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子育て(「親の言うことを聞く子どもになってほしくない」 入山章栄准教授が明かした「僕の子育て」論(前編)、「育児とは、答えが見えない永遠の学習」 入山章栄准教授が明かす「僕の子育て」(後編)、茂木健一郎氏が語る なぜ本に囲まれた家庭で「頭のいい子」が育つのか) [生活]

今日は、子育て(「親の言うことを聞く子どもになってほしくない」 入山章栄准教授が明かした「僕の子育て」論(前編)、「育児とは、答えが見えない永遠の学習」 入山章栄准教授が明かす「僕の子育て」(後編)、茂木健一郎氏が語る なぜ本に囲まれた家庭で「頭のいい子」が育つのか)を取上げよう。

先ずは、5月7日付け日経ビジネスオンライン「「親の言うことを聞く子どもになってほしくない」 入山章栄准教授が明かした「僕の子育て」論(前編)」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/skillup/16/030900024/050100001/
・『「オトコが育児に参加するのが当たり前」の時代に変わりつつある。旬の経営者や学者、様々な分野で活躍するプロフェッショナルたちも、自らの育児方針や育休取得についてパブリックに言及することが増えてきた。優秀なリーダーたちは、我が子にどんな教育を与えようとしているのか。また自身はどう育てられたのか。そしてなぜ、育児について語り始めたのか。 連載1回目に登場するのは、早稲田大学大学院経営管理研究科の入山章栄准教授。SNS(交流サイト)などで、子育ての様子を公開する入山准教授は普段、どんなふうに子供や妻と向き合っているのか。そして入山准教授自身は、どのように育てられてきたのか。直球で聞いた』、興味深そうだ(Qは聞き手の質問)。
・『Q:入山先生は気鋭の経営学者として活躍する一方、2児の父として育児に携わり、SNSでは頻繁に家族の写真をアップしています。「経営」と「育児」のどちらにも深く関わっている立場として、両者に共通点はあると思いますか?  入山先生(以下、入山):僕はあくまで学者なので、経営そのものを偉そうに語る資格はありません。でも、組織と子ども、この2つを育てるのに共通しているのは「自己肯定感を高めることの重要性」ではないかとは思います。 これは僕がいつも伝えていることですが、チャレンジングな事業に立ち向かうには、「自分はやればできる」という自信や、セルフエフィカシー(自己効力感)を備えていることが重要なのは、経営学の研究でも分かっていることです。 このロジックが子育てにも共通していると気づいたのは、医師・カウンセラーの明橋大二さんの『子育てハッピーアドバイス』(1万年堂出版)を読んだ時でした。 僕は普段、マニュアル本をほとんど読まないのですが、この本だけはすごく共感しました。子どものありのままの感情を受け入れて存在を尊重する考えは、そのまま組織論に生かせると思いますね。 一方で、経営と育児の決定的な違いもあります。それは育児に“答え”がないことでしょう。経営にも答えがないとよく言われますが、一定の期間でどれだけ企業が成長したかという結果と照らし合わせながら、経営手法の成否を評価することはできます。 けれど育児の場合、まず「何をもって成功とするか」というにも答えすらありません。たとえ有名大学に入って、一部上場企業に入社できて、結婚ができたとしても、その人が本当に幸せな人生を送れたかどうかは、本人が死ぬ瞬間まで分からない。そして、子どもが天寿を全うして死ぬ瞬間に、親が立ち会う確率は極めて低い。 ということは、育児に正解はないし、あったとしても立ち会えない。それでもなお、親として子どもに何を与えていくか。答えのない問いを永遠に立ち向かうのが子育てなのでしょうね』、「組織と子ども、この2つを育てるのに共通しているのは「自己肯定感を高めることの重要性」」、「育児に正解はないし、あったとしても立ち会えない。それでもなお、親として子どもに何を与えていくか。答えのない問いを永遠に立ち向かうのが子育てなのでしょうね」、などというのはその通りだろう。
・『わが子には、とにかく表情豊かに育ってほしい  Q:入山先生がわが子に与えていきたいと思うものは何ですか。 入山:これからの世界で生き抜くための共通言語を与えてあげたいですね。 これは、あくまで僕が考えていることですが、世界中の人とコミュニケートできる共通言語、つまりプロトコルをもっているほど、挑戦できるフィールドが広がるし、ビジネスであれば一気にスケールできる可能性が高まると思います。 現在、世界の共通言語(プロトコル)は4つあると思っていて、1つ目は現時点で世界最大の自然言語の共通語である英語。2つ目は数学。3つ目はプログラミング言語。そして4つ目が、意外に思うかもしれませんが“表情”です。 嬉しい時には笑う、悲しい時には泣く。感情にひも付いた表情は、人種や文化を問わず、すぐに交換し合える最強のプロトコルだと僕は思っています。人間どころか、犬だって悲しさが表情から伝わります。生物の種さえ越える共通言語の表情の力は、すごいんです。 だから、うちの子たちには、とにかく表情豊かな人間に育ってほしい。楽しい時にはワハハと笑って、悲しい時にはワーンと泣ける子になってほしい。子どもが泣いている時は、「思い切り泣け」って言っていますね。 あとは「子どもを自分のコピーだと思うな」と、自分自身に言い聞かせています。同性の息子に対しては特に。 息子と自分をつい重ねて、「昔のオレみたいに本を読んでないのはどうしてだ」といらだったりします。けれど、彼には、彼の得意分野がある。実際、僕よりも息子の方が、数学的な才能は断然高い。我が子に過去の自分をトレースさせるのではなく、全く別の人格であることを自覚しないといけません。 それに、僕らの世代が生き抜いてきた時代の環境と、息子たちがこれから生き抜く環境は全然違います。