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”ひきこもり”問題(その6)(「人に迷惑」を異常に恐れる日本人の病理「甘える勇気」がなくて子供も殺害、いい子があっけなく「ひきこもり」化する原因 引き金は勉強優先の「勝ち組教育」、「引きこもり界」で今年起きた、エポックメイキングな出来事たち) [社会]

”ひきこもり”問題については、7月13日に取上げた。今日は、(その6)(「人に迷惑」を異常に恐れる日本人の病理「甘える勇気」がなくて子供も殺害、いい子があっけなく「ひきこもり」化する原因 引き金は勉強優先の「勝ち組教育」、「引きこもり界」で今年起きた、エポックメイキングな出来事たち)である。

先ずは、精神科医の和田 秀樹氏が7月16日付けPRESIDENT Onlineに掲載した「「人に迷惑」を異常に恐れる日本人の病理「甘える勇気」がなくて子供も殺害」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/29303
・『今年6月、元農水事務次官だった男性が44歳の長男を殺害するという事件が起きた。精神科医の和田秀樹氏は「元次官は子育ての悩みを誰にも打ち明けていなかったのではないか。自分ひとりで問題を抱え込むと、やがて心理的視野狭窄となってしまう。元次官には『甘える勇気』が足りなかった」という――』、和田 秀樹氏の鋭い分析が楽しみだ。なお、裁判での被告の発言は昨日の朝刊に掲載されていた。
・『東大法学部→農林水産事務次官→長男殺害の、残念すぎる末路  今年6月、東京大学法学部卒で元農林水産事務次官の熊沢英昭容疑者(76歳)が44歳の長男を包丁で殺害し逮捕された事件は、まだ記憶に新しい。 事務次官ということは、省庁での出世競争に勝ち抜いてトップになったということだ。東大を出たからといっても必ずしも、官僚のトップには立てるわけではない。この次官はエリート中のエリートにもかかわらず、なぜ実の息子を殺すなんていうバカなことをしたのか。 このニュースが耳目を集めたのは、息子が中学2年生くらいから家庭内暴力を始め、引きこもりに近い生活をしていたということもある。 ちょうど、「8050問題」が話題になっていた。5月28日、バス停にいた私立カリタス小学校の児童や保護者ら20人が殺傷された川崎殺傷事件。犯行後に自殺した岩崎隆一容疑者(51歳)が長年引きこもり生活をしていて、その面倒を80代の伯父夫婦がみていた。この事件をきっかけに、引きこもりが高齢化して50代となり、親が80代で破綻寸前の家庭がたくさんあるという8050問題についての報道が再燃したのだ。 元次官の息子殺しのケースは7040問題というほうが正確だが、高齢の親が中高年の引きこもりを殺したという点では、家庭の構造は8050問題と同じと言える』、川崎殺傷事件が今回の事件のきっかけの1つになったようだ。
・『「息子があの事件の容疑者のようになるのが怖かった」  44歳の長男は元次官の妻である母親に暴力をふるっていたという。事件当日は、家に隣接する小学校で運動会をやっており、これに対して「うるせぇな。ぶっ殺してやるぞ」と長男は騒いでいた。ここで口論が起こり、その際、元次官の頭に川崎の事件がよぎり、「息子があの事件の容疑者のようになるのが怖かった」「周囲に迷惑をかけたくないと思った」と供述したという。 多くの引きこもりの子、とくに家庭内暴力をふるう子を持つ親なら、あるいは、想像力のある人なら、この気持ちは痛いほどわかるかもしれない。 とはいえ、人を殺していいわけがない。裁判では情状酌量を受けるだろうが、殺人で執行猶予がつく確率は高くない。元次官は、その瞬間、やはりバカになったのだと私は思う。その心のメカニズムを考えてみたい』、私の場合は幸い「家庭内暴力」や「ひきこもり」とは無縁だったとはいえ、到底、他人事とは思えず、深く同情せざるを得なかった。
