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教育(その16)(「テスト結果を賞与に反映」が失敗する理由 「点取り教育」の被害者となるのは子どもだ、[議論]N高校に聞く子どもの「やりたいこと」の探し方、日本人の「教育改革論」がいつも的外れなワケ 課題は「子ども」ではなく「社員教育」にある) [国内政治]

教育については、昨年7月17日に取上げた。久しぶりの今日は、(その16)(「テスト結果を賞与に反映」が失敗する理由 「点取り教育」の被害者となるのは子どもだ、[議論]N高校に聞く子どもの「やりたいこと」の探し方、日本人の「教育改革論」がいつも的外れなワケ 課題は「子ども」ではなく「社員教育」にある)である。

先ずは、教育社会学者の福島 創太氏が昨年9月11日付け東洋経済オンラインに寄稿した「「テスト結果を賞与に反映」が失敗する理由 「点取り教育」の被害者となるのは子どもだ」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/237091
・『「具体的にどうやってボーナスが決まるのか」「どのテスト結果がどの時点の評価につながるのか」「学力テストに該当しない教科の教員はどうなるのか」「結局現場にはどのような影響が起きるのか」――。 大阪市の吉村洋文市長が、「全国学力・学習状況調査」(全国学力テスト)の結果を来年度から校長や教員の人事評価に反映する制度を検討していると発言してから1カ月。大阪市の教員の間では、依然として混乱が広がっている。 テレビやネットメディアでも、吉村市長の発言の是非は大いに議論された。それらの多くは「そんなことでは子どもの学力は上がらない!」という批判的なものだったが、「成果に対応した報酬を与えることはビジネスでは当たり前」「アメとムチによって教師のモチベーションが高まる」とお思いの読者もたくさんいらっしゃるだろう』、本件とは離れるが、吉村市長は大阪府知事に立候補、代わりに松井知事が大阪市長に立候補する形で、維新の会のなかで市長と知事を回すという驚くべき党利党略の選挙戦がスタートした。
・『制度の是非を問うのに必要な論点とは?  大阪市がこうした制度を検討している背景には、大阪市の学力テストの結果が小学校・中学校ともに全科目で全国平均を下回り、他の政令指定都市と比較しても最低水準となったことがある。吉村市長はその不名誉な現状を打破するために「劇薬」を投じようとしている訳だが、この制度の是非を問うには、2つの論点から整理する必要がある。 「学力テストの結果と教員の評価を連動させれば、児童・生徒の学力向上につながるのか」と、「学力テストの順位を高めることに意味があるのか」の2点だ。今回は、これらを検討するとともに、いま教員に本当に届けるべき価値は何なのかについても考えたい。 まず、「学力を上げるための方策として学力テストの結果と教員の評価を連動させることは効果があるのか」という点について考えてみよう。 確かに企業においては、全社や部署の業績、個人の成績に応じて賞与の金額が変動する制度は一般的だ。このような「業績連動型賞与制度」は、業績に対する従業員の意識向上や、業績に応じた人件費の適正化が主な目的となっている。つまり、従業員一人ひとりが業績アップを目指すよう、動機付けを行っているのだ。この論理で言えば、教員のボーナスを児童・生徒の学力テストの点数と連動させれば、「児童・生徒の学力テストの点数を上げよう!」という意欲は高まるかもしれない』、民間企業ですら従業員の業績評価は簡単ではないのに、教育の場で学力テストの点数を使うというのは余りに安易だ。
・『しかし、今回の議論の中で多く指摘されている通り、生徒の成績を高める、あるいは下げる要素は無数に存在する。特にその子の家庭環境や学校外における勉強時間などが成績に与える影響は非常に大きい。 教育格差をなくすことを目的に活動を展開するNPO法人「Learning for All」は、子どもたちは生活習慣の乱れ、家庭での学習習慣、愛着形成の遅れ、言語能力の遅れといった「学力以前の複雑な課題」を抱えており、それを解消することが彼らの学習支援にもつながるという考え方の下、「子どもの家事業」を2016年から始めている。学習自体のサポートにとどまらない、子どもの貧困対策の一面を持つこの事業には、日本財団が50億円を投じるとすでに発表している。 こうした活動が広まりつつあることを踏まえると、教師の努力だけで学力向上を実現することは実は非常に難しいのではないだろうか。学力が低い児童・生徒の点数を高めようとすると特にそうだろう。こうした条件の下では、当然受け持った生徒がどういった生徒なのか、エリアがどういったエリアなのかということが、教師の評価に大きく影響してくることになる。 公立の学校の教師も、自治体に雇われた一人の労働者である。所属先から対価をもらって仕事をしている労働者が、自らの仕事に対して得られる対価を高めるために努力することは決して不思議なことではない。 しかしその努力が、あまりにも不平等な状況下での評価や、適切な規準で測られなかったとしたらどうだろうか。いくら頑張っても結果が出ない教師がいる反面、通常業務を続ける中で生徒の学力が高まり、高い報酬が得られる教師もいる。そのなかで前者の教師は、努力を続けられるだろうか。純粋な気持ちで生徒の学びを支援し続けられるだろうか。 点数を高めようとするあまり、過去には不正が行われたという事実もある。東京都足立区の小学校で、特定の児童の答案を無断で除外し、先生が試験中に生徒に誤答を気づかせるといった不正行為が2007年に発覚し、大きく報道された。当時、足立区教育委員会は、区立小中学校に学力テストにおける各校の順位や成績によって予算の配分に傾斜をつけるなどを行っており、学力テストと予算を関連付けることによって起きた弊害であると、指摘された。これでは児童の学力向上は見込めず本末転倒であるが、このときと同じことが起こらないとは限らない』、不正という副作用も問題だが、地域による学力テスト点数の格差はかなり大きいと予想され、点数の絶対値では地域格差が如実に表れ不公平すぎる。点数の前年との改善幅にすると、今度は点数の低い地域が有利になるなど、誰もが納得する評価は容易ではない。
