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宗教(その2)(宗教施設が一等地に突然建つ裏事情 反社会的勢力の元構成員が暴露、科学が「神の領域」に近づいた今 改めて「宗教の役割」が見直される時代がくる、日本人の「宗教偏差値」が世界最低レベルになった3つの理由、間違いだらけのイスラーム教!日本人は なぜこうも誤解してしまうのか?) [社会]

宗教については、昨年10月9日に取り上げたままだった。久しぶりの今日は、(その2)(宗教施設が一等地に突然建つ裏事情 反社会的勢力の元構成員が暴露、科学が「神の領域」に近づいた今 改めて「宗教の役割」が見直される時代がくる、日本人の「宗教偏差値」が世界最低レベルになった3つの理由、間違いだらけのイスラーム教!日本人は なぜこうも誤解してしまうのか?)である。

先ずは、昨年10月12日付けダイヤモンド・オンライン「宗教施設が一等地に突然建つ裏事情、反社会的勢力の元構成員が暴露」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/181610
・『『週刊ダイヤモンド』10月13日号の第1特集は「新宗教の寿命」です。3大新宗教である創価学会、立正佼成会、真如苑を中心に、信者数や政治力、将来予測、課題、そして金の流れや周辺ビジネスまで、大解剖しています。教団を問わず、宗教法人は突然、巨大な宗教施設を一等地に建設します。なぜそんな事が可能なのでしょうか。その裏側を特集班が取材しました。本誌掲載記事をダイヤモンド・オンラインで特別公開します』、興味深そうだ。
・『税制優遇だけではない 反社会的勢力の元構成員が暴露  なぜ宗教法人はある日突然、都心のみならずあなたの住む街にも巨大でゴージャスな教団施設を建てることができるのだろうか。 よくある説明では、宗教法人はその原資となるお布施や寄付といった収入などが税金面で優遇されているため、宗教施設の取得・維持が企業などよりも容易だからだとされる。 だが、「それは事実だが片手落ちだ」と苦笑するのは、かつて反社会的勢力の一員だった男性だ。 男性は組織にいたころ、「複数の新宗教教団の不動産売買を幾つも手掛けた」と具体事例を挙げながら明かした。特に10年ほど前まで、新宗教団体による自前施設の取得が全国で盛んに行われたという。 「より重要なのは、新宗教の施設が『迷惑施設』だということ。非信者の目には奇異に映る新宗教団体にも売ってくれる(または貸し出す)物件をどう探し出すか。そして、住民の反対をいかに抑えるか。これは反社会的勢力のテリトリーだ」(男性) また、ある新宗教教団が新たな場所に拠点を構えようとすると、先に進出していた別の新宗教教団の妨害が起こることもある。そういう場合も組織が後ろ盾となるという。 「組織側が地元の不動産業者と組み、候補となる物件を教団側に幾つか提示する。その多くはいわく付きの物件。カネは腐るほど持っているので糸目は付けない。相場よりも法外に高い値段で売れる。お互いにウィンウィンの関係だ。その意味で彼らは、非課税でたんまりもうけていても、“ウラの税金”を支払っている」 崇高な理念を掲げる新宗教教団の施設建設には、神も仏もない現実が隠されていることもあるのだ』、「新宗教の施設が『迷惑施設』だということ。非信者の目には奇異に映る新宗教団体にも売ってくれる(または貸し出す)物件をどう探し出すか。そして、住民の反対をいかに抑えるか。これは反社会的勢力のテリトリーだ・・・ある新宗教教団が新たな場所に拠点を構えようとすると、先に進出していた別の新宗教教団の妨害が起こることもある。そういう場合も組織が後ろ盾となる」、「神も仏もない現実が隠されていることもある」、想像以上に酷い実態があるようだ。

次に、元外交官の山中俊之氏が8月23日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「科学が「神の領域」に近づいた今、改めて「宗教の役割」が見直される時代がくる」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/211972
・『アメリカ・ヨーロッパ・中東・インドなど世界で活躍するビジネスパーソンには、現地の人々と正しくコミュニケーションするための「宗教の知識」が必要だ。しかし、日本人ビジネスパーソンが十分な宗教の知識を持っているとは言えず、自分では知らないうちに失敗を重ねていることも多いという。本連載では、世界94カ国で学んだ元外交官・山中俊之氏による著書、『ビジネスエリートの必須教養 世界5大宗教入門』(ダイヤモンド社)の内容から、ビジネスパーソンが世界で戦うために欠かせない宗教の知識をお伝えしていく』、確かに多くの日本人は宗教に無知なので、「世界で戦うために」は不可欠の知識だ。
