで選ばれるようにする。政治的な調整は官邸や大臣の仕事であり、新しくつくった補佐官を活用すればいい。
Q:今の公務員制度ではダメですね。
A:専門家が育たず、政策立案・実施能力が高まりません。政治家や業界との調整ばかりで消耗し、優秀な人ほど若くして辞めてしまう。官僚ではキャリアが向上しないので、外資系金融機関に転職したり、弁護士や学者になっていますよ。
Q:いわゆる「財務省解体論」についての是非は?
A:不祥事が続いたので解体すればよいのかもしれませんが、国の財政に誰が責任を持つのでしょうか。よく財務省は最強官庁だといわれますが、昔はともかく、今は違います。もしそうであれば、先進国最悪の財政にはなっていないし、消費税が2度も延期になっていません。多くの研究により、財務大臣の権限が弱い国ほど、透明性が低い国ほど、財政赤字が大きいことがわかっています。日本はまさにこの2点が問題です。
▽財務省は予算中心ではなく経済政策を担うべし
Q:具体的には財務省をどう見直すのですか。
A:世界の財務省は、予算が中心ではなく、経済政策を担う役所です。米国やカナダ、オーストラリアなどでは、財務省と予算省に分かれています。財務省は財政政策、経済政策、金融政策などマクロを扱い、予算省は細かい予算や会計、評価などミクロを扱う。日本もこのようにするのが一案です。今の日本では、予算は財務省、経済政策は内閣府、金融の企画立案は金融庁、とマクロを扱う官庁がバラバラで最悪です。日本の財務省には、博士号を持ったエコノミストは幹部にはいません。経済政策を担当しないからであり、世界標準とはかけ離れています。
Q:その場合、主計局はどうなりますか。
A:主計局の総務課など予算についてマクロ政策を担当する部署は財務省に残すとして、各省との細かな折衝をする部署は総務省と一緒にしたらいいと思います。
Q:歳入庁構想もありますが。
A:社会保険料と税を一緒に徴収するのは効率的ですが、新しい組織をつくらなくても、保険料の徴収業務を国税庁に委託すればよいだけの話です。我々は、今般の不祥事を踏まえて、財政を担う組織はどうあるべきなのかを真剣に議論しなければなりません。財務省は自ら猛省し、ガバナンスを改革する必要があります。(聞き手=本紙・小塚かおる)
▽たなか・ひであき 1960年東京都生まれ。85年東京工業大学大学院修了後、同年大蔵省(現財務省)入省。政策研究大学院大博士。オーストラリア国立大学客員研究員、一橋大学経済研究所准教授、内閣府参事官などを経て、現職。専門は公共政策・財政・マネジメント、公務員制度など。著書に「日本の財政」(中公新書)などがある。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/229739/1

第一の記事で、 『内閣人事局の創設によって付け加えられた新たな権能、すなわち、この③が現在の議論の焦点であり、この「一元管理」なるものが、どれだけ官僚の心理と業務に影響を与えているか……だろう』、『各省庁の次官、財務省の主計局長や主税局長、外務省の総合外交政策局長や経済局長、厚生労働省の年金局長といった内閣の政策に直結するようなポストであれば、職務もわかるし、そこに誰が就任するかは大きな関心事項でもあろう。ここに「官邸の意向」が官僚人事に反映されてくる余地が生まれると考えられる』、なるほどである。
第二の記事で、『民間企業の活動はさまざまな意味で数値化されてパフォーマンスが測定できるようになっており、いかに権力者といえども、これを無視して人事を進めるのは難しいのである・・・しかし、官僚の世界では成果もコストも客観的に測ることは難しく、そうなると評価は「主観的」なものに近づかざるをえない』、というのは官民とも経験した筆者ならでは指摘で、説得力がある。『「カネ」を握っていたからこそ、財務省、あるいは旧大蔵省は「官庁の中の官庁」と呼ばれていたのだが、最近の財政事情では、このカネを使った権力の行使の余地は小さくなっている』、『「ヒト=人事を握る」ことの意味は昔と変わっていない。