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ビジット・ジャパン(インバウンド)戦略(その10)(小田嶋氏:われわれの国は「安く」なった) [経済政策]

ビジット・ジャパン(インバウンド)戦略については、昨年6月10日に取上げた。久しぶりの今日は、(その10)(小田嶋氏:われわれの国は「安く」なった)である。

コラムニストの小田嶋 隆氏が3月22日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「われわれの国は「安く」なった」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00012/?P=1
・『4年ほど前、さる月刊誌の編集部から取材依頼の電話を受けた。 なんでも、次の発売号の特集で、「『ニッポン凄い』ブームの実態をさぐる」的な特集企画を予定しているということで、私に求められていた役割は、制作中の記事のうちの一本を読んで、感想のコメントを提供することだった。 記事は、電話を受けた時点では、まだ執筆途中だったのだが、ざっと以下のような内容だった。 「日本にやってくる外国人観光客は、数の上では、中国、韓国をはじめとするアジアからの人々が圧倒的に多い。ところが、アジアからの観光客が増えている事実とは裏腹に、どうしてなのか、テレビで放映されている日本礼賛番組でコメントしている外国人は、ほぼ非アジア圏からの観光客に限られている。編集部ではこの不可解な食い違いの謎を解くべく……」 なるほど。好企画じゃないか。 私は、その旨(「素晴らしいところに目をつけましたね」)を伝えた上で、ラフ段階の原稿についての暫定的なコメントを送った。 ところが、1週間ほどすると、電話がかかってきて、「申し訳ありません。あの企画はボツになりました」 という残念な報告を聞かされなければならなかった。 企画が流れた理由は、尋ねなかった。たぶん、中国や韓国からの観光客の声を積極的に紹介しようとしないテレビ番組制作現場を支配しているのとよく似た空気が、雑誌の編集部にも流れてきているのだろうと思ったからだ』、その雑誌の企画は興味深い問題意識で、是非知りたいところだったが、流れたというのは残念だ。
・『われわれは、飲み込みにくい事実よりは、納得しやすいファンタジーを好む。それは、テレビ視聴者や雑誌読者にしても同じことで、だからこそ、制作側の人間には、事実を飲み込みやすい形に加工する技巧が求められる、と、どうせ、そんな調子の話なのだ。 ちなみに、その雑誌は今年の1月をもって不定期刊に移行している。まあ、事実上の休刊(あるいはもっとあからさまな言葉を使えば「廃刊」)ということだ。あんなにまでして生き延びようとしていたのに。 参考までに、2015年5月23日のツイートを採録しておく。 《ある雑誌の若い編集者が「日本にやって来る観光客の数は中国、韓国がトップなのに、テレビの日本礼賛番組に登場するのが非アジアからの外国人観光客ばかりなのはなぜか」というテーマで、実数を調査して書き進めていた記事にコメントしたのだが、企画自体がボツになったとのこと。残念。》 この時以来、私は、テレビの番組テーブルの中で相変わらず異彩を放っている「ニッポン礼賛企画」の行く末を、なんとなく気にかけている。本当のところ、われわれの国は世界の人々の憧れと愛着の対象なのだろうか。それとも、テレビ局のスタッフが「ニッポン」への称賛を集約して番組に結実させたがるのは、わたくしども日本人が、称賛の声を聞かされ続けていないと自分を保てないほどに自信を喪失していることのあらわれなのだろうか』、「ニッポン礼賛企画」については、このブログでも「クール・ジャパン戦略」として、最近では3月12日に取上げた。「自信を喪失していることのあらわれ」とは鋭い考察だ。
