SSブログ

小田嶋氏対談(元アル中と下戸が語る 酒と依存とお仕事と【前】、【後】) [人生]

今日は、やや古い記事だが、小田嶋氏対談(元アル中と下戸が語る 酒と依存とお仕事と【前】、【後】)がとても面白かったので取上げよう。

先ずは、3月29日付け日経ビジネスオンライン「オダジマは就活で落とされたことがない 元アル中と下戸が語る、酒と依存とお仕事と【前】」を紹介しよう(▽は小見出し、Yは聞き手)。
・新社会人の皆様、就職おめでとうございます。日頃ご愛読いただいている日経ビジネスオンライン読者の皆様にも、ご子息が社会に出られる方が数多くいらっしゃると思います。今回は、弊誌サイトの人気筆者、小田嶋隆さんに、担当編集の私がインタビューする形で、仕事について、ためになるお話をしていただこうと思います。長くお読みの方はお分かりの通り、これ、企画的に話す方も聞く方も完全に人選ミスですが、普通のコラムとは違う点から、なにかお持ち帰りいただけるのではと祈っております。「え、オダジマタカシって誰?」 という方はこちらをどうぞ。(担当編集Y)
Y:『上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白』、3刷り突破だそうでおめでとうございます。小田嶋さんのアルコール中毒の経験談は書いてほしい話でしたし、長いお付き合いなのに知らない話がいっぱいあって面白かったです。
小田嶋:結果論ですけど、語りおろしスタイルだったのはよかったような気がしますね。私の文章だとやっぱり回りくどいから、こういう、扱いが難しい話を書くと印象としてちょっと重いものになると思うんですけど、語り口なので読みやすくはあるんじゃないかと。
Y:しかも、さすがミシマ社さんのお仕事だけあって、ところどころに「コラム」が入っていて、小田嶋さんの文章好きにも嬉しい。「酒と文章」「ヨシュア君とのこと」、とても面白かったです。
小田嶋:全部語り下ろしだと何かぬるいものになってしまうから、書いたものも入った方が引き締まるというのはあったかなと思います。
Y:あと、表紙や中面のイラスト。これは『ポテン生活』の方ですよね、木下晋也さん。この組み合わせは思いつかなかった。小田嶋さんのこの本に雰囲気ぴったりです。
小田嶋:たしか私がしゃがんで吐いている絵を、ポップ向けに描いていただきました(笑)。
▽アルコール依存は、時間の潰し方のひとつ
Y:アルコールに限らず「依存」について、いろいろな読み方ができる本だと思うんです。若い世代になると、もう依存先はアルコールじゃないかもしれませんが……。本の中で「時間があるからお酒を飲むんだ」って、すぱっと小田嶋さんは言い切っているじゃないですか。「人が酒を飲む理由としては、パチンコでもそうでしょうけど、他にやることがないから、というのが意外なほど支配的だったりします」と。
小田嶋:今の若い人たちは時間のつぶしようが多様化しているから、お酒を飲む人は減っているかもしれないですけど。今、ある程度の年齢になって唯一いいことって、時間のつぶし方が上手になったという。
Y:そうなんですよね。最近そう思うようになってきました。
小田嶋:ね。例えば「あれ、3時間空いちゃったよ」といったときに、途方に暮れないというか、むしろご褒美のように感じるじゃないですか。
Y:ありますね。
小田嶋:でも若いころのやっぱり今日1日どうしようというのは、すごくどうしようもなかったので、あれは若いときの独特の感覚だと思うけど、時間が長いんですよ。例えば人と約束して「3カ月後ね」と言われると、子供のころは「そんな日は永遠にやって来ないんじゃないか」と。20代のころでも「え、3カ月後?」と、約束することに違和感があったんだけど、今は平気で半年後の約束とかしているじゃないですか。
Y:それであっという間に来るんですよね、半年後が。
小田嶋:そう。それで本当に来るんですよ、半年なんて。それこそ2カ月なんて、え、もう来たのというぐらいすぐ来るでしょう。
小田嶋:若い連中の「この間」って、先週とか3日前だけど、我々が、「ほら、この間言っていたあれさ」というのが5年前だったりしますからね。
Y:するんですよ。恐ろしいですよ。
小田嶋:時間の感覚が全然違うということが、若いときは酒を飲む理由になっていた。2時間空いちゃったからどうしようもないから飲んじゃう、みたいなことだってあったわけですよ。
Y:なるほど。自分自身が空き時間をつくるのが嫌で、読みきれないくらい本を持ち歩く、みたいなことが。
小田嶋:そうそう。だからそれこそ文庫本を3つ、4つ持ってないと移動できないみたいな感じがありましたよね。ぼや~っとすることが難しいんですよね。若いときはね。
Y:思い出した。今回、働くことがお題なんですが、以前「ア・ピース・オブ・警句」で、小田嶋さんが大学4年生のころの話を書かれました。就活がイヤで、山小屋に逃げ出したと。
小田嶋:大学4年生のときの9月の連休ですね。10日間くらいだったかな。
Y:そのときは、山小屋に籠もってぼーっとしていたんでしょうか。
▽初日にいきなり出遅れた
小田嶋:いや、そうでもありませんでした。ある友人が「夏の間、八ヶ岳の山小屋でアルバイトをしているヤツに差し入れを持っていくから一緒に来ないか」と。そいつは大学を入り直したりして、年次がずれているんですね。
Y:じゃあ、就職活動する必要がまだない方で。
小田嶋:そう。「俺、就職活動なんだけど」といちおう言ったんだけど、そういう誘いは断れなかったんですね。じゃあ、ちょっと山で頭を冷やしてくるかと思って。山小屋といっても1カ所じゃなくて、何カ所かの知り合いのところを渡り歩いて、お土産を渡すような感じで。ただ、もう頂上に上がってしまえばそれぞれの山小屋は近い。2時間も歩けば次の山小屋に着く。だからぶらぶらしていましたよ。
Y:退屈しました?
