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宗教(その3)(ユダヤ人に成功者が多いのは「タルムード」に理由があった、ビジネスにすぐに役立つ「イスラム教のしきたり」、知っておきたい! カトリックとプロテスタントの4つの大きな違い、プロテスタントの国のほうが「経済的にうまくいっている理由」) [社会]

宗教については、9月11日に取上げた。今日は、(その3)(ユダヤ人に成功者が多いのは「タルムード」に理由があった、ビジネスにすぐに役立つ「イスラム教のしきたり」、知っておきたい! カトリックとプロテスタントの4つの大きな違い、プロテスタントの国のほうが「経済的にうまくいっている理由」)である。

先ずは、元外交官の山中俊之氏が9月18日付けダイヤモンド・オンラインに掲載した「ユダヤ人に成功者が多いのは「タルムード」に理由があった」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/212304
・『アメリカ・ヨーロッパ・中東・インドなど世界で活躍するビジネスパーソンには、現地の人々と正しくコミュニケーションするための「宗教の知識」が必要だ。しかし、日本人ビジネスパーソンが十分な宗教の知識を持っているとは言えず、自分では知らないうちに失敗を重ねていることも多いという。本連載では、世界94カ国で学んだ元外交官・山中俊之氏による著書、『ビジネスエリートの必須教養 世界5大宗教入門』(ダイヤモンド社)の内容から、ビジネスパーソンが世界で戦うために欠かせない宗教の知識をお伝えしていく』、興味深そうだ。
・『ビネスマインドあふれる「タルムード」  「ユダヤ人は大金持ちで成功者が多い」「ユダヤ人は優秀だ」 こんなイメージを抱く人もたくさんいますし、実際にたくさんの成功者がいます。スターバックス、リーバイスの創業者はユダヤ人(ユダヤ系を含む)ですし、アインシュタインもユダヤ人。 世界人口のわずか〇・二五%のユダヤ人が、ユダヤ系を含めるとノーベル賞受賞者の二〇%を占めているといわれています。『フォーブス』の長者番付で常に上位を占めているのもユダヤ人です。 ユダヤ人がこれほどまでに優秀な理由は二つあると、私は考えています。 一つは、ヨーロッパで圧倒的に少数派であり、キリスト教徒でないために差別されていたから。政治家や官僚など、その国のメインストリームに行くことは難しく、ビジネスや金融、科学や芸術など自らの才覚で人生を切り拓こうとしていたためでしょう。 そしてもう一つ、とても大きな理由はモーセが伝えたユダヤ教徒の守るべき聖典の一つとされているタルムードの存在です。 宗教にはそれぞれ聖典がありますが、タルムードは他の宗教に比べて現実世界における成功や繁栄につながる内容がかなり多くあります。「ビジネスパーソンの指南書」たる要素すらあると感じます。 たとえば「学ぶことが大切だ。常に新しいことを学びなさい」などといった教えがあり、なにより特徴的なのが、約二〇〇〇年も前から生産性について述べられていること。「時間当たりの成果をちゃんと意識しなさい」と明記されており、驚きます。 差別されてメインストリームに行けない時点でいじけてしまいそうなものですが、ちゃんと学んで成果を上げる、これはタルムードのおかげと言っていいのではないでしょうか。 アメリカやイスラエルでスタートアップが多いのも、さもありなんです。他の宗教にも優れた教えがたくさんありますが、現代のビジネスパーソンに直結する教えがあるのはタルムードが一番と言えそうです』、「世界人口のわずか〇・二五%のユダヤ人が、ユダヤ系を含めるとノーベル賞受賞者の二〇%を占めている」、確かに凄いことだ。「学ぶことが大切だ。常に新しいことを学びなさい」、「時間当たりの成果をちゃんと意識しなさい」、などは現在でも成功に導く大事な人生訓だ。
・『ユダヤ教のお金感覚とは?  旧約聖書のレビ記、申命記には「異邦人に貸しつけるときは利子をつけても良いが、あなたの兄弟から利子をとってはいけない」という旨の記述があります。これは、親戚とユダヤ人以外からは利子をもらっていいということ。 キリスト教では利子は認められておらず、中世のヨーロッパ社会では、キリスト教徒がお金を貸して利子で儲けるというのは良くないこととされていました。 そこでユダヤ教徒が金融業を担ったという歴史から、「お金に強いユダヤ人」が生まれたと言われています。 「消費はいけない。投資をしなさい」とあるのも特徴的だと思います』、ベニスの商人のシャイロックをめぐるシェークスピアの話は有名だ。
