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人生論(その3)(『人生の諸問題 五十路越え』刊行記念鼎談:(前編)オダジマ 入院までの顛末をかく語りき、(中編)五十路は「ラストシーン」に向かい合うお年ごろ、(後編)五十路にして悟る。「嗚呼 人間至る所猿山あり」) [人生]

人生論については、1月3日に取上げた。今日は、(その3)(『人生の諸問題 五十路越え』刊行記念鼎談:(前編)オダジマ 入院までの顛末をかく語りき、(中編)五十路は「ラストシーン」に向かい合うお年ごろ、(後編)五十路にして悟る。「嗚呼 人間至る所猿山あり」)である。

先ずは、7月30日付け日経ビジネスオンラインが掲載したコラムニストの小田嶋 隆氏、電通出身のクリエイティブ・ディレクターの岡康道氏との対談「オダジマ、入院までの顛末をかく語りき『人生の諸問題 五十路越え』刊行記念鼎談(前編)」を紹介しよう(なお、Qは進行役のジャーナリストの清野由美氏)
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00077/072300001/?P=1
・『いつも御贔屓にありがとうございます。編集Yでございます。 2018年、「日経ビジネスオンライン」から「日経ビジネス電子版」への移行にともない、11年の長きにわたって続いた連載対談「人生の諸問題」は、惜しまれつつ幕を閉じました。 が、しかし。 このたび、みなさまからの熱いご要望に応え、めでたく単行本化とあいなりました。前3冊は講談社様にお世話になりましたが、7年のブランクを経て、今回は晴れて弊社からの刊行です。 私を含めまして、人生には、特に五十路、50代を迎えますと、「こんなはずじゃなかった」的な問題、たとえば「思わぬ入院」に「あいつの出世」などなど、人生の諸問題に遭遇し、煩悶し、どうにも眠れない……という夜がございます。 そんなときに、前向きになれとおしりをたたいてくれる本もよございますが、開いたところからぱらぱらっと読んで、「ばかなことを言ってるな、はっはっは」と、気持ちよく眠れる。手前味噌ではありますが、本書はそのような貴重な本じゃないかな、そうなるといいな、と思います。 ということで、刊行記念の特別対談「人生の諸問題 令和リターンズ」をしばらくの間お届けします。ごゆるりとお楽しみくださいませ。進行役はいつものとおり、清野由美さんです。 小田嶋:今回の、この単行本『人生の諸問題 五十路越え』は、装丁のカラーが、ちょっとこう、還暦の赤い色を意識しているみたいで。 Q:トリスバーのような、若干レトロな味わいです。 岡:でも、このタイトルだと、僕たちが53~54歳のように思われない? 本当は3年前に還暦を越えたんだけど。 小田嶋:まあ、そうは言っても、これは主に俺たちが50代のときに、しゃべっているから』、「人生の諸問題に遭遇し、煩悶し、どうにも眠れない……という夜がございます。 そんなときに、前向きになれとおしりをたたいてくれる本もよございますが、開いたところからぱらぱらっと読んで、「ばかなことを言ってるな、はっはっは」と、気持ちよく眠れる。手前味噌ではありますが、本書はそのような貴重な本じゃないかな」、というのは面白い企画だ。
・『お尻をひっぱたかない生き方指南本(?!)  岡:そうね。自分で振り返ってみると、内容はいいよ、これはなかなか。 小田嶋:なかなかね。 岡:でも、売れるとは思えない。 Q:しょっぱなから、何を弱気なこと、言っているんですか。 小田嶋:いや、でも、最近は曽野綾子さんとか、伊集院静さんとか、年を取った時の生き方本みたいなものが、新しい売れ筋ジャンルとして書店のコーナーに現出しているので。ほら、樹木希林さんとか。 岡:希林さんは、亡くなってしまったじゃないか。 小田嶋:希林さんはお亡くなりになって、もともと引っ張りだこだったところ、需要がさらに高まったけれど、年を取って、何がめでたいと言ってみたり、男の流儀と言ってみたりと、私らの尻をひっぱたく本が結構出ていますよね。それらが売れるということは、俺らの、この本の、まるで尻をひっぱたかない価値を分かってくれる人というのは、かなり珍しいというか。 Q:そこは、なかなか珍しいし、難しいです、はい。 岡:難しいよね。これが養老孟司さんぐらい有名な学者とかだったら、何を言ってもアリになっちゃうんだけどね』、「養老孟司さんぐらい有名な学者とかだったら、何を言ってもアリになっちゃうんだけどね」、というのは確かにその通りなのだろう。
・『「いい酒を家飲みしたような読後感」  小田嶋:養老孟司さんのポジションだと、確かにいいよね。 岡:だって養老孟司さんのいる場所は、僕たちが攻めている場所とわりと似ているよ。 Q:タバコは体にいい、などという岡康道学説の関連ですか? 岡:そう。ただ僕たちは、攻めているのか、たたずんでいるのか分からないんだけど。 小田嶋:我々はまだ養老先生の、あの確固たる位置がないから、たばこを吸うと長生きするよ、禁煙は害だよ、なんて言えない。 岡:正直、言えない、言えない。ただ、この間、ある作家の人が、既刊本(『人生2割がちょうどいい』『ガラパゴスでいいじゃない』『いつだって僕たちは途上にいる』いずれも講談社刊)を、どこかで絶賛してくれていたよ。「いい酒を家で飲んだ後のような読後感」って。だから今回は、ウシオ先生のところにも1冊送るとするか。 Q:ウシオ先生は『人生2割がちょうどいい』に登場される、お二人の高校時代の恩師ですね。 小田嶋:そうだね、ウシオ先生には送ってもいいかもしれない。 Q:テストで零点を取り続けていた、やさぐれ高校生の小田嶋さんを、見捨てずにいてくださった先生は、今、おいくつぐらいですか。 小田嶋:長嶋茂雄と一緒で、当時で38~39歳。だから、今は83歳ぐらいですね。 岡:東大を出て小石川高校で教鞭を執っておられたんだけど、今から思うと、当時はすごく若かったんだね。数年前に高校を卒業して初めてのクラス会があった時に、18歳から40年ぶりぐらいに、ウシオ先生とは再会したんだよね。 小田嶋:その時に先生は「片耳の聞こえが悪いんだ」と言っておられたんですよ。あの先生は60歳を過ぎたくらいの時に、地下鉄駅で自分の靴ひもを踏んで、階段から転げ落ちたという過去を持っている。 岡:そんな大変な目に遭っていたのか。 小田嶋:だから、「きみたち、靴はひものないものを履きたまえ」というのが先生の助言で。 岡:そのあたりが洒脱なんだよ、ウシオ先生は。 小田嶋:ただ、問題は靴ひもが、なぜほどけたか、ということで。ウシオ先生いわく、自分がこうなって利益を得る人間は妻しかいない。ゆえに妻のことを少し疑っている、と(笑)。 Q:うーん、その手があったか。いいトリックを聞きましたね。 岡:それだと、土曜ワイド劇場。 