小田嶋:どうでしょう。でも、あれで就職活動で会社を回る決意が、付いたといえば付いたんでしょうね。
Y:このお話を書いていただいたんですよね。長い連載の中でも好きな回です。就活生の方に参考になるかどうかは分かりませんが、プレッシャーが掛かりすぎているご子息がいらっしゃるならお役に立つかもしれませんので、こちら、ぜひ。→「無意味で、だからこそ偉大な」
小田嶋:山から9月の末に下りてきてすぐ、10月1日から会社を回り始めたんだけど、ただ私の就活は事前に下調べしてなかったおかげで、大事な初日を無駄にしちゃったんですよ。
Y:といいますと。
小田嶋:当時は、「指定校制度」というのがまだ残っていて。
Y:ああ、うちは東大しか採らないよ、みたいな。でも小田嶋さんの大学(早稲田大学)ならどこでもOKじゃないんですか。
小田嶋:いや、大学だけじゃなくて学部にも指定があったんですよ。だから早稲田でも文学部とか教育学部とかいうのはダメ、うちは法学部、経済学部しか採らない、という。銀行、商社だと文学部、教育学部あたりはお断りだと。そんなところに、「俺は早稲田の教育でーす」なんて行くと、あ、悪いんだけどうちの対象の学部に入ってないですよと言われて、「え?」と。結局10月1日は全部無駄足になりました。
Y:しかし、小田嶋さん、銀行や商社受けたんですか?
小田嶋:そういうわけでもないんですが、当時は、私だけじゃなくてみんな当時そうでしたけど、あんまり業種とか会社の規模とかということが分からなかったわけ。だから、とにかく有名企業に。
Y:知っているところに行こうと。
小田嶋:あとは「お堀が見えるところがいいな」みたいな。
Y:なんだか腹が立ってきました。準備していない割にめちゃくちゃ望みが高いじゃないですか。
▽就活で落とされたことがない?
・小田嶋:そうなんですよ。「会社の窓からお堀が見えると何かちょっとかっこいいじゃん」というようなミーハー心理からそう言っているだけですけど、でも、お堀の見える企業ってみんな一流企業だということがいまいち分かってなかった。 それで、1日目に大手町周辺は全部だめだということが分かって、失意のうちに帰ってきて、今後はちゃんと調べて、門前払いは喰わないところを受けようと。それで、1段外側のお堀でもいいやということに。
Y:それって江戸城の内堀から外堀ってことですか? 外堀通り沿いの会社に。
小田嶋:そうそう。内堀通りは諦めて外堀に。
Y:なんでそうお堀に拘るのか分かりません(笑)。
小田嶋:外堀に行くと、教育学部を受け入れてくれる企業があって、それで回ったのが食品のA社とB社と、あとぜんぜん違う業界大手のC社。その3つを回ったんですよ。
Y:回ったとおっしゃいますが、全部歩いて回れるじゃないですか。今の学生さんが聞いたら涙を流しそうなほどお手軽な就活ですね。で、ファンの方はご存じの通り、最終的にA社に行かれるわけですが、B社とC社はどうなったんでしょう。
小田嶋:その3つを受けて、B社は順調に重役面接まで行って、だけど「うちは北海道に行ってもらうよ」という話を聞いて、「じゃあ、やめた」と途中で撤退して。
Y:なるほど。リタイアしちゃった。C社はどうですか。
小田嶋:内定が出ましたよ。
Y:すごい。
小田嶋:C社とA社が内定したから、俺は落ちてないんです、よく考えてみれば。
Y:すごいですね。どちらも今なお人気企業だし。え? ということはもしかして、2日目で行ったところでほぼ終わりですか。就活は。
小田嶋:そうそう、終わりです。だからわりと簡単だったんですね。
Y:うわー。私も今の就活生の方に比べれば全然苦労はしていませんが、これはむかつく。でも、どうしてA社にされたんですか。
小田嶋:今でも覚えているんですけれど、就活で知り合った面白い男がいて、当人の言葉を信じれば、成績はひどいものだけれど、やってもいない運動系サークルの部長をしていました、みたいなホラ話で面接を通っているようなヤツ。いい度胸しているなと思っていたら、そいつもA社とC社に通ったんですよ。
Y:なんと。
小田嶋:彼から「2つ受かったけどどうする」と電話がかかってきて、うーん、俺はまだどっちか考えてないんだけどなと言ったら、「そういうときはね、学部の名簿を見て先輩に電話するんだよ」と。
Y:なるほど。実践的ですね。
▽先輩に電話して、C社を切る
小田嶋:そういう知恵を付けられたんですよ。ああ、それはいい考えだと教育学部の名簿を繰って、まずC社の先輩に3人ぐらい電話してみたら、3人が3人とも「うちは来ない方がいいよ」と。
Y:へえ。なぜでしょう。
小田嶋:「うちはすごく厳しいよ。20代のころはめったに午後11時前には帰れないよ。来るなら来るで覚悟を決めてから来た方がいい」みたいな言い方をされたんですよ。俺は、C社がそんな厳しい会社だと思ってなかったから。
Y:それでA社に。ちなみにその知恵を授けてくれた方は?