・『「数値による評価」がはらむリスク  筆者は以前「全国の高校で導入中、活動記録サイトの正体」で、海外の企業で広がり始めている「ノーレイティング」という考え方を紹介した。年次での評価やランク付けを廃止するというこの考えは、評価を気にして従業員が萎縮することやチャレンジを避けるようになったり、一律の規準や軸をもうけてランク付けをすることで、特殊な技能や専門性、長期的な成果を目指す取り組みが評価されづらくなったりすることを避ける狙いがある。 松丘啓司氏は著書『人事評価はもういらない』のなかで、脳科学によると、数値によってランク付けされることによって、人は学習や成長に対してネガティブになる「硬直的なマインドセット(スタンフォード大学のキャロル・S・ドゥエック教授が提唱)」が強化されるということを紹介している。 また、アメリカUCLAで神経科学を専攻し、脳神経科学の知見を人材開発や教育に活かすために株式会社ダンシングアインシュタインを起こした青砥瑞人氏は、恐怖や不安を抱えるいわゆる心的危険状態では、扁桃体など脳のなかの恐怖や不安を司る部分が活性し、前頭前皮質の機能が失われ、自分が思い描いている行動を脳が誘導する確率が下がると指摘する。 つまり、先生を数値によって評価しモチベートすること自体が、子どもたちの学力を向上させることに対してネガティブな影響を及ぼす可能性すらあると言えるのではないだろうか。 よって、「学力テストの結果と教員の評価を連動させれば、児童・生徒の学力向上につながるのか」といえば、甚だ疑問が残ると言わざるをえない』、その通りだろう。
・『では、2つ目の論点「学力テストの順位を高めることに意味があるのか」についてはどうだろうか。この点についてもやはり否定的な見解を持たざるをえない。なぜなら、学力テストの点数向上のための指導偏重となり、本質的でこれから必要な能力の育成が疎かになる懸念があるからだ。 学力テストは、「主に知識」を問うA問題と、「主に活用」の力を問うB問題で構成されている。教育心理学や発達心理学を専門とする東京大学の藤村宣之教授は、日本の子どもは、概念的理解やそれに関連する思考プロセスの表現が相対的に苦手であると指摘している。こうした能力は解や解法が多様である非定型的な問題解決によって測ることができるわけだが、それはB問題に該当する問題が多い。 そして藤村氏はこの概念的理解や思考は、①他者から新たな情報を得ること、②他者に対して説明することで思考を精緻化すること、③他者とともに知識を協働構築することから成る、「協同的探究学習」によって培われると説いている。しかし単純に、短期間で点数を上げようとするならば、反復によって習得が可能となるA問題のほうが上げやすいとされている。理解や思考が深まらなくても、ある種トレーニングによって点数を高めることが可能なのがA問題なのである。来年度からA問題、B問題を統合させるという報道もあるが、「どのような学力を伸ばそうとするか」というのは問題が統合されたとしても残る論点である。 つまり、学力ではなく「学力テストの点数」を短期間で上げようとするばかりに、「上げやすい指標」に取り組み、生徒たちにとって苦手だったり、本当に身につけなければならない学力だったりがなおざりになってしまう可能性があるのだ』、確かに日本人は与えられた目標に遮二無二進むことは得意なので、「学力ではなく「学力テストの点数」を短期間で上げようとする」のは大いにありそうな事態だ。
・『「本当に身につけなければならない学力」とは何   経済協力開発機構(OECD)が行う「生徒の学習到達度調査(PISA調査・3年に1度実施)」では、それまで主要3分野として「読解力」「数学的リテラシー」「科学的リテラシー」を測ってきた。しかし、2015年調査より革新分野として「協働問題解決能力」調査が加わったのだ。 この「協働問題解決能力」の調査は、OECDが2030年に向けた教育のあり方を世界に提案することを目的に推進している「Education 2030」プロジェクトの一環として行われた。さらに、グローバル・コミュニケーション力、文化横断的・相互的なものの考え方、多様性の尊重などをその内容とする「世界で生きるためのグローバル・コンピテンス」なる項目が2018年調査から加わり、日本は今回参加を見送ったが、2021年調査への参加については引き続き検討をしている。 文部科学省が2020年度以降に小中学校で全面的に導入する「新学習指導要領」においても、大学入学者選抜改革などを含めた「高大接続改革」においても、同様の方向を向いている。入学者選抜改革では「学力の3要素」として、「知識・技能」に加え、「思考力・判断力・表現力」そして「主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度」が掲げられている。 