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日本型経営・組織の問題点(その8)(仏教国・スリランカ大統領が嘆いた「精神性」なき経済大国ニッポン、サムソン覇権を許した日本大企業の真の"戦犯" "失われた30年"日本企業の失敗本質、チームワーク至上主義の誤解と「ONE TEAM」の奥義) [経済政治動向]

日本型経営・組織の問題点については、8月18日に取上げた。今日は、(その8)(仏教国・スリランカ大統領が嘆いた「精神性」なき経済大国ニッポン、サムソン覇権を許した日本大企業の真の"戦犯" "失われた30年"日本企業の失敗本質、チームワーク至上主義の誤解と「ONE TEAM」の奥義)である。

先ずは、東京工業大学教授・リベラルアーツ研究教育院長の上田紀行氏が9月10日付けダイヤモンド・オンラインに掲載した「仏教国・スリランカ大統領が嘆いた「精神性」なき経済大国ニッポン」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/214248
・『相次ぐ企業の偽装事件、ストレスで心身を病む会社員、続く役人の文書改竄・不適切調査、そして長すぎる老後への不安――。なぜ、こんな世の中になってしまったのか。スリランカで「悪魔祓い」のフィールドワークをおこない、「癒し」の観点を早くから提示し、日本仏教の再生に向けた運動にも取り組む上田紀行・東京工業大学教授・リベラルアーツ研究教育院長は、いまの日本人には、したたかに「立て直していく力」が乏しいと言う。日本は何を捨て去ってしまったのか? 上田教授の著書『立て直す力』(中公新書ラクレ)から、悩みを消し去り幸福に生きるためのヒントをお伝えする』、「悩みを消し去り幸福に生きるためのヒント」とは興味深そうだ。
・『今の日本を覆う失敗を語れない雰囲気  満員電車を前にして、時折立ち尽くしてしまうことはないでしょうか。 通勤時間帯で、しかも人身事故でダイヤが乱れて、いつもより混雑しているときがあります。 人が引きちぎられるようにして降りてきて、人があたかもモノのような形で押し込まれていくさまを見ていると、立ち尽くしてしまうのです。残された隙間に突進していく力が湧いてこない。 それはおそらく、社会状況が変わってしまったからだと思うのです。昭和の頃は、ギューギュー詰めになった車内にからだを預けて、ともかく乗ってしまえば、からだはキツいかもしれないけれど、終着駅にはそれなりの幸せが待っていると思えた。 経済は右肩上がりだったし、終身雇用制度が維持されている会社も多かった。給与のベースアップも多少なりともあった。少なくとも、昭和から平成の最初の頃までは、漠然とした安心感があったわけです。多くの人がそういう感覚だったので、一体感のようなものがあったような気もします。「経済神話」「企業信仰」というものに守られている心強さもありました。 しかしバブル経済が崩壊し、リーマンショックという大波を受ける中で時代状況は変わりました。多くの企業に導入された成果主義は一層研ぎ澄まされ、ハードルの高いノルマがのしかかり、達成できないと厳しい上司から説教されたり、ネジを巻かれたりする。目標未達の月が続くと、いつ肩をたたかれるかと、針のむしろの状態が続くことになる。 生きづらい社会になっていったのです』、確かにその通りだ。
・『人間はとても壊れやすい いつの時代もこぼれ落ちる人はいる  寛容な社会であれば、まだ精神的に何とか持ちこたえられるのですが、飲みながら愚痴をこぼせた日常は、古き良き時代の趣きさえあります。 お能をみると、妖怪になって夜な夜な旅人を襲うような化け物がでてきます。ところがその化け物たちはみんな不幸な境遇で傷ついた人間の変化なのです。そしてそのこころの内を旅の僧が聞いてやると、妖怪は天上に昇っていきます。誰でも突然不幸な境遇となることがあり、傷ついて妖怪となってしまう。そういうものがこころなのであって、常にピンピンしているものではありません。 時代が変わったとしても、人間のこころが強靭になるわけではありません。傷つきやすい、フラジャイルなものです。 高度経済成長の時代、経済神話、企業信仰があった時代、身分は企業という“御本尊”に守られていたので、会社に依存していればさほど問題はありませんでした。