小田嶋:俺が「A社にするよ」と言ったら「じゃあ、お前がそっちに行くんなら俺はC社に行ってみるよ」と言って、それ以来連絡がない。どうしているのやらと思っているんですけどね。会えたら面白いなと思っているんですけど。
Y:しかしあれですか、最初のころに「人生の諸問題」で、面接の台本を岡さんとやりとりしたみたいな話をしたじゃないですか。それってもしかして効いたんですか。
小田嶋:そうそう、それは効いたの。すごく芝居がかった面接をやっていたんですよ。自分は優が3つだったかな、そのくらいしかなかったんですけど。
Y:それは少ないんですか。
小田嶋:少ない。すごく少ないです。20あればまあ優秀、15とかでも普通ぐらい。1けたというのはいくら何でもまずいでしょうという感じなんですよ。それで、自分は優が3つしかないけど、「優」という字はにんべんに「憂い」と書くと。要するに憂うつな学生生活を送ったものが取るものだと。自分は楽しい学校生活を送ってきたんだから、優が取れないのは仕方ない。でも実際社会に出てみたら学生生活を楽しんだ者の方が、会社員としては間違いなく使えるはずだ、という主張をしました。
Y:そこに何の証拠があるんですか。
小田嶋:何の証拠もないけど。
Y:面接官には受けたわけですね。
小田嶋:受けたんですよ。
Y:すごいというか、何というか。
▽情報が公開されないほうが精神的には楽かも
小田嶋:ひとつには、当時はまだ『面接の達人』みたいな、技術やパターンで切り抜けるガイド本やウェブサイトがなかったから。
Y:就活に明確な方法論がなかった。となると、「人生の大勝負にリスクは侵せない。マニュアルに頼ろう」ではなく、「どうやってこの苦境を頓知で抜けるか」みたいな発想が生まれる余地があったのかもしれませんね。
小田嶋:そう。どうやって受けるネタをやるのかというのが、特に成績の悪い人たちには「俺たちにとっての就活は、受けを取って一点突破することだ」という感じがあったんですよ。
Y:「サッポロビールの面接は、何を聞かれても黙りこくれ」とかそういうやつですね。
小田嶋:そうそう。最後に「男は黙ってサッポロビール」と言ったとか言わないとか、当時は、ああいう都市伝説が流れていたくらいだから。
Y:今なら、あっという間にフェイクニュース扱いされそうな。
小田嶋:どの会社でどういう面接があってこうこうです、という情報が全然なかった時代だから、会社も学生も結構適当にやっていたんですよ。息子の就活を見ていて思ったのは、お互い手のうちを全部明かしてやっちゃっていることの不幸さですね。だって、受ける側も50社とか受けちゃったりするでしょう。
Y:受けるというか、エントリーシートは全然出せる。
小田嶋:例えば恋人選びするときに、3人の中から選ぶとすごく狭いようだけど、じゃあ、50人の中から選べば、いい子を選べるのかという問題なわけですよ。選べるかもしれない。だけど、相思相愛になれたとして、下手すると49回失恋しなきゃいけない話になるでしょう。
Y:まあ、そうですね。
小田嶋:数を出せるから、落ちる会社も多くなる。じゃあなぜそんなに落ちなきゃいけないかというと、どこの企業も欲しがるような学生が50社も受けちゃうからですよね。我々の時代みたいに10月1日に解禁で、実際に面接を受ける人以外は履歴書を出さないというふうになっていれば、どんなに頑張ったって10月の第1週までに7つか8つですよ。そうなれば一番最優秀の生徒でも7つしか内定を取れないわけですよ。
Y:なるほど。無駄な競争が起こらない。
▽でも、あっという間に辞めました
小田嶋:そうそう。それで、企業の側も10月1日に来た子は自分のところを第1志望にしたんだと分かるから、だからある程度優遇するけど、10月2日とか3日に来たら、絶対、第一志望じゃないことは分かるから、「うちに何か用ですか」と。
Y:あはは。あれ、じゃ小田嶋さんも言われたでしょう。
小田嶋:そこで「実は指定学部制度を知らないでむなしく帰ってきました」と言って、ちょっと受けを取りました。
Y:ははあ。「情報があれば幸せかというと、そうでもないんじゃない?」みたいな話なんですかね。
小田嶋:そう。振られる子と、すごくモテて50人振る子とがいるわけだけど、でも、50人振ってうれしいのか。そういうわけでもないでしょう。会社だって、落とす人を増やしていいことがあるわけじゃない。
Y:一方でむやみに落とされたり、振られたりすると、自己否定に陥る危険はありますね。就職も恋愛もつまるところ相性ですから、落ちたり振られたりしても本来気に病むことじゃないんですけれど、数が重なるとダメージになりそう。
小田嶋:だから「出会いの数が多いほどいいんだ」という問題ではない。志望の会社に入れたら幸せか、というともちろんそれも違う。そもそも俺、そうして入った会社をあっという間に辞めてしまうわけですから。
Y:そう、問題は入社した後ですよね。そして小田嶋さんはお酒との付き合いに深く沈み込んでいくわけですが……。(後編に続きます)
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/15/284031/032600028/?P=1

次に、後編を3月30日付け日経ビジネスオンライン「あの人の酒席に付き合うかどうかの判断基準 元アル中と下戸が語る、酒と依存とお仕事と【後】」を紹介しよう(▽は小見出し、Yは聞き手)。
Y:『上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白』を読んで、下戸の私に面白かったというか、興味深かったのが、「アルコールは本来たいして面白くもない人間関係を演劇化する」という指摘なんです(P.116)。
小田嶋:Yさんは飲まないんでしたっけ。
Y:それなりに好きですが、量は全然いけません。そして、自分ひとりでバーに行く人の気持ちがよく分からなかったりします。
小田嶋:ああ、居ますね。
Y:お酒を飲むためにわざわざああいう空間が用意されているのはなぜなのか。そもそも独り酒というのがすごく苦手で、自意識が過剰なんでしょうけど、身の置きどころがなくなっちゃうんですね。しかもお酒に強くもないから、薄くなった水割りをいつまでも舐めているという。で「バーに行く人って何が楽しいんでしょう?」と。