つまり、内閣への人事行政の集約化は、財務省と並ぶ、あるいは、それを凌駕するような権力の源泉を創り出したのに等しいのであるが、それにしては、現行の制度・仕組みは粗雑であると言わざるをえない』、『現在の第2次安倍晋三内閣は今年で6年目に入り、さらに自民党総裁としての3選も話題に上っている。そしてこれを支える菅義偉官房長官、杉田和博官房副長官も同じく6年目である。さらに言えば、最近なにかと辣腕ぶりが報道される今井尚哉政務担当秘書官も同様である。 各省の幹部官僚は、通常同一ポストの在任は長くて2年である。他方、これを統括する側の官邸の主要人物は、すべて就任6年目を迎える大ベテランばかりである。そうなると各省に対する官邸の影響力が強まるのは、必然とも言えよう』、などの鋭い指摘はさすがである。 『まずは内閣人事局長の任期を長くするべきではない・・・各省庁の幹部と同様、2年か長くても3年程度にすべきであろう』、というのはその通りだろう。『政府の中での特定ポストは、在職最長3年で異動という内規が定められている。それが、政府の中でも中枢になる内閣、首相近辺の職である官房副長官や首相秘書官、その他の枢要ポストに長い期間特定の官僚が留まれば、その影響力が半端なものではないことは容易に想像がつくためである』、ということは、現在はその内規が無視されていることなのだろうか。
第三の記事で、『役所は手続き重視の前例踏襲。マネジメントとは少ない資源でより良い結果を生み出すということですが、役所には、そうした概念はありません。それから、根本的には、内部統制という概念がなく、内部監査も不十分です』、というのは想像通りだ。ただ、聞き手が 『いわゆる危機管理がないのですね』、とまもめようとしたのはいささかピント外れだ。むしろ、「リスク管理がない」方が適切な気がする。 『一般の役所は「無謬性」といって、「間違えない」という前提なんです。だからリスクがなく、失敗もない、と。しかし、リスクを想定して、事前に対応を取る仕組みや体制は必要です』、というのはその通りだ。 『従来から幹部人事に官房長官等が関与する仕組みがあったのですが、それが過度になっています。ただ根本的な問題は公務員の任命制度にあります』、『公務員の政治化は、両者の区別がないことに起因しています。今の官邸主導の人事は、公務員をさらに政治化させています。公務員は忖度し、政治家に耳障りなことは言わないのです』、『資格任用を建前ではなく、実質的に強化し、政策立案において、中立的な分析や検討ができる仕組みに変えるべきです。そして、資格任用の公務員は、公募のように透明かつ競争的な任命プロセスで選ばれるようにする。政治的な調整は官邸や大臣の仕事であり、新しくつくった補佐官を活用すればいい』、『財務省は予算中心ではなく経済政策を担うべし』、などの指摘は説得力がある。筆者は理工系出身ながら、たぶん経済などで上級職の試験を通ったとは、大したものだ。今後も注目したい。
なお、今日の日経新聞夕刊では、「佐川氏が改ざん主導 財務省調査「国会の紛糾回避」」、「麻生氏、給与1年分返納 財務省、幹部ら20人処分へ」とのニュースが報じられたが、これは別途、森友問題で取上げるつもりである。
タグ:公務員制度 根本的な問題は公務員の任命制度にあります 各省庁の幹部と同様、2年か長くても3年程度にすべきであろう 「元財務省・田中秀明氏 官僚の「政治化」が生んだ忖度体質」 菅長官は適材適所と言っていますが、それは恣意的な人事と紙一重です。人事を握られているので、公務員は政治家に忖度します。今や幹部公務員は官邸のイエスマンとなりました 各省の幹部官僚は、通常同一ポストの在任は長くて2年である。他方、これを統括する側の官邸の主要人物は、すべて就任6年目を迎える大ベテランばかりである。そうなると各省に対する官邸の影響力が強まるのは、必然とも言えよう 省庁の次官、財務省の主計局長や主税局長、外務省の総合外交政策局長や経済局長、厚生労働省の年金局長といった内閣の政策に直結するようなポストであれば、職務もわかるし、そこに誰が就任するかは大きな関心事項でもあろう。