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ハラスメント(その14)(佐野SA運営会社 元総務部長を再び解雇 労使対立深化、河合 薫氏2題:過去最多「大人のいじめ」を助長する傍観者の罪、パワハラ自殺送検で問われた「プロの上司」という仕事) [社会]

ハラスメントについては、昨年11月25日に取上げた。今日は、(その14)(佐野SA運営会社 元総務部長を再び解雇 労使対立深化、河合 薫氏2題:過去最多「大人のいじめ」を助長する傍観者の罪、パワハラ自殺送検で問われた「プロの上司」という仕事)である。

先ずは、昨年12月3日付け朝日新聞「佐野SA運営会社、元総務部長を再び解雇 労使対立深化」を紹介しよう。
https://www.asahi.com/articles/ASMD35V6CMD3ULFA02J.html?ref=newspicks
・『東北自動車道上り線の佐野サービスエリア(SA、栃木県佐野市)で売店などを運営するケイセイ・フーズ(同市)が、労働組合の加藤正樹執行委員長を解雇したことがわかった。 解雇は2日付。同社の書面などによると、加藤氏が取引先に対し本来支払うべき金額よりも少ない仕入れ代金を支払ったり、労使交渉の様子を撮影したデータを報道機関に渡したりしたため、総務部長としての「能力や適格性を欠く」とし、解雇には正当な理由があると主張している。 加藤氏は取材に対し、会社が挙げた理由は「支払い間違いはミスであり、速やかに修正した」「公益性があると判断した」などといずれも反論。解雇も「不当労働行為である」と語った。解雇の無効などを求めて同社を提訴するつもりだという。 同社では、突然の加藤氏の解雇(後日に撤回)をきっかけに労組が8~9月にストを実施。11月に2度目のストに踏み切り、労使が対立している』、このブログでは、10月27日、11月25日の2回にわたって取上げた。ケイセイ・フーズでは、経営権が佐野市内の建設会社に移り、社長も交代したようだ。しかし、「支払い間違い」などを口実に「解雇」したのは、労働組合潰しの不当労働行為であると、判断される可能性がある。委託元である東日本高速道路(NEXCO東日本)は相変わらず、高見の見物を続けるのだろうか。

次に、健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏が11月26日経ビジネスオンラインに掲載した「過去最多「大人のいじめ」を助長する傍観者の罪」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00050/?P=1
・『いじめ、モラハラ、パワハラ……、まっとうな“オトナ”の言動とは思えない事件が続いている。 神戸市立小学校で教諭4人が同僚をいじめていた問題では、やっと、本当にやっと警察が動き始めた。 発覚当初から「いじめじゃなく、暴行・虐待と表現すべきだ!」というメディアの報じ方に疑念を抱いていたが、18日に兵庫県警が暴行容疑などでの立件の可否を検討するため加害教諭への任意の事情聴取を始めたそうだ。 また、プロフィギュアスケーターの織田信成さんが、関西大アイススケート部監督を辞任したのは同部コーチの浜田美栄さんからモラハラを受けていたことが原因だとして、慰謝料など1100万円の損害賠償を求める訴えを大阪地裁に起こした。 訴状によれば、織田さんが監督に就任する前から無視されるなどのモラハラを受け、就任後も部員の練習時間を巡り陰口などが激化。それが影響し、織田さんは体調を崩して入院したそうだ。その後も体調が回復せず、9月に退任せざるを得ない状況に追い込まれたという。 織田さんは記者会見で、「リンクの内外で恐怖心を感じた」と涙ながらに胸中を吐露したが、関大側は提訴の内容を把握していないとして「コメントは差し控える」としている。 さらに、先週の水曜日(20日)。新聞の1面に「パワハラで自殺 労災認定」という見出しで、若い青年の痛ましい死が報じられた』、「織田さん」の問題は真相がなんとも分かり難いようだ。