・『つい先日、その私の年来の疑問に貴重なヒントをもたしてくれる本を読んだ。タイトルは「観光亡国論」。東洋文化研究者のアレックス・カー氏と、ジャーナリストの清野由美さんの共著で、中央公論新社(中公新書ラクレ)からこの3月に出版されたばかりの新書だ。 本書の「まえがき」の中でも明らかにされている通り、「日本ブーム」は、少なくとも来日観光客の増加カーブを見る限り、現在進行系の、明らかな事実だ。 データを見ると、2011年には622万人に過ぎなかった観光客数が、7年後の2018年には、3000万人を超えている。実に5倍増に近い急激な増加ぶりだ。 この調子だと、東京オリンピックが開催される2020年には、政府が目標としてあげている来日外国人4000万人を達成することになるはずだ。 ただ、来日外国人の数が増えて、インバウンド需要が拡大すれば、すべてがめでたしめでたしの好循環でうまく回転するのかというと、話はそう簡単には進まないと思う。 現在でも既に、急激な観光客の増加は、さまざまな場面に軋轢や摩擦をもたらしている。 早い話、ビジネスマンの地方出張でホテルが取りにくくなっている。ビジネスホテルの宿泊料金の相場は、この先、オリンピックに向けてますます上昇するだろうと言われている。 これ以上観光客が増えたら、いったいどんなことが起こるものなのだろう。 今回は、うちの国が歩みつつある「観光立国」の行く末についてあれこれ考えてみたい』、漸くオーバーツーリズムの諸問題が取上げられるようになりつつあるようだ。
・『今年の2月、京都にある製薬会社のお招きで、ほんの束の間だが、3年ぶりに京都を訪れた。 食事の間、その会社の人たちとしばし歓談する時間を持つことができたのだが、話題になったのは、やはりご当地の観光客の急増についてだった。 3年前の秋に、ほぼ30年ぶり(その前年に一瞬だけ通りかかったことがあったのだが)に京都を訪れた折、私は、観光客の圧力に圧倒されて、街路を歩く意欲を失ってしまった次第なのだが、当地の人たちの言うには、観光客は、その3年前の京都旅行の時点から比べても、さらに確実に増加しているらしい。 「ホントですか?」「ほんまです」「だって、3年前ですら、四条河原町のメインストリートは、渋谷のセンター街みたいな人だかりでしたよ」「それがいまはスクランブル交差点みたいなことになってはるわけです」「ホントですか?」「まあ、ちょっと大げさですけど。ははは」 京都の人は、洛外の人間の前で、観光客の殺到ぶりに苛立っているようなそぶりは見せない。あっさりはんなりというのか、いとも鷹揚に受け止めている。そういうところはさすがだと思う。でも、それにしても、こんな調子で人が増えたら、いずれインフラが崩壊して、その時は応仁の乱以来の生き地獄が現出するはずなのだが、京都の人たちはそういう修羅場に立ち至ってもなお、あの余裕の構えを崩さないものなのだろうか』、京都の人が「いとも鷹揚に受け止めている」のがいつまで続くかは確かに問題だろう。
・『「観光亡国論」の中では、都市のキャパシティーを超えた観光客によるオーバーツーリズム(観光過剰)の問題を世界各地の観光地に材をとってていねいに紹介している。 たとえば、つい10年ほど前までは、地域再生の成功例として世界中から注目を集めていたバルセロナは、現在、「ツーリズモフォビア」(観光恐怖症)という造語で説明される、次の段階の困難に直面している。 歴史を振り返ると、バルセロナは1992年のバルセロナ五輪を機に、旧市街や観光名所の再整備を敢行し、独自のプランで「まちおこし」を本格化させた。この時、市が経済発展の基盤として重点を置いたのが観光で、そのために、市は、サグラダ・ファミリア教会に代表される文化資産を再評価し、住宅街、商店街の再整備事業を推進し、さらに国際会議なども積極的に誘致した。この試みは、世界中から観光客を呼び寄せることに成功し、都市再生と観光誘致の理想形として、世界で絶賛された。 ところが、人口約160万人に過ぎないバルセロナ市に、年間4000万人とも5000万人とも言われる観光客が常時押しかけるようになると、やがて肝心の市民生活が機能不全に陥る局面に到達する。人々は自分たちが住んでいる町のバスに乗れなくなり、自宅の前の道路を自分のクルマで走るのに、恒常的な渋滞に悩まされるようになる。 それだけではない。