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教育(その17)(学校で「心を一つにしよう」というスローガンを掲げてはいけない“深い理由” 千代田区立麹町中学校・工藤勇一校長インタビュー、校則がないからこそ 教師と生徒は対等に話し合うことができる――西郷孝彦校長インタビュー、増える10代の自殺 「指導死」はなぜ起こる?) [社会]

教育については、4月6日に取上げた。今日は、(その17)(学校で「心を一つにしよう」というスローガンを掲げてはいけない“深い理由” 千代田区立麹町中学校・工藤勇一校長インタビュー、校則がないからこそ 教師と生徒は対等に話し合うことができる――西郷孝彦校長インタビュー、増える10代の自殺 「指導死」はなぜ起こる?)である。

先ずは、8月10日付けダイヤモンド・オンライン「学校で「心を一つにしよう」というスローガンを掲げてはいけない“深い理由” 千代田区立麹町中学校・工藤勇一校長インタビュー 第2回」を紹介しよう(Qは聞き手の質問)。
https://diamond.jp/articles/-/210026
・『“公立中学校”でこんなことができるのか……。「定期テスト廃止」「宿題廃止」「クラス担任制廃止」など、数々の大胆な改革で全国から注目を集める、千代田区立麹町中学校。生徒、教員、そして保護者までもが主体性を発揮し、生き生きとした教育活動が展開されている。その改革の中心となり、著書『学校の「当たり前」をやめた。』(時事通信社)がベストセラーとなった工藤勇一校長に、「改革の狙いは何か?」「なぜ、改革を実行できるのか?」などをテーマに語っていただいた。その言葉は、組織活性化、組織改革に悩むビジネスパーソンにも多くの示唆を与えるはずだ』、「大胆な改革」が公立中学校、しかもあの「麹町中学校」で行われているとは驚かされた。頼もしいことだ。
・『「自律 尊重 創造」が人材育成の基本  Q:麹町中学校では、「定期テスト廃止」「宿題廃止」「クラス担任制廃止」など、画期的な学校改革を進めていらっしゃいます。前回のインタビューでは、改革を進めるうえで、教員のみなさんと「上位目標」を共有したうえで、権限と責任を委譲することが重要だとおっしゃいました。「上位目標」とは、具体的に何なのでしょうか? 工藤 学校運営の究極的な「教育目標」のことです。どの学校にも標語が定められていますよね? あれです。ただ、多くの学校で教育目標を定めていますが、ただのスローガン、お飾りになっていて、誰もそれを本当の目標だと思っていない現状があります。もっと言えば、達成できなくてもいいと思っているフシもある。 これでは、改革はできません。「教育目標」は、学校経営の根幹です。これを何よりも大切にすることこそが改革の原動力になるのです。逆に、根幹をないがしろにして改革しようとしても、空中分解するだけでしょう。 だから、僕は麹町中学校に校長として赴任してすぐに、70年間ほとんど変わっていなかった教育目標を変えました。はじめ「自律 貢献 創造」としたのですが、今年、「自律 尊重 創造」と再び修正しました。 Q:「貢献」を「尊重」に変えたのですね? 工藤 ええ。「自分で考えて行動できる自律した人間であること」と、「いろんな人間がいる中で他者を理解して違いを受け止め、その他者を尊重することができること」。そして、「他者とともによりよいものを創造すること」。この3つ、つまり自律と尊重と創造が、社会で生きていくうえで根本的に重要な力なのだと考えました。「貢献」も大事だけど、より根本的に大事なのは「尊重」だと思うのです。 私は、教育は「いい世の中をつくる」ためにあると思っていますが、いい世の中は誰かがつくってくれるものではなく、みんなでつくるものです。「みんなでつくる」というプロセスがとても重要です。そこで必要なのが対話の技術であり、対話が成立する基本は「自律 尊重 創造」にあります。そして、私は、これを学べるのが学校だと考えているのです。 Q:なるほど。「自律 尊重 創造」は、単なる知識やスキルとは違う、生きていくうえでの根源的な力でもありますね。 工藤 はい。入試に合格するための知識や、社会で活躍するためのスキルを学ぶだけならば、学校なんか来なくても、自宅でできるかもしれないし、私塾だっていい。今はインターネットでも十分かもしれません。それよりも、もっと大事なことがあると思うのです。 社会には多様な人間がいます。そして、多様な人間がいるということを受け入れるのは、口で言うのは易しいですが、やはり難しいことなのです。「みんな違って、みんないい」という言葉がありますが、意見が対立したり、考え方が違ってまとまらないときなどはとてもそうは思えない。異質な人に対して、人はどうしても感情的になってしまう。大切なのは、そうなってしまう自分を知ることです。 学校ではよく「心を一つに」というスローガンが掲げられますが、僕は子どもたちに「心は一つにならない」と教えます。「心はみんな違っていい。嫌いなものを好きになれと言っても難しいでしょう?」と。考え方が違うのは全然OKなのです。問題は、イライラする自分がいるということと、そのときにどうするかということ。これには訓練がいるんだよ、ということを子どもたちには教えています。そして、その訓練の根幹にあるのが「自律 尊重 創造」の3つなんです』、「学校ではよく「心を一つに」というスローガンが掲げられますが、僕は子どもたちに「心は一つにならない」と教えます。「心はみんな違っていい。嫌いなものを好きになれと言っても難しいでしょう?」と。考え方が違うのは全然OKなのです」、というのはかなり思い切った改革だ。