もちろん、PISA調査や新しい入学者選抜の中で測定しようとするスキルの中身やその妥当性、それを測ることの是非についても議論はあるが、従来重視されてきたスキルとは別の、新たなスキルを重視する流れがあることは事実である。 学力テストで測られる国語、算数(数学)、理科の点数を伸ばすということ自体が無駄であるということは決してないだろう。知識の習得はこれまでもこれからも一定程度の価値があるだろう。しかし、変化の激しい時代を生きる子どもたちに対して、知識偏重の指導をすることにはリスクがある。 そのため、「学力テストの順位を高めることは意味があるのか」という問いに対しても、否定的な見解を持たざるをえない。 こうしてみると、やはり今回の吉村大阪市長の主張が、大阪市の生徒・児童にとってポジティブな影響を大きく与えるようには思えない。ただ、大阪市の教員に話を聞いてみると「教師の意識を学力向上に向けることには意義がある」「方法はどうあれモチベーションを高めることの重要性は感じる」という現状に対する危機感を感じさせる言葉もあった。もちろん、教師の意識の変容によって、生徒の学びが深まったり、結果的に学力が高まったりすることはあるはずだ。 しかし、大切なのはそれをどのように行うか、なのだ。筆者は、行政が教員にコミットすべきは「報酬」ではなく「育成」だと考える。それはどういうことなのか、大阪市とは対照的な改革を始めた自治体を例に説明していこう。 大阪府のもう一つの政令指定都市である堺市は2018年7月、「堺市教育デベロップメントプログラム」という教員研修を始めた。民間と教育委員会が連携した自治体初の取り組みで、生徒の主体性を引き出し、探究的な学びを促進する次世代型の教員を「育成」することを目的としている。具体的には、「アクティブ・ラーニング」や「探究型の学び」といった、いま求められている教育をまず学習者として教員自身が体験し、そのうえで理論や学びのデザインの手法を学ぶことで自らの授業実践や学校改革に活かしていくというものだ。 新しい学び方や教育が求められていくなかで手法だけが独り歩きしてしまっていることを課題と捉え、まずは自分が体験し、教育観や教育における信念を見つめ直したり、社会の変化やこれからの未来を見据えて「いま本当に必要な教育とはどんなものか」ということを改めて考え、議論することからはじめるのが特徴である。また、教育学にとどまらない研究者やグローバルカンパニーの組織開発に関わるビジネスマンとともに開発された研修は、最先端の学習理論や教育メソッドが盛り込まれている。 この研修によって、生徒の主体性や創造性を向上させられる教員が育てば、それは「Education 2030」プロジェクトや新学習指導要領、新しい入学者選抜でも注目される能力を育めることになる。ノウハウやスキルではなく、教員自らが「主体的な学び」を体験し、その理論や技術を学び実践することで、生徒一人ひとりの自ら学ぶ喜びをとらえられるようになり、一人ひとりに合った学びを最大化できるようになるかもしれない。その結果、児童・生徒の学力も上がる可能性もある』、「行政が教員にコミットすべきは「報酬」ではなく「育成」だと考える」というのは正論だ。その意味で隣の堺市がやっているのはまともだ。。
・『育成と「働き方改革」を両立させるには?  ただ、こうした育成を可能にするには、教師の多忙問題に着手しないことには始まらない。世界一忙しいとされる日本の学校の先生にも、当然働き方改革の波は来ている。そのため新たな研修や取り組みに対し、多くの自治体が非常にネガティブになっている。 しかし、ひと足先に働き方改革が始まった産業界で、「サービス残業が増えた」「業務量は減らないのに時間だけチェックされるようになった」という苦情が散見されていることからも明らかなように、必要なのは「業務を減らす」働き方改革ではなく「本質的な取り組みによって業務を効率化させる」働き方改革である。 学校がそこに向かうためには、教師の教育観のシフトや、学校外のリソースをうまく用いることのできる教師となることのほうがよっぽど効果的だろう。長期的な価値も間違いなく大きい。堺市の研修では教育分野外、特にビジネスの分野からの情報収集や人的な交流も行われるので、そうした学びが業務の効率化につながるかもしれない。 報酬か育成か。どちらが、真に生徒たちの学びを最大化させる教師を生み出すのか。この段階では誰もまだわからない。大阪府を代表する2つの都市が繰り広げる教員に向けた新たな改革の動向をこれからもウォッチしていきたい』、「世界一忙しいとされる日本の学校の先生にも、当然働き方改革の波は来ている。そのため新たな研修や取り組みに対し、多くの自治体が非常にネガティブになっている」というのは由々しいことだ。きっと無駄な報告などが多く残っているのだろう。そうした無駄を定期的にそぎ落していくべきだ。「「世界一忙しい」を言い訳に使ってはならない。

次に、2月22日付け日経ビジネスオンラインが掲載したN高校の上木原孝伸副校長へのインタビュー「[議論]N高校に聞く子どもの「やりたいこと」の探し方」を紹介しよう(Qは聞き手の質問)。
