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高齢化社会(その9)(池袋暴走事故で元通産官僚の容疑者を逮捕せずネットで批判…元検察幹部の人身事故でも逮捕見送り恣意性丸出し捜査、75歳以上の運転免許返納がまるで進まない実態 都道府県別75歳以上「免許返納率」ランキング、河合 薫氏:池袋・高齢者暴走事故の遺族会見と“私”の現実) [社会]

昨日に続いて、高齢化社会(その9)(池袋暴走事故で元通産官僚の容疑者を逮捕せずネットで批判…元検察幹部の人身事故でも逮捕見送り恣意性丸出し捜査、75歳以上の運転免許返納がまるで進まない実態 都道府県別75歳以上「免許返納率」ランキング、河合 薫氏:池袋・高齢者暴走事故の遺族会見と“私”の現実)を取上げよう。

先ずは、4月21日付けLITERA「池袋暴走事故で元通産官僚の容疑者を逮捕せずネットで批判…元検察幹部の人身事故でも逮捕見送り恣意性丸出し捜査」を紹介しよう。
https://lite-ra.com/2019/04/post-4672.html
・『東京・池袋の都道で乗用車が暴走し、横断歩道を自転車で渡っていた31歳の母親と3歳の娘がはねられ死亡したほか、8人が重軽傷者を負った事故。運転していた男性は87歳の高齢で「アクセルが戻らなくなった」などと説明しているというが、警察は車体にトラブルが確認できないことから運転操作を誤った可能性を視野に捜査しているという。 相次ぐ高齢者運転者による事故が社会問題となるなか起きてしまった痛ましい事件だ。報道によれば、乗用車は二つの交差点に赤信号を無視して進入。ドライブレコーダーに残された記録によると、同乗していた80代の妻から「危ないよ、どうしたの?」と声をかけられた男性は「どうしたんだろう」と返したものの、その後もスピードを上げていったという。男性は警察に対して事故を起こしたことを認めている。 他方、ネット上で大きな関心が高まっているのは、警察が男性を逮捕していないことだ。各社の報道を総合すると、警察は男性がけがをしていることや証拠隠滅の恐れがないことから逮捕はせず、回復を待ってから詳しく事情を聴くという。 Twitterなどでは、男性が通産省(現経産省)の元官僚で、大手機械メーカー・クボタの副社長などを務めた経歴に注目が集まり、「警察が忖度して逮捕しなかった」などという声が多数あがっている。さらには「上級国民」なる言葉までもがトレンドに浮上。〈日本が階級社会であることが証明された〉〈これぐらい功績を残しとけば数人轢いても逮捕されないのか〉などというのである。 たしかに、池袋で事故を起こした男性が元高級官僚であったことは事実だ。男性は東京大学工学部卒業後、1953年に通産省の工業技術院計量研究所に入った。工業技術院は様々な研究を行う通産省の行政機関である(2001年に国立研究開発法人産業技術総合研究所に統合再編)。部長や所長などを務め、1986年にはトップの院長に上り詰めた。 男性の経歴からは、一貫して技術・研究畑を歩んだエリートであったことが窺える。1986年に工技院長を退官した後も、国際的な技術系組織の委員などを務めながら、1991年にクボタへ常務として再就職。98年に同社副社長、2000年に顧問となった。2015年秋の叙勲では瑞宝重光章をうけている。 いま、ネット上で「逮捕されなかった理由」として取りざたされている「上級国民」なる言葉は、こうした男性の官僚経験や社会的地位を意識したものだろう(ネット上では〈上級国民だから無罪か〉などという書き込みも散見されるが、逮捕と起訴は法的に別行為なので、これは早とちりである)』、紹介されたネット上の書き込みは確かに「早とちり」だが、逮捕しない警察の判断には釈然としないものが残る。
・『一般論としては、交通事故等に限らず、加害者を逮捕するかどうかは警察の裁量次第であることが多く、事件の悪質性に加えて、健康状態や容疑の認否などを考慮して、これまで人身事故の加害者を逮捕しなかったケースがないわけではない。 ただし、今回の事件を機に、あらためて「警察は逮捕するかしないかを恣意的に決めている」との疑念が生じること自体は、至極まっとうではある。 事実、加害者の様々な事情を考慮して逮捕しないケースがある一方で、容疑の認否や高齢等にかかわらず警察が身柄を拘束するケースはザラにある。とりわけ、今回のような複数人の死傷者を出した重大事故の場合は加害者が逮捕されることのほうが多いだろう。 たとえば昨年1月9日、群馬県前橋市で通学途中の女子高生2人がはねられて一人が死亡、一人が重体となった事件では、同日夜に警察は運転していた男性を過失傷害の容疑で逮捕している(のちに検察は過失運転致死傷の罪で起訴)。男性は当時85歳と高齢だった。池袋事故のケースと同じく、加害者が容疑を認め、自身もけがを負ったが、群馬県警は在宅捜査ではなく逮捕したわけだ』、確かに、群馬県前橋市の事故と状況は似ているのに、今回は逮捕されないというのは余りに恣意的だ。