「安心」や「信頼」は、ある意味タダのようなもの、空気のようなものだと思い込んでいました。気がつかないうちに、競争からこぼれ落ちた人へのセーフティネットを、あの時代に捨て去ってしまったのです。 そのセーフティネットの1つが宗教なのです。 そのことを痛感した、印象深いエピソードを紹介したいと思います』、「競争からこぼれ落ちた人へのセーフティネットを、あの時代に捨て去ってしまったのです。 そのセーフティネットの1つが宗教なのです。 スリランカで11年間大統領として君臨したジャヤワルダナ氏の逸話です。彼はまだ大蔵大臣だった1951年、サンフランシスコ講和会議にスリランカ代表として出席しました。 この会議では、第2次世界大戦後の領土問題や日本への賠償請求などについて話し合われました。日本に痛めつけられた国々からは、日本への厳しい意見が相次ぎました。「多額の賠償金を日本に求めるべきだ」「日本の自由を奪ってしまえばいい」というムードが漂っていました』、「サンフランシスコ講和会議にスリランカ代表として出席」、日本擁護をしたというのは覚えているが、詳細は忘れたので、以下をみてみたい。
・『日本の印象をがらりと変えたジャヤワルダナ大統領の演説  そんな中、「私たちは日本に対する賠償請求権を放棄する。ぜひ日本には寛大な措置をお願いする」と演説したのがジャヤワルダナだったのです。少し長くなりますが、以下、引用します。 「憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈悲によって止む」というブッダの言葉を私たちも信じます。これはビルマ(現ミャンマー)、ラオス、カンボジア、シャム(現タイ)、インドネシア、セイロン(現スリランカ)を通じて中国、日本にまで広まって、共通の文化と遺産をわれわれは受け継いできました。 この会議に出席するために途中、日本を訪問しました。その際に私が見いだしたように、この共通の文化はいまだに存在しているのであります。そして、日本の指導者たち、すなわち民間人のみならず、諸大臣から、また寺院の僧侶から、私は一般の日本人はいまだにあの偉大な平和の教師の影響を受けており、さらにそれに従おうと欲しているという印象を得たのであります。われわれは彼らにその機会を与えなければいけません」(『次世代に伝えたい日本人のこころ』) あまりに感動的な演説であったため、各国の日本に対する雰囲気はずいぶん変わったと言われています。そして注目すべきは、ジャヤワルダナが、日本の指導者を含め、民間人、諸大臣、一般の人までもが、平和の教えを説くブッダの影響を受け、それに従おうとしている、とみていたことです。 なぜ彼はそう思ったのでしょう。ジャヤワルダナが、先の講和会議に出席するためサンフランシスコへ向かう際、日本に立ち寄り、ある人物と会っていたのが明らかになっています。 当時、スリランカからサンフランシスコへの直行便はなく、日本を経由した際に鎌倉に立ち寄りました。会ったのは、禅をアメリカに広めた仏教思想家、鈴木大拙です。大拙と話して感動した話を、1979年に日本を再訪した際、天皇陛下の前で語っています』、「「憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈悲によって止む」というブッダの言葉を私たちも信じます」、さすがブッダだけあって、いいことを言ったものだ。
・『鈴木大拙との面会が転機に 日本とスリランカを結んだ仏教の絆  1951年当時の日本は、東京の半分ほどが破壊され、まだ戦争の惨禍に苦しんでいる状況でした。彼はそんな日本にあるいくつかの寺を訪問し、仏教指導者と面会しますが、なかでも大拙との邂逅は印象深かったそうです。ジャヤワルダナは次のように続けます。 「私は鈴木教授に、日本の方が信仰している大乗仏教と、私たちが信仰している小乗仏教はどう違うのかを尋ねました。すると教授はこう言いました。なぜあなたは違いを強調しようとするのでしょうか。それよりも、私たちはどちらも仏法僧(仏道における三宝、仏=ご本尊、法=経典、僧=仏道を歩む人)を護持することで共通しており、無常、苦、無我を悟るための八正道(涅槃に至るための八つの修行方法)を信奉しているではありませんか。