・『現在の議論のテーマ  子どもの「やりたいこと」どうやって見つけますか? どうやって伸ばしますか? メディア・出版大手のカドカワが設立した学校法人角川ドワンゴ学園の運営する通信制高校、N高等学校。ネットによる授業をメーンとする従来型に縛られない方法を採用。2016年4月に開校すると、VR(仮想現実)を使った入学式などで注目を集めた。 授業だけでなく、生徒同士のコミュニケーションやレポートの提出、部活でさえもネットを使う。その独自性ゆえに「協調性が育まれないのではないか」などの批判もあったが、「圧倒的な自由度にひかれた」「やりたいことを見つけられる」と支持を受け、順調に生徒数を増やしている。現在の在校生は7875人に上る(1月時点)。 IT×グローバル社会を生き抜く“想像力”を身につけ、世界で活躍する人材を育成するーー。ネットの高校だからこそ生徒の「やりたいこと」「学びたいこと」に時間を使えるというのがN高校の言う魅力だ。 Raise「提言 子育ての未来」ではこれまで「子どもに必要な能力とは何か」を読者と議論してきた。今回はN高校の上木原孝伸副校長を招き、どうやって「学びたいこと」を見つけるのか、その学びたいことをどう伸ばしていけばいいのかを議論していく』、なかなか面白そうな取り組みだ。
・『ルートに沿って歩けば安心という神話は崩壊している  Q:N高等学校では「これからの時代に子どもたちに必要な能力」をどのように考えていますか? 上木原孝伸・N高等学校副校長(以下、上木原氏):当たり前のことかもしれませんが、必要な能力は子どもによって違うのだろうと考えています。だから我々は「こうあらねばならない」というイデオロギーは持たないという方針を掲げています。 通信制高校なので、生徒には自由に使えるたっぷりとした時間がある。その時間を使って、卒業後に何をしたいのか考えて欲しい。そのために何が必要なのか。そのスキルを高校でつけていく。エンジニアなら当然、ドワンゴのトップエンジニアによるプログラムを用意しています。他にも多様なプログラムを用意しています。「何をしたいのか」の過程に大学進学があるのなら、受験勉強も否定しません。 Q:Raiseでは子育てについて読者と議論を重ねてきました。多くの読者から「変化の激しい環境の中で、今後はその変化に対応できる柔軟性が重要ではないか」との意見が挙がっています。 上木原氏:「柔軟性」は私も重要だと思います。私が受験産業で働いていた時は、ある程度のルートを歩いていけば人生が約束されていると考える人が多かった。今は違いますよね。SNSで誰とでも繋がれるし、アイデアをすぐ形にできる。誰でもスターダムにのしあがるチャンスがたくさんある。そういう意味で、柔軟であることも大事ですが、自分がやりたいことを見つけることも大事になってきます。 Q:昔と比べて子どもが身につけなければならない力が変わってきた? 上木原氏:あるルートに沿って歩んでいけば安心という方程式は、実はバブル崩壊ですでに成り立たなくなっているんですよね。私はロスジェネ世代で大学卒業時は就職氷河期だったので、よく分かります。大企業が潰れるのをみていたから。友人たちも高い偏差値の大学を卒業したけど就職先が見つからなかったりしました。神話は20年以上前にすでに崩れていたんです』、「あるルートに沿って歩んでいけば安心という方程式は、実はバブル崩壊ですでに成り立たなくなっているんですよね」というのはその通りだ。
・『「多くの問題は検索しても答えが出ない」  上木原氏:しかし、それでも何となく信じられてきた。ただ、私のようなロスジェネ世代を親に持つ子どもが小学生、中学生のような世代になってきた。親ももう神話を信じていないんです。レールに乗っているだけではうまくいかないことを実感として知っているから。 この10年でいうと、スマートフォンの登場で、知識を圧倒的に手に入れやすくなった。黒板に書いてあることはスマホで「Siri」に聞けばいい。 私は国語が専門なのですが、よく生徒たちに「何も考えずに辞書を引くな」と伝えてきました。文脈から類推する思考力が重要なんだと。これは検索でも一緒です。検索する前に想像する。考える。それが重要なんです。世の中の多くの問題は検索しても分からないのですから、自分で考える癖をつけてほしい。 Q:「やりたいことを見つける」重要性は理解できました。ただ、子どもの見つけた「やりたいこと」が、トップの一握りしか食べていけない分野だった場合、親はどういう対応をすればいいのでしょうか。 上木原氏:子ども自身にそのことを気付かせてあげてください。例えばN高校で、声優になりたいと考えている生徒がいました。声優の授業を受けて、好きだったので自分の自由な時間でとことん調べた。そこで、「声優はとても狭き門だから、単に声優を目指しているだけでは難しい」と気付いた。そこで、その生徒は猛勉強を始め、大学受験を決意したのです。その理由は「高学歴の声優」というポジションなら空いていると考えたから。 別の生徒は絵を描くことを仕事にしたいと思い、N高校でプロのイラストレーターが講師の授業を受けました。我々の授業では「プロならここまで要求する」というレベルまで鍛えます。「全くダメ」「全然レベルに達していない」と厳しく要求され、上には上がいることに気づきました。でも、WEBデザインなどスキルとして身につけられることも多いことも同時に気づいたのです。 「それではダメ」と親が一方的に言えば「やりたいことをさせてもらえない」と反発します。子どもは自分できちんと気づくんですよ。 Q:なるほど。 上木原氏:そのサポートは教師などの第三者がすべきだと考えています。親子では難しいですね。感情的になるから。第三者から言われたほうが子どもは納得する。そういう意味でN高校の担任と生徒の関係は上下ではない。横に並んで走っています。 