・『自殺につながる痛ましい事例も  トヨタ自動車の男性社員(当時28歳)が2017年に自殺したのは、上司のパワーハラスメントにより適応障害を発症したのが原因だとして、豊田労働基準監督署(愛知県豊田市)が労災認定していたという。 男性は東大大学院を修了後、15年4月に入社。研修後の16年3月、本社内の部署に配属されたところ、直属の上司からパワハラを受けるようになった。 「バカ」「アホ」と日常的に叱責され、「こんな説明ができないなら死んだ方がいい」と言われるなどし、男性は同年7月から休職。適応障害と診断された。 男性は3カ月後の10月に復職した際、別のグループに配属となった。ところが、席は元上司と斜め向かいだったそうだ。男性はプレッシャーがかかると手が震えたり、単純なミスを繰り返したりして、17年7月頃から「死にたい」と周囲に漏らすようになり、同年10月に社員寮で命を絶ったという。 男性の両親は「一生懸命に育てた子供がこのようなことになり、まだ受け入れられない。この労災認定を契機に、トヨタは職場環境の改善に努めてほしい」とのコメントを出している。今後は、トヨタ側に損害賠償を求める方針だという』、「東大大学院」卒のエリート新入社員を自殺に追い込むとは、「トヨタ側に損害賠償を求める」訴訟では、不利なトヨタは和解に持ち込む可能性がある。
・『いったい何度、こんな痛ましい事件が繰り返されるのか。 なぜ、元上司の近くの席になるような事態になってしまったのか。報道されている以上のことを知り得ない状況で言い過ぎかもしれないけど、これはパワハラに対する「会社の無関心」というほかない。 その一方で、死に至った原因をパワハラだと立証するのは簡単ではなかったはずだ。労基署が因果関係があると結論づけたのは、企業側、いや、社会に向けての警告も含んでいるのだと思う。 すべての社員が、家に帰れば自慢の娘であり、息子であり、尊敬されるべきお父さんであり、お母さん。そんな人たちをパワハラなんかでウツに至らしめたり、苦しめたりしていいわけがない。 ところが「大人のいじめ」とおぼしき言動に悩む人たちは後を絶たない。というか、むしろ増えているんじゃないか。そんなギスギスした空気をあちこちで感じている。 誰か一人をターゲットに、ストレスのはけ口にすることでまとまっている職場、常に誰かが誰かを大声で怒鳴りつけているイラついた職場……。 一つひとつのいじめはとても小さなことかもしれない。誰しもが意図せずして相手を傷つけてしまうことはあるかもしれない。それだけにいじめを受けた人は、「気にしないようにしよう」と自分に言い聞かせる。 だが、心がついていかないのだ。どんなに頭で理解しても、心は晴れない。時間がたてばたつほど心は沈むばかりで、「いったい私が何をしたと言うんだ?」「私は相手を怒らせるようなことをしてしまったのか?」と自問する自分と、その答えを見つけることができない自分に苦悶(くもん)する。気にしないようにすればするほど、心から離れなくなる』、トヨタの対応は「パワハラに対する「会社の無関心」、言い得て妙だ。「「大人のいじめ」とおぼしき言動に悩む人たちは後を絶たない。というか、むしろ増えているんじゃないか。そんなギスギスした空気をあちこちで感じている」、同感だ。
・『過去最多に増えた職場でのいじめ  いじめにはSNSを使った匿名のものもあれば、あからさまな仲間はずれといった小学生並みの幼稚なものもある。どんなタイプのいじめであれ、一過性のものなら、まだやり過ごすこともできる。だが、大抵は繰り返される。「もう大丈夫かも」と安堵した瞬間に、また、刃(やいば)が向けられる。 いじめは加害者にとっては「いっときの気分」でも、被害者にとっては「永遠の心の傷」だ。繰り返されれば、繰り返されるだけ、傷口は深まり、ちょっとした加害者のしぐさ、視線、言葉の語尾にも心と体が敏感に反応する。いじめられた経験が一回もない人には分からないかもしれないけど、加害者が視界に入るだけでも心は疲弊する。自分でも驚くほどに。ええ、本当。自分の弱さが嫌になるほどに。だから死にたくなるほど、つらくてたまらないのだ。 厚労省が6月に公表した「平成30年度個別労働紛争解決制度の施行状況 」によると、職場でのいじめや嫌がらせは過去最多を記録。