・『元事務次官のエリートは「バカ」になったのか  ひとつには心理的視野狭窄がある。 確かに川崎の事件はセンセーショナルなものだったが、引きこもりの子どもの多くはそうした凶悪な犯罪を起こさない。引きこもりの人は今、全国に100万人くらいはいると推定されているが、8050問題と言われるようなケースであんな大量殺人を起こしたケースはこれまでになかったのではないか。 元次官は農水省トップとして日常の仕事の中で各種統計にも触れていたはずだ。客観的な「数字」で状況を冷静に分析・判断する。複数のデータを照らし合わせて、事実を突き詰める……。息子を殺すという行為にはそうした理知的なものが一切含まれていない。 息子を生かしてはおけない。そんな気持ちに支配され、自分の恐れていることにばかりに目がいってしまう心理的視野狭窄の状況に陥ると、自分の考えや予想は100%正しいと思い込んでしまうことがある。その結果「殺人」という行動になってしまったのではないか』、「心理的視野狭窄」は悩みが深刻化すると起きやすいようだ。
・『「なぜ周囲に助けを求めなかったのか」  精神科医である私が不可解に思ったのは、元次官が「なぜ周囲に助けを求めなかったのか」ということである。私のクリニックは主に高齢者を対象とする。患者の中には、精神障害者の子をもつ親世代の患者もいるが、8050問題に当てはまる人がいるかどうかはわからない。これまでのところ、そうした事情を吐露する患者はいなかった。 一方、その逆はかなりの人数を診ている。要するに、老親の介護を抱え込みうつになってしまうようなケースだ。実際、これは8050問題と比較にならないくらいの悲劇を生んでいる。 介護をする子どもが高齢者の親に対して暴力を働いて殺したりケガをさせたりするケースは少なくないが、それ以上に多いのは、親を世話する子どもの側が介護うつとなるケースであり、中には自殺にまで発展する深刻なケースもある。 幸いなことに、私の患者には「介護殺人」「介護自殺」に関わった方はいないが、介護でうつになった方はかなりの数になる。とりわけ長年、親を在宅介護していて精神的にも肉体的にも限界にきているにもかかわらず、介護施設に親を預けることに対して強い罪悪感を抱き、自分が無理に無理を重ねダウンしてしまう事例が多い。また、介護保険を使った介護サービスを利用することにさえ抵抗感をもって、自分ひとりで介護を抱え込んでしまったケースもある。 これまで税金や介護保険料を払い続けてきたのだから、もっと「公」に頼っていいのに、あるいは周囲の人に頼っていいのに、それができなかったばかりにうつになり、共倒れの状況になってしまう』、確かにありそうな話だ。
・『誰にもSOSを出せぬまま30年間が過ぎた結果  おそらく、件の元次官も自分が元官僚という立場にあるという世間体や見栄などが災いして、周囲に弱みを見せたり、泣き言を言ったり、あるいは公的なサポートを受けることができなかったのではないか。 ある週刊誌の記事では、農水省時代の同期が、事件を起こす直前の元次官の様子に関するコメントを紹介していた。 「いつも通り、元気そうに見えましたけどね。息子さんと娘さんがいることは何となく知っていましたが、その時も特に家族の話はしていませんでした」(『週刊新潮』2019年6月13日号) かなり追い詰められた状況にいながら、人に一切弱みを見せることができなかったようだ。おそらく相談に乗ってもらう人もいなかったのだろうし、公的機関に相談に行くこともなかったのだろう。そんな日が、被害者が中学生の頃から30年も続いていたことになる』、何でも相談できるような大学時代の友人はいなかったのだろうか。「娘さん」は、婚約が息子が原因で破談となり自殺したというから悲惨だ。