変化のスピードは、これからますます加速するでしょう。だから親世代の成功体験を押し付けることは、参考になるどころか、リスクでしかありません。あるメディアで社会学者の古市憲寿さんが、「親の言うことは聞くな」と言っていましたが、強く同意しますね。 とにかく、「親の言うことを聞く子どもにだけはなってほしくない」、「自分の価値観で自分のことを決めて欲しい」とだけは、強く思います』、「世界の共通言語(プロトコル)は4つあると思っていて、1つ目は・・・英語。2つ目は数学。3つ目はプログラミング言語。そして4つ目が、意外に思うかもしれませんが“表情”」、4つ目に“表情”を挙げたのは、言われてみればその通りなのかも知れない。「「古市憲寿さんが、「親の言うことは聞くな」と言っていましたが、強く同意しますね」、私は子育て時代には、「聞かそう」と悪戦苦闘したが、今になっては同意したい。
・『毎週月曜は育児の日  改めて、入山先生の育児の実情について聞かせてください。普段、お子さんとどんな関わり方をなさっていますか。 入山:うちの場合、妻は開発援助関係の機関で働いていて、たまにアフリカに1週間出張することもあるほど多忙です。ですから子育ては、夫婦で協力しています。 とはいえ、僕も忙しくて、偉そうにちゃんと育児に携わっているとはとても言えません。そもそもこの連載の第1回の取材対象が僕でいいのか、という気すらします。けれど、比較的時間の調整が自由にできる学者という職業を生かして、毎週月曜日、まずこの日だけは1日中家にいて、「育児にコミットする」ようには決めています。それ以外にも、大学の仕事のない日はなるべく家にいるようにしています。 月曜は、朝、子どもを幼稚園や小学校に送り出し、家で仕事をしながら、少し家事もやりつつ、息子が小学校から帰ってきたら塾に送り、17時半に幼稚園に娘を迎えに行く。息子が塾に通いだすまでは、習い事のテニスに連れていっていました。月曜日は、妻は遅くなっても大丈夫なので、思い切り残業して帰ってくることもありますね。 夕食の定番は、焼きそば。近所の食品スーパー「マルエツプチ」で、お気に入りの「深蒸し焼きそば」を5〜6玉買って、大量の焼きそばを作ります。 以前はあらかじめ妻に作ってもらった料理を温め直していたこともあったのですが、自分で作っちゃった方が子どもたちも喜ぶので、ホットプレートを引っ張り出してジャジャーッと。ビール片手に豚こま肉を1kgくらい焼いて、つまみながら、次はキャベツ1玉分と麺6玉を投入。「できたぞー」と。大食いですよね(笑)。 入山:子どもたちが焼きそばを頬張る顔を見るのが好きなので、よく写真を撮ってSNSに上げていたら、親しくさせていただいているユニリーバ・ジャパン取締役の島田由香さんが、「うちの息子も食べに行かせたい」とコメントしてくれました(笑)。念のためですが、他のメニューも作りますよ。餃子もチャーハンも、カルボナーラも得意です。 僕はたまたま、自分でスケジュールを調整できる学者という職業だから、こういう日常を送れるわけです。ただこれからは働き方改革が進んで、企業に勤めるビジネスパーソンの勤務スタイルも自由度が高まれば、日本の育児の風景は変わると思いますよ』、「日本の育児の風景」は変わってもらいたいところだ。
・『育児は「夫婦を映す鏡」  「できていない」とおっしゃりながら、しっかり育児に関わっていますね。多忙な入山先生を育児に向かわせている原体験は何でしょう。 入山:育児は「夫婦を映す鏡」だと思っています。うちの場合も、夫婦の成り立ちが関係しているような気がしますね。 僕が妻の裕実と出会ったのは、三菱総合研究所を退職して、アメリカのピッツバーグ大学経営大学院に留学していた頃のこと。彼女も同じく、日本から留学していた同級生でした。彼女はもともと、みずほ銀行の総合職で、M&A(合併・買収)向け融資などを担当していたのですが、国際開発援助に関わりたい気持ちを捨てきれず、銀行を辞めて渡米していた。 出会って2年後に彼女は修士を取って、日本の別の援助機関に就職。ベトナムのハノイで1年間働いていました。その間、僕はアメリカで博士課程の学生でした。ハノイの任期を終えた後で、彼女は契約を延長する選択肢があったのに、僕と結婚するためにアメリカに戻ってきてくれた。 その後、結婚してすぐに彼女は妊娠。僕が33歳、裕実が31歳の時でした。 ピッツバーグで長男が生まれた後、僕がニューヨーク州立大学の助教授の職を得て、一緒にバッファローへ移りました。当時のバッファローは、“ど”がつくほどの田舎で、開発援助に関われる仕事はなく、彼女はたまにボランティアをする程度。基本的には、主婦業が中心の生活を送っていました。 バッファローに移った後に長女も授かり、頼れる親類もいない環境の中、とにかく必死で、夫婦で育児をしていた記憶があります。 子どもが小さい時期ならではの夫婦ゲンカはしょっちゅうでした。互いにストレスで爆発しそうになったことも数知れず。それでも何とかしなくちゃならないと、2人とも学習しながら、価値観をすり合わせていきました。お金もあまりない時代、遠い異国の地で、2人で育児に奮闘した経験は、今の生活の源流になっているのかもしれません。 2人の性格は正反対。僕は「超」のつくいい加減な性格で、元銀行員の妻からすると「あり得ない」とよく叱られます。大事なのは、こまめに「ありがとう」と言うことでしょうか。なんだかんだ言って日常の家事や育児のほとんどは、妻がやってくれていますから。でも「ありがとう」も何度も言っていると、相手も慣れて喜ばなくなるので難しいところです(笑)。 つい先日も、彼女から「風呂掃除が雑だ」とダメ出しされたばかりです。だったらと、洗剤を多めにつけて一生懸命シュッシュッとやっていたら、今度は「洗剤、使い過ぎ!」と。「そういうの、家事ハラって言うらしいぞ!」と反論しましたが、全く届いていませんね(笑)』、微笑ましいやり取りだ。