小田嶋:まあ、だから前に戻って、養老孟司先生だったら、何をおっしゃっても、それを押し通す力がすでにあるということですよ。 岡:だって、ずっと解剖をやっていた先生でしょ。それはまねできないですよ。 小田嶋:解剖と昆虫はやっておくものだよね。周囲を見ていると、昆虫人脈というのは、なかなか、あれはあれで、ばかにならないな、と最近思うようになって。  Q:岡さんは昆虫はいかがですか。 岡:昆虫? 全然だめ。 小田嶋:ところが昆虫をやっている同士は虫の話で分かり合えて、こいつはいいやつだみたいに、一挙に人間関係の壁を取ることができる。そういう趣味って、ほかにあんまりないのよ。 岡:それって、野球とかサッカーとかの話じゃだめなのかな。 小田嶋:サッカーが好きだとか、音楽が好き、車とか鉄道が好きだとかいうのは、張り合っちゃって、あんまり打ち解けないでしょう。 岡:野球好きだと、「ほう、そう言うおまえは昭和47年の夏の甲子園を見たのか?」みたいな話になるな。 小田嶋:ただ、野球好きの不思議なところは、たとえば阪神ファンとカープファンは、試合で当たれば敵同士なんだけど、酒場で一緒になって、「あ、野球が好きなんですか」という展開になると、同じ野球好きとして全然話が通じ合うというところですよ。 岡:「巨人ファンです」と言われると、ちょっと壁ができちゃうんだけど、それ以外のファンって、広島にしても、横浜にしても、だらしなく負けていくチームがたくさんあるから、ファン同士が人間のある種の弱さのドラマに自分の弱さを投影して、意気投合できる。 小田嶋:野球ファンって敵チームのことをすごくよく知っているでしょう。「マエケンがいなくなって大変だよね」とかいう話をされると、「そうそう、そこはですね」ということで、話はいくらでもあるわけで。 岡:ダルの離脱に至っては、みんなが被害者になっちゃうから連帯が生じる(笑)。 小田嶋:ところがサッカーファンは、そこのところが案外かたくなで、ほかのチームのファンとは簡単に打ち解けないところが、ちょっとある。 岡:プロ野球はサッカーに比べて試合数が多いから、というところは一つあるんじゃないか。僕たち野球ファンは、勝ったり負けたりすることが日常化しているわけですよ。 小田嶋:あ、それは一つあるね。野球ファンは、試合の結果を1週間も引きずらないんだね。 岡:試合は毎日あるから、「あのゲームは忘れない」と思いながら、すぐ忘れて次に懸けてしまう。 小田嶋:どんどん話が流れるから、そこがいいんだね。なるほど、なるほど』、「サッカーが好きだとか、音楽が好き、車とか鉄道が好きだとかいうのは、張り合っちゃって、あんまり打ち解けないでしょう」、言われてみれば、その通りなのかも知れない。
・『オダジマ、“一丁目”を覗く  Q:と、雑談の流れはとめどがありませんが、さて、小田嶋さん。今回は「地獄の一丁目」に行ってきた話をぜひ。小田嶋さんが入院されたということで、みんなが心配をしていました。 小田嶋: そうですね。実はまだちゃんと一丁目から帰ってきているわけでもないんです。 Q:ことの発端はどういうことだったのですか。 小田嶋:そもそも、ある日、唐突に視野が狭くなったんです。 Q:ちょっと、それ、めっちゃ怖いじゃないですか。 小田嶋:ちょっと嫌だったけど、俺は深刻視していなかった。それで、「何か左上半分、3分の1が見えないぞ」というのをツイートして、そうしたら早速、「私はどこそこで医師をやっています」といった方たちから、「自分の身内だったら今すぐ救急車を呼びます」といった返信がだーっと届いて』、小田嶋氏ほどのツイッターには思わぬ効用があるようだ。
・『始まりは脳梗塞だった  岡:つまり、それは脳梗塞ですよ、と。 Q:典型的な症状なんですか。 小田嶋:わりとよくあることみたいですよ。 Q:気を付けましょう、みなさん! 岡:それって、「あれ、今、内角球が打てなかったな」とか、そんなこと? Q:だから、野球の試合に出る暇なんてないんです!! 小田嶋:内角、外角どちらの球も打てないだろうけど、視野を追っかけると、自分が注目しているところの少し左上ぐらいが見えない感じになるんですよ。要するに視野が欠落しているという。自分の手を差し出してみると、もちろん欠落部分は何も見えない。要するに、神経のすぐそばのところの脳細胞が壊れて、信号の伝達が阻害されていたわけです。 岡:それは回復するものなのか。 小田嶋:入院して1カ月後に視野検査というやつをやったら、ある程度回復したんだけど、少しは残っていました。もしかしたら、ずっと残るかもしれないけど、日常生活には影響のない程度の視野欠落だから、まあ問題はないというか。 Q:それでいったん退院されて、一同がほっとしていたところに、再入院の知らせが入ってきました。 小田嶋:最初は脳梗塞だったわけですが、さかのぼって言えば、なぜ脳梗塞になったのか、という因果があって。 Q:確かにそうですね。 岡:ここで僕が解説をしますと、小田嶋の場合は血小板が壊れちゃっていて、不必要なところで固まったり、大事なところで固まらなかったりという、厄介な症状が隠れていたわけです。 Q:あ、財前教授(※)の再来だ。※この意味は、単行本『人生の諸問題 五十路越え』215ページでどうぞ。小田嶋さんが自転車で転んで膝を骨折、入院の憂き目に遭っていたころのお話です。 小田嶋:要するに血液の疾患があって、血管の中に小さい血栓が山ほどできる、と。それができるおかげで、血液の中の凝固物質が浪費されちゃう。そこで浪費されているから、何か切れたとか、内出血があったときに血が止まらなくなって、それが危ないよ、というのが一つ。もう一つは、小さい血栓ができると、細い血管がそれで詰まる場合があるよ、と。それが脳だったり、腎臓だったりすると、脳のあたりは血管の一番集まっている部位だから、梗塞ができる場合があって危ないですよ、ということですね。 岡:そこから先は順序として、取りあえず全身を検査しよう、ということになるよね。 小田嶋:そうそう、それでずっと検査していたの。そうしたら、大腸も大丈夫、胃も大丈夫、じゃあ血液かな、というので、今も検査が続いている、ということです(注:鼎談収録は7月初旬)。 岡:小田嶋の場合、不思議なのは、自覚症状が何もないところなの。 小田嶋:去年の10月から、何となく体重が減ってきたぞという以外には、特に何もない』、「最初は脳梗塞だったわけですが、さかのぼって言えば、なぜ脳梗塞になったのか、という因果があって・・・小田嶋の場合は血小板が壊れちゃっていて、不必要なところで固まったり、大事なところで固まらなかったりという、厄介な症状が隠れていたわけです・・・不思議なのは、自覚症状が何もないところなの』、というのは、恐ろしいことだ。