・『ユダヤ教で押さえるべき戒律  律法がしっかりとあり、「ルールを守りなさい!」という主張の強さでは、ユダヤ教は5大宗教のうちトップと言っていいでしょう。 ユダヤ教には律法(ミツヴァ)が六一三あり、そのうち、「してはならない」というのが一年の日数と同じで三六五あります。それを厳しく守っている人たちとつき合うには、NGポイントを押さえておくことが重要です』、「してはならない」が365もあるというのは大変だ。
・『1 食事の戒律に気を遣わないのはNG  イスラム教がルールに厳しいことはよく話題になりますが、日本のビジネスパーソンがユダヤ人の取引先を日本でもてなすとしたら、イスラム教の人よりも難しいのではないでしょうか。 「カシュルート」と呼ばれる食事の規定ではヒレ、ウロコのないシーフードはNG。肉と乳製品を同時に使ったものもNGなので、チーズとサラミを使ったピザやチーズバーガーは無理です。 血の摂取禁止、蹄が完全に分かれ反芻する(食物を口で咀嚼し、反芻胃に送って部分的に消化した後、再び口に戻して咀嚼するという過程を繰り返すこと)四つ足の動物は食べて良いなどの規定もあります。そのため反芻しない豚はダメということになります』、「豚」が「反芻しない」、恥ずかしながら初めて知った。
・『2 「土曜日=安息日」と知らないのはNG  休日はビジネスパーソンにとって影響が大きく、スケジューリングの際は注意すべきです。安息日(シェバト)は土曜日で、イスラエルでも金曜日の夕方から土曜の夕方までの二四時間は完全に休み。ありとあらゆるものが止まるので、出張の際にはくれぐれもご注意を。 この安息日を単に休みの日と捉えてはいけません。安息日において大切なのは、「日常生活から離れ、本質的なことを深く考えること」なのです。安息日の存在にも、ユダヤ人が世界で活躍している要因があるようです』、「安息日において大切なのは、「日常生活から離れ、本質的なことを深く考えること」」、ダラダラ過ごしてはいけないようだ。
・『3 割礼について無知なのはNG  聖書であるモーセ五書には、「男子は割礼(注)をすべし」と何度も出てきます。男子の割礼はユダヤ教徒として必須のものと捉えられています。割礼について否定的な発言は絶対に避けるべきです』、(注)『旧約聖書』に記述があることからユダヤ教、イスラム教では信仰の一環として行われている。キリスト教圏でも衛生上の理由などで行われている場合がある。また、アフリカ・オセアニアの諸民族などでは風習として割礼が行われている(Wikipedia)

次に、同じ山中氏による10月20日付けダイヤモンド・オンライン「ビジネスにすぐに役立つ「イスラム教のしきたり」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/212836
・(冒頭省略)宗教と生活が一体化しているイスラム  イスラムは政治から生活までが宗教と一体化しています。彼らと仕事をしていくなら、食事や礼拝などの知識についてある程度押さえておきましょう。 実際にイスラム教徒とビジネスをするためにも役立ちますし、思わぬビジネスチャンスが生まれることもあります。ずいぶん前ですが、韓国のLGエレクトロニクスが、礼拝の際にメッカの方角がわかる携帯電話を開発し、人気を集めたことがありました。 今はスマートフォンのアプリに取って替わられているようですが、ムスリムがあまりいない韓国がムスリム向けのビジネスを思いつき、成功していたという点がとても面白いではありませんか。 何より教養とは、知らなかったことを新しく知ることで深まっていきます。さっそくイスラム教の生活習慣を見ていきましょう』、確かに面白そうだ。
・『注意したい! 礼拝とお辞儀の関係  イスラム教で特徴的なのは、何といっても礼拝(サラート)です。日本では、夕方の五時や六時に時刻を知らせる音楽をかける地域がありますが、イスラムの国ではモスクからアザーンと呼ばれる日本人にはまるで音楽のように聞こえる呼びかけがなされます。 礼拝は一日五回、人にもよりますがだいたい一五分から二〇分程度、メッカの方向に向かって祈ります。 ただし「礼拝は絶対その時間にやらないとダメだ」というのは誤解です。礼拝は未明、昼、日没前、日没後、夜の五回とコーランにより規定されていますが、現実はある程度柔軟で、夜、帰宅してからまとめて礼拝をしても構わないとされています。 私は神戸情報大学院大学で教鞭をとっており、イスラム教徒の留学生と遠出もしますが、次のアポイントメントに向かって地下鉄に乗っている時、彼らが「礼拝の時間です」と言い出して途中下車するようなことはありません。そのあたりは一般の常識で動いています。 ただし、普段オフィスで働いている時、イスラム教徒が「礼拝に行ってきます」と中座することは許されてしかるべきだと思いますし、配慮することも必要でしょう。 礼拝では「アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大)」と唱えながら、立ったり座ったりして祈りを捧げます。