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大学(その5)(竹中平蔵教授を批判 東洋大4年生「退学」騒動の本人を直撃、尾池元京大総長「対話の大学理念に反する」吉田寮問題で疑問、「役に立つ学問」が事前にはわからない根本理由 「モンゴル×超ひも理論×シロアリ」で考える) [社会]

大学については、昨年10月3日に取上げた。今日は、(その5)(竹中平蔵教授を批判 東洋大4年生「退学」騒動の本人を直撃、尾池元京大総長「対話の大学理念に反する」吉田寮問題で疑問、「役に立つ学問」が事前にはわからない根本理由 「モンゴル×超ひも理論×シロアリ」で考える)である。

先ずは、1月25日付け日刊ゲンダイ「竹中平蔵教授を批判 東洋大4年生「退学」騒動の本人を直撃」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/246108
・『東洋大学で大騒動だ。同大4年の学生が東京・白山キャンパスで教壇に立つ竹中平蔵教授の授業に反対する立て看板を設置、批判ビラをまいたところ、大学側に退学を勧告されたというのだ。 当該学生が自身のフェイスブックで一連の経緯を“拡散”。ネット上には「表現の自由を奪うことは言論の府である大学の死を意味する」などと大学側への批判コメントがあふれている。日刊ゲンダイの取材に当該学生はこう振り返った。 「21日朝9時から立て看板を出し、ビラを配り始めたら、10分と経たないうちに学生課の職員がビラ配布の中止と看板の撤去を求めてきました。その後、学生課の部屋に連れていかれ、職員5、6人から約2時間半にわたって詰問されました」』、竹中平蔵は慶応義塾大学から東洋大学に移ったようだ。「10分と経たないうちに学生課の職員が」現れたとは、ずいぶん早手回しのようだ。
・『こんな男がいる大学に在籍は恥ずかしい  ビラは冒頭から竹中氏の規制緩和路線を批判。「正社員はなくせばいい」「若者には貧しくなる自由がある」「トリクルダウンはあり得ない」など竹中氏の過去の暴言を列挙し、〈労働者派遣法の改悪は、自らが会長を務める(人材派遣)会社の利権獲得に通じていた〉〈まさに国家の私物化〉〈こんな男がいる大学に在籍していることが、僕は恥ずかしい〉と訴え、〈今こそ変えよう、この大学を、この国を〉と呼びかけた。 至極まっとうな意見だが、大学側の対応は厳しいものだった。 「職員らは学生生活ハンドブックの条項を示しながら、『大学の秩序を乱す行為』に該当するとし、退学処分をちらつかせてきました。さらに『君には表現の自由があるけど、大学のイメージを損なった責任を取れるのか』と大きな声で言われたり、『入社した会社で立場が危うくなるのでは』とドーカツされたりしました」(当該学生) 就職を控えた4年生への退学勧告は未来を奪うのに等しい。大学側の対応は「やりすぎ」を超え、「卑劣」ですらある。まさか「竹中批判」は絶対に許さないという意思表示なのか。 ネット炎上の影響だろう。東洋大は23日、この件に関する声明を慌てて公式サイトに発表。<無許可の立看板設置は学生生活ハンドブックに記された禁止行為だ>と指導したことは認めた上で、〈一部ネット等で散見されるような当該学生に対する退学処分の事実はありません〉と強調した。 日刊ゲンダイは東洋大に「詰問は2時間半に及んだのか」「学生に退学処分をほのめかしたのか」などの質問状を送ったが、「現時点でお答えできる内容は公式サイトに発表している声明の通り」(広報課)と答えるのみ。当該学生が改めて語る。 「今の東洋大は権力に抑えつけられているような雰囲気。もっと自由な校風になって欲しい。騒動の直後、東洋大の3年生や東洋大を目指す高校生からも協力したいとの連絡がありました。“どうせ変わらない”という諦めの意識を変えていくためにも、自分の考えが下の世代に受け継がれていくことを期待します」 諦めない若者の言動は、大人たちの心にも突き刺さる』、「ネット炎上」したのであれば、東洋大としても処分するわけにはいかなかったのだろう。竹中はパソナの会長もやりながら、東洋大教授とは、結構な第二の人生を謳歌しているようだ。