私は日本の仏教徒とスリランカの仏教徒を結びつける強い絆があることを感じました」(同書) ジャヤワルダナは鈴木大拙や日本の僧侶たちに会って感動し、日本に流れている仏教の伝統を絶対に消してはいけない、われわれは仲間なのだと思い、日本を助けようということを説かれました。 しかし日本は、その後大きく変化していきます。 高度経済成長を遂げ、終身雇用制度を採る企業の数が増え、社員が安心して働ける環境が整うと、宗教になど頼る必要はなくなったと思ったのでしょう。仏教を捨て、単一化を推し進めていきました。 そのことをジャヤワルダナは、鋭く察知します。1968年に彼が日本を再訪したときのこと。大阪の万国博覧会を2年後に控えた当時の日本には、立派なビルや商業施設ができ、繁栄を遂げていました。それを目の当たりにした彼は驚きます。 17年前と同じように、彼は再び日本の僧侶たちに会います。それはジャヤワルダナたっての願いだったようです。各宗派のトップの僧侶が集められたのですが、ジャヤワルダナがいくら仏教的な話をしても、僧侶たちの反応は芳しくありません。宗教性を感じられず、彼はひどく落胆したと言います。経済的な繁栄の中で、仏教教団にも戦後すぐの緊迫感が失われていったのです。 そのことを1979年の宮中晩餐会でジャヤワルダナは次のように語っています。 「私が1968年に再び日本を訪れたとき、あなた方は以前と変わって物質的にとても繁栄していました。今日では日本国民は奇跡の復活を遂げ、国は富み、経済的には世界をリードする国のひとつとなりました。 しかし、私たちが知っているように、それだけが文明ではありません。私たちの周りにある、人によって建てられた偉大な建造物がひとかけらもなく消え去ったとしても、私たちがちょうど28年前に、サンフランシスコにおける演説で引用したブッダの言葉は、人々に記憶されていることでしょう。 ほかのあらゆる国々と同様に、日本においても壮大な権力がその必然的な終わりを迎えたとしても、あなた方の寺院から広まった理想や、あなた方の僧侶が実践した瞑想と敬虔な言葉は記憶され、そして、来たるべき世代の人類の型をつくっていくことでしょう」(同書)』、「鈴木大拙との面会が転機に 日本とスリランカを結んだ仏教の絆」、「ジャヤワルダナ」氏に強い印象を与えた「鈴木大拙」氏はさすがだ。しかし、1968年の再訪時に、「各宗派のトップの僧侶が集められたのですが、ジャヤワルダナがいくら仏教的な話をしても、僧侶たちの反応は芳しくありません。宗教性を感じられず、彼はひどく落胆したと言います」、高度成長が日本の「僧侶たち」から「宗教性」を失わせたのであれば、残念なことだ。
・『経済至上主義による単一化で崩れてしまった日本の「複線社会」  これはものすごい皮肉です。「日本がこんなに発展したのは喜ばしい。しかしあのときの鈴木大拙の言葉ははたして活かされているのか。自分を感動させ、サンフランシスコ講和会議で一大演説をさせた、日本の深い精神性はどうなってしまったのか?」というわけです。 当時はすでに日本人は海外から「エコノミック・アニマル」と呼ばれるようになっていました。1970年代、80年代の経済成長、そしてバブルに至る道を思い返してみれば、そこには明らかに経済至上主義による社会の単一化がありました。 ジャヤワルダナのエピソードをたどっても、やはり日本にも、昭和20年代前半には、複線の社会(経済人としての線、徳を積んで人間的な成長を人生において求める宗教人としての線)があったことがわかります。しかしその後、経済成長とともに、宗教を手放していったのです。 日本では、宗教や精神性がもっと身近にあったし、こころの中心にもあったのです。 しかしそれが失われたように一見見える現代においても、その複線社会を甦らせるのに遅すぎることはありません。ぼくは、日本人はいまこそ宗教に向かい合うべきときだと思います』、「経済至上主義による単一化で崩れてしまった日本の「複線社会」、というのは問題だが、無宗教の私には、「日本人はいまこそ宗教に向かい合うべきときだと思います」には違和感がある。経済VS宗教、以外にももっと軸があるような気がする。

次に、筑波大学名誉教授の河合 忠彦氏が10月30日付けPRESIDENT Onlineに掲載した「サムソン覇権を許した日本大企業の真の"戦犯" "失われた30年"日本企業の失敗本質」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/30027