・『「上位目標」が改革の原点でありエンジンである  Q:「自律 尊重 創造」という教育目標のもと、学校で集団生活を送ることで「生きる力」を育成するわけですね? 工藤 そういうことです。大事なのは、この教育目標(上位目標)が“お飾り”でないこと。本当に達成するべき目標として、常に意識しておくことです。上位目標を実現するためにこそ改革を行うのであり、上位目標を全員が大切にするからこそ、改革を空中分解させないことが可能になるのです。 実際に改革を進めていくと、教員たちの方向がずれたり、教員同士がぶつかったりすることは多々あります。たとえば、定期テストをやめて単元テストをやろうというときにも、いろいろな意見や問題点が出ましまた。それは自然なことであり、決して悪いことではありません。 大切なのは、みんなの意見が食い違う時は、必ず上位目標に立ち戻って、進もうとする方向をそれに照らし合わせ、目標に合致しているかどうかをみんなで徹底的にディスカッションすることです。そして、どこまで合意ができていて、どの点で食い違っているかを対話を通して細かく検証していき、みんなが納得できる結論を出す。このプロセスがとても重要なのです。 Q:みんなが腹の底から納得しなければ、実行力が伴わないですものね? 工藤 そうです。間違えてはならないのは、「みんなが納得できる結論を出す」ことと「折り合いをつける」ことは全く違うということです。お互いの主張の「中間点」で折り合いをつけるのではなく、あくまでも上位目標を達成するためには何が正しいのかを考える。ここは妥協することなく、しっかりと対話を重ねる必要があります。 それが、学校運営や学校改革を進めるうえで最も重要なことですし、教員自身が、この対話のプロセスを体験していなければ、このプロセスを生徒たちに教えることができません。教育の根幹と言ってもいいことなんです。 Q:なるほど。ところで、その対話のプロセスで、校長である工藤先生はどのような役割を果たされていますか? 工藤 あまり何もしないように心がけています。絶対にやってはならないのは、校長である僕が結論を押し付けることです。僕の役割は、教員たちの対話が上位目標からそれていないか、対等な対話がなされているかをチェックすることです。それらから逸脱したときには介入する必要がありますが、結論に至るまでのプロセスは当事者たちに任せるのが基本です。そうでなければ、主体性は育たないですからね。 僕は今、この学校が6年目になりますが、5年前はあきらかにトップダウンの学校でした。でも今は、教員たちが自走しています。職員会議も、15分で終わることもあれば、2時間かかることもある。論点がなければすぐに終わり、必要であれば徹底的に話し合うのです。その判断も教員たちに任せています。 じっくりと議論をするときには、最近はもう、僕は途中で抜けてしまったりすることもあります。上位目標に戻って手段を決めると言うプロセスを教員がみな了解していますから、それで話し合って出した結論であれば、もうOKだから、と』、「お互いの主張の「中間点」で折り合いをつけるのではなく、あくまでも上位目標を達成するためには何が正しいのかを考える。ここは妥協することなく、しっかりと対話を重ねる必要があります」、というのは実際には時間の制約もあって、簡単ではなさそうだ。
・『トップは「失敗が許される範囲」を明示する  Q:職員会議の結論まで任せるわけですね? 工藤 はい。教員の間で、「自律 尊重 創造」をベースに質の高い対話が成り立っていると判断できれば、その結果導き出される結論も信頼できます。ただ、みんなに議論してもらうときには、失敗例を教えるようにはしています。こうなったらダメだよねという失敗例を伝えて、こうならないような方向を考えてくださいと促すわけです。 たとえば、教員のやる気が高まれば高まるほど、多くの仕事をやろうとしてしまうものです。やる気があるのはいいことなのですが、その結果、教員の仕事量が増えすぎて、結果として子どもと向き合う時間がなくなってしまうことがある。これでは本末転倒ですから、そうなってはいけないという話をするわけです。 Q:たしかに、事前に失敗例を把握しておけば、同じ轍を踏む確率は減りますよね。 工藤 ええ。ただし、それでも失敗することがあります。全員で上位目標を共有しながら、それを達成するための手段を徹底的に議論をしても、結果的にその結論がズレていたということはあります。しかし、徹底的に考えたうえでの失敗であれば、それは大きな学びです。失敗からしか学べないことはたくさんあります。