小田嶋:バーに独りで行って独りで飲む人間というのは、ひとつ考えられるのはアルコールを摂取している人間ですよね。ガソリンを入れるみたいな。
Y:ええ、でも、だったら部屋で飲んでいても同じなわけですよね。わざわざバーで飲むというのは、もしかしたら「独り、お酒を飲んでいる自分」を演じるという、演劇的な楽しみがあるのかな? と、これを読んで思ったわけです。
小田嶋:外から見たら別にかっこよくもないけど(笑)。アルコール依存症ではないとしたら、酒を自宅ではなく、外で飲む意味って、カウンターの内側に居る人、見知らぬお客さんも含めて、やっぱり他人との関係の中にあるんですよ。
Y:何らかの関係性、コミュニティーと、お酒は切り離せない。
小田嶋:ええ。だから、酒を含んだコミュニティーに依存している人たちというのは、コミュニティー依存でもあるわけですよ。だけど、酒そのものに対して依存している人間は、独りであれ5人であれ10人であれ、あるいは旅行中であれ勤務中であれ、酒がないといけないという人たちです。 アルコールそのものへの依存ではない大半の人は、独りで飲んでいるようで、マスターとの会話とか、他の人のやりとりが目当てだったりすると思うんだけどね。例えば「酔ったから言いますけど」とか、普段とは違う“酔っ払った自分”というキャラを作ることができるじゃないですか。そうすると、バカバカしい会話でも平気で入っていけたりする。仕事上の言いにくい話もできたりする。
Y:うーん。自分は酒が弱いんで、酔うこと自体を警戒するから、「酔っ払ったから言いますけれど」という便利なキャラになれないんですよね。仕事の飲みは、小田嶋さんはこなしていたほうですか。
▽「飲めないと仕事にならない」
小田嶋:1985年くらいかな、会社を辞めて、TBSラジオのアルバイトをしながらライター仕事もやって、「放送作家になろうか、どうしようか」、と思っていたころは、TBSの人とやたらとタダ酒を飲みまくって、お酒を覚えたという部分はあるといえばあります。
Y:なるほど。バブル前夜の1980年代。
小田嶋:そう。放送局周辺なんて打ち合わせと言っちゃえば伝票が切れちゃうわけだから、してみると放送作家との打ち合わせというのは、ディレクターにとっては一番飲む材料になるわけで、だから私はよく何だかんだと彼らと飲み歩いていたわけですよ。 でもそのころの酒はまだまだ楽しい酒ではあったんですけどね。いよいよやばくなったのは独りで飲むようになってからの話なんだけど、でも飲む機会があれば必ず逃さず飲むというふうになっていったのは、そのタダ酒の機会と、しかもそのタダ酒が仕事につながっていたわけですよ。
Y:はー。
小田嶋:今の出版界はそうでもないけど、昔は「編集者は飲めないと仕事にならないよ」と言われていた時代があったでしょう。編集者もそうだし、放送作家、ディレクター周辺も、仕事というとだいたい飲みに行って、そこでやんややんややっているうちに話がまとまって、よし、それじゃこの線で行きましょう、えっと、どの線だったっけみたいなやつですよ(笑)。
Y:ああ。でも、そういう場がないとコミュニケーションが取れない時代でもありましたね。
小田嶋:そう。当時は携帯もメールもなかったから、編集者と書き手というのは、大作家じゃなくても、単なるパシリのライターみたいな俺でも、「とにかく会って密に話をする」という習慣だったんですよ。原稿を渡す、渡さないもそうだし、直す、直さないとかタイトルをどうしようかとかということをいちいちやっていたんですよ。それぐらい仕事を、まあ、つまらない手間をかけてやっていたわけですよ。
小田嶋:ある意味、悪く言えば生産性がすごく低かったんだけど、よい面を言えば、みんなが顔を合わせて知恵を出し合って作っていた感覚はすごく強いんですよ。雑誌にしても番組にしても。
Y:ありました。
小田嶋:「こんな面白い特集企画どこから出てきたんですか」「ええっと、誰だっけ」という。ワイワイ飲んでいるときに、じゃあ、これで行こうよ、それ最高! なんていって決まるみたいなのが、あるといえばあったんですよね。特にサブカルってそういうものだったんですよ。集団的な宴会芸の延長で雑誌が、番組ができている、みたいな感じだったんですよね。
Y:あったかもしれません。
小田嶋:だからサブカル周辺のライターというのは、大酒飲みである必要はないけど、座持ちというのか、そういうところに顔を出せる人間である必要というのはちょっとあって、やっぱり仕事と不可分ではあったんですよ。この本の中であんまり仕事と不可分だったというところの話はしてないけど。酒が深まっていく過程の中には、「仕事」は間違いなくあった、ということです。
Y:仕事全般にまで敷延できるかどうか分かりませんけれども、でもそれこそ普通の会社だって「終わったら飲みに行く」というのは私が入ったころって普通にあった。でも、これまたいつの間にか誰も飲みに行かなくなった。
小田嶋:飲みニケーションという言葉は今の若い人たちはすごく嫌うし、俺も好きな言葉じゃない。とはいえ、それって仕事の前提だったでしょう。
Y:そうなんです。前提だったんですよ。飲み会に出なかったので「あいつ人嫌いだ」くらいに言われましたからね。お茶なら喜んで付き合うのに。
小田嶋:ね。だから好きとか嫌いとかいうんじゃなくて、前提だったわけですよ。 言い換えると、「飲みニケーション」という“のりしろ”がないと、会社組織というのは回らない、という前提があった。個々の人間の個々の能力というのは、それは勝手に発揮してくれればいいけど、その間のすき間を埋めるものは酒でしょうというのがあったわけですよ。
Y:先ほどの「酒の力で」「酒の場だから」というか、サブチャンネルみたいな。
小田嶋:そう。潤滑油がないと回らないでしょうとみんな思い込んでいたんですよ。
Y:実際、仕事の仕組みが大きく変わっていないなら、酒に限らずサブチャンネルは今でも必要なのかもしれませんが……。
小田嶋:私なんかは不幸にも仕事より酒が中心になっちゃったんだけど、同世代で「今の若いやつは酒に誘っても飲みに来ない」ということを嘆くヤツはすごく多い。
▽奢られると思うと、よけい行きたくなくなる?!