頭を下げるのは「神への絶対的な帰依」を示すもの。 だからこそ、イスラム教徒は人間に頭を下げることに抵抗があります。すぐにお辞儀をする日本人に対して違和感を覚える人も珍しくありません。イスラム教徒と仕事をする時は、お辞儀は極力控えておいたほうが良いでしょう。 また、イスラム教では、神の前での平等が大前提ですから、お客に対しても頭を下げることはありません。お客様は神様という日本との大きな違いです。物乞いもお金をもらっても特に頭を下げるわけではないのです。このあたりの考え方に、日本人ビジネスパーソンは違和感を持つかもしれませんが、イスラム教を理解するなかで慣れていくしかないでしょう。 ちなみに、日本人の目にイスラム教徒が宗教的に映るのは、独特の服装のせいもあると思います。女性は顔と手以外は隠すべきだと考えられています。 ただし、顔を全部覆うのはイスラム教というよりは、アラビア半島などその地域の習慣と捉えたほうが良いでしょう。イスラム教徒の男性が髭を生やしていることが多いのは、彼らが理想とするムハンマドを真似ているからです』、「頭を下げるのは「神への絶対的な帰依」を示すもの。 だからこそ、イスラム教徒は人間に頭を下げることに抵抗があります」、初めて知った。「イスラム教徒の男性が髭を生やしていることが多いのは、彼らが理想とするムハンマドを真似ているから」、もっと深淵な理由があると思っていたのに、拍子抜けだ。
・『モスクとイスラム芸術  イスラム教では偶像崇拝が禁止されたため、幾何学的装飾、文字装飾、植物の模様を使った装飾が発展しました。文字装飾と関連してカリグラフィー(書道)も優れたものが多く残されていますが、芸術にまで発展したのは、アラビア語文化圏と漢字文化圏のみの特徴です。 芸術としての書道がアラビア語と漢字で共通するというのは、私がイスラム教徒と文化について語る際の定番ネタです。世界各国の文化に合わせてネタを持っておくことは、ビジネスエリートに必須なのです。 どんな宗教であれ、その宗教施設を訪れることで、書籍やウェブとは違う形でその教えを“体感”することができます。 本来おすすめしたいのは聖地メッカ(カーバ神殿のあるマスジド・ハラーム)やメディナ(預言者のモスク)なのですが、イスラム教徒でないと街自体に入れません。私は、サウジアラビアのジェッダからメッカの街の入口手前まで行きましたが、そこには、日本語で「イスラム教徒以外立入厳禁」と書いてありました。その場で引き返したのは言うまでもありません。 また、もう一つの聖地であるエルサレム宮殿の岩のドームやアル・アクサーモスクはその手前までは行けますが、やはり内部は、イスラム教徒以外は立ち入り禁止です。 ここでは、非イスラム教徒の外国人でも入ることができるモスクやイスラム建築の代表的なものを挙げておきます。出張や旅行の際に、足を運んでみるといいでしょう。 イマームモスク(イラン・イスファハン)(サファビー朝ペルシャの首都であったイスファハンにあるイラン建築を代表するモスク。ペルシャンブルーの色使いは見事です。イスファハンは、一六世紀末にサファビー朝ペルシャの首都に定められ、「世界の半分」といわれるほど繁栄しました。 アヤソフィア(トルコ・イスタンブール)(もともとビザンツ帝国のギリシャ正教会の大聖堂でしたが、オスマン帝国の支配を受けてモスクに変容しました。ビザンチン建築とトルコ・イスラム文化が融合しています。 タージ・マハル(インド・アーグラ)(モスクではないが、ムガール帝国皇帝が妃のために建立した墓廟であり、インド・イスラム文化を象徴する建築物です』、「芸術としての書道がアラビア語と漢字で共通する」、確かにアラビア文字なら「書道」が普及しそうだ。
・『ラマダンはイスラムの“お正月”  「断食なんて大変ですね。ラマダンはつらいでしょう」 あなたは気を使ったつもりでも、こう言うのはNG。イスラム教徒は気を悪くします。 日本人には「ラマダン=断食をしなければいけないつらい時期」と修行のように捉えている人が多いと思いますし、確かに一ヵ月間、日の出から日没まで食事も水も断つのですから、肉体的にはハードです。 私もエジプトに住んでいた頃にトライしたことがありますが、飲まず食わずの日中に備えて、日の出前に起きて食事をするので睡眠不足にもなります。 英字新聞で、「アイスランドに住むイスラム教徒のつらいラマダン」という記事がありましたが、北欧にイスラム教が広まらなかったのは、春から夏の終わりには極端に昼が長くて夜が短いために、ラマダンがつらすぎることも一因ではないでしょうか。 ちなみに戦争に行っている人、妊婦、子ども、老人、病人、旅人はラマダンでも断食が免除されます。ラマダンで重要なのは、断食でみながひもじい思いをし、貧しい人を思いやることです。 ラマダンはまた、イスラム教徒にとって連帯感を強めるすばらしい一ヵ月です。「ラマダンカリーム! (ハッピーラマダン!)」