・『「失われた30年」で、日本企業は敗北したのか?  日本経済にとって、平成時代は「失われた30年」でした。1989(平成元)年の日本の1人当たり名目GDPは世界第4位でしたが、2018(平成30)年には第26位に後退。この間の増加率は約58%で、同期間に約174%も増加したアメリカに比べ、率直に言って見劣りするものでした。 その要因は複合的ですが、目につくのは日本の大企業の没落です。89年には世界の企業の時価総額ランキング上位50社の中に、日本企業は32社ありました。それが18年、ランキング入りしていたのはトヨタ自動車の1社だけです。 そのひとつの象徴が、日本のエレクトロニクス産業の敗北でした。私の考える「敗北」とは、事業の赤字が続くこと、ないしは事業を縮小・撤退することです。スマホで負け、有機ELで負け、GAFAには及びもつかない。5G技術にしても、蚊帳の外です。 こうした現状が生じたのは、1990年代から2010年ごろにかけての薄型テレビ戦争で、日本メーカーが敗れてお金がなくなったことに起因します。結果、薄型テレビに続くスマホや有機ELなどの次世代製品の開発で後れをとり、GAFAのようなプラットフォームビジネスや、5Gのようなさらに次世代のテクノロジー競争にも置き去りにされてしまいました』、確かに電機業界の「敗北」ぶりは目を覆いたくなるほどだ。
・『「失敗の本質」を分析・把握し、克服する  日本経済が再び輝きを取り戻すためには、各企業が薄型テレビ戦争における「失敗の本質」を分析・把握し、克服する必要があります。一言で言えばそれは、トップ・マネジメント層の戦略の失敗(とりわけ、環境の変化に適切に対応する「ダイナミック戦略」の失敗)と、経営者の選任等におけるコーポレート・ガバナンスの欠如です。 まず、前者の失敗について説明しましょう。薄型テレビにおける日本企業の戦略の失敗は、大きく2つのカテゴリーに分けられます。1つは、最初はうまくいっていたのに、環境変化に伴う戦略の転換に失敗したパターンで、シャープとパナソニックがそれにあたります。もう1つは最初から苦労し、その後も傷が深くなるばかりだったパターンで、ソニー、東芝、日立製作所、パイオニアが該当します。 シャープは液晶の開拓者であり、当初は技術的に業界の先端を走っていました。一方で企業規模は比較的小さく、大量生産のための設備投資を機動的に行えるほどの体力はありません。そこで同社は技術力による差別化を戦略の核に置き、「亀山モデル」に象徴されるような大画面化や画質の向上に邁進しました。当初のうちはうまくいきましたが、他社もだんだん技術的にキャッチアップし、結局は価格競争に巻き込まれることを避けられませんでした。 パナソニックは液晶技術で後れを取っていたため、大型画面では液晶より有利とされていたプラズマディスプレイに経営資源を集中し、大規模生産でコストダウンを行って勝負に出ました。ところが、シャープをはじめとする液晶メーカーが徐々に大画面化に成功したため、消費電力や価格競争力で勝る液晶との競合が始まってしまいます。 そして両社に共通するのが、薄型テレビ市場がまさに飽和しつつあったタイミングで、それまでの戦略を転換すべく、大規模な工場を造ってしまったことです。その投資が重荷になっていたところに、08年のリーマン・ショック、さらに12年の家電エコポイント終了による需要減が起きたことで、より「負け」の傷を深くしました。 この2社以外の企業は、参入戦略の誤りや技術的な出遅れ、過去の成功体験や自社の技術力への過信、市場環境の変化に合わせた戦略転換の失敗などから、終始勝ち目の薄い戦いを強いられ続けました。そしてすべての日本の薄型テレビメーカーに共通することとして、先任社長が後継社長を選任した結果、前社長の影響力が残り続けるというコーポレート・ガバナンス上の問題が、戦略の適切な転換を妨げたことも指摘せざるをえません。「赤字続きだが前社長からのプロジェクトだから継続せざるをえない」といった案件が、どれだけ日本のメーカーの体力を削いできたことでしょうか』、「「失敗の本質」を・・・一言で言えばそれは、トップ・マネジメント層の戦略の失敗・・・と、経営者の選任等におけるコーポレート・ガバナンスの欠如です」、その通りだろう。