次に、7月13日付け京都新聞「尾池元京大総長「対話の大学理念に反する」吉田寮問題で疑問」を紹介しよう(Qは聞き手の質問、Aは尾池氏の回答・主張)。
https://www.kyoto-np.co.jp/education/article/20190713000120
・『京都大が学生寮「吉田寮」(京都市左京区)の旧棟と食堂からの寮生退去を求めた訴訟が、京都地裁で行われている。対話の理念を掲げる京大が学生との訴訟を選んだことは、その学風の変質を示唆するのだろうか。社会にとっての大学自治の意味を考えるため、京大元総長の尾池和夫・京都造形芸術大学長(79)に聞いた。 Q:大学側が学生を相手取った異例の民事訴訟になっている。 A:対話を根幹とした教育を掲げる京大の基本理念に反している。権力を持っている大学側が弱い立場の学生を訴えるのは問題。私は2003年から約5年間総長を務め、その前には学生教育担当の副学長として学生との話し合いに臨んできた。今の京大にとっては過去の人間だが、外から見て現状には疑問を覚える』、「元総長」が現執行部を批判するのは異例だが、余程、腹に据えかねたのだろう。
・『Q:現在の学生担当の理事・副学長は、学生と大学側の話し合いで結んできた過去の確約について「学生側から圧力を加えられる中で結ばされた」とし、引き継がないと宣言している。 A:私が副学長だった時に吉田寮自治会と「団体交渉」した記憶はないが、同じ自治寮である熊野寮自治会とは経験がある。確かに夜中までかかって何日も話し合った。人数も教員側より学生の方が多かったが圧力に屈したことは一度もない。学生との対話では教員として責任と重みを持ってサインしてきた。吉田寮との確約書を引き継がないという姿勢に納得はできない。 Q:対話の前提となる両者の信頼関係が構築できていない。 A:学生は大学側を信じているから、対話を呼びかけている。条件付きで旧棟を出るという方針を示しているのに、大学側はなぜむげにするのか。そこまで学生に高圧的になる理由が分からない。また吉田寮以外にも京大には学生寮がある。なぜ吉田寮の老朽化だけを取り上げるのか、理解しにくい。 Q:寮生が求める学生自治の意義とは。 A:大学では学生をはじめとして、あらゆる立場の自治が認められなければならない。実際、京大の基本理念にも研究教育組織の自治が明記されている。自由な環境からこそ独創的な研究は生まれるはずだ』、自然科学系のノーベル賞受賞者23人中、京大ゆかりが10人と「自由な環境」を誇ってきた京大の大学運営も、最近は官僚化しつつあるのかも知れない。残念なことだ。

第三に、6月14日付け東洋経済オンラインが掲載した4人の研究者たちのパネルディスカッション「「役に立つ学問」が事前にはわからない根本理由 「モンゴル×超ひも理論×シロアリ」で考える」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/286170
・『学問は社会にどう役立つのか──。基礎科学研究の予算削減や国立大学における文系不要論など、大学での研究や教育に対する厳しい意見が近年、経済界や政界を中心に目立っている。「税金を使う以上、研究の意義や有用性を説明するべき」という声も根強い。これらの問いに第一線の研究者たちはどう答えるか。そもそも、「役に立つ」とはどういうことなのか。今春、大阪で開かれたトークイベントで、4人の研究者たちが議論を交わした』、興味深そうだ。