・『今ならマージャンに勝てる!  Q:その場合、疲れやすいということはないんですか。 小田嶋:全然ないよね。 岡:だから、病気なのかな、それって。 小田嶋:今後は悪くなるのを待って、疾患名を確定しましょう、といった中ぶらりんの状態になっているんです。 岡:早く治してほしいんだよ。この状態だと、マージャンに誘いにくいじゃないか。 小田嶋:今、マージャンをやったら、たぶん強いと思うんだよね。 Q:何か妙な自信が。 岡:だって、自転車事故で膝をやった時の、小田嶋のあの異常な強さというのはね、あれは何かの磁場が狂ったようでしたよ。 Q:この辺も、お分かりになりづらいという読者の方がいらしたら、単行本でぜひ。入院すると雑念が薄くなって、脳が整うのでしょうかね。 岡:いや、小田嶋側の問題ではなくて、この状態だと、何となく小田嶋からは上がりにくいというのが、僕たちの方に出てくるんだよ。 Q:そちらでしたか。 岡:できることなら、ほかのやつから上がりたい。そういう気持ちをほかの3人が持っていたら、小田嶋はもう無敵ですよ。 小田嶋:ただ、再入院となった時は、結構あせったね。 Q:それはいったん奈落の底ですよね。 小田嶋:俺に限って、と、やっぱりちょっと思った。(次回に続きます)』、「今後は悪くなるのを待って、疾患名を確定しましょう、といった中ぶらりんの状態になっているんです」、には驚かされた。医学もまだまだのようだ。

次に、この続きを、8月6日付け日経ビジネスオンライン「五十路は「ラストシーン」に向かい合うお年ごろ 『人生の諸問題 五十路越え』刊行記念鼎談(中編)」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00077/072400006/?P=1
・『Q:前編は、小田嶋さんがのぞいてきた「地獄の一丁目」のお話をうかがいました。 小田嶋:まあ、別にまだ一丁目から帰ってきたわけじゃないんだけどね。 岡:でも、小田嶋は別に変わらなかった。深刻になってもいなかった。むしろ面白がっているような感触もあった。 小田嶋:だって、表面的にはどこも痛くないから、結局、あんまり深刻に考えようがないのよ。 岡:何しろ自覚症状がないんだもんね。 小田嶋:最初の脳梗塞では、入院当日と翌日に、言語療法士および運動療法士といったリハビリスタッフの方たちが来て、俺はテストを受けたの。「100から7を引いてください、そこからまた7を引いてください」って。 Q:ひー、そんなの、できないっ。 岡:今からできないと言って、どうするの。僕もできないけど。 小田嶋:リハビリテストの定番なんだけど、「自動車」と「おでん」と「大根」とか3つの単語を初めに覚えてください、と。で、「覚えましたね」と言われた後に、「100から7を引いてください」「また7を引いてください」が来て、それで40いくつまで行ったぐらいの時に、「さっきの3つの単語は何でしたか?」と聞かれるの。まあ、子供の時にやった知能テストみたいなものですね。 岡:嫌だな、それは。 小田嶋:鳥とネズミと何とかが4ついて、仲間外れはどれですか? みたいなものとか、パズルになっていて、はまらないのはどれですか? みたいなやつ。いい大人にこれをやらせるのか、と、ちょっと屈辱を感じつつやって、自分ではそこそこできたつもりでいたんだけど、後で聞いたら当日のスコアは結構やばかったみたいで。 Q:そこらへんも、自覚症状はなかったんですね。 小田嶋:自分じゃ全然自覚がなかったけど、入院当日、翌日、最終日で比べると、当初の数字はやばかったらしいの。 Q:うーむ。 編集Y:介護関連の連載をやっていますと、よくコメント欄に「自分は認知症になったら、人に迷惑をかけたくないから自死する」ということを書き込む方がいるんですが……。 Q:わっ、唐突に何を?』、「リハビリテスト」、「いい大人にこれをやらせるのか、と、ちょっと屈辱を感じつつやって」、というのは健康ではあっても高齢化している自分にも出来る自信がない。
・『編集Y:最近、このお話を日本でも指折りの認知症の研究者の方にお聞きしたら「そもそも、症状の進行を自分で把握できる方はめったにいません。実際にはまず無理でしょう」とおっしゃっていました。 小田嶋:そうそう。自分がどれくらいやばいかというのは、なかなか自分では分からないんだよ。 編集Y:その先生によると、「どこからが認知症なのか」という区分も実は曖昧で、「研究者として、今の自分自身を見れば、ああ、俺はゆっくりと認知症になりつつあるな、と考えることもできる」のだそうです。 小田嶋:うーむ。 Q:健康と病気の区分も実はあやふやなものかもしれません。 編集Y:そのグレーゾーンが年とともに広がってくる、ってことでしょうかね。 岡:僕は時々、病院に小田嶋を訪ねて、経過を見ていたんだけど、同世代、しかも昔から知っているやつが入院しているとなると、結構自分の方が調子悪くなるんだよね。 Q:ああ、それは分かる気がします。身につまされるお話ですね』、「「どこからが認知症なのか」という区分も実は曖昧で、「研究者として、今の自分自身を見れば、ああ、俺はゆっくりと認知症になりつつあるな、と考えることもできる」のだそうです・・・健康と病気の区分も実はあやふやなものかもしれません」、確かにその通りなのかも知れない。
・『「そういう夢」を持って生きねば  岡:小田嶋の病室を訪ねる度に、俺も調子が悪いな……というふうに、だんだん気分がうつってきて。そういうことを感じたのと、あと、全体として思ったのは、もう60歳を過ぎたら、誰でも死はそれほど遠くのものではないな、ということ。 小田嶋:俺は死ぬなんてことはあんまり考えなかったけど、これが厄介な病気だった場合に、仕事を休まなきゃいけないとすると、ちょっと入院費も大変だなとか、入院費が大変なのは何とかなるとして、仮にいかんことになった時に、もしかするとこの出版界の常識としては、かえって需要が高まるという変な話になろうか、ということはちょっと意識したよね。 Q:うーん、そこに行きましたか。 岡:そんなことを意識して、どうするの。 小田嶋:だから樹木希林さんなんかのベストセラーも、まさにそういうタイミングで、その辺のことは、この先ちょっと考えなきゃいけないな、とは思いましたね。 Q:小田嶋隆、遺産をなす、みたいなことですか。 小田嶋:そうそう、ゴッホじゃないけど、あの人も生きているうちはあんまり大したことはなかった。でも、死んだら急に「ゴッホ、いたよね」みたいなことになり、俺にしても、そういうことに夢を持っていかなきゃいけない、というのがあった。 Q:いやいやいや、これ、今、すごい話になっちゃいましたね。人生の諸問題がついに終活に及んできました。岡さんの方は大丈夫ですか。 岡:僕は昨年の秋に不整脈が起きました』、「死んだら急に「ゴッホ、いたよね」みたいなことになり、俺にしても、そういうことに夢を持っていかなきゃいけない、というのがあった」、コラムニストのように作品を残している人ならではの捉え方のようだ。
