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教育勅語(その4)(柴山文科大臣 「教育勅語」の活用など正気の沙汰ではない、前川喜平氏が憂慮する「安倍政権に蠢く野望」 戦前回帰の教育勅語がダメな理由を徹底解説) [国内政治]

教育勅語については、2017年5月12日に取上げた。久しぶりの今日は、(その4)(柴山文科大臣 「教育勅語」の活用など正気の沙汰ではない、前川喜平氏が憂慮する「安倍政権に蠢く野望」 戦前回帰の教育勅語がダメな理由を徹底解説)である。

先ずは、憲法学者で慶応大名誉教授の小林節氏が昨年10月6日付け日刊ゲンダイに寄稿した「柴山文科大臣 「教育勅語」の活用など正気の沙汰ではない」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/238900
・『柴山昌彦文科大臣が就任直後の記者会見で教育勅語の活用に論及した。いわく、「現代風に解釈されたりアレンジした形で使える部分は十分にあり、普遍性を持っている部分が見て取れる。同胞を大切にするとか国際的な協調を重んじるとかいった基本的な内容を現代的にアレンジして教えていこうという動きも検討に値する」。 しかし、原文に確認してみたが、「同胞を大切に」という趣旨は「親孝行、兄弟仲良く、夫婦仲良く、友人と信じ合い、他者に博愛の手を差し伸べ」から明らかであるが、「国際協調」はどこにも読み取れない。 ところで、「同胞を大切にする」ことは、確かに普遍的な価値で、誰も否定できない。しかし、それを教育に生かしたいならば、単に「同胞を大切にしなさい」と教えれば済む話で、教育勅語を持ち出す必要などない』、その通りだ。
・『改めて指摘しておくが、教育勅語の趣旨は、後半部分に明記された、「危急の時には、正義心から勇気を持って公に奉仕し、よって、永遠に続く皇室の運命を助けよ」と国民に命じている点である。 そもそも、「勅語」という法形式自体が、国の統治権を総攬していた天皇がその大権に基づき直接「臣民」に「下賜」する意思表示で、当時それが憲法の付属文書のような法的拘束力を持っていたことは歴史的事実である。そして、それが、第2次世界大戦の敗北に至った軍国主義を支えたことも史実である。 だからこそ、敗戦直後の昭和22(1947)年に教育勅語に代わる教育基本法が制定され、翌23(1948)年に両院が勅語の失効を確認する決議を行ったのである。 にもかかわらず、日本国憲法の下で教育勅語を「アレンジして」教育に用いよう……という発想はもとより論外であるが、あろうことか「文科大臣」が就任直後の記者会見で右記のような発言をしたとは、にわかには信じ難い。 念のため付言しておくが、憲法99条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官、その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と明記している。ちなみに、柴山大臣は弁護士である』、安倍政権の歴史修正主義的な動きが明確化してきたとすれば、危険極まりないものだ。

次に、元文部科学事務次官で現代教育行政研究会代表の前川 喜平氏が1月25日付け東洋経済オンラインに寄稿した「前川喜平氏が憂慮する「安倍政権に蠢く野望」 戦前回帰の教育勅語がダメな理由を徹底解説」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/260692
・『安倍晋三首相が政権復帰してから6年を迎えたが、文部科学省で事務次官を務めた前川喜平氏は安倍政権に蠢く教育勅語「再生」への野望を憂慮する。前川氏が全3回にわたって、なぜ教育勅語がダメなのか解説する。第1回のテーマは「教育勅語に込められた危険な思想」。 2018年10月に発足した安倍改造内閣の文部科学大臣に就任した柴山昌彦氏は、就任時の記者会見での質問に答えて、教育勅語には「普遍性を持っている部分」があり、「現代風に解釈」したり「アレンジ」したりすれば、「道徳に使うことのできる分野」があるという趣旨の発言をした。 「現代風」うんぬんは柴山氏オリジナルのレトリックだが、同様の発言はすでに2年半前に当時の下村博文文部科学大臣が行っていた。従来の文科省の姿勢を大きく変えるその発言は、2014年4月8日の参議院文教科学委員会の質疑の中で行われた。 国会の各委員会での質問は、通常前日の夜に役所の職員が質問議員のもとに出向き質問内容を聞き取るとともに、質問者の意向を踏まえて答弁者を大臣、副大臣、局長などと決める。その日の質問者であった自民党の和田政宗氏の質問の中に、教育勅語を学校の道徳教育の教材として使うべきではないか、という趣旨の質問があった』、柴山大臣だけでなく、下村元大臣も発言したとは、強いこだわりがあるようだ。