・『学者が考える、自身の研究の「有用性」とは  「学芸ライヴ」と名付けられたこのトークイベントは、今年で設立40周年を迎えたサントリー文化財団が企画・主催する記念事業の1つ。第1回目は「役に立つって何?──モンゴル×超ひも理論×シロアリ」と題して、文化人類学者の小長谷有紀氏(国立民族学博物館客員教授)、理論物理学者の橋本幸士氏(大阪大学大学院理学研究科教授)、昆虫生態学者の松浦健二氏(京都大学大学院農学研究科教授)の3人を招き、経済学者の大竹文雄氏(大阪大学大学院経済学研究科教授)が司会進行を務めた。 「以前から、ぜひとも話を聞きたかった」という大竹氏の要請で実現した、まったく異なる分野の研究者たちの顔合わせ。議論はまず、各自が研究内容を説明しながら、「学問の有用性」をどうとらえているか述べるところから始まった。 小長谷氏の専門はモンゴル研究。1979年、社会主義体制だった同国を訪ねて以来40年にわたり、遊牧を中心に環境や農業、歴史や民俗文化など幅広く調査研究を積み重ねてきた。 これまでに書いた論文約100本は、すべてネット上に公開しており、ダウンロード数で「社会への有用性」を測るなら、「モンゴル国営農場の歴史」「古代からのモンゴル農業開発史」「チンギス・ハン崇拝の成立過程」の3本が上位を占めるという。前の2本は「社会主義時代の国営農場の記録はモンゴルにもなく、世界中で参照されるから」、残る1本は「モンゴルと言えばチンギス・ハンという、みなさんの好みの反映」と理由を推測する。 ただ、これらはいずれも「裏返しの動機」で始めた研究であり、注目が集まっても、あまりうれしくはないという。 もともと、モンゴルにおける遊牧文化の優位性や豊かさを証明しようと研究を始めた小長谷氏は、農業は土地に適していないと考えており、何かにつけてチンギス・ハン絡みでモンゴルが語られることにも抵抗を感じていた。 そうした反発や批判的視点が研究のきっかけになったのだが、世間にはそれらばかりが求められる「逆転現象」が起きていると苦笑し、こう続けた。 「私たち人文系の『知』は、いつ、誰にとって有用になるかは未知であり、それを考えずにやることに価値がある。成熟した社会はどんな知も有効活用する。わたしの論文も、活用するかどうかはあなた次第ということ」 続く橋本氏は、「世界でも数少ない超ひも理論の専門家で、この理論を理解している人の数はパンダの生息数より少ない」と大竹氏から紹介された』、「人文系の『知』は、いつ、誰にとって有用になるかは未知であり、それを考えずにやることに価値がある」、というのはその通りなのかも知れない。ただ、「成熟した社会はどんな知も有効活用する」、についてはいささか疑問だ。
・『橋本氏が説く理論物理学の歩み  「理論物理学とは、この宇宙で起こるすべての現象を数式で解明すること」と説明し、最も有名な物理の数式の話から始めた。アインシュタインの特殊相対性理論から導き出された「E=mc2」。Eはエネルギー、mは質量、cは光速で、「質量はエネルギーに変わりうる」という意味を表す。 「この式が広く知られているのは、ここから原爆が作られたから。原爆は、膨大なエネルギーを質量から取り出している。人類の歴史を変えたという意味では、いちばんインパクトのあった物理の式でしょう」と橋本氏。 人類史を大きく変えたその数式は、論文にして3ページ、黒板に書けば畳二畳分ぐらいの「極めて短い式変形で、簡単に導き出せる」という。その時代から飛躍的に進んだ現在の素粒子物理学については、こう語った。 「2012年にヒックス粒子という素粒子が欧州の加速器で発見され、それによって、半世紀前に提唱された『素粒子の標準模型の作用』と呼ばれる式が完成した。物理学はどんどん統合が進み、E=mc2をはじめ、さまざまな法則が1個の式から導出される。宇宙の現象を調べるにはまず、この式が正しいのか、どうやって計算するのか、計算した結果、現象にどう当てはめるのかということを逐一検証していく。量子力学の発見から1世紀で、人類はここまでの高みに到達した」』、「物理学はどんどん統合が進み、E=mc2をはじめ、さまざまな法則が1個の式から導出される」、という物理学の進歩には改めて驚かされる。