という挨拶があるくらいで、イスラム教徒にこの挨拶をすると、間違いなく笑顔が返ってきます。 ラマダンの時期は「イスラム暦の第九月」と定められているので一〇日ほど毎年早まっていきます。年末年始ではないのですが、みなが集まるという意味で雰囲気は日本の年末からお正月にどこか似ています。 昼間はずっと我慢して、日没とともに家族みんなで集まって、大いにご馳走を食べて楽しく過ごします。 ラマダンが終わった後の祭りが、イスラム教最大の祭りであり、三日間続くイード・アル・フィトル。長年イスラム教徒とつき合った経験から、重要なアポイントメントはこのイード・アル・フィトルの時期を外すことをおすすめします。 なお、もう一つの重要な祭りが、巡礼月にあるイード・アル・アドハー(犠牲祭)で、その名の通り、家畜を供出します。 あなたがもし、ラマダンの時期にイスラムの国に出張に行ったとしても、ホテルなどでは多くの場合普通に食事ができます。 ただし、レストランの窓が覆われていたりついたてがあったり、食べている姿がまわりの人に見えないよう、お店側が配慮しています。特にイスラムで禁じられているお酒は、ラマダン時期には決してイスラム教徒の前で飲まないよう注意すべきでしょう』、「「断食なんて大変ですね。ラマダンはつらいでしょう」、「こう言うのはNG」、初めて知った。私がかつてアルジェリアを旅行した際に、ラマダン期間中に砂漠地帯に行って、食べるものを探すのに苦労した。幸い、パンのようなものが駄菓子屋にあって、助かった記憶がある。

第三に、同じ山中氏による9月26日付けダイヤモンド・オンライン「知っておきたい! カトリックとプロテスタントの4つの大きな違い」を紹介しよう。
・(冒頭省略)ルターの登場と「個人主義」の始まり  ローマ・カトリックと東方正教会に分かれて世界に広がっていったキリスト教は、一六世紀に大転換期を迎えます。これがよく知られた宗教改革です。先駆者であるウィクリフや処刑されたフスの後を継いだのが、マルティン・ルターです。 「聖書を解釈するのは教皇と聖職者の仕事。何もわからない一般人は、ありがたく教えてもらい、従いなさい」 ちょっと意地悪な言い方ですが、これが当時のローマ・カトリック。 そしてローマ・カトリックは「善行主義」ですが、善行にもいろいろあります。たとえばボランティア活動や恵まれない人への施しをローマ・カトリックは今も昔もとても大切にしていて、これは明らかに「善きこと」でしょう。ところが、当時は「ローマ教皇にドンと寄付する」といったことも善行に含まれ、さらに聖職者たちが絶対的な権力を握ったことで汚職や不正も横行していました。 ルターは、今のドイツに住む一司祭でしたが、大学で神学と哲学を学んだ知性派です。 「神と人が一対一で向き合うのが本来の姿ではないか」「大切なのは善行ではなく、信仰そのものではないか」 このように考えたルターは、腐敗したローマ・カトリック教会の改革を目的に、一五一七年に九五箇条の論題をカトリック教会に突きつけます。ルターは、悪いことをしてもそれを買えば赦されるという贖宥状の発行が、ローマ教皇の資金源になっている点も厳しく非難していました。 ローマ教皇の絶対権力に反発する人たちも、これに賛同。こうしてルターの主張からプロテスタントという宗派が確立していきます。プロテスタントとは「抗議」を意味するラテン語です。 このように書くと、ルターの主張がどんどん広まったという事実に注目してしまいますが、様々な文献をひもとくと、実際のルターの人生はいつ殺されるかもわからないというまさに命を懸けたきわどい戦いだったようです。 なぜなら当時、ローマ教皇に反対意見を表明することは、異端であり死刑を意味しました。ルターとほぼ同時代の科学者コペルニクスは、地動説を信じながら、聖書の天地創造の教えに反することからなかなか出版ができませんでした。 彼は、地動説を発表する書籍の原稿が到着した日に病死したので、弾圧に遭わずに済んだのです。 プロテスタントの広がりの背景には、当時の印刷技術の発展もありました。教会にたった一冊しかない外国語の聖書では、そもそも手に取る機会がないし、あったとしても読む気にならないでしょう。 ところが、自国の言葉に翻訳された聖書が印刷物として大量に出回れば、一般の人たちの識字率も上がっていきます。 たとえて言うなら、それまでのカトリックでは、神やキリストが「作家」であり、そのメッセージはローマ教皇や聖職者という「マスコミ」経由でしか得ることができませんでした。 情報にバイアスがかかっていても、真相はわかりません。ところが宗教改革をきっかけに、人々は自分で聖書を読める、つまり神からダイレクトに情報を得られるようになったのです。まるでネット社会の到来のようではありませんか。 ルターが掲げたのは「信仰主義」「聖書主義」「万人祭司」の三つです。 ざっくり言うと、神と一対一で対峙して信仰を大切にし、聖書を読んで自分なりに解釈し、主体的に行動すべきだという主張です。これは現代社会の個人主義のスタートと言っていいと思います』、「実際のルターの人生はいつ殺されるかもわからないというまさに命を懸けたきわどい戦いだった」、それでも当時のドイツの有力諸侯の庇護があったからこそ、異端者としての火あぶりを免れたのだろう。