・『五十路はどんどん病気に詳しくなる  Q:それはそれで大変でしたね。 岡:車で出かけていた時だったので、このままでは運転が危ないな、というか、これが狭心症の前ぶれだったらやばいぞ、と思って、病院に直行しましたけどね。 小田嶋:その場合はどうなるの? いきなり倒れるとか、変なことが起きるのか。 岡:僕の場合は幸い狭心症じゃなくて、ただの不整脈だったんだけど。不整脈は心臓が規則的に脈打たないということだから、倒れはしないんだけど、しゃがみたいぐらいの感じにはなる。その時は、病院で薬を飲んで、じっとしていたら収まったんだけど、ともかくそういう持病があるということが分かったね。 小田嶋:不整脈というのは、やばい方面と大丈夫な方面とに分かれているんですか。 岡:不整脈は、言ってみれば、ただの電気的な乱れだから、それ自体では人は死なないんだって。ただ不整脈っていうくらいだから、脈が一瞬、不整になって止まる感じがするんだよ。心臓の鼓動がずれるというか、それが、とても気持ち悪いの。 小田嶋:それで血栓ができてしまうということにはならないのかい? 岡:血栓とは別なんだよ。といっても、血栓だって、この年になったら、すでにあるかもしれない。ただし通常では、血栓は多少あっても、別にどうってことはないといいます。よくないのは、不整脈で一瞬止まった心臓は、次に脈打つ時には、遅れを取り戻すために、何倍かの強さで打つ。その時に費やされる何倍かのエネルギーが、普通では飛ぶはずのない血栓を飛ばしちゃって、それが脳とか心臓とかに行っちゃうことがあるという。 Q:それは不安ですね。 岡:不整脈は起きない方がもちろんいいんですよ。ただ、起きても、不整脈では死なない。死なないけれども、リスクが高まる。それは血栓が飛ぶリスクである、と、こういう整理ができる。 Q:そうやって、みんな、どんどん病気に詳しくなっていきますね。 小田嶋:それは薬で何とかなるものなの? 岡:不整脈に薬はないんだけど、万一、狭心症になった場合用に、舌下に置くニトログリセリンは渡されている。まあ、病気ではないけれど、「あなたはいつ不整脈が起きるか、もはや分からないよ」という状態は、結構苦しいんだよね。実際、ちゃんと脈が打たなくなると、メンタルで慌てちゃう。これはもう俺の持病なんだ、という精神的な設定をきちんと行って、普段から薬を携行するようにはしている。 Q:そういうこともあり、小田嶋さんのご入院に際して、いつにない感情移入があったんですね。 岡:それはあったかもしれないですね』、「五十路はどんどん病気に詳しくなる」、確かに友人たちと飲む際の話題も病気のことが多くなった。
・『欠落こそが、才能だ  Q:で、不整脈についても、いつものように、ご自分の症状を周りに広く告知されて。 岡:そんなこと、していませんよ。するわけがないじゃないですか。 小田嶋:おまえは昔、自分の左脳には、あるべきはずの太い血管がないんだよ、という話を、ぐいぐいとしていなかった? それで、何か交通事故とかに遭って、意識不明になった時に、医者が「あ、左脳の血管がない」と驚いて、バイパス手術を施されてしまう恐れがあるから、その時は俺たちが止めるように、とか何とか、みんなにがーがーと言い置いていたよね。*この連載のスタート時の、懐かしいエピソードです。詳細は『人生2割がちょうどいい』(講談社)36ページでどうぞ。 岡:よく覚えているね。 Q:それを聞いて、小田嶋さんが「価値とは欠如である」というようなサルトルの言葉を引用されていました。 小田嶋:岡の左脳に血管がない、ということは、それは俺としては、すごく腑に落ちる話だった。左脳って論理をつかさどる方でしょ。だから。 岡:失礼な。細い血管はいっぱいあるぞ。ただ、メインの太い血管がない、というだけで。 小田嶋:そこで太いメインの血管に代わって、細い血管が独自の不思議な伝達発信ネットワークを張り巡らせちゃっている、というところが、いかにも岡の脳なんだよ。 Q:オンリーワンの才能の原点は、脳の異常にあった、と。 岡:そういうことを小田嶋には言われたくない、というのはあるんだけれど、でも、もう60歳過ぎたら、それぞれにいろいろ何かあるんじゃないの。調べれば、ぽろぽろ出てくるよ、みんな。 小田嶋:それはありますよ。 Q:私は先日、人生で初めて寝起きにベッドから落ち、気を失って、自分の運動能力の衰えに恐怖を感じました。 小田嶋:うーん。清野さんもいい年になってきましたね。 Q:はい、五十路の最終コーナーです。 岡:えー、ということは、僕たち、いったい何年、こうやって話しているの? Q:干支一回り分です。この対談の初回は2007年でした。 岡:ということは、みんな、それぞれが死に近づいていることだけは確かなんだよ。 小田嶋:嫌なことだけど、それは真実ですね。 岡:唯一の真実。それで今回、小田嶋の入院にあたり、僕が小田嶋から学んだことがある』、「左脳には、あるべきはずの太い血管がないんだ」、「太いメインの血管に代わって、細い血管が独自の不思議な伝達発信ネットワークを張り巡らせちゃっている」、こんなケースもあるというのは、驚かされた。
・『軽~く処さないと、やっていられない  Q:何でしょう? 岡:「なるほど、あのぐらい軽く処さないと、やっていけないな」というスタンスでした。 Q:確かに今回、小田嶋さんは他人に対するように、自分に対して客観的でしたね。 岡:自分の死に対する恐れは軽く処理する。そのぐらいがちょうどいいな、と。 Q:人生2割がちょうどよく、さらに死は軽く処すのがちょうどいい、と。 岡:そう、軽ーく、ね。だって、重く行ったらどうしようもない。そっちを突き詰めると、最終的に、だったら自分で死のうか、というところに行ってしまう。 小田嶋:実際、60歳になるともう、共通の知り合いがそれで何人か死んでいるし。 岡:だから、俺は逆に考えよう、と。 小田嶋:そのあたりは、無意識に刷り込んじゃった方がいいよね。 岡:その意味で、小田嶋が入院してくれたおかげで、いいことを知ったぞ、という思いがあった。親が死んだ時は、当然よく分からなかったけれど、同世代なら――特に小田嶋なら考えていることは、おおよそ分かるでしょう。 小田嶋:まあ、こういう機会がないと、処し方なんて分からないね。 編集Y:ここで編集者として一言コメントを差し挟ませていただくと、お見舞いにうかがって、何を話していいのやらどぎまぎする私に小田嶋さんは「病状によっては、まとまった時間が手に入るわけだから、仮によろしくない事態になっても、その過程できちんと1冊分を書く時間ができるね」と、おっしゃいました。私はそのプロフェッショナルな言葉にいたく感動しました。 Q:じゃあ、小田嶋さんのサバイバー日記は、日経BPさんということで、よろしくね。 編集Y:光栄です。 小田嶋:いや、そんな軽く処理されても困るんですけど。 岡:まあ小田嶋は、ここで笑って会話ができるぐらい客観的だった、ということです。 Q:「日経ビジネス電子版」の週刊連載もほとんど落とさずに続けられました。 編集Y:はい、クオリティーもまったくいつも通りに。ありがとうございます。 小田嶋:入院中に執筆環境が整うというのは、前に竹橋で足を折って、12週間入院した時に実感していたことですよ。今回はPET検査、エコー、MRI、CT、内視鏡って、検査のオンパレードで多忙だったわけですけど、文章でも書いていないと気持ちが紛れなくて、だからちょうどよかった。 Q:コラムニストになるべくして生まれてきた「ナチュラル・ボーン・コラムニスト・オダジマ」ですね。(次回に続きます)』、「ナチュラル・ボーン・コラムニスト・オダジマ」とは言い得て妙だ。