・『赤ん坊を抱っこしながら大学の試験監督も  Q:夫婦が完全に対等なパートナーなのですね。アメリカならではの育児の価値観に触れたことによる影響はありましたか。 入山:日本と違う育児風景を目の当たりにしたことが、僕の育児観に影響を与えた可能性はあると思います。 まず、地域コミュニティの交流が活発であったこと。これは精神的な支えになりました。米国では「parent dating」といって、親子セットでご近所付き合いをする機会が多くて、互いの家に遊びに行ったりすることも頻繁にあります。だから育児の生活が孤独になる感覚はあまりなくて、長男も楽しかったと記憶しているようです。 父親の育児参加も当たり前。ただしアメリカ人の中には、「育児をやっているように見せているだけ」という男性も意外と少なくない、と僕は感じましたけれど。田舎にいたからかもしれないけど、やはり女性の負担が大きい家庭は多いと思います。 一番大きな影響を受けたのは、「子どもは無条件に可愛くウェルカムな存在である」という姿勢を見せる地域社会の姿です。とにかく、ただ赤ん坊を連れて歩いているだけで、道端で見知らぬ人が笑顔で寄ってきて「Oh, she is adorable!(なんて可愛いの!)」「Cutie!」といったポジティブな言葉を浴びまくる。ほめられるとやっぱり嬉しくなりますよね。 そういえば少し前に、議員が職場に子連れで訪れたことが話題になっていましたが、僕もニューヨーク州立大学の教員時代には、どうしても奥さんの用事がはずせず、赤ん坊だった長女を抱っこしながら大学の試験監督を務めたことがありました。お咎めは全くありませんでしたし、学生たちも「可愛い!」という人はいても、文句を言う人はいませんでしたね。 そういえば、中国人も子どもを無条件に歓迎する傾向がありますよね。長い間、一人っ子政策を続けてきたという背景があるのかもしれませんが、興味深いのは、米国も中国も、まだ経済が伸びている二大大国が、子どもを尊重する国であるということです。 Q:子どもをポジティブに受け入れる。つまり未来志向の社会である、ということでしょうか? 入山:まさに未来に投資する姿勢の、潜在的な表れなのかもしれませんね。子どもは社会の共有財であるという概念が浸透しているから、個人や組織が子育てに積極的であることが歓迎され、評価される。それがますます子どもを大切に扱う循環につながっているのかもしれません。経済大国の共通項がキッズファーストであるというのは、興味深い指標ですね』、「経済大国の共通項がキッズファーストであるというのは、興味深い指標」、その通りだ。日本では、保育園が出来ると「子供の声が煩い」と反対運動が起きるという身勝手さとは「生反対」のようだ。
・『アメリカでも日本語をしっかりと教えていた  ご長男は6歳まで、ご長女は2歳までアメリカで育児されたわけですが、言語教育はどうしていましたか。 入山:僕も妻も、まずは日本語の能力をしっかりと備えさせたいという考えだったので、家庭内では日本語オンリー。日本語の絵本を読み聞かせるのも当時の僕の役割でした。 長男はあちらで「day care」と呼ばれる幼稚園のような場所に通っていたので、彼の周辺でコミュニティができ始めると、自然と英語にも慣れてきたようです。 子どもたちは2人ともアメリカで生まれたので米国の国籍も持っていて、ミドルネームも付けました。使う機会はほとんどないんですけれど、せっかくだからと思って(笑)。長男はオーランド。長男を可愛がってくれたアメリカ人夫妻につけてもらったんです。今のところ、「オーランド感」はゼロですが(笑)。長女のミドルネームはキランで、僕の恩師のインド系アメリカ人につけてもらいました。サンスクリット語で「太陽の光」という意味だそうです』、子供たちの英語力を帰国後にどう維持するかは、難しい問題だ。
・『妻にも、やりたいことに打ち込んでほしい  2013年に日本に戻って現職に。教育のことを考えて帰国を決断したのでしょうか。 入山:それも大いにあります。長男がちょうど小学校に入学するタイミングに合わせて仕事を調整して、家族全員で帰国しました。 ただ、僕が重視したのはどちらかというと、妻のキャリアでした。ハノイ時代、かなえられたはずの自分の目標を一旦諦めて、僕のキャリアを優先してくれた。そんな彼女に感謝していましたし、「できるだけ早く、彼女も思い切りやりたいことに打ち込んでほしい」と思っていました。  実は、夫婦ともグリーンカードを取得していたので、アメリカに永住する人生も選べたわけです。それでも東京の方が彼女が活躍しやすい場所を選べる、と判断しました。その少し前に僕の父が亡くなり、母が東京で一人暮らしになったこともあって、生まれ育った東京に戻りました。僕、東京が大好きなんで。(後編に続く)』、「夫婦ともグリーンカードを取得」というのは驚かされた。後編が楽しみだ。

次に、後編として、5月8日付け日経ビジネスオンライン「「育児とは、答えが見えない永遠の学習」 入山章栄准教授が明かす「僕の子育て」(後編)」を紹介しよう(Qは聞き手の質問)。
https://business.nikkei.com/atcl/skillup/16/030900024/050100002/