小田嶋:彼らは説教しようとか、やり込めてやろうと思っているんじゃなくて、善意でもって「若い部下に言いたいことを言わせてやろう」と、しかも自分の金で奢ってやろうと。どんなやつか知るには飲むのが一番だから、とか思って誘っているのに、「せっかくですけど」と言われるので、俺のこと嫌っているのかと思って傷つく、という。
Y:それってどっちも分かるな。
小田嶋:うん。やっぱりそれは、ある時代からは、「年の離れた男同士が飲むことに、何の意味があるんですか」という問いが発生しているわけですよ。
Y:改めて聞かれると、すごくまっとうな疑問ですね。
小田嶋:まっとうな質問です。だって、突き詰めれば意味ないでしょう。それで、若い人は「しょうがない、行かないでもない。だけど、奢られて借りをつくるのも嫌だし」みたいな気持ちになって。
Y:あー、若手は「貸し借り」って結構気にしますよね。
小田嶋:そうですね。奢られるのがうれしいかというと、借りになるわけだからあまり嬉しくないという。 それで、この話をどう落とすかというと、昔は会社員の間で「奢る、奢られる」「面倒を見る、見られる」という関係が先輩と後輩の間にあったわけですよ。俺はお前の先輩なんだから俺が金を出す。それは実は、行ってこいのパターナリズムを持っていて、「俺の言うことが聞けないのか」という部分もあり、あるいは「男というものの本当の生き方を教えてやる」みたいな部分も、いかに善意とは言えやはり含んでいないわけではない。
Y:逃げ場や、断りようがない形での関係性を強要された、と感じるわけですね。ああ、だから飲み会が嫌だったんだな。
小田嶋:飲みニケーションが崩壊したというのは、その関係性を強要されるメリットが弱くなったことでもある。「会社は特に俺たちを大事に思っていないらしいぞ、だったら先輩と無理に付き合う必要もない」という意識の変化が効いているんですよね。
Y:集団に帰属しても見返りが小さそうだ、と。だったら奢られるよりも、割り勘で借りを作らないほうがいい。
小田嶋:そうそう。飲むということが等価交換、割り勘で飲む世界になった瞬間に、「あんなおっさんと一緒に飲んでもしょうがないじゃん」と。そして、割り勘で飲む以上つまらない説教は聞きません、と。
▽割り勘でも飲みたい相手と行けばよい
Y:要するにそういうことですか。
小田嶋:そういうことですよ。最初に言ったけど、酒ってやっぱり人間と人間をつなぐ紐帯みたいな部分を持っている。だけど、それは等価交換の人間関係じゃないんですよ。やっぱりどこか上下関係だったり主従関係だったり、何かを含んでいる。
Y:「飲め」と言われたら飲まないわけには...みたいな感じの。
小田嶋:そう。「俺の酒が飲めないのか」というあの言い方に現れている。
Y:そうそう。あれが嫌で仕事相手と酒飲みに行きたくなくなった。強制されるのも嫌だし、酒ごときをさらっとこなせない自分も嫌になるし。
小田嶋:若手が飲みに行かないというのは、「俺の酒が飲めないのか」という言葉が出そうな雰囲気が、誘っている方、あるいはその会社の中にあるのを感じるからじゃないかと思いますね。「酒が取り持つ主従関係」みたいな。
Y:それを醸し出さない相手となら、もしかしたら若手も飲みに行きたいかもしれませんね。割り勘で(笑)。誘いたい方、行ったものかどうか迷っている若手の方、この辺が判断基準になるかと。 とはいえ、ストレスやらなにやら、自分を不機嫌にする材料は残念ながら生きていれば事欠かないわけで、そういう辛さから自分を救うものが、依存だったり、嗜癖だったりする、とも小田嶋さんは『上を向いてアルコール』で書いています。「大きな枠組みから言えば、われわれは結局のところなにかに依存していて、その依存先を都合次第で乗り換えているということですよ」(P141)「つまりまあ、わがままに生まれついてしまった人間は、他人から見れば好き放題に言いたいことを言っていてえらく気楽に見えるのかもしれませんが、本人としては、自分を機嫌良く保っておくそれだけのことにいつも苦労している。」(P144)
Y:だから我々は、酒やらなにやらの依存先を、小田嶋さんの言い方に依れば「詐術の1つ」として求める。でないとやっていられない。
小田嶋:そうです。本にも最後に書きましたけれど、皆さん、アル中の気持ちを体験してみたいなら、画面が割れたとか電池が寿命だとかで、3日間スマホなしの生活をしてみればいいわけです。ほとんどの人が禁断症状に襲われるはずで、これとすごく近い。
Y:あ、いま自分自身すごく腑に落ちました。不安や、つらいことがあったり、あまりモチベーションが上がらない仕事をやっているときに、気づくとふっとスマホを出して、Twitterとか見ているんですよね。それで、何か特別面白い話を読んだわけでもないのに、その後って何となく落ち着いているんです。確かに、アルコールがもたらす作用と似ているかもしれない。
小田嶋:そういうのはスマホだけに限りません。「テトリス」みたいなものへの依存ってあるじゃないですか。
Y:聞いたことがありますね。
▽ソリティア、マインスイーパ-ならできる理由
小田嶋:どなたかが書いていてなるほどと納得したんですが、「自分がうつになったときに『テトリス』だけはできた」というんですよ。生産的なことは仕事も家事も何もできなくなっていたときに、「テトリス」だけできたと。自分も原稿がどうしてもやりたくないときに、何もしないのかというと、「ソリティア」か何かやっているんですよ。
Y:「マインスイーパー」をずっとやっているという人の話も読んだ記憶があります。