・『サムスンが覇権を握った理由  一方で、日本企業が苦闘する中、薄型テレビ戦争で覇権を握ったのが韓国のサムスンでした。サムスンは当初、シャープのように技術的に先行していたわけではなく、薄型テレビへの参入時は生産能力の増強による低価格戦略を基本としていました。では、何がその後の明暗を分けたのでしょうか。 液晶技術の進歩によって、業界全体が価格競争に巻き込まれ、先進国の需要がほぼ飽和しつつあった、という市場環境はサムスンにとっても共通でした。しかし、日本企業が低価格戦略(パナソニック)か技術による差別化戦略(シャープ)のいずれかに固執し、機動的な戦略転換に失敗したのに対し、サムスンはデザインやマーケティングによる差別化を含めた、柔軟な競争戦略を行いました。欧州市場で大ヒットしたワイングラス形シルエットの製品や、省エネをうたうLEDバックライト(技術的には比較的単純で、コストも大してかかりません)の製品などを開発し、市場で勝利したのです。 日本企業が無謀な設備拡大に走ったのに対して、ソニーと合弁でパネル生産会社を設立し、新興国市場向けの中型画面製品の需要拡大に合わせ、あえて最先端でない(ただし生産効率が高くて設備投資も安くすむ)生産設備の拡充を行うなど、パネル戦略の転換についても柔軟でした。日本とせいぜいアメリカ市場ばかりを見ていた日本企業に対し、サムスンが中国や南アジア、ブラジルなどを含む、よりグローバルな市場をとらえて戦略を立案していたことも一因でしょう。 この差が何から生まれるかといえば、やはりマネジメント層の戦略立案能力が、日本企業に比べてきわめて高かったからだと言わざるをえません。技術畑出身の経営者が多く、戦略の話をしたら上司に叱られたという話を日本メーカーの方から聞いたことがあります。一方、サムスンにはMBA取得者らによる「参謀本部」のようなものがあり、戦略立案とその遂行能力は日本企業の比ではありません。サムスンが日本企業との合弁や日本人技術者のヘッドハンティングを通じて、日本メーカーの技術を相当に吸収したのは事実です。しかし、薄型テレビ市場でシェアトップに押し上げたのは、最終的には経営戦略の優位性にあったと私は考えます』、「技術畑出身の経営者が多く、戦略の話をしたら上司に叱られたという話を日本メーカーの方から聞いたことがあります」、事実であれば救いようがない。「サムスンにはMBA取得者らによる「参謀本部」のようなものがあり、戦略立案とその遂行能力は日本企業の比ではありません」、彼我の差は極めて大きそうだ。
・『モノとプラットフォームを組み合わせて戦略  今後、日本のメーカーが再び輝きを取り戻すためには、これまで苦手としてきた企業戦略の部分、具体的には市場環境の変化に柔軟に対応する「ダイナミック戦略」の強化が不可欠です。競争戦略理論の古典であるポーター理論では、コストリーダーシップ戦略と差別化戦略は二律背反とされていますが、その両方を柔軟に組み合わせることは可能です。安くて品質がよく、ブランディングも巧みなユニクロは、その好例でしょう。また、GAFAのようにモノではなくプラットフォームベースで戦略をつくっていく、あるいはモノとプラットフォームを組み合わせて戦略を立てる方向もあるはずです。 そのためには、サムスンのように戦略立案に特化した参謀本部をつくるのも1つの手です。また、コーポレート・ガバナンスを強化して、前社長の戦略が惰性で継続されるような状況を防ぐことも必要でしょう。少なくとも中堅レベル以上の社員が競争戦略を理解するような土壌ができれば、そうした社員に見られている経営陣の緊張感も変わり、日本企業の戦略力は大きく向上していくはずです』、このほかにも日本企業が「カイゼン」という逐次的改革を重視し過ぎ、「競争戦略」を軽視してきた咎が出ているようだ。一刻も早く競争力を取り戻してほしいものだ。

第三に、健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏が10月29日付け日経ビジネスオンラインに掲載した「チームワーク至上主義の誤解と「ONE TEAM」の奥義」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00046/?P=1