・『石川達紘・元高検検事長は暴走死亡事故を起こして否認しても逮捕されず  今回の池袋事故において、警察が男性を逮捕しなかった背景に“過去の経歴への配慮”があったかどうかは現段階ではわかっていないが、こうした「法の下の不平等」が現実に行われている状況を考えると、やはり、「警察は恣意的に逮捕するかどうかを決めている」との疑念が強まるのは当然だろう。 実際、日本の司法では、権力にたてついたり、告発したりした人間は、微罪でも長期勾留される一方、権力者、政治的な絡みがある相手、検察や警察といった身内に対しては、よほどのことがないかぎり逮捕しないということが相次いでいるからだ。 たとえば、最近も元検察幹部に対するありえない処遇が発覚している。昨年2月、相手を死亡させる交通事故を起こし、容疑を否認したにもかかわらず、逮捕されないまま10カ月後になって書類送検、そして今年3月22日にようやく過失運転致死等の罪で在宅起訴されたケースだ。 この元検察幹部とは、東京地検検事正、名古屋高検検事長などを歴任した石川達紘弁護士。しかも、石川氏はたんに検察幹部だったというだけではない。かの「ロッキード事件」の捜査に関わり、1989年に東京地検特捜部長に就任。以降、検察幹部として「東京佐川急便事件」で金丸信・自民党副総裁や、「ゼネコン汚職事件」で中村喜四郎元建設相の逮捕に関わったほか、野村証券などの「四大証券事件」では次々と社長、会長の身柄を取り、「大蔵省接待汚職」に至っては新井将敬衆院議員の逮捕許諾請求を国会の場でやってのけた(新井議員は直後に自殺)。事ほどさように「逮捕」にこだわり、名実ともに“特捜検察の鬼”の名をとどろかせた人物でもある。 問題の事故は、東京都港区白金で昨年2月に起きた。トヨタの高級車「レクサス」を運転していた石川氏は道路の路肩でいったん停車し、知人を乗せようとした際に急発進して暴走。歩道を歩いていた37歳の男性をはねて死亡させ、さらに道路脇の金物店に突っ込んで建物の柱やシャッターなどをめちゃくちゃに壊す大事故を起こした。 警視庁は、通常の交通死亡事故なら現場を所管する高輪警察署に任せるところだが、容疑のかかった相手が検察の大物OBだけに本庁が捜査に乗り出し、交通捜査課が担当した。これは異例のことだと言われている』、「“特捜検察の鬼”の名をとどろかせた人物」には、「本庁が捜査に乗り出し」、「容疑を否認したにもかかわらず、逮捕されないまま10カ月後になって書類送検・・・在宅起訴」とは、余りに扱いが違い過ぎる。こんな見え見えの「法の下の不平等」が横行していたとは、改めて怒りを感じる。
・『逮捕するかしないかを恣意的に判断する警察、日本に法の下の平等はあるか  検察の交通事故といえば、後に特捜部長に就任することになる検事が東名高速で横転事故を起こしたことがある。同乗者に怪我を負わせたため、業務上過失傷害容疑で略式起訴され、罰金刑を受けるほどの事故だったにもかかわらず、発生直後、一度も報道されることはなかった。 他にも、警察官による刑事事件で警察が逮捕をせずに捜査をしたというケースはザラにある。こうしたことからも、日本の司法当局の身内に甘い体質は、強く批判されるべきだ。 念のため言っておくが、本サイトはなんでもかんでも逮捕して、身柄を拘束して取り調べを行う警察のやり方には反対の立場だ。また、今回の池袋のケースでいえば、事故を起こしたことを認めている男性の回復を待ってから事情を聞くという段取りは人権上、当たり前のことである  あえて引用はしないが、ネットで加熱している男性への罵倒についてもいささか度を超えているように思える。問題なのは「恣意的な逮捕」を疑わせる警察の体質のほうであることを忘れてはいけない。「上級国民」なる表現で一括りにすることは、その問題の本質を見誤らせかねないだろう。最後にそのことは強調しておきたい』、「日本の司法当局の身内に甘い体質」は、不公正だが、一般のマスコミも情報源である司法当局を「忖度」して報道を抑制することで、一役買っていることも腹立たしい限りだ。

次に、ニッセイ基礎研究所保険研究部 准主任研究員の村松 容子氏が4月24日付け東洋経済オンラインに寄稿した「75歳以上の運転免許返納がまるで進まない実態 都道府県別75歳以上「免許返納率」ランキング」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/278123