第三に、上記の続きを、8月20日付け日経ビジネスオンライン「五十路にして悟る。「嗚呼、人間至る所猿山あり」『人生の諸問題 五十路越え』刊行記念鼎談(後編)」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00077/072400007/?P=1
・『岡:ところで小田嶋は入院の検査の時に、多幸感を味わうことはできた? Q:は? 小田嶋:何、それ? 岡:僕、人間ドックで大腸の内視鏡検査を定期的に受けているんだけど、あの検査の時は麻酔ですごく幸せになるの。僕の場合、体が大きいから1人前だと全然効かなくて、めちゃくちゃ苦しい。だから2人分にしてもらって苦痛をやわらげるんだけど、そうなると今度はめちゃくちゃな幸せが襲ってくるの。だいたいみんな、検査の時は寝ちゃうと言うんだけど、寝たらもったいないから、必死で起きているわけ。それで、もうちょっと増やしてもらってもいいな、なんて思っていたりしたんだけど、それ以上増やすと心停止するかもしれませんよ、ということで。 小田嶋:それって、いわゆるマイケル・ジャクソンの「あれ」じゃないのか。 岡:そうね。確かにあれだね。マイケル・ジャクソンはお金持ちだったから、医師を雇ってどんどん買えた。買える人は、そうやって、どんどん打っちゃって、死に至っちゃう。だから、やばい。 小田嶋:完全にプロポフォール(マイケルさんの死因とされた強力な麻酔薬)じゃ……。 Q:その薬名で検索すると、「胃カメラ」で投与されるそれに依存して、不正に内視鏡検査を受け続け、逮捕された韓国の男の話が出てきます。2年で548回も内視鏡検査を受けていたそうです』、「プロポフォール」欲しさに、「2年で548回も内視鏡検査を受けていた」、信じられないような話だが、マイケル・ジャクソンも常用したのだから、余程、快感が味わえるのだろう。
・『「幸せはケミカルで手に入る」という恐ろしい真理  岡:僕も一時は、病院を転々とすれば、各回でこの幸せが味わえるんじゃないか、とも考えた。日本は法令によって、そういうことは厳格にできないようになっているんだけど、これを知って、小田嶋がアルコール依存症だったことも、少しは理解できる気持ちになった。 小田嶋:ただ、アルコールとタバコは、そっちの報酬系じゃないんだよ。体に取り入れることで、素晴らしく気分がよくなるわけじゃなくて、むしろ取らないことで気分が下がるという。 Q:やっぱり、小田嶋さんが言うと説得力がありますね。 小田嶋:ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンをモデルにした「ラブ&マーシー」という映画があって、彼が精神を病んだ時の話なんだけど、その時にかかった医者が精神科医で、そいつに薬で骨抜きにされた揚げ句に、財産を持っていかれの、出すレコードからスケジュールから全部管理されので、結局10年近く支配されていたのね。ある時、事務の女の子が、ウィルソンの身辺があまりにおかしいことに気付いて、その彼女の助けで医者を訴えて、ようやく世間に復帰できた、という話なんだよ。そう考えると医者って怖いよね。何でもできるんだもの。 岡:怖い。そんなに欲しいんだったら、うふふ……とか言われて量を3倍にされたらやばかった。 小田嶋:たとえ百害があっても、今、死ぬんじゃなくて、10年やっていたら死にますよ、ということだったら、やっちゃいますよ、人間は。 Q:ああ、ここでまた妙な説得力を出さないでください。 岡:まあ、僕の場合大腸カメラは2年に1度だし、胃カメラは1年に1度なんだけど、胃カメラの時の量は少ないから、どうってことはない。で、僕たちは、今回の本について、役に立つことを言わなきゃいけないんですよね。 Q:言ってくださるとありがたいんですけど、後編のこのタイミングで、唐突に思い出されても遅いですし、すでにずいぶん前から諦めていますので、別にいいですよ。 岡:あのですね、サラリーマンにとって一番つらいのは、50代なんですよ』、「アルコールとタバコは、そっち(プロポフォールなど)の報酬系じゃないんだよ。体に取り入れることで、素晴らしく気分がよくなるわけじゃなくて、むしろ取らないことで気分が下がるという」、さすがアル中で苦しんだだけあって、脳のメカニズムの違いまで説明するとは、さすがだ。
・『Q:あ、それは『人生の諸問題 五十路越え』で、すでに十分語っておられますので……。 岡:会社の中で、訳の分からないゲーム、ルールが分からない最終ゲームが始まって、なんだかよく分からないぞ、と、まごまごしているうちに勝ち負けが決まっていって……(と、進行役の清野の仕切りを意に介さないで話を続ける岡康道であった。50代がなぜ辛いのか、詳しくは単行本でお読みください)。 Q:……(仕切りをあきらめて)はい、あらためてお話を引き取りますと、ここにいるみんなが、男性女性を問わず、その苦しさを実感しています。 岡:ただ、僕や小田嶋みたいに会社を途中で辞めてフリーランスになった人間は、そういうのがない。だから五十路についてかくも深く気楽に話し合うことができたのは、フリーランスを選んだ者の特権じゃないだろうか。 小田嶋:サラリーマンをやっていたら、話し合えないよね。その時期に、一番分かり合える人間と、一番遠ざからなきゃいけなかったりするし。そこが面倒くさいところだよね』、「五十路についてかくも深く気楽に話し合うことができたのは、フリーランスを選んだ者の特権じゃないだろうか」、というのはその通りだろう。