ここに「官邸の意向」が官僚人事に反映されてくる余地が生まれると考えられる 一般の役所は「無謬性」といって、「間違えない」という前提なんです。だからリスクがなく、失敗もない、と。しかし、リスクを想定して、事前に対応を取る仕組みや体制は必要です 財務省は予算中心ではなく経済政策を担うべし 内閣人事局長の任期を長くするべきではない 専門家が育たず、政策立案・実施能力が高まりません。政治家や業界との調整ばかりで消耗し、優秀な人ほど若くして辞めてしまう 実際には、このうちの600名程度が、図に示した任用プロセスで内閣人事局の検討を経て発令が行われると言われている 今の官邸主導の人事は、公務員をさらに政治化させています。公務員は忖度し、政治家に耳障りなことは言わないのです 「「首相側近幹部」への権限集中が諸悪の根源だ 内閣人事局の「課題」と「処方箋」<後編>」 2014年4月に安倍内閣下で国家公務員制度改革関連法案が可決 菅官房長官が、各省から出された人事案を差し替えたり、官邸に異論を唱えた幹部を左遷しているといわれています 政治任用と資格任用の区別が必要 現在の第2次安倍晋三内閣は今年で6年目に入り、さらに自民党総裁としての3選も話題に上っている。そしてこれを支える菅義偉官房長官、杉田和博官房副長官も同じく6年目である。さらに言えば、最近なにかと辣腕ぶりが報道される今井尚哉政務担当秘書官も同様である 総理の在任期間は最長でも4年であり、多くの場合2年から3年で総理は交代してきた 日刊ゲンダイ 民間企業の活動はさまざまな意味で数値化されてパフォーマンスが測定できるようになっており、いかに権力者といえども、これを無視して人事を進めるのは難しいのである 「ヒト=人事を握る」ことの意味は昔と変わっていない。つまり、内閣への人事行政の集約化は、財務省と並ぶ、あるいは、それを凌駕するような権力の源泉を創り出したのに等しいのであるが、それにしては、現行の制度・仕組みは粗雑であると言わざるをえない 指定職のポストの総数は約900弱 「カネ」を握っていたからこそ、財務省、あるいは旧大蔵省は「官庁の中の官庁」と呼ばれていたのだが、最近の財政事情では、このカネを使った権力の行使の余地は小さくなっている。財政支出の6割近くが、「社会保障費」と「債務償還」という裁量性のない支出で占められている状況で、財務省が振るえる権力の余地など限られているのである 官僚の世界では成果もコストも客観的に測ることは難しく、そうなると評価は「主観的」なものに近づかざるをえない 幹部職員人事の一元管理 安延 申 東洋経済オンライン 国の行政組織に関する行政 公務員の政治化は、両者の区別がないことに起因 国家公務員の人事行政 実際には、この「官邸協議」が、おそらく、最も官邸の影響力が発揮される場面であろう 適格性」は官邸で審査 内閣人事局の問題 役所は手続き重視の前例踏襲。マネジメントとは少ない資源でより良い結果を生み出すということですが、役所には、そうした概念はありません。それから、根本的には、内部統制という概念がなく、内部監査も不十分です 「エリート官僚のスキャンダルが続出する根因 内閣人事局の「課題」と「処方箋」<前編>」 各省庁の課長職以上の4分の1、部長・審議官の3分の1、そして局長以上の2分の1は他省庁採用者から任用するといったルールを定めれば良い。そうすれば、自省庁の省益をいくら追及しても、その人が次にどの役所で幹部になるのかわからない訳だから、天下り問題を含め、過度の省益追求にはブレーキがかかる (その2)(エリート官僚のスキャンダルが続出する根因 内閣人事局の「課題」と「処方箋」<前編>、「首相側近幹部」への権限集中が諸悪の根源だ 内閣人事局の「課題」と「処方箋」<後編>、元財務省・田中秀明氏 官僚の「政治化」が生んだ忖度体質)
nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。