N高はリアルとネットを組み合わせることで「新しい体験」を提供することをうたっています。なぜこうした教育が必要なのでしょうか。 上木原氏:最近生徒に「なぜ大人はネットとリアルを分けたがるのですか」と言われてショックを受けました。「私たちにとって、ネットは既にリアルの一部なんです」と言うんです。確かに、我々の世代は夜中に友達に電話するだけでもハラハラしていましたが、生徒たちはLINEなどでの連絡がコミュニケーションの半分以上を占めています。社会に出ても、ネットを全く使わない仕事はほとんどない。ネットとリアルを区別しているほうがおかしいのかもしれない。 そういう時代だからこそ、高校としてネットリテラシーを高めるのは責務であると考えています』、「「私たちにとって、ネットは既にリアルの一部なんです」と言うんです。確かに、我々の世代は夜中に友達に電話するだけでもハラハラしていましたが、生徒たちはLINEなどでの連絡がコミュニケーションの半分以上を占めています。社会に出ても、ネットを全く使わない仕事はほとんどない」、ここまできたのかと、大いに考えさせられた。
・『Q:3月に一期生が卒業。進路は? ネットとリアルのすみ分けは?  上木原氏:「ネットで高校生活を実現する」というのが我々のコンセプトです。リアルは「ネットではできないことをやろう」を合言葉にイベントなどを企画しています。例えば職業体験。ネットで検索してすぐに理解できるような職業体験はありません。マタギやイカ釣りなどやってみないと分からないプログラムを用意しています。ニコニコ超会議の会場で開く文化祭などのイベントもそうです。 ネットをきっかけに友人ができ、リアルのイベントで非日常の体験をすると「N高なら通いたい」というニーズが出てきました。そこで自己矛盾にはなりますが「通学コース」を新設し、通える環境をつくりました。 Q:ネットで学習を進めるだけではモチベーションが低下しませんか? 上木原氏:モチベーションの管理は我々にとっても課題だと考えています。ご質問の通り、最初は楽しいのですが徐々にログイン率が低下してくる。一方で、我々はデータをどんどん蓄積しています。何をすればモチベーションが継続するのか。どうすれば上がるのか。1年目は試行錯誤していましたが、データが溜まるにつれて承認欲求を満たしているクラスの学習進捗が良い傾向があることがわかってきました。 「昨日はよく頑張っていたね」「ここまで進んでいるなんてすごい」ーー。そうした言葉で「自分を見てくれている」ということが伝わるとモチベーションは継続する。それを3カ月続けると、学習することが普通になる。習慣に変わる。 Q:一方で、リアルで苦楽を共にしたことで学べることもあるのでは? 上木原氏:子どもが変わるのは非日常の体験によってではないでしょうか?私は何度も子どもたちのキラキラした顔や感動している姿に遭遇しています。一般的な高校でも、子どもが成長するのはイベントなどの非日常なのだと思います。先ほど申し上げた通り、我々はそうしたイベントを多数用意しています。 今年3月末で一期生が卒業します。進路は? 上木原氏:まだ入試が終わっていないので実数はわかりません。ただ、すでにAO入試などで難関大学へ一定数が合格している状況です。自由な時間で身につけたスキルが評価されているようです。海外大学への進学者もいます。単純に偏差値が高いからという理由ではなく「ワクワクするから行きたい」という理由で進学先を選んでいるようです。 希望調査の段階では大学・専門学校への進学希望者が約6割、就職や起業、進路未決定などが残り4割という状況でした。インターン先にそのまま就職する生徒もいます。 一期生は入学時は1480人でしたが、転校などを含め現在の在校生は約2000人。最近は中学校の先生が勧めてくれているようです。最初は反対する先生が多かったようですが、この2年間で賛成に変わりました。この2年で我々が本気で教育していることが認知されてきたということだと考えています』、今後のN高校の展開を注目したい。

第三に、元外資系証券のアナリストで小西美術工藝社社長のデービッド・アトキンソン氏は3月27日付け東洋経済オンラインに寄稿した「日本人の「教育改革論」がいつも的外れなワケ 課題は「子ども」ではなく「社員教育」にある」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/273079
・『オックスフォード大学で日本学を専攻、ゴールドマン・サックスで日本経済の「伝説のアナリスト」として名をはせたデービッド・アトキンソン氏。退職後も日本経済の研究を続け、『新・観光立国論』『新・生産性立国論』など、日本を救う数々の提言を行ってきた彼が、ついにたどり着いた日本の生存戦略をまとめた『日本人の勝算』が刊行された。 人口減少と高齢化という未曾有の危機を前に、日本人はどう戦えばいいのか。本連載では、アトキンソン氏の分析を紹介していく』、参考になりそうだ。