・『うまくいったあいつ、いかなかった自分  岡:だって一番仲良かったあいつが執行役員になって、俺が子会社に出向になった、ということが五十路のサラリーマンには起きるじゃないか。 編集Y:(手を振り挙げて)はい、はい、この場で唯一の五十路サラリーマンから。仲良しのあいつが国立大の教授に転職して、俺が副編集長からシニア・エディターという肩書になる、みたいなのもありますよ。 Q:それって、元・日経BPのプロデューサーで、「諸問題」チームの一員でもあったヤナセ教授のことですね。 編集Y:そうなんですよ。 小田嶋:シニア・エディターって何? 編集Y:直訳すると、年寄編集者です。「年寄って大相撲かよ。何で彼が教授で、オレが年寄編集者なんだ」って思いが……。 Q:編集Yさん、気持ちは分かるけど、カッコ悪いわね。 編集Y:ううう。 岡:で、自分の中でも、それから社内でも、なぜなぜなぜ、っていう話が渦巻くわけじゃない。それが人事異動という形で1年とか半年にいっぺんぐらい起きるわけじゃない。それに比べると僕たちフリーランスの人生は、そういう波乱はないわけだから。 小田嶋:日本経済が上向きのころだったら、そのあたりは処理できたんだよ。中島みゆきが主題歌を歌っていたNHKのあれ、何という番組だったっけ? 岡:「プロジェクトX」のこと?。 小田嶋:そうそう「プロジェクトX」。 Q:ちょっと一瞬、脳梗塞で入院時の小田嶋さんの記憶レベル(※こちら)になっちゃいましたね。 小田嶋:あの番組は、今見ると全部ブラック企業の話なんだけど。 岡:僕は喜んで見ていたけど、確かにそうだな。 小田嶋:冷静に見ると、みんないきいきとブラック残業にいそしんでいました、というひどい話ばかりなんだけど、あれをすごくハッピーな物語として処理できていたのは、経済が右肩上がりの中の話だったからですよ。同じことを、現在の縮みゆく社会の中でやったら、ありえないでしょう、ということになる。 岡:実際、世の中の動きとして、ありえない、という方向性になっているしね。 小田嶋:今の50代の人たちがキツいというのも、この先、日本は成長が見込めない時代になるよ、ということがでかいよね。)岡:この先に年金がちゃんと待っているよ、とか、でかい退職金が来るよ、とかいうことはなくなっている。 小田嶋:その代わり、「この先、俺はどうなっちゃうんだろう」という思いは、あふれるほど出てきている。 Q:これはキツいですよね。 小田嶋:ここから、要するに俺たちの還暦以降の身の処し方という問題にもつながっていくんだけど、これが入院をしてみると、周りはだいたい定年後のじいさんが主流なんだよね。 Q:小田嶋さん、岡さんのちょっと先輩の人たちですね。 小田嶋:入院時のじいさんたちと、ばあさんたちの身の処し方の違いというのは、すごい明らかで、じいさんたちのだめさ加減というのが病院では際立っているんだよ。だいたい看護師さん相手にいばって、迷惑をかけている感が、じいさんはとても強いのね。 Q:病院に行くと、無用に偉そうで横柄なおやじに遭遇しますよね。 小田嶋:あんた、別に会社じゃ偉かったのかもしれないけど、ここに来たらただの病人のじいさんでしょう、ということが、おやじたちは本当に分かっていないですよ。 岡:うん、分かっていない。 小田嶋:それこそ、タメ口のナースさんとか、上から目線で「だめでしょう、小田嶋さん」とか言ってくるナースさんとかがいるわけだけど、そういうコミュニケーションに対応できない』、「「プロジェクトX」・・・冷静に見ると、みんないきいきとブラック残業にいそしんでいました、というひどい話ばかりなんだけど、あれをすごくハッピーな物語として処理できていたのは、経済が右肩上がりの中の話だったからですよ。同じことを、現在の縮みゆく社会の中でやったら、ありえないでしょう、ということになる」、確かに時代の変化で価値観も大きく変わるようだ。「あんた、別に会社じゃ偉かったのかもしれないけど、ここに来たらただの病人のじいさんでしょう、ということが、おやじたちは本当に分かっていないですよ」、といのは確かにありふれた光景だ。
・『上下関係が決まらないと話せない?!  岡:そういうのは、僕、嫌だな、タメ口なんて。 Q:岡さんは、「なんだ、きみは(怒)」って、あっち側にいく恐れがありますね。 岡:何よ、それ。 小田嶋:おっさんやじいさんたちは、そういう人間関係の初動段階で、すぐに怒っちゃう。だけど、おばあさんたちは全然、フレンドリーなんですね。ナースさんに対しても、おばあさん同士でも、すごく仲良しなんです。しょっちゅう井戸端で集まって、いろいろな話をして、入院生活をエンジョイしているんですよ。 一方、じいさんたちはお互い没交渉で、じいさん同士で口をきくなんてことはない。俺だってじいさんと話をするなんて嫌だから、全然口をきかない。ということで、男はフレンドリーになりようがないのよ。つまるところ、男は上下関係が決まらないと、付き合いができないんですよ。 Q:どっちが上かということですね。 小田嶋:女性はフラットな人間関係で、多少年が違っても、「あら、こんにちは」とか言って、いきなり話し始めてフレンドリーにできるんですよね。 編集Y:どうですか、女性側から見て。 Q:内心は違いますよ。 岡:内心はね。でもママ友というのがあるでしょう。あれはどういうことなの。 Q:仮面をつけて付き合う……とか。 岡:そういうことなの。 小田嶋:でもママ友というのも不思議なもので、男性の上下関係に当たるものが、自分の子供の成績だったり、自分のだんなの稼ぎだったり、あるいは自分の子供が行っている学校のグレードだったり、そういうもので結構自在なんですよ』、「男は上下関係が決まらないと、付き合いができないんですよ・・・女性はフラットな人間関係で、多少年が違っても、「あら、こんにちは」とか言って、いきなり話し始めてフレンドリーにできるんですよね』、確かに男は付き合いでは、本当に不器用だ。
・『男も女も、人間に「猿山」あり  編集Y:男性は会社しか「猿山」がないのに、女性にはいっぱい猿山があって、自在に出し入れができるみたいな感じなんですかね。 小田嶋:男の方がわりと座標軸がシンプルなんですよ。だから、会社の中の評価軸があやふやになってくる50代はキツい。 岡:だって、ママ友はいても、パパ友なんて聞かないでしょう。 編集Y:いえ、私、パパ友いますよ。息子同士が中学校の親友で、そのお父さんと仲良くなりました。 小田嶋:ありゃ。 編集Y:で、一緒にゴジラ映画とか見に行ってます。 小田嶋:ああ、それは「パパ友」ではなく、いわゆる「オタ友」というやつですね。 編集Y:あ、そっちだったのか、俺。 Q:猿のオスも、猿山の序列から離れると、ひとりぽつねんとしていますよね。ヒトのオスも、入院で社会的な鎧がなくなると、より猿山の原点に返っていくのでしょうか。 小田嶋:人のオスはグルーミング(毛づくろい)とかとも無縁だよね。そもそも俺自身、グルーミングのような、マッサージのような、ああいうの、ダメなの。 岡:僕もオイルマッサージとか、鍼とか、だめ。 小田嶋:病気に効く、ということで受けてみたとしても、途中で気持ち悪くなって。俺、だいたい肩って凝らないから。 岡:マッサージの人に言わせると、「岡さん、背中も肩も、ぱんぱんに張ってますよ」ってことなんだけど、僕も自覚がない。だから関係ないよ、いいんだよ、ということにしている。 小田嶋:俺、人生で1度だけ肩が凝ったことがあるのは、高校の時に陸上部の大会で400メートルを走った時。そうか、これが「凝り」というものなのか、というのがあった。 岡:おまえ、陸上で400メートルなんて練習、していたっけ? 小田嶋:いや、走ったことがないのに大会に出たの。 岡:何だよ、それは。 小田嶋:先輩に「どうやって走ったらいいですか?」と聞いたら、「とにかく最初から思い切り行って、最後に力尽きるようにしろ。それがおまえの一番いいタイムだ」ということで、「本当かな?」とは思ったんだけど、そのまま200メートルまで思いっ切り、すごくいいタイムで走ったはずだったんだよ。で、後半、あと200メートルを行けるか、と思っていたら。 岡:行けないよ、それは』、「猿のオスも、猿山の序列から離れると、ひとりぽつねんとしていますよね。ヒトのオスも、入院で社会的な鎧がなくなると、より猿山の原点に返っていくのでしょうか」、なるほど、その通りなのだろう。