・『ワールドカップ ラグビー日本代表はカッコよかった。鍛え抜かれた強靭(きょうじん)な肉体と自分たちを信じる力。本当にカッコよかった。「どこの国籍だかわからないヤツらばかりで、応援する気がしない」「見た目がね…」とディスっていた人も、きっと感動したはず(参考 「世界最低レベルの外国人受け入れ寛容度、ニッポンの末路」)。 しょっぱなから個人的な話になってしまうけど、父がラグビーを大学時代にやっていたので子供のときからゲーム観戦に連れていかれたり、私の母校が花園にも出場するラグビーの強豪校だったたりしたのでワールドカップは最初から見る気満々だったけど、ここまでのめり込むとは……自分でも驚いている。 録画したゲームを繰り返し見ても飽きないし、スコットランド戦の後半20分を見るたびに勇気がでる。よし、頑張ろう! まだまだできる!とやる気スイッチが押されるのだ。 いかなるスポーツの祭典も私たちに感動と勇気をくれるものだが、なぜ、ここまで日本代表に魅了されてしまうのか?』、河合氏がもともと「ラグビー」と縁があったとは初めて知った。
・『ラグビー日本代表に理想の信頼関係を見た  私は「ONE TEAM」「信頼」という、私たちの内部に組み込まれた人類の原点を彼らが具体的に見せてくれたからだと考えている。 メンバーが一丸となり、それぞれのメンバーすべてがMAXの力を発揮して活躍し、互いに信頼し合っているのを肌で感じ、たとえスーパースターになれなくとも、自分もあんな風にMAXの力を発揮したい。皆、ああいうチームのメンバーになりたい。そう願ったのではあるまいか。 状況が厳しければ厳しいほど、誰もが自分ができることを探し、互いが依存しあいながらも、それぞれが自立して動く。少々大げさな解釈になってしまうけど、そういった人類の歴史は私たちの深部に刷り込まれていて、日本代表の勇姿が「その部分」を刺激したのだ。 昨今の競争社会では「個の確立」だの「自立」だのという言葉ばかりが飛び交うけれど、人類は他者と協働することで生き残ってきた。社会的人間である人間にとって、唯一無二の「個」などファンタジー。「個」と「依存」を対極に取って捉えるのではなく、共存させることで真のチームは成立する。 会社=COMPANY(カンパニー)はそのために存在し、個と個のつながりを育むのが、会社での“時間”であり“空間”である。 “The whole is greater than the sum of its parts.(直訳:全体は部分の総和に勝る)”というアリストテレスの名言は、まさに人間の本質なのだ。 というわけで今回は「チームと信頼」についてあれこれ考えてみようと思う』、「人類は他者と協働することで生き残ってきた。社会的人間である人間にとって、唯一無二の「個」などファンタジー。「個」と「依存」を対極に取って捉えるのではなく、共存させることで真のチームは成立する」、その通りだろう。「全体は部分の総和に勝る」、が「アリストテレスの名言」だったというのは初めて知ったが、噛みしめがいがある言葉だ。
・『チームワークやチーム力が、社会学や組織心理学で礼賛されるようになったのは1970年代後半以降とされている。 その火つけ役の一つが、日本のサラリーマンだ。 敗戦国でありながら、次々と「メイド・イン・ジャパン」の技を創出。世界の人々を驚かせた日本企業はどんどん成長し、日本は経済大国の一つになった。 それまでは研究者の関心はもっぱら個人主義、独立志向が高い米国だった。ところが、欧米のストレス研究者たちは「なぜ、日本のサラリーマンはあんなに元気なのか? なぜ、あんな技を次々と生み出しているのか?」と日本企業への関心を高めた。 その一人が日本企業を支える“経営の三種の神器”として、「終身雇用、年功制、社内組合」を挙げた米国の経営学者ジェームズ・C・アベグレンだ。終身雇用や年功制は、今では諸悪の根源のごとく言われているけど、実はこれらがすべての人間に宿る「たくましさ」を引き出す経営手法だとしたのである。 アベグレン博士が日本型経営のプラス面を世界に発信した背景には、人をコストと考え、レイオフを当たり前のように行っていた競争第一主義の米国企業に「本当にそれでいいのか? もっと人の強みを引き出す経営手法があるのではないか?」と警鐘を鳴らすことが目的だったとされている』、「チームワークやチーム力が、社会学や組織心理学で礼賛されるようになったのは1970年代後半以降とされている。 その火つけ役の一つが、日本のサラリーマンだ」、「日本企業を支える“経営の三種の神器”として、「終身雇用、年功制、社内組合」を挙げた米国の経営学者ジェームズ・C・アベグレンだ。終身雇用や年功制は、今では諸悪の根源のごとく言われているけど、実はこれらがすべての人間に宿る「たくましさ」を引き出す経営手法だとした」、確かに思い出した。