・『警察庁の発表によると、2018年に運転免許を自主返納したのは、およそ42.1万人(75歳以上が29.3万人)と、2年連続で40万人を超えました。返納者数が増加しているだけでなく、免許保有人口に対する返納率も上昇していて、免許返納は少しずつ浸透しているようです。 しかし、浸透してきているとはいっても、まだ75歳以上免許保有者の5%と低い水準にあります。 それでは、一定年齢になったら免許を全員没収してしまえばいいかというと、そこにも現状では問題があります。そこで、今回は、国全体での免許の自主返納率の推移と返納率の都道府県差、免許返納に関する課題のほか、諸外国での対策を紹介したいと思います』、興味深そうだ。
・『高齢ドライバーの死亡事故は多い  2018年の交通死亡事故の発生件数は、2008年と比べると、すべての年代のドライバーで減少しています。また、年代別にみると、20~74歳で免許保有人口10万人あたり3~4件であるのに対し、75~79歳で6.2件、80~84歳で9.2件、85歳以上で16.3件と、75歳以上の高年齢で多くなっています(警察庁「平成30(2018)年における交通死亡事故の特徴等について」)。 75歳以上の死亡事故にはいくつかの特徴がみられます。 75歳未満では「安全不確認」要因が最大であるのに対し、75歳以上はハンドル操作やブレーキの踏み間違いなどといった「操作不適」が多いとされています』、池袋暴走事故の原因も「操作不適」だったようだ。
・『また、死亡事故をおこした75歳以上は、認知機能の低下(認知症のおそれがある、または認知機能が低下しているおそれがある)が指摘される割合は半数程度と、75歳以上全体の3分の1程度と比べて高くなっています(警察庁「平成29(2017)年における交通死亡事故の特徴等について」)。 こういったことから、加齢による身体機能や認知機能、判断の速さの衰えによる事故の発生が指摘されています。 こういったことを背景に、運転適性の見極めも厳しくなっています。まず、71歳以上は免許の有効期限が短縮されています。また、免許更新時は、70歳以上は高齢者講習受講が、75歳以上は高齢者講習受講に加え認知機能検査受検が、それぞれ義務づけられています。 認知機能検査の結果、必要があれば専門医の診察を受け、認知症と診断されれば、免許の停止・取消となります。2017年には、この認知機能検査が厳格化され、専門医の診察を受けた75歳以上の1割程度が免許の停止・取消となりました。 また、運転免許の自主返納(申請による免許取消)が進められています。自主返納制度は、運転免許が不要になった人や、加齢に伴う身体機能低下などによって運転に不安を感じるようになった高齢ドライバーが自主的に運転免許の取消(全部取消または一部取消)を申請する制度で、1998年に始まりました。 2002年には自主返納者のうち希望者に、本人確認書類として利用可能な「運転経歴証明書」の発行を始め、それ以降ようやく定着してきました』、「専門医の診察を受けた75歳以上の1割程度が免許の停止・取消」と多くないのは、専門医の腰が引けているためなのかも知れない。
・『返納タイミングと移動手段の確保が課題  免許の自主返納は浸透してきており、2008年に2.9万人だったのが、2018年には全国で42.1万人と2年連続で40万人を超えました。年齢別の返納率をみると、とくに75歳以上で上昇しています。2017年の認知機能検査の厳格化の効果もあったと思われます。 しかし、課題も多くあります。まず、75歳以上で返納率が上昇しているとは言っても5.18%にとどまっています。 また、現行の免許返納は自己判断に委ねられる部分が多いのですが、「超高齢社会と自動車交通」(国民生活センター『国民生活』2016年11月)によると、「自分の運転テクニックなら充分危険回避できる」と考える割合は64歳以下では2割に満たないものの、65~69歳で29%、70~74歳で46%、75歳以上で53%と年齢が高いほど高くなっています』、運転への自信は、本来「年齢が高いほど」低くなる筈だが、「楽観バイアス」が影響しているのかも知れない。75歳以上の返納率が.18%とは確かに低い。