ですから、大切なのは、失敗が許される範囲で、トライできる組織にすることです。 そして、「失敗が許される範囲」を明示することは経営者(校長)の役割です。「こういう失敗をしてはいけない」と失敗例を示すことで、「やってはいけない失敗」を防ぐ努力は欠かせません。 また、教員たちには、常日頃から、「第一に子どもにとって、第二に保護者にとって望ましい選択であることを忘れてはならない」と伝える必要があります。「教員にとって望ましい、学校にとって望ましい」は、そのあとに考えることです。ここを間違えなければ、大きくズレたことをするおそれはなくなるはずです。 Q:なるほど。校長が「失敗が許される範囲」を明示して、その範囲内で教員に自由にチャレンジしてもらうわけですね? 工藤 はい。そのうえで、すべてのトラブルの責任を校長が負うことが決定的に重要です。もちろん、「校長が全責任を負う」と口で言うだけではダメで、実際にトラブルを校長が全面的に受け止めて解決しなければなりません。 僕はトラブルには強いんです。だからこそ、教員たちは僕のことを早いタイミングで信頼してくれるようになったのではないかと思っています。僕が麹町中学校に赴任して以来、保護者からのクレームは何回もありましたが、教員が対応できない場合には、必ず僕が先頭に立って対応します。 そして、保護者と徹底的に話し合った結果、学校の大応援団になってくださった方もたくさんいらっしゃいます。そうした姿を見ることが、教員にとってすごい安心感につながったのではないでしょうか。だからこそ、彼らも失敗をおそれずに、前向きなチャレンジができるようになったのだと思います』、「保護者からのクレームは何回もありましたが、教員が対応できない場合には、必ず僕が先頭に立って対応します」、トップが逃げずに、率先して対応することで、「教員にとってすごい安心感につながった」というのはあり得る話だ。
・『人は協力してくれなくて当たり前。そのときどうする?  Q:つまり、教員のみなさんが「自律 尊重 創造」という上位目標をもとに、対話を重ねて試行錯誤をすることで学校改革が進んできたわけですね? 工藤 そうですね。それが改革の最大のエンジンです。まぁ、それ以外にも、いろいろとコツはありますよ。たとえば、言葉の使い方。言葉の使い方を工夫するだけで、簡単にものごとが進むことがあります。相手の意見がおかしいと思っても、ストレートに「おかしい」と言うと対立が生まれて、ものごとが進まなくなってしまいますから、そんなときには、みんながOKと言える言葉を探すんです。 たとえば、こんなことがありました。 「あいさつ運動」というのがありますよね? 毎朝、教員が校門に立って、登校してくる生徒たちに「おはよう!」と声をかける。なんの疑問も抱かずにルーティンになっている学校もあるでしょう。僕はあれはずっとやめるべきだと思っていたんです。 Q:どうしてですか?  もちろん、あいさつの習慣を身につけるのは大事なことなんですが、とは言っても、世の中にそんなシチュエーションないじゃないですか? しかも、教員にとっては勤務時間前から働かなければならないわけで、働き方改革にも逆行します。にもかかわらず、「この学校は元気にあいさつできていていいですね」なんて言われたりするので、誰も「やめたい」と言えない雰囲気になっているんです。 Q:たしかに、校門であいさつする必要はないですよね。校内ですれ違ったときにあいさつすればいい。 そう。だから、僕は、麹町中学校の校長になったときにすぐやめることにしました。ただ、教員の働き方改革のためにやめる、というのでは納得は得にくい。そこで、もともと僕は、あいさつ運動は、不登校気味の生徒にとっては苦痛だったんじゃないかと気になっていたので、「不登校気味の子がみんなに“おはよう”“おはよう”っていわれたら、校門を通りづらくないかな? 僕だったら嫌だと思う。あいさつ運動が終わってから登校しようって思うんじゃないかな?」と言ったら、「たしかに、そうですね」ということになり、あっさりと認められたのです。 もし、「あれは意味がないからやめましょう」と言ったら、あいさつ運動をがんばっていた教員は、「いえ、こんなすばらしい意味があります」と反発するでしょう。ところが、みんなが「なるほど」と思える言葉を探り出せば、そのような反発を避けることができるわけです。こうした知恵も、改革を進めていくうえでは意外と大切だと思いますね。(つづく)』、「「あいさつ運動」」を止める口実に、「不登校気味の生徒」を持ち出して、「反発を避け」られたというのは、なかなか巧妙な知恵だ。こうした改革派の校長の下で、学ぶことが出来る麹町中学校の生徒は幸せだろう。

次に、6月7日付け文春オンライン「校則がないからこそ、教師と生徒は対等に話し合うことができる――西郷孝彦校長インタビュー―世田谷区立桜丘中学校には、チャイムも制服もない」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/12217