・『米国流雇用の見直しから始まったチームワーク研究  いずれにせよ「終身雇用」のもともとの言葉は「Lifetime Commitment」。終身雇用から受けるイメージとは、ちょっとばかり異なる。「雇用」だとパワーが圧倒的に雇う側に委ねられている感じだが、「Lifetime commitment」だと「あなたの人生に関わらせてね」といった優しいニュアンスがある。 つまるところ、アベグレンは「企業」の本質は単なる市場労働の場ではなく、社会組織であり、リソースであり、そこで働く人たちが安全に暮らせるようにすることが最大の目的だと説いたのである。 もっとも米国ではそれからも働く人を非人格化した経営手法を続ける企業が後を絶たなかったわけだが、確実に「チームワーク」に着目する研究者は増えた。社会学や政治学などの分野で研究されていたソーシャル・キャピタル(社会関係資本)という概念が、企業経営で注目されるようになったのもその延長線上にある。 企業のソーシャル・キャピタルの重要性を説いたドン・コーエンとローレンス・プルサックによる「IN GOOD COMPANY」(邦題『人と人の「つながり」に投資する企業』)は日本の大部屋主義や給湯室など、日本企業にかつて存在した「人がつながる空間」に言及し、さらには来るべきSNS社会での働き方にまで思慮を巡らせた名著だ。 そういったチームワーク礼賛主義の流れの中で、「人はチームワークが苦手」という、これまた「確かに!」と多くの人がうなずく論説を打ち出したのが、チームワーク研究の第一人者の一人、リチャード・ハックマン博士である。 ハックマン博士いわく「ただ単にチームのこだわりだけではチーム力は発揮できない。メンバーたちのポテンシャルを生かすことができない」と。「世間ではチームをめぐる問題の原因と結果の順序を逆にとらえている」と指摘した』、どういうことなのだろう。
・『目標共有と達成感がチームを進化させる  具体例として挙げたのが、交響楽団を対象にした調査だ。 ハックマン博士いわく、個々がチームに多少の不満を抱えているオーケストラの演奏の方が、メンバー全員が満足しきっているオーケストラのパフォーマンスよりも優れていることが分かった。チームメンバーたちが「最高の結果を残したい」という目標を共有できていると、「もっと自分にできることはないか?」とおのおのが努力する。その結果として、いい演奏ができた時に「このチームのメンバーでよかった」と満足感が得られ、さらに「チーム力」は進化していたのである。 もちろんその前提条件として、リーダーが「チームづくり」にこだわり、絶対的な方向性を示すことが必要不可欠。リーダーは「チームとしていい結果を出すこと」にこだわり続ける必要があり、その熱がメンバーに伝わったときに初めて、個々人が自分に足りないこと、自分がやるべきことに向き合うことができる。 それはまさにラグビー日本代表を率いたジェイミー・ジョセフHCが掲げた「ONE TEAM」であり、「ベスト8進出」という日本代表の目標だった。リーダーの一貫した揺るぎない姿勢は、チームの価値観とルールになる。 同時に、チームメンバー全員に「自分が参加している」という感覚を持たせることもリーダーの大切な仕事だ。 ワールドカップ日本代表チームのロッカールームには、ジェイミーHC(ヘッドコーチ)からのメッセージが、メンバー一人ひとりのロッカーに張られていた。おそらく彼は彼がHCに就任してからも常に、リーダーとして、個々のメンバーと向き合い「アナタは必要な存在だ」というメッセージを送り続けたのではないだろうか。 とはいえ、メンバーが増えれば増えるほど、リーダーの思いは届きづらくなるという側面もある。人が「一人の人」と日常的に向きあえるのはせいぜい10人。最適な人数は6人という調査結果もある。 日本代表はその点もクリアしているのが、これまたすごい。 報道されているとおり、リーチ・マイケル主将を筆頭に、プロップの稲垣啓太選手、ナンバーエイトの姫野和樹選手、フランカーのピーター・ラブスカフニ選手、スクラムハーフの田中史朗選手、スタンドオフ田村優選手、ウイングの松島幸太朗選手らに、リーダーとしてチームのかじ取りを任せた。 