・『もう1人、松浦氏はシロアリの進化生態学を専門とするが、「自分はシロアリの研究者とも、生物学者とも、科学者とも思っていない」と言い、自らを「井の中の蛙」に例えて、学問へのスタンスを語った。 「自分は今どこにいて、どこから来て、いかにそこで生きていくか、井戸の中にいながら知る術が科学。すべての研究は、中心にあるその問いに向かっていくものであり、学問に分野はない」。シロアリを研究するのは、それが松浦氏にとって「世界をとらえ、最も美しく見るための磨かれた窓」だからだという。 シロアリの繁殖研究では、女王が自分の遺伝子から分身を作り、70年以上も生き続けることがわかってきた。今では、遺伝子をどのタイミングで、どう発現させるかという「エピジェネティクス」の領域に入っており、ゴキブリからシロアリをつくる"設計図"も描かれている。 哲学研究が趣味という松浦氏は、こんな言葉で説明する。 「進化を読み解けば、ヘーゲルの弁証法そのものであり、進化の面白さというのは、レヴィ=ストロースの言うブリコラージュ(手持ちの材料や余り物を組み合わせて、新たな機能や価値を生み出すこと)にある」。 そして、これら文系の知は、むしろ理系の科学者にこそ必要なものであるとして、「今、役に立つこと」ばかりが問われる風潮に異を唱える。 「例えば、プリオン(タンパク質から成る感染性因子)の研究なんて、BSEやヤコブ病が出なければ、何のことかよくわからなかった。ヒアリが入ってきたときに対応できたのは、それまで役に立たなかったヒアリの研究をしていた人がいるから。学知とは、有用性の部分だけで存在しているのではなく、全体が1個の体系として生まれ、運動しているもの」 松浦氏は、学問をグラスの水に浮かんだ球体の氷に例える。表面に出ている部分が有用だとすれば、今は役に立たない大半の部分が水面下に隠れている。氷はつねに回転していて、どの部分が表面にくるか、つまり何が有用となるかは、事前に決められるものではない、と』、「自分は今どこにいて、どこから来て、いかにそこで生きていくか、井戸の中にいながら知る術が科学。すべての研究は、中心にあるその問いに向かっていくものであり、学問に分野はない」、なかなか哲学的で深そうな指摘だ。「学問をグラスの水に浮かんだ球体の氷に例える。表面に出ている部分が有用だとすれば、今は役に立たない大半の部分が水面下に隠れている。氷はつねに回転していて、どの部分が表面にくるか、つまり何が有用となるかは、事前に決められるものではない、と」、というのは、上記の小長谷氏の見方に近く、説得的だ。
・『「役に立つ=お金儲け」だけではない多様な意味  「役に立つという言葉が、今は『お金儲けにつながる』と狭く定義されているが、お笑い芸人やスポーツ選手にそれを求める人はいない。人を楽しませ、幸福にするのが仕事だから。3人の研究の話も聞いているだけで楽しく、その意味で世の中の役に立っていると言える」 大竹氏はそんな感想を述べる一方で、こう問いかけた。 「でも、税金を払う人を説得できるかどうかも大事で、そのための努力もしないといけない。『今は役に立たないように見えているけど、実は役に立つ』という意識を共有してもらわないとだめなんじゃないか」 何の役に立つかわかりにくい学術研究への莫大な投資を納税者にどう納得してもらうか──。例えば日本では現在、岩手県に巨大加速器ILCを作る計画がある。 橋本氏によれば、その国民負担は1人当たり「ラーメン数杯分」になるという。1960年代のアメリカで同様の事例が持ち上がったとき、物理学者のロバート・ウィルソンが語った言葉を橋本氏は紹介した。 「これは役に立つのかと国の委員会で聞かれた彼は、『国防には何のメリットもない。ただし、この国を守るに値するものにします』と言ったそうです。