・『ローマ・カトリックとプロテスタントの四つの違い  日本人から見ると、プロテスタントとローマ・カトリックは「同じキリスト教」に見えるかもしれません。ところが、キリスト教徒にとっては「違う宗教」と言ってもいいほど大きな違いがあります(ただし、第二バチカン公会議〈一九六二~六五〉以降、お互いの関係は近づいたともいわれています)。 たとえば、「カトリックからプロテスタントに改宗する」としたら、イスラム教に改宗するほどではないとしても、人生の軸が変わる大きな出来事です。東方正教会とカトリック、プロテスタントとの間でも同じでしょう。 ビジネスパーソンであれば、この違いは理解しておいたほうがいいでしょう。そこで詳しく論じる前に、わかりやすく象徴的な点をまとめておきます』、どんな違いなのだろう。
・『1 善行のローマ・カトリック、信仰のプロテスタント  カトリックは、どんな罪人も善行を積めば救われると考えます。ここで言う善行とは巡礼や寄付、ボランティアのことです。逆に、労働はややネガティブに捉えられており、蓄財には罪悪感すらあります。一方で、プロテスタントは、どんな罪人も信仰によって救われると説きます。当時、このようなルターの信仰義認説をまとめた「キリスト者の自由」がドイツで大ベストセラーになりました』、「カトリック」が「労働はややネガティブに捉えられており、蓄財には罪悪感すらあります」、現在の時代にはマッチしない面もあるようだ。
・『2 ゴージャスなローマ・カトリック、シンプルなプロテスタント  日本人がイメージする「教会」は、ステンドグラスやマリア像、宗教画で美しく飾られた尖塔を持つカトリックの教会だと思います。しかし、プロテスタントの教会は、簡素で装飾のないつくりが一般的です』、確かにその通りだ。
・『3 感じるローマ・カトリック、考えるプロテスタント  カトリックは、かつては聖書の自国語訳が認められず、神父の話や美術、音楽で信者に教えを説いてきました。神父によるミサをするのは基本的にカトリックだけで、プロテスタントにはありません(最後の晩餐に由来する聖餐式はあります)。こう考えるとカトリックは、神父の言葉や美術や音楽で神を「感じる」もの、プロテスタントは自分で聖書を読んで神について「考える」もの、と言ってもいいでしょう』、なるほど。
・『4 生涯独身のローマ・カトリック、結婚OKのプロテスタント  カトリックの神父は生涯独身で、プロテスタントの牧師は妻帯が認められているばかりか、女性の牧師も存在します。これは基本中の基本ですが、私は宗教について理解が浅い若い頃、大失敗をしたことがあります。あろうことか、マルタ出身のローマ・カトリックの神父に「ご結婚なさっていますか?」と尋ねてしまったのです! 今思い出しても恥ずかしくなるほどで、くれぐれも同じ轍を踏まないでいただきたいと願っています。 また、プロテスタントでは認められている離婚が、カトリックでは原則許されません(新約聖書には、離婚について大変ネガティブな記述があります)。実際には法律で認められている国が多いですが、フィリピンのように離婚が認められない国も残っています』、「カトリックの神父は生涯独身」が影響しているのか否かは不明だが、神父による少年hでの性的犯罪が広がり、「カトリック」の恥部になっているようだ。

第四に、同じ山中による11月25日付けダイヤモンド・オンライン「プロテスタントの国のほうが「経済的にうまくいっている理由」」を紹介しよう。
・(冒頭省略)大航海時代で世界に広がり近代を迎える  宗教改革によりプロテスタントの勢いが増すにつれて、カトリック側の危機感も高まりました。カトリック陣営には、当時、地中海世界で大きな力を持ったオスマン帝国と同盟を結ぼうとする意見すらありました。 オスマン帝国はイスラム教の帝国ですから完全に異教徒。それでも同盟したいというくらい、追い詰められていたのです。 一五世紀後半以降始まったスペイン・ポルトガルによる世界への大航海は、一六世紀の宗教改革によるカトリックの危機感に結びつき、世界各地へのキリスト教の伝播につながりました。中南米にカトリック教徒が多いのは、この大航海時代にスペインとポルトガルがやってきて植民地化したためです。 私は二〇一三年のフランシスコ教皇就任直後に教皇の出身国アルゼンチンを訪問したのですが、街のいたるところにフランシスコ教皇の写真が飾られており、アルゼンチンの人々が心から教皇就任を祝っていることを感じました。 