・『下村博文氏が行った重大な方針転換  答弁者は局長とされていた。当時、私がその局長(初等中等教育局長)だった。 局内で作成した答弁は、過去の答弁にならい、「教育勅語を学校の教材として用いることは適切でない」という趣旨の答弁だった。質問当日の早朝に、大臣への答弁の説明が行われる。その日も大臣室で、前夜のうちに作成した大臣答弁を各局長が大臣に説明した。 局長答弁は通常、大臣へは説明しないのだが、その日の下村大臣は、この教育勅語に関する局長答弁がどうなっているか見せろと言った。そこでその答弁を見せたところ、次のように書き換えるよう命じられたのである。 「教育勅語には今日でも通用する普遍的な内容が含まれており、その点に着目して学校の教材として活用することは差し支えない」 それは重大な方針転換であった。委員会での実際のやり取りは次のようなものだ。 和田議員「私は、教育勅語について、学校、教育現場で活用すればとても良い道徳教育になると思いますが、アメリカ占領下の昭和23年に国会で排除決議や失効確認決議がなされています。こうした決議は関係なく、副読本や学校現場で活用できると考えますが、その見解でよろしいでしょうか」 前川局長「教育勅語は、明治23年以来、およそ半世紀にわたってわが国の教育の基本理念とされてきたものでございますが、戦後の諸改革の中で教育勅語をわが国の教育の唯一の根本理念とする考え方を改めるとともに、これを神格化するような取り扱いをしないこととされ、これに代わって教育基本法が制定されたという経緯がございます。 このような経緯に照らせば、教育勅語をわが国の教育の唯一の根本理念であるとするような指導を行うことは不適切であるというふうに考えますが、教育勅語の中には今日でも通用するような内容も含まれておりまして、これらの点に着目して学校で活用するということは考えられるというふうに考えております」 下村大臣「教育勅語の中身そのものについては今日でも通用する普遍的なものがあるわけでございまして、この点に着目して学校で教材として使う、教育勅語そのものではなくて、その中身ですね、それは差し支えないことであるというふうに思います」 私は途中までは答弁資料のとおり答えていたのだが、「今日でも通用する」まで言ったところで、「それは違うだろう!」という心の声が聞こえた気がした。その強い違和感のため、私はそれに続く答弁を資料のとおりには読まなかった。 「今日でも通用するような」と意味をぼかし、「普遍的な」という言葉や「教材として」という言葉は出さず、最後は「活用することは差し支えない」と言い切らずに「活用するということは考えられるというふうに考えております」と、曖昧な言い方をした。 しかし、下村大臣はこの私の答弁では不十分だと考えたのであろう。私の答弁の後を追って自ら答弁に立ち、教育勅語の中身には「普遍的な」ものがあり、その中身を「教材として」使うことは「差し支えない」と答弁したのである。 さらに安倍政権は、2017年3月31日の閣議決定で「憲法や教育基本法等に反しないような形で教育に関する勅語を教材として用いることまでは否定されることではない」と表明した。 この閣議決定では、道徳の教材として使えるとも使えないとも言っていないが、このような反憲法的文書を道徳の教材として使うことは考えられない。仮に学校の教材として使うことがありうるとすれば、それは歴史を学ぶ際の史料としてだけだろう』、安倍政権が「教育に関する勅語を教材として用いることまでは否定されることではない」と閣議決定までしたのはうっかり忘れていたが、重大なことだ。