これは非常に重要な発言で、学問を象徴している。守るに値する国とは、国民が『愛する国』であるということ。国を国民が名誉に思っていることが本質です。つまり、学術研究は国民の幸福度を上げるという大きな価値を持っているということだと思う」「先日大きく報道されたブラックホールの撮影成功の件を見ても、また、自分が市民向けに講義をした経験からしても、たくさんの人が、いろんな理由で科学に興味を持っていることを感じている。科学と隔絶された人にも、そこを穴埋めして、みんなで楽しもうという雰囲気を作ることが大切。それにはやはり、『役に立つ』の定義を変えないといけない」 橋本氏は、黒板に向かって数式を書き続ける自分の研究風景をネット動画にアップしたり、SNS上に「巨大科学萌え」というコミュニティーを作ったり──3人で始めたのが、半年後には約1000人に増えたという──していたことがある。科学者の経験や思考をシェアしてもらうことが「ボトムアップでファンを増やすことにつながる」という』、「学術研究は国民の幸福度を上げるという大きな価値を持っている」、というのはもっともらしいが、学術研究と称されるものの中にも価値のない無駄なものがありそうな気もする。
・『研究をアピールできる仕組みづくり  議論はそこから、メディアの活用法へも展開した。小長谷氏は、学術講演などを無料で動画配信しているアメリカの「TED」の日本版を提案し、新聞社などのマスメディアに協力を呼びかけた。 「面白い研究をしている方はたくさんいらっしゃるが、自発的に発信や説明ができるほど、コミュニケーション能力の高い人ばかりではないのが学者の世界。そういう人も生きていけて、研究内容や存在意義が承認されるようなシステムを共同で作り、社会にアピールできる仕組みができれば、ありがたい」 一方、松浦氏は、納税者への説明責任はあると認めつつ、説明の仕方によっては学問の本質から離れていく難しさがあると指摘する。 「一般の人に、私がやっている研究の面白さを伝えることは大変だけども、やろうと思えばできる。ただ、個別の研究の有用性を切り離せば切り離すほど、学問の本質はかげろうのように遠ざかっていく。ちょうど愛を語るのに似ています。『あなたが好きなんです。なぜなら……』と、説明すればするほど愛から遠ざかりますよね」 ある研究の存在意義や学問的価値を、その研究分野の中から説明するのは不可能だと松浦氏は言う。各分野の重要性は、1つの大きな学問体系の中ではじめて把握できるものだと。 「学知というものに、どれだけ税金を投入するかという問題は、学問をする階層ではなく、その上の階層、つまり国家として、この学問をどう評価するのかというところにある。われわれは涅槃経にある出家した比丘のようなもの。山を下りてきて商売することはできる。だけど、それでいいんですか?ということ」』、「学知というものに、どれだけ税金を投入するかという問題は、学問をする階層ではなく、その上の階層、つまり国家として、この学問をどう評価するのかというところにある」、との主張には、「国家」を持ち出すことにより、学者が責任放棄しているようにも映る。
・『「学問」と「研究」の違いとは  会場からは、松浦氏が先に述べた「学問の中心」には何があるのかという質問が寄せられた。学者は何を目指して研究しているのか。それを日々、意識しながらやっているのか──。 松浦氏は、「学問」と「研究」は異なるもので、両者を分かつのは、自分がやっていることの意味をメタに見られるかどうかだと言う。 「研究というのはほとんどが作業であり、技術です。それをメタにとらえる視点がなければ、マニアや実学であり、大学でなくてもできる。企業の商品開発なんかもそう。大学で問う学は、中心へ向かう力とは何か、自分がどこへ向かっているのかを意識できているかどうか、その1点にかかっている。それがなければ、学生を教えることもできない」 これに対し、橋本氏は「研究に没頭しているときは、自分がどこに行くかということは意識せずにやっている」と言う。