・『宗教と科学が未来のカギを握る  国際的な場で、現在の世界が抱える問題や未来の課題について論じるとき、外国人や異なる宗教を信じる人とやりとりすることがあります。その際は、宗教の知識を土台に、自分ならではの意見を伝えることが極めて重要です。同時に、相手の立場、歴史観、宗教観に寄り添うことができてこそ、世界における教養人となります。 「現在の問題や未来の課題に、宗教は関係ないのでは?」と思う人もいるかもしれません。 確かに進化論や相対性理論が提唱され、二一世紀はゲノム編集や人工知能など、人類はまさに「人智を超えた神の領域」と思われていたところに足を踏み入れつつあります。もはや人間ができないことなど存在せず、宗教は神話の世界に封じ込まれるかのようにさえ思えます。しかし、私の意見は異なります。 宗教は科学など存在しない古代に起こり、中世までは「人智を超えた世界」と「人間がわかっている現実世界」の間に、まだまだ距離がありました。 だからこそ人々は、神を恐れながらも尊重していたのでしょう。落雷とエネルギーの関係もわからず、万有引力の法則もなかったら、その答えを宗教に求めても不思議はありません。また、「自分とは、生と死とは? 災害はなぜ起こるのか?」という人類共通の課題に答えを出すものは宗教しかありませんでした。 当時、必要不可欠だった宗教はそれぞれ系統立てて整理されながら、世界へと広がっていったのです。 近代になると科学が進歩し、様々な解けなかった謎が解けていきます。なぜ嵐が起きるのか、なぜ病にかかるのか、合理的に説明できることが増え、科学によって人類共通の課題への答えが出されることで宗教のニーズが相対的に下がっていきました。 民主主義の広がりによって、政治が宗教の権威を借りないことも多くなり、政教分離の観点から、宗教を用いた政治はむしろ忌避されるようになったのです。 宗教の重要性が薄らぐ流れは、つい最近まで続いていたと思います。 ところが二一世紀になった今、科学があまりに進歩していくなかで、なおざりにされてきた倫理や哲学が改めて問われるようになってきています。 「科学技術で人を誕生させることができるとしても、本当にやっていいことなのか?」 「医学によって命を永らえることと、満たされた死を迎えることは両立するのか?」 まさにこうした問いが突きつけられています。私たちはあたかも万能なもののように科学に魅了されて近代を生きてきました。しかし、科学はかなり進歩したとはいえ、災害や死の謎について完全に解き明かしたわけではないのです。これからは、改めて宗教の役割が見直される時代がくる――私はそのように考えています。 科学ばかりではありません。絶えることのない紛争、拡大し続ける経済格差についても、科学や論理ではなく、宗教が持つ倫理観や道徳が解決のヒントを与えてくれる、そんな気がします。 ただし、これから述べるのは、今わかっている事実に私の見解をつけ加えているにすぎません。 教養に知識は必要ですが、知識だけではグローバルな教養は身につきません。大切なのは読者のみなさんが、宗教をはじめとした知識をもとに批評的に事象を考えること。そして、その思考訓練によって、「独自の見識」を持っていただくことです。 知識に裏打ちされた自分の意見をしっかりと持つことは、ビジネスパーソンとしてのブランディングにもなり、仕事上のリアルな局面でも役立つでしょう』、「科学はかなり進歩したとはいえ、災害や死の謎について完全に解き明かしたわけではないのです。これからは、改めて宗教の役割が見直される時代がくる」、「絶えることのない紛争、拡大し続ける経済格差についても、科学や論理ではなく、宗教が持つ倫理観や道徳が解決のヒントを与えてくれる」、というのは確かだろう。
・『AIは人を超えるのか?  私たちの生活のなかに、すでにAIは溶け込んでいます。たとえば、グーグルアシスタントやアップルのSiri、アマゾンのアレクサは人工知能ですし、テレビや掃除機などの家電にもAIが搭載されています。自動車業界もAIモデルの開発を進めており、自動運転は技術的にすでに可能になっています。 これは世界的な動きですが、そのなかで日本人はやや特殊といわれています。それは、「ヒューマノイド」といわれる人間と同じ姿形をしたAI搭載の人型ロボットを好む点です。 たとえば、大阪大学の石黒浩教授はタレントのマツコデラックスにそっくりな「マツコロイド」や自身に似せたヒューマノイドを製作しています。私も日本科学未来館でヒューマノイドを見て、「限りなく人に近づける」という、そのこだわりように驚嘆しました。 日本人が抵抗なく人間と同じものをつくるのは鉄腕アトムの影響もあるかもしれませんが、仏教・神道の影響が非常に大きいと私は考えています。 ユダヤ・キリスト教の価値観で言うと、人間と機械はまったく違うもの。この世に存在する動植物も人も神のつくったものですが、なかでも人間は特別な存在です。動植物を含めた自然や機械は人間が支配する対象であり、「支配すべき存在を、神がつくりたもうた人間に似せるなんてとんでもない!」となり得るのです。 ゆえにヒューマノイドは、ユダヤ・キリスト教文化から見るといささか気持ちが悪く、抵抗感が強いこともあります。だから創作の世界で人型ロボットをつくるときも、欧米ではサイボーグという金属的な造形のものが比較的多いのでしょう。 