過去9年で、いじめ・嫌がらせの相談件数は3万5759件から8万2797件(前年比14.9%増)まで増加し、相談内容全体に占める割合も、12.7%から25.6%へと倍増していたのである。 厚労省に寄せられた相談の中には、正社員として勤務していたが、職場の先輩から蹴られたり、腹部を殴られたりといった暴行を受けているケースもあった。また、本人に聞こえるように「早く仕事を辞めてほしい」「いなくなってほしい」といった暴言を日常的に受けていたが、近くで見ていた上司は見て見ぬふり。相談に乗ってくれず、指導などの対応も一切しないケースも存在した。 見て見ぬふり……。 私はここにこそ大人のいじめ問題の本質が隠されていると考えている』、最後の部分はその通りだろう。
・『それを書く前に、パワハラといじめの「日本」での違いについて説明しておく。 欧州ではいじめもパワハラも境界線はなく、どちらも「労働者の権利と尊厳を侵害し、身体的・精神的健康を悪化させるような行為=モラルハラスメント」として禁じられている。その上で、雇用者には予防義務が課せられ、従業員の身体的・精神的健康を守り、安全を保証するために必要な対策を講じるよう義務付けられている(罰則もあり)。 一方、日本では、以前書いた通り「指導とパワハラの境界線」ばかりが問題視されてきた経緯がある(参考記事:「時代を巻き戻した厚労省パワハラ認定の唖然」。また、セクハラやマタハラなどは男女雇用機会均等法で禁止されるなど、細かく類型化されている。 要するに、パワハラもイジメもセクハラもマタハラ(マタニティーハラスメント)も、すべて「人権や尊厳の侵害」のもとで行われる行為なのに、一つひとつの言動だけが切り取られて細分化されている。元を正すことなく、形だけを取り締まっているのである。 こういった状況の背景には、人権という概念の乏しさがあるのではないか? と私は考えている。私たちは労働力を企業に提供しているだけであって、人格を提供しているわけじゃない。その当たり前を企業や経営者に教育する機会が徹底的に欠けているとしか思えないのである。 さらに、欧州では問題が生じると「組織的な問題」という視点に立つが、日本ではいまだに個人間の問題という見方が多く、「いじめられる方にも問題がある」「そんなに嫌なら逃げればいい」と、問題の根っこに潜む「私たち」の問題ではないとする意見が後を絶たないのである』、最後の部分は、日本の病理を鋭く指摘している。
・『日本独特の「四層構造」のいじめ  では、「いじめ問題」に戻る。 日本では学校におけるいじめが社会問題として認識されるようになったのは、1980年ごろからで、特に関心が高まるきっかけとなったのが、東京の中野富士見中学いじめ自殺事件だ。 「葬式ごっこ事件」とも呼ばれたこの事件には、教員4人が加担。教師らは自らの身を守るために生徒に口止めしたり、聞き取り調査で自殺した生徒に問題があったかのような発言を繰り返したりしていたとされている。 この事件をきっかけに日本では「子供のいじめ」に関する研究が急増。そこで確認されたのが「四層構造」と呼ばれるものだ。 欧米のいじめでは強い者が弱い者を攻撃する二層構造が多いのに対し、日本では「いじめる人、いじめられる人、はやし立てる人、無関心な傍観者」という4種類の人で構成される「四層構造」が多いことが分かった。 四層構造では強者からの攻撃だけでなく、観衆や傍観者からの無視や仲間はずれといった、集団内の人間関係からの除外を図るいじめが多発するため、いじめられている当事者は「自分が悪いのでは?」と自分を責める傾向が強まる。四層構造とは、いわば「集団による個の排除」だ。 これは子供のいじめ研究で得られた知見だが、子供社会は大人社会の縮図とみることができる。「村八分」などは四層構造の典型的な例だし、会社でも、ご近所づきあいでも、いい大人たちがいまだに村八分のようないじめをやっているのは容易にイメージできる』、「四層構造とは、いわば「集団による個の排除」だ」、集団主義的な日本では根深い問題だ。