「ただし、その成果である論文をまとめる段階では、学問の方向性や自分の作業の位置付けが見えている」と、やはりメタ視点の重要性を認める。 小長谷氏は、やや違う視点から、こんなふうに答えた。 「学問の中心にあるのは、やはり真理の探究だと思う。知りたい。だけど、まだその答えがない。だから、自分が調べるしかない。そういう単純なもの。まだこの世にない答えを求めていくというのは、どんな分野でも同じだと思っている。松浦先生がおっしゃった研究と学問の違いはよくわかるが、それは企業か大学かというように場所で決まるものではないと思う。自分も、テーマやお金の取りやすさによって使い分けたりもする」 「文化人類学の学生は、もう本当に好き勝手にいろんなことをやっている。場所もテーマも、どうしてそれが面白いのか、私にもわからないことがある。すごく細かいことを調べてきて、そんなどうでもいいようなことを調べてどうするんだろうと。ただ、そのオタクさをどれだけ普遍性に近づけられるか。ほんの10センチぐらいの違いだが、その感覚がある子とない子がいて、そこが博士論文を書けるかどうかの分かれ目になる。それが研究と学問の違いであり、中心に向かう力の有無じゃないか」』、「オタクさをどれだけ普遍性に近づけられるか」「が研究と学問の違いであり、中心に向かう力の有無じゃないか」、ふーん!そんなものかなと、私の認知力を超えている印象だ。
・『「今は役に立たない、でも、いつか役に立つかも」  「予定調和なし」とうたって始まった知と有用性をめぐる議論は、会場も巻き込んで120分間フルに続き、さまざまな論点が示された。 「人類社会が困難に陥ったときに生き延びられる資源、いわばオルタナティブな選択肢を準備しておくのが学問の役割」「有用性はとても重要だが、それに引っ張られすぎないことが大事」「人間が自ら問う領域が損なわれていき、問う存在としての主体性を失うと、AIに食われて終わる」……。 有用な学問とは何か。予算を割くべき研究分野をどう決めるか。一つの決まった結論が出る論題ではない。終わり近くで大竹氏が述べた意見が、現在の学問と有用性をめぐる問題を改めて浮き彫りにしていた。 「財務省の役人に言わせれば、大学や学問にかける予算と、年金や医療とどっちが大事なのという話になる。だから、どれだけ役に立つの、どれぐらい価値があるのと問われたときには、われわれの側から『今まで役に立つと思ってなかったことが突然役に立った例』を常に出していかないと、理解してもらえない。 『その研究は何の役に立ちますか』と聞かれて、基礎科学の人はよく、『役に立ちません』と言い切るが、これはよくない。まず、その研究が多くの人に面白いと思ってもらえた時点で、世に中の役に立っているという認識を持つことが重要。そして、『役に立たない』と言い切るのではなく、『いつか役に立つかもしれない。そのときがいつ来るかはわかりませんが』いう前提で言う必要がある」』、この大竹氏の主張には説得力があり、同意できる。
タグ:大学 (その5)(竹中平蔵教授を批判 東洋大4年生「退学」騒動の本人を直撃、尾池元京大総長「対話の大学理念に反する」吉田寮問題で疑問、「役に立つ学問」が事前にはわからない根本理由 「モンゴル×超ひも理論×シロアリ」で考える) 日刊ゲンダイ 「竹中平蔵教授を批判 東洋大4年生「退学」騒動の本人を直撃」 白山キャンパスで教壇に立つ竹中平蔵教授の授業に反対する立て看板を設置、批判ビラをまいたところ、大学側に退学を勧告された ネット上には「表現の自由を奪うことは言論の府である大学の死を意味する」などと大学側への批判コメントがあふれている ビラを配り始めたら、10分と経たないうちに学生課の職員がビラ配布の中止と看板の撤去を求めてきました こんな男がいる大学に在籍は恥ずかしい 「職員らは学生生活ハンドブックの条項を示しながら、『大学の秩序を乱す行為』に該当するとし、退学処分をちらつかせてきました 『入社した会社で立場が危うくなるのでは』とドーカツ 東洋大 当該学生に対する退学処分の事実はありません 京都新聞 「尾池元京大総長「対話の大学理念に反する」吉田寮問題で疑問」 京都大が学生寮「吉田寮」(京都市左京区)の旧棟と食堂からの寮生退去を求めた訴訟 対話の理念を掲げる京大が学生との訴訟を選んだ 京大元総長の尾池和夫・京都造形芸術大学長 対話を根幹とした教育を掲げる京大の基本理念に反している。