・『世田谷区桜丘中学校。私鉄の駅から徒歩10分ほどの住宅街にある。職員室前の廊下には机と椅子がフリースペースとして置かれ、Wi-fiも完備されている。授業時間だったが、インターネットに接続しながら、話をしたり、自分のペースで勉強をする生徒もいた。校長室でも、塾の宿題をしている生徒が校長と談笑する姿が見られた。 この学校はチャイムが鳴らない。そして何より、校則がない。 生徒手帳には「礼儀を大切にする」「出会いを大切にする」「自分を大切にする」が「心得」として掲げられ、また、子どもの権利条約の一部が示されている。なぜ、こうした学校運営が可能なのか。西郷孝彦校長(64)に話を聞いた』、上記の麹町中学校だけでなく、桜丘中学校でも思い切った改革が進められたようだ。
・『「心得」の3つですべてが指導できます  Q:生徒手帳には「桜丘中学校の心得」が3つだけ書かれていますが、以前は校則があったのでしょうか? 西郷 以前の生徒手帳には、校則が20ページほど書かれていました。例えば、「他のクラスの教室に入ってはいけない」とか、「上級生は下級生と話してはいけない」とか。下着の色を決めている学校だってありますよね。以前の勤務校では、こうした細々とした校則がありました。 校則のことを考え始めたのは、この桜丘中学校に赴任してから、ここ4、5年のことですね。当初は、校内がいわゆる「荒れた」状態にありました。見直すことになったときに、本当はいらなかったのですが、何もないと不安に思う人もいる。校則は最終的には校長判断ですが、「3つくらいにしよう」と提案したときに、生活指導主任が原案を作ってくれました。この3つですべてが指導できます。先生方はこれをよりどころに指導します。 この学校では制服も自由です。(身体的な性と、自認する性が違う)トランスジェンダーの生徒もそれで救われると思います。 Q:生徒手帳に子どもの権利条約が記されていますが、珍しいですね。 西郷 日本は法治国家です。この学校に校則はないですが、日本の法律には縛られています。例えば、校内でも他人のものを勝手に自分のものにすれば、窃盗罪ですよね。誰かを傷つければ傷害罪です。よく「学校の中は治外法権だ」とか、「学校だから許される」と言われますが、それはやめようと。社会と同じ規則で学校も回っています。 日本は子どもの権利条約に批准しています。だから、法律と同じ。そう子どもに教えないといけませんし、先生も守る必要があります。権利条約に掲げられた権利を知ることで、大切にされていることがわかり、子どもは自己肯定感が得られます』、校則を3つだけにし、「制服も自由」、とは思い切ったものだ。「権利条約に掲げられた権利を知ることで、大切にされていることがわかり、子どもは自己肯定感が得られます」、というのもその通りなのだろう。
・『大人でもさまざまな考えがある  Q:校則はそのままで、運用面で改善する方法もあったと思いますが、どうして校則をなくす方向になったのでしょうか。 西郷 先生方って、校則があると、話し合いにならないんです。「校則があるからダメ」「守るか、守らないか」になってしまいます。 例えば、「靴下は白」と規定があったから、理由を考えずに「校則にあるから」と、そこで指導は終わってしまいます。一方、生徒に聞かれた時に「汚れたときにわかりやすいから」と説明すれば、そこから話し合いが始まります。結果、合理的な話し合いを重ねることで信頼関係ができてきます。 スカート丈についても、ルールがなければ、「短すぎるんじゃないか?」「寒くないか?」などと先生たちが言ってくれます。いろんな考えがあります。大人でもさまざまな考えがある中で、生徒は自分で選択していきます。 そもそも、校則をがんばってなくそうと思ったのは、不登校の子どもたち、発達障害の子どもたちがいたからです。厳しく指導すると、学校に来なくなります。でも、そうした子だけに「特例」を許すと、他の生徒が「なんで、あの子だけ?」と不満を言います。だったら、校則でしばりつけることはやめようと。 その頃、別の問題が起きました。文字が読めず、板書が取れず、教科書が読めない生徒がいたのです。そのため、タブレットを利用可能にしました。音声読み上げソフトで教科書の内容を聞き、板書は写真で撮りました。試しに、その生徒がいるクラスだけタブレットを持ち込み自由にしました。最初は2、3人が持ってきましたが、重いし、管理が大変なので、必要のない子は持ってこなくなりました。このやり方を全体に広げたのです』、「先生方って、校則があると、話し合いにならないんです。「校則があるからダメ」「守るか、守らないか」になってしまいます・・・理由を考えずに「校則にあるから」と、そこで指導は終わってしまいます。一方、生徒に聞かれた時に「汚れたときにわかりやすいから」と説明すれば、そこから話し合いが始まります。結果、合理的な話し合いを重ねることで信頼関係ができてきます」、確かに過剰な校則にはデメリットが大きそうだ。