・『「子どもの教育」が日本の最優先課題なのか  テレビをつけるたびに、「子どもの教育がおかしい」「今の日本経済が低迷している原因の根本は学校教育にある」などという話が耳に入ってきます。 経済同友会でも経団連でも、またはほかの会合の座談会でも、必ず出るのが教育制度の議論と批判めいた話です。 一方で、「将来の日本を背負う子どもをどう教育していくべきか」という、教育改革についての議論も盛んに行われています。その裏には、教育を改革し、その新しい教育を受けた次世代ならば、日本の将来を劇的によくしてくれるのではないかという、願いにも似た期待が垣間見られます。 実は、以前から何度も教育をテーマとして取り上げてほしいとリクエストを受けてきましたが、これまではお受けするのをあえて避けてきました。それには明確な理由がありました。 それは私自身、日本の教育制度が日本経済の衰退の主因であるという考えには、疑問を持っているからです。 理由は2つあります。1つは、そもそも言われるほど日本の教育が悪いのか、悪者に見えるだけではないのかという疑問です。もう1つは、そもそも日本の教育の問題点は、子どもの教育ではなく成人の教育にあるのではないか。要するに、人生100年時代の日本で、教育の対象が間違えて議論されているのではないかという疑問です。 私が子どもの頃、イギリス経済はどん底の状態にありました。かつて大英帝国と呼ばれた大国も、第二次世界大戦後、輸出の機会が次々に減っていき、戦前の常識が通用しなくなっていったのにもかかわらず、政治も企業も労働習慣もなかなか変革できなかったのが衰退の理由です。 その当時、イギリスでは経済衰退の犯人探しが盛んに行われました。国民性、教育、政治、労働者の質と、なにもかもが犯人にされ、もうなにもかもがダメだという諦めムードが蔓延していきました。しかし、「これさえ変えればよくなる」という提言もあふれていました。今の日本とまったく同じです。 最終的には、サッチャー首相が中心となって大改革が断行され、経済は好転し始めました。マイナス方向に向かっていたイギリスの経済が、プラスの方向に動き出したのです 面白いことに、イギリス経済衰退の真犯人だと言われたにもかかわらず、変わらず放置されていた多くのことが「改善した」と言われるようになりました。結局は「真犯人」などではなかったのだとつくづく感じたのを、今も覚えています。 このイギリスの経験からすると、経済がダメだから教育がダメと言われるのか、教育がダメだから経済もダメになっているかという因果関係をしっかりと検証する必要があります。しかし、今の教育改革論は、いかにも日本的な感情論、感覚論にすぎない可能性が高いのです』、「真犯人」を見つけるのは簡単ではないが、「感情論、感覚論」に流されずに、「しっかりと検証する」姿勢の議論以外は聞く意味もなさそうだ。
・『経済が悪いと何でもダメに見える  年金問題を例にとって説明しましょう。 今の日本では年金制度が崩壊寸前だから、改革しなくてはいけないという意見をよく耳にします。今の年金制度は制度として健全ではないので、制度自体を変えるべきだという考え方が、日本では多数派ではないかと思います。 「健全ではないので、支出を抑えるべき」と主張する人は、年金の支給制度を変えるべきと言います。一方、年金の収入を充実させるべきだという人もいれば、運用を変えるべきだという人もいます。 しかし、分析をしてみると、年金制度の健全性と経済の健全性との間には、非常に強い関係があることがわかります。なかなか芳しくない日本経済の下、日本の年金が健全な状態にあるはずもないのです。 年金制度の健全性は制度の問題ではなく、経済の健全性次第だという分析ができるのであれば、年金制度をいじる前に、大元の経済を改善させていけば、制度自体は変えなくてもすみます。または、経済が改善しない場合に必要とされる改革より、軽く済むことも十分考えられます。 要するに、年金制度そのものに問題の本質・根本があるのか、それとも、より根本的な問題がほかにあるのかを考えるべきなのです。 先ほども述べたように、私は日本の教育制度が日本経済の衰退の主因なのか、甚だ疑問に感じています。というのは、私の分析では、日本経済の最大の問題点は、規模の経済が効かない極めて小さい企業で働く労働人口の割合が高すぎることで、教育云々は少なくても主要因ではない可能性が高いからです』、私も「日本の教育制度が日本経済の衰退の主因」とは思わないが、零細企業で働く労働人口の割合が高すぎるとも思わない。
・『日本の教育論は「対象」を間違えている  一方、『日本人の勝算』を書いているときに、日本の教育の問題についてある発見をしました。 確かに、今の日本の教育には問題があるのかもしれません。しかし、そもそも日本で論じられている教育論は、対象を間違えて進められているということが私の発見です。 前回の「企業に『社員教育を強制』するイギリスの思惑」でも説明したように、人口減少に対応するためには、日本は「高生産性・高所得」経済モデルに移行しなければなりません。そのためには、各企業に最先端技術を普及させることが重要です。新しい技術を導入するとなれば、それを使いこなすために、新たな社員の教育が必要になるのは当然のことです。 前回も紹介したように、社員教育と生産性との間には、極めて強い相関関係が認められます。 日本の場合、社員教育に関しての十分な研究データがないのですが、大変に残念な状況にあることが、専門家から指摘されています。 例えば、日本生産性本部は「日本の人材投資は、1990年代前半は約2.5兆円あったものが、年々減り続けており、2010年以降は約0.5兆円とピークの2割程度に低迷している。欧米諸国と比較しても、GDPに占める人材投資は著しく低い」という、学習院大学の宮川教授の分析を紹介しています。 高知工科大学の論文には、25歳以上の通学率は日本ではわずか2%で、OECDの平均である21.1%を大きく下回っていることが記載されています。 いずれの数字も、日本での「社会人教育」が諸外国に比べて、極めて遅れている事実を如実に物語っています。 