・『なぜ日本人論の名著『「甘え」の構造』が読まれなくなったのか  これでは心理的視野狭窄が起こってもしかたない。ただ、これは子が親を看る、親が子を看る介護や面倒の話に限ったことではない。宗教学者の山折哲雄氏が以前、面白い指摘をしているのを目にした。 それは、戦後の日本を象徴する日本人論の2つのベストセラー『タテ社会の人間関係』(中根千枝著、1967年刊)と『「甘え」の構造』(土居健郎著、1971年刊)のうち、タテ社会のほうは今でも売れ続けているのに、『「甘え」の構造』のほうは2000年を境に読まれなくなったということだ。 要するにタテ社会は今でも続いているが、甘えを基盤とする社会が崩壊したのではないかという指摘である。 『「甘え」の構造』はタイトルから誤解されることが多いが、「甘え」を悪いものと考えるどころか、それができないことによって引き起こされる病理を問題にしたものである。素直に他人の好意を信じることができないから、すねたり、ひねくれたり、ふてくされたり、被害者意識を高めたりする。 確かに山折氏が指摘するように、2000年になる少し前くらいから、日本型の「終身雇用」や「年功序列」が悪い甘えの象徴とされ、「企業の系列」ももたれあいとか甘えとか言われて断罪された』、確かに「甘えを基盤とする社会が崩壊した・・・素直に他人の好意を信じることができない」のは事実だ。
・『セーフティネット「生活保護」受給者をたたく日本社会  さらに生活保護についても、もともとは不正受給が問題とされるべき議論が、いつの間にか「生活保護の人がワーキングプアの人より収入が多いのはいかがなものか」という論調に変化し、政府に頼る受給者に対するバッシングへとつながっていった。誰もが生活保護というセーフティーネットの世話になる可能性があるにもかかわらず、生活保護で国に食わせてもらっている人はけしからんという空気が醸成されたのである。 人に甘えることが許されなくなった事例は他にもある。昔は酒の席では、年齢や肩書に関係なく無礼講で言いたいことを言ってもいいことがあった。いわば「甘え」を認める文化だったが最近は、無礼講と口では言いつつ、その実、暗黙の了解があり、場の空気を壊す人間をKYなどと言って断罪するようになった』、「セーフティネット「生活保護」受給者をたたく日本社会」、も行き過ぎた困った問題だ。
・『逆に欧米では相互依存の重要性が強調されるようになった  皮肉なことに、日本が「甘え」から「自立」を目指す社会や文化に変貌している際に、欧米では相互依存の重要性が強調されるようになってきた。 私が90年代初頭のアメリカ留学中から学び続けているハインツ・コフートの自己心理学は心理的依存の重要性を説くもので、現在アメリカでもっとも人気のある精神分析理論である。自立を求めてつい無理をしがちなアメリカのエグゼクティブにこれが受けているようなのだ。 また、日本でも一世を風靡した「EQ(こころの知能指数)理論」でも、感情のコントロールと同時に重視されるのは共感能力であり、いい意味で「相互に依存する」ことが人間関係を豊かにする重要性が説かれている。 この応用編の理論の中では、暴君型のリーダーシップは古く、共感型リーダーこそあるべき姿として説かれている。またハーバードやMITのような名門大学で「共同研究のスキル」を教えるようになったことも紹介されている』、「欧米では相互依存の重要性が強調されるようになった」、日本はこの面でも遅れているようだ。
・『「嫌われる勇気」以上に「甘える勇気」が大事  これは道徳論ではなく、ひとりの能力では限界があるから、助け合える点は助け合って成果を高めようというアメリカ流のプラグマティズムに基づくものだ。 人に頼ることや救いを求めることが、日本社会ではとてもハードルの高いものになりつつあるが、そこで勇気を振り絞って、人に頼り救いを求めることで展望が開けることもあるはずだ。少なくともメンタルヘルスの改善を期待することができる。 今回の元次官の事件は、こうした「甘える勇気」の欠如がその根底にあると私は解釈している。それがないと、賢い人ほどメンタルにどんどん追い込まれ、うつ的症状になって本来の能力が発揮できなくなる。最終的には心理的視野狭窄を起こして、最悪の判断や行動をとってしまう。 「甘える勇気」があれば、メンタル面で健康度が上がって判断・決断も健全なものになる。また、人との協働によってパフォーマンスを向上させることができる。 今の日本人に、とりわけ頭のいい人がバカにならないために身に付けるべきなのは、「嫌われる勇気」以上に「甘える勇気」だと私は考えている。その理論や心の持ち方について詳しく論じた『甘える勇気』(新講社)という本を上梓したので参考にしていただけると幸いである』、「今回の元次官の事件は、こうした「甘える勇気」の欠如がその根底にあると私は解釈している」、和田氏らしい本質的な指摘だ。「今の日本人に、とりわけ頭のいい人がバカにならないために身に付けるべきなのは、「嫌われる勇気」以上に「甘える勇気」だ」、説得力溢れた主張で、全面的に同意する。