・『小田嶋:そう、全速力なんかでぶっちぎれるわけがないでしょう。300メートルを過ぎた時に、目の前が暗くなって、足が上がらないぞと思いながら、なんか泳ぐようになっていって。 Q:陸で溺れてしまった、と。 岡:陸上部の走りじゃないよね、それ。 小田嶋:途中で完全に電池切れして、ゴール後、2分ぐらいは全然起き上がれなくなっていた。やっとのことで起き上がって、こんなのするんじゃなかった、と後悔しながら家に帰ったら、全身が張っていた。肩がものすごく重くて、そうか、これを肩凝りと言うのだな、と。 Q:いや、それ、肩凝りかな? 岡:全身筋肉痛だよ、正しくは。 Q:はい、それだと思います。 小田嶋:そうなのか。 岡:凝ってはいるんだろうけど、凝りというより、もはや筋肉痛だよ。だから肩凝りって、それが凝われていたとしても、小田嶋や俺のように自覚できないというやつがいるの。で、自覚していないんだから、いいんじゃないか、ということになる。 小田嶋:その意味で、自覚しない方がいいということがあるよね。 Q:そういう処し方もあるんですね。 小田嶋:それで俺なんかは30年ぐらい、人間ドックとか区の検診とか、何の検査もしないで来ましたからね。 Q:それを聞くと、考え込んでしまいますが……。 岡:その分、今、一気にものすごい量の検査を受けて、取り戻しているわけだよ、小田嶋の場合は』、最後の岡氏の指摘には、思わず微笑んでしまった。
・『対人スキルが必要な仕事ってそんなに多いか?  Q:反面教師としてうかがっておきます。ところで小田嶋さんは、入院中のメンタル面は大丈夫ですか。 小田嶋:それは基本、普段の俺の生活と変わらないから、精神的なダメージはあんまり感じていないです。 岡:屋内に引きこもっているという点で、小田嶋の場合は入院も普段も変わらない。それが小田嶋の強みです。 小田嶋:対人関係のしがらみをあんまり持っていない、というところが、逆にいいんだと思う。今の21世紀って、普通の人たちの7割か8割は第3次産業の従事者になっちゃうでしょう。我々が子供のころは、まだ農林水産業の従事者が50%に近い時代があって、それと第2次産業を混ぜると、対人関係のスキルが必要になる職業って、そんなになかったんだよね。だから俺みたいなやり方は、別に特殊でも何でもない。 Q:なるほど。 小田嶋:人類の長い歴史を考えると、「人間の相手をしていた人間」って、そんなにたくさんはいなかったんですよ。作物の相手をしたり、椅子を作っていたりと、自然や事物の相手をしていた方が、人類史の中ではずっと長いわけですから。 岡:農作物の相手をするために必要な資質は、今のようなインターネット時代の人間関係の中では、実は邪魔になるんじゃないかな。だとしたら、ひどい錯誤だよね。 小田嶋:「コミュ力」ってヘンな言葉が言われ出したのが、たぶん20年ぐらい前でしょう。その前まで、たとえば理系のやつの就職なんて、面接もなかった時代ですよ。院卒じゃなくて学部卒でも、いわゆる理系の研究者が集まるタイプの職場に入ると、そこには他人と口もきけないようなやつが半分ぐらいいたわけですよ。 Q:あくまでも小田嶋さん個人の感想です』、「人類の長い歴史を考えると、「人間の相手をしていた人間」って、そんなにたくさんはいなかったんですよ。作物の相手をしたり、椅子を作っていたりと、自然や事物の相手をしていた方が、人類史の中ではずっと長いわけですから」、「「コミュ力」ってヘンな言葉が言われ出したのが、たぶん20年ぐらい前でしょう。その前まで、たとえば理系のやつの就職なんて、面接もなかった時代ですよ」、確かに時代の変遷で、人間に求められ能力はずいぶん変化したようだ。
・『岡:昔、京都大学に伝説のクオーターバックがいたの。その人は京大に3番で入って2番で出た、みたいな優秀な学生で、高校時代は陸上でも目立っていた。極めて論理的で能力が高い、素晴らしい選手だったんだけど、問題はハドル(=アメフトの試合中、グラウンドで行われる作戦会議)の時に、彼が何を言っているのか分からない、ということで(笑)。 小田嶋:医者の世界においても、ちゃんと説明ができない医者って、そこそこいるよね(笑)。最近の医者は、インフォームドコンセントの浸透で、ちゃんと説明するようにはなっていますけど、やっぱり聞いていると、文脈を飛ばして話していることが多いから、いちいち「今のご説明は、何を踏まえてのことなのでしょうか」と、こちらが手順を踏んでおかないといけない。 岡:僕たち文系は、分かっていなくても説明できちゃうんだけどね。 Q:そこは大きな問題です。 小田嶋:ほら、大学の先生とかでも、まったく対人関係はできないけど研究はできた、という人が昔は普通にいたでしょう。 Q:太平洋戦争の時に、日本が戦争をしていることを知らないで研究に没頭していた、という学者の話を聞いたことがあります。 小田嶋:研究職のうちの半分ぐらいは、今だったら病名が付く感じの人がいたわけだけど、きょうびの研究者は、実は研究をしながら、ちゃんと文部科学省と話ができて、なおかついろいろな会議でちゃんと調整ができて、金を引っ張ることもできて、と他にもいろいろな能力が求められるわけだよ。 Q:はい、それで、そろそろ〆に持っていきたいのですが。 岡:うん、だから、困った時代になったもんだよね。でも一方で、こんなふうに地道に続けてきた連載が本にまとまって、読んでいただけるという喜びも五十路を超えるとあったりする。 小田嶋:意識の高いハウツーの類は一切ないけれど、「あるある」話はきっと多いよね。 岡:この本、小石川高校の同級生は買うと思うんだよ。あいつらは暇になっているでしょう。 編集Y:弊社からのお願いです。同窓会で激しく売り込んでください』、「大学の先生とかでも、まったく対人関係はできないけど研究はできた、という人が昔は普通にいたでしょう」、「きょうびの研究者は、実は研究をしながら、ちゃんと文部科学省と話ができて、なおかついろいろな会議でちゃんと調整ができて、金を引っ張ることもできて、と他にもいろいろな能力が求められるわけだよ」、「大学の先生」に求められる要件もずいぶん変わったようだ。