・『校則でしばることが染み付いている  Q:先生を育てることになりますね。 西郷 そうです。ただ、校則が厳しい他の学校から転勤してきた先生は慣れるのが難しいんです。うちの学校は私服ですが、そうした先生は、私服の生徒を見て「私、無理です」と、1日中イライラしていました(笑)。何か注意した時に、うちの生徒が「どうしてですか?」と返すことも、先生によっては「生意気だ」と映ってしまいます。 校則でしばることが染み付いていますからね。上から目線での威圧感がある先生には、「生徒とは対等に話し合いましょう」「馬鹿にするような話し方はやめてほしい」と伝えています。校則がないということは、正解がないということです。 採用も、できるだけ新規教員をお願いしています。そして、若い先生にはどんどん外へ行って、失敗してもいいから勉強してもらいたいです。最初の10年で勉強しないと、知識もスキルも落ちていくだけです。僕も含めて、能力主義なんです。3年目で完全に一人前になるように育てています』、「上から目線での威圧感がある先生には、「生徒とは対等に話し合いましょう」「馬鹿にするような話し方はやめてほしい」と伝えています。校則がないということは、正解がないということです」、確かに「校則でしばることが染み付いてい」る先生には、馴れるのが大変だろう。
・『Q:保護者側からは意見があると思うのですが……。 西郷 いっぺんに校則をなくしたわけではありません。例えば、靴下の色、セーターの色を自由にしていき、夏は半ズボンでもよいということにしていきました。そして、生徒会がカジュアルデーを設けました。土曜日は私服と決めたのです。 小学校だって、私服じゃないですか。徐々に慣れていき、「別にかまわない」という感じになっていきました。違和感がなくなったのです。 ですので、私は、逆に制服のある学校へ行くと違和感を抱きます。同じ制服を着させて、どうやって生徒を区別しているのか。わからないじゃん、と(笑)』、「校則」を徐々になくしていったというのは無理のないやり方だ。
・『SNSのトラブルは減りました  Q:携帯電話やスマホ、SNSに関するルールは? 西郷 保護者からは「スマホを禁止して」という声はありません。「スマホを買ってほしいと言われて困る」という声はありますが(笑)。以前は、LINEのグループを作ることは禁止になっていました。それは悪口を書いたり、グループでハブにしたりすることがあったからです。でも、禁止してもみんなやりますからね。LINEの人に「出張授業」にきてもらい、SNSの使い方について話してもらいました。 今でも、許可なく写真をアップしたというくらいのトラブルはあります。しかし、理由はわかりませんが、SNSのトラブルは減りました。これまでは悪いことをすると学校の先生に叱られるという発想でしたが、今は、社会から叱られるということがわかってきました。校内の問題ではすまされない。それで慎重になっているのかもしれません。 Q:生徒会との関係はどうでしょうか。 西郷 普通、生徒総会は何も面白くない。つまらないじゃないですか。そこで何を言っても、最終的に先生が決めるのなら、総会で意見が出るはずもありません。だから、「ここで決まったことは実現するよ」と言ったんです。最低でも、決まったことを先生が実現する努力を見せる。すると、どんどん意見が出て盛り上がります。僕の考えと同じことを言う生徒がいると「シメた!」と思うんですよ(笑)。 最近実現したことは、校庭に芝生を植えたこと。ただ、野球やサッカーもしますし、植えたのは一部にしました。また、定期テストをなくしました』、「LINEの人に「出張授業」にきてもらい、SNSの使い方について話してもらいました・・・SNSのトラブルは減りました。これまでは悪いことをすると学校の先生に叱られるという発想でしたが、今は、社会から叱られるということがわかってきました。校内の問題ではすまされない。それで慎重になっているのかもしれません」、なるほど上手い手だ。
・『うちの学校で学力が落ちたら……  Q:定期テストをなくして、評価はどうやっているのですか? 西郷 9教科100点満点のテスト勉強は、なかなか一度にできません。でも、「10点満点」のテストならば、前の日に家で勉強すればできます。中間や期末テストをまとめてやるのではなく、こまめに小テストをやっていくことにしたのです。生徒の提案に対して、先生たちは反対すると思っていました。ところが、先生方が、定期テストではない方法を調べてきました。僕以上のことを先生方は考えていたんです。 うちの学校で学力が落ちたら、日本にとってのチャレンジは終わります。校則をなくしたら学力は落ちる、という結論になってしまう。だから先生方も、学力向上には力を入れようと思っています。 実際、学力はかなり上がっていますが、成績のいい子は、偏差値の高い進学校よりも、自由な校風の青山高校だったり、やりたい部活動で高校を選んだりすることが多いですね。だから、親御さんはどう思っているのか……(笑)。ただ、そうやって自分で考えることが重要ですし、そういう自由な環境からじゃなければ、日本のスティーブ・ジョブズは生まれてこないと思いますよ』、「成績のいい子は、偏差値の高い進学校よりも、自由な校風の青山高校だったり、やりたい部活動で高校を選んだりすることが多いですね」、これから楽しみだ。