ヨーロッパでは一六世紀から一七世紀にかけて多くの宗教戦争が起きました。一七世紀の三十年戦争はそのなかでも最大級のものでした。 宗教改革の影響で中南米に加えてアジアにも多くの宣教師が送られました。日本にもフランシスコ・ザビエルがやってきたことはよく知られています。 時代は大きく下りますが、一九世紀にアフリカがヨーロッパの植民地になるとキリスト教はアフリカでも信者を増やします。アフリカ大陸には、古来エチオピア正教会、エジプトのコプト教会など東方教会系のキリスト教がありましたが、その他の地域にも本格的に広がったのです。現在アフリカ大陸の南半分はキリスト教徒が多い地域になっています。 このように大航海時代と宗教改革を経ることで、ヨーロッパと地中海周辺の国々の宗教であったキリスト教が全世界的に広がるのです。 大航海時代とほぼ同時期のルネサンス時代には、神優位の時代から人間中心の時代への変化が起きました。プロテスタントの勢力拡大もあり、ローマ教皇の権威は落ちていきました。時代は合理主義・科学主義をベースとする近代に入っていったのです』、「日本にもフランシスコ・ザビエルがやってきた」、のが「宗教改革」が影響していたとは初めて知った。
・『プロテスタントの国が経済発展した三つの理由  ローマ・カトリックとプロテスタントの違いをより深く理解するには、現在のそれぞれの宗派の国を比較するといいでしょう。一六世紀のヨーロッパで力を持っていたスペインはカトリック。イタリアは当然のこと、フランスもカトリックです。 ルターを生んだドイツは、諸侯がバチカンに反旗を翻したこともあり、プロテスタントが広まりました(カトリックも相当残りました)。続いてオランダや北欧もプロテスタントに改宗します。 プロテスタントは、万人祭司の考えをとりますので、カトリックのローマ教皇のような最高権威的存在はありません。その一方で多くの分派があります。 そのなかで重要なのは、イギリスで生まれたイギリス国教会です。 一六世紀にイギリスは国王ヘンリー八世の離婚問題を機にローマ教皇と袂を分かちイギリス国教会(アングリカンチャーチ)が生まれました。国王の個人的な理由でできたイギリス国教会は、カトリックの影響が根強いプロテスタントという、なんとも微妙な立ち位置になっています。 「もっと純粋なプロテスタントであるべきだ」と王に抗ったのが清教徒(ピューリタン)革命で、イギリスを離れ、メイフラワー号でアメリカに入植した最初の人々は清教徒だったといわれています。 そのためアメリカは、プロテスタントの国となりました。アメリカが宗教的な国になったのには、この清教徒の存在が大きいのです。宗教の国アメリカでは、清教徒の他、メソジスト、バプティストなど多数のプロテスタントの宗派があります。 このように、現在の欧米はカトリックとプロテスタント、東方正教会に分かれているのですが、興味深いのが、「二一世紀の今、経済的にうまくいっている」とされる国々には、プロテスタントである国が多い点です。 「国の経済や財政に問題あり」とされているスペイン、イタリアはカトリック、経済危機に陥ったギリシャは東方正教会です。いったいなぜでしょう? ビジネスパーソンが押さえておきたいのは、なぜ、プロテスタントの国々が経済的に成功したか、その三つの理由です』、「イギリス国教会は、カトリックの影響が根強いプロテスタントという、なんとも微妙な立ち位置」、確かに国教会は、壮麗な儀式、司教や司祭などまるでカトリックと思ってしまうほどだ。「王に抗ったのが清教徒(ピューリタン)革命で、イギリスを離れ、メイフラワー号でアメリカに入植した最初の人々は清教徒だった」、というのも理解できる。
・『1 識字率  翻訳・印刷された聖書を自分で読むようになったプロテスタントの人々は識字率が上がり、さらに本を読んで勉強するようになりました。 たとえば、一七世紀オランダの絵画には、女性が本を読んだり、手紙を書いたりする姿が描かれますが、これはプロテスタントの識字率の高さを示すものと言えるでしょう。 一般庶民の知的レベルが上がったので、プロテスタントの国々は一八世紀の産業革命の波にうまく乗ることができたのです。 産業革命の担い手は工場で働く大量の労働者ですが、みんなで一緒に作業したり、新しい機械を使ったりするので、覚えることがたくさんあります。どんなに頭がいい人でも、一回聞いたくらいでは忘れてしまいます。 そこで文字に書いたマニュアルやハウツーができるわけですが、これを利用できるのは字が読める人だけです。 明治維新以降の日本が急速に近代化することができたのも、識字率が高かったからだといわれています。こうしてプロテスタントの国では技術力が上がり、技術力が上がるとともに経済発展していきました』、「一七世紀オランダの絵画には、女性が本を読んだり、手紙を書いたりする姿が描かれますが、これはプロテスタントの識字率の高さを示すもの」、確かにその通りなのだろう。