次に、精神科医の片田 珠美氏が9月18日付け東洋経済オンラインに掲載した「いい子があっけなく「ひきこもり」化する原因 引き金は勉強優先の「勝ち組教育」 」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/302368
・『子どもから親への家庭内暴力が、年々増えている。今年は、家庭内暴力に悩まされていた元農水省事務次官が、「他人に危害を加えないために」という理由でわが子を殺害したという事件も起こった。 2018年版「犯罪白書」によると、少年による家庭内暴力事件の認知件数の総数は、2012年から毎年増加しており、2017年は2996件(前年比12.0%増)であったという。こうした子どもによる家庭内暴力の最大の原因は何か。精神科医の片田珠美氏は著書『子どもを攻撃せずにはいられない親』で、「子どもをいい学校、いい会社に入れなければいけない」と思い込む「勝ち組教育」にこそ最大の原因があると説く』、これも面白い見方だ。
・『「勝ち組教育」にこだわる価値観  家庭内暴力のほとんどのケースで「親への怒り」が一因になっていることは間違いないだろう。親に怒りを抱かずに暴力を振るう子どもはほとんどいない。 では、何が子どもの怒りをかき立てるのか。もちろん、子どもへの暴力や暴言、無視やネグレクトもその一因なのだが、それだけではない。「いい学校」「いい会社」に入ることこそ幸福につながるという価値観にとらわれ、勉強を最優先させる「勝ち組教育」がかなり大きな比重を占めているという印象を私は抱いている。 不登校やひきこもりの若者たちの再出発を支援するNPO法人「ニュースタート事務局」代表の二神能基氏も、「『勝ち組』になるしか生きる道はない」という狭い価値観によって、子どもを追い込むような教育のあり方を問題にしており、「『勝ち組教育』がすべての根源」と主張している(『暴力は親に向かう――いま明かされる家庭内暴力の実態』)。 もちろん、どんな親でも「子どもを勉強のできる子にしたい」「子どもをいい学校、いい会社に入れたい」などと願う。この手の願望の根底には、子どもの幸福を願う気持ちだけでなく、「子どもを『勝ち組』にして自慢したい」「子どもが『負け組』になったら恥ずかしい」という気持ちも往々にして潜んでいるが、ほとんどの親は自覚していない。 こういう不純な気持ちも入り交じっているので、「勝ち組教育」にこだわる親は、子どものありのままの姿をなかなか受け入れられない。なかには、できの悪い子どもは自分の子とは思いたくない親もいる。 こういう親の気持ちは、口に出さなくても、以心伝心で子どもに伝わるものだ。もちろん、「なんでお前はできないんだ」と子どもに言う親もいるだろう。いずれにせよ、「勝ち組教育」にこだわる親によって子どもも洗脳され、「『勝ち組』になれなければ、だめなんだ」と思い込むようになる』、『勝ち組』なる言葉は、90年代後半ごろから、格差社会化が進んだなかで、広まりだしたようだ。
・『「いい学校」に入ったのに不登校に  それで一生懸命勉強して、うまくいっている間は問題が表面化することはない。だが、一握りの極めて優秀な人を除けば、ずっと「勝ち組」でいられるわけではない。いつか、どこかでつまずくときがやってくる。そういうとき、親の「勝ち組教育」によって洗脳された人ほど、なかなか立ち上がれない。 頑張って「いい学校」に入ったのに、ささいなきっかけで不登校になって長期化することもあれば、せっかく就職した会社を辞めた後、「いい会社」にこだわりすぎて再就職先が見つからないこともある。 これは、「『勝ち組』になるしか生きる道はない」という狭い価値観を親から刷り込まれてきたせいで、つまずいたときに、別の道を思い浮かべることも、探すこともできないからだろう。 