・『しかもやっかいなのは、「無関心な傍観者」のいじめに加担しているという意識の希薄さだ。 誰だって関わりたくない。加害者に抗議して自分がターゲットにされたくない。「さわらぬ神にたたりなし」ではないけど、いじめを目撃しても「自分には関係ない」と放置したり、遠くから乾いた笑いを浮かべながら見守ったり……。世の中にはこういった態度を「オトナ」と評する人は決して少なくない。 上司からのパワハラであれば、「倫理委員会に報告しよう!」と踏み出しても、同僚からのいじめなら「もうちょっとうまくやればいいのに」と傍観者になる。仕事のことであれこれ言われているのであれば「ちょっとあの言い方、問題なんじゃない?」と気に留めても、「陰口」の場合、陰口を言われている人に手を差し伸べるほどまでは気にすることがない。 そんな見て見ぬふりをする同僚たちの行動が、いじめられている人をさらに追い詰める。誰にも言えなくなる。逃げる気力ない。そして、傍観者は傍観者にさらに徹していくのである』、「さわらぬ神にたたりなし」と「見て見ぬふりをする同僚たちの行動」も、理解できるだけに難しい問題だ。
・『大人がいじめを自分ごとと認識できるか  よく「本人は意外と平気そうだったし……」「そこまで深刻に悩んでいるとは思わなかった」という人たちがいるけど、いじめを受けて傷ついている人は、弱音を吐いた途端、自分が崩れてしまう気がして大丈夫そうに振るまって、最後まで耐える。だからこそどんなに時間がたっても、心の傷痕が残ることになってしまうのだ。 大人たちは、子供のいじめが問題になるたびに、「子供のいじめはなくさないといけません!」だの「学校の先生は何をやってるのか!」と言うけれど、ひょっとしたら自分も誰かのいじめに加担してないか? と考えたことはあるのだろうか。 もし、もし、誰か一人でも立ち止まってくれたなら、救われる人がいるのではないか。身近な職場にも必ずいると思う。 なんだかんだと人間関係を築くのが難しい世の中ではあるけど、どうか今一度「あなたの職場」に、いじめの雨にびしょぬれになっている人がいないか見渡してほしい。 そして、もう一つ。私はこれまで一貫して、パワハラは組織の問題だと論じてきた。それはいじめも同じだと考えている。 正直なところ、「この人はなぜ、こんないじめをするのか」と思ってしまうことが度々ある。SNSに「これ、明らかにいじめだろ?」ということを書き込んだり、陰口やらを言いまくったりする人を見るたびに、もっと時間を自分のために使えばいいものをと、不憫(ふびん)にさえ思ってしまうのだ。 確かに意地の悪い人はいる。だが、そのちょっとだけ意地の悪い人の「小悪」を、組織の空気が助長するのだ。 会社という組織では能力や会社への貢献度が必ずしも正当に評価されるわけではないし、膨大な業務に追われて時間的余裕もなく、自分のことで身も心もヘトヘトになり、他者を受け止める余裕など持てなくなることがある。イラつく。そう、イラつくのだ。 そんなとき、つい感情が理性を凌駕(りょうが)し、いじめに走る。するとそれがきっかけとなり、「これくらい言っていいだろう。だって俺だってしんどいんだよ」と、いじめが止まらなくなっているのではないか。 つまるところ、すべての人が自分の存在意義を感じ、自分の能力を発揮でき、「明日も頑張ろう」と思える会社をつくることが、いじめやパワハラをなくす最善策。それを実現していくためには、大人が形づくる会社を一つのゴールにするしかないだろう。大人のいじめをなくすには、会社組織が大人の組織になる以外ないのかもしれない』、ただそれは百年河清を待つようなものだ。会社組織であれば、内部告発のルートを確立することも必要だろう。

第三に、同じ河合 薫氏による12月17日付け日経ビジネスオンライン「パワハラ自殺送検で問われた「プロの上司」という仕事」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00055/?P=1