・『・・・Q:前編(「親の言うことを聞く子どもになってほしくない」では、普段の入山先生の育児の様子などをうかがいました。アメリカでの赴任経験を経て日本に帰国した後、お子さんが通う学校や幼稚園はどのような基準で選びましたか。 入山先生(以下、入山):すごく大事なテーマですよね。 アメリカでは、長男をモンテッソーリ教育の「day care」に一時期行かせてとても良かったので、日本でも子どもの好きなことを自由に伸ばしてくれる方針の学校や幼稚園に通わせたいと思っていました。 特に娘は、ちょうど幼稚園に入る年齢だったので、夫婦で家の近くの幼稚園を何カ所も回ってリサーチしました。娘を持っている父親なら分かると思うんですが、僕は本当に娘を溺愛しているので(笑)、足を運べるところにはできるだけ見学に行きました。 その時に妻が入手した情報が面白くて、「幼稚園の教育方針は、運動会を見れば分かる」と言うんです。なるほどと思って実際に見に行ったのですが、驚愕しました。かなり幼稚園で違いがあるのです。 中には、一糸乱れぬ統制で完璧に叩き込まれた組体操を運動会で披露するところもありました。これは価値観の違いなので、決してそういうところが悪いわけではないのですが、僕には違和感しかありませんでした。保護者たちから拍手をもらって満足そうなのは、それを指導している体育会系の男性教師だけだったような気がして、「それ、お前の自己満足だろ!?」と突っ込みたくなりました。 繰り返しますが、そういうところが悪いと言いたいわけではありません。ただ、やはり幼稚園は文科省下の“教育”をする組織ですから、規律が重視されるところが多いのかも、と思いました。僕も妻も幼稚園育ちだったので、何となく「保育園より幼稚園の方がいいんじゃないか」と思っていたのですが、その仮説が一気に揺らぎました。 絶望しかけた時、最後に見に行ったある幼稚園に救われたんです。ここは感動的なほどに“激ユル”だった(笑)。運動会の出し物は、大きな布の端を子どもたちが持って「せーの」で上げ下げするだけ。ぎちぎちに練習しなくてもできそうな演技です。 子どもたちは子どもらしく列を乱し、それぞれが伸びやかで、リラックスした表情をしている。運動会を終えて教室に戻る時、先生が一人ひとりを抱きしめていたのもいいなと思いました。 これは経営学の理論とも共通しているのですが、人が成長するには自己肯定感を高めることが重要だと僕は考えています。だから「ここにしよう!」と即決しました。妻も賛成で、こういう時に妻と価値観が揃っていたのは良かったですね。 今は妻も働いているので、その幼稚園で17時半までの預かり保育を利用しています。結果的には、娘を通わせる先としては素晴らしい幼稚園に出合えたので、とても満足しています。ただ「日本の幼稚園教育を変えないと、本当に優秀なビジネスパーソン・イノベーターは育たないのでは?」という仮説は持つようになりましたね』、「一糸乱れぬ統制で完璧に叩き込まれた組体操を運動会で披露するところもありました・・・保護者たちから拍手をもらって満足そうなのは、それを指導している体育会系の男性教師だけだったような気がして、「それ、お前の自己満足だろ!?」と突っ込みたくなりました」、私も同感で、そんな堅苦しい幼稚園は御免こうむりたい。
・『まずは幼児教育の現場を“カオス”に  Q:日本のビジネスの成長のために、幼稚園改革が必要だと。 入山:先日、ある方から、「幼稚園を出た子と保育園を出た子で、将来の活躍度を総合的に追跡すると、実は保育園出身者の方が活躍しているという結果が出た」と聞きました。 僕はこの研究の真偽は分からないのですが、もし仮にこの結果が確かなら、興味深いと思いますね。「幼稚園がダメで、保育園だからいい」という単純な問題ではなく、要はどんな環境を提供しているかという質の問題だと思うんですが、僕が考える決定的な違いは、「多様性」です。 一般的な保育園は、ひと言で言えば“カオス”。共働きで比較的裕福な家庭の子もいれば、厳しい家庭の子や、シングルペアレントの子もいたりして、バックグラウンドが実に多様です。 しかも、厚労省管轄の保育園は「教育の場ではない」から、基本的に先生たちに統一された教育方針が幼稚園よりはなくて、1日のカリキュラムもゆるくて自由時間が多い。いい意味で、子どもを“野放し”にしている環境とも言えます。 そこで何が起きるかというと、子どもたちのダイバーシティ・ソサエティが成り立つわけです。今まさに、日本の経営者が欲しているダイバーシティが、保育園には自然にある。様々な属性・タイプが入り混じるカオスの中で、子どもは自然と「異と交わるリーダーシップ」を獲得していくのではないでしょうか。 例えば、園庭で遊ぶ時間。ブランコで遊ぶ子、砂場で遊ぶ子とバラバラに散らばっている中で、「鬼ごっこしたい」と思ったら、複数の友だちを巻き込まないといけない。仲間を巻き込んで、やりたいことを実現していく。これは起業家の姿そのものですよね。 逆にリーダーではなく、フォロワーの資質を発揮する子どももいるかもしれない。この疑似体験を幼児期にしているかどうかが、実はものすごい差を生む可能性はあるかもしれない、と僕は思います。 だから、日本政府が本気で経済にイノベーションを起こしたいなら、「まずは幼児教育の現場を“カオス”にすることから始めよ」と言いたいですね』、私は3人の子供を幼稚園に行かせたが、「ダイバーシティが、保育園には自然にある」をもっと早く知っていれば保育園に行かせたのにと後悔した。
・『子どもたちを公立小学校に進ませたワケ  Q:早くからダイバーシティの経験をさせるのが、入山先生の育児ポリシーであるということですね。その娘さんも今春、小学校に入学しました。今後の教育プランは具体的に描いていますか。 入山:長女も、長男と同じ、自宅近くの公立小学校に入学しました。 小学校受験もちらっと考えなくもなかったのですが、夫婦とも忙しく働いている間に塾に通わせる余裕もなく、何もしないまま終わってしまいました。 ただ、先ほどと同じ理由で、様々なバックグラウンドを持つ子どもたちが通う公立小学校には、ダイバーシティ経験をさせられる価値があると思ってもいます。 逆に言えば、「小学校から一貫校に入れたから安心」と簡単に考えるのは、もしかしたらリスキーなのかもしれません。そういう私立の系列校は、同質性の高い環境になりがちかもしれないからです。そういった環境で長く過ごすと、いざ社会に出た時、異文化に対応できなくなっている可能性がある。 一貫教育を否定するつもりはありませんが、経営学的観点から見ると、これほど多様性が求められている時代に、同質性の高い人材を育てる教育に偏るのは、ますますイノベーションを遠ざけるんじゃないかと危惧しています。 