そういえばAI機能に特化しているグーグルホームやアレクサは「機械そのもの」という非常にシンプルな形をしています。仮に日本の会社で日本人が開発したら、かわいらしい人間型であったかもしれません。 AIについてはしばしば「神の領域に到達するのか」という議論があります。人間の能力を超え、多くの仕事はAIが担うようになると盛んにいわれていますし、優れた頭脳を持つ囲碁や将棋のプロが、AIに敗北した例もあります。 私の個人的な意見を言えば、「AIが神の領域に到達する」というのは、失礼ながら科学信奉者の思い上がりではないでしょうか。 確かに、データ分析やそれにもとづく一定の判断という面では、AIは人間の脳を凌駕するかもしれません。しかし、人間の心や感情まで科学の力でつくり出せるかと言えば、甚だ疑問です。 科学の専門家ほど、「科学は神を超える」というのは言いすぎだとわかっているのではないでしょうか。人工知能をつくり出せるだけで「神」としてしまうのは、あまりにも神の力、言葉を変えれば人智を超えた力を矮小化しています。 イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの世界的ベストセラー『ホモ・デウス』(河出書房新社)は、これからの社会はヒトより優れたアルゴリズムによる「データ至上主義」に支配され、それを生み出せるものは「超人=ホモ・デウス」になると予言しています。 ホモ・デウスを神と同一視しないまでも、このようなデータ至上主義の時代には、これまでの人間の存在範囲、能力範囲を超える情報があふれることになり、そこで判断を誤らないようにするのは、容易ではありません。 人間のキャパシティを超えるデータの中で生きていくのであれば、宗教を含めた「人智を超えた存在」への理解が再評価されるべきだと私は考えています』、「ヒューマノイドは、ユダヤ・キリスト教文化から見るといささか気持ちが悪く、抵抗感が強いこともあります。だから創作の世界で人型ロボットをつくるときも、欧米ではサイボーグという金属的な造形のものが比較的多いのでしょう」、というのはなるほどと納得した。「人間のキャパシティを超えるデータの中で生きていくのであれば、宗教を含めた「人智を超えた存在」への理解が再評価されるべき」、というのはそうなのかも知れないが、割り切れないものが残る。
・『遺伝子研究で「才能」も買えるようになる?  AIはどれだけ優秀でもあくまで機械であり、人間はいまだゼロから生命をつくり出すことはできません。しかし逆に言えば、ゼロは無理でもイチの生命をコピーし、編集するところまで科学技術は進んでいます。 その代表と言えるのが遺伝子研究。難病治療などに役立つと考えられており、「人間の遺伝子を自由に編集する」といわれるクリスパー・キャス9という技術を発明した学者はノーベル賞候補だともいわれています。 二〇一八年の終わりには、中国の科学者がゲノム編集によって「エイズウィルスへの抗体を持った双子の赤ちゃんを誕生させた」と発表して世界を揺るがせました。このニュースの真偽はさておき、遺伝子は生命のあり方を決める重要な指令のようなもの。 「遺伝子改変が技術的に可能になったとしても、行っていいのか?」「生命のあり方という、言わば神の領域に踏み込むことは倫理的に許されるのか?」 世界中の科学者、哲学者、政治家、宗教家が議論を重ねています。 プロテスタントには「神から天職、才能を与えられた」という概念がありますが、しかし才能が科学でつくれるとしたらどうでしょう? 「美しくて優秀な人間」「病気にならず、身体能力が高い人間」が遺伝子の改変によって誕生すれば、人は神から与えられるはずの能力を人為的に手にできるようになります。 また、受精卵から人間であると考える宗教観を持つ人々は、人間のゲノム編集に反対する可能性もあります(現時点では私の知る限り宗教界からの強い反対はありませんが)。 人為的とは、言い換えれば「お金の力」。最先端の遺伝子操作が高額なものだとすれば、豊かな人はお金の力で優秀で健康な子どもを生み、その子どもは高い能力を生かして成功し、子孫もますます豊かになるという連鎖が起きます。 病気や怪我をしてもお金持ちであれば、ゲノム編集のような最先端技術で健康を取り戻せるかもしれません。そうなれば、「健康な天才ぞろいの富裕層」と「普通の人と弱い人からなる貧困層」が誕生するでしょう。 かつて、ナチスは「優秀なアーリア人」をつくろうと、非道な人体実験を行いました。これは明らかに犯罪ですが、今後「科学の発展」の名のもとに、似たようなことが世界規模で行われる危険すらあります。これは科学者だけに任せておいて良い問題ではありません。 このように遺伝子研究とは、宗教や倫理の問題ばかりか、私たちにとってより身近な社会的格差につながるという問題もはらんでいるのです。 確かに、難病から救われる人が増えるのは素晴らしく、研究が進むこと自体は歓迎されるべきです。しかし、生態系への影響もあるでしょう。生物はお互いつながっているので、人類のあり方、地球のあり方すら変えてしまう可能性に配慮しなければなりません。 これだけ科学が進んでいても、人間はゼロから生命をつくる技術を持っておらず、微生物すらつくり出せていません。いうまでもなく人工知能は生命ではなく、生命を持つクローンにせよ、今ある生命の複製です。iPS細胞は細胞をゼロからつくり出すものではなく、すでにあるものをもとにしています。まだまだ畏敬の念を抱くべき「神の領域」は残っているということでしょう。 「人間とは何か」を真摯に問い、「人智のおよばない領域」に想いを馳せながら、私たち一人一人が科学と向き合っていく。それには、改めて宗教が必要とされるのではないでしょうか』、「宗教」まで求めるかはともかくとして、謙虚な気持ちを忘れないようにしたいものだ。