・『今後、改善したいのは授業の質です  Q:部活動のあり方はどうでしょうか? 西郷 水曜日と日曜日の公式練習は禁止しています。そして、週10時間と決めて、平日は2時間、土曜日は3時間にしています。それ以外に自主練はありますが、強制は禁止しています。そうすることで自主的な意識が芽生えます。自主練に教師は立ち合いませんが、コーチか保護者が付いているようにします。 部活の顧問をやりたくて教師になった人もいます。そんな人は、土日も部活をやりたい。しかし、そうでない人からは「ブラック部活」と呼ばれるほどです。いまは教師のなり手がいない時代ですからね。少しでも働きやすい職場にしなければいけません。また、教師にも休養が必要です。飲みに行ったり、趣味に時間を費やすことが一人の人間として必要なのです。 Q:今後の学校運営の課題は? 西郷 改善したいのは授業の質です。一斉に知識を注入する授業は、もういいでしょ? 人間は知識ではAIにかないません。創造性を教えていかないと、学校だけでなく、日本が潰れてしまいます。だから、受験用の授業と、創造性を育てる授業を分けたいです。ただ、国が変わらないとなかなかできません。そのため、受験用の授業も必要悪でやっていますが、チャレンジをしていきたいです。 この学校の校長も今年で10年になりましたが、長期間務めたからこそ、できたという部分もあります。でも、それも今年度で終わりです。その後は、何も考えていません』、後任も出来れば西郷校長の路線を引き継いでもらいたいものだ。

第三に、健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏が8月27日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「増える10代の自殺。「指導死」はなぜ起こる?」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00037/?P=1
・『「指導死」という言葉がある。 生徒指導をきっかけとした子供の自殺(自死)を意味し、「指導死親の会」の代表である大貫隆志さんが2007年にこの言葉を作った。大貫さんは中学2年生だった息子を、自殺で失った経験を持つ。 息子さんは学校でお菓子を食べたという理由で、立ったままで1時間半に及ぶ叱責を教師から受けた。その翌日に命を絶ったため「行き過ぎた指導が息子を追い詰めたのではないか」と考えた。 ところがどんなに情報を集めようにもままならない。原因を突き止めることができず、いちばんの問題は「問題が表面化しないことにある」と考え、言葉を作ったという。 新しい言葉が生まれるのは、その言葉がよく当てはまる問題があっちこっちで起こり、それを象徴する何らかの共通ワードが求められるからにほかならない。そこにある問題を是正し、解決するために必要だからこそ必然的に生まれてくる。 そして、“共通ワード”が生まれれば、その問題をどうにかしようと考え、対策を練ることができる。「助けて!」とSOSを出したいのに、「そこに何もない」かのごとく無視され、「仕方がない」とあきらめたり、泣き寝入りしたりしていた人たちを、共通ワードがあれば救えるようになる。 「指導死」という言葉も、その1つなのだろう。 ただ、現場の先生たちの苦悩を何度も聞いている身からすると、「指導死」という言葉になんとも言い難い重たさを感じてしまうのだ。 うん。とてもとても重い。個人にのしかかる何かを。 それでも「『指導死』親の会 公式ブログ」で「指導死」をきちんと定義していることから察するに、言葉だけが一人歩きして無用に先生が責め立てられるのは避けたい、でも、先生の指導が子供の生きる力を失わせることもある、という事実を世間に知ってもらうことで、一人でも多くの大切な命を救いたいという願いがあるのだと、個人的には解釈している』、「先生の指導が子供の生きる力を失わせることもある、という事実を世間に知ってもらうことで、一人でも多くの大切な命を救いたいという願いがある」、というのは大いに意味があることだ。
・『教師の過剰な「指導」が生徒を追い詰めている  【指導死の定義】(「『指導死』親の会 公式ブログ」より抜粋) 不適切な言動や暴力等を用いた「指導」を、教員から受けたり見聞きすることによって、児童生徒が精神的に追い詰められ死に至ること。 妥当性、教育的配慮を欠く中で、教員から独断的、場当たり的な制裁が加えられ、結果として児童生徒が死に至ること。 長時間の身体の拘束や、反省や謝罪、妥当性を欠いたペナルティー等が強要され、その精神的苦痛により児童生徒が死に至ること。 「暴行罪」や「傷害罪」、児童虐待防止法での「虐待」に相当する教員の行為により、児童生徒が死に至ること。 17年3月、福井県の池田中学校で2年生の男子生徒が転落死した際、調査委員会は「担任らから厳しい指導を受けた精神的ストレスが自殺の要因だった」との報告書を公表した。 報告書によると、16年10月以降、担任や副担任から課題の提出や生徒会活動の準備の遅れなどで厳しい叱責を受けるようになり、校門の前で大声でどなられているのを多くの生徒が目撃。周りの人まで身震いするほどの声だったそうだ。 副担任に宿題の遅れを叱責されたときは、土下座しようとするほど追い詰められた。 「学校に行きたくない」と家族に訴えることもあり、自殺直前にも立て続けに強い叱責を受けていたとされている。 ……この事例は、前述の定義に従えば「指導死」ということになるのだろう』、確かに「指導死」なのかも知れないが、そのなかでも悪質だ。