仮に別の道を選んだとしても、それまでの自分を支えていた「勉強ができる」というプライドが災いして、「自分は『負け組』だ」というコンプレックスにつねにさいなまれる。それが、そこからはい上がろうとする気力をそぐこともある。 そういう事例を精神科医として数多く診察してきた。だから、「『勝ち組』になるしか生きる道はない」という価値観を子どもに押しつけ、狭い一本道に追い込んできた親は、自らの「勝ち組教育」のせいで立ち直れなくなった子どもが家庭という密室で暴力を振るい、暴君と化し、親を奴隷のように扱うようになったら、それを子どもからの復讐と受け止めるべきだと思う。 そして、自分が正しいと信じてきた価値観に疑問符を打たない限り、子どもの暴君化を止めることはできないだろう。 子どもが家庭内で暴君化すると、「家庭内ストーカー」になることもある。「家庭内ストーカー」は、精神障害者移送サービスの「トキワ精神保健事務所」を創業した押川剛氏によれば、「年齢は30代から40代が主で、ひきこもりや無就労の状態が長く続いている。暴言や束縛で親を苦しめる一方で、精神科への通院歴があることも多く、家族は本人をどのように導いたらいいのか、わからないまま手をこまぬいている」(『「子供を殺してください」という親たち』)というものだ。 もう1つの特徴として押川氏は、「本人に立派な学歴や経歴がついていること」を挙げている。「中学や高校からの不登校というよりは、高校までは進学校に進みながら、大学受験で失敗した例や、大学卒業後、それなりの企業に就職したが短期間で離職したような例が多い。強烈な挫折感を味わいながらも、『勉強ができる』という自負がある」(同書)』、「『勝ち組』になるしか生きる道はない」という価値観を子どもに押しつけ、狭い一本道に追い込んできた親は、自らの「勝ち組教育」のせいで立ち直れなくなった子どもが家庭という密室で暴力を振るい、暴君と化し、親を奴隷のように扱うようになったら、それを子どもからの復讐と受け止めるべきだと思う」、「子どもからの復讐」とは言い得て妙だ。
・『医者からも相談が多い「子どものひきこもり」  こうしたケースは、押川氏の事務所へもたらされる相談事例のなかで近年爆発的に増えているそうだが、私自身も同様のケースについて相談を受けることが少なくない。だいたい、知り合いの医者からの相談で、「子どもがひきこもっていて、家庭内暴力もひどい。どうしたらいいか」というものだ。押川氏の印象とは少々異なり、中学や高校で不登校になったケースが多いという印象を私は抱いている。 例えば、大きくなったら医者になるのが当然という雰囲気の家庭で育ち、小学校低学年の頃から中学受験のための塾に通って、私立の中高一貫の進学校に入学したものの、できる子ばかりが集まっている進学校では成績が下位に低迷し、そこで不登校になったケースがある。あるいは、名門大学の医学部への入学を目指して何年も浪人したが、どうしても合格できず、ひきこもるようになったケースもある。 医者以外の道を選んでも、それまでの自分を支えていた「勉強ができる」という自負が災いするのか、なかなかうまくいかない。もう一度大学受験に挑戦して医学部以外の学部に入っても、「あんなレベルの低いやつらと一緒に勉強するのは嫌だ」と言って中退したり、やっと仕事が見つかっても、「思っていた仕事と違う」と言ってすぐに辞めたりする。 当然、無就労の状態が長く続くわけで、結果的にひきこもりになる。そして、家庭内で「こんなふうになったのは、お前のせいだ」と何時間でも親を責め続けることもあれば、親を蹴ったり突き飛ばしたりすることもある。しかも、就寝中の親を起こして暴言を吐いたり、暴力を振るったりすることもあるので、親は慢性的な睡眠不足に陥り、心身ともに疲れ切る。 このような親子関係は、「親への執拗な攻撃、抑圧、束縛、依存、そして一線を超えたときには殺傷事件に至る」という点で、一般的な異性関係のストーカーと構造がよく似ているため、押川氏は「家庭内ストーカー」と命名したという。 暴君と化した子どもを見ると、なぜ親をここまで攻撃するのかと首を傾げずにはいられない。だが、子どもの訴えをじっくり聞くと、親がやってきたことに対するしっぺ返しとしか思えない』、「親がやってきたことに対するしっぺ返しとしか思えない」、というのも前のと同様、言い得て妙だ。