第三に、上記の続きを、8月30日付けダイヤモンド・オンライン「日本人の「宗教偏差値」が世界最低レベルになった3つの理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/211948
・(冒頭省略) 日本の宗教偏差値が低い三つの理由  もしも「世界宗教偏差値」があるとしたら、日本はおそらく世界最低レベルです。理由はいろいろありますが、私は次の三つの影響が大きいと考えています。 1 地理的な理由 世界5大宗教のうち、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つは発祥が中東ですが、中東で生まれた宗教が伝わるには、日本は距離があります。残る二つのうちヒンドゥー教と仏教はインドで生まれ、日本には中国経由で仏教のみ伝わりました。 また、島国でもあるので、世界の宗教を信じる他民族と本格的な戦争もあまりありませんでした。日本的な宗教観・価値観でぬくぬくとやってこられたのです。 2 神道がもともとあり、その上に仏教を受け入れた 仏教が日本に伝来したのは六世紀半ばですが、当時の日本にはすでに神道が存在しました(もっとも、この時代には神道という言葉は使われておらず日本古来の民族宗教と言ったほうがより正確です)。 この神道というのは自然崇拝がベースになっています。「空にも海にも山にも川にも、自然界のすべてに神様がいる」という考えですから、キリストやムハンマドやお釈迦様のような開祖もいなければ、聖書やコーランのように、教えを系統化したものもありません。 宗教とはっきり意識しないまま、八百万(やおよろず)の神様を信じ、神様を信じたまま仏教を受け入れたのですから、曖昧になるのもうなずけます(世界でも自然信仰をしている上に新たな宗教を受け入れたところは多数ありますが、もともとの宗教は多くの場合現存していません)。 このような曖昧な宗教観の上には、難しい教義や厳しい戒律はなじみにくいと考えられます。 3 江戸時代の檀家制度と明治以降の国家神道 一六~一七世紀になるとキリスト教が世界的な布教活動を展開しましたが、日本では豊臣秀吉や徳川家康により禁教とされ、全国民が仏教徒としてどこかのお寺に属すること(檀家と言います)になりました。 この檀家制度は、寺を幕府や藩の下部的な行政組織として位置づけるものであり、仏教本来の宗教的側面は失われてしまいました。寺は、檀家である住民を管理・監視して、後は葬式だけをしていれば良いということになったのです。 明治時代には、その仏教も一時期弾圧され、天皇を神のように崇める「国家神道」となりました。人間である天皇を神とするという考え方は、世界の他の宗教とはまったく異質のものです。 第二次世界大戦終了後、それが全否定される一方、一部の新興宗教の犯罪や不祥事に関する報道により「宗教には近づかないほうが良い」という意識が高まりました。こうして、宗教偏差値が最低レベルの国となってしまったのです。 日本への外国人観光客の数は急増中で、二〇一八年には、初めて三〇〇〇万人を超えました。従来型の東京の都心や富士山、京都の有名社寺といった観光地に加え、高野山、日光、平泉などにも多くの外国人が訪れています。 外国人観光客の日本の宗教への関心が高まっていることは確実であり、外国人観光客に日本の宗教について話ができるようになれば、人間関係の構築も進み、宗教偏差値も上がることでしょう』、「日本的な宗教観・価値観でぬくぬくとやってこられた」、「曖昧な宗教観の上には、難しい教義や厳しい戒律はなじみにくいと考えられます」、「第二次世界大戦終了後、それ(国家神道)が全否定される一方、一部の新興宗教の犯罪や不祥事に関する報道により「宗教には近づかないほうが良い」という意識が高まりました。こうして、宗教偏差値が最低レベルの国となってしまったのです」、というのはクリアな特徴づけで、大いに参考になる。