・では、この場合はどうか。 15年12月、広島県府中町の中学3年の男子生徒(当時15歳)が誤った万引き記録に基づく進路指導の後に自殺した問題である。 学校側は生徒が1年生だった13年、別人の万引き行為をこの生徒の行為として誤って記録。校内の指摘で紙の資料は修正したが、電子データはそのまま残った。 担任がこの誤った記録をもとに生徒に進路指導した際、志望校への推薦はできないと告げ、生徒は翌月の保護者と担任の三者面談を欠席し、その日に自殺した。 町教委が設置した第三者による調査検討委員会は、「誤った進路指導が自死(自殺)の要因の1つであり、きっかけだった」とする報告書を公表。18年12月に遺族は、町に慰謝料など約6700万円の損害賠償を求め、広島地裁に提訴。一方、16年6月に広島市議が業務上過失致死容疑で担任を刑事告発したが、不起訴処分になっている。 今回「指導死」という言葉を取り上げたのは、今一度「子供の自殺」についてみなさんにも考えてほしいと願ったからだ。 「学校が死ぬほどつらい子は図書館へいらっしゃい」という、神奈川県鎌倉市立の図書館の公式ツイッターのつぶやきが話題になって以降、夏休みが終わるこの時期になると様々なメディアが子供の自殺問題を取り上げるようになった』、「広島県府中町の中学3年の男子生徒」のケースは、覚えているが、確かに信じ難いような酷さだ。
・『19歳以下の自殺はむしろ増えている  1972~2013年の42年間の18歳以下の自殺者を日付別にまとめたところ、9月1日が131人で最多で、春休み明けや大型連休明けが100人近い日があるなど長期休暇が終わった直後の自殺が目立っていたことは広く知られている(平成27年版自殺対策白書より)。 しかしながら、子供の自殺は「9月1日」に問題があるわけじゃない。あくまでも、社会の問題として「子供の自殺の多さ」が存在している。 先月、閣議決定された2019年版「自殺対策白書」では、18年の自殺者数は2万840人で、前年から481人減り、37年ぶりに2万1000人を下回ったと報告。自殺死亡率(人口10万にあたりの自殺者数)は、1978年に統計を取り始めて以来、最も低い16.5となったとした。 ところが、年齢別では19歳以下の未成年の自殺死亡率は2.8で統計を取り始めて以来最悪で、自殺者数は599人、前年より32人も増えていたのだ。 また、厚生労働省・警察庁の報告では、小・中・高校生の自殺者数は01年から17年までで、287人から357人に増加している。 欧米では若者の自殺率は1990年以降、減少傾向にあるのに日本は逆。15~19歳の未成年者に加え、20代の死因のトップはすべて「自殺」だ。 「若いんだから病気にはならない。自殺が1位って普通でしょ?」という意見もあるが、以下に示すとおり、欧米の主要国の同年代の若者はいずれも事故死の方が多く、日本だけが事故死の2倍以上もの若者が自殺している状況は異常としか言いようがない』、「指導死」は若者「自殺」の一因に過ぎないとはいえ、「日本だけが事故死の2倍以上もの若者が自殺している状況は異常としか言いようがない」、というのはその通りだ。
・『【「自殺」と「事故」の比率】(日本ー 17.8:6.9 フランス 8.3:12.7 カナダ 11.3:20.4 米国 13.3:35.1  数値は10万人当たりの死亡者、(出典:世界保健機関資料2016年) いったいなぜ、生きるために生まれてきた子供たちが、悲しい選択をしてしまうのか。「指導死」という言葉が生まれる背景には、何があるのか? 以前、30代の数名の先生たちとディスカッションをやったときに、「教師のストレス源は職員室にある」と吐露する先生の多さにショックを受けたことがある。当時は教師の長時間労働が社会問題化していた時期で(今もまだまだ解決には至ってないが)、先生たちはその実態を明かすとともに「職員間のストレス」を訴えた。 「今の先生に求められているのは、間違いを起こさないこと。間違いを起こさない無難な教師がいちばん良い。問題を起こさないように、職員室でも監視されている」「校長が先生で、それ以外の教員は全員生徒。服装のことから子供たちへの接し方まで、すべての行動をチェックされる」「『子供が学校に行きたがらない』と保護者が相談に来たときも、他の先生に生徒の授業中の様子を聞こうと思って他の教科担当の先生に聞いても、自分を巻き込まないでくれという感じで、誰も協力してくれない」「書類が山のようにあるので、職員室ではどの先生もパソコンに向かっていて会話はゼロ。話しかけられる雰囲気ではない」 といった具合だ。 中には、「先生はもうただのサラリーマン。子供たちのための仕事より、管理職のための仕事ばかり。管理職は自分の責任問題になると困るから、やたらと先生への監視を強める」と嘆く先生もいた』、教育委員会が学校に対して求める資料作成が、先生の多忙さの一因になっていることから、それら抜本的見直しも必要だろう。。