・『ついに、パワハラをした男性会社員(30代)が、書類送検された。 罪状は「自殺教唆の容疑」。亡くなったのは三菱電機の20代の新入社員の男性で、書類送検された会社員は教育主任だった。報道によると、新入社員の男性は、今年8月下旬に社員寮近くの公園で自らの命を絶った。現場には教育主任から「死ね」などと言われたことや、会社の人間関係が書かれたメモが残されていていたそうだ。 教育主任が、8月下旬に行われる技術発表会に使う資料の書き直しを新入社員に求める際、かなり厳しい口調で迫っていたのを複数の社員が目撃していることが社内調査で明らかになっている。また、同僚たちの中には、亡くなった男性が「教育主任から『死ね』と言われた」と話しているのを聞いたと証言した人もいた。 三菱電機の技術職や研究職では2014~17年、長時間労働などが原因で自殺者2人を含む5人が労災認定されている。「パワハラが日常的で自浄作用はない」と話す社員もいるという。 ……いったい何度、このような悲劇が繰り返されるのだろう』、「三菱電機」は自動化機器に強く業績も好調な優良企業だ。それなのに、「パワハラが日常的で自浄作用はない」とは誠に残念だが、それは何故なのだろう。
・『社員の自殺を責任者はどうとらえているのか  自殺教唆は「もともとそうしようと思っていない人に自殺を決意させて、自殺させる」という犯罪で、自殺教唆罪の法定刑は、「6月以上7年以下の懲役または禁錮」(刑法202条)。 今回書類送検された会社員は、「死ね」とは言ってないが、類似する言葉は言ったかもしれないとの趣旨の説明をしているそうだ。 神戸地検は、刑事責任の有無を慎重に判断するとされているけど、起訴されようがされまいが亡くなった新入社員は戻ってこない。過労死は長時間労働の削減で防げるけど、過労自殺は長時間労働だけでなく、パワハラや仕事のプレッシャー、職場での人間関係などいくつかのストレス要因が重なり、生きる力が萎えた末の死だ。本当はもっと生きたい。もっとやりたいことだってある。その生きる力のエネルギーを劣悪な職場風土が奪うのだ。 三菱電機は「新入社員が亡くなったことは事実だが、それ以上は捜査中なので差し控える」としているようだが、「会社の責任者出てこい!」と率直に思う。繰り返される過労死や過労自殺を、会社の責任者はどう考えているのか? ぜひとも意見を聞かせてほしい。 そして、何よりも残念なのは多くの社員がパワハラを目撃しながらも、新入社員を救えなかったこと。 「報復が怖くて、コンプライアンス委員会に告発できなかった?」そうかもしれない。実際私は何度もその手の相談をされてきた。 「そこまで深刻だと思わなかった?」その可能性もある。「暴言を吐かれて彼が悩んでいたのは知っていた。でも、最初の頃は、その上司と飯を食いに行ったりしてたし、上司に暴言を吐かれても、言われたことをちゃんとやって認めてもらって。普通に元気だったときもあったんです。まさかうつになるまで、彼が追い詰められてるとは思いもしませんでした」これは上司のパワハラで同僚が精神疾患になり、自責の念に苦しむ男性をインタビューしたときに話してくれたことだ』、後者も大いにありそうな話だ。
・『世の中の人は、うつ病の人はいかにも憂鬱な表情で、口数も少なく、うなだれていると考えがちだ。だが、実際にはそういう状態になるのは、かなり重症のうつ病のみ。多数を占める軽症のうつ病者は、苦痛に耐えながらも相手に悟られぬよう努力して、なめらかに話し、にこやかに笑顔を浮かべて対応する場合がほとんどだ。 人は内面に苦しみを抱えていても、それを悟られないように取り繕う。だからこそ早い段階で周りがパワハラを止めなきゃならない。ところが、その「止め方」が一筋縄ではいかない現実がある。 実は最近、講演会などで増えているのが、「パワハラをしている人に、それはパワハラだと気づかせるにはどうしたらいいか?」という質問である。 大抵、そういう質問をしてくるのは40代以上の方たちだ。 「それ言ったらダメ、とか、そういう言い方はダメだという瞬間を目撃しても、その場で指摘したら部下の目の前でメンツをつぶすことになる」「感情が高ぶっているときだと、感情のぶつかり合いになってしまうので、少し時間を置いてから話すんですが……、本人には何が悪いの分わからない」「話した直後は穏やかになる。でも、また、繰り返す。怒りの沸点が完全に低くなっている」といった具合だ。 パワハラが社会問題化しているので、パワハラをなくそうという意識はかつてないほど高まっている。ところが、パワハラの加害者は決して自分が「加害者になっている」と知覚できない。パワハラの加害者はすべての人に対して害を与えるわけではなく、ある特定の人物をターゲットにするので、「自分」ではなく「相手が悪い」という思いがとかく強い。 