・『もしも中国人に「スシの握り方」を習ったら?  日本、韓国、ベトナムなど東アジアの国々は中国の影響を強く受けています。宗教にしてもそれは同じ。つまり日本に入ってきた仏教は、「中華味の仏教」なのです。 あなたも海外旅行に行った際、外国人がつくる日本料理を食べて「ん? なんか違う」と感じたことがあるでしょう。それはたいてい現地に住んでいるアジア人が経営する店だからです。 もしも欧米人が、現地で日本料理店を経営する中国人に「スシの握り方」を習ったとしたら、それは本来の寿司とは、かなり違うものになるはずです。 これと同じく中国の仏教は、インド発祥のもともとの仏教とは異なります。インドで生まれた初期仏教から枝分かれした大乗仏教が主に東アジアに広がったのですが、中国にきた時点で、孔子を祖とする儒教や、古代からある民間信仰に道家の思想を合わせた道教が混ざり合ったものになりました。中華味の仏教の誕生です。 中華味の仏教が日本にやってきて、もとからあった神道と混じり合ってできたのが日本の仏教ですから、本来の仏教とはいろいろと違っています。 たとえば、インドで仏教が生まれた頃、仏教の開創者であり悟りを開いた後は釈尊と呼ばれるガウタマ・シッダールタは、「男女を差別してはならない」と説いていました。 ところが中国に渡ると儒教の影響を受け、仏教は女性差別的なものになります。ゆえに日本に伝わった仏教の教えのなかには「女性の場合、男性に生まれ変わらないと成仏できない」と考える、変成男子という言葉があるのです。 また、中国では儒教の影響のため、仏教がより国家や皇帝の権威に近い位置づけになりました。 つけ加えておくと、伝来の過程で宗教が変化していく現象は、仏教に限った話ではありません。たとえば、中東のイスラム教と東南アジアのイスラム教とでは戒律の厳しさなどが違います。アラビア半島発祥のイスラム教が伝来する過程で、東南アジアでは現地の文化や宗教と融合していき、中東のような厳格さが失われた面があります』、「中華味の仏教の誕生」とは言い得て妙だ。「インドで仏教が生まれた頃、仏教の開創者であり悟りを開いた後は釈尊と呼ばれるガウタマ・シッダールタは、「男女を差別してはならない」と説いていました」、というのは初耳だ。「アラビア半島発祥のイスラム教が伝来する過程で、東南アジアでは現地の文化や宗教と融合していき、中東のような厳格さが失われた面があります」、イスラム教でも、「伝来する過程」で同じコーランがありながら、「中東のような厳格さが失われた面があります」、伝わり方で変化することは避けられないようだ。
・『東アジアを一歩出たら「宗教の知識」が特に必要  かつて毛沢東はダライ・ラマに対し「宗教は毒だ。宗教は二つの欠点を持っている。まずそれは民族を次第に衰えさせる。第二に、それは国家の進歩を妨げる。チベットとモンゴルは宗教によって毒されてきたのだ」と断じました。やがて二人は決定的に断絶し、宿敵となりました。 二〇一九年現在の中国は、共産党の支配下にない宗教が弾圧される国です。新疆ウイグル自治区に住むイスラム教徒に宗教弾圧を行い、「地下教会」と呼ばれる非公認教会の牧師を逮捕するなどキリスト教にも圧力を加えています。中国には非公認教会を含めるとキリスト教徒が一億人近くいるとの報道もあり、社会的に小さな問題ではありません。 また、カトリック信者への影響を嫌った中国政府は、バチカンとも外交関係がないのです(もっとも近年は関係修復の動きがあるようですが)。 韓国では、最近キリスト教信者が増加していますが、日本と同じく「中華味の仏教」や儒教の影響が強い国です。中国や韓国でも宗教についての知識がないと失敗することはありますが、儒教や、中国の場合には共産主義の影響もあり、宗教について曖昧であったり、社会の前面に出てこなかったりします。 しかし、宗教の影響が比較的弱いのはこれら東アジアの国々に限られます。そこでビジネスパーソン対象のグローバル研修の際、私はしばしば「東アジアを一歩出たら、宗教のことに特に気をつけてください」とアドバイスしています。 敬虔な仏教徒が多いタイ、カトリックが多いフィリピン、イスラム教徒も多く住むインドネシアやマレーシア。シンガポールは多民族国家だけあって、人種ばかりか宗教のるつぼです。 日本のビジネスパートナーとして、今後関係が深まっていく東南アジア諸国は、「宗教偏差値が高い国」と考えておくべきです。 なにより日本に対して多大な影響力を持つアメリカは、世界でもトップレベルの宗教的な国家。そんなアメリカ人が、日本人に自分たちの宗教の話をしてくることが少ないのは、「よく知らないだろう」と思っているからです。それなのに日本人が雑談をしているうちに宗教に関連する話題になり、無知であるために地雷を踏むパターンが多い……。 これはアメリカ生活が長い友人の意見ですが、私もそう感じます。 また、欧米の人たちが聞きたがるのは、日本人から見たユダヤ教、キリスト教の話ではなく、自分たちがよく知らない仏教や神道についてです。宗教偏差値を上げるには、まず、自分たちの宗教を知っておくことが大切です。 さらに最先端とされているIT企業はグローバル企業でもありますが、そこで働く人々は、現在アメリカでも人気が高まっている禅や瞑想への興味から「日本人なら仏教について詳しく教えてくれるだろう」という期待を持っています。 話題にのぼる可能性が非常に高いのに、まったく答えられないのは危険です。 「今のままの宗教偏差値ではまずい!」 最低限、この意識は必要ではないでしょうか』、確かにその通りだ。これからは、このブログでも宗教の問題を取上げる頻度を上げていきたい。