・『教育現場で教師にいったい何が起きているのか  先生たちの話を聞く限りそこは学校というより、まさしく企業。 ステークホルダー(利害関係者)たちから厳しい視線を向けられ、責任を取りたくない管理職と、言われたことだけしかやろうとしない部下たちが、子供という“顧客”相手に仕事をしている企業組織そのものだった。 学校という閉鎖空間では、一般の企業以上に人間関係が与える影響は大きい。ましてや、理屈じゃなく本能で動く子供と向き合うのは決して容易ではない。 教師の世界は「子供」という自分たちの職業で最も大切な存在のために、情報の共有が必要不可欠。何か子供に問題が生じたときにも、1人の先生をやり玉にあげるのではなく、みんなの問題として取り組まなきゃ、解決できるわけない。本来であれば強い共同性が保たれるべき集団が、崩壊寸前なのだ。) おまけに晩婚化で子供の親の方が、先生より年上の場合も多く、先生を「下」にみる保護者も少なくない。最近はあまり聞かなくなったが、モンスターペアレンツという言葉がやたらとメディアで取り上げられていた時期があったことは、誰もが記憶しているはずだ。 2006年には東京都の区立小学校の若い新任女性教諭が、保護者との関係に悩んだ末、自殺。「無責任な私をお許し下さい。全て私の無能さが原因です」と書かれた遺書が残されていた。 「子供がもめても注意しない。前の担任なら注意した」「子供のけんかで授業がつぶれているのが心配」「下校時間が守られていない」「結婚や子育てをしていないので経験が乏しいのでは」 などの苦情が連絡帳で寄せられていたが、それを相談したり、サポートしたりする先生もいなかったとされている。 念のためはっきりさせておくが、私は「指導死」という言葉を用いることを批判しているのではない。 だが、もし「指導死」という新しい言葉を作る必要性があるのだとしたら、それは教師だけの問題でもなければ、学校の中だけの問題でもない。「子供のため」という言葉があまりにも美しすぎて、ついつい忘れてしまいがちだが、先生だって人間だということだ。 悩むこともあれば、きついことを言われ凹むことだってある。そんなとき同僚の先生や、保護者とのつながりは極めて重要となる』、その通りだが、孤立して悩む先生を放置している、校長などの管理者の責任も大きい。
・『自殺は社会全体の問題だととらえるべきだ  親も含めた社会全体に問題があるということを、私たち自身がもっと自覚する必要があるのではないか。 「リストカットする子供は誰一人として、最初からそういう子だったわけではありません。会社でストレスがたまった父親は、母親を家庭で怒鳴り散らす。ストレス社会でイライラした大人たちが、それを子にぶつける。 その結果、子供は傷つく。誰からも褒められたことがない。誰からも認められたことがない。そんな子供は、自分を肯定することができません。自分は生きている意味がないと、自ら命を絶とうとするのです」 これは痛ましい事件が起こるたびに、私が思い出す「夜回り先生」こと水谷修氏の言葉だ。数年前に自殺予防のシンポジウムでご一緒させていただいたとき、水谷氏は何度もこう訴えていた。 死にたくて死ぬ子は1人もいない、と。学校の中だけの問題じゃないのだよ、と。社会の問題でもあるんだよ、と。 先の白書では、若年層の自殺を巡る状況について2018年までの10年分を分析している。10代では学業不振や進路の悩みなど学校問題の割合が最も高かったものの、家庭問題の割合が増えていることが分かっている。 小・中・高別では……、 ●小学生 男女いずれも1位が家庭問題。男子のトップは「家族からのしつけ・叱責」(42.8%)女子は「親子関係の不和」(38.1%)、「しつけ・叱責」(33.3%) ●中学生 家庭と学校の問題が入り交じる。男子は「学業不振」(18.7%)、「しつけ・叱責」(18.1%) 女子は「親子関係の不和」(20.1%)、「その他学友との不和」(18.3%) ●高校生 男子では1、2位とも学校関係で、「学業不振」(18.2%)、「進路に関する悩み」(16.4%) 女子は「うつ病」(18.3%)、「その他の精神疾患」(12.1%) うつ病などの健康問題は通常、何らかのストレスが存在した結果としての精神的なダメージなので、「うつ病」を自殺の原因とすることには抵抗があるが、上記の結果からも、学校だけに原因があるわけではないことは確かだ。 いじめ問題、いじめ問題に対する教師たちの対応、そして「指導死」。 ……デリケートな問題なので伝え方が難しいのだが、私は「自殺は個人の問題ではなく、社会の問題」という立場だ。つまり、自殺は「追い詰められた末の死」であり、「避けることのできる死(avoidable death)」。 ゆえに「命を絶つ」という悲しい選択に至る原因は決して1つでもなければ、子供世界だけの問題でもない。いつの時代も子供社会は大人社会の縮図。私たち大人の世界で起きていることが、子供に伝染しているのだ』、説得力溢れた主張で、その通りだ。
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