・『教育勅語というイデオロギー  教育勅語の復活をもくろんでいるのは柴山氏や下村氏だけではない。2018年3月8日、参議院予算委員会で教育勅語に対する考えを訊かれた稲田朋美防衛大臣(当時)はこう答弁をした。 「私は、今、教育勅語に対しての自分の考えは、その教育勅語の精神ですね、日本が道義国家を目指すという、その精神は今も取り戻すべきだというふうに考えております」 同年10月29日、衆議院本会議での稲田氏(自民党筆頭副幹事長)による代表質問では、日本の民主主義が聖徳太子の「和を以て貴しとなす」以来の「わが国古来の伝統」だとする珍説も開陳されたが、マイノリティ、社会の多様性、人権などに言及した際には、これらを「世界から尊敬される『道議大国』を目指すため」取り組むべき課題だと発言した。 「国民道徳協会」なる団体が作成した教育勅語の「口語文訳」によれば、勅語の冒頭部分「朕(ちん)惟(おも)フニ我カ(が)皇祖皇宗(こうそこうそう)國ヲ肇(はじ)ムルコト高遠ニ徳ヲ樹(た)ツルコト深厚ナリ」は、次のように訳されている。 「私は、私達の祖先が、遠い昔遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます」 皇祖とは、天皇の先祖のうち神代の時代の神々のこと。最初の皇祖は高天原(タカマガハラ)に住まう女神、天照大神(アマテラスオオミカミ)だ。その神が自分の孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を日本列島に降ろし、「この国は私の子孫が王となるべき国だ。孫のお前が行って治めよ。お前の子孫による統治が代々栄えることは、天と地(壌)に果て(窮)がないのと同じく永遠であろう」と命じた。これを「天孫降臨」と言い、その時の命令を「天壤無窮(てんじょうむきゅう)の神勅(しんちょく)」という。 皇宗とは、天皇の先祖のうち人間として皇位についたとされる人々のこと。最初の皇宗とされるのが神武天皇だ。彼は日向から大和へと攻め上り、橿原宮(カシハラノミヤ)で初代天皇として即位したとされる。歴史学上は実在の人物とはされていない。 その即位の日を、明治政府は日本書紀の記述をもとに計算し、西暦紀元前660年の2月11日だと特定した。考古学上は縄文時代に属する時期だ。この神武即位から年を数える数え方が「皇紀」だ。1940(昭和15)年には「皇紀2600年」が大々的に祝われ、「紀元二千六百年」という歌も作られた。 こうした遠い昔の天皇の祖先が、日本という「國ヲ肇ムル」(国を作った)だけでなく、日本人のための「徳ヲ樹」てた(道徳を樹立した)というのが、教育勅語の言い分なのである。道徳と共につくられた国だから「道義国家」というのだろう。その道徳の中心は忠と孝だ。 前述の冒頭部分は次のように続く。「我カ臣民克(よ)ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一(いつ)ニシテ世世(よよ)厥(そ)ノ美ヲ済(な)セルハ此レ我カ國體(こくたい)ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦(また)實(じつ)ニ此(ここ)ニ存ス」 「忠」とは国の中で天皇のために尽くすことであり、「孝」とは家の中で親のために尽くすことだ。臣民すなわち天皇に従う民は天皇の赤子(せきし:子ども)とみなされ、日本の国は天皇というビッグファーザーのもとに絆を結ぶ一つの大きな家族だとされる。 一方、一つひとつの家は国を構成する単位であるとされる。つまり、「国」は大きな「家」であり、「家」は小さな「国」なのだ。父親を「家長」とする「家」と天皇を「統治権の総覧者」とする「大日本帝国」とは、相似形になっている。それが日本という国の古今不変のあり方、すなわち「國體」だというのである。 そして、すべての臣民(しんみん:天皇に従う民)が「忠」と「孝」という道徳を代々受け継いできた、その美しさこそ「國體の精華」であり、教育の源もそこにあるのだという。このような国家観を「國體思想」という(「國體」は今日では通用しない観念なので、今日では通用しない漢字で表記する)』、中心をなす考え方が「忠」と「孝」というのでは、現在の憲法とは水と油だ。