土地価格の高騰に伴って、オフィスや賃貸住宅の相場も急上昇する。と、平均的な市民は、やがて、自分たちが生まれ育った町で暮らすための最低限の家賃を支払えなくなる。 そうこうするうちに、「観光客は帰れ」というスローガンを掲げたデモが頻発し、街路には、「観光が町を殺す」という不穏なビラが張られる事態に立ち至っている。 よくできた寓話みたいな話だが、これは、現実に起こっているリアルな都市での出来事だ』、「恒常的な渋滞」だけならまだしも、「自分たちが生まれ育った町で暮らすための最低限の家賃を支払えなくなる」というのでは、「観光客は帰れ」となったのは十分理解できる。
・『日本では、京都の例が有名だが、実のところ、ちょっとした観光地はどこであれ似たような問題に直面しつつある。 私がこの何年か、年に3回のスケジュールで通っている箱根も同様だ。 あそこも、最近は中国人観光客のための温泉地に変貌しつつある。 私の箱根通いは、まだ3年目にはいったばかりで、通算でも7回目なのだが、一緒に卓を囲む(まあ、麻雀合宿をやるわけです)メンバーは、なんだかんだでこの20年以上、毎年3回2泊3日の箱根泊を敢行している箱根通ばかりだ。 その彼らに言わせると、この5年ほどの変化は、まことにすさまじい。 良い変化なのか悪い変化なのかの評価は措くとして、とにかく、食事のメニューや冷蔵庫の中身や、浴衣や手配といった、あらゆるサービスの手順が、徐々に中国人観光客向けにシフトしてきているというのだ。 その変化を一概に「サービスの質の低下」と断じることはできないが、それでも、その変化の中には、20年来の常連客からしてみれば、配膳されるメニューのコメのメシへの適合度の低下といった、年配の人間にはなかなか受け入れがたい退廃が含まれていたりする。 外国人観光客が増え続けてきたこの10年ほどの変化をどう評価するのかについては、二つの相反する見方がある。 ひとつは、来日観光客増加の原因を、ほかならぬわれら日本人の「おもてなし」の精神に根ざした質の高いホスピタリティや、日本文化の繊細さや、日本の四季の自然の美しさに求める考え方だ。 要するに、わが日本に外国人が蝟集(いしゅう)するのは、この国が安全で快適な土地柄で、われら日本人自身が世界の誰よりも正直で心の温かい民族だからだという評価だ。 この評価が間違っていると断ずるつもりはない。 ただ、一方には、観光客増加の理由を、単に日本の「安さ」に求める意見があることも、意識しておいた方が良い。 バブル崩壊からこっちの約30年間にわたって、物価も実質賃金も低迷したままで、おまけに通貨としての円の価値自体も、最も強かった時代から比べれば3割以上安くなっている。 ということは、日本を訪れる外国人の立場から見て、日本での滞在費は、食事、交通費、宿泊費なども含めて、すべてが破格に「安い」ということになる。 もちろん、日本の治安の良さやホスピタリティの優秀さが評価されているという側面はあるにしても、日本の経済が低迷していて、外国人から見てあらゆる商品が割安であることが観光地としての日本の魅力の大きな部分を占めているということだ。そうでなければ、たった7年で来日観光客が5倍に増えるようなことが起こるはずがないではないか』、「日本の「安さ」に求める意見」というのは確かに最も有力そうだ。
・『ちなみに、円は震災直後の11年3月17日に史上最高値の76円25銭を記録している。 そこから換算すると、昨今の111円台の円相場は46%ほど安い。ということはつまり、同じ1ドル紙幣が1ドル46セントの価値を持つことになる。 それ以上に、500円以下でランチが食べられる日本の物価は、どう安く食べようと思っても絶対に10ドル以下では満足な食事ができない欧米の観光都市と比べて、破格に廉価だ。 これは、見方によっては、日本の経済の敗北というふうに見ることもできる。 要するに、われわれの国は、「安い」国になったのである。 1980年代の半ば過ぎ、たぶん1985年か86年だったと思うのだが、フィリピンのネグロス島にあるドゥマゲティという町に遊びに行ったことがある。 