「有名大学に入れるルートを確保すれば、将来の子どもの就職に有利になる」というロジックも、今後は怪しくなるはずです。大学全入時代と言われ、有名私立大も続々とOA入試を導入して、エントリーの間口を広げている。そんな中で、出身大学のブランド価値は薄れる一方でしょう。 実際、企業の人事担当者は、学生の大学名ではなく、高校名を見るようになったと言われています。学歴というのは「その人がいかに努力したかのシグナルになる」というのは経済学でよく言われることですが、「努力のシグナルとしての大学の名前」の価値が薄れてきているわけです。大学のブランドを獲得するだけの教育は過信しない方がいい。早稲田大学の教員をやっている僕が言うのも何ですが……。 ちなみに僕自身は、5~6歳の頃は、「右」と「左」の区別がつかないような子どもだったのですが、たまたま当てずっぽうの答えが当たって受験に受かり、学芸大附属の小学校に入学しました。その後、中学・高校と出て、一浪して慶応大学に入っています。妻は中学受験の経験者。教育の良し悪しは、結局は個人の経験からしか語れないのが難しいところですよね。 自分で納得できる人生を歩んでいたら、中学受験経験者は「中学受験がいい」と言いたくなるし、高校受験経験者は「いや、高校からでしょ」と考える。唯一の基準が自分の経験で、それ以外の経験とは結果を比較しようがありません。だから、夫婦間のすり合わせは結構、難しい。うちもまだ完全な結論は出ていません』、「一貫教育を否定するつもりはありませんが、経営学的観点から見ると、これほど多様性が求められている時代に、同質性の高い人材を育てる教育に偏るのは、ますますイノベーションを遠ざけるんじゃないかと危惧しています」、完全に同意する。
・『「総合的な判断力」を養うには?  Q:将来の海外経験についてはどうでしょうか。グローバル教育に関心はありますか。 入山:前向きに考えています。具体的には決めていませんが、いつか、家族一緒に海外で暮らす期間を少しでもつくれたらいいなと思っています。本当はパリに憧れるけれど、やはり子育てを考えるとアメリカですかね。 息子も、6歳まで過ごしたアメリカ生活を時々思い出すらしくて、「懐かしいな」と言ったりするんです。ただ子どもならではの順応力で、もうすっかり日本の暮らしに染まっていますね。今は「キュウレンジャー」(取材時に放送されていたテレビ朝日の戦隊ヒーロー番組)と「コロコロコミック」、スプラトゥーンとヒカキンのことしか考えていません(笑)。 Q:ほかに、日本の教育システムで気になっている点などはありますか。 入山:多様性に対応する教育を目指してほしいですね。同時に、縦割のセクショナリズムを取り払う必要もあるのでは、とも思っています。 例えば、科目別教育です。これはリスペクトしているニューヨーク州立大学ビンガムトン校教授の佐山先生がおっしゃっていたことなのですが、物事の原理原則を理解するのに、国語、算数、社会、理科……と科目を明確に分けるのは、実は不自然なことなのかもしれない。社会に出て意思決定する時には、頭の中ですべてをつなげた状態で思考しているはずですから。 文系・理系という分け方もナンセンスでしょう。理系出身者しかコンピュータサイエンティストになれないことは絶対になくて、自然言語の能力も問われるはずです。 世界で勝てるリーダーを育てるには、分野を自由に行き来する、総合的な判断力を培う教育を目指してほしい。それが僕の希望です』、「科目別教育」でなく横断的にやるとはいっても、子供たちに理解させるためには、かなり高度な教育方法が求められるのではなかろうか。
・『家族はいつも一緒にいよう  Q:夫婦で決める子育ての方針として、特に重視してきたことはありますか。 入山:「家族はいつも一緒にいよう」ということですね。これは夫婦の共有の価値観かもしれません。アメリカでも、日本でも、いつも4人で一緒に動いてきました。幸い僕の職業がそれを許した部分と、妻の寛容さが大きいですが。会社勤めだと単身赴任もやむをえない場合がありますよね。 長男はもう10歳になったので、いつまで一緒に絡んでくれるか分かりませんが、今でも寝る時は4人で川の字です。一緒の布団で寝るだけで、子どもたちがすごく嬉しそうなんです。 共働きだと、「関われる時間が少ないから充分に愛情をかけられない」と悩む人もいるようですが、僕はそうは思ません。むしろ時間に限りがある方が濃密な過ごし方ができるはずだし、「愛情は可能な限り注ぐ」というのは夫婦でずっとやってきたと思っています。 Q:では、子育てで迷いがちな点についていくつか教えてください。まずはお小遣いについて。 入山:お小遣い制はまだ導入していなくて、ほしいものがあれば申請を受け付ける感じです。でも、子どもたちにはそれほど物欲がないようで、「あれほしい」「これほしい」とはあまり言ってきませんね。今後そういう意思表示があったら、検討していこうと思っています』、なるほど。