「あいつのデキが悪いから」「あいつの性格が素直じゃないから」と、責任をすべて相手に押し付ける。実際にはデキが悪いわけでも、性格が悪いわけでもなく、ただ「自分の期待通りに動かない」「期待通りにできない」だけ。が、残念ながら加害者は決して自分を客観視できない。「自分がパワハラなんてするわけないだろ!」と信じているのである』、「多数を占める軽症のうつ病者は、苦痛に耐えながらも相手に悟られぬよう努力して、なめらかに話し、にこやかに笑顔を浮かべて対応する場合がほとんどだ。 人は内面に苦しみを抱えていても、それを悟られないように取り繕う」、周囲がそれに気づくのはなかなか大変だろう。「パワハラの加害者は決して自分が「加害者になっている」と知覚できない・・・「自分」ではなく「相手が悪い」という思いがとかく強い。 「あいつのデキが悪いから」「あいつの性格が素直じゃないから」と、責任をすべて相手に押し付ける・・・残念ながら加害者は決して自分を客観視できない。「自分がパワハラなんてするわけないだろ!」と信じているのである」、その通りなので、パワハラが一向になくならない要因の1つなのだろう。
・『「自分はできた」上司こそが危ない  そもそも会社という階層組織では、仕事の成果の報酬として昇進する。であるからして、上司に抜てきされる人の中には、あらゆる意味でパフォーマンスの高い人もいる。 仕事が手際良かったり、上司の意図をくむ能力、いわゆる「忖度(そんたく)」する力が高かったり、プレッシャーに耐える力があったり。こうしたパフォーマンスの高い人は、往往にして自分と仕事のスタイルが違う人を理解できないものだ。 「俺は新人のときからできた」「こんなこと言われなくたって普通わかるだろ」「先回りして準備するんだよ」「ちょっと叱られたくらいで甘えてる」などと批判し、「あいつのために言ってるんだ」「あいつが困るだけだろう」と自分を正当化し、「自分がパワハラをしている」という認識には決してたどりつかない、パワハラのループにはまっていくのである。 いったん始まったパワハラは、まるでスイッチが押された機械のように繰り返され、エスカレートする。最初は「何やってるんだ!」と大声を出すだけだった人が、一度「死ね!」という言葉を発すると、「死ね!」という言葉を使うハードルも下がる。 理性でコントロールしていた「使ってはいけない言葉」が、理性を感情が凌駕(りょうが)すると、あらゆるものを打ち砕いていく。情けもなければ、知性もない。やがて、手が出て、足が出て、身体的な暴力にまで至ってしまうのだ』、「いったん始まったパワハラは、まるでスイッチが押された機械のように繰り返され、エスカレートする」、実際には「身体的な暴力にまで至ってしまう」ケースは稀だろうが、「エスカレートする」のは大いにありそうだ。
・『パワハラが激化すると、周りの人たちは恐怖を抱き、火の粉がかからないように息をひそめ、パワハラを受けている社員と距離をとるようになりがちだ。すると、パワハラの加害者とパワハラの被害者だけの世界が出来上がり、被害者は孤立し、いっそう追い詰められる。 要するに、パワハラの自浄作用を社内で行うのは無理。パワハラのループを断ち切る「外の目」が必要不可欠だ。 メディア、特に放送の世界で、下請けのプロダクションからのクレームでパワハラが発覚し、局員が降格されたり、飛ばされたりするケースが増えたと聞いている。派遣している社員が「つぶされる!」と危機感を抱いたプロダクション側が訴えを起こしたことで、それまで放置されていたパワハラ行為が問題視されるようになったのである。 「心は習慣で動かされる」と言われる通り、私たちは職場に根付く組織文化に慣れる性質をもつ。外の目には「あれはやばいでしょ!」と知覚できることができなくなり、パワハラ体質が連綿と受け継がれていくのである。 書いているだけで、暗澹(あんたん)たる気持ちになるのだが、パワハラがなくならない理由がもう一つある。上司という立場が、感情労働だということを認識できていないことだ』、「放送の世界で、下請けのプロダクションからのクレームでパワハラが発覚」、と「外の目」が機能したようだが、一般の会社では閉じた世界なので「外の目」には期待できない。