・『2 個人としての自立  プロテスタントは「万人祭司」という立場をとるだけに個人主義的な傾向が強くあります。 カトリックのローマ教皇のような「大元締め」がいないため、「自分なりに聖書を解釈し、自分がいいと思えばそれでいい」という人も少なくありません。 プロテスタントを代表する言葉に、ルターによる「私は立つ」というものがありますが、これは神の前で自分が主体的に動くという意味で、「自主的に考えて行動する」という現代の働き方に近いものです。 「指示待ちは良くない」などはビジネスエリートの常識ですが、これはプロテスタント的思考とも言えるのです』、「自主的に考えて行動する」、「指示待ち」が多い日本の若者にも爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだ。
・『3 「仕事=神の教えに従うこと」という概念  プロテスタントのなかのカルヴァン派は、ルターの二六歳下のカルヴァンが唱えたもの。 職業は神が与えたものであり、自分の仕事に専念することが修行であると説いたカルヴァンの『キリスト教網要』は広く読まれました。 あらゆる欲望を絶ち、禁欲的に働くことが救いになるとの考え方は、その後のプロテスタントの職業観に大きな影響を与え、禁欲的に働いた上での蓄財は罪ではなく、新たな事業に投資して良いという考え方は、資本主義の思想と親和性があります。 「働くことは良いこと」というのがカルヴァン派の仕事観であり、これがドイツ、イギリス、アメリカ、北欧の国々に影響をおよぼし産業革命につながった……。これはドイツの社会学者マックス・ウェーバーの説ですが、まさにその通りだと思います』、確かに「カルヴァン派の仕事観」は「産業革命」にとって重要な要素のようだ。
・『プロテスタントはビジネス書の読者に似ている?  キリスト教では、死後いったん仮の場所(仮の天国、煉獄〈カトリックのみ〉、地獄)で待機した後、千年王国を経て、神の教えに従って生きてきたかどうか最後の審判が行われ、天国か地獄へ行くことになっています。 マタイの福音書第二五章には、「(悪いことをした)者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかる」とあります。この天国と地獄を分ける思想は古代ペルシャで隆盛をみたゾロアスター教に由来するといわれます。 ローマ教皇の依頼を受けたミケランジェロは、バチカンのシスティーナ礼拝堂にある『最後の審判』にて、死後天国と地獄へ分かれる審判を受ける様子を描きました。イエスが審判をしており、左側が天国に昇天する人々、右側が地獄へ落ちる人々です。 これがキリスト教の死生観の基本なのですが、プロテスタントのカルヴァン派には「予定説」というものがあります。簡単に言えば「あなたが天国に行くかどうかは神によって定められている」というものです。 最初から「最後の審判」の結果は決まっていて、天国に行くか地獄に行くかは、生まれつき決まっているけれど、あなたには知らされていない。しかし、「自分は天国に行くんだ」という前提で、それに値するような禁欲的できちんとした人生を送りなさい……。 最初から決まっているなら「大丈夫、天国へ行けるし」とだらだら暮らしても、「どうせ地獄だ」とヤケになって好き放題やっても良さそうなものですが、「天国行きという前提で頑張りなさい」というのが予定説なのです。私なりに解釈すれば、これは上司が部下を励ます感じに似ています。「君には実力があるはずだし、絶対うまくいくと信じている。だから頑張れよ!」 いわば「やればできる子」という太鼓判を押すのです。すると部下はやる気を出して努力し、実際に成果を上げる……。 カルヴァン派には、また「天職」という概念があります。天に与えられた自分の本当の役割があって、それをまっとうしなさいということです。英語で天職は「Calling(神の宣告)」ですし、才能は「Gift(神の贈り物)」。余談ですが同じ才能でも「Talent」は職業的技術的に優れた能力で、「Gift」は天才的な能力とされています。 自分には天職がある。だからうまくいくと信じて頑張ろう……。これは何やら、ビジネス書や自己啓発書にあるポジティブ思考に似ています。ビジネスパーソンなら一冊は読んだことがあるであろうこれらのジャンルのルーツはアメリカですし、アメリカで一流といわれるビジネスパーソンは、日本人以上にハードワーカーという人が珍しくありません。 プロテスタントの考えをもとに経済発展した国々の死生観と、現代のビジネス書がつながっているというのは、なかなか興味深い推論ではないでしょうか』、「アメリカで一流といわれるビジネスパーソンは、日本人以上にハードワーカーという人が珍しくありません」、ピューリタンやユダヤ教の影響の強さを考慮すると当然なのかも知れない。