このような状況が今後も続くようであれば、高生産性・高所得経済モデルへの移行はまず無理です。逆にいうと、このような状況が続いていることが、日本の生産性が低いまま一向に改善されず、新しい技術も普及しない1つの要因となっていると言えるでしょう。 先ほども指摘したように、社会人教育が進んでいないことは、日本の将来を考えると看過できない大問題です。 こういう話をすると、社員教育に注目して、直ちに是正すべきだという意見が沸き上がります。気持ちはわかりますが、私は、このことは問題の根幹ではないと解釈しています。 物事には原因と結果があります。日本における社会人教育がお寒い状況にあるのは、いわば結果です。経営者が生産性向上を追求していないのであれば、わざわざコストをかけて社員教育をする理由はありません。 日本にはあまりにも小さい企業がたくさんあり、そういった企業は最先端技術を導入できません。社員教育をするお金もないのですが、そもそも社員教育をする理由がないのです。 ですので、社員教育の問題を直接改善しようとしたところで、あまり大きな効果は期待できません。必要なのは経営者を生産性向上にコミットさせる政策です。これまで文部科学省がやってきた生涯教育に関する施策があまり効果が出なかった理由は、ここにあります。 要するに、日本では海外に比べて社員教育が充実していないという事実を基に、社員教育の充実を狙った施策を用意したとしても、それを使おうという経営者たちのインセンティブを高めないかぎり、利用されず無駄になってしまう可能性が高いのです。 日本政府が今まで行ってきた地方創生や中小企業政策、輸出政策などが、ことごとく空振りに終わっている最大の理由は、日本経済の衰退の原因をきちんと分析をしてこなかったことにあると思います。要因分析をしないままで、表面的な違いを見て講じた政策が、大きな効果をもたらすとは思えません』、「日本生産性本部は「日本の人材投資は・・・2010年以降は約0.5兆円とピークの2割程度に低迷」というのには驚かされた。ここまで余裕がなくなっているのだろうか。
・『教育は「人口動態」を無視して語れない  しかし、生産性向上にコミットするなら、どう考えるべきでしょうか。日本の教育を考えるときに、決して見逃してはいけないのは人口動態の変化です。 日本で教育について論じる場合、「子どもの教育」を論じることがほとんどなのではないでしょうか。今の日本では「教育とは22歳までに受けるもの」というのが、圧倒的に支配的な考え方になっているように感じます。 確かに1950年代は国民の55%が24歳以下でした。当時は今に比べると寿命が短かっただけではなく、子どもの絶対数が非常に多かったので、彼らにしっかりとした教育を施しておけば、そう遠くない将来、成長した彼らが企業の過半数を占めるようになり、同時に社会に大きな貢献をもたらす存在になるのです。ですので、彼らをしっかり教育するために知恵を絞るのは、非常に合理的であったと言えるのです。 しかし、2030年には、国民の82%が25歳以上になります。少子化によって子どもの数が減り、今後は、いつまでたっても若い人が人口の過半数を占めることはありません。さらに寿命が延びるのに伴い、仕事から引退する年齢は年々高くなっていきます。つまり、学校教育を受け終えてから、引退するまでの期間がいままでよりずっと長くなるのです。 子どもの教育の充実が重要なのは私も決して否定はしません。しかし、先ほども述べたとおり、全国民の82%以上が25歳以上になるのです。25歳以上の人を対象とした教育のほうが、わずか18%しかいない25歳未満の教育より、ずっと重要になるのは当然でしょう。 日本の教育のうち、幼児教育は世界的にも高く評価されています。一方、高校、大学と高等教育になればなるほど評価が下がっているのが現実です。World Economic Forumの評価では、基礎教育は世界第7位ですが、高等教育以上のランキングは第23位まで下がります。 社会人教育になるとさらに評価は低く、マネジメント・スクールのランキングとなると、第59位まで大きく下がります。 教育のレベルと生産性の相関を測ると、先進国になればなるほど、とくに大学以上の評価と生産性の水準の相関が強くなります。当たり前といえば当たり前の話なのですが、日本ではほとんど意識されていないのも事実です。 日本の教育は、言われたことを忠実に守る、いわば兵隊を作ることに関しては、すばらしい成績を出していますが、リーダー教育は非常に遅れています。 金融問題・文化財行政・観光戦略・生産性問題の関係で仕事をして感じるのですが、日本人のトップは知識を極めることは得意です。現状分析も徹底的にします。しかし、要因分析、予想、問題の本質を追求することは苦手です。というより、今までそういった分析を見たことがほとんどありません。報告書はどの国の誰よりも詳しい。しかし、示唆に欠けるのです。 この状況を打破するために、最も必要なのは大学レベル以上の教育機関と教育内容の改革でしょう。リーダー教育は大学教育の基本ですし、知識を積む高校までの教育を発展させて、示唆を探る教育こそ、大学教育の使命のはずだからです。 とくに、大学は青年だけのものではなく、成人した人が何度も通学する時期があるように改革する必要があります。先日、オックスフォード大学に通っている学生のうち、すでに1回大学を卒業している再就学者の比率が50%を超えたと聞き、びっくりしました。 何度も繰り返し述べているように、日本は人口減少と高齢化が世界一進む国です。この大変な状況を乗り越えるには、日本は世界一の「社員教育大国」にならなくてはいけないのです。 しかし、日本の教育の現状を見ると、まるで1950年代で時間が止まったように見えます。このことも『日本人の勝算』を書いている間に気づいた事実です』、「日本の教育は、言われたことを忠実に守る、いわば兵隊を作ることに関しては、すばらしい成績を出していますが、リーダー教育は非常に遅れています」というのは、その通りだ。