・『ゲームをやりたいなら、無尽蔵にやっていい  Q:ゲームについては。 入山:ゲームに関しては、僕はちょっと妻と意見が違っています。 僕は「ゲームをやりたいなら、無尽蔵にやっていい」という考えなんです。ゲームに限らず、本人がやりたいと思うことは何でも、ということなんですけれどね。 これは、僕が母からしてもらったことがベースになっています。母はとにかく、僕の意志を尊重して自由にさせてくれた。高校時代、僕はハンドボール部に所属していて、高校3年の夏にインターハイ予選で負けた途端、燃え尽きて、しばらく学校に行かなくなったんです。別に学校が嫌いになったわけじゃなくて、単に気が抜けたんです。 朝起きたらゆっくりお風呂に入って、10時くらいからようやく学校に行く、みたいな。学校に行くふりをして、友だちと雀荘に入り浸ったことも多々あります。親には全部バレていたと思うんですが、でも何も言われなかったですね。 大学も、自宅から通っていましたが、ドラクエの新作が出ると、「お母さん、僕はこれから1週間くらい部屋から出ないから」と言って自室にこもってドラクエ三昧。そんな息子を、母は特にとがめずに放置してくれた。 僕は、親とはこういうものかと思っていたんですが、「いや、入山、それは普通じゃない」と周りから言われて、母の偉大さに気づいたわけです(笑)。 一事が万事、こんな調子で、僕が「これ、やってみたい」と意思表示したことに対して、母から否定されたことは一度ありませんでした。それって実は、すごく大事な気がしています。 僕は少なくとも、「こんなことをやってみたい」と自ら発したり、その通りに行動したりすることに抵抗がない大人に育った。そして他人に対しても、同じように受け入れることができるんです。 僕はたまに「入山さんが登壇するイベントはいい雰囲気で盛り上がる」と喜んでもらえることがあるのですが、もしそうだとしたら、それは僕が「何でもありですよ」という空気を醸し出しているからではないかと思います。 奥さんには僕のような経験がないので、結構細かく子どもに口を出したくなっちゃうようです。逆に僕は、息子が床にボーッと寝っ転がっているのを見ると、「いいぞ、いいぞ。いくらでも転がっとけ」と言いたくなります(笑)』、ここまでの自由放任主義は珍しいが、経営学の知見に裏付けられているだけに本物なのだろう。
・『育児は「答えが見えない永遠の学習」  Q:育児を円滑にするための工夫はほかにありますか。 入山:すごく助かっているのは、クルマで15分の距離に住んでいる母のサポートです。僕たちが甘え過ぎない、ほどよい距離を保つためにも同居はしていませんが、週に1回、多い時は2回、来てもらっています。妻が海外出張に行く時はもっとですね。 母はもともと家事が得意で、子どもたちもすっかり懐いている。高齢なので、体力と相談しつつではありますが、家族の中で「頼られている」ことが、母の健康寿命を延ばすのに一役買っているとも感じています。 僕が嬉しいのは、妻とうちの母の仲がいいこと。母が来てくれている日に、僕が遅くなって帰宅したら、2人でワイン片手にほろ酔いでしゃべっていたりして。 「お義母さん、いつもすみません」と言っている裕実に、母は「いいのよ。私は、子どもが生まれた後は家庭に入って働かなかったことを少し後悔しているから、あなたは思い切りやりなさいね」と。建前かもしれないけれど、奥さんと母がこういう会話をしているのは嬉しいじゃないですか。 何だかいいことばかり話していますが、実際には嵐のような衝突も経て、少しずつ学習して、やっとここまで来たという感じです。本当に「答えが見えない永遠の学習」の一言に尽きます』、子育てはどうも夫婦が置かれた環境によっても大きな影響を受け、「答えが見えない永遠の学習」なのだろう。

第三に、5月27日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した脳科学者・理学博士の茂木健一郎氏へのインタビュー「茂木健一郎氏が語る、なぜ本に囲まれた家庭で「頭のいい子」が育つのか」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/202512
・『近い将来、AIやロボットが多くの仕事を代替すると考えられている。そのときに人間に必要なのは、「AIにできない仕事をする」能力だ。脳科学者・茂木健一郎氏は、これからの時代には「自分の頭で考えられる力=地頭の良さ」が重要だと語る。氏の最新刊『本当に頭のいい子を育てる 世界標準の勉強法』から一部を抜粋して、自分の頭で考えられる力を育む「探究学習」を紹介する』、興味深そうだ。
・『小学生のエジソンは、先生を質問攻めにした  自分から進んで勉強や探究をする子に育てるには、親が教育に熱心であるよりも、むしろ「子どものことは見守りつつも野放し」である方が良いのです。 なぜかというと、親が教育熱心な場合は、親は本を読んだりインターネットを使ったり、知り合いからの情報を得ながら、集めた情報を子どもに教えたくなります。すると、つい「成績を上げるには〇〇をした方がいいよ」とか、あるいはもっと強い口調で「〇〇をしなさい」と指示を出してしまいがちです。 親から命令や指示を出されることに慣らされてしまった子どもは、やがて自分で考えて動けなくなってしまいます。親としては子どものためを思ってしていることが、かえって子どもから自主性や好奇心を奪い、親の顔色ばかりを窺う萎縮した子どもに育ってしまいます。 また、親から命令や指示ばかり出されている子は、何か疑問があってもすぐ親に聞いてしまい自分で調べなくなるか、疑問すら浮かばなくなることもあります。 子どもは本来、好奇心の塊で「なぜ?」「どうして?」が常に頭の中をかけめぐり、それが探究心へと繫がっていくものです。誰もが知っている偉大な発明家エジソンは、幼い頃から「なぜ、なぜ」と疑問を持つ好奇心旺盛な少年でした。 エジソンは小学校に上がっても、「なぜ、なぜ」がおさまらず、ときには先生を質問攻めにしました。そして学校の授業を妨害したという理由で、わずか3ヵ月で退学させられてしまいます。 そのため、元教師であった母親がエジソンに勉強を教えたという逸話が残されています。今でいう、ホームスクーリングというわけです。エジソンの母親は、エジソンの「なぜ?」に対して、できる限り丁寧に説明したと聞きます。また、自分がわからないところは、エジソンと一緒になって調べたとか。エジソンの母親は、「なぜ?」をとても重要視したということです。 繰り返しますが、子どもの「なぜ?」は子どもの探究心を刺激し、子どもの可能性を引き出してくれます。それは「なぜ?」という疑問の答えを見つけることが、子ども自身の考える力を養い、探究心を伸ばすことに繫がるからです。 