・『五十路を越えて「敗者復活」  岡:でも、俺と小田嶋が一緒にこの前の同窓会に出た時、スピーチの時に、負け組……じゃないな。何だっけ。 小田嶋:何とか組と言われたんだよね。 岡:起死回生組……じゃないや、何と言ったっけな(笑)。 小田嶋:リベンジじゃないし。 岡:リベンジじゃない、何かそういうやじが飛んでいたよね。 小田嶋:敗者復活。 岡:そう、「敗者復活組」と言われているんだよ。でも、言っておくけど、俺は負けた覚えはないぞ。 小田嶋:まあ雌伏はしていたけどね。 Q:雌伏というのは、なかなか便利な言い回しですね。 小田嶋:雌伏をした後、この連載や日経ビジネスのおかげで、いろいろ書けるようになりました、ということは少しは考えなきゃいかんと思っています。 編集Y:私にしても、出世はできなかったけど、こんなリッチな連載や面白い本に関われて、五十路も悪くない気がしてきました。 小田嶋:だから、五十路の諸問題で悩まれている方は、書店でこの本を手に取って、ぜひそのままレジに直行されることをおススメしておきたいですね。 Q:最後に小田嶋さん、かなり無理やりな〆を、ありがとうございます』、「雌伏」というのは確かに便利な言葉だ。
・『小田嶋隆×岡康道×清野由美のゆるっと鼎談 「人生の諸問題」、ついに弊社から初の書籍化です! 「最近も、『よっ、若手』って言われたんだけど、俺、もう60なんだよね……」「人間ってさ、50歳を越えたらもう、『半分うつ』だと思った方がいいんだよ」 「令和」の時代に、「昭和」生まれのおじさんたちがなんとなく抱える「置き去り」感。キャリアを重ね、成功も失敗もしてきた自分の大切な人生が、「実はたいしたことがなかった」と思えたり、「将来になにか支えが欲しい」と、痛切に思う。 でも、焦ってはいけません。  不安の正体は何なのか、それを知ることが先決です。  それには、気心の知れた友人と対話することが一番。 「ア・ピース・オブ・警句」連載中の人気コラムニスト、小田嶋隆。電通を飛び出して広告クリエイティブ企画会社「TUGBOAT(タグボート)」を作ったクリエイティブディレクター、岡康道。二人は高校の同級生です。 同じ時代を過ごし、人生にとって最も苦しい「五十路」を越えてきた人生の達人二人と、切れ者女子ジャーナリスト、清野由美による愛のツッコミ。三人の会話は、懐かしのテレビ番組や音楽、学生時代のおバカな思い出などを切り口に、いつの間にか人生の諸問題の深淵に迫ります。絵本『築地市場』で第63回産経児童出版文化賞大賞を受賞した、モリナガ・ヨウ氏のイラストも楽しい。 眠れない夜に。 めんどうな本を読みたくない時に。 なんとなく人寂しさを感じた時に。 この本をどこからでも開いてください。自分も4人目の参加者としてクスクス笑ううちに「五十代をしなやかに乗り越えて、六十代を迎える」コツが、問わず語りに見えてきます。 あなたと越えたい、五十路越え。 五十路真っ最中の担当編集Yが自信を持ってお送りいたします』、これだけPRされると、やはり読みたくなるものだ。
タグ:(その3)(『人生の諸問題 五十路越え』刊行記念鼎談:(前編)オダジマ 入院までの顛末をかく語りき、(中編)五十路は「ラストシーン」に向かい合うお年ごろ、(後編)五十路にして悟る。「嗚呼 人間至る所猿山あり」) 日経ビジネスオンライン 人生論 小田嶋 隆 岡康道 「オダジマ、入院までの顛末をかく語りき『人生の諸問題 五十路越え』刊行記念鼎談(前編)」 連載対談「人生の諸問題」 単行本化とあいなりました 人生の諸問題に遭遇し、煩悶し、どうにも眠れない……という夜がございます。 そんなときに、前向きになれとおしりをたたいてくれる本もよございますが、開いたところからぱらぱらっと読んで、「ばかなことを言ってるな、はっはっは」と、気持ちよく眠れる。手前味噌ではありますが、本書はそのような貴重な本じゃないかな、そうなるといいな お尻をひっぱたかない生き方指南本(?!) 「いい酒を家飲みしたような読後感」 養老孟司さんぐらい有名な学者とかだったら、何を言ってもアリになっちゃうんだけどね サッカーが好きだとか、音楽が好き、車とか鉄道が好きだとかいうのは、張り合っちゃって、あんまり打ち解けないでしょう オダジマ、“一丁目”を覗く 始まりは脳梗塞だった なぜ脳梗塞になったのか、という因果 小田嶋の場合は血小板が壊れちゃっていて、不必要なところで固まったり、大事なところで固まらなかったりという、厄介な症状が隠れていたわけです 不思議なのは、自覚症状が何もないところなの 今後は悪くなるのを待って、疾患名を確定しましょう、といった中ぶらりんの状態になっているんです 「五十路は「ラストシーン」に向かい合うお年ごろ 『人生の諸問題 五十路越え』刊行記念鼎談(中編)」 リハビリテスト いい大人にこれをやらせるのか、と、ちょっと屈辱を感じつつやって 「どこからが認知症なのか」という区分も実は曖昧で、「研究者として、今の自分自身を見れば、ああ、俺はゆっくりと認知症になりつつあるな、と考えることもできる」のだそうです 「そういう夢」を持って生きねば 五十路はどんどん病気に詳しくなる 欠落こそが、才能だ 軽~く処さないと、やっていられない 「五十路にして悟る。「嗚呼、人間至る所猿山あり」『人生の諸問題 五十路越え』刊行記念鼎談(後編)」 大腸の内視鏡検査 麻酔ですごく幸せになるの プロポフォール 逮捕された韓国の男の話が出てきます。2年で548回も内視鏡検査を受けていたそうです 「幸せはケミカルで手に入る」という恐ろしい真理 五十路についてかくも深く気楽に話し合うことができたのは、フリーランスを選んだ者の特権じゃないだろうか うまくいったあいつ、いかなかった自分 「プロジェクトX」 冷静に見ると、みんないきいきとブラック残業にいそしんでいました、というひどい話ばかりなんだけど、あれをすごくハッピーな物語として処理できていたのは、経済が右肩上がりの中の話だったからですよ 上下関係が決まらないと話せない? 男はフレンドリーになりようがないのよ。つまるところ、男は上下関係が決まらないと、付き合いができないんですよ 女性はフラットな人間関係で、多少年が違っても、「あら、こんにちは」とか言って、いきなり話し始めてフレンドリーにできるんですよね 対人スキルが必要な仕事ってそんなに多いか? 人類の長い歴史を考えると、「人間の相手をしていた人間」って、そんなにたくさんはいなかったんですよ。作物の相手をしたり、椅子を作っていたりと、自然や事物の相手をしていた方が、人類史の中ではずっと長いわけですから 「コミュ力」ってヘンな言葉が言われ出したのが、たぶん20年ぐらい前でしょう。 大学の先生とかでも、まったく対人関係はできないけど研究はできた、という人が昔は普通にいたでしょう 五十路を越えて「敗者復活」 小田嶋隆×岡康道×清野由美のゆるっと鼎談 「人生の諸問題」
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