・『しかし、自由な移動は、高齢者の自立した生活に欠かせないことなどから、子どもでも親に自主返納を説得するのは難しいと言われています。 また、都道府県別の75歳以上返納率には2.16倍もの差(最高が東京都の8.0%、最低が茨城県の3.7%)があります。都道府県別の1人当たり乗用車台数が多い都道府県(東京都は0.23台で最低、茨城県は0.68台で2番目に多い)ほど、返納率が低い傾向があることを考慮に入れると、日々の生活における車の利用状況が地域によって異なることが、返納率の地域差の一因となっていることがうかがえます。 さらに、岡村和子「各国における運転適性と安全に運転できる能力の評価方法」(国際交通安全学会 IATSS Review Vol.42、No.3、2017年)によると、日本で、高齢者の歩行中死亡率が高い理由の1つが、運転をする高齢者が少ないことだと考えられています。運転を止めると、歩行や自転車など、高齢者にとってより危険な方法で移動せざるをえなくなることも課題です』、「運転を止めると、歩行や自転車など、高齢者にとってより危険な方法で移動せざるをえなくなる」というのは、確かに難題だ。
・『1位は東京都、47位は茨城県  現在、ほとんどの自治体で、運転経歴証明書を提示することで、バスや電車などの公共交通機関やタクシーの運賃割引が受けられるなどの施策を設けて、運転に替わる移動手段を提供しています。 さらに、医療機関への送迎、生活用品の宅配サービスなど、車を使わなくても日常生活を送るための支援や、自主返納に関連して、運転適性相談や、廃車買取、運転経歴証明書の発行手数料の支援、電動自転車や車いすの利用相談を行う自治体もあります。 民間企業も駅近マンションの斡旋、近隣宿泊施設や温泉の割引、商品券の発行など、高齢者の外出を後押しするようなサービスを導入しているケースがあります。サービスは充実してきていますが、とくに地方部では、車なしでの生活に不安を残したままとなっています』、確かに地方部で自主返納を如何に進めるかも難題だ。
・『諸外国でも試行錯誤  日本より高齢者が車に乗ることが多い諸外国でも高齢ドライバーに対してさまざまな対策がとられています。日本にはない制度として、免許更新時の認知症検査だけでは捉えきれない、日常での身体・認知機能に関する情報を、かかりつけ医や家族からも得る国や地域があります。家族が免許返納を説得しきれなくても、危険な兆候があれば、客観的な判断を受けるきっかけとなります。 また、健康状態によっては、運転可能な地域や時間帯を限定する国や地域もあります。例えば、加齢によって視野が狭くなっているなどの状態では、日中よく知った道であれば、安全に運転できる可能性があり、運転を継続する可能性が広がるかもしれません。 自動運転技術やウエアラブルデバイスによる健康状態のモニタリングも、高齢ドライバーによる事故の低減に効果があると考えられています。しかし、原則として、加齢によって一定以上の身体・認知機能の衰えがあれば、運転を止めるのが望ましいでしょう。 日本においては、近く、これまでよりも免許保有率が高く、人口の多い団塊の世代が75歳を迎え始めます。国内あらゆる地域で、高齢になっても自立した生活を送るために、安全な移動手段を早急に確保していく必要があります』、返納促進策も必要だが、ブレーキやアクセルのペダル踏み間違いを防止する装置も20万円程度で売っているようだ。自動運転などの前にこうした簡単な装置を付けるのが、本筋のような気がする。

第三に、健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏が5月7日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「池袋・高齢者暴走事故の遺族会見と“私”の現実」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00022/?P=1
・『10連休は少しはお休みになれたでしょうか? 「そんなことできるの大企業の人たちだけでしょ」って? 確かに。 連休中の国際線利用者が、前年同期比14.0%増の109万900人になり、4年連続で過去最高を更新という景気のいい報道があった一方で、時事通信の調査では4割が「10連休がうれしくない」と回答。サービス業や医療関係者、あるいは非正規雇用の人たちは休みが取れず、「全く休めない」とした人は、男性9.4%、女性は21%の高さだった。 願わくば……休めた人もそうでなかった人も少しだけリフレッシュでき、気持ちだけでも前向きになれていればよいのだが……。 いずれにせよ、引き続き社会の窓から「人の幸福感」を考えていきますので、よろしくお願いいたします! 早速「令和」一発目となる今回は、「会社組織」を飛び出しあれこれ考えてみようと思う。テーマは「変化」。人間がもっとも嫌い、もっとも苦手とする「変化」である』、「変化」をどのように料理するのだろう。