第四に、8月25日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した元ライフネット生命社長、立命館アジア太平洋大学学長の出口治明氏へのインタビュー「間違いだらけのイスラーム教!日本人は、なぜこうも誤解してしまうのか?」を紹介しよう(Qは聞き手の質問)。
https://diamond.jp/articles/-/211594
・『世界1200都市を訪れ、1万冊超を読破した“現代の知の巨人”、稀代の読書家として知られる出口治明APU(立命館アジア太平洋大学)学長。歴史への造詣が深いことから、京都大学の「国際人のグローバル・リテラシー」特別講義では世界史の講義を受け持った。 その出口学長が、3年をかけて書き上げた大著がついに8月8日にリリースされた。聞けば、BC1000年前後に生まれた世界最古の宗教家・ゾロアスター、BC624年頃に生まれた世界最古の哲学者・タレスから現代のレヴィ=ストロースまで、哲学者・宗教家の肖像100点以上を用いて、世界史を背骨に、日本人が最も苦手とする「哲学と宗教」の全史を初めて体系的に解説したとか。 なぜ、今、哲学だけではなく、宗教を同時に学ぶ必要があるのか? 脳研究者で東京大学教授の池谷裕二氏が絶賛、小説家の宮部みゆき氏が推薦、原稿を読んだ某有名書店員が激賞する『哲学と宗教全史』。発売直後に大きな重版が決まった出口治明氏を直撃した』、『哲学と宗教全史』とは意欲的なタイトルだ。
・『八百屋の主人でも聖職を兼業できる  Q:日本人は、なぜイスラーム教を誤解してしまうのでしょうか。なぜ、イスラーム系のテロ組織は多いのでしょうか。 出口:イスラーム教は、ユダヤ教とキリスト教と同じYHWH(ヤハウェ)を唯一神とするセム的一神教です。最後の審判で救われた善人は天国へ、悪人は地獄に行きます。そして唯一神YHWHをアッラーフと呼びます。アッラーとも呼ばれますが、現在ではアッラーフの呼称のほうが一般的なようです。 イスラーム教の聖書に相当するものは『クルアーン』で、原義は「詠唱すべきもの」の意味です。クルアーンには、イスラム教の開祖、ムハンマドが神から託された言葉が書かれています。 Q:イスラーム教の特徴を教えていただけますか? 出口:イスラーム教の大きな特徴は、キリスト教や仏教のような専従者(司祭や僧)がいないことです。すなわち教会や寺院を経営して、布教や冠婚葬祭などを専門とする聖職者が存在しません。 イスラーム教では、たとえば八百屋の主人が聖職を兼業していて、必要なときは法衣を着てクルアーンを読み、儀式を進行させます。ですからイスラーム教では、聖職者の生活のために寄付をする必要がありません。モスクと呼ばれる寺院や墓地などの管理は、自治体やNPO的な組織が行います。イスラーム教を学ぶ大学も、もちろん存在します。そして神学者も存在します。しかし、専従者はいないのです。 イスラーム教の信者はインドネシア、パキスタン、バングラデシュ、インド、マレーシアなど、東南アジア各国に数多く存在します。 アジアの人たちはイスラームの商人を見て、自分たちもイスラーム教を信じれば、もっと商売がうまくいくようになるかなと思ったことでしょう。 イスラーム教には専従の聖職者はいませんから、たとえばインドネシアの商人で、イスラーム教に興味を持った人がビジネス相手のアラビア人に、「イスラーム教徒になりたい」と言えば、仲間の商人や船乗りで聖職者を兼業している人が仲介してくれます。そういう気安さが、この地方に信者を増やしていったのです』、イスラーム教には「教会や寺院を経営して、布教や冠婚葬祭などを専門とする聖職者が存在しません」、イランには「最高聖職者」がいる筈だが、これは国や宗派による違いがあるのだろうか。
・『シーア派とスンナ派が争う理由  Q:イスラーム圏ではシーア派とスンナ派が、常に争っているように認識している人が多いのではないでしょうか。なぜ、2つの派は争っているのですか? 出口:シーア派とスンナ派の対立は、実は宗教的な対立ではありません。キリスト教では、ローマ教会とプロテスタントとの間に激しい宗教戦争が起きましたが、イスラーム教の世界では、何が真実の教えかという疑念や対立は生じませんでした。 それでは、シーア派とスンナ派の対立点は何か。極言すれば、派閥争いです。本書に詳しく説明していますが、スンナ派とシーア派は、「誰を現世のリーダーと考えるのか」を争っているのであって、イスラーム教の教義に関わる争いではありません。 「スンナ派とシーア派の争い」という言葉が、よくジャーナリズムには登場します。しかしそのほとんどの事例をよく見ると、原因となる部分に、西欧列強が石油資源などの利権を得て、それを守るために起こした政争が内在していると思われます』、「西欧列強」の分断支配がきっかけになったとはいえ、「政争」が長期化し、定着したのではなかろうか。