・『部下を育てるには特別のスキルが必要  生産性至上主義の上からのプレッシャー、心も身体も酷使される状況下で、部下を育てる、部下のパフォーマンスを高める、チームの成績を上げる、という至上命令を果たすためには、自分の感情を常にコントロールし、どんな事態になろうとも平静を保ち対処することが求められる。そのスキルを個人の責任に委ね過ぎなのだ。 感情労働には2種類あり、ひとつは米国の社会学者のアーリー・ホックシールドが、1970年代に飛行機の客室乗務員たちの労働状況を分析し、提唱した概念「Emotional labor」。もう一つは、リーダー研究をベースにしたもので、「Emotional Management」あるいは「Emotional Work」と呼ばれている。 Emotional laborでは、絶えず相手の要求や主張、クレームを受け止め、たとえそれが理不尽なものでも、自己の感情を押し殺し、穏便かつ的確なサービスを提供する労働。一方、Emotional Managementは、自分の感情を調整・利用することで、本来、自分が持っている能力を最大限に生かし、豊かな人間関係をつくり、マネジャーが職務を遂行する際に必要な能力だ。 人は頭じゃなく、心で動くもの。上司の思いを部下に伝えて、好循環を創り出すには特殊なスキルや、専門的な知識の習得する教育が必要となる。 上司が感情労働をうまく行えるためのコストを企業は払っているのだろうか。感情労働にコストもかかるという認識さえ、持ち合わせていない企業が多いのではないか。 つまるところ、人の上に立ち、人に教育するという行為は、よほどトレーニングを積んだ人にしかできないってこと。時代も変わり、家族のカタチも、育ち方も、コミュニケーションの取り方も変わり、雇用形態も、働き方も多様化する中で、部下と向き合うのはとんでもなく難しい。 「一つよろしく!」と上司に部下の育成を任せるのは、豚に木に登れと言ってるようなもの。人に教育するトレーニングなり、感情のコントロールなりを、身につけた上で、担当させなきゃダメなのだ。 と同時に、職場という「人の集団」はさまざまな感情が蠢(うごめ)く場所。その感情の吹きだまりとならないように、風通しを良くする必要も当然ある。 どちらも企業、いや正確には、トップの責任の下で進められるべきことであり、社員間の問題ではなく組織の問題。これまで繰り返してきたように、「パワハラをなくせば会社が元気になるのではなく、元気な会社にはパワハラがない」。 そこで働くすべての人がイキイキと働く職場にするには、それぞれのポジションで求められるスキルを身につける教育が必要なのだ。おカネもかけず、手間もかけず、ただただ、「一つ、よろしく!」と、取り扱いの難しい部下たちを上司に任せる、いわゆる人に投資をしない会社は、トップが、ときに大切な命を奪い、ときに社員を犯罪者にしてしまう会社だと言えるのである』、河合氏の「トレーニング」はかなり高度なようだが、「三菱電機」ほどの会社であれば、管理職登用段階で何らかの研修がある筈だ。ただ、加害者はまだその手前だったのだろう。
・『職場の自殺防止には組織的な取り組みが不可欠  いつになったら「銃弾を放っているのは自分たちです」と認めるのだろか。何人の被害者が出れば、「銃弾を撃つのをやめます」と言うのだろうか。 某大手企業に勤める知り合いから聞いた話では、ひと月に1、2回は「自殺告知」が職場にあり、公にはなっていないがうつを発症したり、自殺をしたりする従業員は後とを絶たないという。 その対策としてトップが最も力を入れているのが、4次予防だ。つまり、環境の改善や健康教育による健康の増進=1次予防、健康問題が発生した際に行われる専門的治療=2次予防、再発防止策の対処=3次予防の裏で、自殺者が出た“後”の会社側の対応ばかりを心配する。 遺族への接し方を所属部長や役員に周知し、どれだけ会社側が「そうならないような努力とケアをしてきたか」を主張する問答集を作るなど、“事件”が起こった後の対応を完璧にし、訴訟を起こされないように先手を打つ。 「いや、○×クンのことは本当に残念ではありますが、会社は会社で、“彼のために”こんなケアをやっていたんですよ」と言いたいがための、完全な責任逃れが、労働状況の改善より優先して行われているのが現状なのだ。 悲しい話ではあるけど、そういう会社の上の人たちは、他のやつらは普通にやってるじゃないかと「職場の銃弾に倒れた人=弱い人」と考えている。偉い人たちの人間を軽視した思考の結果が、弱い立場の社員の命を奪うのだ』、「“事件”が起こった後の対応を完璧にし、訴訟を起こされないように先手を打つ」のは危機管理として当然だが、最も重要な事前の対応には、それ以上の努力を払ってもらいたいものだ。