・『東京・池袋で乗用車が暴走し、母親と3歳の女児が死亡した事故。ご遺族である夫の切ないまでに感情を抑えた会見を見て、「変化をいとう人間の性癖」を恨まずにはいられなかった。 これからの数年間は、おそらく私たちが想像する以上にドラスチックな超・超高齢化という途方もない「変わり目」に遭遇することになる。その変化に私たちは備えることができているだろうか? 「この数日間何度も、この先、生きていく意味があるのかと自問自答しました」と語る夫が、苦悶(くもん)のどん底で会見を開いた意味を、夫がつづった言葉を、もっともっと「私たち」は真摯に受け止める必要があると切に感じている。 そこでご遺族の記者会見の中から、私たちが「かみしめなければならない言葉」を紹介するので、みなさんもぜひ、考えてください(全文はいくつかのメディアが公開しているのでそちらをご覧ください)。 「最愛の妻と娘を突然失い、ただただ涙することしかできず、絶望しています。(中略)妻と娘は本当に優しく、人を恨むような性格ではありませんでした。私も2人を尊重し、本来ならばそうしたいです。ですが、私の最愛の2人の命を奪ったという、その罪を償ってほしいです。 妻はとても恥ずかしがりやで、フェイスブックなどで顔を公開することもないような控えめな性格でした。そのため本当に苦渋の決断でした。この画像を見ていただき、必死に生きていた若い女性と、たった3年しか生きられなかった命があったんだということを現実的に感じてほしいです。 現実的に感じていただければ、運転に不安があることを自覚した上での運転や飲酒運転、あおり運転、運転中の携帯電話の使用などの危険運転をしそうになったとき、亡くなった2人を思い出し、思いとどまってくれるかもしれない。そうすれば、亡くならなくていい人が亡くならずにすむかもしれないと思ったのです。 それぞれのご家庭で事情があることは重々承知しておりますが、少しでも運転に不安がある人は車を運転しないという選択肢を考えてほしい。また、周囲の方々も本人に働きかけてほしい。家族の中に運転に不安がある方がいるならば、今一度家族内で考えてほしい。 今回の事件をきっかけにさまざまな議論がなされ、少しでも交通事故による犠牲者がいなくなる未来になってほしいです。」……何度言葉を振り返っても重い。とにかく重い。“絶望”の中で「会見をしなくてはならない」と自らに言い聞かせ、あの場でカメラと向き合ったご遺族の心情を考えると、今、日本が直面している「長寿社会」のリアルをもっと「自分ごと」にしなくてはいけないと心から思うばかりだ』、夫が公開した「妻と娘」の写真は、4月24日付け朝日新聞に「娘が好きだった公園で… 池袋事故、夫が新たな写真公開」として掲載された。2人を失った喪失感は想像を絶するものだろう。
https://www.asahi.com/articles/ASM4S35BPM4SUTIL004.html
・『ところが、SNS上では事故が起きた直後から、加害者が逮捕されないことへの批判や、87歳という年齢で車を運転させた家族へのバッシングが繰り返され、会見が行われてからは「高齢者の事故は本当に増えているのか?」ということについてのバトルが発信者間で勃発していた。 そのすべてを否定するわけではない。だが「それぞれのご家庭で事情があることは重々承知しておりますが、」という言葉で問いかけられた真意は、本当にそこなのだろうか。 ご遺族が「事情を承知」などと二度と絶対に言わなくてよい社会にするためには、「尊い大切な命が一瞬にして奪われた」という現実を感じるだけではなく、「老いる」ことをもっともっと「現実的」に考える必要があるのではないか』、その通りだろう。
・『個人的な話で申し訳ないが、昨年末に母が近くのマンションに引っ越してきてからというもの、母に対して「なぜ、こんなことができないのか?」という思いの繰り返しだった。毎日、老いた母と接すると、週に1度会っていたとき(実家にまだ母がいるとき)には知り得なかった、「老いる」ことのリアルに直面し、私はがくぜんとし、ショックを受けてしまった。 まず、新しいことが覚えられない。「な、なんで?こんな簡単なことなのに」ということが、覚えられない。例えば、部屋のスイッチひとつうまく押せないのだ。 引っ越す前の実家は昭和の作りなので、黒いポチを上下するタイプだった。が、新しいマンションでは、平たい面を左右で押す、いわゆる“高齢者にやさしい”とされるタイプだ。 私も日々接するまで知らなかったのだが、老いると色の識別が難しくなる。