・『過干渉でも心の触れ合いがなかった  例えば、幼い頃から勉強を強要され、友達と遊ぶこともできなかったとか、成績が悪いと口をきいてもらえなかったとか、少しでも口答えすると、「親に向かってどういう口のきき方をするんだ!」と怒鳴られたという話を聞くことが多い。 また、子どもが挫折や失敗に直面したときには、親は慰めるどころか逆に「どうしてできないんだ」「どうしてそんなにだめなんだ」などと叱責したという話もしばしば聞く。 こういう家庭環境では、つねに緊張感が漂っていただろうし、子どもが安心感を得るのも難しかっただろう。したがって、子どもが「家庭内ストーカー」になった背景にはほとんどの場合、無自覚のまま子どもを攻撃したり、支配したりした親の存在があると私は考えている。 押川氏も、「家庭内ストーカーとして、『暴君』と成り果てている子供たちも、その生育過程においては、親からの攻撃や抑圧、束縛などを受けてきている。過干渉と言えるほどの育て方をされる一方で、そこに心の触れ合いはなく、強い孤独を感じながら生きてきたのだ」(同書)と述べている。 まったく同感だ。つまり、「親からの攻撃や抑圧、束縛など」への復讐として子どもが「家庭内ストーカー」になったという見方もできるわけで、親の自業自得と言えなくもない』、親としては、「子ども」のため、部分的には自己満足のために、「子ども」を「攻撃や抑圧、束縛した」のが、歯車が狂うと、「子ども」が「『暴君』と成り果て」るというのは、皮肉で、「親の自業自得と言えなくもない」、子育ては本当に難しいものだ。

第三に、ジャーナリストの池上正樹氏が12月12日付けダイヤモンド・オンラインに掲載した「「引きこもり界」で今年起きた、エポックメイキングな出来事たち」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/223161
・『「支援対象者は34歳まで」が撤廃された引きこもり支援  2019年の1年を振り返ってみると、「引きこもり界」にとっては、エポックメイキングな年だった。 象徴的だったのは、首都・東京都で起こった変化だ。小池百合子都知事は、19年1月、「ひきこもり支援」の担当部署を従来の「青少年・治安対策本部」から「福祉保健局」に移管することを明らかにした。 その背景にあったのは、都内で活動する複数の引きこもり当事者グループや、KHJ全国ひきこもり家族会連合会の都内の4支部によるロビー活動だ。それぞれの当事者グループは、従来の“ニート”時代の名残りの「支援対象者は34歳まで」とする年齢制限の撤廃と、ヒアリングすら行わなかった青少年・非行対策の部局から「引きこもり支援」を切り離し、政策決定の協議会の委員に多様な当事者を加えるよう要望した。 こうして都は19年度、福祉保健局地域生活課を所管として新たな支援協議会を立ち上げ、引きこもり経験者らでつくる当事者団体やKHJ家族会、社会福祉、地域福祉、保険医療、就労支援などの専門家がバランスよく名を連ねることになった。こうした都の動きは、従来の時代に合わない「若者就労支援」を続けていた都内の市区町村、地方自治体にも波及効果をもたらした。 3月末には、初めて内閣府が40歳以上の「ひきこもり」実態調査を行い、国としてもようやく推計115万人以上という全容が示された。そして、引きこもりという状態は、社会経験者が多勢を占めることなど、誰もがどの年代になってからでも何歳でも起こり得ることが明らかになった。 引きこもりになる要因は、人それぞれ違っていて多様であるものの、他人事の問題でも個人の責任でもなく、将来自分自身や自分の大事な人の身にも起こり得ることが、少しずつ認識されてきたといっていい。 5月末の川崎市の通り魔事件や、その後に起きた練馬区の元農水事務次官による長男殺害などの一連の事件も、大きな衝撃を与えた』、「40歳以上の「ひきこもり」実態調査を行い、国としてもようやく推計115万人以上・・・引きこもりという状態は、社会経験者が多勢を占めることなど、誰もがどの年代になってからでも何歳でも起こり得ることが明らかに」、改めて衝撃的な内容だ。