小田嶋:そうそう。同じです。あれはまったくの無じゃなくて、何か頭の一部だけを使っている。あれはじきに依存を形成するんだけど、やっているときに、心の中に平安が訪れている。酒も、あるタイプの飲み方をしている人たちは、取りあえず酒が入っていると、それが素晴らしくいい気持ちだ、とかいうんじゃなくて、平安なんです。「ソリティア」や「マインスイーパ」を2時間でも3時間でもやっている人は、それに似た状況に入っているんじゃないですかね。別に、クリアしたり高得点を取りたいからじゃないと思う。で、スマホがこうした単純なゲームと似ているのは、「これこれの情報がぜひ欲しい」から触るわけじゃなくて、自分の頭で何か考えなきゃいけないことがつらい、面倒くさいからなんじゃないかと思うんですよ。
Y:そうか。やりたくない仕事、解決できそうもない不安に対して、直面して考えるのが嫌だから、自分のプロセッサーの処理能力をそっちに食わせちゃえ、みたいな。
小田嶋:そう。それ。プロセッサーの処理能力という言い方はいいと思いますよ。
Y:納得しました。つまりそっちに処理能力を取らせてしまえば、心配事が消えたわけじゃないけど、心への負荷が一時的に和らぐんだ。
小田嶋:そう、取りあえずね。例えば、失恋したばっかりのときに、ふっと暇になるとそのことを考えちゃう。それが嫌だからやたら仕事に励むとか、そんな感じ。
Y:うわ、分かる。しかも、スマホってものすごく安楽だしどこでも使えるし。「あなたが辛くなったときには、自動的に目を通して沈静用の薬液が供給されます」みたいな感じですね。こわ。
小田嶋:それで5秒とか10秒の時間をつぶしてくれるでしょう。
Y:確かに。
小田嶋:ちゃんとした時間じゃなくて。その電車の中の移動の7分とかそういう時間をちょっと見ていられるという、あの感じというのはすごく依存に近い。
▽依存は特殊なことではない、と、スマホで思う
Y:そこで「じゃ、スマホ依存って悪いことなのか」という疑問も出ると思いますが。
小田嶋:それは必ず悪いということでもないし、酒ほどは間違いなく悪いものじゃないです。酒をやめるときだって、要するに「無難な依存先に乗り換えようよ」ということではあるわけですよ。依存というものを人間の生活の中から外そう、ということじゃなくて。
Y:そうですね。全ての不安や不快をなくすことは無理なんですから。
小田嶋:無難な依存に乗り換えようよというところの中に、ランニング依存だとか、サッカー依存だとか、鉄道依存とかタカラヅカ依存だとかがある。なんならちょこちょこ依存先を変えていきましょうということです。「ネット断捨離」ってのも、もしかしたら時々やってもいいかもしれませんが、自分が言いたいのは、依存というのが特殊なことだと思っている人が多いけど、実はみんながしているんですよ、という話です。
小田嶋:スマホ依存がアルコール依存と同じようにやばいとは全然思わないけど、依存というのは人間が生きていく限り必ずあるものだから、なるべく無難なものに依存しましょうね、ぐらいな問題で、依存している人は変な人だとか、依存しているからあの人はだめだ、というのはちょっと違う。
Y:なるほど。しかしスマホ中毒の弊害ってなにがありますかね。
▽スマホ中毒は、考える時間の消滅を呼ぶ
小田嶋:ひとつは、周りのスマホ中毒していない人にとっては実に腹立たしく見えるらしいこと。これはマナーもあるけれど、たとえば、スマホを見られない立場、たとえばドライバーにとって、歩行者や自転車に乗っている人が、スマホに夢中になっている状況を考えれば分かりますよね。運転している側からしたらめっちゃめちゃ危ない。だけど本人は気づいてもいない。
Y:ああ、うちの奥様が反スマホ派でした。「PTAのLINEグループに入れない」とぶつぶつ言いながら、いまだにガラケーです。私がリビングでスマホに触ると不機嫌で、食事中は絶対禁止。
小田嶋:時間の使い方がだらしなく見える……らしい。私は妻と、たまに外食でいい店に行ったときに、スマホを使っていたら怒られた、というか呆れられた。こんなにおいしいものを食べていながら、そんなにスマホが楽しいの、と。 もうひとつは、時間の使い方がものすごくヘタになる。スマホを見てる時間って、モノをまったく考えていないですから。
Y:え、そうでしょうか?
小田嶋:自分は能動的に情報を探している、インプットしている、と思うかもしれませんけど、外から取り込んでいるときは、自分の思考は動いてません。プロセッサーの処理能力をダウンロードに喰われているだけですよ。だから、原稿を書くときはネット検索は出来る限りしない。
Y:なるほど……。お酒をやめられた小田嶋さんは、スマホもやめられるんでしょうかね。
小田嶋:それは分かりませんが、そういえば酒をやめるというのはどういうことなのかというのは、すごく説明しにくいんですよ。 というのは、たばこをやめた人間はすごく多いから、何となく見当は付くと思うんだけど、最初の2週間とか3週間は手持ちぶさたでかなわないということと、たばこへの渇望があるわけです。でも、やめて半年もすれば、もう自由になれるんですよ。なんであんなに吸いたかったのか、と。 酒についてもそれと同じ、と思っている人たちがいるんですけど、全然違う。
Y:どっちもやらないので分かりませんが、どう違うんでしょう。
▽断酒は失恋に似ている、かもしれない
小田嶋:どっちもやっていてどっちもやめた人間の、個人的な見解ですが、渇望感だったり肉体的な依存みたいなものは、もしかしたらたばこの方が強いんですよ。酒ってそんなに……もちろん(断酒して)最初の2~3週間というのは結構ひどいもので、禁断症状というのもあるんだけど、でももっとでっかいのは、精神的依存、のみならず、文化的依存みたいなやつなんです。
Y:文化? はて?