白い壁に装備されたクリーム色の“スイッチ”がクリアに見えない。「飛び出している面を押すとスイッチが入る」という極めてシンプルな作法を、78年間一度も経験していないので、それも理解できない。 「高齢者は新しい環境に適応するのに時間がかかる」と聞いていたので覚悟はしていたけど、実際に自分の母親の「老いた姿」を目の当たりにすると、私自身もショックを受け、それが母にも伝わるので、本人も「なんで、こんな簡単なことが覚えられないのか?」と自信喪失。「失敗して迷惑をかけてはいけない」と不安がるようになり、それでまた緊張し、余計にうまくできないという悪循環にはまり、それ以外のことまでできなくなってしまったのだ』、「悪循環にはまり、それ以外のことまでできなくなってしまった」というのはありそうな話だ。
・『こういった話を友人にすると、「老いるリアル」を知っている人とそうでない人とで、異なった反応が来るのも衝撃だった。 未経験の人は「認知症の検査してみたら? 早いほうがいいのでは?」とリアクションし、経験者は、「大丈夫だよ。半年もすれば慣れて元気になるよ」、「うちの親も近くに引っ越していろいろ大変だったけど、お友達とかできると『みんな自分と似たようなもんだ』って思えるみたいで、ケラケラ笑うようになるよ!」と軽く受け流された。 私は「認知症なのか?」と不安になる日と、「どこの親も同じみたい」と安心する日を、まるで日替わりメニューのように繰り返した。その数カ月前に母は体調を崩して入院し、その際ついでにやってもらった認知症検査が“白”だったにもかかわらず、だ。 で、実際はどうだったか? まったく“経験者”たちの言ったとおりだったのである。 半年たった今、母はなんとか適応し、「ん?」ということは時折あるけど、それが「老いることなんだ」と私は理解できるようになった。そして何よりも良かったのは、母が以前より元気になったこと。同じ年齢層のお友だちもでき、「今までできていたことができなくなる」のは自分だけじゃないとわかり、「明るくボケましょう!」がおばあちゃんたちの合言葉だという(ここで“ボケる”という言葉を使うと、この部分だけをつついてくる人たちがいるけど、母と友達のおばあちゃんたちの言葉なので、そのまま使う)。 とはいえ、どんなに「明るくボケた」ところで、「老い」が止まるわけではない。「見えづらい、聞こえづらい、忘れやすい、勘違いしやすい、覚えられない」という現実の繰り返しが老いることであり、どんなに気持ちが元気でも体力と認知機能の低下から逃れるのはムリ』、ただ、老人になっても記憶力抜群だと若い人から煙たがれることもあるので、「明るくボケた」老人の方が好かれることもある。
・『くだんの記者会見で語られた「現実的に感じる」という言葉の真意が、まさにそこにあるのだと思う。それは「私」自身も老いる現実を感じることである。と同時に、「現実的に感じる」かどうかで、次のような報告書から全く違った「事実」を浮かび上がらせることもできる。 東京都老人総合研究所(現東京都健康長寿医療センター研究所)が1992年と2002年に、約4000人を対象にふだんの歩行スピードを調べ、比較した結果がある(「日本人高齢者における身体機能の縦断的・横断的変化に関する研究—高齢者は若返っているか?」)。 「歩行スピード」は年齢とともに低下するため、身体機能のレベルの総合的な測定に多く用いられるのですが、1992年から劇的に伸びていることがわかる。92年の64歳の歩行スピードは、2002年の75歳とほぼ同じ。 つまり、10年前に比べ11歳も身体機能が若く、70歳は59歳、60歳は49歳と同じ身体機能と考えられるのだ。 それだけではない。 なんと「日常問題を解決する能力や言語(語彙)能力は、年齢とともに磨かれ、向上している」ということが、いくつもの調査で確かめられている。 人間の知能は「新しいことを学んだり、新しい環境へ適応したり、情報処理を効率的に行ったりするための問題解決能力」である流動性知能と、「学校で学んだことや日常生活や仕事などを通じて積まれた知識・経験を生かし応用する能力」である結晶性知能の2つの側面に分けられる。流動性知能とはいわば「記憶力や暗記力、集中力」で、結晶性知能とは「経験知や判断力」を指す。 かねて「身体能力のピークは20代であるのに対し、知力は発達し続ける」とされていたのですが、近年、経年データを使った分析(縦断研究)で、「どちらの能力も、60代前半までは大きく低下しない」ことがわかった。 「流動性知能のうち、記憶力や暗記力は40歳代後半から急速に低下するのですが、語彙力は、若干低下するだけ。