いずれにしても、ハラスメントで命を落とすような犠牲者が出ないような社会に、一刻も早く近づいてもらいたい。
タグ:朝日新聞 三菱電機 トヨタ自動車 ハラスメント 日経ビジネスオンライン 河合 薫 ケイセイ・フーズ (その14)(佐野SA運営会社 元総務部長を再び解雇 労使対立深化、河合 薫氏2題:過去最多「大人のいじめ」を助長する傍観者の罪、パワハラ自殺送検で問われた「プロの上司」という仕事) 「佐野SA運営会社、元総務部長を再び解雇 労使対立深化」 労働組合の加藤正樹執行委員長を解雇 11月に2度目のストに踏み切り、労使が対立 「過去最多「大人のいじめ」を助長する傍観者の罪」 いじめ、モラハラ、パワハラ……、まっとうな“オトナ”の言動とは思えない事件が続いている 自殺につながる痛ましい事例も 自殺したのは、上司のパワーハラスメントにより適応障害を発症したのが原因だとして、豊田労働基準監督署(愛知県豊田市)が労災認定 トヨタ側に損害賠償を求める方針 パワハラに対する「会社の無関心」 「大人のいじめ」 過去最多に増えた職場でのいじめ 平成30年度個別労働紛争解決制度の施行状況 職場でのいじめや嫌がらせは過去最多を記録 パワハラといじめの「日本」での違い 欧州ではいじめもパワハラも境界線はなく、どちらも「労働者の権利と尊厳を侵害し、身体的・精神的健康を悪化させるような行為=モラルハラスメント」として禁じられている 雇用者には予防義務が課せられ 日本では、以前書いた通り「指導とパワハラの境界線」ばかりが問題視されてきた経緯がある パワハラもイジメもセクハラもマタハラ(マタニティーハラスメント)も、すべて「人権や尊厳の侵害」のもとで行われる行為なのに、一つひとつの言動だけが切り取られて細分化されている。元を正すことなく、形だけを取り締まっているのである 問題の根っこに潜む「私たち」の問題ではないとする意見が後を絶たないのである 日本独特の「四層構造」のいじめ 四層構造とは、いわば「集団による個の排除」 やっかいなのは、「無関心な傍観者」のいじめに加担しているという意識の希薄さだ 「さわらぬ神にたたりなし」 「見て見ぬふりをする同僚たちの行動」 大人がいじめを自分ごとと認識できるか パワハラは組織の問題 「パワハラ自殺送検で問われた「プロの上司」という仕事」 パワハラをした男性会社員(30代)が、書類送検 新入社員の男性で、書類送検された会社員は教育主任 「パワハラが日常的で自浄作用はない」 社員の自殺を責任者はどうとらえているのか 何よりも残念なのは多くの社員がパワハラを目撃しながらも、新入社員を救えなかったこと 多数を占める軽症のうつ病者は、苦痛に耐えながらも相手に悟られぬよう努力して、なめらかに話し、にこやかに笑顔を浮かべて対応する場合がほとんどだ。 人は内面に苦しみを抱えていても、それを悟られないように取り繕う パワハラの加害者は決して自分が「加害者になっている」と知覚できない 「自分」ではなく「相手が悪い」という思いがとかく強い。 「あいつのデキが悪いから」「あいつの性格が素直じゃないから」と、責任をすべて相手に押し付ける 「自分はできた」上司こそが危ない パワハラのループを断ち切る「外の目」が必要不可欠 感情労働には2種類 「Emotional labor」 「Emotional Management」 人の上に立ち、人に教育するという行為は、よほどトレーニングを積んだ人にしかできないってこと 職場の自殺防止には組織的な取り組みが不可欠
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