小田嶋:うん。これ、うまく説明できないなと思っていたんだけど、この間い思いついたのは、「失恋に似ている」ということです。
Y:失恋ですか。
小田嶋:そう。失恋と言ってもいろいろなケースがありますが、たとえば5年付き合っていた女の人と別れると。大好きだから別れるわけじゃなくて、嫌いだから別れるということもあるでしょう。
Y:まあ、あるでしょうね。
小田嶋:嫌われる場合もあるし、嫌う場合もあるし。でも多くの場合、双方がもうお互い嫌になっちゃったということがあって別れるわけじゃないですか。でも5年付き合っていたということは、まあ、普通の事じゃないわけです。せいせいする一方で、「ああいうところに行くときには、いつも一緒に彼女がいた」という実感が、自分の生活、人生の、ほぼあらゆる瞬間にある。
Y:長い時間を共有していたわけですから……。
小田嶋:そうそう。その共有を全部どけたということは。
Y:そういった経験はもうできなくなるわけだ。
小田嶋:そう。音楽でも飯を食うのでも、あるいはテレビを見るのでも、今まで傍らにいた人間がいない、その味気のなさというのか、慣れなさというのがあるわけです。まして、話し合いの上で別れたのならともかく、大好きだったのに振られた場合というのは、これはとてもじゃないわけですよ。自分の心はまだ彼女のもとにあるのに、自分はたった独りであると。 これは非常に耐えがたいことです。嫌いでさえ結構耐えがたいんだから、もし好きだったらこれはとてもじゃないです。どっちにしても、振られたにしても振ったにしても決裂したにしても、どっちみちこの3つのうちですけど、やっぱり一定期間は日常に戻るのにそこそこ苦労するわけですよ。
Y:かつての恋人と聴いていた音楽とか行っていた店とか、そういうところに引っ掛かっている。そこが酒と似ていると。
小田嶋:そうそう。たとえば「酒なしで旅行に行くのってどうよ」とかそういうことで、大丈夫は大丈夫なんだけど、ふっとあるとき手持ちぶさたになったときに、あ、こういうときにあいつがいないというのは、結構深刻な空しさがあるな、と。どうしようかな、俺はいったい何をしたらいいんだろうと思ってしまうんですよ。 これが相手が女性だと電話しちゃうじゃないですか。でも電話でもしたら相手が「冗談じゃない」と言って会ってくれないかもしれない。やっぱりやめておこう。そうやって何とか日常に復帰しながら、彼女を……。
Y:忘れていくわけですね。
小田嶋:そうそう。一方で、電話したら「分かった」と言って復縁できちゃったら、これは別れられないですよ。「もう同じ人と5回ぐらい別れたんだけど、やっと本当に別れた」というのもよくあるじゃないですか。別れ話をして2週間会わなかったけど、やっぱりどちらからともなく連絡して、また3カ月、だらだらけんかしながら付き合ってとか。
▽人間だって、分かれるのは難しい
Y:そうですね。なるほど。で、酒は、電話するどころかコンビニで24時間買えるわけで。
小田嶋:そう。酒と分かれるのが難しいのは、その気になればいつでも手に入っちゃうということで、そんな200円かそこらでいつでも手に入るものから手を切るということの難しさというのは、これはなかなかね。
Y:たばこはそういうふうにはならないんですか。
小田嶋:たばこというのは依存物質だけど、たばこと共にあった経験というのが自分の人生を形づくっているわけじゃないんですよ。
Y:そうなんだ。
小田嶋:たばこを吸いながら見た映画は素晴らしかったけど、なしで見る映画はくだらん、とかそういう話じゃないんですよ。でも酒は、飲みながら見た映画とか、飲みながら見た野球とか、あるいは酒とともにあった景色とか、旅行に行って行きの電車の中でゆっくり飲みながら窓の景色を見るのって最高だよね、みたいなことがある。だから、酒なしで景色を見ていると、このしらじらしさは何だ、という。
Y:酒がないと「しらじらしい」という感じがする場所って、なるほどあるのかもしれません。  小田嶋:そうそう。それをレイモンド・チャンドラーは「色が薄くなったような」と表現したんですけど。世界から色が消えたような感じというのが、酒をやめるとずっとあるんですよ。
Y:失恋、というのは思いも付きませんでした。やっぱり、ある程度でもお酒に依存してみないと分からない感覚なのかな。
小田嶋:ルー・リードという人の歌の中に「ヘロイン」という歌があって、「Heroin, it's my wife and my life」と言っていますよね。だからヘロインは我が人生、我が妻と言っていますけど、ジャンキーからするとそういうことなんです。
Y:恋人、というのも考えてみれば、相互依存みたいなものかもしれませんけれど。
▽今も気がつくと思い出している……
小田嶋:ないと死ぬ、というほど必要じゃないけど、ないと人生がすごく味気なくなるぐらいなものですよ。なきゃないで済むけど。だから5年付き合っていた恋人と別れて、3年、4年たてばもうあんまり思い出すこともなくなったなとなるかもしれないけど、3カ月とかあるいは2週間とかだと、気が付くと思い出しているみたいな。 酒も、「気がつくと思い出している」みたいな存在ではあるんですよ。酒そのものじゃなくて、酒にまつわるあらゆるもの。恋人も、恋人そのものじゃなくて、恋人とした経験だとか恋人と行った場所だとか、そういう経験とかいろいろな込み込みのものとして思い出す。
(Y:(表示もれ?)ああ、だとしたら離婚した人はこの気持ちが分かりやすいかもしれない。離婚も、嫌な思い出もあるだろうけれど、何年か一緒に暮らした以上、何か素敵な思い出や忘れられない出来事はあるはずで、いなくなってせいせいした部分はともかくとして、いなくなったことにより、自分の人生のかなり大きな部分が意味を失ったということはあるはすよね。依存から離れることというのは、もしかしたら離婚に似ているんでしょうかね。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/15/284031/032600029/?P=1