結晶性知能にいたっては、60~70歳前後まで緩やかに上昇し、74歳以降緩やかに低下するものの、80歳ぐらいまでは20歳代頃と同程度の能力が維持されることがわかりました」 これは2年前に出版した拙著『他人をバカにしたがる男たち』の中で、私自身が報告書を引用して書いた文章である。 このとき、私はこの結果を「50歳で心の定年を迎えている場合じゃない! 体も脳もまだまだ元気なのだから、もっとがんばろうよ!」とポジティブに捉えた。が「年をとる現実」が少しだけわかった今、自分に都合のいい結果だけに目がいっていたことを反省している。 つまり、先の報告書は、同時に「40歳後半から新しいことは覚えにくくなる」「70代になると判断力は低下する」「若いときに経験していたことでも80歳までしか維持されない」という厳しい現実も明かしているのである。 2018年10月1日現在の日本の総人口は1億2644万3000人と8年連続で減少し、減少幅、減少率ともに過去最大だった(総務省調べ)。また、15歳から64歳までの「生産年齢人口」の割合は59.7%で、比較可能な昭和25年と並んで過去最低となった。 総人口のうち大人(20歳以上)人口は約1億人で、うち50代以上の人口は約5800万人で(2017年)、来年の2020年には「大人の10人に6人は50代以上」となるとされている。40代以上では、約7600万人で(同)、20年に「大人の10人に8人」となる。 老いる影響が出始める40代以上が「10人中8人」という現実は、「10人にたった2人」の40歳未満の人たちに、「今までどおり働けなくなった人たち」の負担を押し付けることでもある。 「亡くならなくていい人が亡くならずにすむかもしれない」社会にするには、迫り来る「長寿化」を「現実的に感じた」生き方、働き方、社会保障、介護制度をもっともっと議論し、早急に取り組む以外答えはないはずだ。 そもそも「認知症」という言葉だけが一人歩きしているが、認知症は病名ではない。誰もが年をとれば低下する認識力、記憶力、判断力が、社会生活に支障をきたす状態のこと。認知症医療の第一人者で精神科医の長谷川和夫先生(90)は、昨年自らも「認知症」になったと告白し、こう述べている。 「認知症にならないで死を迎える高齢者は1割以下。高齢化社会で大切なのは、自分も老いるという現実を受け止め、認知症になった人は自分と一緒と考えることだ」と。 私も老いる。これを読んでいる人も老いる。その老いた人たちがあふれる社会をどうするのか? これからも具体的に考えていきたいので、ご意見をお待ちしています』、「流動性知能」や「結晶性知能」についての数字の読み方が、ポジティブにもネガティブにも変わり得る、というのは言われてみれば、その通りだ。「高齢化社会で大切なのは、自分も老いるという現実を受け止め、認知症になった人は自分と一緒と考えることだ」との「長谷川和夫先生」の言葉は噛みしめがいがある。
タグ:認知症にならないで死を迎える高齢者は1割以下。高齢化社会で大切なのは、自分も老いるという現実を受け止め、認知症になった人は自分と一緒と考えることだ 長谷川和夫先生 先の報告書は、同時に「40歳後半から新しいことは覚えにくくなる」「70代になると判断力は低下する」「若いときに経験していたことでも80歳までしか維持されない」という厳しい現実も明かしているのである 私はこの結果を「50歳で心の定年を迎えている場合じゃない! 体も脳もまだまだ元気なのだから、もっとがんばろうよ!」とポジティブに捉えた 「流動性知能のうち、記憶力や暗記力は40歳代後半から急速に低下するのですが、語彙力は、若干低下するだけ。結晶性知能にいたっては、60~70歳前後まで緩やかに上昇し、74歳以降緩やかに低下するものの、80歳ぐらいまでは20歳代頃と同程度の能力が維持されることがわかりました 経年データを使った分析(縦断研究)で、「どちらの能力も、60代前半までは大きく低下しない」 0年前に比べ11歳も身体機能が若く、70歳は59歳、60歳は49歳と同じ身体機能と考えられる 「明るくボケましょう!」がおばあちゃんたちの合言葉 「失敗して迷惑をかけてはいけない」と不安がるようになり、それでまた緊張し、余計にうまくできないという悪循環にはまり、それ以外のことまでできなくなってしまったのだ 実際に自分の母親の「老いた姿」を目の当たりにすると、私自身もショックを受け、それが母にも伝わるので、本人も「なんで、こんな簡単なことが覚えられないのか?」