・『教育勅語に込められた天皇への忠誠  そもそも教育勅語という文書は、明治天皇の侍講であった元田永孚と伊藤博文のもとで法制官僚として腕を振るった井上毅が中心になってつくられたものである。全国の神社を天皇制の下に統合した国家神道とあいまって、戦前戦中の日本人の精神を支配した「教義」だったと言ってもいい。 これは日本古来の伝統でも文化でもない。1890年につくられ、1945年には破綻したのだから、その有効期間は55年間だった。1947年に制定され、2006年に改正された教育基本法(旧法)のほうが有効期間は長かった。 1946年1月、昭和天皇は「人間宣言」を行い、同年11月に公布された日本国憲法は、天皇を日本国と日本国民統合の「象徴」とした。教育勅語の神話国家観は完全に否定されたのである。主権は天皇から国民に移り、教育勅語に代えて新憲法下の教育の理念を示す法律として1947年3月に教育基本法が制定された』、教育勅語は、「日本古来の伝統でも文化でもない。1890年につくられ、1945年には破綻したのだから、その有効期間は55年間だった。1947年に制定され、2006年に改正された教育基本法(旧法)のほうが有効期間は長かった」、これはもっと広くアピールすべき事実だ。
・『こうした経緯を受けて、1948年6月、衆議院は教育勅語を憲法に反する文書として排除することを決議し、参議院は教育基本法の制定により教育勅語が失効したことを確認する決議を行った。 教育勅語に列挙されている徳目は、天皇主権の国家と封建的な家制度を前提としたものであって、「父母ニ孝ニ」は家長である父親への服従を前提としたものであり、「兄弟(けいてい)ニ友(ゆう)ニ」は長男だけが家督相続者であることを前提とするものであり、「夫婦相和シ」は妻の夫への従属を前提とするものであり、「國憲ヲ重シ(おもんじ)」は天皇が定めた憲法に国民が従うことを前提としたものだ。いずれも日本国憲法の精神に反する道徳であり、今日でも通用する普遍性を持つものとは到底言えない。 徳目列挙の最後に出てくる「一旦緩急アレハ(ば)義勇公ニ奉シ(じ)以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘ(べ)シ」のくだりは、「戦争になったら忠義と勇気をもって天皇のために身を捧げ、永遠に続くべき皇室の命運をお支えしろ」という意味であり、個人の尊厳、国民主権、平和主義に基づく日本国憲法のもとでは、完全に否定されるべき内容である。この教育勅語を現代に再生させようとすることなど、正気の沙汰とは思えない愚かな考えである』、説得力に溢れた主張で、その通りだ。
・『教育勅語に込められた天皇への忠誠という倫理は、1945年の敗戦までの日本人の心を支配していた。敗戦のとき、それを信じていた自分の愚かさに気がついた人は多かったはずだ。特に子どもたちはそうだったろう。大人たちの中には、それに気づいた人と気づかないまま架空の倫理を戦後に持ち越した人がいた。 自分の愚かさに気がついた人物の典型として紹介したいのが、詩人で彫刻家だった高村光太郎だ。 光太郎は、亡き妻の智恵子を歌った詩集『智恵子抄』などで有名だが、戦時中は政府の戦争遂行に協力し、戦意高揚の詩を書いていた。空襲で家を失った光太郎は、宮沢賢治の弟清六を頼って岩手県花巻に移り住む。小さな小屋に独居した光太郎は、戦争に協力した自分の愚かさと向き合った。なぜ自分はこんな戦争に協力したのか。何が自分を駆り立てていたのか。 その中で彼は「典型」と題する詩を書いた。その書き出しはこうだ。「今日も愚直な雪がふり / 小屋はつんぼのやうに黙りこむ。 / 小屋にゐるのは一つの典型、 / 一つの愚劣の典型だ。 / 三代を貫く特殊国の / 特殊の倫理に鍛へられて、 / (略) / 端座粛服、 / まことをつくして唯一つの倫理に生きた / 降りやまぬ雪のやうに愚直な生きもの。」(原文ママ) 光太郎が言う「三代を貫く特殊国の特殊の倫理」こそ、教育勅語に込められた天皇絶対主義の道徳である。光太郎は祖父と父のことも詩に描いている。「ちよんまげ」という詩では、心ならずもちょんまげを切った「おぢいさん」がこう言う。 「文明開化のざんぎりになつてしまへと、 / 禁廷さまがおつしやるんだ。」「禁廷さまがおつしやるんだと聞いちやあ、 / おれもかぶとをぬいだ。 / 公方さまは番頭で、 / 禁廷さまは日本の総元締だ。」 禁廷さまとは天皇のこと、公方さまとは徳川将軍のことだ。 光太郎の父は彫刻家で東京美術学校の教授だった光雲である。今も皇居外苑に残る楠木正成の銅像は光雲とその弟子が制作したものだ。「楠公銅像」と題する詩はこう始まる。 「―まづ無事にすんだ。 / 父はさういつたきりだつた。」銅像の木型が見たいと明治天皇が望んだので、光雲らは大騒ぎで二重橋内に木型を組み立てた。天皇がこれを見に来たとき…「かぶとの鍬型の劔の楔が一本、 / 打ち忘れられてゐた為に / 風のふくたび劔がゆれる。 / もしそれが落ちたら切腹と / 父は決心してゐたとあとできいた。」 そして、この詩は次のように終わる。「父は命をささげてゐるのだ。 / 人知れず私はあとで涙を流した。」 光太郎は太平洋戦争が始まったときの自分を振り返って、「真珠湾の日」と題する詩も書いている。 「天皇あやふし。 / ただこの一語が / 私の一切を決定した。 / 子供の時のおぢいさんが、 / 父が母がそこに居た。」「私の耳は祖先の声でみたされ、 / 陛下が、陛下がと、 / あへぐ意識は眩(めくるめ)いた。」 光太郎はこのように「三代を貫く特殊国の特殊の倫理」に支配されていた自分が「愚劣の典型」だったと自覚したのである』、なるほど。
・『戦前回帰派は「悪性のウイルス」  しかし一方、光太郎のような覚醒を経ることなく、「特殊の倫理」を戦後に持ち越した人たちもいた。そういう人たちは、政治家にも経済人にも教育者にも宗教家にもいた。彼らは日本国憲法を「押し付け憲法」「マック憲法」(マックはマッカーサーのこと)などと蔑み、「日本人にふさわしい憲法」が必要だと叫び、個人の尊厳よりも国家や民族を上位の価値とする。 自由や権利よりも義務や責任を強調し、自己抑制や自己犠牲を美徳とし、一人ひとりの個性を伸ばすことよりも国・学校・郷土・家族などの「全体」に奉仕することを重視する。個人主義という言葉が嫌いで、滅私奉公という言葉が好きな人たちだ。端的に言えば「戦前回帰」を求める人たちである。 戦前回帰の動きは戦後の日本においてつねに存在していたが、言論の世界と学問の世界からそれをしっかりと批判し、排除する力が働いてきた。その力が近年明らかに弱まっている。 それに逆比例して戦前的価値観を持つ人たち、国家主義、自民族中心主義、歴史修正主義を身にまとった人たち、教育勅語に込められた國體思想を信奉する人たちが、その黒い姿を日本中のあちこちに現してきている。 その勢力は、日本会議、日本青年会議所、神社などを巣として増殖を続け、十分な免疫を持たない若い世代に「悪性のウイルス」が広がっている』、「戦前回帰派は「悪性のウイルス」」とは言い得て妙だが、日本がそれにどんどん侵されつつあるのは、本当に恐ろしい話だ。
前川氏の続編が楽しみである。
タグ:教育勅語 東洋経済オンライン 柴山昌彦 天孫降臨 小林節 稲田朋美防衛大臣 前川 喜平 (その4)(柴山文科大臣 「教育勅語」の活用など正気の沙汰ではない、前川喜平氏が憂慮する「安倍政権に蠢く野望」 戦前回帰の教育勅語がダメな理由を徹底解説) 刊ゲンダイ 「柴山文科大臣 「教育勅語」の活用など正気の沙汰ではない」 就任直後の記者会見で教育勅語の活用に論及 「現代風に解釈されたりアレンジした形で使える部分は十分にあり、普遍性を持っている部分が見て取れる。同胞を大切にするとか国際的な協調を重んじるとかいった基本的な内容を現代的にアレンジして教えていこうという動きも検討に値する」 教育勅語の趣旨は、後半部分に明記された、「危急の時には、正義心から勇気を持って公に奉仕し、よって、永遠に続く皇室の運命を助けよ」と国民に命じている点 憲法の付属文書のような法的拘束力を持っていた 「前川喜平氏が憂慮する「安倍政権に蠢く野望」 戦前回帰の教育勅語がダメな理由を徹底解説」 同様の発言はすでに2年半前に当時の下村博文文部科学大臣が行っていた 下村博文氏が行った重大な方針転換 安倍政権は、2017年3月31日の閣議決定で「憲法や教育基本法等に反しないような形で教育に関する勅語を教材として用いることまでは否定されることではない」と表明 教育勅語というイデオロギー 皇宗とは、天皇の先祖のうち人間として皇位についたとされる人々のこと。最初の皇宗とされるのが神武天皇 皇紀2600年 道徳の中心は忠と孝 「國體思想」 教育勅語に込められた天皇への忠誠 教育勅語に列挙されている徳目は、天皇主権の国家と封建的な家制度を前提としたもの 個人の尊厳、国民主権、平和主義に基づく日本国憲法のもとでは、完全に否定されるべき内容である。この教育勅語を現代に再生させようとすることなど、正気の沙汰とは思えない愚かな考えである 戦前回帰派は「悪性のウイルス」 「押し付け憲法」「マック憲法」 日本会議、日本青年会議所、神社
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