・『ローマ・カトリックの人生観とは?  カトリック教徒の死生観には、プロテスタントの一派のカルヴァン派が考える予定説はありません。彼らは善行をとても大切にしている一方、労働はどちらかというとつらい義務だと捉えています。 蛇にそそのかされて知恵の実をかじったアダムとエヴァが楽園を追われ、アダムは労働という苦しみ、エヴァは出産という苦しみを与えられた――カトリックの労働観の根底には、この旧約聖書の逸話が根強くあるのです。 「仕事は義務だからやらなきゃいけないけど、なるべく早く終えて遊びたい、休みたい」 イタリアやスペインに赴任した日本人ビジネスパーソンは、現地の人との働き方の温度差に驚きます。 カトリック教徒は宗教行事を家族でとり行うことを大切にしており、クリスマス、復活祭、家族の洗礼式は何をおいても優先されることが多いです。一般に安息日である日曜日も大切にしているので、そこは立ち入らないほうがいいでしょう。これはヨーロッパのみならず、中南米でもフィリピンでも、世界のカトリック教徒に見られる傾向です』、「カトリックの労働観の根底には、この旧約聖書の逸話が根強くある」、初めて知ったが、頷ける。
・『我が道を行くローマ・カトリック国のフランス  「経済的にうまくいっているプロテスタント、そうでないカトリック」というやや極端な区分けをするとき、例外となるのがフランスです。カトリックらしく休みはたっぷりとりますが、今のところ、国内の格差問題などはあるものの深刻な経済危機には陥っておらず、EUのリーダーであり続けています。その理由について、私の仮説は二つあります。 一つめは、フランスにはかつてユグノーと呼ばれるカルヴァン派がいて、その影響が残っているというもの。マックス・ウェーバーの著書には、ユグノーがフランス経済、資本主義の発展に貢献したという旨の記述があります。 二つめは、フランス革命という市民革命によっていち早く近代国家の基盤をつくった国であるために、政教分離の概念が非常に強く、カトリックの考えや価値観が政治や経済の場に直接的に出にくいこと。 この問題は奥深く、フランスの有識者や四〇年間フランスにかかわっている知人と議論をしても、なかなか結論が出ません。フランスに限らず宗教も文化も国のあり方も、単純化は難しいものだと改めて思います。 世界を理解するには、政治経済だけはなく、宗教、文化などを含め、深く広く考えることが必要なのです』、「フランス」を「我が道を行くローマ・カトリック国」、として、イタリア、スペインと同列に扱わなかったのは、さすがだ。
4つの記事を通じて、普段は縁遠い宗教が多少身近になった気がする。
タグ:ローマ・カトリックの人生観とは? (その3)(ユダヤ人に成功者が多いのは「タルムード」に理由があった、ビジネスにすぐに役立つ「イスラム教のしきたり」、知っておきたい! カトリックとプロテスタントの4つの大きな違い、プロテスタントの国のほうが「経済的にうまくいっている理由」) 我が道を行くローマ・カトリック国のフランス 3 「仕事=神の教えに従うこと」という概念 2 個人としての自立 1 識字率 イギリス国教会は、カトリックの影響が根強いプロテスタントという、なんとも微妙な立ち位置になっています プロテスタントの国が経済発展した三つの理由 2 ゴージャスなローマ・カトリック、シンプルなプロテスタント 1 善行のローマ・カトリック、信仰のプロテスタント ローマ・カトリックとプロテスタントの四つの違い 「知っておきたい! カトリックとプロテスタントの4つの大きな違い」 モスクとイスラム芸術 宗教と生活が一体化しているイスラム 「ビジネスにすぐに役立つ「イスラム教のしきたり」」 ルターの登場と「個人主義」の始まり 1 食事の戒律に気を遣わないのはNG ユダヤ教で押さえるべき戒律 ユダヤ教のお金感覚とは? 「ユダヤ人に成功者が多いのは「タルムード」に理由があった」 ダイヤモンド・オンライン 山中俊之 宗教 3 割礼について無知なのはNG 2 「土曜日=安息日」と知らないのはNG ビネスマインドあふれる「タルムード」 王に抗ったのが清教徒(ピューリタン)革命で、イギリスを離れ、メイフラワー号でアメリカに入植した最初の人々は清教徒だった プロテスタントはビジネス書の読者に似ている? ラマダンはイスラムの“お正月” 4 生涯独身のローマ・カトリック、結婚OKのプロテスタント 大航海時代で世界に広がり近代を迎える 「プロテスタントの国のほうが「経済的にうまくいっている理由」」 注意したい! 礼拝とお辞儀の関係 日本にもフランシスコ・ザビエルがやってきた 3 感じるローマ・カトリック、考えるプロテスタント
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