・『当事者や家族に大きな衝撃 川崎事件と練馬事件の教訓  特に川崎の事件では、死の会見後、メディアに「容疑者は引きこもり傾向にあった」と報じられたことから、社会不安を引き起こし、家族や当事者の間に動揺が広がった。 「うちの子も同じような事件を起こすのではないか」 そう家族は怯え、焦る一方で、引きこもる当事者たちの間でも、「世間の目が怖い」「犯人と同一視されている」「ますます外に出られない」などと、言いようのない恐怖に心が不安定になる人も続出した。 孤立した家庭ほど危機的状況に陥り、親たちは疲弊し、憔悴した。そうした親たちの不安な心に付け込むように、「引き出し屋」(注)と言われる「暴力的支援」業者が暗躍した。内閣が直接、「引きこもり支援」に乗り出すことになったのも、これまでにない初めてのことだ。 まず、一連の事件後の6月14日、厚労省社会援護局は各都道府県・指定都市のひきこもり支援担当部(局)長や、各自治体の生活困窮者自立支援制度主管部(局)長あてに、ひきこもり状態にある人たちや家族から相談があった際、本人たちの特性を踏まえた相談支援にあたっての基本的姿勢や留意事項を示し、それぞれに丁寧な対応を徹底するよう通知した。 この通知の背景には、多くの自治体では、40歳以上の引きこもり支援に目を向けてこなかったために、彼らが相談したくてもどこに相談すればいいのか「わからなかった問題」がある。また、せっかく勇気を出して相談にたどりついても、窓口の相談員に「親の育て方が悪い」「どうしてここまで放置してたの?」などと「親の責任を咎められるので行きたくなかった」という家族の声も多かった。 6月26日には、KHJ家族会と当事者団体のUX会議が、当時の根本厚労大臣に呼ばれ、意見交換会が行われた。「ひきこもり」というテーマで、それぞれの当事者団体が厚労大臣に呼ばれるのも、初めての出来事といえる。 そして政府は、2020年度から3年間にわたって集中的に取り組む「就職氷河期世代活躍支援プラン」を5月29日に取りまとめた。「ひきこもり(8050などの複合課題)支援」も、その中の支援対象に「社会とのつながりをつくり、社会参加に向けたより丁寧な支援を必要とする方(ひきこもりの方など)」として組み込まれ、7月31日には内閣官房に「就職氷河期世代支援推進室」も設置された。) 詳細は11月14日付の当連載の記事で確認してほしい。この「就職氷河期支援施策」のプログラム関連予算は、20年度概算要求1344億円という、国を挙げて予算や人を投入しようという大規模な事業だ。 11月26日には、当事者団体とKHJ家族会の代表が、総理大臣官邸で行われた「第1回就職氷河期世代支援の推進に向けた全国プラットフォーム」に出席し、安倍首相の前で意見を述べた』、(注)「引き出し屋」については、自立支援をうたって引きこもりの子どもを自宅から無理やり連れ出し、法外な料金を請求する悪質業者のこと(東京新聞6月24日夕刊)。
人の弱味につけ込んで、カネをむしり取るとは本当に悪質だ。公的支援の窓口が整備されたのはいいことだ。
・『「生きづらさJAPAN」運営者が語るつながることの重要性  そんななか、最近の潮流となってきたのは、『ひきこもりフューチャーセッション「庵 -IORI-」』という多様な対話の場が7年前にスタートして以降、ここでの出会いを通じて、当事者たちの発信活動が活発化していることだろう。 9月17日には、うつ病や発達障害、LGBT、引きこもり状態などの当事者4人が「生きづらさJAPAN」というサイトを立ち上げた(詳細は当連載の記事を参照)。 サイトを立ち上げた同団体代表のナオさんは、こう思いを語る。 「メディアなどで目立つ当事者会はわずかで、みんな居場所の情報を必要としていたし、ずっと前からニーズを感じてました。