・『すべては「人口減少への対応」に帰結する  さて、今回で本連載は第11回目を迎えました。この連載では人口が激減する今後の日本が取り組むべきさまざまな問題をテーマに取り上げてきました。 小さい企業に勤める人が多い問題、技術の普及が進まない問題、輸出が少なすぎる問題、そして今回は教育の対象が間違っている問題を取り上げました。 これら一つひとつのテーマを見ると、それぞれが独立しているように見えるかもしれませんが、実はすべてつながっています。 日本経済の仕組みが人口増加を前提として出来上がっており、人口減少の時代には相応しくなくなっているので、大改革が必要不可欠だ。 どのテーマを掘り下げても、結局はこの結論に達するのです』、これについては、にわかには同意しかねるので、私なりにもっと考えてみたい。
タグ:教育 (その16)(「テスト結果を賞与に反映」が失敗する理由 「点取り教育」の被害者となるのは子どもだ、[議論]N高校に聞く子どもの「やりたいこと」の探し方、日本人の「教育改革論」がいつも的外れなワケ 課題は「子ども」ではなく「社員教育」にある) 福島 創太 東洋経済オンライン 「「テスト結果を賞与に反映」が失敗する理由 「点取り教育」の被害者となるのは子どもだ」 大阪市の吉村洋文市長 「全国学力・学習状況調査」(全国学力テスト)の結果を来年度から校長や教員の人事評価に反映する制度を検討していると発言 「そんなことでは子どもの学力は上がらない!」 制度の是非を問うのに必要な論点とは? 大阪市の学力テストの結果が小学校・中学校ともに全科目で全国平均を下回り、他の政令指定都市と比較しても最低水準となった 「学力テストの結果と教員の評価を連動させれば、児童・生徒の学力向上につながるのか」 「学力テストの順位を高めることに意味があるのか」 生徒の成績を高める、あるいは下げる要素は無数に存在する。特にその子の家庭環境や学校外における勉強時間などが成績に与える影響は非常に大きい 子どもたちは生活習慣の乱れ、家庭での学習習慣、愛着形成の遅れ、言語能力の遅れといった「学力以前の複雑な課題」を抱えており、それを解消することが彼らの学習支援にもつながる 東京都足立区の小学校で、特定の児童の答案を無断で除外し、先生が試験中に生徒に誤答を気づかせるといった不正行為が2007年に発覚し、大きく報道 「数値による評価」がはらむリスク 海外の企業で広がり始めている「ノーレイティング」という考え方 脳科学によると、数値によってランク付けされることによって、人は学習や成長に対してネガティブになる「硬直的なマインドセット(スタンフォード大学のキャロル・S・ドゥエック教授が提唱)」が強化される 先生を数値によって評価しモチベートすること自体が、子どもたちの学力を向上させることに対してネガティブな影響を及ぼす可能性すらある 学力テストの点数向上のための指導偏重となり、本質的でこれから必要な能力の育成が疎かになる懸念 学力ではなく「学力テストの点数」を短期間で上げようとするばかりに、「上げやすい指標」に取り組み、生徒たちにとって苦手だったり、本当に身につけなければならない学力だったりがなおざりになってしまう可能性があるのだ 「本当に身につけなければならない学力」とは何 OECD 行政が教員にコミットすべきは「報酬」ではなく「育成」だと考える 堺市教育デベロップメントプログラム」という教員研修 育成と「働き方改革」を両立させるには? 日経ビジネスオンライン 「[議論]N高校に聞く子どもの「やりたいこと」の探し方」 角川ドワンゴ学園の運営する通信制高校、N高等学校 ネットによる授業をメーンとする従来型に縛られない方法を採用 ルートに沿って歩けば安心という神話は崩壊している 「多くの問題は検索しても答えが出ない」 最近生徒に「なぜ大人はネットとリアルを分けたがるのですか」と言われてショックを受けました。「私たちにとって、ネットは既にリアルの一部なんです」と言うんです デービッド・アトキンソン 「日本人の「教育改革論」がいつも的外れなワケ 課題は「子ども」ではなく「社員教育」にある」 「子どもの教育」が日本の最優先課題なのか 日本の教育が悪いのか、悪者に見えるだけではないのかという疑問 もう1つは、そもそも日本の教育の問題点は、子どもの教育ではなく成人の教育にあるのではないか 今の教育改革論は、いかにも日本的な感情論、感覚論にすぎない可能性が高い 経済が悪いと何でもダメに見える 日本経済の最大の問題点は、規模の経済が効かない極めて小さい企業で働く労働人口の割合が高すぎることで、教育云々は少なくても主要因ではない可能性が高いからです 日本の教育論は「対象」を間違えている 教育は「人口動態」を無視して語れない 日本の教育は、言われたことを忠実に守る、いわば兵隊を作ることに関しては、すばらしい成績を出していますが、リーダー教育は非常に遅れています すべては「人口減少への対応」に帰結
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