・『なぜ、イスラーム原理主義によるテロ行為が起きるのか?  Q:「イスラーム原理主義によるテロ行為」などという表現で、中東の争乱が語られることがあります。なぜ、イスラーム原理主義はテロ行為を起こすのでしょうか? 出口:もともと原理主義という言葉は、アメリカで19世紀末から20世紀初頭に盛んになった、過激なキリスト教のグループを指す言葉でした。この言葉がイスラーム教に転化されたのです。 ではなぜ、ISなどが「ムハンマドに帰れ」とか「クルアーンの世界に戻せ」とかを主張するのか。 それは歴史的に見ると、イスラーム世界も中国や日本と同じように、産業革命とネーションステート(国民国家)という人類の2大イノベーションに、乗り遅れたからです。 日本は明治維新によって、どうにか世界の趨勢(すうせい)に追いつきました。しかし一部の中東のイスラーム世界は、うまく追いつくことができなかったのです。 ISの主張は、わが国の明治維新の際の「尊皇攘夷(そんのうじょうい)」や「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」の考え方によく似ています。現代の中東の窮状は、優れた政治的指導者が登場しない限り、なかなか挽回できないかもしれませんが、それはイスラーム教の教義とは何の関係もない、歴史的、政治的な問題だと思います。それと、頻発するテロ行為については、ユースバルジの問題も視野に入れるべきでしょう。 Q:ユースバルジとは、何ですか? 出口:ユースバルジ(youth bulge)とは、「若年層の膨らみ」の意味です。政情が不安定で経済が低迷している中東では、人口の多い10代から20代の元気な若者が働きたくても働く場所がありません。イラクもシリアも国が壊されているのです。 若者がたくさんいる、けれども働く場所がない。一方でこれらの若者も恋をしたい、デートをして充実した青春をすごしたいと思っている。でも働けないからお金がないし、娯楽の機会も少ない。 そこでこれらの国の若者は、絶望してテロに走ってしまう……。このようなユースバルジが、中東のテロ問題の基底部分を形成していると考えられます。 Q:テロとイスラーム教を表裏一体の問題として考えてはいけないのですね。 出口:そう思います。もちろんイスラーム教の置かれている現状と無関係ではないかもしれませんが、表裏一体の問題として考えるのは、極端すぎると思います。 むしろ、ユースバルジのほうがはるかにテロとの親和性は高いと思いますね。 なお、ユースバルジについては、グナル・ハインゾーンの『自爆する若者たち 人口学が警告する驚愕の未来』(猪股和夫訳/新潮選書)という優れた本が参考になります』、「もともと原理主義という言葉は、アメリカで19世紀末から20世紀初頭に盛んになった、過激なキリスト教のグループを指す言葉でした。この言葉がイスラーム教に転化されたのです」、確かにその通りだ。「イスラーム世界も中国や日本と同じように、産業革命とネーションステート(国民国家)という人類の2大イノベーションに、乗り遅れたからです・・・ISの主張は、わが国の明治維新の際の「尊皇攘夷(そんのうじょうい)」や「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」の考え方によく似ています」、というのは本当に困ったことだ。「ユースバルジが、中東のテロ問題の基底部分を形成している」、そ通りだろう。
・『【著者からのメッセージ】 なぜ、今、「哲学と宗教」を同時に学ぶ必要があるのか? 現代の知の巨人・出口治明が語る  はじめまして。出口治明です。 今回、『哲学と宗教全史』を出版しました。 僕はいくつかの偶然が重なって、還暦でライフネット生命というベンチャー企業を開業しました。 個人がゼロから立ち上げた独立系生保は戦後初のことでした。 そのときに一番深く考えたのは、そもそも人の生死に関わる生命保険会社を新設するとはどういうことかという根源的な問題でした。 たどり着いた結論は「生命保険料を半分にして、安心して赤ちゃんを産み育てることができる社会を創りたい」というものでした。 そして、生命保険料を半分にするためにはインターネットを使うしかないということになり、世界初のインターネット生保が誕生したのです。 生保に関わる知見や技術的なノウハウなどではなく、人間の生死や種としての存続に関わる哲学的、宗教的な考察がむしろ役に立ったのです。 古希を迎えた僕は、また不思議なことにいくつかの偶然が重なって、日本では初の学長国際公募により推挙されてAPU(立命館アジア太平洋大学)の学長に就任しました。 APUは学生6000名のうち、半数が92の国や地域からきている留学生で、いわば「若者の国連」であり「小さな地球」のような場所です。 もちろん宗教もさまざまです。 APUにいると、世界の多様性を身に沁みて感じます。 生まれ育った社会環境が人の意識を形づくるという意味で、クロード・レヴィ=ストロースの考えたことが本当によくわかります。 僕は人生の節目節目において哲学や宗教に関わる知見にずいぶんと助けられてきた感じがします。 そうであれば、哲学や宗教の大きな流れを理解することは、間違いなくビジネスに役立つと思うのです。 神という概念が生まれたのは、約1万2000年前のドメスティケーションの時代(狩猟・採集社会から定住農耕・牧畜社会への転換)だと考えられています。 それ以来、人間の脳の進化はないようです。 