自分たちはウェブのスキルをたまたま持ち合わせているから、生かせないかなと思ったんです」 今年は前述のような一連の事件があり、皆の心が不安定になった。それぞれが直面する不安から、安心できる何かにつながりたい――。そんな関心は、孤立した当事者や憔悴した家族ほど強く持っていることを、筆者も実感している。 同サイトのPV(閲覧数)は、1日1000PVほどに上る。 「活動して思ったのは、孤独な当事者がたくさんいるということです。孤独から解消されるために、情報を追いかけている。つながることによって、孤独も少し和らぐ。それだけで、生きづらさも少し和らぐのでは、と思うんです」』、「つながることによって、孤独も少し和らぐ。それだけで、生きづらさも少し和らぐのでは」、その通りなのだろう。
・『当事者が「思い」を吐き出せる場所づくりを  人は誰でも、話に共感してもらえるだけで、不安が和らぐ。「自分は1人ではない」と思えるだけでも、追い詰められて行き詰まることを防ぎ、生きる希望が生まれる。ナオさんは、これからも思いを吐き出せるような読者投稿などの機能を充実させていきたいという。 「支援」を巡る問題については、次回以降、取り上げたい。 ※この記事や引きこもり問題に関する情報や感想をお持ちの方、また、「こういうきっかけが欲しい」「こういう情報を知りたい」「こんなことを取材してほしい」といったリクエストがあれば、下記までお寄せください。 Otonahiki@gmail.com(送信の際は「@」を半角の「@」に変換してお送りください)・・・』、ネットを通じた「「思い」を吐き出せる場所づくりを」が、果たして上手く機能するのか、注目していきたい。
タグ:(その6)(「人に迷惑」を異常に恐れる日本人の病理「甘える勇気」がなくて子供も殺害、いい子があっけなく「ひきこもり」化する原因 引き金は勉強優先の「勝ち組教育」、「引きこもり界」で今年起きた、エポックメイキングな出来事たち) 当事者が「思い」を吐き出せる場所づくりを つながることによって、孤独も少し和らぐ。それだけで、生きづらさも少し和らぐのでは 「生きづらさJAPAN」運営者が語るつながることの重要性 「引き出し屋」 当事者や家族に大きな衝撃 川崎事件と練馬事件の教訓 引きこもりという状態は、社会経験者が多勢を占めることなど、誰もがどの年代になってからでも何歳でも起こり得ることが明らかに 40歳以上の「ひきこもり」実態調査を行い、国としてもようやく推計115万人以上 「支援対象者は34歳まで」が撤廃された引きこもり支援 「「引きこもり界」で今年起きた、エポックメイキングな出来事たち」 ダイヤモンド・オンライン 池上正樹 過干渉でも心の触れ合いがなかった 親がやってきたことに対するしっぺ返しとしか思えない 医者からも相談が多い「子どものひきこもり」 「子どもからの復讐」 格差社会化 「いい学校」に入ったのに不登校に 「勝ち組教育」にこだわる価値観 「いい子があっけなく「ひきこもり」化する原因 引き金は勉強優先の「勝ち組教育」 」 東洋経済オンライン 片田 珠美 「嫌われる勇気」以上に「甘える勇気」が大事 逆に欧米では相互依存の重要性が強調されるようになった セーフティネット「生活保護」受給者をたたく日本社会 甘えを基盤とする社会が崩壊した なぜ日本人論の名著『「甘え」の構造』が読まれなくなったのか 誰にもSOSを出せぬまま30年間が過ぎた結果 もっと「公」に頼っていいのに、あるいは周囲の人に頼っていいのに、それができなかったばかりにうつになり、共倒れの状況になってしまう 「なぜ周囲に助けを求めなかったのか」 心理的視野狭窄 元事務次官のエリートは「バカ」になったのか 「息子があの事件の容疑者のようになるのが怖かった」 東大法学部→農林水産事務次官→長男殺害の、残念すぎる末路 「「人に迷惑」を異常に恐れる日本人の病理「甘える勇気」がなくて子供も殺害」 ”ひきこもり”問題 PRESIDENT ONLINE 和田 秀樹
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