さて、先ほど僕は「親に聞くよりも、自分で調べる子になろう」といいましたが、エジソンが母親に勉強を教わっていたくらい小さいうちは、親に教えてもらってもいいでしょう。ただし、エジソンの母親は元教師でしたから、普通の親とは違って親というより先生という感じだったと思いますが。 しかも、教師である母親さえもわからないことは一緒になって調べたわけですから、この時点でも2人の関係は、教える者と教えられる者という関係というよりは、同志に近かったかもしれません。やがてエジソンは科学に興味を持つようになり、母親が教えられない化学や物理学の知識は、図書館に通って独学で学びました。こうしてエジソンは、疑問を持ったら、自分で調べ学べる子どもへと変わっていったのです』、「エジソンは小学校に上がっても、「なぜ、なぜ」がおさまらず、ときには先生を質問攻めにしました。そして学校の授業を妨害したという理由で、わずか3ヵ月で退学させられてしまいます。 そのため、元教師であった母親がエジソンに勉強を教えた」、エジソンの母親は本当に立派な人物だったようだ。
・『子どもが自主的に動くように「誘導」する  子どもが小さいうちは、子どもが質問してきたら、一緒になって調べましょう。こうすることで、子どもは親に頼るばかりでなく、自分で考えることを学びます。そうなれば、しめたもので、子どもはやがて自分で興味を持ったテーマを、自ら学び始めます。そして、自分で決めたことをやり遂げたときには、ドーパミン・サイクルがまわり、達成感や喜びを感じることができます。 親や先生にいわれて「やらされている」と思ってやるのか、自分の課題として「やりたいからやる」のかは、全然違います。「やりたいからやる」のであれば、勉強も探究も苦痛ではなくなり、むしろ楽しみに変わるでしょう。そうなれば、親が口うるさくいわなくても、自分から進んで勉強する子になります。 とはいえ、そう簡単にはいかないのでは、と考えている親御さんも多いのではないでしょうか。とっておきの方法があります。 子ども自身に「どうする?」と問いかけて、自分で決めさせるのです。勉強してほしかったら、「勉強しなさい!」ではなく、「今日の宿題は何?」「今日は何から始めるの?」と、子どもから動くように「誘導」してあげましょう。 人は他者に命令されると、やる気を失う生き物です。ですから、それとは逆に「自分で決めたんだ」という自覚を持たせることで、やる気はアップします』、最後の部分は、その通りなのだろうが、「子どもから動くように「誘導」」するには、親にも心の余裕が必要で、簡単に出来る技ではなさそうだ。
・『16歳の時点で家に本が何冊あったかが、学力を決める  僕は子どもの頃、親から「勉強しなさい」といわれたことは一度もありません。「塾に行きなさい」ともいわれませんでした。ですから、僕は自主的に勉強はしたけれど、塾に通ったことも、家庭教師についたこともありません。 僕の両親の教育方針は、徹底的に子どもの自主性に任せるというものでした。ただ、前述したように、蝶好きな少年だった僕を日本鱗翅学会へ連れていってくれるなど、僕が興味を持っていることに対しては、力を尽くしてくれました。 また、家には父親のコレクションとしてクラシックのレコードとたくさんの本がありました。僕は幼い頃、父に隠れて父のレコードを聴き、本を読みました。その経験が、今の僕をつくったと思っています。 さて、僕が育った家庭環境、とくに父親の蔵書に関連しているな、と感じた面白い学術論文が発表されたので紹介したいと思います。 2018年秋、学術誌『ソーシャル・サイエンス・リサーチ』に、本にまつわる興味深い調査結果が発表されました。オーストラリア国立大学と米ネバダ大学の研究者たちが行なった調査です。彼らは、2011年から2015年に、31の国と地域で、25~65歳の16万人を対象にして行なわれた「国際成人力調査」のデータを分析しました。 その結果、「16歳の時点で家に紙の本が何冊あったかが、大人になってからの読み書き能力、数学の基礎知識、ITスキルの高さに比例する」ことがわかりました。そしてデータを分析した研究者たちは、「子どもの頃に自宅で紙の本に触れることで、一生ものの認知能力を高めることができる」といっています。 調査では、16歳のときに自宅に何冊本があったか、被験者に質問し、その後、読み書き能力、数学、情報通信技術のテストを受けてもらったといいます。すると、本がほぼない家庭で育った人の場合、読み書きや数学の能力が平均よりも低かったのです。自宅に本が多くあった人ほどテストの結果は良く、自宅に本が80冊ほどあった場合、テストが平均的な点数になりました。とはいえ350冊以上になると、本の数とテスト結果が比例するという傾向は見られなくなったということでした』、私の子供時代はまだ家にテレビがなかったので、大人用の本を理解も出来ないのに、乱読した記憶がある。しかし、私の子供たちは、テレビやゲームの虜になって、本は殆ど読んでなかったようだ。
・『大切なのは、本を「たくさん読む」ことではない  さらに、本に囲まれて育った中卒の人と、本がない環境で育った大卒の人はほぼ同じ学力だということもわかりました。調査によると、最終学歴が中学卒業程度であっても、たくさんの本に囲まれて育った人は、大人になってからの読み書き能力、数学、IT能力が、本がほぼない家庭で育った大卒の人と同程度(どちらも全体の平均程度)だということです。このことから、研究者たちは読み書きや数学の基礎知識において、子どもの頃に本に触れることは、教育的な利点が多いと述べています(『ニューズウィーク』日本版2018年10月18日記事)。 この調査結果の面白いところは、自宅に本が多いことで鍛えられると予想される読み書き能力だけでなく、数学の能力も強化することがわかったことです。これは「子どものときに本を読めば大人になって読み書きが得意になる」という単純な話ではないということでしょう。 また、自宅の本を読んでも読まなくても、効果は変わらなかったそうです。