と自信喪失 「老いる」ことをもっともっと「現実的」に考える必要がある 今、日本が直面している「長寿社会」のリアルをもっと「自分ごと」にしなくてはいけないと心から思うばかりだ “絶望”の中で「会見をしなくてはならない」と自らに言い聞かせ、あの場でカメラと向き合ったご遺族の心情 夫がつづった言葉を、もっともっと「私たち」は真摯に受け止める必要があると切に感じている 私たちが想像する以上にドラスチックな超・超高齢化という途方もない「変わり目」に遭遇することになる 「変化をいとう人間の性癖」 「池袋・高齢者暴走事故の遺族会見と“私”の現実」 日経ビジネスオンライン 河合 薫 諸外国でも試行錯誤 地方部では、車なしでの生活に不安を残したまま 運転を止めると、歩行や自転車など、高齢者にとってより危険な方法で移動せざるをえなくなることも課題 高齢者の歩行中死亡率が高い理由の1つが、運転をする高齢者が少ないことだと考えられています 都道府県別の75歳以上返納率には2.16倍もの差(最高が東京都の8.0%、最低が茨城県の3.7%)があります 自由な移動は、高齢者の自立した生活に欠かせない 「自分の運転テクニックなら充分危険回避できる」と考える割合は64歳以下では2割に満たないものの、65~69歳で29%、70~74歳で46%、75歳以上で53%と年齢が高いほど高くなっています 返納タイミングと移動手段の確保が課題 専門医の診察を受けた75歳以上の1割程度が免許の停止・取消 免許更新時は、70歳以上は高齢者講習受講が、75歳以上は高齢者講習受講に加え認知機能検査受検が、それぞれ義務づけ 死亡事故をおこした75歳以上は、認知機能の低下(認知症のおそれがある、または認知機能が低下しているおそれがある)が指摘される割合は半数程度と、75歳以上全体の3分の1程度と比べて高くなっています 75歳未満では「安全不確認」要因が最大であるのに対し、75歳以上はハンドル操作やブレーキの踏み間違いなどといった「操作不適」が多いとされています 高齢ドライバーの死亡事故は多い 75歳以上免許保有者の5%と低い水準 運転免許を自主返納 「75歳以上の運転免許返納がまるで進まない実態 都道府県別75歳以上「免許返納率」ランキング」 東洋経済オンライン 村松 容子 日本の司法当局の身内に甘い体質は、強く批判されるべき 警察官による刑事事件で警察が逮捕をせずに捜査をしたというケースはザラにある 、後に特捜部長に就任することになる検事が東名高速で横転事故を起こしたことがある。同乗者に怪我を負わせたため、業務上過失傷害容疑で略式起訴され、罰金刑を受けるほどの事故だったにもかかわらず、発生直後、一度も報道されることはなかった 逮捕するかしないかを恣意的に判断する警察、日本に法の下の平等はあるか 本庁が捜査に乗り出し、交通捜査課が担当 “特捜検察の鬼” 東京地検検事正、名古屋高検検事長などを歴任した石川達紘弁護士 昨年2月、相手を死亡させる交通事故を起こし、容疑を否認したにもかかわらず、逮捕されないまま10カ月後になって書類送検、そして今年3月22日にようやく過失運転致死等の罪で在宅起訴 日本の司法では、権力にたてついたり、告発したりした人間は、微罪でも長期勾留される一方、権力者、政治的な絡みがある相手、検察や警察といった身内に対しては、よほどのことがないかぎり逮捕しないということが相次いでいる 「法の下の不平等」 石川達紘・元高検検事長は暴走死亡事故を起こして否認しても逮捕されず 群馬県前橋市で通学途中の女子高生2人がはねられて一人が死亡、一人が重体となった事件では、同日夜に警察は運転していた男性を過失傷害の容疑で逮捕 「警察は逮捕するかしないかを恣意的に決めている」との疑念 一貫して技術・研究畑を歩んだエリート 元高級官僚 「上級国民」 「警察が忖度して逮捕しなかった」 警察は男性がけがをしていることや証拠隠滅の恐れがないことから逮捕はせず、回復を待ってから詳しく事情を聴くという 東京・池袋の都道で乗用車が暴走し、横断歩道を自転車で渡っていた31歳の母親と3歳の娘がはねられ死亡したほか、8人が重軽傷者を負った事故 高齢化社会 litera (その9)(池袋暴走事故で元通産官僚の容疑者を逮捕せずネットで批判…元検察幹部の人身事故でも逮捕見送り恣意性丸出し捜査、75歳以上の運転免許返納がまるで進まない実態 都道府県別75歳以上「免許返納率」ランキング、河合 薫氏:池袋・高齢者暴走事故の遺族会見と“私”の現実) 「池袋暴走事故で元通産官僚の容疑者を逮捕せずネットで批判…元検察幹部の人身事故でも逮捕見送り恣意性丸出し捜査」
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