きっかけは、青年海外協力隊の一員としてフィリピンで暮らしていた高校時代の同級生Kが、当地にある大学の学長の娘さんと結婚したからだった。 当時、フィリピンの物価は、日本人の若者であった私から見て、アタマがくらくらするほど安かった。 円が高かった(1985年の円/ドル相場は250円前後)こともあるが、とにかくフィリピンの田舎の物価は、おとぎ話の中の猿とカニの取り引きみたいだった。ゴルフを一日やってプレイフィーが400円。LPレコードが300円。昼飯は100円あれば充分に食えた。 何をお伝えしたいのかを言おう。 フィリピンに向けて出発する前に、友人のKが口を酸っぱくして言っていたことを、私はいまでも覚えている。 「いいか。考えなしにチップをばらまくなよ」「特に子供たちには安易にドルを与えてはいけない」「20ドル紙幣とかばらまいたらぶっ殺すぞ」と、彼はくどくどと繰り返していた。 「なんでさ」「喜捨って言うじゃないか」「現地の人間が喜ぶことをして何が悪いんだ?」という私の質問を、Kは丁寧に論破した。 「いいか、フィリピンみたいな国で外国人がドルをばらまくと、現地の子供は自分の国の大人をバカにするようになる」「大人だけじゃない。マジメに働くことや、きちんと勉強することもバカにするようになる」「どうして」「考えてもみろよ。路上で観光客に煙草を1本売って、気前の良い日本人が気まぐれに20ドルくれたら、それだけでオヤジの一週間分の稼ぎになるんだぞ」「了解。チップは1ドルにする」「子供には1ドルでも多い。クルゼーロというコインを両替しておいて、それを与えるようにしてくれ」「お前には関係ないだろ」「お前はフィリピンのことなんかどうでも良いと思ってるからそういうことを言ってるけど、ドルっていうのは、あれは国を滅ぼすんだぞ」 あの時のKの説教を、どう説明したら現代の日本の読者に伝わるだろうか。 ともあれ、Kは、フィリピンで言うパトリオット(愛国者)で、彼なりに国を憂えていた。 で、そのKに言わせれば、今の言葉で言う「インバウンド需要」で国が潤うことは、外国人の落とすカネで暮らす人間がそれだけ増えるということで、国の経済のおおもとのところが、タカリ体質に変貌することにほかならなかった。そのことを彼は警戒していたのである。日本のためにではない。フィリピンのために、だ』、友人のK氏のアドバイスは極めて的確で、まさに「パトリオット」だ。
・『インバウンド需要のすべてが悪いとは言わない。 インバウンドで潤う業界があるのはそれ自体としては悪いことではないし、そこから派生したカネがめぐりめぐって国の経済を活性化するのであれば、それは歓迎すべき流れなのだろう。 ただ、カジノや万博やオリンピックや行きずりの観光客が落とす日銭を当てにしたところから経済計画を立案する態度は、一国の経済政策としては好ましくない。一人の愛国者として、私はそのように考える。 もうひとつ、旅嫌いの出不精の人間の偽言と思って、3割引きくらいの力加減で聴いてもらって差し支えないのだが、私は、観光地の商売というものをいまひとつ信用していない。 行きずりの観光客相手の商売は、リピーターを増やすために努力している街場の人間の商売とは性質が違う。 であるから、世界中どこに行っても、観光客相手に土産物を商う人々の価格設定は、地場の人間に必需品を売る商人の値付けとはその根本の精神が違っている。 悪い言葉を使えば、観光客相手の商売人は、ぼったくることをなんとも思っていない。どうせ同じ客とは二度と会うこともないからだ。 もっとも、観光業に従事する誠実な人たちがたくさんいることもわかっている。 だが、インバウンドの客を相手にするということは、行きずりの客相手に商品を売るということで、これは、商売の質そのものが荒れるということでもある。 日本人の商店主が諸外国の商売人と比べて正直だと思われている原因のひとつは、コミュニティー外の人間と取引をすることの少ない島国の人間であるわれわれが、瞬間的な稼ぎよりも長期的な信用を重んじる態度で商売をしてきたからだと思う。 その伝統が海外からの客を相手にしているうちに、じきに失われるのではないかと危惧している。 