そしてBC1000年前後にはペルシャの地に最古の宗教家ゾロアスターが生まれ、BC624年頃にはギリシャの地に最古の哲学者タレスが生まれました。 それから2500年を超える長い時間の中で数多の宗教家や哲学者が登場しました。 本書では、可能な限りそれらの宗教家や哲学者の肖像を載せるように努めました。 それは彼らの肖像を通して、それぞれの時代環境の中で彼らがどのように思い悩み、どのように生きぬいたかを読者の皆さんに感じ取ってほしいと考えたからに他なりません。 ソクラテスもプラトンもデカルトも、ブッダや孔子も皆さんの隣人なのです。 同じように血の通った人間なのです。 ぜひ彼らの生き様を皆さんのビジネスに活かしてほしいと思います。 本書では世界を丸ごと把握し、苦しんでいる世界中の人々を丸ごと救おうとした偉大な先達たちの思想や事績を、丸ごと皆さんに紹介します。 皆さんが世界を丸ごと理解するときの参考になればこれほど嬉しいことはありません。(目次の紹介は省略)』、リンク先で目次を一瞥すると、宗教と哲学の流れを理解するには、『哲学と宗教全史』は格好の本のようだ。
タグ:原因となる部分に、西欧列強が石油資源などの利権を得て、それを守るために起こした政争が内在している イスラーム教の教義に関わる争いではありません 派閥争い シーア派とスンナ派が争う理由 ダイヤモンド・オンライン ユースバルジ(youth bulge)とは、「若年層の膨らみ」の意味 新宗教の施設が『迷惑施設』だということ。非信者の目には奇異に映る新宗教団体にも売ってくれる(または貸し出す)物件をどう探し出すか。そして、住民の反対をいかに抑えるか。これは反社会的勢力のテリトリーだ 宗教 税制優遇だけではない 反社会的勢力の元構成員が暴露 「宗教施設が一等地に突然建つ裏事情、反社会的勢力の元構成員が暴露」 山中俊之 『ビジネスエリートの必須教養 世界5大宗教入門』(ダイヤモンド社) 二一世紀になった今、科学があまりに進歩していくなかで、なおざりにされてきた倫理や哲学が改めて問われるようになってきています ヒューマノイドは、ユダヤ・キリスト教文化から見るといささか気持ちが悪く、抵抗感が強いこともあります。だから創作の世界で人型ロボットをつくるときも、欧米ではサイボーグという金属的な造形のものが比較的多いのでしょう 遺伝子研究で「才能」も買えるようになる? ユヴァル・ノア・ハラリ 『ホモ・デウス』 これからは、改めて宗教の役割が見直される時代がくる 『哲学と宗教全史』 東アジアを一歩出たら「宗教の知識」が特に必要 出口治明 第二次世界大戦終了後、それが全否定される一方、一部の新興宗教の犯罪や不祥事に関する報道により「宗教には近づかないほうが良い」という意識が高まりました 3 江戸時代の檀家制度と明治以降の国家神道 曖昧な宗教観の上には、難しい教義や厳しい戒律はなじみにくいと考えられます 日本に入ってきた仏教は、「中華味の仏教」 インドで仏教が生まれた頃、仏教の開創者であり悟りを開いた後は釈尊と呼ばれるガウタマ・シッダールタは、「男女を差別してはならない」と説いていました 2 神道がもともとあり、その上に仏教を受け入れた 「間違いだらけのイスラーム教!日本人は、なぜこうも誤解してしまうのか?」 イスラーム教の大きな特徴は、キリスト教や仏教のような専従者(司祭や僧)がいない もしも中国人に「スシの握り方」を習ったら? 「日本人の「宗教偏差値」が世界最低レベルになった3つの理由」 AIは人を超えるのか? 「科学が「神の領域」に近づいた今、改めて「宗教の役割」が見直される時代がくる」 宗教と科学が未来のカギを握る 1 地理的な理由 ISの主張は、わが国の明治維新の際の「尊皇攘夷(そんのうじょうい)」や「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」の考え方によく似ています もともと原理主義という言葉は、アメリカで19世紀末から20世紀初頭に盛んになった、過激なキリスト教のグループを指す言葉でした。この言葉がイスラーム教に転化されたのです イスラーム世界も中国や日本と同じように、産業革命とネーションステート(国民国家)という人類の2大イノベーションに、乗り遅れたから なぜ、イスラーム原理主義によるテロ行為が起きるのか? 日本の宗教偏差値が低い三つの理由 日本的な宗教観・価値観でぬくぬくとやってこられたのです 先に進出していた別の新宗教教団の妨害が起こることもある。そういう場合も組織が後ろ盾となる 著者からのメッセージ 人口の多い10代から20代の元気な若者が働きたくても働く場所がありません。 (その2)(宗教施設が一等地に突然建つ裏事情 反社会的勢力の元構成員が暴露、科学が「神の領域」に近づいた今 改めて「宗教の役割」が見直される時代がくる、日本人の「宗教偏差値」が世界最低レベルになった3つの理由、間違いだらけのイスラーム教!日本人は なぜこうも誤解してしまうのか?)
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