つまり「本をたくさん読めば学力が上がる」という単純な話ではなく、大切なのは「子どもたちが、親や他の人たちが本に囲まれている様子を目にすること」だと研究者たちは結論づけています。 よく「子どもは、親の背中を見て育つ」といいますが、家に本がたくさんあること、それ自体が「親の背中」なのだと思います。子どもにとっての「普通」は、常に自分の家庭が基準になっています。親が普段から本を読んでいたり、勉強をしたりしている姿を目にして育った子であれば、「どこの家庭でも、大人とは勉強しているものなのだ」と思います。反対に、親がテレビばかり観ている家庭の子は、それが大人のスタンダードだと感じるでしょう。 家に本がたくさんあれば、たとえ子どもがそれを読まなくても、子どもはそれが大人の姿なのだと思い、自ら勉強する子になります。 そのためにも、親は本を揃えたり、自らが勉強する姿を見せたりするなど、まずは自分が手本となる意識を持つことも必要でしょう』、「積読」にも教育的効果があるとは初めて知ったが、もう時すでに遅しだ。
タグ:日経ビジネスオンライン (「親の言うことを聞く子どもになってほしくない」 入山章栄准教授が明かした「僕の子育て」論(前編)、「育児とは、答えが見えない永遠の学習」 入山章栄准教授が明かす「僕の子育て」(後編)、茂木健一郎氏が語る なぜ本に囲まれた家庭で「頭のいい子」が育つのか) 子育て 親は本を揃えたり、自らが勉強する姿を見せたりするなど、まずは自分が手本となる意識を持つことも必要でしょう 親が普段から本を読んでいたり、勉強をしたりしている姿を目にして育った子であれば、「どこの家庭でも、大人とは勉強しているものなのだ」と思います。反対に、親がテレビばかり観ている家庭の子は、それが大人のスタンダードだと感じるでしょう。 家に本がたくさんあれば、たとえ子どもがそれを読まなくても、子どもはそれが大人の姿なのだと思い、自ら勉強する子になります 組織と子ども、この2つを育てるのに共通しているのは「自己肯定感を高めることの重要性」ではないか 「「親の言うことを聞く子どもになってほしくない」 入山章栄准教授が明かした「僕の子育て」論(前編)」 保護者たちから拍手をもらって満足そうなのは、それを指導している体育会系の男性教師だけだったような気がして、「それ、お前の自己満足だろ!?」と突っ込みたくなりました 本人が死ぬ瞬間まで分からない。そして、子どもが天寿を全うして死ぬ瞬間に、親が立ち会う確率は極めて低い わが子には、とにかく表情豊かに育ってほしい 赤ん坊を抱っこしながら大学の試験監督も 「「育児とは、答えが見えない永遠の学習」 入山章栄准教授が明かす「僕の子育て」(後編)」 育児は「夫婦を映す鏡」 これからは働き方改革が進んで、企業に勤めるビジネスパーソンの勤務スタイルも自由度が高まれば、日本の育児の風景は変わると思いますよ 育児に正解はないし、あったとしても立ち会えない 世界の共通言語(プロトコル)は4つある 子どものありのままの感情を受け入れて存在を尊重する考え 一糸乱れぬ統制で完璧に叩き込まれた組体操を運動会で披露するところもありました 1つ目は現時点で世界最大の自然言語の共通語である英語。2つ目は数学。3つ目はプログラミング言語。そして4つ目が、意外に思うかもしれませんが“表情”です 、経営と育児の決定的な違いもあります。それは育児に“答え”がないことでしょう 経済大国の共通項がキッズファーストである 古市憲寿さんが、「親の言うことは聞くな」 日本でも子どもの好きなことを自由に伸ばしてくれる方針の学校や幼稚園に通わせたいと思っていました 育児の場合、まず「何をもって成功とするか」というにも答えすらありません 明橋大二さんの『子育てハッピーアドバイス』 ダイヤモンド・オンライン 「茂木健一郎氏が語る、なぜ本に囲まれた家庭で「頭のいい子」が育つのか」 育児は「答えが見えない永遠の学習」 小学生のエジソンは、先生を質問攻めにした 日本の幼稚園教育を変えないと、本当に優秀なビジネスパーソン・イノベーターは育たないのでは?」という仮説は持つようになりましたね 一貫教育を否定するつもりはありませんが、経営学的観点から見ると、これほど多様性が求められている時代に、同質性の高い人材を育てる教育に偏るのは、ますますイノベーションを遠ざけるんじゃないかと危惧しています 子どもたちのダイバーシティ・ソサエティが成り立つわけです。今まさに、日本の経営者が欲しているダイバーシティが、保育園には自然にある。様々な属性・タイプが入り混じるカオスの中で、子どもは自然と「異と交わるリーダーシップ」を獲得していくのではないでしょうか ゲームをやりたいなら、無尽蔵にやっていい まずは幼児教育の現場を“カオス”に 多様性に対応する教育を目指してほしいですね。同時に、縦割のセクショナリズムを取り払う必要もある 一般的な保育園は、ひと言で言えば“カオス”。共働きで比較的裕福な家庭の子もいれば、厳しい家庭の子や、シングルペアレントの子もいたりして、バックグラウンドが実に多様です。 しかも、厚労省管轄の保育園は「教育の場ではない」から、基本的に先生たちに統一された教育方針が幼稚園よりはなくて、1日のカリキュラムもゆるくて自由時間が多い。いい意味で、子どもを“野放し”にしている環境 ある幼稚園に救われたんです。ここは感動的なほどに“激ユル”だった 子どもたちを公立小学校に進ませたワケ 科目別教育 人は他者に命令されると、やる気を失う生き物です。ですから、それとは逆に「自分で決めたんだ」という自覚を持たせることで、やる気はアップします 16歳の時点で家に本が何冊あったかが、学力を決める 子どもが自主的に動くように「誘導」する 「オトコが育児に参加するのが当たり前」の時代に変わりつつある
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