権力を持っている大学側が弱い立場の学生を訴えるのは問題 現在の学生担当の理事・副学長は、学生と大学側の話し合いで結んできた過去の確約について「学生側から圧力を加えられる中で結ばされた」とし、引き継がないと宣言 学生は大学側を信じているから、対話を呼びかけている。条件付きで旧棟を出るという方針を示しているのに、大学側はなぜむげにするのか 自由な環境からこそ独創的な研究は生まれるはず 自然科学系のノーベル賞受賞者 東洋経済オンライン 「「役に立つ学問」が事前にはわからない根本理由 「モンゴル×超ひも理論×シロアリ」で考える」 学問は社会にどう役立つのか 基礎科学研究の予算削減や国立大学における文系不要論 学者が考える、自身の研究の「有用性」とは 人文系の『知』は、いつ、誰にとって有用になるかは未知であり、それを考えずにやることに価値がある。成熟した社会はどんな知も有効活用する 橋本氏が説く理論物理学の歩み 物理学はどんどん統合が進み、E=mc2をはじめ、さまざまな法則が1個の式から導出される 自分は今どこにいて、どこから来て、いかにそこで生きていくか、井戸の中にいながら知る術が科学。すべての研究は、中心にあるその問いに向かっていくものであり、学問に分野はない 学問をグラスの水に浮かんだ球体の氷に例える。表面に出ている部分が有用だとすれば、今は役に立たない大半の部分が水面下に隠れている。氷はつねに回転していて、どの部分が表面にくるか、つまり何が有用となるかは、事前に決められるものではない 「役に立つ=お金儲け」だけではない多様な意味 「でも、税金を払う人を説得できるかどうかも大事で、そのための努力もしないといけない。『今は役に立たないように見えているけど、実は役に立つ』という意識を共有してもらわないとだめなんじゃないか 学術研究は国民の幸福度を上げるという大きな価値を持っている 『役に立つ』の定義を変えないといけない 研究をアピールできる仕組みづくり 個別の研究の有用性を切り離せば切り離すほど、学問の本質はかげろうのように遠ざかっていく 各分野の重要性は、1つの大きな学問体系の中ではじめて把握できるものだ 学知というものに、どれだけ税金を投入するかという問題は、学問をする階層ではなく、その上の階層、つまり国家として、この学問をどう評価するのかというところにある 「学問」と「研究」の違いとは オタクさをどれだけ普遍性に近づけられるか 「今は役に立たない、でも、いつか役に立つかも」 財務省の役人に言わせれば、大学や学問にかける予算と、年金や医療とどっちが大事なのという話になる。だから、どれだけ役に立つの、どれぐらい価値があるのと問われたときには、われわれの側から『今まで役に立つと思ってなかったことが突然役に立った例』を常に出していかないと、理解してもらえない その研究は何の役に立ちますか』と聞かれて、基礎科学の人はよく、『役に立ちません』と言い切るが、これはよくない。まず、その研究が多くの人に面白いと思ってもらえた時点で、世に中の役に立っているという認識を持つことが重要。そして、『役に立たない』と言い切るのではなく、『いつか役に立つかもしれない。そのときがいつ来るかはわかりませんが
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