第一の記事で、 『でも若いころのやっぱり今日1日どうしようというのは、すごくどうしようもなかったので、あれは若いときの独特の感覚だと思うけど、時間が長いんですよ。例えば人と約束して「3カ月後ね」と言われると、子供のころは「そんな日は永遠にやって来ないんじゃないか」と。20代のころでも「え、3カ月後?」と、約束することに違和感があったんだけど、今は平気で半年後の約束とかしているじゃないですか』、という時間感覚の違いはたしかに実感する。 『「会社の窓からお堀が見えると何かちょっとかっこいいじゃん」というようなミーハー心理からそう言っているだけですけど』、と小田島氏でも当時はそう考えていたというのには驚いた。 『我々の時代みたいに10月1日に解禁で、実際に面接を受ける人以外は履歴書を出さないというふうになっていれば、どんなに頑張ったって10月の第1週までに7つか8つですよ。そうなれば一番最優秀の生徒でも7つしか内定を取れないわけですよ・・・無駄な競争が起こらない』、なるほど近年の就活が激烈になっている理由の一端が伺えたようだ。
第二の記事で、 『例えば「酔ったから言いますけど」とか、普段とは違う“酔っ払った自分”というキャラを作ることができるじゃないですか。そうすると、バカバカしい会話でも平気で入っていけたりする。仕事上の言いにくい話もできたりする』、『特にサブカルってそういうものだったんですよ。集団的な宴会芸の延長で雑誌が、番組ができている、みたいな感じだったんですよね』、 『飲みニケーションが崩壊したというのは、その関係性を強要されるメリットが弱くなったことでもある。「会社は特に俺たちを大事に思っていないらしいぞ、だったら先輩と無理に付き合う必要もない」という意識の変化が効いているんですよね』、『飲むということが等価交換、割り勘で飲む世界になった瞬間に、「あんなおっさんと一緒に飲んでもしょうがないじゃん」と。そして、割り勘で飲む以上つまらない説教は聞きません、と』、『やりたくない仕事、解決できそうもない不安に対して、直面して考えるのが嫌だから、自分のプロセッサーの処理能力をそっちに食わせちゃえ、みたいな・・・つまりそっちに処理能力を取らせてしまえば、心配事が消えたわけじゃないけど、心への負荷が一時的に和らぐんだ』、などの指摘は大いに興味深い。 『無難な依存に乗り換えようよというところの中に、ランニング依存だとか、サッカー依存だとか、鉄道依存とかタカラヅカ依存だとかがある。なんならちょこちょこ依存先を変えていきましょうということです。「ネット断捨離」ってのも、もしかしたら時々やってもいいかもしれませんが、自分が言いたいのは、依存というのが特殊なことだと思っている人が多いけど、実はみんながしているんですよ、という話です』、依存をここまで深く掘り下げるとはさすがだ。(スマホは)『自分は能動的に情報を探している、インプットしている、と思うかもしれませんけど、外から取り込んでいるときは、自分の思考は動いてません。プロセッサーの処理能力をダウンロードに喰われているだけですよ。だから、原稿を書くときはネット検索は出来る限りしない』、も言われてみればその通りだ。 『それをレイモンド・チャンドラーは「色が薄くなったような」と表現したんですけど。世界から色が消えたような感じというのが、酒をやめるとずっとあるんですよ』、幸い酒依存ではないので、分からないが、そんあ状態に陥らないためにも、酒依存には気を付けたい。
タグ:飲むということが等価交換、割り勘で飲む世界になった瞬間に、「あんなおっさんと一緒に飲んでもしょうがないじゃん」と。そして、割り勘で飲む以上つまらない説教は聞きません、と 特にサブカルってそういうものだったんですよ。集団的な宴会芸の延長で雑誌が、番組ができている、みたいな感じだったんですよね 無難な依存に乗り換えようよというところの中に、ランニング依存だとか、サッカー依存だとか、鉄道依存とかタカラヅカ依存だとかがある。なんならちょこちょこ依存先を変えていきましょうということです 「あの人の酒席に付き合うかどうかの判断基準 元アル中と下戸が語る、酒と依存とお仕事と【後】」 我々の時代みたいに10月1日に解禁で、実際に面接を受ける人以外は履歴書を出さないというふうになっていれば、どんなに頑張ったって10月の第1週までに7つか8つですよ。そうなれば一番最優秀の生徒でも7つしか内定を取れないわけですよ。 依存というのが特殊なことだと思っている人が多いけど、実はみんながしているんですよ、という話です やりたくない仕事、解決できそうもない不安に対して、直面して考えるのが嫌だから、自分のプロセッサーの処理能力をそっちに食わせちゃえ、みたいな 会社の窓からお堀が見えると何かちょっとかっこいいじゃん」というようなミーハー心理からそう言っているだけですけど 納得しました。つまりそっちに処理能力を取らせてしまえば、心配事が消えたわけじゃないけど、心への負荷が一時的に和らぐんだ 飲みニケーションが崩壊したというのは、その関係性を強要されるメリットが弱くなったことでもある。「会社は特に俺たちを大事に思っていないらしいぞ、だったら先輩と無理に付き合う必要もない」という意識の変化が効いているんですよね 自分は能動的に情報を探している、インプットしている、と思うかもしれませんけど、外から取り込んでいるときは、自分の思考は動いてません。プロセッサーの処理能力をダウンロードに喰われているだけですよ。だから、原稿を書くときはネット検索は出来る限りしない レイモンド・チャンドラーは「色が薄くなったような」と表現したんですけど。世界から色が消えたような感じというのが、酒をやめるとずっとあるんですよ 若いころのやっぱり今日1日どうしようというのは、すごくどうしようもなかったので、あれは若いときの独特の感覚だと思うけど、時間が長いんですよ。例えば人と約束して「3カ月後ね」と言われると、子供のころは「そんな日は永遠にやって来ないんじゃないか」と。20代のころでも「え、3カ月後?」と、約束することに違和感があったんだけど、今は平気で半年後の約束とかしているじゃないですか 上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白 小田島氏対談(元アル中と下戸が語る 酒と依存とお仕事と【前】、【後】) アルコール依存は、時間の潰し方のひとつ 日経ビジネスオンライン 「オダジマは就活で落とされたことがない 元アル中と下戸が語る、酒と依存とお仕事と【前】」
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。