というのも、「どうせあの人たちは値打ちがわからないから」「どうせ、二度と来ない客だから」という感じの、モロな観光地商売を展開する人間は、いずれ、商品と価格への真摯な感覚を失うはずだからだ。 典型的な観光地の典型的な土産物屋の商売が、行き当たりばったりの出たとこ勝負であること自体は、たいした問題ではないし、それはそれで天晴な態度ですらある。 事実、世界の観光ビジネスはそういう原則で動いている。 ただ、日本中にインバウンドの経済が影響を与えるようになり、この国の主要な産業が観光だということにでもなったら、われわれは、いずれその種の商道徳で世間を渡る人間になって行くはずだ。 具体的にどういう人間になるのかというと、空港前の路上で、信号待ちの度にタクシーの窓ガラスを叩いてバラ売りの煙草を売りにやってくる5歳児みたいな人間ということなのだが、その5歳児は、煙草が売れないとなると、母親を売ろうとするのだ。 いや、これは、「キャッチ22」からパクったネタなのだが、たいして面白くもないうえに、品も良くなかった。 いつでも品の大切なのは、良い人間として振る舞おうとする心がけだ。それを忘れてはならない。 インバウンド需要に特化した日本人が、自分たちの品格を保てるのかどうか、私はその部分をとても心配している』、こうしたインバウンド経済の副作用を的確に指摘した小田嶋氏には、いつもながらさすがと頭が下がる。インバウンドのあり方を冷静に見直してみる必要がありそうだ。
タグ:バルセロナ 戦略 フィリピン 日経ビジネスオンライン インバウンド ビジット・ジャパン 小田嶋 隆 「われわれの国は「安く」なった」 ニッポン礼賛企画 本当のところ、われわれの国は世界の人々の憧れと愛着の対象なのだろうか それとも、テレビ局のスタッフが「ニッポン」への称賛を集約して番組に結実させたがるのは、わたくしども日本人が、称賛の声を聞かされ続けていないと自分を保てないほどに自信を喪失していることのあらわれなのだろうか 「観光亡国論」 急激な観光客の増加は、さまざまな場面に軋轢や摩擦をもたらしている 地方出張でホテルが取りにくくなっている 「観光立国」の行く末 3年前ですら、四条河原町のメインストリートは、渋谷のセンター街みたいな人だかりでしたよ それがいまはスクランブル交差点みたいなことになってはるわけです いとも鷹揚に受け止めている 都市のキャパシティーを超えた観光客によるオーバーツーリズム ツーリズモフォビア 恒常的な渋滞に悩まされる 平均的な市民は、やがて、自分たちが生まれ育った町で暮らすための最低限の家賃を支払えなくなる 「観光客は帰れ」 根も同様だ。 あそこも、最近は中国人観光客のための温泉地に変貌しつつある 観光客増加の理由を、単に日本の「安さ」に求める意見があることも、意識しておいた方が良い 約30年間にわたって、物価も実質賃金も低迷したまま 円の価値自体も、最も強かった時代から比べれば3割以上安くなっている 外国人から見てあらゆる商品が割安であることが観光地としての日本の魅力の大きな部分を占めている 要するに、われわれの国は、「安い」国になったのである 「いいか。考えなしにチップをばらまくなよ」「特に子供たちには安易にドルを与えてはいけない」「20ドル紙幣とかばらまいたらぶっ殺すぞ」 ドルっていうのは、あれは国を滅ぼすんだぞ 「インバウンド需要」で国が潤うことは、外国人の落とすカネで暮らす人間がそれだけ増えるということで、国の経済のおおもとのところが、タカリ体質に変貌することにほかならなかった 観光客相手に土産物を商う人々の価格設定は、地場の人間に必需品を売る商人の値付けとはその根本の精神が違っている ぼったくることをなんとも思っていない 日本中にインバウンドの経済が影響を与えるようになり、この国の主要な産業が観光だということにでもなったら、われわれは、いずれその種の商道徳で世間を渡る人間になって行くはずだ インバウンド需要に特化した日本人が、自分たちの品格を保てるのかどうか、私はその部分をとても心配している
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