そして、それぞれのリーダーのもと、少人数のミーティングを繰り返し行い、メンバー一人ひとりが発言し、現状の問題点や今後の課題を話し合うことで、「ONE TEAM」という価値観を浸透させていったのだ』、オーケストラでは「チームメンバーたちが「最高の結果を残したい」という目標を共有できていると、「もっと自分にできることはないか?」とおのおのが努力する。その結果として、いい演奏ができた時に「このチームのメンバーでよかった」と満足感が得られ、さらに「チーム力」は進化していた」、ラグビー日本代表は、「それぞれのリーダーのもと、少人数のミーティングを繰り返し行い、メンバー一人ひとりが発言し、現状の問題点や今後の課題を話し合うことで、「ONE TEAM」という価値観を浸透させていったのだ」、ここでラグビーに結び付けた筆力はさすがだ。
・『「もの言える空気」は上から下へと伝わる  自分の意見を聞いてくれる「人」がいるからこそ人は発言する。「こんなこと言っちゃいけないんじゃないか」という心配をしなくてもいい「空気」があるからこそ、人は言いづらいことや失敗を言うことができる。 そういった空気が生まれるのはリーダーがメンバーをリスペクトするからであり、そのリスペクトをその下の小グループのリーダーが肌で感じることで、小グループのメンバーにもリスペクトが生まれる。上から下、下から横に「いい空気」が伝染し、初めてチーム全体の空気感が出来上がっていくのである。) 10年ほど前になるが、清宮克幸氏(現日本ラグビーフットボール協会副会長)をインタビューさせていただいたことがあった。 数々の金字塔を打ち立ててきた清宮氏だが、そのきっかけは早稲田からサントリーに入り、キャプテン失格になったことだと話してくれた。 清宮氏はサントリーに入社後、「こんな練習をやっていたら日本一なんかなれない。俺にキャプテンをやらせろ!」と25歳のときにキャプテンに就任する。 ところが出る試合出る試合負けばかり。27歳までキャプテンをやり続けたが一度も勝てなかった。で、キャプテンをやめた翌年、全国社会人ラグビーでサントリーは優勝する。 「やっと俺が間違っていた、俺に足りないものがあったと受け入れられました。結局、『俺が俺が』ってとにかく独りよがりだった。なんでも自分でできると過信していたんです。チームは組織。組織が機能するチームにしないとダメ。自分でできることは限界があることに気づいたんです」(清宮氏)。 どんなにリーダーが優秀でも、リーダーシップを発揮するにはフォロワーであるメンバーたちの力が不可欠。チームにはチームワークを発揮させる仕組みが必要であり、チームの力はリーダーの価値観がクモの巣のようにチームに張り巡らされ、クモの巣から誰一人として漏れない組織がつくられて発揮できる』、清宮氏がこんな挫折を経験していたとは初めて知った。
・『真の競争力は個々が信頼されるチームから生まれる  どんなに能力があろうとも、周囲と「いい関係」がない限り、その能力が生かされることはない。 人から信頼されている、愛されている、見守られている、認められていると認識できたとき初めて、人は安心して目の前の難題に全力で取り組むことができる。自らの行動に責任を持ち、自分の力を極限まで引き出す胆力が育まれる。 ラグビー日本代表はそんな人の本質を教えてくれたのだ。 そういえば、かの松下幸之助氏は、「和の精神とは、人と対立することを避けて、表面的に仲良くやっていくという意味での和ではありません。私たちが考える和の精神とは、まず皆が自由に正直に話し合い、お互いの意見や価値観に違いがあることを認め、その違いを尊重したうえで、共通の目標のために協力し合うという、相違や対立の存在を前提とする和なのです」と説いたが、これも真のチーム力の言葉ではないか。 最後に……。今回の日本代表の躍進をさらに理解するためにオススメの映画を2つ。「ブライトンミラクル」と「インビクタス」。映画界の回し者ではありませんが、学びが多い映画なのでこの機会にぜひ』、松下幸之助氏の「和の精神」もなかなか含蓄のある言葉だ。
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